『月刊ザ・フナイ』2013年3月号



生命力を生み出す結晶パワーとプラトン立体の秘密
ギリシャ文明の自然観と数学が示す宇宙の秩序


藤原肇 慧智研究センター所長/構造地質学専攻 理学博士
唐津義博(からつよしひろ) 霧島倶楽部 シリカ研究所  所長


問答術で「哲学の父」になったソクラテスとプラトンとの師弟関係

藤原 唐津さんが前回(2013年2月号)の最後のところで発言した言葉に、「無知の知」という洒落た引用があったが、それを言ったソクラテスは「哲学の父」として、哲学の世界において長らく君臨し続けて来ました。「ソクラテスより賢い者なし」といったデルフォイの神託を聞いて、その当否を確かめようとしたソクラテスは、アテネ中の賢人たちと問答して歩き、誰もが彼と同じ無知であったと知ったそうです。

唐津 その伝説は誰でも知っている話だが、聞くところによるとソクラテスは一冊も本を書いておらず、総てが伝説として他人が伝えたもので、その最大の貢献者が弟子のプラトンでした。

藤原 そうです。だからソクラテスを哲学の父に作り上げたのは、描写を通じて対話の名人にしたプラトンで、あらゆる概念に精通した愛智(philosophyフィロソフィー)の人として、ソクラテスの人物像の定着を実現した。それだけではなく、ソクラテスにおける概念や判断力の欠如にも気付き、それが哲人を死に至らしめたという事実について、誰でも判るように記録したのもプラトンです。

唐津 そんな感じですね。ソクラテスが毒を飲んで死んだとか、議論の達人だったということは知っているが、ソクラテスという人物の実態について、われわれは具体的には何も知りません。ただ、プラトン青年がソクラテスの塾に学び、先生のソクラテスがひどい恐妻家で、よく怒鳴られていた話は有名ですね。


藤原 それは怒りっぽいクサンチッペの話で、プラトンが描いたかどうか知らないが、きっとヒステリー症だったのでしょう。それに、ソクラテスがどんな思想の持ち主であったにしても、彼が扱ったのは人間や社会のレベルで、地球や宇宙という大自然ではなかったし、ソクラテスには限界があった点に関して、プラトンは十分に心得ていたはずです。彼のイデア(※1)の思想を強調するためには、人間界にこだわるソクラテスが必要だったし、そこに大自然を相手にする壮大な人物を持ち込めば、絵としては非常にまとまりが悪くなる。

※1 イデア:プラトン哲学の根本用語で、「ものごとの真の姿」や「ものごとの原型」を意味する。

唐津 でも、プラトンは先生を尊敬していたはずです。

藤原 それは確かだが、ソクラテスを実直過ぎると感じて、情けないと思った可能性も十分にあると思います。また、最も大事なものは秘伝として書かないで、読者が自分の頭で考えるように配慮し、後世に判る人が現れることを期待し、著作として対話を残したのかもしれません。

唐津 知らせたいから人は本を書くはずだが、わざわざ分からないように工夫して書く、そんなやり方をする著者がいますかね……。

藤原 いると思います。昔は暇のある貴族が文章を書いたものだし、知的なゲームとして取り組んだ人が存在した。その典型が和歌の「小倉百人一首」であり、藤原定家(ふじわらのていか)は十次元の魔方陣を組み立て、その謎解きの工夫を楽しんでいるのです。だが、大部分の人はカルタの一種だと考えて、音と数字を使った絵物語であると思い込み、秘密のメッセージの存在を考えなかった。そして、正月になるとこれで札取りに興じたが、500年後に魔方陣の謎を解いた人が現れた。同じように数学の世界にも謎解きがあり、有名な「フェルマーの最終定理(※2)」などは、最近になってその解が見つかっているし、群論の創始者のガロアの場合も似たようなケースです。

※2 フェルマーの最終定理:ひとことで言うと、ピタゴラスの定理の応用バージョンである。「3以上の自然数nについて、xn +yn=znとなる0でない自然数(x,y,z)の組み合わせがない」という定理のこと。フェルマーは17世紀のフランス人。

