『BIG−A』 1989.12月号



"幕末"を迎えた自民党政治
徳川幕府は十五代で終わったが、自民党は...



藤原肇 国際エコノミスト



戦後四十年に及ぶ自民党政治が、国民の消費税に対する反乱から、危機に陥っている。また、日米をはじめとする対外経済摩擦もいっこうに収まる気配がない。日本は内外ともに厳しい局面を迎えている。国際的なオイルマンとしてアメリカで活躍しているエコノミストの藤原肇氏に、硬直化した日本の政治・経済について、思う存分語ってもらった。



完全に狂っている日本のコメづくり

 今回帰国したのは墓参りをするためである。帰国するにあたって、母親に電話して「土産は何がいいか」と尋ねたら、「コメを持ってきてくれ」と言う。今年の5月に帰国したとき、私は土産にカリフォルニア米を25ポンド(約11キロ)持ってきた。母親にとってカリフォルニア米は意外に美味しかったらしく、アンコールとなった次第である。私は大急ぎでスーパーヘ行って、1袋25ポンドのコメを買った。値段は日本円にして約700円だった。11キロ700円のコメを成田から東京までタクシーで運んで、その何倍ものタクシー料金を取られた。独り暮らしの母親に、「日本で11キロのコメを買うといくらか」と聞いたら、「5キロ2,800円のコメを買っている」ということである。これはもはや、コメの自由化をするかどうかというレベルの問題ではなく、日本のコメづくりは完全に狂っているということに他ならない。

 私が買ってきたカリフォルニア米は「カルローズ」という。母親に言わせると、カルローズの味は日本の特選米と比べても遜色がないそうだ。また、ロスアンゼルスのスシ屋の板前も「日本のササニシキやコシヒカリより、カリフォルニア米の方がスシは旨いですよ」と言っていた。私自身もときどき炊いて食べるが、美味しいと思う。昨日、元麻布のあたりをぶらぶら歩いていたら、コメの自動販売機があったが、コシヒカリが1.5キロで千何百円だった。10キロにしたら1万円である。美味しさで遜色のないカルローズは11キロで700円。日本の消費者は完全に見捨てられており、自民党の農業政策は完全に破綻している。

 狂っているのは農政だけではない。エネルギー政策もまた破綻している。石油ショックだ、エネルギー危機だと騒いだのは、まだほんの10年前のことだ。しかし、喉元過ぎれば熱さを忘れるではないが、日本はエネルギー問題を忘れてしまっているかのようだ。日本のエネルギーの40〜50%は原子力発電で賄われているから、石油ショックが起きても大丈夫だというデマゴギーが流されているが、本当に原発に依存して大丈夫だろうか。アメリカのブッシュ政権は、原発の新規建設を認めないどころか、稼動している原発も漸次潰していく方針である。現にアメリカでは、完成したばかりでまだ一度も稼動させていない原発を解体している。アメリカはすでに、原発推進政策にブレーキをかげているのである。

 日本は、原発に頼らないと電力安定供給が危うくなるなどと、発電量のことばかりを議論して、廃棄物のことを忘れている。毎日、広島に落とされた原爆の200発分に相当する量の放射能廃棄物が、この国土に蓄積されている事実を見逃してはならない。こうした汚れ物の後始末をうやむやにするのは、日本人の悪い癖だ。例えば、東京はますます一極集中で肥大化しているのに、下水道の完備は相変わらず遅れている。また、上水道も増えていないので、東京の水の悪化、劣化が以前にも増して進んでいる。原発の場合、電力需要の増天に対応しなければならないということで、廃棄物の処理問題を解決しないまま推進してきた。そして、それは半面、どんどん新しい電化製品をつくり、大量に電気を使う社会にしてきた結果でもある。日本のエネルギー政策には、いかに住みやすい環境を保つかという、長期的な視点が全く欠けていたと言う他ない。


