ガイア(地球)の恵みと生命力の根源

第一回 カッパドキアとゼオライトの浄化作用




藤原肇(フリーランス・ジャーナリスト)
佐藤法t(真言宗神道派大本山宝珠院住職)



常念必現の世界

藤原 佐藤さんは真言宗の僧侶として修行をされ、毎日お経をあげておられるだけでなく、[常念必現]と題した読経のCDを出していて、その素晴らしい発声法に感動したことが、お目にかかるきっかけになりました。私は砂漠のオアシスに庵を営んでいて、目の前に三千米の山が聳える所に住んでおり、そこで佐藤さんの般若心経を聞いていると、頭の芯まで実にすがすがしくなるし、心から感動して生きている喜びに包まれます。

佐藤 そういう場所で私の御勤めを楽しんで下さり、生きていることを感動する人がいると知ることは、何にも増して嬉しいことです。般若心経は最も良く知られた教典だし、宗派にとらわれずに誰にでも親しまれており、仏教の教理の中核を成している上に、神道にも通じる深遠なものを含んでいます。このお経は完全で完成された智慧の教えであり、悟りとしての般若すなわち仏の智慧を得て、それを行いを通じて磨くことで、一切が空であると知れと教えているのです。
 だから、このお経を味わって何かを感じることで、きっと素晴らしい感覚が身体中に広がり、自分の夢や願望が実現するようになって、藤原さんのように真の生き甲斐を満喫することができる。また、願望の実現が常念必現の意味することでして、念という字は文字通り今の心であり、それは若さのことを指しているのです。

藤原 「山岳誌」(東明社〕に書いたように山が好きで、私は若い頃に穂高の滝谷に夢中になり、明けても暮れても北アルプスに出かけていた。だから、佐藤さんの般若心経を録音して穂高に持って行き、滝谷で笠ヶ岳に沈む夕日を眺めながら聞けば、素晴らしい感動が生まれると思いました。フランスのアルプスならモンブランに行き、ドリューのドームの頂きで結跏趺坐して、日没に面してお経を聞いたら最高だと思います。

佐藤 藤原さんは日没とお経の組み合わせに対して、特別な感慨を持っておられるようですが、これは西方浄土の発想からして自然であり、人は夕日を見て人生について思い巡らし、生と死の意味を噛み締めて味わうのです。私が最も感銘した日没の体験としては、トルコのカッパドキア地方で味わったもので、これは真言の言霊の威力のお陰だと思いました。あそこの赤い色の丘に座って夕日に向かい、40分ほどお経を上げていたところ、「ここだ、ここだ」という実に霊妙な声が、何処からともなく伝わってきたのです。

藤原 それは実に興味深い話ですね。トルコはアナトリアに広がる国だが、あの地方には珍しい鉱物を含む地層があり、グランドキャニオンやアトラス山脈とは違う、自然が彫刻した素晴らしい景色があります。


カッパドキアでの神秘な読経

佐藤 カッパドキアは古代キリスト教徒の遺跡が有名で、岩をくり抜いた修道院や地下都市があって、イスラム教徒の迫害に耐えたと言われます。また、周辺には面白い形をした奇岩が至る所に分布しており、トルコでも有数の観光地帯になっています。
 私は真言密教だから大日如来に祈るのであり、密教では三密という言葉で表現しているが、口で真言を唱え手で印を結び意識を集中します。これは人間の行動の基本でもあって、音と体と意識の全てをかけて析念するので、形相も自ずからご本尊に似てきます。

藤原 それにしても、日本からやって来た密教僧の佐藤さんが、カッパドキアで般若心経を読経していて、周辺にマホメット教のトルコ人たちが囲み、それを夕日が照らし出しているという光景は、一幅の絵としても素晴らしい構図です。