唐津 数学の世界は天才たちが存在する場であり、謎解きを楽しむのを理解できる人が多くいるのは、数学は抽象思考が中心だからです。また、天才の中には偏屈な性格の人が結構いるが、普通はメッセージを伝えたいと思って、分かり易く伝えようとするのではないですか。

秘密を隠す手法とメッセージの意味を解読する快楽

藤原 その代表がフェルマーでした。彼はフランスのトゥールーズ市の公務員で、職業は法律家であり数学者ではなかったが、天才的な数学の才能を持つ人物でした。パスカルの確率論はフェルマーの理論を使ったし、ニュートンも微分法のヒントを貰っていて、彼は数学の世界の隠れた大御所です。しかも、フェルマーは英国人をからかう趣味があって、プロの数学者に手紙で「私はこの命題を証明した」と通告したが、証明法について何も書かなかった。それが「フェルマーの最終定理」の始まりになり、世界中の数学者の頭を悩ませたのです。

唐津 皮肉屋というか、悪ふざけ好みのようなものでしょうね。

藤原 数学の難問の場合は頭脳ゲームになる。世の中における最大のチャレンジは大覚の道で、仏教ではそれが般若(はんにゃ)の境地です。また、人生は大悟に至るまでの試練に満ちた旅路だが、フェルマーの最終定理の彼方(かなた)にあるのは、ピタゴラスの定理と結ぶ類比関係の共鳴で、その間に位置するのがプラトンでした。 唐津 ピタゴラスやプラトンがフェルマーに繋がるとは、今まで一度も考えてもみなかったことですが、二人のギリシャ人は圧力を受けて旅に出て、苦難の多い険しい人生を体験していて、それが反骨魂を育てたのかもしれません。 

藤原 歴史は蓄積した苦難の記録の保管所で、思想や表現の自由を求める者に対して、権力が行った弾圧とそれへの抵抗が、美術館の絵の中には幾らでもあります。たとえば、レオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐(ばんさん)』の絵は、ヨハネの位置にマグラダのマリアが描かれていて、それを『ダ・ヴィンチ・コード』が暴露しています。

ダ・ヴィンチ作『最後の晩餐』(1495-1497年制作/ミラノ サンタ・マリア・デレ・グラツィエ修道院) 向かって左から、〕パルトロマイ、小ヤコブ、アンデレ、ユダ、ペトロ、ヨハネ(秘密の妻であるマグラダのマリアとする説もある)、イエス本人、トマス、大ヤコブ、フィリポ、マタイ、タダイ、シモン。

唐津 見えていたのに見破られなかったのは、描かれている情景や人物を見ただけで、その絵の背後にあるものまでは見ていない。

藤原 そういうことです。また、カトリック教会からの弾圧に反抗して、プリマヴェーラ(春)を描いたボッティチェリが、中央のヴィーナスの上部を両側から囲む形で、肺臓の解剖図を組み込んでいるのに、一般の人の目にはそれが分からなかった。これは解剖を医学的に禁止した教会に、ネオプラトニズム(※3)に立つ芸術家たちが、秘かに反抗を示したという説があり、ルネッサンス期のエピソードとして実に興味深い。

※3 ネオプラトニズム:プラトンの中心思想である「イデアの世界こそが実在であり、それは美と真にあふれた調和の世界である」という哲学を把持する一派のこと。

 ボッティチェリ作 『プリマヴェーラ(春)』 (1480年前後制作/フィレンツェ ウフィッツィ美術館)

唐津 検閲が厳しい時に使うエログロ趣味に似て、一種の偽装作戦に属するものに相当しているのであり、アングラ芸術の原点に相当しています。

藤原 文学や芸術の世界での表現法としては、隠喩(いんゆ)や寓意図(ぐういず)のような象徴形式がそれであり、南画や禅では空白や倒置法が使われ、それが高度に抽象化されたものが暗号の世界です。しかも、還暦を過ぎてから分かったことだが、世の中には書いてないものを読む世界があり、その初歩のものが行間を読むというレベルの楽しみです。次が著者の頭の中を読むことであり、これは思想をチャート図の形で書き直してから、ジグソーパズルを組み上げ全体像を描けば、隠されたものが浮かび上がってきます。

