『月刊ザ・フナイ』2014年6月号   シリカ(珪素)の不思議 第3回



水の惑星ガイアの生命を統御する水とシリカの力



藤原 肇 慧智研究センター所長/構造地質学専攻 理学博士
唐津 義博 (からつ よしひろ) 霧島倶楽部 シリカ研究所 所長


古代文明を築いた自然観察力

藤原  自然哲学の殿堂は古代ギリシアであり、ミトス学派のタレス(*1)が「万物の根源は水だ」と言い、ホメロスは「大洋は生成の父だ」と書き、水が持つ不思議で魅惑的な性格について、絶大な賛美と称賛の言葉を残した。神話が盛んな2600年も昔だったのに、ギリシアの科学精神は優れていて、宗教が君臨した中世よりまともだったから、あれだけ冴えた観察を記録したのです。

唐津  水がすべてだと言ったタレスの後に、風だとか火だと言う思想家も出ている。ですが、特に支配的だったのは四大説で、「水、火、土、空気」を根源だとした考えは、ヨーロッパの思想の根幹になったが、アジアでも同じように五行を使い、自然の動きを理解していました。(第1図)

藤原  そうですね。固体、液体、気体の三相が、土、水、空気として捉えられ、エネルギーを火で現したが故に、これが西洋思想の基盤になり、分析的な自然理解を生み出しました。また、古代インド人は「地、水、火、風」とし、シナ(*2)の五行思想は「木火土金水」であり、それが日本では陰陽道になって、万物連環の自然観を育てています。

唐津  似たようなものを並べても、そこに分析と総合の違いがあり、西洋と東洋で理解のパターンが異なるのは、とても興味深いことだと思います。

藤原  アジア人は自然を強く意識したが、日本人は自然環境を風土と呼び、移り変わる自然を愛しながら、花鳥風月をベースにした文化を育てた。日本人が持つ自然観では、和歌や俳句の命は季語だとされるが、情緒の世界では感覚と自然が密着している。また、シナでは暦の週は序数のー期星だが、日本では月と日の間に火水木金土を使い、どうしてこんな違いが生じたのかは、誰も指摘していないが興味深いです。

唐津  なるほどその通りですね。木火土金水の五行説は絶大であり、日本文化の隅々まで浸透しているから、温和な風土が故郷を感じさせますね。

藤原  風土と自然条件はすべての根幹です。太陽と雨が卓越する陽気な南部地域では、幾何系シャーマン(*3)が主役だが、雪や水が支配する高地や北部は陰だから、霊能系シャーマンが率いる世界です。 また、南北両方に共通するものとして、文芸系シャーマン(*4)が活躍しており、ホメロスの『オデュッセイア』や紫式部の『源氏物語』など、各地に古代伝承や物語が誕生した。それが古代社会の支配原理であり、そこに文化の出発点があったし、その上に文明が芽生えたのだが、歴史の古層がその基盤を構成していた。

 その土地にどんな植物や動物が存在し、川の流れをはじめ荒地か森林かを区分して、土地が持つ自然の恵みを知るために、自然環境の価値を記録したのです。しかも、当たり前でないものに対しても、異常性になぜかと驚くセンスを持ち、動植物や鉱物に知的好奇心を示す。そして、背後にある自然環境について観察し、その形態や色彩を記録して、法則性を知り本質に迫っていく。子供の頃は皆がそんな好奇心を持ち、動物や植物の分布や生態に関心を示して、不思議さの原因を知ろうとしたように、この未知への好奇心は重要です。それが帝国主義の情報基盤になって、その活動領域を博物学と呼んだが、観察したものを採集し整理して並べ、その収集品を飾れば博物館になる。

唐津  地球が産出したものを集めて、珍品を陳列すれば博物館になり、ありきたりのものを並べれば市場で、それが文明の骨組みになっている。人間の社会はそこに基盤を持つのだし、四大文明は大河に沿って生まれ、すべてが水と密着した形で富を生むために、水なしでは社会活動は始まりません。

*1 タレス:古代ギリシアの哲学者。ソクラテス以前の自然哲学者の一人で、イオニアに発したミレトス学派の始祖。ギリシア七賢人の一人とされる。
*2 シナ:英語 China(シナ)、ドイツ語 China(ヒナ)、フランス語 China(シーヌ) 等にしたがった。
*3 幾何系シャーマン:シンボルを駆使して意識に働きかける能力の達人(藤原用語)。
*4 文芸系シャーマン:言葉や音声を駆使して意識に働きかける能力の達人(藤原用語)。


自然の持つ波動のリズムと共鳴する宇宙

藤原  だから、タレスは「万物の根源は水だ」と言った。しかも、四大と呼ばれた「水 ・ 火 ・ 土 ・ 空気」もそうだが、五行でいう「木火土金水」にしても、すべてがリズムを持つ波動現象であり、エネルギーが集約したものです。水をはじめ火や空気は動きを通じて、目や耳の感覚器官が捉えているし、木は枝や年輪の生育のパターンを持っている。また、土や金のイオン活動は目に見えないが、ミクロのレべルでリズム変動をして、万物は波動の共鳴で響き合い、振動が生命現象を反映しているように、自然は独特の律動を持っています。

唐津  だから、人問は自然の中で生命力を得て、元気いっぱいで生気に満ちるのだし、生きている喜びを感じるのです。

藤原 「ウサギ追いしかの山、小ブナ釣りしかの川」の歌のように、自然との触れ合いの中に郷愁を感じ、生きている実感を味わうことは、リズムによる波動の共鳴現象のせいです。山稜の霧や風の動きを五感で捉え、野原や林の中で鳥の声や虫の羽音を聞き、川のせせらぎや渦流を前にして、人間は生命力の充満を感じているのです。星のまたたきや月の満ち欠けとか、地震の震動や火山の噴火のタイミングには、不思議な脈動が感じ取れるし、海岸の波濤や雨音が伝えるリズムにも数値化できる律動が読み取れます。

唐津  その意味で、生きている人体それ自身が、呼吸や脈拍などのリズム活動をして、それが生命活動を現しているし、女性の生理は月齢に同調しており、細胞分裂のレべルでも周期性を持つ。しかも、それを周波数や振動数で見れば、宇宙線からマイクロ波を経て超長波まで、長短いろんなものが存在しており、それが身の回りを飛び交っています。

