『財界にっぽん』2007年7月号

[遠メガネで見た時代の曲がり角] 連載第8回



相伝のワシントン流の謝罪術と遁走曲


藤原肇(フリーランス・ジャーナリスト)在米



 国内政治は問答無用の強権政治で押し切ったが、慰安婦問題についての発言で安倍は無責任さを露呈し、軽率な首相の恥が全世界に伝播した。3月10日号の『エコノミスト』は「安倍よ恥を知れ Shame on you」と書いたし、3月24日の『ワシントンポスト』の社説はタイトルに「アベシンゾウの二枚舌 Shinzo Abe’s Double Talk」と表現した。だが、国内メディアはこの件を触れなかったので、国民は日本の評価が大暴落した事実について、何も知らない状態で放置されたままだ。

  しかも、昔から「弱り目に崇り目」と言う言葉があって、第二回目に書いたようにネオコンとして安倍の保護者を任じていた、ポール・ウォルフォウィッツ世界銀行総裁のスキャンダルが、ワシントンで炎を燃え上がらせ始めた。3月28日の『ワシントンポスト」はカーメン記者の署名記事で、ポールが愛人のシャハ・リザに特別便宜を与えて、それまで13万ドル強の年俸を19万ドル強に増やし、給料は銀行持ちで国務省に出向させていた事実を取り上げ、これがお手盛りだったと問題にした。

  もっともポールとシャハの愛人関係については、スキャンダル好みの英国のタブロイド紙が取り上げて、ポールの世銀総裁就任が決まった直後から、『デーリー・メール』などが問題にして書き立てていた。リビアに生まれサウジで育ちトルコ人と結婚したシャハは・ロンドンのLSEを出てオックスフォード大で修士を取り、アラブ語、トルコ語、英語、仏語、伊語を操る才媛で、念の入ったことに英国国籍の持ち主だった。

  レオ・シュトラウスの学風を身につけたアシュケナジのポールが、米国のネオコンとして幾ら派手に動いたにしても、セファラダムの彼女に牛耳られるだけというのが、中東情報に詳しい英国風の筆致に感じ取れた。だから、英国でキナ臭い煙を出していたスキャンダルが、『ワシントンポスト」の記事で燃え上がった後で、英国の『フィナンシャル・タイムス(FT)』は取り上げて記事にしたのに、ネオコン系の『ウォールストリート・ジャーナル(WSJ)』は暫く事件を黙殺してから、やっと世界銀行総裁を擁護する記事を書き始めた。

  国際世論の非難の的になっていた安倍首相には、ネオコンで庇護者のポールの不始末の重要性について、思い巡らす心の余裕も頭脳力もなかったし、四月には何かと慌ただしい日程がぎっしり詰まっていた。六年振りに訪日する中国の温家宝首相を始め、各地の首長が決まる地方選挙が控えていたし、月末に始まる連休を使った恒例の外遊では、米国や中東諸国を訪問する日程があり、特に米国で盛り上がっている慰安婦問題を前にして、ボロを出さないかが大きな懸案だった。憲法改訂のための国民投票法を成立させるには、中国の温家宝首相が国会演説をするドサクサ紛れに、委員会採決と衆議院の与党採決を強行することが、安倍にとっての最重要のスケジュールであり、それを予定通り実行したのである。だが、曲者の温家宝は役人が書いた演説草稿を読み上げ、阿倍仲麻呂や鑑真らの名前を列挙して、日本人の自尊心をくすぐっただけではなく、草稿の「中国入民は日本人民が平和発展の道を歩いていくことを支持する」という部分を省いた上に、事前の打診を抜き天皇に北京五輪の訪中を招請して、安倍内閣を軽視する姿勢を記録に残した。

  外交では無言の発言に重要な意味を潜ませるが、そういう「エクリチュールの意味論」に疎い鈍感な安倍首相は、国民投票法の衆議院通過に満悦していた。また、世界銀行のスキャンダルがワシントンで火を噴き、安倍の後見人のポール・ウォルフォウィッツが記者会見で謝罪して、強情を張る安倍に謝罪の手本を示したが、共に自発的に責任を取って辞任しないで居直った点では、「この師にしてこの弟子あり」の見本だった。

