『財界にっぽん』2007年2月号

[遠メガネで見た時代の曲がり角] 連載第3回



政治の暴走を防ぐ言論界の役割と平衡感覚の価値


藤原肇(フリーランス・ジャーナリスト)在米



言論の威力によるラムズフェルトの更迭

 中間選挙で共和党が上下両院でマジョリティを失い、ブッシュ大統領は大敗北に終わった結果に対して、「失望している。責任の大部分は共和党を率いる自分にある」と認めた。そして、イラク侵略と復興作戦においてヘマの連続で、惨敗選挙の原因を作ったラムズフェルト国防長官を更迭した。だが、更迭自体は「辞任を認めた」というすり替え論理だったが、更迭せざるを得ない状況が選挙直前に起きていた。

 それは投票日の前日に発表される予定の社説が、四日前の11月3日にメディアに公表され、全米に報道されて津波現象を誘発していた。その社説の最後の数行は印象的であり、米軍のイラク占拠政策の破綻を論じてから、「・・・これは中間選挙などではない。11月7日にいずれの党が勝つにしても、大統領は厳正に照らし出された真実に、直面しなければならない時に至っている。ドナルド・ラムズフェルドは去らなければならない」。この社説は投票前日の11月6日に発売になる『陸軍タイムス』を始め、『海軍タイムス』『空軍タイムス』『海兵隊タイムス』に掲載されている。

 『陸軍タイムス』を始め軍人と家族を読者にした各紙は、国防総省や軍関係が発行する新聞ではなくて、ガネット・グループという民間のメディアの刊行物だ。また、ガネットは全国紙の『USAトゥディ』を始め全米で100紙の日刊紙や、ラジオ局やテレビ局を幾つも経営するだけでなく、英国やドイツでも新聞や雑誌を出している。だから、日本の大新聞と経営スタイルは大差なく、オピニオンとして発表した社説の威力が、支離滅裂な政治と誤魔化しによる情報の歪みに対して、言論として効果的に機能を発揮したと言える。

 11月3日から4日にかけてCNNやCNBCを始め、大手メディアやそのホームページが情報を流したので、その影響で5日の「ニューヨーク タイムス」の社説は、「ブッシュ政権で議会を主導してきた多数派の仕事ぶりは酷かった」と決め付け、中間選挙では共和党候補者をいっさい支持しないと断言した。投票直前に盛り上がった報道界の批判の声は、それまで鬱積していた閉塞感に対して、アメリカ人の反発が炸裂したと観察できた。


民主主義の基盤としての報道の自由

言論界の役割は国民に事実を報道すると共に、政治家や役人など公人の動きを注視して、政治による権力の乱用を監視する点にあり、それが言論活動を「社会の木鐸」と呼ぶ理由でもある。選挙や試験による選択を経た政治家や官僚と違って、言論活動は誰にも開かれた場であるので、発言の正統性は市民からの信頼と支持に担保される。だから、市民の側に軸足を置かないメディアは、ジャーナリズムの範疇に入らないのは当然なのだ。

 米国では憲法の修正第一条が「表現・報道の自由」であり、何にも増して重要な権利だと認められているし、報道の自由は民主主義の基盤であると考えて、公権力が機能する上での絶対条件だとされている。司法、立法、行政は相互牽制で鼎立するが、この公権力を監視する役目を持つ報道界が、第四の権力と呼ばれるのは監視能力に由来している。

 だが、政治的に後進国の日本では議会が脆弱で、国会議員が法律を作れないだけでなく、法案を討議する能力や手続きが欠けており、行政府が立法と司法を支配しているために、民主主義も議会主義も機能していない。ドイツの憲法を「ドイツ連邦基本法」と呼ぶが、基本法が憲法に準じるものだと理解せず、議論抜きで「教育基本法」を強行採決したように、日本は政治的に野蛮国そのものなのである。

