明るい社会を築く不老長生の秘訣

赤木厚史(中国仙道健康研究会会長)
藤原肇(国際コメンテーター)



文化大革命で潰された中国の仙道

藤原 赤木さんは中国仙道健康研究会の会長として、長年にわたって仙道の研究と修行をやって来られ、仙道について何冊もの著書をお持ちです。しかも、最近では[遠隔気功]についての本を立て続けに出版し、老いていよいよ元気一杯という感じですが、そのエネルギーの源泉は長寿法にあると思います。

赤木 そうです。仙道は不老長生を求める人間の営みであり、仙という文字は悟が正字でして、これは山の中に住んで長生きするということであり、老いても死なないことを指すと考えられたために、不老長生と結び仙人のイメージになったものです。

藤原 それにしても、日本の現状は金融失政による経済破綻のために、亡国現象を呈していることは誰の目にも明らかで、仙人の世界とは全く逆な感じがします。日本を包んでいる空気が澱んで閉塞感が強いために、気功ブームが蔓延しているのだとしたら、それと神仙道との関係をどう考えたら良いのでしょうか。

赤木 確かに、ブームの形で日本の気功熱が高まりましたが、それには余り知られていない歴史的な背景があり、それを理解することが大切だと思います。実は毛沢東が文化大革命を起こした時に、昔のものは全部ダメだと無茶なことを言って、仙道は徹底的に弾圧されてしまいました。

藤原 儒教を弾圧するために孔子批判のキャンペーンを行い、シナ文化の真髄である孔孟精神を否定したくらいだから、竹林の賢人のように反権力の温床だということで、仙道に対して酷い弾圧をしたというのは、共産党政治の体質からして当然でしょうね。それは今だって同じことであり、江沢民は易姓革命を恐れて法輪功を弾圧し、現代版の焚書坑儒を強行しています。そうなると、文化大革命の時の仙道の運命と共通しているのが、今の中国における気功の状態だと考えて良いのでしょうか。

赤木 それを理解するにはちょっと説明が必要です。文化大革命のときに弾圧された仙道は、本などの資料は総て焚書で焼かれているし、関係者は追放されたり殺されたりしたが、施設のほとんどが倉庫や物置になるような状態で、二〇年余りも抹殺された状況が続きました。だから、中国では仙道が保持していた伝統が消えてしまったが、毛沢東が死んだ後になって「やはりあれはまずかった」ということで、反省の声が高まって復活への努力が始まりました。

藤原 でも、地上にはほとんど何も残っていなかったから、地下に潜んで伝わっていたものを再び拾い上げるしか、一度潰したものを再生する手立てはないでしょう。

赤木 毛沢東がダメだと言って弾圧して潰した以上は、復活させたものに仙道という名前を使うのは問題だということで、新しく気功という名前を二〇年前に作ったのです。そして、中国政府は「素晴らしいものがある」と大々的に宣伝した。すると、「何だか知らないが中国には素晴らしいものがあるらしい」と言って、日本のマスコミが直ぐに飛びついたのであり、それから猛烈な中国参りが始まったのです。


ポスト文化大革命版の気功と演出されたオカルトブーム

藤原 じゃあ、気功は仙道のポスト文化大革命版だったのですか。

赤木 そうです。そこで政府のお声掛かりで気功のプロモーションが始まり、いい加減な気功師を大先生に仕立て上げまして、日本にジャンジャン送り込んできて、それをテレビが大騒ぎして取り上げたことにより、日本でもの凄い気功ブームが起こったのです。