藤原  われわれの目や耳と大脳の神経系は、太陽から来る光の3割しか感知しないが、可視光線や可聴音の他にも細胞が感じる赤外線があって、その中にはテラ波を含む育成光線もある。だが、その外側に危険な電磁波帯があり、大脳辺縁系や身体が危険波を浴び、知らずに健康を損なっている。だから、人工的なモーターの振動などは、ホルモン分泌や細胞分裂にまで悪影響を及ぼしていることが多いから、その威力には注意が必要です。(第3図)

唐津  人工の震動には良いものが少なく、エンジンの回転による震動と共に、付随する震動騒音をいかに抑えるかが、私が自動車会社で働いていた時に、最大の課題だったのを思い出します。その意味では、文明が発達したことによって騒音や電磁波障害の影響を強く受け、現代人はストレスで健康を損ない、生命力の低下があちこちでみられます。電磁波障害の弊害を防ぐのには、もっと積極的に自然に接することが、何にも増して必要だといえます。

藤原  変電所に似たハイプリッド車とか、携帯電話の日覚ましい普及で、文明の発達による電磁波障害が増え、脳や細胞が損なわれているために「現代人の生命力は著しく衰えている。それはジオパシック・ストレス(*5)のー種に属し、細胞が徽細な震動による刺激で、ストレスを受けて発症するのです。

唐津  電化製品による電磁波障害で、人々が健康を損なっているが、石油製品や化学物質による汚染も含め、衣食住の全域が劣化しています。だから、われわれは変な波動に包まれており、ストレスだらけの生活をしています。

*5 ジオパシック・ストレス(Geopathic Stress):地球が本来持っている自然な電磁場環境力が崩れることによって生じる体調不良。特定の周波数を持った様々な電磁波などが原因とされることが多い。

健康への波動共鳴と自然の持つリズム

藤原  断層が発生源である地震にしても、電磁波の仲間の波動運動だから、リズムの異常性や圧力の歪みに由来し、ストレスを作る原因になっている。その調整や歪みを回復するためには、大自然の中で心身ともに寛ぎ、間脳の機能を活性化することが大切です。また、528へルツと組み合わせた和音や、ソルフェジオの倍音などで心身を寛がせて、ドーパミンやセロトニンの分泌を促し、細胞のレべルでの揺らぎを利用することで、感情や生体機能を正常化させるのです(*6)。

*6 528へルツにちなむ自然界の音と映像(藤原版カミトロニクス):http://www.youtube.com/watch?v=N6IEIANncwY
(註:「カミトロニクス」とは、従来の紙の本とインターネットを組み合わせて、情報を「行間」と「遠近法」で読み解くようになっているもの。藤原肇氏の考案による)

唐津  だから、渓流や湖畔でのんびりと寛いで、ヨガや瞑想で自律神経を整え、花や木を眺めて元気を回復して、自然の中で人は生命力を取り戻す。都会人はそうやって自然の中で休養するが、インドのヨギとか中国の仙人などは、そうした自然と密着する生き方を実践し、解脱した人生を楽しんでいるのです。

藤原  東洋での理想的な生き方として、自然の中で生きる人も多かったが、欲望を抑え呼吸を整えたりして自然との共生を実現することで慈愛に満ちた人生を送れるのだと、釈尊は「般若心経」で語っています。だが、夏に雨が少ない気候が支配する西洋では、森林を切り開く牧畜型の生活環境が、自然を開発の対象にしてしまいました。

唐津  それは近代社会の特微であって、それまでは農業が中心だったので、人工的な動力や電力もなかったから、牧歌的な環境の中の生活がありました。

藤原  そうです。だが、近代化を推し進めた西欧の場合は、文明化が余りに急速だったために、貴族や地主階級に属する知識人が、意識的に自然の中に進出しました。そして、冒険や略奪が続いた時代の後で、自然の観察や記録の編纂をして、博物学を育てる人が現れてきた。産業革命の口火を切った英国では、それを担ったのがジェントリー階級(*7)であり、働くためでなく趣味を生かす形で、自然観察を行う人が誕生しました。そのー人が進化論のダーヴィンで、自然現象を見てなぜだと驚く好奇心を持ち、裕福な医者の息子だった彼は、工ジンバラ大で医学と地質学を学んだ。また、神学を修め社会人になった祝いに、家族が費用を払って船に乗せて世界漫遊に送り出したのです。

唐津  ビーグル号による航海によって、ガラパゴス島を訪れた話は有名だが、神学を学んだのに進化論を唱え、教会に反抗したのだから面白い。それにしてもダーウィンの進化論は、たちまち主要仮説として注目され、近代思想の代表になってしまったのだが、これは凄いことだと言えますね。

藤原  フランス人のラマルク(*8)が立てた、獲得形質と用不用の説(*9)の方が、本当は進化論として遥かに優れていた。だが、帝国主義という時代にあって、ダーウィンの適者生存説を使う方が有利だという理由があったので、英国の博物学が世界を支配した。同じ条件が君臨していた時代だから、似たような人生を送った冒険家として、好きな旅行趣味を謳歌したのが、好奇心に満ちたドリトル先生です。 私は子供の頃にこの主人公に憧れて、変わったものや現象との出会いを求め、世界中を放浪してしまいました。

唐津  その話を『生命知の殿堂』(ヒカルランド2011年刊)の中で読み、藤原さんのこれまでが博物学と共に、石や水と過したと分かったが、子供時代の影響は実に強烈ですね。

*7 ジェントリー階級:イギリスにおける下級地主層の総称。貴族階級である男爵の下に 位置し、正式には貴族に含まれないものの、貴族とともに上流階級を構成する。
*8 ラマルク(1744-1829):フランスの博物学者。無脊椎動物の分類を通して、独自の進化論を唱えた。ダーウィンは「種の起源」で、ラマルクを「進化という概念を支持し、人々の関心を呼び起こした」と讚えている。
*9 用不用説:ラマルクが唱えた進化論で、個体が後天的に身につけた形質が子孫に遺伝 し、それが進化の推進力になると唱える論。


水の惑星ガイアと自然の恵み

藤原  そういうことです。私と同世代で博物学の愛好者としては、数年前に亡くなったライアル・ワトソン博士(*10)がおり、未開民族を調べ動物園長もやって、興味深い仕事を残しています。彼は驚きの世界に取りつかれて、生物学を専攻した「物知り」だが、古生物学や岩石学にまで関心が及び、『水の惑星』という写真集もあります。日本で彼は「百匹目の猿」の提唱者として、10冊以上の本の著者として知られるが、「水の惑星」という題目は魅力的だから、それを糸口にして議論を進めませんか。