佐藤 そう思うでしょう。実は夕日を礼拝するのはトルコ人も同じで、イスラムの連中も自然な形で入っているのであり、私はどの宗教でも本質は同じだと感じました。心の中にあるものが偉大なものへの祈りなら、どんな宗教に属す仏や神でも構わないのであり、そういう宇宙的なものの原点とでもいうか、宗教心や祈りの根源に当たる何かが、カッパドキアにはあると感じ取ったのです。

藤原 その直感は的中していると思います。カッパドキアはトルコのヘソみたいな所だが、実はユーラシア大陸のヘソ下三寸の丹田に相当し、キリスト教徒の遺跡は表面的なもので、深部にはより重要なものが隠れています。キリスト教はせいぜい二千年前の話であり、その前にはペルシア人が住み着いていたし、更に三千年から四千年前にはヒッタイト人がいて、地上で最初の製鉄を行っていました。その前はアッカド人やシュメール人が住んでいて、メソポタミアの周辺部に位置していた関係で、シュメール文明の影響を受けていたはずです。だから、定着民がメソポタミアに隣接していた、遊牧民が住むペルシア高原とアナトリア高原は、ユーラシア大陸の結界領域だと思います。

佐藤 矢っ張りねえ。五千年ちかい歴史を持つ文明の中で、カッパドキアが一種の結界を構成していたとなると、実に重要な意味を感じざるを得ませんね。

藤原 だから、あなたがカッパドキアの丘で読経して、一種の霊感に打たれたと強く感じたというのは、大地の霊か天の霊が真言に感応したのです。

佐藤 恐らくそういうことでしょう。読経は腹式呼吸で横隔膜を上下させ、腹圧を高め血液循環を良くすることで、血液中の酸素量や養分が末端の細胞に届き、脳が活性化して新陳代謝が良く行われます。そうなると体内の生命力が高まって、体液や気の流れが規則的なリズムを持つようになり、心身を健康で爽やかなものにするのです。


ダイナミックな古代人たちの行動半径

藤原 まず第一にカッパドキアの地質を見ると、あそこの岩は硬いのと軟らかいのとが互層を成し、柔らかい岩は凝灰岩質の堆積岩であって、穴を掘ると簡単に洞窟が作れるのです。また、硬い粗粒砂岩や溶岩は浸食に強いから、キノコ岩の頭とか洞窟の床や天井になり、それを効果的に使って五層の地下都市を作りました。そして、かつては何万人もの人が穴居生活をしており、遺跡としてもユニークなものを構成しています。

佐藤 コンクリートで作ったビルをマンションと呼び、いかにも近代的なものと考えているが、近代ビルだって一種の穴居生活であり、むしろ、カッパドキアの遺跡の居住性のほうが快適で、新しいものがいいとは限らないのです。

藤原 われわれが学ぶ歴史はヨーロッパ中心で、キリスト教徒の遺跡を強調し過ぎているが、キリスト教徒が住む前に古い住民がいて、穴居生活を楽しんでいたに違いありません。おそらくヒッタイト人やシュメール人もいて、壁画なんかもきっと描いたに相違ないし、ノアの洪水の原型のギルガメッシュ神話のように、粘土板に文書も残しているのだろうが、後から来たものがそれを破壊したのでしょう。

佐藤 ヒッタイト人があの辺で鉄を作ったことは、歴史的にも非常に有名なことであって、エジプト人を相手にして戦って破っています。

藤原 しかも、シュメール人やペルシア人の時代から、中東の人間はインド洋を航海しており、インドやタイ経由で日本にも来ているし、フェニキア人は太平洋を渡ってアメリカ大陸を訪れ、岩に彫刻(ペトログラフ)を残しています。フェニキア人が三千年も前に太平洋を横ぎり、アリゾナやコロラドに行ったことを思えば、日本に来たとしても不思議ではないですよ。また、秋田から山形を経て新潟にかけての地域は、地質学的にアナトリアにとても似ており、グリーンタフ(緑色凝灰岩)とか黒鉱が発達し、豊かな鉱物資源に恵まれているのだし、それは岩や石の性質が似ているからです。