藤原 それはユリ・ゲラーが一九七〇年代の日本に来てスプーン曲げをやり、超能力ブームが広がった時期と軌を一にしていて、同じ頃に気功ブームが起きたのですね。

赤木 ほとんど同じ時期です。中国から来た気功の先生がテレビに登場して、スタジオから手かざしで患者に向けて気を入れたら、福島あたりで病床に付していた人が元気になり、飛び回ったという情景が盛んに放映されたわけです。しかも、テレビ局がそんな番組で視聴率を高めただけでなく、デイレクターがそれを本にしてベストセラーにしたりして、日本中が気功を含めた超能力ブームに熱狂しました。そして、気功の先生は数億円とか数十億円の大金を稼いで中国大陸に送金し、故郷に錦を飾るというような具合でしたよ。

藤原 ブームに便乗して荒稼ぎをしたわけですね。

赤木 そうです。今になってみると、あの男や女はインチキだったとか詐欺師だと言ってみたり、学歴から何まで総て嘘だったと嘆いていますが、現に日本で気功を売り物にしている人たちの大半がインチキです。彼らのほとんどが以前に弾圧されて潰された仙道のことや、仙道が何かについてほとんど知らないのです。

藤原 それでは仙道の伝統は台湾と香港に残ったのですか。

赤木 それと韓国にも残っているのですが、韓国は漢字を止めてハングルにしたために技が中心で、仙道の最も重要な神仙思想の部分で見劣りします。そこで私は一九六〇年代に仙道の勉強と修行のために、台湾には四〇度ほど渡航して正式に習ったお陰で、仙道についての本も何冊も書くことが出来ました。そして、仙道の立場から気功の現状を眺めて言えることは、日本はシッチャカメッチャカと言うしかなく、ニセモノが氾濫して勝手な出まかせを垂れ流しているので、何がホンモノかを見失っているのです。


健康を支える食餌法としての地丹

藤原 それでは仙道の真髄が何かを具体的に教えていただけますか。

赤木 人間にとって健康であることが最も重要だから、仙道の修行をするときに最初に習うものは、生きる上で不可欠な食べ物と飲み物についてであり、何がその人の体質に合っているかを知るのは大切です。そして、食べ物と飲み物を確定することで体力つくりが実現し、健康の維持と精力の増強が可能になり、体質に適合した食べ物と飲み物を選んで、それを採ることを仙道では地丹と呼ぶが、分かり易く言い換えると食餌法ということです。

藤原 食餌法ですか。その土地で取れた新鮮な野菜や果実を多く食べて、長寿のシンボルである海草をたくさん食べろと良く言います。

赤木 それは一般論としては正しいと言えますが、食餌法は食べ物から炭水化物を始めタンパク質や養分を取るだけでなく、その中に含まれる気を取り入れることが大切で、新鮮な野菜や水に気が生き生きした状態で入っていることが肝心です。また、各人の体質によって何が良いか決まってくるのであり、喉が渇いて尿の量が少ない熱症の人もいれば、その反対になる寒症の体質の人もいるのです。これが第一分類でその下に第二分類が来て、元気で体格が良く便秘気味の実症の人とか、反対に体格が貧弱で下痢気味の虚症の人がいますが、それぞれの分類の中が実症と虚症に分かれていくのです。

藤原 基礎に易の思想があるから漢方の分類と同じであり、この二進法の分類は宇宙の基本パターンを示していて、フラクタル構造で成り立っているわけです。

赤木 そうです。だから、陰陽理論を徹底的にマスターしてそれを適応し、森羅万象を陰陽に基づいて区分した上で、それを割り振りして理を立てるのが仙道です。

藤原 二年前に出した著書に『理は利よりも強し』(太陽企画出版)があるが、理は筋道のたった明晰性と結びついていて、易の原理に基づく陰陽理論が根幹にあり、天理や地理に始まって原理や道理といった具合に、モノとコトの総てが理によって貫かれています。また、西洋ではエジプトやギリシヤの古い時代から、理はレシオとして比率と均衡を体現する形で、全体と部分の関係を示す大切なものとして、文明を支える上での最も重要な概念でした。総ての領域に目配りをして理に基づいて判断し、理を正しく生かすために責任を持つ人を総理と名づけ、その資質を持つ政治家を総理大臣と呼ぶのだが、日本は総理と呼ぶに値する人物に恵まれたことがなく、これまでは総てが頭目と同じ首相ばかりでした。