唐津 「読書百遍、意自(おの)ずから通ず」というように、何遍も繰り返し読む必要があるだけでなくて、自分で情報を整理し直す作業のことですね。

藤原 それを「編集する」と松岡正剛(せいごう)(※4)さんは言うが、それは読まれるために書かれたものの場合であって、その辺のノウハウは推理小説と共通です。秘密を隠すためにカモフラージュするやり方は、情報の洪水の中に大事なものを封印して、深く掘り下げないと発見できないタイプで、それを活用したのがプラトンの対話編ではないか。

※4 松岡正剛(1944〜):編集者。著述家。日本文化研究者。編集工学を提唱し、鰹シ岡正剛事務所 代表取締役や、編集工学研究所 所長などを務める。

唐津 その可能性は大です。あれだけのボリュームだと圧倒されてしまい、読むだけで大変だから誰も読まないで終わる。

藤原 逆に秘密を人目に晒して欺(あざむ)くやり方はポーの「盗まれた手紙」が描いている世界で、この高級な手口を活用する人は少ない。だが、ルネッサンス期の天才画家たちはよく使い、その例がボッティチェリやダ・ヴィンチでした。

唐津 名人たちの前ではわれわれは「目が見えていない」のも同然です。目の前に描かれて見えているのに見ないし、存在していないと思い込んでしまう。

藤原 フランスに留学して初めて学んだのだが、大事な情報は本文の中に書かないようにして、脚注や参考文献の中にばら撒くのです。後でそれを組み上げた段階で全体像が浮き出し、そこにメッセージを存在させる表現法が、ヨーロッパには文化の底流として生きています。しかも、更に高級な秘伝があり、それを明らかにしたのが世阿弥(せあみ)の『風姿花伝(ふうしかでん)』で、彼は「秘すれば花、秘せねば花なるべからず」と論じ、「秘すべき大事は文字に残さず一子相伝」と書いた。

唐津 プラトンから2500年以上もの時間が流れているのに、その間に「一子相伝」の中身が発見されていない状態が続いて、後世の人にそれが知られていないなら、重要な秘密は消えてなくなってしまいますね。

ホワイトノイズと溢れる波動から識別する感性とプラトン立体

藤原 それが文明における秘密の伝え方で、ピラミッドの作り方は未だに分かっていません。また、満ち満ちた神秘を観察して驚きの中から、何かを発見して説明が成り立ったものに対して、われわれの「知」はサイエンスと名付けて、文明が進歩したと思い上がっています。 唐津 その満ち満ちた神秘で思い当たったが、自然の中には全ての秘密が組み込まれていて、存在としてそこにあるという意味で、それをホワイトノイズと呼んでいる人もいます。宇宙の存在が波動の渦であると考えるなら、神とか全能者と考えられているものの実態は、断定的な言い方で表せばホワイトノイズで、全ての周波数の波動で構成されています。

藤原 ホワイトノイズは宇宙の雑音と呼ばれていて、電波望遠鏡ではズウーズウーと鳴る音波の流れだが、赤ん坊の安眠効果があると言いますね。

唐津 交感神経が寛(くつろ)いでアルファ波が出たり、瞑想(めいそう)する時に味わう落ち着きの気分に似ていたりで、宇宙が奏(かな)でる「子守唄」と言う人もいる。 現代のベートーベンと呼ばれている音楽家で、耳が全く聞こえない佐村河内守(さむらごうちまもる)という作曲家が、つい最近だが全世界から注目されて登場した。彼は抑うつ神経症や不安神経症、轟音が頭に鳴り響く頭鳴症、耳鳴り発作などに悩まされながら、自分を取り囲む騒音の中から音を選び、色んな楽器に振り当てることで作曲して、すごい交響曲をどんどん作り上げています。

藤原 肉体的に聴覚を失っていても音が聞こえ、それを交響曲に仕上げてしまうというのですか。

唐津 そうです。波動の洪水の中から絶対音感で音を紡(つむ)ぎ、それを組み上げて交響曲に仕上げるというのです。宇宙が注ぐ光のエネルギーを受け止めて、それが自分の全身から音楽として流れ出し、律動として現れたものが自分の音楽で、聞く人はそれを交響曲と呼ぶのです。