佐藤 ああ、そうでしたか。それで何となく雰囲気が同じだと思ったが、石が似ているとしたら当り前ですね。

藤原 両方とも火山性の堆積物が高原や山を作り、脊陵を作る奥羽山脈や出羽山地には火山も多く、岩の性質がとてもよく似ているのです。佐藤さんは岩のことは考えないで読経三昧だったが、山形とカッパドキアの土地のエネルギーとして、特殊な鉱物放散する力を感じ取り、そこに生命と宗教の根源があると直観して、それを持ち帰ってきたのだから凄いですね。と言うのは、カッパドキアの地層には白から黒まであり、その中間のものは含有するミネラル次第で、赤や緑を始め様々な色に発色していますが、起源としては火山灰が海底で堆積した時に、細粒の砂や泥が,緒に混じり込んだのです。

佐藤 礼拝堂や教会が何百もあって有名な、あのネブシエーフルの地下都市などの洞窟は、火山灰が固まってできた岩だったのですか。ということは、あの辺は昔は海の底だったことになるし、火山が噴火していたことになりますね。


地球が焼いた白炭ゼオライトの不思議な作用

藤原 今から一億年から五千万年ほど前にかけては、現在の地中海の十倍以上も大きな古地中海が、スペインからインドにかけての地域に、細長いヘチマの形で東西に広がっていました。その海底が造山運動で隆起して大山脈になり、アルプスやヒマラヤの山岳地帯を形成したし、山の周辺の断層に沿って火山活動が起き、海底には凝灰砂岩や泥岩が発達しました。しかも、アナトリア半島は火山性の堆積物の影響で、マンガンやクロムの鉱石が多いだけでなく、ゼオライトが地層の中によく発達しているのです。

佐藤 ゼオライトという名は聞いたことがあるが、どのような性質によって特徴づけられた鉱物で、人間の生活にどんな意味を持っているのですか。

藤原 専門的には珪酸塩鉱物の仲間でして、多孔質で網目状の結晶構造をしているために、木炭と同じようにフィルターの役目をするし、水中のカルシウムやマグネシウムを吸着し、硬水を軟水にする性質があります。木炭が黒いのに対してゼオライトは白く、私は密かに地球が焼いた白炭だと考えているが、ゼオライトは絶大な吸着力を持つので、土壌改造剤としてよく使われているし、石油や油の脱色に使われたりしています。

佐藤 いろんな來雑物を抜くということは、悪いものを吸って浄化作用をするわけだから、それならその役割が良く分かります。藤原さんが白炭だと言った代表は備長炭で、黒炭に比べて良質で硬くて火持ちが良く、弘法大師が中国から技術を持ち帰り、炭焼きを広めたといわれていまして、太宰府や高野山の周辺地域の名産です。

藤原 弘法大師は炭焼き技術まで持って帰ったのですか。

佐藤 そうです。お大師さんは生活に役立つものに関しては、優れたカンで有効性を理解して、生活を楽にする技術を普及させました。日本では昔から木炭を床下に埋めていまして、微生物の繁殖を防ぐのでカビないし、浴槽にいれると湯垢や悪臭を分解するから、水の汚れを浄化するのに使ってきました。
 そうなると、土の中にゼオライトが混じっているのなら、土壌としては非常に豊かだということで、今は乾燥して水分に恵まれていないが、かつては豊かな土地だったのだろうし、水分さえあれば実り豊かな楽園にもなりますね。

藤原 水分が豊かで土壌が湿っていればいいが、乾燥して土埃が舞うと厄介なことになり、病人がたくさん出て困ることが起きるのです。だから、佐藤さんが病人を治療してあげることによって、カッパドキアの人達を救済してあげられるし、念力を使ってゼオライトの結晶構造を良いものに変えれば、更に素晴らしくなるかも知れません。

