『スキャンダル大戦争』第8号 2004.08.20発行



小泉内閣の亡国政治と外務省のデタラメ外交


天木直人(前レバノン特命全権大使)/藤原肇(フリーランス・ジャーナリスト)



離滅裂な外交と外務省人事

藤原 私が天木さんに会うためにアメリカから大阪に来たのは、あなたが出した『さらば外務省!』(講談社)を読んだからであり、著者に会って本人の口から直接に聞きたいことがいろいろとあるからです。それにしても、あなたの本が読者の関心を引き付けてベストセラーになり、副題の「私は小泉首相と売国官僚を許さない」というメッセージが、多くの日本人に伝わったということについて、まずは「おめでとう」ということで話を始めたいと思います。

天木 遠路はるばる大阪まで来ていただいて恐縮です。日本の外務省のでたらめさは今に始まったことではありませんが、小泉内閣になってからその酷さは驚くべきものになり、イラク戦争に加担したり憲法無視をしたりで、全く国としての節度を失っていることは明らかです。田中真紀子外相の下で、外務省が大混乱して醜態を演じて世間の注目をひくようになりましたが、なぜ日本の外交がこれほど支離滅裂になったか、国民はほとんど何も知らないと思います。私が『さらば外務省!』で行なった問題提起が役に立って、日本外交がいかに狂っているかの理解を深めるのに役立てば、本を書いた努力が報われると思う次第です。現に藤原さんのように本を読んだということで、わざわざアメリカから訪ねて来た人もいるわけだし、反響がこんな形で現れるとは予想もしませんでした。

藤原 あなたの『さらば外務省!』を読んでこの通りたくさん線を引き、内部情報として外務省が抱え込んだ問題点について、私なりに整理してみたのは確かですが、それ以上に気になってあなたに会いたくなったのは、表紙裏に印刷されている依願免官状のせいです(第一図)。普通は表紙裏にこんな書類のコピーは付けないのに、この本にそれが付いているという意味は何か。また、免官状をここに印刷したことの意味、そしてそのメッセージには特別なものがあるだろうと考えたから、私は天木さんに会って議論したいと思ったのです。そこでまず聞きたいのですが、なぜ免官状のコピーを表紙裏に印刷したのかについて、その理由を聞かせて貰えたら嬉しいのですが……。

天木 私がここに出そうと思ったわけではありません。編集者に免官状を見せたらこのような書類は通常の人は見ることが出来ない、大使の免官はこうしてなされるのか、興味深いということで裏表紙に大きく採り上げようとなったわけです。藤原さんが感じたような特別な意図はありません。

藤原 単なる私の考えすぎに過ぎなかったのですか。

天木 そうです。

藤原 私はこれまで外務省の機密文書をずいぶん見てきたので、『インテリジェンス戦争の時代』(山手書房新杜−絶版)の中にはアヘン取引を扱った、外務省の極秘電報のコピーを収録しているし、国家にとって重要な公文書を引用して論じた記事もあります。ちょうど手持ちのファイルの中に、太平洋戦争で無条件降伏した時の詔勅のコピーがあるが、天皇の署名と国璽が押してあるのを見ても分かるように、公文書は署名と捺印の組み合わせで成立します(第二図)。ところが天木さんの本に付いていた免官状には、内閣の文書を証明する捺印がないだけでなく、天皇の署名がないのに国璽だけが押して ある。だから、あなたの免官状のコピーが表紙裏に印刷されていたのを見て、私は何か特別なメッセージがあるのではないかと考え、次の段階で首相官邸が公文書を勝手に捏造し、あなたの首を切ったのではないかと疑ったわけです。

天木 首相官邸が免官状を捏造したとは思えませんが、確かに署名や公印がないというのもいい加減な話ですね。まあ、今の私にはどうでもいいことですが。




藤原 それについて「さらば外務省!』の記事を読むと、あなたのレバノン大使解任については閣識で決まったとなっているが、何でこの免官状には内閣のハンコや天皇の署名がないの?だってハンコがなかったら日本では公文書にならないのに、この免官状には内閣と書いてあるだけで、その下に印鑑が押してないでしょう。私はこれまで大量の公文書を見ているが、公文書である以上は必ず内閣のハンコがありました。

天木 大使になった時の公文書には「明仁」というサインがあったけれども、解任の時の文書には署名がなくハンコが押してあるだけだから、いってみればこれは不備な書類ですね。

藤原 不備ですよ。どうしてあなたは「こんな文書は受け取れない」と突き返さなかったの?

天木 そういうことまで考えが及びませんでした……(笑)。

藤原 そこがあなたの脇が甘いところでしょうかね(笑)。もう一つ不思議だと思うのは、宣戦布告の最後通牒や降伏の文書もそうだけれど、必ず天皇の「裕仁」という署名がしてあって、その下に国璽のハンコが押されているのです。ということはサインをするのが先であり、ハンコでもって完全な公文書になるわけです。ところがあなたが受け取った免官状には、天皇の署名がなくて国璽だけが押してあり、これは天皇のハンコを勝手に使ったことになりませんか?