藤原 それは古代人が天空に輝く星を眺め、そこに天上の音楽を聴いたのと同じであり、総ての根源が宇宙に充満すると感じました。そして、ピタゴラスは万物の元(アルケー)は数であると信じ、プラトンはイデアが総ての根源だと断言したが、その根底には幾何的な原子論が潜んでいる。

唐津 総ては宇宙を満たすホワイトノイズに含まれている。そこに根源的なものを見出し、各思想家は基本が何かを考えて、数学的な力を感じたのかもしれません。

藤原 その背後にギリシャ思想の基盤を作る、エンペドクレスの「四大(しだい)」(※5)が隠れているのです。それをプラトンは幾何学(きかがく)的に体系づけ、それをプラトン立体として『ティマイオス』の中に書いて、これを解くべき謎として突き付けている。そして、彼はアカデミア学院の入り口の張り紙に、「幾何学を知らない者は、この門を入るべからず」と書き、幾何学の重要性を強調しているのです。

※5 四大:四大元素ともいう。火、水、土、空気の4つのこと。物質は四大元素から成るが、四大元素そのものは、集合離散をくり返し、新たに生まれることはなく、消滅することもないという。本文中に詳述。

唐津 プラトンは幾何学の達人だったし、アカデミアの入り口の張り紙は有名だが、どうしてその「四大」が謎になるのですか。

藤原 ギリシャの四大は土、水、風、火であり、これは固体、液体、気体、プラズマ体を表すし、自然現象の総てを象徴しています。また、自然界には正多面体が全部で5種類あって、その正多面体は「正4面体」「正6面体」「正8面体」「正12面体」「正20面体」です(第1図)。  しかも、「正4面体」は火を、「正6面体」は土を体現しており、「正8面体」は風を、「正20面体」は水を現します。そこに「正12面体」が登場していない理由は、これが三角形を基本にする構造でなく、ペンタグラム(五角形)で構成されているからで、「正20面体」とは親戚関係で結ばれており、そこにフィボナッチ数列のファイ(Φ)が読み取れます。

唐津 総ての鉱物の結晶がそこに含まれて、プラトン立体の構造を知ることにより、宇宙の全部が分かる仕掛けは驚きです。でも、どうしてプラトンはそこまで理解していたのか、考えてみると実に不思議ですね。 


チューニングの良さと共鳴する原理

藤原 彼がピタゴラスから学んだ秘密として、数として現れるものに背後に潜むものが、何かを解いて見ろと挑発しています。ピタゴラスは彼の三角形の定理(三平方の定理)で有名だが、宇宙は数によって構成されており、その深部に隠れている世界性というものは、総ての根源(アルケー)である数だと考えた。

唐津 数の代わりに波動だと言えばよかったのに……。

藤原 それは名言です。ミレトスの哲人たちはアルケーを論じて、それが火であるとか水だとか主張したが、それは何を基準にするかが問題で、自然学派の彼らは唯物的に規定したのです。だが、理想主義者のプラトンはそれらに対して、幾何学が秘める見えない補助線を引き、自然の正多面体構造(Polyhedraポリへドラ)を描くことで反論したのです。

唐津 それは車の振動を扱う時に波動を感じ、共鳴現象を理解するには周波数を規定し、それを元にチューニングをするのと同じです。補助線が幾何学にとって重要であるのと同じで、波動の理解には鋭い感受性が必要です。波動が存在しても受け手がどう感じるかが問題で、チューニングが正しく出来ていない限りは、どんな振動もリズムも捉えられない。神からの啓示や天からの教示の受信は、アカシックレコード(※6)からのホワイトノイズに対して、自分が何に共振するかの問題であり、それがチャネルを合わせることになります。