佐藤 もしゼオライトが木炭と同じ能力を持つなら、地下水の質を良くすることに結び付いており、水は波動を受け入れて記憶しますし、発振作用を通じて生命力を高めますので、真言の力で活性化すればいいのです。同時に水だけでなくゼオライトに対しても、水の表面張力や溶解力で格子を変化させ、念力で鋳型としての結晶構造を変えたらいい。


ゼオライトとアスベストの相関関係の謎

藤原 そうですね。大部分のゼイオライトは悪さをしないのに、中には性質が捻れて繊維状になるものがあり、これが石綿(アスベスト)に似た働きをして、生物の生命現象を損なうことになる。大断層に沿って地下深部から上昇する蛇紋岩は、石灰岩を含んでいる時に風化してアスベストになり、この針状結晶は呼吸で肺の中に入って、肺壁に突き刺さって肺ガンの原因になるのです。

佐藤 あの悪名高いアスベストの仲間ですか。現在では確かアスベストは公害の被害のために、建材や水道管に使うのを禁止していますね。そんな悪い働きをするアスベストの仲間が、カッパドキアに多いとしたら大変なことだ。しかし、今の話だと害を為すのは一部であり、大部分は白炭と同じ浄化作用をするのなら、短所を直すよりもむしろ長所を伸ばして、繊維状のゼオライトを変成させれば良い。

藤原 アスベストに関しては動物実験の結果があり、水にアスベスト繊維を混ぜて飲むと、腸の壁をつき抜けて血管の中を循環し、肺臓や肝臓に突き刺さって蓄積して、何十年もかかってガン化していくのです。だから、気が付いた時には手がつけられない状態で、悪性腫瘍が進行している場合が多いから、アスベストが毛嫌いされているのです。
 だが、圧倒的に無害のゼオライトが多いのであり、95%以上は吸着力が高くて非常に有用だが、カルシウムが不足しがちなために、抵抗力がなく病気になる人が出るのです。
 地下の深部から滲み出した溶岩性の岩で、蛇紋岩や輝緑岩のような濃緑色の岩には、微量だとミネラルとして健康にいいが、多過ぎると毒になる重金属が含まれています。
 「過ぎたるは及ばざるが如し」という通り、濃縮しているが故に危険になってしまい、悪意がないのに悪者扱いされてしまうのです。

佐藤 何でも「過ぎたるは及ばざるが如し」であり、食糧でも食べ過ぎれば栄養過多で、太って健康を損ねてしまうことになります。アスベストの親戚みたいな存在ならば、そんな鉱物がある地帯の水を飲んだら危険で、流水だと安心できないのは当然だが、地下水なら浄化されてむしろ安全でしょう。

藤原 ゼオライトは非常に優れたフィルターで、石英にナトリウムやアルミニウムが入った格子は、結晶水を含んだ多孔質構造であり、重金属などを吸着してしまうのです。だから、おっしゃる通りゼオライトが篩として働き、全体として清浄化を果たすことになるし、ゼオライトは日本語で沸石と書いて、仏の水の石だから素晴らしいはずです。

佐藤 仏の水の石とは素晴らしい名前だから、凄い威力を持っているに決まっていますよ。水の中に木炭を入れるのと同じことで、自然のフィルターとして浄化作用をするし、炭と同じで電磁障害の防止作用に効いて、健康にとっていいのは間違いありません。きっと、農業にも有用でしょうね。


ミネラルの持つ偉大な効用

藤原 ミネラルを一般的に灰分と呼びますが、多いと毒になるミネラルにしても、微量なら健康にとって非常に重要です。生命体の場合には量が毒と薬の関係を支配し、毒を薄めると薬になることは誰でも知っており、すべて度を過ごせば良くないわけです。鉄の中にマンガン、クロム、ニッケル、チタン、モリブデン、タングステンなどが混じって、特殊な性格をもった鋼鉄が生まれるように、生命現象にとっても微量元素は重要であり、物性のレベルでは錬金術の領域になるし、生命のレベルだと錬丹術になります。
 「宇宙巡礼」(東明社)の中で議論したことだが、「西遊記」は錬丹術に関しての秘伝の書で、孫悟空は岩の中から生まれているし、彼の行動は不老長寿に関係したことで、こんなに面白い本は他に例がないほどです。