赤木 その通りです。理の問題になると藤原先生の独壇上になりますが、理をそこまで厳密に突き詰めて議論をする人は、日本にはこれまで登場したことがないようですね。

藤原 それは日本人が「意味論オンチ」だからであり、ある言葉が歴史の中でどんな使われ方をし、その意味がどんな文脈(コンテクスト)において用いられ、どういう概念と結びついていたかを知ろうとしないで、厳密な言葉づかいに対して関心を払わないためです。

赤木 言葉に責任を持たないせいでしょう。日本人はその点で実にフレキシブルだというか、輪郭がぼやけて曖昧なことを好む美意識のせいだが、仙道の言葉はその点がとても厳格になっています。おそらく、中国の思想が陰か陽かの二項対立を好むせいで、同じ陽でも大陽も中陽も少陽もありますが、陽のようでも陰のようでもあるという具合に、曖昧模糊とした日本的なファジーさはなく、陰と陽の規範で無限に細分化して行くのです。

藤原 宇宙のシステムはフラクタル構造で成り立っていて、それがファイに基づくフィボナッチ数列のパターンであり、森羅万象の上に形をとりながら現われてきます。だから、数字の0には無限のゼロがあるのでして、プラス1とマイナス1からなる0やプラス5とマイナス5からなる0もあるし、プラス365とマイナス365からなる0という具合に限りなくある。要するに、ゼロとか無は何もないということではなく、見かけはゼロでも何でもあることを物語っています。

赤木 皆さんがそう理解してくれれば至って簡単ですが、ゼロは何もないと学校で教わって思い込んでいるから、私がプラスのゼロとかマイナスのゼロと言えば、変な顔をされるので困ってしまいます。そこで脇道から食餌法の話に戻るならば、仙道の真髄は不老長生だが、基盤には健康があって、それは身体と精神が健康であるということです。しかも、健康であるのは病気でないことではなくて、身体的に体力が精神的には気力に満ちていて、体力は精気に変化することが健康の基でそれを元気と言います。

藤原 精力と気力を脹らせて精気一杯ということですか。日本人は海洋民族のせいか海老やコンブを好んで食べるが、コーカサスの長寿村ではヨーグルトを好み、それと新鮮な野菜と果実を取っていることが理由で、長生きする人が多いと聞きましたが……。


長寿地域が物語る不老長生の秘訣

赤木 それもありますが、要するに、陽気な気分でストレスのない生活をして、体質に合ったものを良く噛んで食べることです。また、世界には長寿で知られた地域がいくつもありまして、その一つがコーカサス地域で一〇〇歳以上の老人が多いが、長生きする住人の多くが蜂蜜の屑を食べる理由は、商品にならない屑の蜂蜜には花粉が多いので、それが長命の原因だという説もあります。その次はパキスタンのフンザ地域であり、カラコルム山脈に囲まれた標高二〇〇〇mの高原は、アンズやトウモロコシに恵まれていると共に、丘陵地帯を歩く運動が健康保持に役立つのです。また、南米のエクアドルのビルバンバも同じであり、おいしい水と甘い空気が健康のために良く、アンデス山に育つ果実や野菜が長寿の原因です。

藤原 仙人は山に住んで不老長寿を楽しむ人だし、谷間や平野に住む俗人は汚れた空気や水のために、ストレスに悩みながら生きなければならない。仙と俗の差は文宇通り山と谷の違いです。