唐津  百匹日の猿の話は耳にしています。その指摘をした人が生物学者として、専門分野だけでない幅広さで、地球や生命の研究もやっている。生物にとっては言われるまでもなく、水ほど大切なものは他にないし、地球が誇る生命は水に依存しており、水がすべての根源なのは確かで、古代ギリシアの哲人が言った通りです。

藤原  そうですね。「地球と水の精霊たちへの賛歌」を副題に持つ、彼の『水の惑星』という本の冒頭は、次のような文章で始まっています。

水はじつに不思議である。この世でいちばん豊富に存在する液体。あまねく地上に自然なかたちで存在する、唯ーの無機質の液体、それが水だ。水はわれわれ自身、いやわれわれの人生そのものに染みわたっている。それほど満ち溢れていながら、水はまたひどく珍しい物質である。科学的に言えぱ、水は変わり種だ。液体の方が固体(より比重が大きい*11)、つまり密度が高いというのも変わっていて独特だが、固体、液体、気体の三つの状態をもち合わせる化合物となると、水のほかにはまったくない。また強力な溶剤でもあるので、長い時問をかけて地上のあらゆるものを溶かしてしまう。何ものも、水の力を逃れられない。このユニークな物質は、無色にして無味無臭。「乾いた」砂にさえ15パーセントの水分が含まれているし、地表の71パーセントまでが水に覆われている。まさに、水は地球を丸こと潤していると言えるのだ・・・・・・。

 この文章を読んで強く感じることは、とても簡潔な文体で雅趣に満ち、抒情的なスタイルを使っ ているから、科学者より詩人の文章のように見えます。

唐津  そんな感じがする書き方ですね。分かりやすく明晰なだけでなく、自然に対してあたたかい気分に満ち、とても穏やかな雰囲気を感じます。また、日本にも黒田如水 じょすい という参謀がいて、「水五訓 *12」の人生教訓を残したが、水は変化自在する素晴らしいものであり、誰でもが水に賞賛を惜しみません。

藤原  そうですね。私もフランスに留学する前の頃は、こういう文体が好きで「山岳誌」で愛用したが、地中海型の発想と言語感覚に慣れたら、こんな感傷的な文章は書けなくなった。だが、アングロサクソンに属すワトソン博士は、妖精や精霊などの感覚を保持して、北欧的な神秘感を上手に表現している。

唐津  地中海と北欧では文章の書き方に、そんな差があるとは知りませんでしたが、それはどんな理由があるのですか。

藤原  気候や風土が生む文化の違いは、神秘的なものへの扱いが異なり、太陽の光が漲っている地中海では、陽気で明るい楽天主義が似合い、外に拡散する幾何学的なものになります。だが、北国の寒い環境は精霊の世界であり、思索する神秘的な気分に包まれ、人生が精神の内面に沈積しがちだ。そこに幾何系と霊能系の違いが生まれるが、この問題は後で取り上げた方が良いので、まずは水の惑星における水の問題に、われわれの議論の焦点を集めましょう。
 唐津さんは「水の惑星」という言葉に、どんなイメージを感じ取りますか。

唐津  初めて人工衛星から地球を眺めて、「地球は青かった」といったガガーリンは、おそらく海の色を見た印象を述べ、地球を生命の故郷と感じたと思う。地球の表面を海洋が覆っているし、およそ地表の三分の二が海であり、生命は海の中で誕生しているから、彼にとって海水のブルーの色は印象的で、それであの名言になったと思います。

*10 ライアル・ワトソン(1939〜2008):南アアリカ生まれのイギリスの生物学者。 『生命潮流』(1979年)で「百匹目の猿」という概念を用いて、進化と臨界質量について考祭した。
*11 カッコ内の文は編集部にて補足いたしました。
*12 水五訓:「一.自ら活動して他を動かしむるは水なり」「二.常に己の進路を求めて止ま ざるは水なり」「三.障害にあい激しくその勢力を百倍し得るは水なり」「四.自ら潔うし て他の汚れを洗い清濁併せ容るるは水なり」「五.洋々として大洋を充たし発しては蒸気となり雲となり雨となり雪と変じ霰と化し凝しては玲瓏たる鏡となりえるも其性を 失はざるは水なり」


原始地球にできた海水は冷たくなかった

藤原  海水で地球が青く見えたと感じたのは、ボストーク号という人工衛星から眺め、今の時点で見た地球の印象であり、天の川銀河の端から地球を眺めたら、もっと違う発言が出たかも知れない。ところで質問になるのだが、望逮鏡を使い観察する人が見るものは、いったい何だと唐津さんは思いますか。

唐津  望遠鏡で空を眺めれば星を見るし、地上で観察するならば景色でしょう。

藤原  そういう具合に学校で習ったし、われわれの習慣や常識においては、経験則だとそれが模範解答になる。だが、視点を変えて異なる座標を使うと、望遠鏡を宇宙に向けた時には、過去の様子を見ているのです。もし、45億光年の彼方の星の上に位置し、望遠鏡で眺めた地球という星は、生まれたばかりでその表面は溶融して、灼熱に包まれ赤い色をしていました。(*13)

唐津  宇宙に漂うチリやガスが集まり、原始地球をつくっていたといいます。そこに隕石が落下して激突するし、マグマが噴出し炎を上げており、地球は灼熱の惑星だったはずです。だから、液体の水は存在しなかったし、太陽と同じで地球は炎を噴き上げており、火の玉として燃え続けていた。

藤原  その通りです。生まれたばかりの地球は火の玉で、天地創造の時は炎に包まれた状態であり、それが5億年か6億年続いて、次第に温度が下がって地殼が固まりだした。そして、重い鉄やニッケルは内部に沈み込み、軽い金属や岩石が浮かび地殼をつくったし、周辺を原始大気のガスが包んでいた。

唐津 だから、そのころの地球に海はないし、水も液体としては存在しておらず、窒素ガスや硫酸塩が主体の原始大気に、水蒸気の形で混在していた程度です。学生向けの科学書に描かれる通りで、酸性雨が雷雨として降り続いてから、マグマが固まって出来た地表の窪地に、塩酸や硫酸を溶かした水が溜まり、原始の海は数百度の沸騰水だった。