佐藤 日本でもその問題は非常に重要視されて、昔から不死の仙術とか超能力の仲間があり、そのひとつにミイラとして生きる方法がある。出羽の湯殿山や高野山における即身成仏は、即身仏(ミイラ)として永遠の生命を生きる点で、われわれの祖先が伝える至高の技法です。詳しいことは秘伝になっていますが、五穀断ちや木食行をして体を清浄にして、生きながらにして遷化するのです。

藤原 湯殿山のミイラに詳しい友人の話では、五穀断ちの最後の段階で粘土を食べ、体内で粘土の中のミネラルが機能して、最後には水銀を含む丹を少しずつ飲み、内臓の防腐化を有機的に進めるそうです。
 それに、日本では肉体の防腐のために柿のシブを塗って、ミイラとして仕上げることもあるが、中国では皮膚に漆を塗って金箔を張り、教祖の遺骸を保存する伝統があるそうです。だが、高野山の弘法大師の場合は入寂と違い、ミイラではなくて生身の入定だそうですが、これは生命を維持しているという形ですね。

佐藤 真言密教において即身成仏は至上の境地でして、お大師さんは奥の院の廟所で入定され、維那が朝夕二度の食膳を差し上げており、これは宗教的に大きな意味を持っています。また、湯殿山も弘法大師によって開かれたお寺だが、真言宗でも新義真言宗を名乗っており、即身仏のほとんどが江戸時代のものです。

藤原 おそらく私の祖先に繋がっているはずですが、平泉にある中尊寺の藤原三代のミイラは、浄土教による阿弥陀信仰に基づいて、自然乾燥でミイラを作ったという点で、アイヌやエスキモーのやり方に似ています。気温が低いという地域の特性のせいで、共通性があるのかも知れないが、温かい地方のようにミイラの内臓を取らない。また、中国の馬王堆で発見された婦人の遺体には、木炭と水銀を使った防腐措置がしてあって、皮膚が生き生きしていたと報告されています。その意味ではゼオライトも木炭と同じだから、強い吸湿作用を持っている点で天下一品であり、カッパドキアの地下都市の住み心地は、夏は涼しく冬は暖かで快適のはずです。


トルコの日没とミトラ教

佐藤 いいミネラルの存在が何よりの功徳であり、余り水に恵まれていないのが玉に瑕だが、井戸の水の口当たりはとてもよいから、カッパドキアは爽やかさに満ちています。今回はスイス・ホテルの社長に頼まれまして、加持祈祷をやりにトルコまで行ったのですが、折角だからとカッパドキアに足を延ばし、あそこにホテルを作る話もして来ました。

藤原 それでカッパドキアに行った理由が分かったが、トルコで加持祈祷した密教の坊さんというのは、おそらく佐藤さんが最初だったのと違いますか.

佐藤 そうかも知れません。なにしろ、私は密教だから口に真言で心に想念であり、夕日が落ちるのに対面して大日如来の形をとって、手で印形を作って敬虔に祈るのですが、似たような仕草をトルコ人もやっているのです。あそこで眺める日没の荘厳さは絶大であり、夕日に向かいお経を唱えて拝んでいますと、イスラムの世界にいることを忘れてしまい、どこの宗教でも同じであると感じました。
 太陽神は生き物にとって全ての面で共通であり、われわれはその恩恵の下に生かしてもらい、日本人が日本語で般若心経を読んでいるのに、イスラム教徒でもその言葉の響きに打たれて、一緒に夕日に向かって礼拝しているのです。

藤原 丘の上で読経する佐藤さんの周辺には、トルコ人が日没に向かって祈りを捧げており、紅に燃える太陽をミナレット(モスクの尖塔)が刺す光景は、一幅の絵として実に静謐で印象的ですね。ブルーモスクを背景にした日没風景もいいが、アナトリアが地中海に突き出ているので、トルコは西方浄土を拝む上で地の利に恵まれている。