天木 調べてみる必要がありそうですね。

藤原 この免官状はどこがあなたに出したものなの?内閣という署名があるから内閣官房のはずだが、印鑑が押してないというのは奇妙ですよ。

天木 内閣でしょう。ただ、そこは事務処理の問題としては内閣のものとして、外務省が作成したのでしょう。

藤原 いずれにしても、私はひと目でこれは偽造文書の仲間だと感じました。

天木 外務省の仕事というのはその程度のものなのですよ。

藤原 国璽としての天皇の印鑑管理に関しての問題であり、ハンコを勝手にペタペタと押していいのかということです。そうじゃないですか?天皇に会って実態を知らせるべき大問題であり、「あなたのハンコが勝手に押されているが、そんないい加減な扱いを政治家や役人に許すのか」と聞く必要があります。

天木 すべて事務的に処理しているということでしょう。厳密に言えばこれは深刻な問題でしょうね。

藤原 この問題をはっきりさせるためには、あなたが受け取った特命全権大使の任官状をチェックすることで、内閣の捺印と天皇の署名がどうなっているかを調べて、はっきりさせることが必要だと思います。

天木 それでは任官状を見つけ出してチェックしてみます(藤原注:任官状を天木さんが調べたところ、内閣の下には捺印がされ国璽の上に天皇の署名があった〔第三図〕。これを見ても免官状がいかに杜撰に作られ、内閣の印鑑の脱落と国璽の乱用の蔓延が、内閣に広がっているか明らかになった)。

藤原 あなたの『さらば外務省!』の「まえがき」の書き出しに、「2003年8月29日金曜日。この日の閣議で、私は駐レバノン特命全権大使の任を解かれ、同時に34年5ヶ月の外務官僚人生を終えることになった。その辞令の交付が、週明けの9月1日10時50分から、外務省の事務次官室で行われた」と書いてあるから、あなたは免官状を外務次官から受け取ったのですね。

天木 辞令を私に渡したのは竹内行夫事務次官でした。

藤原 ということは外務省があなたに免官状を手渡したが、これを作成したのは小泉内閣の官房であることは、内閣という文字が立派に証明しています。だが、公文書に印鑑を押していないこと以上に、天皇の署名もないのに国璽を勝手に押したのは問題であり、他人が印鑑をやたらに押しまくるのは無責任です。また、デタラメな国璽の管理と乱用の酷さは、小泉内閣の無責任な丸投げ路線を反映していて、国政を愚弄していることの証明だと言えますよ。

天木 天皇の国事を裏づけしている国璽をいい加減に取り扱ったとすれば、事務方がいかに天皇陛下、天皇制をないがしろにしているかということでしょう。事務方に天皇のハンコを預けているとすれば驚きです。


外務省の機密費流用と首相官邸への上納スキャンダル

藤原 政治家や役人はその責任を意識していないのです。その典型的なケースが外務省の機密費流用のスキャンダルであり、これは政府の裏ガネ作りに外務省が協力しただけでなく、税金を政治家と役人が着服していた点では、詐欺同然の行為で国家を食い物にしていたのです。

天木 外交機密費の流用ということで問題になったが、われわれは外務省報償費という名前を使っており、外交上の情報収集のための謝礼や費用に使うのですが、実際には、役人や政治家がどのような目的にでも使える、裏金の役割も果たしてきたのです。情報収集という名目にすれば領収書はなくてもいいのです。

藤原 外務省は六〇億円近くの外交機密費を持っていて、毎年その中から二〇億円も首相官邸に上納していた以上は、歴代の自民党内閣は税金を毎年二〇億円も抜き取り、着服して飲み食いに使っていたことになる。これはとてつもなく悪質な泥棒行為であり、歴代の首相と官房長官は犯罪者として監獄に叩き込まれて当然だし、徹底的な追及をジャーナリズムはする必要があります。

天木 機密費の話は歴代の官房長官はみんな知っており、外務省から内閣官房に上納していた事実に関しては、国会で取り上げられて周知の事実になっています。ところが、福田康夫官房長官の時に「古川メモ」が出て来て、古川貞二郎官房副長官が書いた機密費に関するメモが、共産党によって予算委員会で取り上げられました。しかも、筆跡鑑定をしてほぼ間違いなく古川のものだという結果が出たのに、福田官房長官が「こんな紙、知らん」と言って、それで終わりになってしまったのです。

藤原 森首相や河野外相は「答えられない」と逃げたし、福田官房長官は証拠の古川メモを「調べるわけにはいかない」と突っぱねたが、あんな盗人猛々しいことが罷り通る国会は完全に狂っていますよ。

天木 外務省や内閣官房の犯罪だけではなくて、大蔵省の主計局も深く絡みついているので、追及したら積年のボロがすべて露呈するから、それを恐れて全力を挙げて誤魔化したに決まっています。ただ一つだけ言っておきますと、外務省から内閣官房へ上納することそのものは、便宜的に外交報償費として予算を獲得する方が、大蔵省(財務省)との関係で取りやすかったというだけで、それを内閣に渡すというのは、財政法違反になるかもしれませんが、たいした問題ではないと思うのです。問題は内閣機密費の使われ方が、無茶苦茶であるということでしょう。