藤原  初期の水蒸気や水分は高温高圧下で、気体でも液体でもない流体に属し、科学用語では臨界水と呼ぶが、シリカ溶液に似て溶融作用が強かった。また、メタンガスが紫外線を浴び酸化し、亜硫酸ガスと混合した雨になって降り注ぎ、そんな液体が地表に集まって冷え、出来上がったのが40億年ほど前の海です。
  だが、海の始まりは冷たい海水ではなく、最初のうちは熱水状態だったが、カルシウム金属やケイ酸塩が沈殿して、次の段階で粘土の堆積が始まり、生命が誕生する準備が整うのです。

唐津  生命の誕生に関しての本を読めば、オバーリン(*14)の学説がまず書いてあり、生命がどのように生まれたかは、コアセルべート仮説(*15)になっている。また、生命は彗星がもたらしたという説や、深海の熱水噴出孔の周辺において無機物から生まれたという具合に、いろいろな可能性があって迷ってしまう。それでも、生命にとって水の存在は不可欠で、決め手になっていたのは確実です。

*13 原始の地球: https :// www. youtube. com/watch?v=NmagjtjRddk
*14 オバーリン(1894〜1980):旧ソ連の生化学者。『地球上の生命の起源』『生命の 起源一生命の生成と初期の発展』などの著書がある。
*15 コアセルベート:溶液中において、親水性コロイド(膠(にかわ)質)の粒子が集合し、 小液滴として周囲と境界をもち、溶液との間にー定の平衛状態を保っているもの。 地球上における生命の起源の初期段階と考える説がある。

生命の起源

藤原  その通りです。海水に溶け込んだミネラルが、水の中で進行した化学反応によって、有機物のスープの中に核酸が生まれ、自己触媒作用が始まったのです。重要なのは溶液である海水が、ある種の泡によって区切られ、膜の内と外が分離されたことで、異なるものに峻別された点です。膜に包まれた油滴は受容か排除かを選択し、水が運搬と冷却作用を引き受け、膜の内側の核酸が複製作業を開始する。だが、外側ではそれが不可能であり、この関係が細胞の誕生を決定づけていて、生命の歴史の始まりになりました。

唐津  しかし、宇宙には生命の種が拡散しており、生命は隕石に乗って宇宙から地球に飛来したという「生命宇宙起源説」にも魅力があります。

藤原  宇宙のー部として地球が存在し、宇宙で生命が誕生したのだから、その意味ですべての起源は宇宙にあった。だから、ウィックラマシンゲ教授の隕石説をはじめ、彗星の氷晶に乗って来た説など、さまざまな仮説が賑やかに存在しており、われわれの知的好奇心を掻き立てます。

唐津  映画史上で最高の売り上げを記録した『アバター』に描かれていたのですが、パンドラ星にナヴィという生物が棲んでいた。青い肌をした有尾の人間型の巨人は、人間の2倍のサイズを持つが、これは娯楽映画用に考えた工夫です。だが、巨大な宇宙樹の地下に存在するのは、生命の根源を象徴する鉱物であり、磁力により空中に浮かんでいて、価格もーキロ20億ドルの価値を持ち、生命にとっては不可欠だという。このアンオプタニウムという名の鉱物は、シリカの超結晶というべきもので、これは宇宙生命を体現しており、生命が宇宙から来たということが、この映画のメッセージだと思います(*16)。

藤原  映画をまだ観ていない私としては、コメントする立場にはないけれど、宇宙人がシリカで出来た生命体でもよく、それはあり得ないことだとは言えない。ただ、生命体の実態という意味では、微細なウィルスから恐竜に至るまで、いろいろなサイズの体躯があり得るから、人間に似た宇宙人のイメージは、想像力が不足しているかも知れません。

唐津  宇宙人に出会った体験を持つ人は、これまで結構いたと言われるし、UFOの日撃者だけでなく乗った人も世界各地で現れているのは確かです。

藤原  それはあくまでも可能性として、フィクションの世界ではあり得ても、現実に検証されるに至っておらず、カール・ユンクがUFOを論じたように、潜在意識の問題に属している。しかも、最も信頼されている理論としては、地球の生命の起源は海中にあって、今から38億年昔に誕生した説です。そう設定しない限り議論にならず、常議に従ってオパーリンの仮説に戻り、そこから出発しないと始まりません。

唐津  ということは海が生命の母であり、通説としてのコアセルべート説に従えば、アミノ酸の油滴に膜ができた。それが生命の始まりであるし、基底膜を構成しているのはシリカです。(第4図)


*16 映画『アバター』:http://www.youtube.com/watch?v=2LQkTQ1foSU


シリカの油膜と生命進化のプロセスに似た宇宙進化論

藤原  そうですね。油滴と膜の存在が重要であって、内と外を区切る構造が存在することで、コロイド粒子が膜に包まれるし、これが生命体を護る細胞膜になる。また、地球を包む膜は地般であるし、地球は膜に包まれた生命体であり、これがガイア仮説の出発点になる 。しかも、鉄やニッケルなどで出来た核の外側に、金属や岩石が溶融したマントルがあり、膜として地殻を持つに至ったのが地球です。

唐津  地殼が細胞膜に等しいと言うのは、新鮮だし興味深い考え方ですね。また、地殼の表面に海が生まれた後で、その海で生命が生まれて進化し、最終的に人類が誕生して文明が育った。しかも、菌類はこの世で最も電子を感知し、菌が最も育ちやすい環境というのは、珪素(シリカ)が豊かな場所だと言います。生命の始まりの時にシリカの膜の発生があって、現在の文明の発展にシリカが関わり、地球上の現象に関係するすべての分野で、シリカが支配的なのは運命的です。

藤原  海水中にシリカの膜が登場して膜の内と外を分離したことで、生命活動の発端を生み出す作用は、一種の化学反応に属しています。次の段階で膜の両側で電位差が生まれ、電流が流れる物理反応により、電子と水素イオンが移動することで、継統的な波動運動が生まれます。こうした膜の泡が誕生したことで、そこから生命が誕生するメカニズムが、細胞や宇宙の誕生を支配している。
 そこで、宇宙は多次元宇宙のー部だと直観して、1982年にホロコスミックス理論を考え、『無謀な挑戦−ドームゲート事件日本の運命』(サイマル出版会1984年刊)の中に図版として入れたのが、「宇宙システムを構成する多次元構造」です。当時の宇宙論の議論は宇宙止まりで、誰も宇宙システムを論じなかったし、宇宙システムのサブシステムとしての宇宙に、誰も興味を示そうとしなかったのは、今になって見ると嘘みたいですよ。(第5図)