佐藤 あそこでお経を唱えている私に対して、「五回来い。五回来れば面白いものが分かる」という声がしたのですが、何が面白いのかはさっぱり分かりません。それでも、どこから本当の宗教心が来るかと言えば、キリスト教でも、イスラム教でも、仏教でもそうだが、根源はカッパドキアではないかと思い当りました。

藤原 それは正解ですよ。文明時代に先行する古代人にとっては、星と月と太陽は同じ価値をもっていたが、文明の発展とともに三位一体が崩れます。メソポタミアで生まれたシュメール文明は、天文観察をしたことで知られているが、最初の頃は星に対しての関心が強かったのに、次第に月の動きに対し観察の中心が移り、信仰が権力と結ぶようになるに従い、太陽が月を押し退けるようになりました。要するに、新しいものほど太陽信仰が支配的なのです。だから、日本でも月の信仰は農民の間に残る程度で、大部分の宗教は太陽信仰と結び付いて、神話を始め神道や浄土思想も太陽信仰です。

佐藤 なるほど、そういう具合に見ると面白いですね。

藤原 佐藤さんがカッパドキアに宗教の原点を感じ、あそこに何かがあると直観したのは、きっとミトラ教が関係していると思います。ミトラ教は中東の古代の多神教の源流であり、ミトラの母親のアシュトラ信仰として、ゾロアスター(拝火)教の祖先に相当しており、インドでは仏教にも影響を与えています。
 分断し得ない無限のアミトラがアミダになり、浄土思想として阿弥陀信仰の形をとって、西方浄土を拝む儀式に定着しています。また、地中海地方では地母神のアルテミスとして、キリスト教もマリア信仰になっているし、マイトレーヤは普遍性を持つ存在だから、分断した基本単位として基準の意味で、メートル法の語源にもなっています。

佐藤 メーターという言葉の背景にミトラがあり、メートル法の起源がメソポタミアと関係し、すべての基準になっているというのは面白い。
 それで何となく全貌がはっきりして来て、宗教の根源での結び付きが分かりましたが、矢張り全ては一つ所から始まったのですね。

藤原 川の源流は一滴の水だということです。ただ、その水も天から降ってきた雨の一滴で、雨は雲の凝縮によって水滴になるのだし、水分は海や大地から蒸発したものです。
 同じように地球は太陽系に属す惑星であり、太陽系は銀河系の構成要素であるし、銀河系は宇宙の一部に過ぎないということで、色即是空だから宇宙も空になるわけです。


宇宙波動とシンセサイザーの響き

佐藤 そこで般若心経の色即是空が登場すれば、これは空即是色で何もいうことがなくて、全てが説明抜きで見事に分かってしまいます。

藤原 その通りですね。それは知識として頭の中で分かっていたが、全身の体験として覚醒を覚えたのは佐藤さんのお陰で、常念必現のCDで般若心経の読経を聞いた時に、何度も繰り返しが続いたからです。般若心経の最後の言葉に続いてそのまま始めに戻り、摩訶般若波羅蜜多心教にと連続しているところが、メビウスの輪そのものになっていて、私の理論のホロコスミックスを現しているのです。
 般若心経の色即是空が量子力学と同じで、湯川博士はこれをヒントに中間子理論を発見し、ノーベル賞を貰ったと著書に書いてある。だから、般若心経には統一の場の理論に繋がった、偉大なイマジネーションが含まれていると思っていたが、書いてあるお経はリニアー(直線)思考のために、今までその秘密に気が付かなかったのです。
 ところが、佐藤さんの読経を聞いてメビウスの輪が閃き、ホロコスミックスが統一の場の理論だと分かり、これは凄い大発見だと思わず飛び上がりました。