※6 アカシックレコード:アカシャ(サンスクリット語。空間、虚空などと訳される)には、これまでの全人類の思いと活動のすべてが記録されているという。

藤原 こちら側の受信能力が、ある周波数に同調し、共振することによって受信が実現するのであり、それを空海は「五大みな響きあり」と言ったが、チャネルを合わせるためには訓練が必要です。相互の律動の調整役をプラトンがやって、幾何学仕様のチューナーがプラトン図形で、それを対話の中で微調整していたのではないか。対話は一方通行の論調スタイルと違うし、その双交性の価値が分からないために、プラトンをそこまで読み抜く人が少ないが、21世紀は交響の形で指揮する人の時代です。



唐津 交響の形で指揮するとは面白い表現だが、それは指揮者が調和を作り上げることであり、上に立つ人材が優れていることだ。しかも、人間や生命体における健康な状態を追求して、皆が信頼関係で協力する社会の実現を目指し、自然環境や宇宙の秩序との調和を求め、そうやって総てがうまく行くのです。

藤原 それを求めた先駆者たちがピタゴラス教団で、一般には神秘主義の秘密結社だと言われれているが、天界の音楽を楽しむのは平和主義です。また、彼らは鍛冶屋の金槌の立てる音に階梯(かいてい)(階段、音階)を聞き取り、心地よい和音と弦の長さの関係に、簡単な整数比があることを発見して、その音律を使い天球の音楽を演じています。(第2図)

謎の哲学者ピタゴラスとプラトンを結ぶ見えない線

唐津 ピタゴラス教団は一種の秘密結社であり、「豆を食べてはいけない」(※7)という戒律を作って、輪廻転生(りんねてんせい)を信じて清浄な生活をしていた。しかも、目に見えない天上の世界に憧れを抱いて、瞑想を通じ調和のある生活をしており、言うならばチューニングの名人の集団です。それが共鳴して生きることの本質であり、波動としての情報はいろんな形で存在するが、共鳴しない音は雑音と同じ存在に過ぎません。

※7 この戒律が作られた背景に対しては、さまざまな説があるが、加熱していない豆類には、レクチンの一種「フィトヘマグルチニン」(下痢や嘔吐といった症状を比較的簡単に引き起こすとされている)が含まれていることや、ソラマメ属の植物には「シアノアラニン」(視覚異常、けいれん、硬直、ふるえを起こすとされている)が含まれていることが、この戒律が作られた一つの理由ではないかともいわれる。生の豆類には一般に毒が含まれていることが多いが、充分に加熱された豆からは毒は失われる。

藤原 調整機能は人間に与えられた天分であり、共鳴するための調整能力の向上が教育だから、ピタゴラス教団もプラトンのアカデミアも、人格の陶冶(とうや)に幾何学や体育を活用したのです。

唐津 若い頃にピタゴラスはエジプトやバビロンを訪れて、数学や魔術を学んだと言われているが、ピタゴラスを魔術師だという人もいる。

藤原 インドを訪れて数学を学んだという話もあり、昔の人は予想外に行動半径が広かったから、それがあっても不思議ではない。キリストも若い頃にインドやチベットを訪れて、仏教を学んだということを読みました。

唐津 キリスト教が仏教と関係したり、プラトンがピタゴラスに近かったという話は興味深い。

藤原 それもあります。 ただ、イデアというプラトンが掲げた言葉は、余りにも魅力的で分かり易かったから、人間臭が余りに強いソクラテスの弟子として、これまで彼は信奉者として扱われてきた。

唐津 でも、一般的にはプラトンと言えば国家論だし、ソクラテスの影響が強かったのではありませんか。

藤原 思い切ってピタゴラスの前にゾロアスターを置き、ゾロアスターとプラトンを結べば全知の世界が広がり、深遠な宇宙の真理が結びつくと思う。しかも、比率に最高の価値を置いたピタゴラスは、天空の調和を比率関係の類似性で理解し、ペンタグラム(五芒星(ごぼうせい))を教団のシンボルにしており、それを神聖視していたのは有名な事実です(第3図)。

唐津 魔よけのシンボルにしたそうですね。

藤原 これは神聖幾何学の黄金分割の原型で、フィボナッチ数列と関係したものであり、宇宙を支配する統一原理を表している。だが、その議論は『宇宙波動と超意識』の中で行ったから、ここでは別の形で話を進めましょう。