唐津  物理学者や天文学者たちの中に、そこまで考える者がいなかったとは、およそ考えられない奇妙な話だが、世の中には不思議なことがあります。世界中にたくさんの哲学者がいるのに、宇宙がそれ自体で完結していて、その彼方に何もないと考えてしまうのは、ビッグバンがすべての始まりと考え、それ以前に何もないと思うのに似ています。

藤原  物理学者は万有引力を盲信して誰もニュートンの仕事を疑わず、アインシュタインの相対性理論に対し反論もしない理由は、古代人が活用したのに幾何学が分からず、相似象への無知があるせいです。
 私はその後メタサイエンスを発展させ、宇宙システムの彼方に空があり、それがメビウスの帯で無に繋がる形で、統ーの場のモデルを作って、『宇宙巡礼』(東明社1994年刊) の中で発表してみました。(第5図)
 しかも、誰かがアインシュタインを批判し、20世紀を支配した物理帝国主義に、鉄鎚を加えるだろうと待ってみた。だが、誰も試みようとしないので仕方なく、動態幾何学とトーラス(円環体)のモデルを使い、英文でN.Y.の国際環境大学の紀要に「ホロコスミックス」理論を発表した。しかも、それが出たのは2000年の1月号だから、20世紀の終わりに間に合った。(第6図)

唐津  月刊『ザ・フナイ』2012年4月号に翻訳されて出た記事のことですね。数式が複雑で分かりにくかったが、図版で何となく分かったのは、宇宙が易の太極図と同じであり、深遠なものだと感じたからです(*17)。

*17 「全体的宇宙像―ホロコスミクス」: http://fujiwaraha01.web.fc2.com/fujiwara/article/funai201204.html



藤原 トーラスが太極図と同じであり、それが宇宙システムを体現し、11次元には並行宇宙が膜を張って、そこに膜宇宙が続出するのです。そこでは太古の地球の海の中と同じように、膜が泡をつくって流れては衝突し、そこに生命が誕生する状況が出現する。だから、物理学者はM理論と名づけたが、そのMは細胞膜のMembraneでもある。また、MをMagicと考える学者もいるが、魔術の語源はMagi マギ (賢者)であるし、医者は薬師 くすし で、偉大なワザの持ち主を意味しているのです。

唐津  そのことはマグネシウムとの関連で『生命知の殿堂』に書いてあったので、言われて見れば、なるほどと思います。また、水素を発生させる性質という点では、マグネシウムはシリカの兄弟だが、それが魔術やマギと関連して、超越的なものと繋がっているなら、そこに偉大な宇宙精神を感じます。

藤原  そうでしょう。ゾロアスター教の太陽神であり、宇宙基準を意味するミトラを導入すれば、カルディアの天文学と繋がります。しかも、ミトラはメートルの語源でもあるから、世界の主としてメシアの役割を演じるし、ミトライヤーは東洋の弥勒信仰になります。

唐津  何か宗教に深入りしすぎた感じで、よく分からなくなってきました。

藤原  最新の宇宙論に触れているので分かりにくさが加わってしまうが、宇宙の始まりと地球の生命の誕生は、相似現象として理解できるのです。要するに、この新理論は「膜理論」と呼ぶもので、「紐の理論」よりも優れているから、21世紀を飾るトピックスの代表です。重力を取り込むのに成功した点で、今世紀になって登場した仮説の中では、膜理論は非常に有望な宇宙論です。

唐津  しかも、太古の海の細胞膜の発生と、宇宙の発生が似ていたとは驚きで、相似思考の威力は絶大だと思います。

藤原  宇宙の森羅万象を支配する法則は、自然現象の中に相似象を持ちます。だから、古代の賢人は自然を注意深く観察して、そこに秘数の Π パイ Φ ファイ を見つけ、比率(ラチオ)が伝える叡智を洞察し、秘められた法則性を捉えていた。
 同じようにシリカの膜に着目し、水が帯びる不思議な特性に気づくことで、生命現象の秘密を納得できます。それを幾何系シャーマンは悟って、より完璧なものを探求し続けたが、これは秘伝として師資相承であり、外部の者には知りえなかったために、これまで謎に包まれていたのです。

発酵型から酸素呼吸システムへの生命活動の進化

唐津  そういう具合に理解していけば、物事の仕組みには共通性があり、何ごとも分かりやすくなってきます。当時の大気や海中に酸素がなくて、最初の生命は嫌気性のシアノバクテリア(藍藻細菌)で、海水の水の分子から水素を取り出した。そして不要な酸素が海水と反応して、金属イオンを酸化して沈殿し、海水の浄化が進行したお蔭で、海藻やプランクトンが育つようになった。このように海が生命の母になった道筋を理解していくと、水性に永遠の命があると感じますね。

藤原  そうです。それが錬金術の精髄として伝えられ、一部の達人がその知識とワザを秘匿し、賢者の石に似た象徴体系として、冶金や精錬技術を密かに支配したが、その中に弘法大師もいたのです。だが、この話は予備知識が必要で、別の機会にした方が適切だから、ここで話を本筋に戻しましょう。

唐津  それでは海水の浄化作用を通じて、生命が誕生したプロセスの内容が、どのようなものだったかに関し、順を追って歴史的に並べてみます。
 まず、原始生命が海中で出現したが、酸素がないから嫌気性であり、単細胞の菌類だったようで、葉緑素の前駆体の状態で働いて、水の分子から酸素を取り出した。それが海水中の金属と結合するが、最大の沈殿物は鉄の酸化物で、海水の浄化作用を果たしたから、海水の生態環境は大変化している。

藤原  その具体的な例が海洋性鉄鉱床で、二価の鉄イオンが酸化して堆積し、海の浄化作用が鉄鉱床をつくった。西オーストラリアのハマスレー鉱山には、ストロマトライト(*18)が層状に広がり、地上に分布する鉄の三分のーがある。しかも、シャーク湾のハメリンプールは、世界最大の鉄鉱床である上に、35億年前から現在に至るまで、ストロマトライトが生み出され、世界遺産の中で最古に属す自然の産物です。