藤原 機密費の上納と流用の問題を調べていけば、雅子妃の父である小和田恒が外交機密費の責任者であったときもあるし、過去に遡れば大勲位や勲一等旭日大綬章をもらった連中が、国家を食い物にした悪党だったと分かってしまい、悪党どもが勲章で飾り立てていたことまでバレてしまう。しかも、官房機密費問題が皇室に及ぶのを恐れたのでうやむやにして、国民をごまかしたというのが実態ですよ。今まではそういう.悲行の限りを尽くしても外務省は安泰だったし、自民党は政権を維持して潰れずに来たわけだからね……。

天木 それほど根が深いから、口が裂けても認めることができないのです。報道陣もみんなその余得に預かってきたわけだし、書くことができない……。

藤原 日本のジャーナリストは記者クラブで飼われていて、皆が官房機密費から「お車代」なんかをもらっているし、サラリーマンだから真相を書けないのですよ。情けないですよ……。

天木 今の日本の報道界の実情を観察して思うのは、ジャーナリズムは何をしているのかという嘆きと共に、人間はやはり食っていかなければならないし出世もしたい、「そんなことを言うのであれば、明日から記者クラブを追い出す」と言われれば、何も言えないし書けないという現実もあります。

藤原 そこが問題です。新聞記者の多くは子供が高校生や大学生で、地方に飛ばされて転勤になるのは嫌だと思っているし、バブル時代に家やマンションを買ってしまったので、ローンの払いが大変で首になるのが恐いから、大胆な発言をするだけの勇気がありません。そこで、私は遊軍としてジャーナリストの仲間に加わったのだが、あまりやると皆が頼りにしかねないので、ヒントの提供で協力する戦法を使っています。だから、私は小泉が婦女暴行でロンドンに逃げた疑惑についても、三年以上も前に経済誌の記事 に書いたが、日本の新聞も雑誌も調査して報道しなかった。訪日した時にジャーナリストたちに聞いたら、週刊誌の編集長を始め新聞記者の中で、二〇人ほどの中で七人が小泉事件を知っていたのに、誰も記事にする勇気を持ち合わせなかった(藤原注:この件に関しては『真相の深層』創刊号に巻頭論文として寄稿したが、それは『賢者のネジ』〔たまいらぼ出版〕の中にオリジナル対談と巻頭論文が収録してある)。


首相と外相が異常精神の持ち主という狂気の時代

天木 ともかく、小泉のやっていることは酷いですよ。彼の安全保障に関する答弁を聞くだけで、いかに過去の議論を踏みにじっているか分かるし、自衛隊の海外派兵や憲法九条の問題にしても、あそこまで物事すべてをめちゃくちゃにしているのに、国民はよくそれを許していると呆れるほどです。もっとも彼が軽口ばかりたたいているのは、彼の人格そのものを表わしているわけですから、そのような軽率で不勉強な男でもこの国の首相は務まる、ということを見事に白日の下にさらしてくれたということですが……。

藤原 精神病理学の先生をやっている友人に会い、議論をしたのが東京に着いた翌日、今日から二日前のことですが、幾つかの疑問を専門家にぶつけてみたところ、とても興味深い収穫を得ました。その時にした話の結論に相当するものは、小泉が田中真紀子に「変人」と呼ばれたのは有名だが、この同病相憐れむとでも言ったらいいのか、田中真紀子の直感には実に鋭いものがあり、真実を衝いているのではないかということです。まず、小泉が国会という議論の場で討論をしないで、断言調の決め付け方しかできない上に、問題をすり替えて、ごまかしの答弁に明け暮れているし、薄笑いを浮かべている小泉純一郎の変人振りは、病的なものが読み取れるという結論でした。

天木 国会での答弁は実に不真面目だといえるし、指導者としての責任感のなさは実に酷いものであり、国民はよく我慢していると不思議なほどです。

藤原 十年以上も続いた不況と失政による閉塞感で、国民が異常に対しての感覚もマヒさせてしまい、異常が異常として感じられなくなったのです。だから、小泉と田中の二人が精神的に不安定であり、田中真紀子が起こした一連の外務省での騒動は、テンカン症に分類できる症状のせいです。また、小泉はクレッチマーの分類で昔は早発性痴呆症と呼び、現在では精神分裂の中に入れられている異常気質を示し、田中外相は免職になったからいいが、小泉は相変わらずワイドショー政治で人気を集めており、これは軽視できない事態だといえます。

天木 そんな精神病理学という難しいことではなく、単純におかしいと切り捨てればいいのです……。

藤原 これは難しいことでも何でもなくて、精神病理のプロの一部にはこの事態を放置しておいたら、日本の運命は滅茶苦茶になると考える人が現われ、病理学的な診断が必要だと発言し始めました。その手始めに、ブッシュ大統領の診断を試みた上智大学の福島章名誉教授は『ブッシュ・アメリカの精神分析』(大和書房)という本の中で、ブッシュは「微細脳器性性格変化症候群」であり、柔軟性に欠けた性格に由来すると書いています。また、私の友人で精神病理学のプロの意見によると、小泉は恥ずかしいという感覚を喪失していて、真剣に議論をしなければならない場面でも薄笑いが現われ、それが小泉特有のニヤニヤ笑いになっているのであり、これは脳の器質異常の可能性が認められるので、詳細は病院で精密検査する必要があるそうです。