人心を荒廃させた自民党の土地政策

 最近、リニアモーターカーが脚光を浴びている。何でも東京―大阪間にリニア新幹線を敷き、一時間以内で結ぶのだと言う。しかし、リニアモーターカーは猛烈にエネルギーを必要とし、そのエネルギーをどう確保するかが第一の問題である。また、リニアモーターカーは超電導を利用するものだが、微量の電磁波が長期間にわたって人体に当てられると、生命にどういう影響を及ぼすかについて、基礎研究もほとんど行われていない状況である。これは、放射能廃棄物のことを忘れて、電力を安定供給するという錦の御旗のもとに、原発をどんどん建設していったのと同じ過ちを犯す可能性がある。

 私は最近、国際的な医学会に努めて顔を出すようにしているが、このところ、弱い電磁波がガンの原因ではないかという説が主流になりつつある。なぜ電磁波がガンの原因になるのかと言えば、電磁波が水素の原子核であるプロトン(陽子)に影響を及ぼすことによって、細胞分裂のオフ・オンスイッチが壊れてオン状態で止まり、細胞が際限なく分裂するからだということだ。ガンの学会でそういうことが論じられているときに、無批判にリニア新幹線に傾斜していくことは危険と言わざるを得ない。

 先日、海部首相が訪米した際、日本もフロンによるオゾン層の破壊防止にできるだけ協力することを約束していた。しかし、世界の人口の3%程度に過ぎない日本が、世界のフロンガス生産の30%を占めている現実を考えると、海部首相は日本の企業に向かって、フロン生産の中止を呼び掛けるぐらいの決意を表明すべきだった。フロンガスというと自動車のエアコンディショナーを思い浮かべるが、実はマイクロチップのクリーニングに大量に使用されており、マイクロチップ大国の日本はフロン大国でもあるのだ。

 これまで自民党政治が曲がりなりにも続いてきたのは、土地本位制とも言うべき土地政策のおかげである。本来投機の対象ではない土地を投機の対象にし、企業や個人の地主に含み資産という膨大な資産を提供した。そして、そこから政治家の政治資金が生み出されていた。その代表例は田中角栄の土地転がしであり、行きついた先がリクルート事件だった。リクルートの場合は、土地転がしと言うより土地蹴飛ばしと言った方がふさわしいかも知れないが、自民党政治を根幹から揺さぶったリクルート事件が、リクルートコスモスというリクルートの不動産部門の会社をメインの舞台にして発生したことは、自民党政治が土地投機をいかに利用してきたかを証明していると言えるだろう。また、リクルート事件で自民党が蹴蹉いたことは、自民党の土地政策が蹉いたことを意味していると言えよう。サラリーマンが一生汗水流して働いても、東京周辺には家一軒持てないという現実が、いかに日本社会の人心を荒廃させていることか、政治家は肝に銘じるべきである。

 破綻はまだある。交通問題もその一つだ。今朝、私は9時に国電に乗ろうとしたが、1台目は乗れなかった。2台目は無理矢理詰め込まれた。乗客の顔を見回してみると、みんな苦しそうだが、怒りの表情は一つもない、不思議な顔をしていた。こんなゴキブリ以下の扱いを受けて怒らないとは、日本人も我慢強いものだと感心したが、この忍耐も限界に近いのではないか。私が年に2回ほど帰国するたびに感じることは、東京にはどんどんビルが建っているが、都市としての基本設計は昭和初期の時点と大差ないということだ。当時すでに現在のJR線、私鉄の近郊線はほとんどできていた。この60年間でやったことと言えば、地下鉄を増やし相互乗り入れを実現したことぐらいである。日本が本当に経済大国で金があるのなら、都市の交通地獄の解消に対して、もっと基本的、本格的な投資をすべきだろう。


人材不足は否めない自民党の総裁選び

 自民党政治の矛盾がいろんなところで噴出しているが、いちばん悲劇的なのは教育の破綻だと思う。海部首相は文教族の代表的な存在だそうだが、これまで何をやってきたのか。教科書書き換えなどという寝ぼけたことに精力を費やしているうちに、日本の教育はめちゃくちゃになってしまった。日本の小・中学校教育は、基礎的な知識を増やすという観点からすれば、国際的にも恥ずかしくないレベルにある。問題は、高等教育が壊滅状態になってしまっていることだ。特に大学は、世界のレベルからして、とても大学と呼ぶに値しない代物になってしまった。日本の大学卒業生のレベルは、恐らくヨーロッパの中学生程度、アメリカの高校二年生程度ではなかろうか。