  だが、この段階では未だ真意が日本に伝わらず、安倍は那覇基地で行われた自衛隊員の葬式に出かけたが、輸送中のヘリコプターが墜落した程度の交通事故は、本省の輸送課長や儀典担当官の仕事なのに、わざわざ首相が参列したのだから呆れる。現に4月16日の『朝鮮日報』は東京特派員の記事として、「果たして韓国の大統領が、韓国軍の葬送式に参席したことがあるだろうか」と疑問を呈していたが、今後の交通事故などでの葬式のことまで考えれば、それなりの立場に居る者は行動を自重して、慎重に振舞うのがけじめだと知るべきであった。

  居座るために一応は謝ったポールのやり方を見て、同じ手口が使えると考えた外務省の役人が試みたのは、共にネオコンの砦として知られたメディアを使い、首相の訪米の時に世論の沈静化を図るという企画だった。質問事項を限定し『ニューズウイーク』と『ウォールストリート・ジャーナル』にインタビューさせ、それで批判の楯にするという広報活動の一環でもあった。だが、取材記者を高級すし屋で接待漬けにして、機嫌を取った裏話まですっぱ抜かれたのは、よほど慌てていたにしても脇が甘かった。

  首相官邸で安倍がインタビューを受けていた頃に、右翼に銃撃された伊藤長崎市長が死亡して、軍国主義への傾斜が急速に進む中で、日本ではテロの季節が本格化していた。国連の軍縮局のライデル上級政務官が謹んで、「立派な大儀を持った真のリーダーを失った」と述べたが、異論を問答無用で圧殺する政治的狂気が、「戦後レジームからの脱却」の名で蘇ろうとしている。

  しかも、戦争屋として田中真紀子が嫌悪したアーミテージが、安倍に即席の知恵を授ける目的で駆けつけ、言葉遣いやテーマの展開を教える師匠として、首相官邸で訪米直前の手ほどき工作をしたのである。安倍が余りに頼りないと判断したにしろ、一国の首相が外国の役人に指図されたのでは、とても独立国と呼ぶことが出来ないが、世界に通用しない隷属関係を目の前にして、日本のメディアは不感症を呈していた。

  更に、安倍の訪米に合わせて韓国系のグループが、『ニューヨーク・タイムス』などの主要新聞に広告を出し、慰安婦問題で安倍首相に謝罪を求めるとか、ワシントンで抗議デモを組織すると言われていた。だが、バージニア・テク大学での銃撃事件の犯人が韓国系だったので、強い衝撃のために盛り上がらなかった。その影響で安倍訪米へのメディアの関心も低調だったが、心配の余りに二日だけの短期滞在で済ませ、安倍は逃げるようにしてアメリカを立ち去り、次の予定地の中東諸国に向かったのである。

  奇妙奇天烈だったのは安倍がとった態度であり、一部の米国議員や大統領に謝罪の意思表示をしたのに対して、ブッシュは「私は首相の謝罪を受け入れる」と答えたが、朝日新聞が社説で指摘していたように、首相が謝罪すべきは元慰安婦に対してのはずだ。現に4月29日の『朝鮮日報』の社説はそこに噛み付いて、「頭がおかしい安倍首相、話にならないブッシュ大統領」という見出しで、「日本の首相はなぜ慰安婦の人々ではなく米国の大統領に謝罪し、米国大統領は何の資格があってその謝罪を受け入れるというのか」と非難していた。

  それにしても、慰安婦問題は戦争責任の一部に過ぎない。しかも、植民地人や戦争捕虜を使った強制労働を始めとして、戦地での住民殺教や略奪の問題が山積みであり、軍国主義が安倍内閣の手で復活することで、日本人への警戒心と非難は高まる一方だ。そうした課題を解決せずに先送りして、その上に大きなシコリを残したことにより、2007年4月は迷走と暴走によって彩られた、不吉な曲がり角を右折した「卯月ならぬ憂月」になったのである。


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