天木 そうなると秘密に検査をする必要があるが、どうして藤原さんはそんな医学の分野のことに関心を持ったのですか。

藤原 私はフランスに留学して地質学で学位を取ったが、地質学は地球が患者という医学みたいな学問だから一種の診断学で、同時に勉強したのがファシズムとナチズムの病理であり、政治学部や医学部に潜り込んで講義を聴いて、独裁者や異常心理の政治家について学びました。また、精神病理学の大家である藤井尚治博士の所に十年も通い、脳内ホルモンと精神病理について学んだお陰で、『間脳幻想』(東興書院)という共著も出しました。だから、変人と言われる小泉の異常心理は病理的だと考えて、友人の精神病理学を専門にする医者と会い、自分が感じたことを一緒に議論したら、小泉自身は病識を持っていないにしても、要注意だという確認を得たという次第です。

天木 後は専門の医者に任せることにして、そんな小泉が日本の運命を狂わせないようにするしかないですね。


二週間で任地から逃げ帰った大使の行状

藤原 でも、精神的に歪んだ人に手綱を取られることで、一国の運命が狂ってしまうという悲劇に巻き込まれれば、とんでもないことだと思わざるを得ません。まあ、この問題はお医者さんたちに任せることにして、折角の機会だから外務省の話に立ち戻りましょう。外交官としての感じた問題点の中で、日本を代表する特命全権大使に関連して、天木さんの体験談をもっと聞かせて下さい。

天木 これは本の中に書いたことですが、私は上司から「お前は言動が反権力的であるから大使にはしてやらない」と言われていた。上の命令に忠実でないので失格だというわけです。その時は「この野郎」と思いましたが、我慢するしかない。そういう時に、私が総領事だったデトロイトから帰って来たら「レバノン大使をした奴が急に病気になってすぐ代わりが見つからないので、お前をレバノンの大使にしてやる」と言うのです。つまり、「本当ならお前なんか大使にしてやらないのだが、たまたまポストが空いたから任命してやる」ということです。そこでレバノンに赴任してみたら、「いやあ、大変でした。前の大使が突然いなくなったんです」と館員が当時の椿事を話してくれました。話を聞いたらピックリしてしまいました。

藤原 大使がいなくなったというのは、一体どういうことですか。

天木 私の前任者である駐レバノン特命全権大使は、二週間ほどベイルートに滞在した後で「休暇で帰る」と言ったきり、誰にも理由を告げずそのまま日本に勝手に帰っちゃったのです。その時の彼は単身赴任だったのだが、自分の住んでいる公邸にお化けが出ると言い出して、それで「お祈りをしろ」と館費で祈祷か何かをしたけれど、それでもおさまらなくて帰国したわけです。私がレバノン政府の要人から話を聞いてみると、「日本の政府はひどい。レバノンという国を侮辱している」と怒っていたが、その大使の後釜に私が任命されたのです。外務省の官房長から事の経緯を聞いてみたんです。「前任者はどんな病気ですか」と。そうしたら「閉所恐怖症だ」という返事でした。

藤原 ベイルートは海岸に面して開けた港町だから、閉所恐怖症なんか関係ないじゃありませんか……。

天木 さらに滑稽だったのは大使になった任命式の時に、当時首相だった森喜朗の所に、大使たちがまとまって挨拶に行った時があったんです。なんと新大使に任命された五人の中に彼がいて、今度はチュニジア大使になるというんです。森首相もあの通りの人だから、挨拶の時に「あれ、お前はレバノン大使なんだろう、このあいだ行ったばっかりなのに、どうしてチュニジア大使なんだ」って言い出した。肝心の大使はバツの悪そうな顔をして黙っているだけでした。私が着任して大統領に信任状を渡すのですがその時に前任者の解任状も渡すわけです。ところが、この解任状に天皇陛下の言葉なのですが「前任者は日本とレバノンとの関係増進に貢献し、良く任務を全うしてくれたがここに解任する……」というようなことが書かれている。二週間で逃げて帰った大使がよく任務を全うしたと天皇陛下に言わせているのですよ。さすがに私もひどいと思った。天皇陛下の面目などはまるで考慮してない。国のあり方、外交のあり方がもう支離滅裂なのです。

藤原 今は大使も単なるテクノクラートにすぎず、特命とか全権が形骸化していることが分かるが、もう少しあなたの大使時代の話をどうですか。

天木 これは自慢話に聞こえるといけないが、レバノン大使時代に現地政府から「お前が初めてレバノンにおいて、日本大使館の存在感を示した」と褒められ、「今まで日本大使館はどこで何をやっているのか、存在感がゼロだった」と言われました。日本の在外大使館は大体そんな評価で、もっとはっきり言えば、大使以下の館員は現地では目に見える仕事をしていない、その能力がないのです。私が一カ月間くらい休暇を取って帰ってみると、その間の仕事は何も動いていない、月給のタダ取りです。

藤原 そうですか。中には真面目な外交官も活躍していて、私は二十五年ほど前に田村秀治大使と雑誌で対談したが、田村さんはサウジ大使を歴任した人で、アラブ諸国の方言まで喋れただけでなく、中東問題のエキスパートとしての実力を持っていました。アラブの連中に彼について聞いてみると、「あの人は、本当にわれわれのことを考えて、実によく動いてくれた」と目を細めて賞賛し、日本とアラブ世界を結ぶ上で貢献していましたよ。