 日本の学歴社会の頂点に位置する東京大学も、実は世界の一流大学の予備校に過ぎなくなっている。東大を出ても、アメリカやヨーロッパの一流大学の大学院を出なければ、世界に通用しないのである。つまり、日本の大学は世界に通用する人物を育てることができなくなっている。それだけ先生のレベルも低下している。また、かつての高校生は哲学書や歴史書、文学や詩歌を読んだものだが、最近の大学生は新聞や週刊誌も読まないで、マンガばかり読んでいる。これでは人材が育たないのも無理はないが、これが将来の日本の致命傷になる可能性を持っているから、事態は深刻である。

 一国にとって最も大事なことは、経済力ではなく、人材をいかに育てるかである。今、日本の政治が混乱しているのは、人材の不在にも大きな原因がある。竹下、宇野、海部と、ここ1.2代の自民党の総裁選びを見ても、人材不足の印象は否めない。海部首相は、昭和30年の保守合同で自由民主党が結成され、鳩山一郎氏が初代の総理総裁になって以来、14代目の総理総裁である。日本の歴史を振り返ってみると、同じ"血脈"で政治が行われた場合、10代を過ぎると無能な為政者が出現するようになり、その体制は没落の過程を辿っている。そして徳川幕府も室町幕府も15代で終止符を打った。室町末期は応仁の乱、徳川末期は戊辰戦争というように、内線状態となったが、その中から受け皿として台頭してきたのが下級武士であった。しかし、今、幕末状況にある自民党には受け皿となるべき人材がいない。

 私はすでに10年前に出した『日本脱藩のすすめ』という本の中で、日本は幕末状況にあり、来たるべき新時代を担う優秀な人材はどんどん海外に出て修業すべきであると指摘しておいた。明治維新政府を担った伊藤博文も密航同然にして外国を見聞していたからこそ、あれだけのリーダーシップを発揮することができたのである。自民党政権がそろそろ落日の時を迎えようとしているが、いまからでも遅くはない、前途有為の青年は日本を脱藩し、海外で見識を磨くことだ。

 自民党政権の破綻の最大の要因は、政治を利権化したことである。そして政治家は半ば世襲となり、2代目、3代目議員が横行している。聞くところによれば、次の総選挙には、亡くなった三木元総理の長女が立候補する予定(註=その後辞退)だと言う。故三木氏の秘蔵っ子と言われる海部氏が総理大臣になったからでもあるまいが、クリーン三木の後継者が長女では、国政の私物化と批判されても仕方がない。海部首相は出馬を思いとどまらせてしかるべきだ。中曽根元首相は在任中に息子を国会議員にするという破廉恥を行ったが、クリーン三木の後継者選びはクリーンであるべきだ。

 私のアメリカの友人が、「日本の政界の人材難はひどいね。やくざの世界で活躍したほうが似合っているような人が、国会の委員会の委員長をやっている」と冗談混じりに言っていた。私が心配するのは、これから自民党政治が最後のドタバタを迎えたとき、そういう鉄火場を渡ってきたような人物が、ドタバタにまぎれて、ひょんなことから総理大臣の椅子に座りかねないということだ。徳川幕府側の人間で徳川幕府に引導を渡し、幕引をやったのは、勝海舟である。海舟の父勝小吉は剣道の達人だが、半ばやくざ、半ば無頼の徒である。そのやくざな血筋から徳川三百年の幕引役が出た。海舟は見識を持った人物だったからよかったが、今の自民党には勝海舟に匹敵する人材は見当たらない。やくざまがいの人物やファシスト的な超タカ派の人物が幕引役として登場し、日本の政治を大混乱させる可能性もあるのだ。