プラトン立体の中に潜む2500年の数学史の真髄

唐津 第1図のプラトン立体の図が示す内容は、あの時代の知識としては驚くべきものだと思うが、どうやってあんな凄いことを知り、それを5種類だけだと断定できたのでしょうか。幾ら鋭い観察力を持っていたにしても、当時は顕微鏡があったわけではないし、あそこまで知っていたのは不思議です。

藤原 私も不思議だと思っているのだが、プラトンは図で描いているわけではなく、『ティマイオス』の中で発言しているだけで、それも事実をピタリと的中させているのです。幾ら古代ギリシャ文明が発達していても、日本でいえば縄文文化の終わり頃の時代のことだから、驚くべき高度な観察力だと言うしかない。

唐津 2500年も前に巨大な建築物はあったが、キリストが大衆に布教する以前の頃に、プラトン立体を体系づける学問があり得たのか。

藤原 天才には幾何学的な直観力が生まれて、プラトン立体の存在につながったのだから、そんな知識があったのは確かです。立体図は2つの三角形構造の組み合わせで。図形的には√2の系統の白銀比と、√5系統の黄金比があるとプラトンは知っていた。 しかも、それは第1図の上の3つが白銀比(※8)であり、下の正20面体と正12面体が黄金比(※9)で、白銀比には109度28分の構造が潜んでいて、結晶学的に正確であるのは否定できない。  また、日本や東洋では白銀比を好んで使っており、五重塔や部屋の割り付けによく見かけ、西洋の建築物や器物などにおいては、黄金比を使っているケースが圧倒的です(第4図)。

※8 白銀比:「1:√2」=「1:1.1414…」
※9 黄金比:「1:(1+√5)/2」=「1:1.6180339…」

唐津 驚くべき知識があったことになりますね。

藤原 しかも、正多面体が存在する必要条件としては、1つの頂点に集まる面の個数は3以上であり、その頂点のまわりの頂角の合計が、360度より小さいことが結晶学の大法則で、それはオイラーの定理として知られています。

唐津 オイラーは18世紀ころの数学者だから、ずっと後世になって知られた定理だのに、プラトンがどうして知っていたのでしょう。

藤原 プラトンは『ティマイオス』にそう書いており、この本を読まない限り彼の自然観が分からないが、プラトンには幾何学的直観があった。だが、彼はイデア論や国家論まで書いたために、それに幻惑されて虚像を見てしまった。 また、オイラーは18世紀半ばに活躍したスイス人で、彼は宇宙で最も美しい数式と呼ばれた、オイラーの等式(第5図)を作った数学者です。これは自然対数の底の「e」の「iπ」乗が虚数ではなく実数で、整数になるという驚異的な式です。 e:ネイピア数、すなわち自然対数の底   i:虚数単位、すなわち2乗すると−1となる複素数 π:円周率、すなわち円の直径と円周の比 これを分かり易く言い直して書けば、指数関数と三角関数が虚数単位のiを関して関係づけられ、出てきた実数項がcos x になるし、虚数項がsin xになっているために、数学者は感嘆の声を発すると言われます。   



唐津 よく分からないが専門家が言うなら、きっと美しいのだろうと思います。

藤原 これは1−1=0とかM×1/M−1=0に相当し、しかも、興味深いことにフィボナッチ数列の式でいえば、Φ−φ=1とΦ×φ=1の関係に対応しています。Mは極大で1/Mは極小を意味し、−1という負の世界で誕生し無の世界に戻り、循環しているというのは不思議です。


結晶学の基本を作っているプラトン多面体

唐津 私にはどういうことかよく分からないが、それがプラトン立体の図にどう関係していき、それをプラトンは正多面体との関係で、どんな具合に説明しようと考えていたのですか。

藤原 プラトン多面体はオイラーと深い関係を持ち、オイラーの多面体定理は結晶学の基本を作っている。それはピラミッドの設計にも関係し、「辺の数」プラス「2」は「頂点の数」プラス「面の数」で、ダイヤをはじめ結晶構造では王者の法則です。

