『Big A』1987.02月号



新春放談


日本ボートピープル≠ヘ中曽根政治では救えない


急激な円高により日本の輸出産業から悲鳴が聞こえる一方、カネ余り現象により株式相場が空前の大相場を展開したり、東京の地価が暴騰するなど、日本経済はいったいどこへ行こうとしているのか、さっぱり見当かつかない。米国在住の国際石油コンサルタントの藤原肇氏に、米国から見た日本の政治、経済について、きたんのないところを語ってもらった。

藤原肇 国際石油コンサルタント
ペパーダイン大学名誉総長顧問



貿易摩擦ではなく貿易戦争

 まず最初に、日本人の認識がいかにあいまいかを象徴する話をしておこう。日本では日米貿易摩擦と言っているが、米国では誰も摩擦≠ニは言っていない。米国では貿易摩擦は貿易戦争≠ナあり、金融摩擦は金融戦争≠ネのだ。日本人が摩擦≠フ次元でとらえていることを、米国人は戦争≠ニしてとらえている。この認識の差は怖い。
 米国にとって最大の敵はソ連である。日本ではない。しかし自由主義を守るというグローバルな視点に立ったときは、たしかにそうだが、自由主義陣営の中の敵はどこかという視点に立ったときは、最大の敵は日本ということである。米国人が日米の関係を戦争状態≠ニしてとらえていることを、日本は肝に銘じておく必要がある。
 かつての戦争は兵器を中心としたハードの戦争だった。しかし今日の戦争はソフトの戦争であり、情報戦争である。米国は情報を駆使、あるいは操作することによって、敵としての日本の力を弱める戦略をとっているのだ。レーガン政権を支配している米国の東部エスタブリッシュメントは、そのためにいろんな知恵をしぼっている。そして、武器として使われているのが貿易赤字であり、為替、金利である。
 米国のねらいは、日本の経済力を弱めることにある。日本のように原材料を輸入し、それを加工して輸出することによって成り立っている国の経済力を弱めるには、円高にすることがいちばん有効である。しかし、あまり急速に円高にすると、日本企業はダンピングに走る可能性がある。また、日本を叩きすぎて日本がガタガタになっては、対共産主義の戦略上、決して好ましいことではない。そこで米国は、一応、一ドル一五〇円〜一六〇円で歯止めをかけた。
 日本の経済評論家の中には、日本の経済力からして、いよいよ一ドル一〇〇円時代が来ると囃している人もいるが、まったくナンセンスだ。私の個人的な見解からすれば、一ドル六〇〇円が妥当なところである。なぜならば、国際価格に比較してコメが八倍、牛肉が十倍、土地が十倍とベラボウな相場になっているからだ。都心のホテルに宿泊している外人客を見よ。彼らはホテルで五千円の夕食など決して食べない。つまり三〇ドルもする食事など、バカらしくて食べられないのだ。それで赤坂、新橋へ出て、街のレストランで安い食事をしているのである。