中央集権か強い国ほど行き詰まりが深刻

 ところで、現在、日本の景気はすこぶる好調だと言う。この好況を支えているのは低金利である。低金利ゆえに産業界は資金調達も順調で、設備投資に拍車をかけることができる。また、低金利ゆえに株式市場に資金が流入し活況を呈してきた。しかし、低金利に泣いている人達がいることを忘れてはならない。例えば、私の母親は15年前に私の親父を亡くして以来、厚生年金で生活している。1カ月当たりの年金支給額は約7万円だと言う。15年前の7万円は価値があったが、ベトナム難民ですら月に16万円ほどの最低保障をされている今日において、老人といえども7万円で生活していくのは容易なことではない。だからこそ、「土産にカリフォルニア米を持ってきてくれ」と言うのである。

 日本の老人の多くは、恐らく私の母親と大差ない生活を送っているに違いない。そして、老後の生活不安に備えて、懸命に貯金をしているのだ。ところが、低金利のため貯金しても雀の涙ほどの利子しかつかない。一方、低金利に乗じて資金を調達した企業は、土地をはじめとする投機に資金を回して大儲けしている。そして、その陰では政治家が企業から1億円、2億円といただいている。これは、低金利という手段で、強者が弱者を収奪している構図である。低金利が本当に国民のためになっているかどうか、疑わしい。

 今回、5カ月ぶりに帰国して驚いたことの一つに、自民党支持者の間の"橋本龍太郎ブーム"がある。橋本大蔵大臣はワシントンで開催されたG7に出席した際、車から降りて会場に入るところで、テレビカメラに向かって敬礼していた。それをテレビで見た私の友人のアメリカの歴史学者は、「あれはゲーリングのやり方ではないか。彼が日本の指導者になったら心配だな」という感想を洩らしていた。ゲーリングとはヒットラーの下で空軍総督をやっていたパリパリのナチス党員だが、派手な演技をすることで有名だった。アメリカのインテリにそういう印象を与えた橋本蔵相が、一部で自民党の救世主のように見られている。政治家はアイドルタレントとは違う。主にテレビの画面が作り出した人気だけで指導者が選ばれるようなことはあってはならない。

 "橋本ブーム"はともかくとして、1億人の国民が収奪され景気だけはいい、という現在の日本経済は、この際、修正されるべきである。農業政策もエネルギー政策も土地政策も教育政策も交通政策も、ほとんど破綻しているにもかかわらず、自民党政権が曲がりなりにも安泰でいられるのは、景気がいいからである。好況によって潤った企業が献金をして自民党を支えている。つまり、自民党政権は弱者を収奪する低金利政策によって、人為的に好況を作り出し、辛うじて政権基盤を保っているのだ。この状況は、経済に対してカンフル注射というよりモルヒネ注射をしているようなものである。最近、アメリカで麻薬問題が深刻化しているが、日本は経済全体が麻薬中毒にかかっているようなものだ。

 いま、アメリカもソ連も中国も日本も、それぞれ政治が硬直化し、行き詰まりを見せている。その中で、最も弾力性をもって社会の変革にチャレンジしているのが、ソ連のゴルバチョフである。国家の最高指導者として、国の硬直化がひどいことを素直に認め、生命を賭して改革に取り組んでいるゴルバチョフは、なかなかの人物だ。ゴルバチョフの改革の直接的なきっかけとなった事件は、チェルノブイリの原発事故である。あの事故で半径500キロ圏内が放射能汚染され、特に100キロ圏は10年間は人間が住めないと言われるぐらいに汚染された。日本の場合、敦賀で事故が起きれば、京都には住めなくなる。そういう可能性がゼロとは言い切れないのが、原発の恐ろしさなのだ。