唐津 それにしても2500年前のプラトンが、どうして18世紀の数学の天才のオイラーの法則と結ぶ、そんな大発見をしていたのか、不思議だと感嘆して頭を抱えてしまいます。私はプラトンの著作を読んでいないし、『ティマイオス』なんて本を知らないので、なぜそうなるかの理解ができません。

フィボナッチ数列の持つ比率とプラトンの偉大さ

藤原 私も日本にいた頃は『ティマイオス』があることさえ知らなかった。だが、留学してそれが必読文献だったから、仕方がないので苦労して読んでみました。すると、「自然について」という通称が示す通りで、この本にはプラトンの自然観が書いてあった。しかもピタゴラス学派に影響を強く受けていまして、彼が幾何学に基づく自然観をベースに、宇宙を考えていたことまで分かったし、正4面体の謎を解く鍵は比率でした。

唐津 比率ですか。確かにピタゴラスの音律の基礎としては、弦の長さによる比率が決めてになっており、ケプラーの「宇宙カップ」はプラトン立体だし、これが天界の音楽を表すと言いますね(第6図)。

藤原 その通りです。だから、比率は哲学や数学の基本概念であり、比率が分かれば自然の総てが理解できるので、古代文明はもとよりギリシャ哲学を支え、何者にも勝る宇宙洞察の決め手だった。 ところが、比率がユダヤ人的な強欲思考であると決めつけ、理性を罵倒する大学の先生が現れ、ラチオ(※10)や比率は拝金主義だといって侮辱を繰り返し、世界に通用しない愚劣な発言が目立つ。理性や合理精神が近代社会を育てたし、暗愚な状況から人々を解放したのに、迷妄な空気が今という時代を支配しています。 ※10 ラチオ:「比率、割合、合理」などを意味するラテン語で、英語・仏語では「ratio」として用いる。

唐津 比率は全ての判定基準として重要であり、酸素と窒素の比率が違えば生命活動は終わりです。総ての化学結合は比率関係で成り立ち、比率抜きでは波動現象だってなりたたなくなり、自然に対しての無知の表明になりますよ。

藤原 知識を断片化せずに相互関連で捉え、比率と相似関係で理解するのが合理精神で、それによって宇宙の秩序が分かるのです。2つ以上の情報の集合関係で秩序が成り立つのは、対応関係は類推に基づく理論の形で、フィボナッチ数列が神聖幾何学として機能するからだし、共鳴理論や複式簿記にまで発展している。

唐津 水や水素がH2O(水)やSiO2(二酸化珪素=シリカ)であるのも、酸素に対しての水素や珪素の比率であり、その分子構成も電子の比例関係です。だから、比率がユダヤ関係だと否定するのは愚かな考えで、全く支離滅裂な妄想に過ぎません。  また、藤原さんが書いた本で見ましたが、レオナルド・ダ・ヴィンチが立体図を描いており、あの時代に正多面体は既に図化され、人々の目に触れていたわけですね。

藤原 1500年ころに出た『神聖比例論』という本で、著者のパッチョーリの友人だったダ・ヴィンチによって、何枚も立体透視図が描かれているから、彼の天才が立体にした可能性があります(第7図)。

唐津 それなら納得できます。幾らプラトンが幾何学に優れていても、彼が立体図まで描いていたとは信じられません。

藤原 でも、プラトンは幾何の天才だったから、ことによるとピタゴラスの隠れた真の後継者であり、奥義を密かに洩らした可能性もある。現に英国が誇る数理哲学者のホワイトヘッドは「西洋の全ての哲学はプラトン哲学への脚注に過ぎない」と言って、プラトンの能力を最大限に賞賛している。それはプラトンの自然観察による宇宙観が、本質的に有機的だった証明になります。