日本ボートピープル

 私が見るところ、一ドル一六〇円台の現状でも、日本経済は相当弱っている。だからこそ造船、鉄鋼といった業種で首切りが始まっているのだ。配置転換であれば、その熟練労働者は時機が来れば再び生き返る。しかし、首を切られた労働者は、再び同じ職場で活躍することはない。ということは、その産業は消え去る運命にあると見た方がいい。一ドル一六〇円の円高により、輸出産業は軒並み大幅な減益を余儀なくされている。それでもなんとかしのいでいられるのは、活力があったからだ。しかし、もはや活力がなくなっている。活力がなくなった状態で一ドル一四〇円ということにでもなったら、日本経済は完全にギブアップだろう。
 したがって、米国は日本経済を生かさず殺さず≠フ状態にしておくために、一ドル一五〇円〜一七〇円のラインで為替相場が落ち着くという状況をつくったわけだ。日本はもはや、米国に首根っこを押さえられたニワトリのようなものだ。そういう意味で、米国の対日戦略は非常に成功していると言っていい。
 なぜ米国の戦略が見事に成功したかと言えば、日本が中曽根政権だったからだ。中曽根内閣は日本の内閣史上初の警察内閣である。軍人が首相になったことはあったが、警察が首相になったのは中曽根首相が初めてだ。しかも第一次中曽根内閣では、法相に警視総監出身の秦野章氏、自治相が警察庁OBの山本幸雄氏、官房長官が警察庁長官出身の後藤田正晴氏と、警察官僚OBをズラリとそろえた。警察官僚は国民を取り締まるとか、情報を独占するとかについてはお手のものだが、経済を動かすことはできない。つまり経済音痴≠ェ政権を握っていたため、米国にいいようにしてやられたのだ。そういう中曽根政権を放置しておいた財界にも責任の一端はある。かつての財界巨頭は政権を動かすパワーを持っていたが、現在の財界にはそのパワーはないようだ。財界はまさに自業自得である。
 日本へ一時帰国し、書店の店頭に並んだ経済関係の本や雑誌を見て驚くことは、企業の対米進出、海外投資が異常にもてはやされていることだ。そして、二十一世紀は日本の時代だとか、新・国富論だとか、まるで寝言のようなことが言われている。日本人は、本当に、これから日本がスゴイ国になると思っているのだろうか。
 米国から日本を見ると、その実態は日本イカダ国≠ナある。まさに日本ボートピープル≠セ。日本企業がどんどん海外に進出しているのは、日本にいたら生き残れないからではないのか。かつて日本企業は韓国や東南アジアに進出した。そして、その後世界を彷徨いながら、最後にたどりついたのが、世界最大の市場である米国ということではないのか。日本企業が米国で不動産を買い漁っているのは、ワラをもすがる思いで米国に投資しているように見える。まさに日本ボートピープル≠ェ米国大陸を目指して太平洋を渡ってくる観がある。日本ボートピープル≠ヘベトナムのボートピープルと違って、銀行の保証で莫大な金融を持って米国に上陸してくる。しかし、その実態は、ワラをつかんでいるのである。


日本列島空洞化℃梠

 日本企業が米国に進出することによって、果たして日本は救われるだろうか。これまで日本の輸出の圧倒的部分が対米輸出だった。例えば自動車。日本の自動車メーカーが生産するクルマのうち、おそらく三五〜四〇%が対米輸出に向けられていたはずである(近年は自主規制でパーセンテージは減っていると思うが…)。そして、日本の輸出代金のうち三分の一を自動車関連で稼いでいた。国内の自動車市場はすでにテンパイの状態で、大きな成長は見込めないから、どうしても輸出しなければならないが、これからどこへ輸出したらいいのだろう。すでに韓国のマーケットは国産車に取られているし、カナダ市場も韓国車に席巻された。
 そもそも自動車産業はそれほど高度なテクノロジーは必要としない。それで、最近では、台湾シンガポール、マレーシア、ブラジル、ユーゴスラビア、ギリシャ、トルコなど、世界各地で自動車が生産されている。韓国車、ユーゴ車はすでに対米輸出が始まっている。日本車のマーケットが徐々に狭くなっているときに、日本の自動車メーカーは対米進出に踏み切っているのだ。
 日本の自動車メーカーが米国で二百万台の乗用車を現地生産することになったら、現在米国向けに輸出されている二百三十万台はどこへ行くのだろうか。米国の代替市場など、どこを探してもない。しかも、東南アジアや韓国台湾で生産された安いクルマが日本に上陸してくる可能性が強い。日本国内の自動車産業はいよいよ空洞化の危機にさらされることになろう。
 日本列島空洞化≠ェ始まっている。そして、日本で投資しても仕方がないというわけで、日本の余剰資金が金利差を求めて米国に流れるのだ。しかし、そこには為替のマジックがある。なるほど米国の方が金利は高い。しかし、一九八五年九月のG5以来、円は三五%も切り上がっている。つまり、金利で二〜三%稼いでいても、元本の価値が三五%も減っているのだ。日本人が汗と涙で稼いだカネが、どんどん紙クズと化している。大体、日本の投資家が投資している米国財務省証券などは、要するに借金の証書であり、それ自体に価値はない。米国が徳政令≠ナも出したら一巻の終わりだし、大インフレにでもなったら日本の戦時債券と同じく、まったく価値がなくなってしまうのである。