 それは報道界が報道の自由を尊重せず、正しい情報を国民に伝える責任を放棄して、記者は役人の発表を記者クラブで貰うし、幹部は官庁や政府の審議会の委員になり、公権力の監視ではなく窓口役になり果てている。だから、ガネット・グループや「NYタイムス」が断行したような毅然とした批判の記事は、自己規制に毒された日本に登場しないのだ。その点では日本の出版界も腰抜けであり、私の『小泉純一郎と日本の病理』が出るまでは、小泉批判の本は書店に並んでいなかった。だが、拙著は自己規制で三割も削られた上に、最初の二ヶ月で五刷りになったのだが、新聞や雑誌の書評はゼロで黙殺されたのだった。

 それに対してアメリカの言論界は健在であり、選挙の一ヶ月前の10月2日発売ということで、「ワシントン・ポスト」のボブ ウッドワード記者が書いた『否認の国家』が出た。しかも、三日間で百万部を越す大ベストセラーになったが、9月30日に「NY・タイムス」が書評に取り上げただけでなく、メディアもこの本を話題にして騒然としていた。また、「ニューズ・ウィーク」の10月8日号はこの本を取り上げ、14頁にわたる特集記事を掲載して議論しているが、公権力に対しての報道界の対応は実に見事だった。


報道のメッセージは活字だけではない

イラク侵略政策の破綻がブッシュ政権を痛打して、ラムズフェルド国防長官が辞任した経過を始め、選挙の結果について既に多くの人が論じている。この選挙は共和党の保守本流派と中西部のリバータリアンが、宗教右派とネオコンの専横に辟易したために、軍人向けの新聞やブッシュに近いウッドワードまで、驕慢な権力者に反旗を翻したことが重要だ。

 私が注目したのは11月9日の新聞の記事だが、アメリカの選挙に関しての報道に見る限り、分析や解説において米国の有力紙の記事よりも、英国の高級紙の方が遥かに優れていた。経済紙の「フィナンシアル・タイムス(FT)」と「ウォールストリート・ジャーナル(WSJ)」ではいつもFTが優勢だが、この日もWSJの記事はFTに圧倒されていた。 私は特に「ニューヨーク・タイムス(NYT)」「ロサンジェルス・タイムス(LAT)」の二紙を丹念にチェックしたが、NYTが16頁でLATは21頁の選挙特集頁を組み、圧倒的な紙面を選挙結果に割いていたのに、内容の深さでは僅か2頁のFTの記事に較べて、米国の有力紙が劣っていたのが印象的だった。

 FTは2頁目のトップには三人の笑顔の顔写真で、勝者としてBarack Obama(イリノイ上院議員),Arnold Schwarznegger(カリフォルニア州知事),Joe Lieberman(コネチカット上院議員)を並べ、3頁目は敗者の苦虫を噛み潰した写真として、Conrad Burns(モンタナ上院議員),Donald Rumsfeld(国防長官),News Gingrich(前上院院内総務),Rick Santrum(ペンシルバニア上院議員)の順で並んでいた。しかも、2頁目の中央に大きくNancy Pelosi(次期下院議長)の破顔の写真があるのに、3頁目には敗者の総帥Bushの顔写真さえ欠落しており、そこに英国風の風刺の効いたユーモア感覚が読み取れた。

 それ以上に印象的だったのは一面の写真であり、各紙共にブッシュの両側に国防省を牛耳るラムズフェルトとゲーツが並ぶが、FTではブッシュは困惑した表情をしており、新旧の国防長官は苦渋に満ちた顔だから、この日の一面に相応しい写真が使われていた。また、LAタイムスも三人が緊張した表情の写真だのに、NYタイムスの写真では何と三人が笑っており、状況に全くふさわしくない写真で唖然とさせられた。

 これは編集や校閲の弛緩状態を明示しており、最近のNYタイムスの論説や意見欄の酷さと同じで、一流紙という評価が果たして正しいのかと、疑いたくなるようなお粗末さぶりだった。見出しの写真が状況や記事の内容と肉離れしても、それを読者が気づかないと思い上がって手を抜けば、幾ら長い伝統を誇っても無意味であり、米国の一流紙は英国の高級紙に差をつけられてしまう。日本人が有難がって論評を引用するが、「百聞は一見にしかず」を象徴するのが写真だし、一流紙でも油断大敵に支配されているのである


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