情報の価値が分からない外務省の情報エリート

天木 田村大使の話は私も聞いています。昔はそういう優れた大使もいたのです。しかし、最近は現地でどんなにいい仕事をしても“東京”は認めないし、そういう人に限って“東京”では評価されない。したがって大使も仕事をしなくなる。外務省にとって最大かつ深刻な問題は、情報というものの重要性と活用性に対して、問題意識がゼロになっていることです。東京の幹部にとって情報はいらない。なぜならばすべてを“東京”の都合で決めてしまうから。今では在外公館の情報入手能力やそれ以前の問題として、情報を取るという意識がまるでなくなってしまっているのです。

藤原 それはサウジ大使をやった岡崎久彦を見れば、いかに外務省が情報オンチであるか歴然としており、あんな程度の人が情報の責任者だったのだから、外務省に情報の分かる人がいないのは当然です。

天木 その通りです。彼は外務省で初代の情報調査局長だったが、口先ばかりで外交の仕事をさせると勝手な意見を言うので、置き場に困って情報調査局を作って、そこに彼を落ち着かせたといわれています。

藤原 岡崎は偉そうにゴタクを並べ立てるが、情報についての理解は至ってお粗末であり、『戦略的思考とは何か』(中公新書)という題の本を書いて、生兵法の恥さらしをしているのです。私は十五年ほど前に『アメリカから日本の本を読む』(文藝春秋)という書評の本を出したが、その中で岡崎のこの本について書評して、「……本人が“戦略論をゴタゴタ書いてきた」というものが、実はゴタゴタした軍略倫だった。使い古しのガラクタと錆びついたハードウェアの陳列は、ニューヨークのイーストエンドでユダヤ人の古道具屋に入った時の印象に似ていた」と書いています。そしたら毎日新聞がこの書評を全頁にわたって引用して、岡崎久彦の情報感覚について論評したが、彼の情報の集め方は極端なまでに偏向しており、アメリカとイスラエルの受け売りが目立ちます。

天木 そうです。情報調査局の連中はイスラエルの情報機関のモサドからの情報を有難がり、喜んでもらってきて大宣伝するのです。それが毎日のように東京から在外公館に送られてきて、あまりにみっともない調子でユダヤ人のお先棒担ぎをするので、「そんなことで中東外交ができるわけがないから、やめろ」という声が高まったほどです。

藤原 私は昔フランスのシンクタンクで働いていた時に、ファイサル国王のアドバイザーとしてリャドで仕事をしたので、サウジには古い友人たちがたくさんいて、いろんな形でサウジの情報が入ってくる。岡崎大使がサウジに駐在していた時の話だが、彼は月刊誌に陸奥宗光の伝記を執筆していて、大使としての仕事はほとんどしなかったので、アラブ人たちは「今度の日本大使は仕事を何もしていない」と文句を言っていました。小説家でも毎月雑誌に執筆するとなれば、寝る時間を惜しんでデータの整理やまとめをするが、現職の大使が小説を書くのに一生懸命だったのでは、外交が手抜きになるのは当然です。

天木 彼は大使としての仕事などは二の次であり、マージャンとカラオケばかりやっていたということですよ(笑)。

藤原 あの人はヨーロッパの国の大使になるつもりだったが、サウジに飛ばされたと不貞腐れて仕事をしなかったので、アラブ人たちは怒っていただけではなく、アラビア石油の権益を没収したのだそうです。日本にとって貴重だった油田の開発の契約が、一人の不心得な外交官のわがままで失われたのに、その責任も感じないで偉そうなことを書いているのです。

天木 日本人同士がほめ合っても、それは内輪の評価にしかならないのであり、現地の人の声に耳を傾けることが一番です。それに外交官の仕事は現地の人が一番よく観察しているから、彼らに評価されない外交官というのは、仕事をしていないのと同じ意味になります。


在外公館での不祥事の山

藤原 外務省が弛んでいるのは鈴木宗男事件で明らかだが、一国の外交が代議士の利権によって動かされるようでは、お粗末きわまりないと言うしかありません。松尾外国訪問支援室長の汚職事件にしても、キャリア外交官のほとんどが連座していたのに、徹底的な追及をしないでうやむやで終わったが、処分を内規の枠の中で済ませた点からして、そのインチキぶりがよく現われていたと分かる。内規で済ませば記録に残らないから、ほとぼりが冷めるまではじっと身を伏せていれば、「人の噂も七十五日」で日本人は忘れっぽいので、暫く謹慎していればよいという発想であり、実に姑息で弛んだ考えだと思うのです。

天木 あれは弛んでいるのではなくて、身内で庇い合っているだけのことであり、外務省の看板が傷つくだけで情けない限りです。こういうモラルハザードを幹部が起こしているために、まともな仕事ができるわけがないから、そうなれば外務省は存在理由がなくなったも同然です。なぜこんなに政治家に弱いのか。それは官僚たちが本省で幹部のポストに汲々としているからです。そして、政治家の意向でそれを手にしたり棒に振ったりして、実態は全面服従そのものです。外務省では本省の局長を終えて、大使として海外に出たらそれで終わりなんです。どんな大きな国の大使になっても後は定年を待つだけしかない。だからみんな少しでも長く東京にいて、幹部のポストにとどまりたがるのです。