 私は、今日、世界の行き詰まった国々を眺めて、中央集権がひどい国ほど行き詰まりが深刻なように思う。その代表が、東側ではソ連であり、西側では日本である。ソ連は必死に改革しようとしているからまだ救いがあるが、日本は何ら抜本的な改革をやろうとしていない。首都機能の分散とか、遷都とかが論議されているが、中央集権の弊害をなくすには、そのレベルの改革では意味がない。私は、もっと真剣に道州制を検討すべきだと考えている。日本を6〜7の道州に分割し、それぞれに首相をおいて連邦的な政治体制にすべきである。中央政府は外交と防衛を担当するだけでいい。そして、道州で首相を経験した政治家が、中央の首相になるようなシステムを作る必要がある。現在の自民党のような当選回数による年功序列で総理大臣を選んでいるようでは、日本はいつまで経っても世界に通用する国際国家になることはできない。


ソニーのコロンビア買収と米金融資本の戦略

 閑話休題―――ソニーがコロンビア映画を買収したことで、アメリカが「日本はアメリカの魂まで買った」と怒っていると、日本のマスコミは騒いでいるが、これはそれほど大騒ぎすることではない。確かにアメリカの一部マスコミが大袈裟に採り上げたことは事実だが、それは『週刊文春』だけが社会党のパチンコ疑惑を追及している程度のことに過ぎない。それをアメリカ中のマスコミが騒いでいるように報道するのは、アメリカの"日本叩き"に神経過敏になり過ぎているからであり、一種の被害妄想である。ソニーのコロンビア映画買収のコーディネーターを務めたのは、モルガン・スタンレーあたりだろう。ソニーの盛田会長は確かモルガンの社外重役になっていたはずだ。そして、この買収劇は底流でブッシュ大統領の世界戦略と密接につながっていると見ていいだろう。

 実際、アメリカ人一人ひとりはソニーのコロンビア映画買収についてそれほど怒ってもいないし、大騒ぎもしていない。大体、アメリカ人は多民族の集合体であり、国籍は問わないという考え方である。コロンビア映画の経営を誰がやろうと問題ではない、良ければいいし、おもしろければいい、という発想だ。ただ、アメリカの言い分は、アメリカ国内で自由にやらせるから、自分達にもそれぞれの国で自由にやらせろ、ということである。モルガンがソニーをたきつけてコロンビア映画を買収させた背後には、アメリカ金融資本の対日戦略が隠されている。

 アメリカの銀行の日本上陸はこれから本格化するが、彼らはまず、かつての相互銀行のような経営基盤の弱い、弱小銀行の買収を狙うだろう。しかし、"敵は本能寺"である。その後、突如として、都市銀行の買収に出る。その際、大蔵省をはじめ日本側は必死で抵抗するに違いない。そこで彼らはコロンビア映画を"切り札"として使う。「われわれはソニーのコロンビア買収を認めたではないか。なぜ、われわれが日本の銀行を買収してはいけないのか」と。今回の買収劇は、その日のための布石と見ることができる。確かに『ニューズウィーク』は今回の買収劇を怒り悲しんだが、アメリカのエスタブリッシュメントの考え方は『ニューズウィーク』とは違う。彼らは"肉を切らせて骨を切る"戦略に基づいて動いている。日本はアメリカの真の狙いを見誤ってはならない。

 現在の日本は、幕末であると同時に、ミッドウェー海戦前夜である。太平洋戦争中、日本はミッドウェー海戦までは、真珠湾の奇襲攻撃には成功し、マレー沖海戦で「プリンス・オブ・ウェールズ」を撃沈するなど、快進撃を続けたが、ミッドウェー海戦での敗戦により、一転守勢に立たされ、敗戦への坂道を一気に転げ落ちていった。ミッドウェー海戦の約二ヵ月前、すでにB25のドーリットル師団が東京を爆撃しているが、日本は慌てふためいて、戦略もなくミッドウェー海戦に挑んで、決定的な敗北を喫したのであった。海軍上層部の情報収集の甘さ、判断力の欠如が招いた敗戦だった。また、その背景には軍部の年功序列による組織の硬直化があった。