唐津  確かに世界最古なのは間違いなく、自然の雄大な営みに較べたら、人間が作った文明の遺跡は顔負けで、とても勝負にはなりません。しかも、海水の浄化に貢献しているから、葉緑素の前駆体のシアノバクテリアは、地球環境にとって大きな貢献をしたし、生命全体の進化にも役立っている。

藤原  シアノバクテリアの浄化能力のお蔭で、大量の酸素が空中と海水中に拡散し、次のタイプの菌類の活躍の場になり、光合成の本格登場の始まりになった。炭酸ガスを取り込む葉緑素系や、酸素を吸う動物性の細菌に至るまで、多くの生物が海中で繁殖し始めたが、それを地質学では古生代と呼んでいる。それは今から約5億5千万年前で、有名な三葉虫や最古の魚類と共に、大量の海藻類が繁茂しているが、それは生命の大発展の時代の始まりであるし、すべての舞台は海中だったのです。

唐津  魚が棲めるほど海の浄化が進み、生物の進化が進んでいたのなら、バクテリア(細菌)の繁殖活動は絶大であり、その活躍は素晴らしかった。次の段階では、細菌が体内の臓器の中に棲みつき、酵素(*19)として働き続けているのです。

藤原  そうですね。嫌気性バクテリアと共通な形で、体内で細菌は酵素と協力して働いているが、その応用は日常生活の中に、醸造文化の形をとって生きている。味噌や醤油とか漬物などを食べて、食生活に発酵食品を取り込むが、これは太古の生命活動の利用です。納豆やチーズも発酵食品だし、お酒やブドウ酒も釀造化学の産物であり、微生物がそこで活躍しているが、生体の触媒としての酵素の活用は、生命現象を支える上での鍵です。それは内臓の中が還元状態だから、環境として太古の海と同じで、そこに相似象が成り立つからです。

唐津  われわれの体内には昔の海が体液の形で保存されているから、生命活動を維持するためには、どうしても塩分が必要になります。

藤原  細胞膜の内部に細胞内液があり、それはカリウムに富む液体だし、細胞外液はナトリウムに富んでいて、細胞膜の外と内の塩分濃度の差が、イオン濃度の変化として電位差を生む。半導体膜による分極現象が、生命現象における最も基本的なものであるし、単細胞から複雑なタンパク質を含め、黴菌から人問に至るまでを支配する原理です。だが、生化学をはじめ分子生物学は、糖類やタンパク質については注目したが、水晶やガラスは鉱物に属すと考え、シリカの役割を軽視してきたので、生命活動と無関係だと考えてきた。

*18 ストロマトライト:光合成する藍藻や菌類が、鉄に富む石灰岩質の堆積岩として、最古の生物の痕跡を留める状態で、カナダやオーストラリアに分布する。
*19 酵素:微生物によってつくりだされる特殊なタンパク質で、他の物質に作用して分解や合成をうながす。

シリカの持つ電子機能と驚くべき生命現象への貢献

唐津  シリカは水晶やガラスを通じて、非常に身近な物質だったために、意外なほど軽視されてきたし、資源としても評価が低かった。だが、すべての細胞膜の基底構造をつくるのが、シリカだということを知るなら、その働きが持つ重要性を認めることで、評価を改めざるを得なくなります。ただ、珪素は酸素との親和性が強いために、地表の近くに大量に存在するが、二酸化珪素を酸素と珪素に分けるのは、普通の条件下ではとても難しい。でも、ナノレベルの超微粒子になる時には、コロイド状のシリカは白濁し、健康にいい不老長寿の水として、高い評価を受ける名水も知られており、その代表がヒマラヤのフンザ水です。

藤原  シリカの微細なコロイド粒子は、水との親和力で触媒性を発揮し、水素結合である水分子をより変性させ、イオン活性の働きを生かしている。特に腸から発達した脳は膜の集合だし、細胞膜やミトコンドリア自体が、基底部にシリカの膜を持っています。しかも、シリカと水が持つ共通のものとして、優れた記億能力と電気特性があり、振動の記憶と伝達作用の能力面で、これが決定的な価値を秘めているのです。

唐津  私が作ったシリカ・エナジー水は、コップに教滴ほど加えて飲んだ後で観察すると、小便が泡だらけになる。これは表面張力による汚れの排出で、界面活性作用の効果の大きさが、歴然とした形で浄化力を証明します。表面張力は水滴が丸くなる現象で、水の分子間引力の強さを示すものだが、これは記憶力の強化に加えて、体液の浄化作用として重要なものです。

藤原  宇宙の「超弦理論」も「M理論」も、重力の働きの認識に尽きており、たとえ徴弱な力であるにしろ、力として振動していることが、きわめて重要な意味を持っているのです。それを考えようとする時に、磁性の単極子や双対性として、水やシリカが秘める性質に関し、別の捉え方が必要になる以上は、とても奥深い研究テーマになります。シリカも水も四面体構造であり、これは結晶として最も単純であり、正三角形が四枚の組み合わせだが、この四面体自体が振動を繰り返している。水素原子よりも酸素原子の方が、水の分子では電子を引き付ける力が強く、棒磁石のように双極特性を持つし、電気的に弱い水素結合でクラスターを作る。また、水素結合による原子構成は、合計で10個の電子が関与しており、水素と酸素の比率は2対1になっている。(第7図)

唐津  地球は電気と磁気によって支配され、生命現象は電気システムであるし、細胞は生命体の基本単位である。細胞膜で隔てられた両側の液体は、ナトリウムとカリウムを溶解しており、浸透膜を通して電化イオンが移ることで、ナトリウムポンプが働くのです。細胞内液のカリウムイオン(K+)の濃度は、細胞外液のナトリウムイオン(Na+)より高く、このイオン濃度勾配の差でポンプが動きます。そして、イオンの移動が電気信号を生み、腸で養分の吸収や消化を行うことで、生きる上でのメカニズムが動くのです。

藤原  血流を司る心臓のポンプ機能は、刺激を伝える神経系統により、交感神経がカテコールアミンを分泌し、アドレナリンやノルアドレナリンが緊張を生む。また、副交感神経が活動することで、セロトニンなどの活性アミンが、興奮や緊張を緩めるだけでなく、オキシトシン・モードを生み出し、心身をリラックスさせ寛ぎをもたらします。しかも、半導体の調整がその制御を司り、間脳が情動作用を統括することで、ストレスの解消で心が落ち着くから、それを『間脳幻想』(東興書院1988年刊)の中で強調しておきました。