藤原 私はこれまで大使を何人も見てきたが、アメリカの大使になる人が対米経験もない上に、それまで北米にも住んだことがないとか、そもそも英語がまともに喋れない人も多いので、そのいい加減な人事に唖然とさせられます。この前に発覚した在外公館の使い込み事件にしても、上は大使から下は雇員や用員に至るまでが行列して、税金を使って私用に流用していたのだから、外交官の誇りも自負心も雲散霧消の感じだが、あなたが外交官として遭遇した不祥事には、悪質なものとしてどんなものがありましたか。

天木 私が一番問題だと思ったケースとしては、オーストラリア大使館での公金横領疑惑ですね。一九九三年から九五年までの二年余りの期間だが、私はオーストラリア大使館の公使を勤めておりましたが、そこで山本という会計担当官の公金横領が発覚した。しかも、私の前任の榎公使がそれを知っていた。その手口というのがまた悪質なんですね。大使館の公金は通常どこも地元の銀行に預けるが、利子を取ってはいけないということになっています。もし受け取った場合は国庫に返還して、会計上きちんと処理しなくてはいけないのに、彼はその利子を受け取って着服していたのです。そして調べていけばいくほど彼の公金横領は根が深く広い。

藤原 それは公金の着服になりますね。

天木 完全にそうです。不動産売買の関係でも驚くべき不正が指摘されていました。大使館では現地に国有財産を所有していまして、必要に応じてこれを売る時があります。その際に業者と結託して差額を手に入れるわけです。たとえば五〇〇〇万円で売ったのを三〇〇〇万円で売ったことにして、キックバックやリベートを受け取るのです。こういう極めて単純かつ悪質なやり方で、公金を横領した疑惑は外務省の歴史の中にしょっちゅうあって、豪州大使館の場合もその疑惑が指摘されていたのです。その会計官は「オレを処罰してみろ、そうしたら全部バラすぞ」と脅かしたんです。何をバラすと言ったのかそれは謎ですが、いずれにしても外務省側はビビってしまった。結局は処分できずに闇に葬ってしまったのです。

藤原 暴力団の手口と同じじゃありませんか。酷いもんですね。

天木 まったくです。それが二年前の田中眞紀子外相時代に、新聞で公表されて広く知られるようになったのであり、公明党の荒木(清寛)副大臣がこの件の調査委員会の責任者として、指揮を執ることになったのです。ところが、その調査結果があまりにもいい加減であった。「事件について調べたが、金は福利厚生のための私的な資金として館員が積み立てていたものである。しかし、公的資金ではないとはいえ、使途に不明瞭な点があった」と支離滅裂な説明だった。そこで新聞記者が「私的な金だったら問題ないのではないか」と追及したけれど、川島次官は答えに窮してシドロモドロになったんですね(苦笑)。

藤原 公私混同が余りにも酷くて、外務省の実態は滅茶苦茶ですね。

天木 実際には公的資金なんだから、この一件は間違いなく不正を糾す必要がある。このスキャンダルは外務次官から福田官房長官に伝えられたはずだが、結局は「これは連立政権を揺るがす大スキャンダルになるおそれがある」としてもみ消されたと私は確信している。また、その情報も知っています。当時直ちにキャンベラの銀行口座を調べて利子の行方を調査すれば、物的証拠も出てきたはずです。だが、誰もこの大きなスキャンダル隠しについて、責任の所在を追及しようとせずに放置したから、私の前任者は近く大使になるようです(現在は駐インド大使)。要するに、外務省の人事は信賞必罰どころか極めて不明朗で恣意的なのです。組織としての責任や公正さが行われていない。動脈硬化と同じような状態に陥っていて、機能の面で外務省は半死に近い状態にあるのです。もっと米国のように幹部の人事は国会の承認を得るとか、ガラス張りにしないと再生はありえません。


盗まれ放題の国家機密

藤原 あなたの本の中に書いてあったことで、「首相に届けてほしい文書」を意味するA指定の電報を送ったが、それが実現されなかったと嘆いていたが、それは東京側でのサボタージュだったのですか。

天木 サボタージュというよりは恣意的なセレクションです。Cというのは局長でBはその上であり、Aは総理に見せるという意味であって、つまりABCというのは電報記述上の指定なのです。そして本省には在外公館からやたらに電報が届くから、重要度を選択しないと上の連中は読まない。その際に普通は「Aなんて指定するな」と言われており、「総理に上げる情報なんて滅多にない」と考えられるので、大使の判断でAにしても局長がチェックします。私の今回の電報は川口外務大臣が国会で、「私は読みました。ただ総理は忙しくてすべてをあげる必要はない。この電報は総理に読ませる必要はないと判断した……」という趣旨の発言をしていたことを後で知りました。何をかいわんやです。しかも、今では何でも機械化されているから、時には担当局長が目を通さないままに、機械的にバーッと首相官邸に行くことがあって、そうすると省庁間で喧嘩するなどというバカげたことも行われているんです(笑)。