 自民党にしても財界にしても、これまで年功序列でやってきた。しかし、年功序列の破綻は、ある日突然襲ってくる。ミッドウェーの敗北はそれであった。いま、アメリカが半導体問題や、コメの自由化問題、そして301条の適用などで、相次いで日本を叩いているのは、ミッドウェー前夜にB25が東京を空襲し、爆弾をパラパラと落としているようなものだ。それを日本がどのように受け止め、ミッドウェーの二の舞いを演じないために、どのような戦略を立てるかが重要だ。その際、最も大事なことは、日米経済戦争に勝っている今のうちに、譲歩すべきは譲歩して戦争を終結させ、より強固な日米平和共存体制を構築することだろう。ただ、アメリカに代わって、世界にカネをばらまいていればいいというものではない。


虚妄の"国際化"の果ては東京の"上海化"?

 私は日本国籍のパスポートを持って世界中を飛び回っているが、年に2〜3回東京に帰って感じることは、日本は国際化と言いながら、自動車メーカーも銀行もみんな、日本の会社が市場をほとんど独占しているということである。日本企業が次々に海外の企業を買収しているが、日本の自動車メーカーも銀行も、半分ぐらいは外国資本とのジョイントにすればいい。私はかつて、「三菱グループとサウジアラビアの油田をバーター取引すべきだ」と書いたことがある。トヨタ自動車や三菱銀行が外国企業になってもいいではないか。そのくらいの大胆な発想で国際化を進めないと、経済戦争はいつまで経っても終わらないし、国家としての未来戦略など描けない。

 企業の戦略と国家の戦略とは、基本的に違う。日本はそこを混同しているきらいがある。会社は一つの組織であり、コミュニティーである。コミュニティーの上にソサエティーがあり、さらにソサエティーがまとまって国家が形成されている。したがって、企業の戦略を国家に当てはめることはできない。しかし、日本は戦後、経済成長を軸に発展し、世界の主要国の仲間入りを果たしたためか、どうも企業のポリシーを国家のポリシーに適用できると錯覚しているようだ。

 いま私が心配しているのは、日本が虚妄の国際化を成し遂げていく過程で、"東京の上海化"現象が起きはしないかということだ。以前、『虚妄からの脱出』という本の中で、日本の戦後は児玉誉士夫を代表とする、戦前の上海租界人脈の人々によって築かれたということを書いたことがある。児玉が敗戦のドサクサの中で、上海租界からダイヤモンドをはじめ貴金属類を運びだし、それが自民党の資金源になったことは有名な話だ。戦後の自民党政治が上海から始まっているとすれば、行き着くところが日本もしくは東京の上海化であっても不思議ではない。

 日本が「国際化」と騒いでいるのは、実は「国際租界化」のことではないのか。戦前の上海にはフランス租界、英国租界など、治外法権の区画があった。日本は出遅れて独自の租界はつくれなかったが、国際租界と称する租界をつくり、したい放題のことをした。当時、どういう人達が上海にでかけていったかと言えば、いわゆる"大陸浪人"と呼ばれた、国内では相手にされない二流、三流の人達だった。そして、その先導役として海を渡って行ったのが売春婦だった。いま日本に集まってきている外国の人達はどういう人達かと言えば、今から5〜6年前に先陣を切って上陸してきたのが、東南アジアからのカラユキさんだった。そして最近は、下級労働者が大挙して押し寄せている。つまり、いま日本に押し寄せている外国人は、言葉は悪いが"不良外人"なのだ。不良外人はボートに乗ってでも侵入してくる。本当に優秀な外国人は、まだ日本には来ていない。これは「国際化」ではなく「国際租界化」に過ぎない。

 カネさえ出せば、レーガン前大統領も日本に来てくれるかも知れない。が、それは国際的にはレーガンの"ドサ回り"としか受け止められていないのである。田舎の成金がカネを積んで二流役者を呼び、周りの失笑を買っているようなものだ。私は国際社会で生きる日本人の一人として、日本が世界から尊敬される国になってほしいと願っている。そのためには、現在の政治家を総入れ替えするぐらいの迫力で、政治の再建に取り組む必要があるだろう。

(10月9日・談)


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