唐津  その本は私にとって座右の書だし、ホルモンと錬金術の関係について、多くのことを教えられましたが、シリカに触れていないのが惜しかった。だが、大脳も間脳も腸壁から発達して、その壁や膜の基底にシリカがあり、半導体として電子の制御をすることで、生体機能を活性化しているのです。

コンティンジェントを包む博物の世界

藤原  あの本は錬金術の花伝書であり、自然の中に秘められた比率(ラチオ)が、造化の天工の手で生命を付与され、寓意した形で表現している点で、メッセージを伝える役目を果たしている。また、無意識が意識化されるのを知るには、相似象を使うプローチが最良だから、「読書百遍、意自ずから通ず」に従って、操り返し読むのが何よりも肝要で、ヒントは謎解きのためのー里塚です。しかも、奥義は自分でたどり着くもので、一子相伝すべき対象ではあるが、秘伝は分かってみれば実に簡明です。

唐津  それはよく分かります。単純であるということが大切であり、単純なものが実は万能であるというのは、「色即是空、空即是色」という言葉が、物事の本質を明らかにしています。

藤原  しかし、短絡的に単純化を求める余りに、全体を見ないで部分にだけ注目すれば、「木を見て森を見ない」だけではなく、「森を見ても大陸を見ない」危険性がある。その典型が統計による単純化であり、ガウス曲線の正規分布はー見では便利だが、自然の実相はフラクタル構造です。だから数学的には正しいように見えても、一般化することで間違うことが、異常性を好んで探す博物の世界では、非常に多いという経験則がある。それを不慮の事態や偶発性という意味で、すべての面を包括する用語として、コンティンジェントという言集で表します。例外を熟知し不慮の事態を予測する知恵は、経験に基づく洞察力と直観力に由来し、リーダーシップの別名だとも言うが、上に立つ人は全体を見る目が必要であり、それをゲシュタルトと呼んでいます。その鍛錬の場が博物学的な世界であり、古代人が誇った観察と想像力に結びつき、指導者を養成するためのプロセスとして、想定外の災難を予防する仕組みがあるのです。

唐津  最近の日本は想定外の事態が続発し、フクシマの原発事故のケースなどは、見るも無惨な結果を招いています。放射能の半減期は文明よりも長く、地震大国の日本には不適当なのに、原爆の数千倍の放射性物質を有する原発が、日本列島の上に54基もある無責任さは、全く愚劣であるし言語道断といえます。

藤原  その通りです。核エネルギーは太陽の熱源であり、地球の生命現象とは全く相容れないのだが、政治家と財界は利権のために、国民の幸福を無視して原発を作り続けて来た。初めに結果ありのご都合主義で、目的達成のためならば手段を選ばずに、基礎的な観察や研究に手を抜いて、統計で数値を誤魔化す手口を使い、デタラメを横行させてしまいました。

唐津  国民やマスコミの無知を利用して、統計を悪用してきたせいですね。

藤原  英国で生まれた有名な格言に、「嘘、大嘘、統計」というのがあり、統計を使った詐欺が経済学だと言われ、保険はビジネスにおける応用だし、個人を相手にしてやれば博打だが、万人を相手にすると保険になる。資本主義は詐欺商売で行き詰まり、デリバティブの横行で破産状態だが、最悪なのがCDS(クレジット・デフォルト・スワップ)であるし、この「仕組み債」の正体は倒産保険(CDS)であり、その実態は真っ黒な金融賭博です。

唐津  清く澄めば世の中は透明だが、不正で汚れれば闇の世界に繁がり、光が届かなくなって暗黒になる。色も七色より透明な白光の方が、真善美によってはるかに澄んでおり、人間は欲に溺れると真っ黒になります。

藤原  地殼の構造も似たようなもので、下から橄欖岩 かんらんがん 相、玄武岩相、花崗岩層の順に、黒い岩から白くて軽い岩になる。別の表現をすれば、下部の金属質が上部では岩石質になるし、中問の玄武岩はマグネシウムに富み、その辺の鉱物をカルシウム金属と呼びます。だから、地下の深部に暗の地獄があり、そこは悪魔が支配する世界だとされ、更に灰色から次第に明るさを増し、最上層を構成しているのが花崗岩です。地球の被膜に当たる花崗岩は、ケイ酸塩鉱物として大陸をつくっているし、珪石や水晶が白いシリカの母体です。

シリカの神性を称えた 「お白石持 しらいしも ち神事」

唐津  それに関連した興昧深い祭事として、伊勢神宮のお白石持ち神事があり、20年毎の式年遷宮が2013年にあった。宮川流域で採れた白石を持ち寄り、氏子が白石を積んだ樽荷を引き、五十鈴川の宇治橋の前まで運ぶ。そして、内宮の神域に入った氏子たちは、石英質の白石を白布の中に包み、それを新宮の御垣内 みかきうち に敷き詰めることで、「お白石」を神宮に奉納するのです。

藤原  その伊勢神宮の式年遷宮の祭事では、神宮の建物を新しく建て直すが、建物の新築や神域の移動よりも、白石の敷き直しの方がより重要です。神社の社殿は形を持っているので、目に見える現象界に属しており、意識のレベルに強く訴える力を持っている。だが、白石は大地の浄化を象徴しており、無意識のレベルを現しているのだし、古代人の心と密着しているので、より根源的だという精神に直結します。

唐津  それはありうるでしょう。伊勢神宮はユダヤ教と関係が深く、紋章がダビデの星と結びついているので、神道はユダヤ教の変種だと論じたり、 みそぎ は洗礼の変形だと考える人もいます。また、京都の太秦 うずまさ には はた 一族が住み、三本柱の鳥居や「イサラ井戸」があるし、祇園祭はシオン祭りになるから、ユダヤの影響だとする説も知られている。そして、白石を神聖な食科のマナに結び付け、それが「お白石持ち神事」の起源だと考え、「日猶 にちゆ 同祖論」(*20)を唱える人もおり、伊勢神宮は多くの謎に包まれています。