藤原 外務省プロパーの外交官の数よりも、各省庁から出向している腰掛け外交官の方が圧倒的に多いから、そういうことが起きてしまうのでしょうね。

天木 それもあります。通常の場合、外務省に上がった電報は、いろいろと切り貼りをしたりするために、そのまま他の省庁には行かないんです。ところが、一度だけだが私がA指定にした電報が、局長がチェックをし忘れてそのまま首相官邸に行ったので、それがもとで通産省と大蔵省とでエライ喧嘩になり、後でとても怒られたことが昔ありましたよ(笑)。

藤原 アメリカはエシェロンを使って盗聴しており、電子メールやファクスは完全に読まれているから、外交電報もその例外ではないはずです。だから、私は商社の幹部に「海外に送る文書を暗号化しているか」と聞いたら、全部が平文で送っているという答えだったが、今の外務省はどのようにしていますか。

天木 もちろん暗号化しています。昔は文字どおり暗号表みたいなものがあったが、今はソフトで暗号化されています。

藤原 でも、そんな程度では簡単に読まれてしまうな……。

天木 それは読まれているでしょう。でも、秘密の情報を入手する力は今の在外公館にはない、それが問題なのです。暗号が見破られても困る情報は入ってないという笑い話になるでしょう。

藤原 日露戦争の時代から日本の暗号はお粗末で、「日本は暗号化しているつもりだろうが、平文と同じで全部読んでいます」とロシアのウィッテ外相に指摘された話が、外交官だった小松緑の本の中に書いてありましたよ(苦笑)。

天木 正直に言って在外公館から送られてくる情報で、秘密にする情報は殆どないというのが実態です。現地新聞の切り抜き程度のものに極秘のスタンプを押して勿体をつける。複雑な暗号を組む意味は殆どない。外務省幹部に情報の真贋を見抜く能力のある人間がどれほどいるというのか。川口外相も通産省の役人として大使館に出向して、アメリカで公使を何年かやった程度で、どこまで外務官僚を使いこなす力があるのか疑わしい。緒方貞子が外相就任を断ったために外相のお鉢が回って、それに飛びついただけのことです。それにしても、川口より外交センスのある有能な人材くらいは、日本には数多存在すると思うのですが、どうして小泉首相は川口を留任させたのか不思議です。

藤原 要するに、小泉内閣は年増女をいっぱい大臣に据えて、オバタリアンの人気を集めるお人形遊びをしているだけで、あれは発育不全の変人内閣にすぎないのです。だから、何とかのひとつ覚えで靖国神社にこだわり、日本がどんな未来を志向するかという理念は示さずに、国旗だの君が代を若い人に無理やりに強制して、日本を国家主義の方向に捻じ曲げているのです。


自由の規制とミランダ台頭の時代

天木 国旗や国歌の問題と言えば、日本は大騒ぎして「国旗・国歌法」まで作ったが、あの法律を成立させた年の天皇誕生Hの藩祝式典に、東京から在外公館に「国旗を掲げて国歌を流せ」という指令が来たのには笑わされました。それまでは「好きなようにやれ」と現地の判断に委ねていたのに、せっかく法律が通ったからという程度の木っ端役人の発想で指示を送ってきた。ところが語るに落ちる話があるのです。当時私はデトロイトで総領事をしていたのですが、米国人から「君が代」の意味を聞かれたので、どう答えていいのか念のため本省に聞いてみたのです。そうしたらいつまでたっても返事が来ない。挙句の果てに本省では今検討しているが、結論が出るまでには間に合いそうもないので、今回は適当にそっちで答えておけというのです。しかも、当時外務省の広報資料では「『君が代』は天皇の御代だ」と書いた資料があったが、それをあわてて回収して新たな統一見解を至急作り直すというのです。そんな状況にもかかわらず、一方において天皇誕生レセプションでは国歌を吹奏せよという、これはもう滅茶苦茶ですよ。

藤原 私のフランス留学時代のことを書いた『オリンピアン幻想』(東明社)という本に紹介したエピソードだが、フランスで鯉のぼりを掲げようとしたら、在郷軍人会と県知事が反対しただけでなく、圧力をかけられ潰された経験があります。彼らは鯉のぼりを日本の国旗と勘違いして、幾ら鯉のぼりが日本では男の子が健康に育つように、親が期待を込めて泳がすのだと説明しても、「いや、これは国旗と同じシンボルだ」といきり立つのです。

天木 軍人や権力志向の人にとって国旗は生き甲斐だから、鯉のぼりを日本の国旗だと誤解したのであれば、長崎で起きた国旗侮辱事件のフランス版ですね。

藤原 権力志向の軍人や役人はアドレナリンに支配されて、自分たちの存在理由と正統性を強く主張するために、ミランダを巧妙に使うことをやるのです。

天木 そのミランダという言葉が指しているのは、どんな概念を含んでいるのかについて、具体的な説明を知りたいのだがどうでしょうか……。

藤原 ミランダは政治学で使う用語であり、物理的な力の枠を超えて情動に働きかけることで、集団への帰属意識を高めるためのシンボル操作です。より具体的に言いますと、国旗や音楽を活用して記念日や儀式を行ない、象徴的で呪術性の強いデモンストレーションをするのです。

天木 松明を燃やして国旗で飾られた競技場を舞台に使い、壮大な音響効果を駆使して民族の大祭典やナチス党大会を開くなど、ヒトラーが愛用した大掛かりな政治的デモンストレーションがそれですね。