東京の地価狂騰はババ抜き

 ところで、日本ではなぜカネが余っているのだろうか。円高になり、なおかつカネが余っているのは、喜ぶべきことなのであろうか。実は、日本円の価値は決して上がっていない。たしかに対ドルレートでは円は強くなった。しかし、日本の地価はべらぼうに騰がっている。土地が一定だとすると、地価の暴騰は円の価値が下がっていると見なければならない。いま、日本円は急速に減価しているのだ。それを知らないで、地価暴騰に狂奔しているサマは異常としか形容のしようがない。急騰した土地を担保にカネを借り、スペキュレーションに血眼になっているのが、財テクブームの実態ではないのか。この状況はまさに発狂状態である。
 地価は決して永久に騰がり続けるものではない。米国企業が東京に進出してくると、霞が関ビルがあと五十パイは必要だ、などとあおっているが、最後は誰かがババをつかまされるに決まっている。土地問題がこんな異常事態になったのも、経済にうとい中曽根首相の責任である。にもかかわらず、中曽根首相は民活≠フ名のもとに、国鉄用地をはじめとする国有地を高く払い下げ、地価高騰に拍車をかけている。国鉄の分割・民営化などは、中曽根首相をはじめ政治家が利権絡みで国民の資産を食い散らしているようなものだ。
 中曽根首相はダブル選挙の圧勝により、まんまと任期延長に成功し、政権担当五年目に入った。警察内閣≠ナある中曽根政権が五年も続いていることは、日本にとって大きな不幸だったと言わざるを得ない。しかし、中曽根首相のメッキも、ここへ来て急速に剥がれている。
 その最たるものが、中曽根失言*竭閧ナある。日本では、ジャーナリズムも首相の責任をそれほど追及せず、何か台風一過≠フような感じだったが、米国人は非常に怒った。いまでも怒っている。あの中曽根発言のあと数日間、テレビで見るレーガン大統領の顔はひきつりっ放しだった。一年前、キャンプデービットで中曽根首相と会談したあと、レーガン大統領が「ジャップ!」と吐き捨てたというのは、米国では有名な話だが、今回、レーガンはあのとき以上に、心証を害したことは明らかだ。
 中曽根発言が出たときは、中間選挙が大詰めを迎えていた時機である。中間選挙の最大の焦点は、上院で共和党、民主党のいずれがマジョリティーをとるかだった。そして、今回の中間選挙は大きな争点がなく、投票率も低いと予想されていたため、各選挙区とも接戦になるというのが大方の見方であった。
 そこへ中曽根発言が飛び出した。レーガン大統領としては、中曽根発言に噛みつけば、対日強硬論を吐く民主党を利することになり、それはできない。かと言って、何も抗議しなければ、米国内のマイノリティーにソッポを向かれてしまう。米国という国はマイノリティーが国民の半分を占めている国だから、マイノリティーの支持なくして選挙に勝てるわけはない。
 レーガン大統領の顔がひきつったのも無理はない。第一、レーガン大統領自身、アイルランド系のマイノリティーの出身なのだ。


中曽根失言のツケ

 米国ではマイノリティーのロビーが想像以上に強い。マイノリティーにはアンタッチャブル≠ネ怖さがある。中曽根首相はそのあたりの事情をまったく知らなかったのだろうが、私はある米国の議員から、「中曽根サンが米国であの発言をしていたら危険だった」と言われた。中曽根首相はもう米国へ行かない方がいい。いずれにしても、中曽根発言によって、レーガンの選挙戦略はメチャメチャになってしまったのである。レーガン大統領のみならす、共和党関係者が肚の中で中曽根発言にどれほど怒ったことか、想像に難くない。
 カリフォルニア州の上院選挙では、有効投票数が約千五百万票で、一万一千票の差で民主党が勝った。おそらく、中曽根発言がなければ、共和党が勝っていただろう。私は、カリフォルニア州とルイジアナ州で共和党が負けた意味は大きいと思う。この両州は米国におけるコメの生産の一、二位の州なのだ。おそらく、一九八七年は貿易問題のみならず、コメでも対日圧力が厳しさを増すことになろう。中曽根失言のツケは大きい。
 米国はもはや中曽根首相に愛想を尽かしている。日本では中曽根再延長論もあるらしいが、米国から見ればその可能性はまずない。米国は中曽根降ろしに力を貸すはずである。米国は、誰が中曽根降ろしにいちばん貢献したかを、じっと見つめている。私に言わせればポスト中曽根≠ノいちばん近いのは中曽根首相にすり寄っている人ではなく、反中曽根をいちばん鮮明に出している人である。
 米国ではいま、八七年六月で在任十年になり、高齢のマンスフィールド駐日大使の後任の人選が進められているようだが、候補者に擬せられた人はいずれも尻ごみしているようだ。つまり、中曽根政権末期の駐日大使になるのは火中の栗≠拾うようなものだということらしい。おそらく日本の政権交代と符牒を合わせる形で、駐日大使の交代人事が行われることになるだろうが、それは明らかに、米国が中曽根時代とは違った形の日米関係を築きたいという意向の表れと見ていいだろう。
 いずれにしても、中曽根発言をきっかけに、米国人の間に、反中曽根感情だけではなく、反日感情が強まっていることは事実である。日本人はあの程度の総理大臣を戴いているのか、という気持ちが米国人の間に生まれているのだ。明治以降の日米関係において、第二次大戦中の一時期を除けば、いまほど米国人の反日感情が高まったことはなかったはずである。中曽根首相はレーガン大統領との間に、曲がりなりにもロン・ヤス関係≠築いてきたわけだが、友好関係を標榜しつつ、一方で相手を挑発するような発言をするとは、軽率を通り越し、非常識だった。一国の宰相の発言としては最悪で、お粗末この上もない。