赤木 でも、山の代わりに長命の条件に海の環境も大事であり、日本の長寿村で知られる島根県の隠岐ノ島は、米が少ないが、山菜とゴマを食べているし、海草や魚介類を多く食べることでも知られています。
 不老長生ということで食餌法の地丹について考えましたが、逆に死ぬための条件について検討すれば、より良く生きる仙道の極意が見つけられます。行わないことが死に結びつくという点では、呼吸をしないことがまず考えられます。海女の中には一五分以上も海に潜る人がいるが、大部分の人は五分も息をしなければお陀仏です。

藤原 生きるということは息をすることに結びつき、長生きは長い息だという点で呼吸は第一で、大部分の人は肺で呼吸をすると思っているけれど、腹式呼吸は実は腸で呼吸しているのであり、仙道やヨガでも丹円呼吸が主体になっていますね。

赤木 でも、ヨガの修行は苦行がつきものなのに対して、仙道は静座して楽しく気を巡らせるだけです。そして、両親からもらった先天の気と混ぜ合わせるために、空気や食餌法による後天の気を体内に取り込むのだが、天丹はこの天地の間に充満する気を練る術です。

藤原 小周天や大周天という気を巡らす修行は、その天丹の中に含まれているものですね。

赤木 静座して不動のまま陽気を蓄積する天丹の他に、体を動かして陽気の流れる経絡を伸展させる導引があり、小周天や大周天は導引術(動功)に属しています。だから、食餌法の地丹と静座による天丹と並んで重要なものに、房中術として知られている人丹があるのです。


誤解されている房中術と人丹の陰陽原理

藤原 房中術というと男女の交わりをセックスに短絡し、何か淫靡で嫌らしい行為のように思われているが、男女の会話をはじめ一緒に散歩やダンスをするとか、万葉時代の歌垣や中世の騎士道精神も含めて、ホモサピエンスが作った文化の母体になるものです。男の陽と女の陰が出会いを持って和合することで、愛や恋が生まれることで文化を育んだのだし、それを矯小化して性器の問題に限定したら、文化の本質を見失ってしまうことになります。

赤木 その通りでしょう。房中術は人間として男と女が乾坤の出会いを通じ、相手側から気を取ると同時に気を蓄積することを習うものなのに、日本の房中術はポルノ雑誌に書いてあることが、房中術の真髄だという酷い誤解をしています。

藤原 生命の本質や生きる喜びが何であるかについて、それを全体的に捉えるだけの能力のない人たちが、単なる男女の絡み合いや性器の交接の問題に矯小化し、それを針小棒大な形で卑俗化してしまうために、ポルノ的なものまでを含め、それを仙道の房中術だと思っています。それに明治の頃までは生命を性命と書いていて、りっしん偏をつけ心が関係していることが意味の中にこめられていたし、朱子学の理と性の謁係もその情神に貫かれています。性という字はものの本質に関係した事柄を指し、生は草の種が発芽生成する様子を示しており、生命現象の複雑で神秘な在り方を表現しています。

赤木 それはね、仙道では体が命で悟りを性と書き表しており、命はさらに内敵である病気を防止する仙道の地丹、人丹、天丹があって、外敵防止のための護身術としての武功があります。また、生ま悟りを開くための修行法を指しており、先哲が遺した書物を学習するということから、原典を伝えた先哲として老子や荘子などがいますし、身体を使って悟りに達するための性功として、止観、参禅、修密という修行法があるのです。

藤原 だから、そこには生命体として発展する人間を捉えて、健康に生命力を生かそうとする全体的な視座があり、性器に限定したセックスは強調されていません。

赤木 どうして日本の房中術が仙道から逸脱したかといえば、日本で一番古い医学の本は平安時代の『医心方』であり、その第二八が「房内篇」という本になつていて、そこには中国にも残っていないような文献があります。だが、なぜ現地の中国に残っていないかといえば、ポルノ的な低俗な内容のために相手にされなかったものが、日本人はそれを中国の最高の聖典だと思い込み、ありがたがって後生大事に秘蔵してきたのです。