佐藤 それは素晴らしいことです。般若心経は宇宙の真理と叡智を示しており、完成された智慧だと伝えられてきましたが、それをほとんどの人は直観的に理解したのに、藤原さんは理論的にも理解したのだから、前人未到という意味で本当によかったですね。
 読経によってそう閃いて分かったということは、言葉の持つ波動性の威力のせいでもあり、おそらく言霊のお陰だと思います。

藤原 そうですか、言霊ですか。

佐藤 それは音楽の世界にも関連したことであり、モスレムの祈りと私の読経する声との間には、得も言われない共通の流れと共鳴が感じられ、それは言霊の働きによるものだと思いました。また、トルコの民族音楽が演歌に似ていると感じたので、シンセサイザーで聞こうとテープを12本も買って来て、東京の部屋で聞くと何てことはないのだが、山形に行く時に山々の情景を見ながらだと、トルコで聞くのと全く同じ感じがします。
 これは実に不思議なことだと思っていたら、トルコから帰ってNHKのテレビをつけた時に、「心の旅」という番組に出た音楽家の中村紘子さんが、ちょうどカッパドキアから帰ってきたと言って、思い出話をしているのを偶然に見ました。
 彼女の話しによると、カッパドキアはギリシアでオナシス夫人になった、オペラ歌手のマリア・カラスが大好きな場所であり、あそこでシンセサイザーを演奏したら、最高のお客を呼んで感動させることができるが、それは人間の原点に触れるからだそうです。


陰と陽で動くエネルギーの場

藤原 シンセサイザーは電子で波動を操作して音を作り、波長の共振作用によって音色を出す装置で、佐藤さん自身がシンセサイザー役をやって、トルコで人々の治療効果を高めているのだから、原点に触れるために何回でも行ったらいい。

佐藤 藤原さんが今言った陰と陽の波動ですが、カッパドキアや山形では陽の波動しか出てこなくて、それが実に不思議に思えてなりません。

藤原 今の指摘で閃いたことがあります。それは佐藤さんが電気石の役目をしている点であり、カッパドキアの地層にはゼオライトと共に、海泡石(セピオライト)という白い石のレンズがあって、よくパイプを作るのに利用されています。

佐藤 白くて軽い材質の石に彫刻してあるパイプで、あの石で作ったパイプは使っていると飴色になり、手にも馴染んで何とも言えない味が出ます。だから、今は菩提樹の実で作った数珠を使っており、これも手垢がつくと飴色になりますが、海泡石のご念珠を作ろうと考えています。また、海泡石とラピスラズリは相性がよく、手に持った瞬間に熱さが入っていき、煙は念だから熱さが胸線で分かるのです。

藤原 海泡石はマグネシウムと珪酸と水からなり、このパイプがヤニで詰まった時に穴の中に、電気石の粒を入れて陰イオンを吸着させて、船乗りたちは掃除をするのだそうです。これなども昔から伝わる知恵であるし、利用価値のあるノウハウかも知れません。

佐藤 そういえば、電気石は微弱な電気をもってイオン化し、マグネシウムやナトリウムの陽イオンを中和するので、血を清めて新陳代謝を活発にするといって、健康用に売り出している人がいます。また、私はラピスラルリの数珠を腕につけているが、この瑠璃も体にとても良く効くのであり、お釈迦様の昔から瑠璃は七宝として尊ばれています。

藤原 ラピスラルリ珪酸塩鉱物でルリとも呼ぶが、アラビア語で青い石という意味であり、砂漠の幻想的な真昼の青空の色です。アフガニスタンのヒンズクーシー山脈が主産地であり、お釈迦さんも数珠に使ったかも知れません。

佐藤 ラピスラルリには良いものと悪いものがあり、原石を持っている人を見たその瞬間に、直観でその人の念が分かるという特質があります。だから、私はラピスラルリを愛用しているのですが、海泡石の数珠を注文してあるので、カッパドキアの海泡石と組み合わせて、人類の幸せのために役立てたいと思っており、これも仏縁かも知れないという気がします。

〔続く〕


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