自民党はどこへ行く?

 中曽根首相は馬脚を現した。その中曽根首相が臆面もなく任期を延長していまだに総理の座にいるのも不思議だが、それをアッサリと許している自民党も情けない。私に言わせれば、いまの自民党は本来の自由民主党ではなくなっている。そのことに国民はもちろん、自民党関係者も気がついていない。
 私は、田中内閣以降の日本の政治を別図のように定義づけている。田中内閣の初期は日本列島改造ブームに便乗した土地転がしがあって、重商型自由主義の様相を見せていたが、田中内閣末期には通産、大蔵官僚など経済官僚指導・支配型になっていた。田中内閣がロッキード事件で倒れると三木内閣が登場するが、三木首相は古いタイプの自由主義者で、日本の政治も民主的自由主義の型に戻った。
 そのあと登場した福田首相は大蔵官僚OBだけに、官僚指導型から官僚支配型の政治を目指した。大平首相はかなり自由主義的な人物だったから、官僚指導型の色合いを持ちながらも、重商型自由主義を志向した。大平首相の急死で登場した鈴木首相は、政治の型を持った人ではなく、大平路線を継承した。
 こうして見ると、田中内閣から鈴木内閣までの約十年間の日本政治は、官僚支配型と民主的自由主義型との間を、振り子のように揺れていたと言える。そして、それこそ自由民主党本来の政治の型なのだ。ポスト鈴木≠河本敏夫氏が襲っていたら、おそらく重商型自由主義で、本来の自民党政治を継承しただろう。しかし、河本氏は中曽根首相に敗れ、文字どおり沈没≠オてしまった。
 すでに指摘したように、中曽根内閣は警察内閣≠ニしてスタートした。ただ、最初は、弱小派閥の弱昧もあって官僚支配型のポーズも見せていた。しかし、中曽根首相の本心が大統領的首相≠ノあるように、本質は独裁志向なのだ。いろんな審議会をつくり、国会を無視した形で政治を進めるスタイルは、中曽根首相独自のものだが、これは潜在的な独裁願望が形を変えて現れていると言っていい。そして、中曽根政治は、田中角栄の病気以降、独裁ファシズムの様相を強めている。 別図に見るように、警察ファッショ型政治から独裁ファシズム型政治の間を揺れ動いている中曽根政治は、従来の自民党政治とは明らかに異質である。ニューリーダーは従来の自民党政治を志向しているわけだから、独裁型の中曽根首相と比較して、リーダーシップに欠けるように見えて当然なのだ。その方が健全である。自民党はここで中曽根政治と決別して、本来の自民党政治に立ち返らなければならない。私に言わせれば、ニューリーダーが後継者にふさわしいまでに育っていないのではなく、自民党の現状が自由民主党にふさわしくないから、ニューリーダーが力不足に見えるだけなのだ。
 ポスト中曽根≠ノ自由民主党本来の良識を持った人が登場し、自民党本来のダイナミズムを発揮させながら、日米関係を.再構築されんことを、切に期待したい。





〔藤原肇氏〕
1938年東京生まれ。埼玉大学を卒業後、グルノーブル大学(仏)で構造地質学を専攻した理学博士。その後、外国の石油会社で開発を担当したのち、カナダに約10年間居住し石油開発に従事。現在、米国で石油開発会社を経営するかたわら、ペパーダイン大学の名誉総長顧問を務める。日本人としては屈指の国際オイルマン。主な著書に『無謀な挑戦』『石油飢餓』『マクロメガ経済学の構造』他。


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