ニセモノを有難がる日本人の評価力の乏しさ

藤原 それは今アメリカから流れ込み流行しているものに似て、日本人はサブカルチャーをアメリカ文化と誤解しており、部分を全体と見誤ってそれに気づかないのと同じです。

赤木 いくら台湾の仙道の専門家が「房内篇」は低俗であり、インチキなポルノまがいの内容だと論証しても、日本の学者は『医心方』を神聖視して相手にしません。だが、仙道をまともにやっている者が「房内篇」を読めば、その中に引用されている『素女経』や『玉房秘訣』が、ハウトゥ・セックスに偏りすぎていることは明白であり、原典が中国に残っていないからと神聖視するのはおかしい。『医心方」は丹波康頼が選んで編集した本であり、唐代の医学書を元にしているから実証的な内容ですが、『素女経』は黄帝の性生活を扱ったポルノだし、「ハウトゥ・セックス」の中国版に過ぎません。だから、台湾の仙道の本には「あれはまともな本ではないから相手にするな」と書いてあるのに、日本人は現地でそう言っていることも知らないのです。

藤原 そうでしたか。青年時代に神保町の古本屋で『素女経』を掘り出して、黄帝は精力絶倫だと感心したことがあったが、赤木さんの説によるとポルノ小説を読んだわけで、相手にすべきでないニセモノとは知らなかった。それを還暦の歳まで気づかなかったとは恥 ずかしいです。

赤木 日本で翻訳されている房中術についての本は、一見すると仙道の秘伝に見えるが、俗悪書がほとんどで、漢字で書いてあるからかえって始末が悪い。『素女経』をはじめとして『素女法』や『玉房秘訣』などは、俗悪書と決め付けても当然の内容であり、本当に読むに値する三峰派の必読書は日本に伝わっておらず、そんな本の存在すらこの国では知られていません。

藤原 具体的にどんな本があるのですか。

赤木 『三峰丹訣」や『玄微心印』をはじめとして『修真不死才』といった本ですが、日本では未だ翻訳されていないので、漢文の本を手に入れて読むしかないでしょう。

藤原 でも、良い本は大変でも原書で読むのが一番であり、そうやって苦労して実力を身につけて行かない限りは、翻訳文化の限界を越えることは出来ません。実際に苦労してシェークスピアを英語で読んでみたら、福田恒存の『ハムレット』は誤訳が目立ち、岩波文庫や新潮文庫だからといって油断は禁物で、日本の権威の土台はそれほど堅固ではありません。

赤木 国内だけで見ると「井の中の蛙」に気づきませんが、日本の外に出て国内の様子を眺めると、月夜の田んぼで鳴く蛙の合唱が聞こえるし、筑波山の四六の蝦墓が日本中に繁殖しているのが見え、ガマの油売りがこの世の春を謳歌していますな。

藤原 仙道房中術の奥義を一言で表現すると、どんな具合になりますか。

赤木 アナトール・フランスが次のように言っています。「もし、私が神様であったなら、青春を人生の最後に置いただろう」と。少年…青年…壮年…老年…死去というのが凡人の生涯です。仙道では壮年…老年…「青年」となり、これは男性でも女性でも同じです。老年の次に来る青年は至福としか言いようがありませんが、ほとんどの人はこの素晴らしい人生の時期を経験しないで、あの世に行ってしまい実にもったいないことです。

藤原 精神と肉体の関係についてですが、「健全な精神は健全な肉体に宿る」と言われており、体育会系の人たちは盛んに身体を鍛えています。この考え方と仙道の関係はどのように捉えたら良いのでしょうか。

赤木 そんなバカな話はありません。もしそうであれば、身体障害者は健全な精神を持ち得ないことになります。前の首相だった森某のように身体は相撲取りのように頑強だが、精神の方は幼児にも劣るという例はザラにあり、「健全な肉体に健全な精神が宿る」というのは、ものごとの一面しか見ていないための誤解に基づいているということでしょうな。


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