藤原 そうです。権力者が支配力を盛り上げようとする時に、旗や歌というミランダを使って情動に訴えるのですが、今の日本はこの傾向がとても強まっていて、脳の機能からすると間脳が主役を演じるのです。それに対して大脳皮質が主役になるのがクレデンダであり、これは近代を生んだ知性や合理性に結びつき、信条の体系や理論で構成する象徴主義が正統性を裏づけるのです。ミランダを盛んに活用したのがヒットラーだし、ブッシュのアメリカや小泉の日本もミランダ指向であり、9・11事件以降のアメリカは国中が旗だらけです。ブッシュはアメリカの民主主義の伝統を踏みにじって、全体主義に向かって藩進しようとしているが、アメリカ人の中には自由を愛す伝統があるので、きっと暴走をストップする機運が復活すると思います。だが、日本の場合は封建的な伝統指向が強い上に、長いものに巻かれる奴隷根性があるから、小泉が敷いた国家主義の路線の上を走りたい独裁者がこれから登場すると思います。それにしてもアメリカに広がっているミランダは、そこに住んでいる私には実に不気味であり、9・11事件がジョージ・オーウェルの一九八四年現象」を招き寄せた感じです。

天木 つまりエモーションがアメリカ全土を覆っており、星条旗や国歌が至るところで我がもの顔をしているが、それと同じ状況が日本でも支配的になっています。小泉内閣は日の丸を廃かせて自衛隊をイラクに送ったし、高校では国旗の掲揚と君が代の斉唱の強制で、全体主義国家に流れこんでいくわけですね。

藤原 だから心配なんです。クレデンダの間題をきちんとやらない国は、情動の暴走で完全に発狂してしまうことになり、今の日本は非常に際どい状況にあるのに、日本人は小泉内閣が秘める危険性を放置しています。

天木 われわれが世界に向かって外交を展開している現場に、政府と外務省は国旗と君が代を無理強いしているが、君が代がどんな理念であるか説明ができないのです。しかも、「君」の意味は天皇陛下だと説明すれば、旧社会党や共産党の面々が怒るに決まっているし、これまでの日本は民主的なご時世だったから、「君が代」を「天皇の御代」だとはとても言えません。要するに、政府がやることが支離滅裂で破綻しているんです。どう解釈したらいいか整理できていないのに、国歌についての法律制定を強行までして、 大急ぎで法制化したこと自体がお粗末の極みであり、その後で理屈をつけようというのは泥縄的で、いかにも小泉内閣らしい支離滅裂な話ですよ。

藤原 これはニューヨークに住む友人から聞いた話だが、9・11事件の直後にニューヨークにおける日本の領事公邸では、それまで掲げていた日本の国旗を畳んだそうです。テロに狙われるのが怖くなったからで、現地では日本人が駆け込むのを防ぐためだとも噂されたが、関東軍と同じで緊急な事態が発生したら、邦人の保護よりも自分たちが真っ先に逃げ出すのです(笑)。

天木 半生を外交官として生きて来た人間にとって、仲間が敗戦前の関東軍と同じに扱われたのでは、全く申し訳ないのでお詫びしたいと思います。日本人全体に奉仕しなければならない公務員が、自分の身の安全を優先する浅ましい根性に支配されて、日本人に門を閉ざすとは恥ずかしい限りです。

藤原 納税者の立場から見れば全くデタラメです。だから、アーミテージ次官補が日本の大使に言ったとされた、「ショ―・ザ・フラグ」という強圧的な発言は、ニューヨトクの総領事に向けたものだというジョークが、ニューヨークの在留邦人の間でもて囃されたそうです。この「ショー・ザ・フラグ」だって外務省がデッチ上げたようだし、その意味は「旗幟を鮮明にする」ということだのに、単細胞の政治家や自衛隊の幹部たちは、日の丸を掲げて海外に派兵することだと考えて、喜んで武者震いしたのだからお粗末です。小泉純一郎の人気に頼るデタラメ政治が三年も続いて、そのバカさ加減に国民の感覚がマヒしているが、この首相にしてこの国民ありということでしょうか。


〔対談者の横顔〕
天木直人(あまき・なおと)
一九四七年生まれ、山口県出身。京都大学法学部中退。上級職として外務省に入省。外交官としてのキャリアを通じて駐レバノン日本国特命全権大使だったが、イラク戦争を批判した意見具申のために、外務省を実質的に解雇処分になる。著書−『マンデラの南ア』(サイマル出版会)、『さらば外務省!』(講談社)、『さらば小泉純一郎!』(講談社)、『アメリカの不正義』(展望社)他。

藤原肇(ふじわら・はじめ)
一九三八年生まれ、東京都出身。グルノーブル大学理学部博士課程終了。理学博士。多国籍企業で世界各地の石油開発に従事し、独立して米国で石油会社を経営した後で、フリーランス・ジャーナリストとして国際的に活躍。著書一『夜明け前の朝日』(鹿砦社)、『ジャパン・レボリユーション』(清流出版)、『間脳幻想』(東興書院)他多数。


天木直人(右)と藤原肇(左〕


記事 inserted by FC2 system