藤原  日猶同祖論の原典であるマックレオドの『日本古代史の縮図』(明治8年刊)は、足で歩いた詳細な調査に加えて、ケンぺル(*21)の『日本誌』までも丹念に読み、太秦や三種の神器について論じており、消えたユダヤの十支族まで扱っている。だが、この問題に触れると大変だから、そこに足を路み込まないことにして、シリカと珪石の問題に関係している、白い石について掘り下げてみます。そうすると、古代人にとって最大の懸案であり、宗教や信仰での最終命題に属す、永遠の生命の問題にと行き着きます。

唐津  永遠の生命の問題というと、死に対しての恐れの気持ちをはじめ、不老長寿への願望というような具合に、本能や心理の問題に繋がります。だが、それがシリカとどんな形で結びつき、伊勢神宮の遷宮と関係するのですか。

藤原  特定の宗教や信仰を超越した、人間の意識の根底にあるものに、偉大なものや生命力への崇拝の形で、自然への畏敬の気持ちがあります。それが象徴体系として神話に描かれており、各民族に特有な神話が作られたが、フレーザーはそれを集めて『金枝篇』にまとめ、エリアーデは宗教心理学を体系づけた。また、日本の『古事記』や『風土記』などには、古代人の自然観が刻印されて、物語の中にロマンを秘めているために、民族の郷愁を呼び起こす原点にもなっている。

*20 日猶同祖論:日本人と古代イスラエル人が共通の先祖を持つという説。古代イスラエルの「失われた十支族日本渡来説」などがある。貿易商として明治時代に来日した英国人ノーマン・マックレオドは、日本と古代ユダヤの相似性に気づき、世界で初めて日猶同祖論を提唱した。
*21 ケンぺル(Engelbert Kaempfer):ドイツ出身の医師、博物学者。1690年に来日、ヨーロッパで日本を初めて体系的に記述した『日本誌』の原作者。

不易流行と永遠の命のメタファー

唐津  神社やお寺に参って心が寛ぐのは、そういう神話的な雰囲気に包まれ、生命の故郷を感じるせいですね。伊勢神宮には権力臭が漂っているが、高千穂や出雲大社など地方の神社には、自然と純朴な人間の絆があるし、聖なるものが持つ崇高さへの思慕として、スピリチュアルなものを強く感じます。

藤原 『古事記』の中の天孫降臨の話になるが、アマテラスの孫のニニギが散歩の途中で、美しい娘コノハナサクヤ姫を見初め、結婚を父親のオオヤマツミに申し込んだ。喜んだ父親は姉娘のイワナガ姫もー緒に、ニニギの妻として嫁がせたのだが、彼女は岩のように醜い容姿だった。ニニギは美しい妹だけを愛して、姉を実家に送り返してしまったので、父親は面食いのニニギに向かい、見かけで判断するのは愚かしいと言って、嘆息している気分が描かれている。不易流行の流行を追い求める婿には、普遍的な価値が分からないから、石が秘める永遠の命を見限ってしまい、表面的な美しさを選ぶ愚かさが、この神話のモラルとして悲哀を感じさせます。

唐津  不易と流行の関係を示す教訓が、この神話に潜んでいると思うのは、深読みが過ぎるのではないですか。神話をつくった古い時代の人は、そんな複雑なことまで考えそうもないから、飛躍があると私には思えますが・・・・・・。

藤原  そんなことはない。古代入の叡智は現代人より優れており、自然が教える真理と法則性を読み取って、幾何系のシャーマンの指導力に従い、古代巨石文明を作り上げています。その証拠が各地のピラミッドで、これは全生命に共通の宇宙記憶を使い、天文と地文に通じない限りは、とても完成させるのは不可能です。しかも、現代の科学と技術を総動員して、60億人が全力を挙げて挑んでも、とても再現することはできません。

唐津  確かに幾ら最新技術を動員しても、ギザのピラミッドは作れないし、インカの遺跡も再現は出来ません。ですが、古代入が人問の心理状況について深い分析力を持っていたというのは、過大な評価ではないでしょうか。

藤原  しかし、生命の持つ不思議な力に対して、彼らは深い洞察力を備えており、生と死のコントラストに関しては、白と黒や石と木の対比関係で理解していたと私には思えるのです。その良い例がニニギの物語であり、「木の花咲くや姫」は時が支配する花で、暦に従って建て直す社殿だが、果てしない命を象徴する岩長姫は、石のような不老長命を体現し、白石として社殿の土台を構成しています。この生命観に見るシンボリズムには、華やかだが短命の花の命に対し、静かだが永遠性と結ぶ石の命として、実に鮮やかに描かれていると思います。

唐津  植物や動物という生命体にとって、水は命の源泉として貴重だし、生命の細胞膜の基底にシリカがあり、半導体として電子の動きを制御します。

藤原  神話の世界と科学が結びついて、水とシリカが触媒作用を果たし、永遠の生命への賛歌が生まれている。そこには雑音的な権力争いという人間レベルの闘争が関与しない状態で、永劫回帰のイメージがあります。これが神話を楽しむ上での奥義ですが、これで話がー段落した感じですね。





藤原肇(ふじわらはじめ)  1938(昭和13)年、東京都出身。仏国グルノーブル大学理学部にて博士課程(専攻は構造地質学)を修了。多国籍石油企業の開発担当石油ジェオロジストを経て、米国カンサス州やテキサス州で石油開発会社を経営。コンサルタントならびにフリーランス・ジャーナリストなどに従事する。現在は鹿児島県霧島市に本拠地を置き、慧智研究センター所長。著書に『夜明け前の朝日』(鹿砦社)、『賢く生きる』『さらば暴政』(共に清流出版)、『生命知の殿堂』(ヒカルランド)、『Japan's Zombie Politics』『Mountains of Dreams』(共にCreation Culture)、他多数。 読者が運営する藤原肇氏のサイトに 【宇宙巡礼】http://fujiwaraha01.web.fc2.com/ がある。

唐津義博(からつよしひろ)  1951(昭和26)年、鹿児島県阿久根市出身。鹿児島県立阿久根高校卒業。関東自動車工業に入社、4年間で全製造ラインを経験。その後、トヨタ系車両の波動研究に従事。第一法規出版、鹿児島県川内地区駐在員を経て、現在、霧島倶楽部シリカ研究所 所長。    【霧島倶楽部】〒899-4201 鹿児島県霧島市霧島田口2460-1  TEL0995-64-8887





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