唐津 それは凄い評価だといえますね。



物質と精神を結ぶ数学発想の威力

藤原 それに値するものがプラトンにはあり、真実の知性や意識の問題を理解するには、数式に基づく方式では不十分でして、プラトン的世界の取り入れが不可欠だからです。 現代思想の最先端に位置しており、最高の知性を誇る数理哲学者の中に、20世紀の思想革命のパイオニアとして、ペンローズとバックミンスター・フラーの天才がいます。しかも、二人は共に宇宙の構造を地上に再現し、イデアと数学的世界を組み合わせたが、その思想の基盤にプラトンの思想が反映している。  しかも、バックミンスター・フラーはフラレーンを発明して、現代技術に突破口を開いた天才科学者です(第8図)。

唐津 それに、彼が開拓した炭素(C)の世界に続くのが、珪素(Si)と結ぶ領域であるという意味で、生命、意識、心の問題が結びついており、21世紀の文明社会の路線を方向づけています。

藤原 それを再定義したのがペンローズであり、彼はタイル貼りの理論で有名な量子物理学者だが、物質的世界、心の世界、プラトン的世界によって、3つの世界の三角形モデルを提案しています(第9図)。

唐津 プラトン的世界とはどんな内容であり、それが水や水晶の結晶構造を考える時に、どんな現れ方をするのでしょうか。



藤原 水やシリカは物質として構造を作り、結晶としてわれわれの目の前に現れるが、それは本質的に数学的な世界に属す。だから、プラトン的世界の一部が物質として現れるし、物質的な世界の一部が意識と結び、意識的な活動の一部が絶対的な真実として、プラトンの世界に関わるわけです。この全体的な連関関係が成り立っているので、意識は物質的な基礎を持っているし、物質は数学的だとペンローズは考えている。  私も物質は精神的な存在として、プラトンが考える数学的な構造に根差すが、数学的な構造は精神が作り出すから、プラトンのイデアは物質と精神をカバーし、それが彼を幾何学の天才にしたのです。

唐津 何か分かったようで分からない感じで、なんとも言えない奇妙な感じが強いが、2500年前に正多面体があったわけで、それをプラトンが書いたのだから彼は天才です。また、源流がピタゴラスの数学にあって、それを物質と精神が取り囲む形で位置するし、大自然が成り立つのであれば、生命現象の意味をどう考えるべきでしょうか。

藤原 それは私にもわかりません。  ただ、われわれは進歩の最先端にいると思い、古代の叡智の価値を軽視しがちだが、それは思い上がりに過ぎないのであり、もっと古い隠れた智慧(ちえ)について学んで、謙虚にならないといけないと思います。

唐津 プラトンについて深入りしすぎたために、シリカの役割についての議論が出来ず、難しい哲学のことを論じてしまった。 だが、結晶には数学の世界の理解が必要で、数学は物質と精神を結びつけているし、プラトンがその貢献をしたことは分かりました。  議論の最後の段階に至った時点で、ルルドの聖水のテスト結果が出たから、次はこの水が持っている特性について検討することにして、今回はここで一段落としましょう。



藤原肇(ふじわらはじめ)  1938(昭和13)年、東京都出身。仏国グルノーブル大学理学部にて博士課程(専攻は構造地質学)を修了。多国籍石油企業の開発担当石油ジェオロジストを経て、米国カンサス州やテキサス州で石油開発会社を経営。コンサルタントならびにフリーランス・ジャーナリストなどに従事する。現在は鹿児島県霧島市に本拠地を置き、慧智研究センター所長。著書に『夜明け前の朝日』(鹿砦社)、『賢く生きる』『さらば暴政』(共に清流出版)、『生命知の殿堂』(ヒカルランド)、『Japan's Zombie Politics』『Mountains of Dreams』(共にCreation Culture)、他多数。 読者が運営する藤原肇氏のサイトに 【宇宙巡礼】http://fujiwaraha01.web.fc2.com/ がある。

唐津義博(からつよしひろ)  1951(昭和26)年、鹿児島県阿久根市出身。鹿児島県立阿久根高校卒業。関東自動車工業に入社、4年間で全製造ラインを経験。その後、トヨタ系車両の波動研究に従事。第一法規出版、鹿児島県川内地区駐在員を経て、現在、霧島倶楽部シリカ研究所 所長。    【霧島倶楽部】〒899-4201 鹿児島県霧島市霧島田口2460-1  TEL0995-64-8887



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