『花も嵐も』 1991.06月号



PEOPLE
藤原肇 ふじわら・はじめ 52歳




善隣外交≠説く国際ジャーナリスト




石油コンサルタント、国際ジャーナリストとして幅広く活躍する米国在住の藤原肇さん。このほど台湾を訪問し、李登輝総統と会見してきた。

 藤原肇さんは現在、アメリカ・カリフォルニア州パームスプリングに住んでいる。本業はアメリカにおける石油開発事業だが、国際政治や石油戦略のアドバイザー、カリフォルニア州の名門・ペパー・ダイン大学の名誉総長顧問を務めるなど、国際的に幅広く活躍している。
 昭和一三年、東京・神田に生まれた、ちゃきちゃきの江戸っ子。埼玉大学で地質学を専攻した後「フランスのグルノーブル大学に学び、アルプスの構造地質学の研究で理学博士となった。その後、札幌オリンピック、グルノーブル・オリンピックなどの仕事に従事した後、石油開発事業に参入する。
 アフリカ、中東での資源開発、ヨーロッパの大陸棚での石油開発を体験した後、藤原さんは資源開発ブームに沸くカナダに移住し、北極海の石油開発にチャレンジした。この頃、日本の石油公団がカナダの会社と組んで石油開発に乗り出していたが、藤原さんがそれを『無謀な挑戦』という著書で厳しく指弾したのは、業界では有名な話だ。
 四〇歳代になって、藤原さんは石油コンサルタントとして独立。以来、主にアメリカを舞台に石油開発関連事業に携わる傍ら、国際的ジャーナリストとしても独自の活動を展開している。
 この間、日本で刊行した著書は二〇冊を超える。主な著書を紹介すると、『石油飢餓』『日本丸は沈没する』『虚妄からの脱出』『日本脱藩のすすめL『脱日本型思考のすすめ』『アメリカから日本の本を続む』『湾岸危機・世界はどう動くか』など。
 藤原さんは、毎年二〜三回、一週間ぐらいずつ来日する。今回は連休の前に来日した。新しい著書『脱藩型ニッポン入の時代』がTBSブリタニカから刊行されるのに合わせての来日だった。そして連休中には、台湾の知人に招待されて訪台、李登輝総統とも会見している。その帰りに、東京に立ち寄った藤原さんに、新刊のこと、日本のこと、台湾のことなどを、フリートークで語ってもらった。以下はその要約――。



脱藩型ニッポン人が腐敗した日本を立て直す

 今回出した『脱藩型ニッポン人の時代』という本は、一〇年ほど前に東京新聞から出した『日本脱藩のすすめ』、その後ダイヤモンド社から出した小室直樹さんとの対談『脱日本型思考のすすめ』との三部作のようなものです。「脱藩」といえば、幕末の頃に各藩を飛び出して、もっと大きな枠組みで日本のことを考えようとした志士たちの行動を指すのが一般的です。
 しかし、私が「脱藩」というのは、必ずしも、会社を飛び出せ、日本を飛び出せ、といっているのではありません。私の「脱藩」の意味は、本の帯にも書いておきましたが、「組織や地理的なものだけでなく、精神の枠組みを乗り越えることであり、また自己変革を遂げることでもある」のです。つまり、現状に安住してマンネリズムに陥ってはいけない、ということです。
 そして、私が本のタイトルに込めた意味は、そういう精神の枠組みを乗り越え、自己変革を遂げた人たちが、この腐敗した日本を立て直すために活躍してくれるだろう、ということです。
 最近、痛切に思うのは、日本の政治が本当にテタラメになっているということです。湾岸危機から湾岸戦争にかけて、そのことが証明されました。お金を奪われた挙げ句、日本が国際的にますます叩かれるという状況は、政治がテタラメだからです。
 政府というのは、一億二〇〇〇万人の国民の福祉と安全保障のために、どのような外交、内政をするかに知恵をしぼるところであるはずです。ところが、現在の日本政府は、自民党という一つの党が党利党略のために動かしているに過ぎません。
 その典型的な例が、湾岸戦争への対応です。自民党の小沢一郎幹事長を筆頭とする党幹部が、政府を好きなように動かしました。それがあの支離滅裂な対応となって表れたわけです。
 日本は湾岸戦争のとき、「憲法上の制約があって多国籍軍への参加は無理です。そのかわり九〇億ドル払いましょう」といって、お金を払ったわけです。ところが、戦争が終結してから、自衛隊の掃海艇を派遣しました。
 外国から見ていると、日本人は鉄砲の玉が飛んでいるときは、いろんな理屈をつけて協力しなかったのに、玉が飛ばなくなったら協力するポーズをとっている、何と卑劣な国民だ、という印象になるのです。
 政治のお粗末さは、ゴルバチョフの来日に対する対応にも表れました。新聞は北方領土のことしか書いていませんでしたが、政治家もまた「北方領土返還」の大合唱をしたわけです。
 やっと冷戦が終わり、新しい世界秩序が模索されているときに、初めてソ連のトップが来日したのです。ですから、新しい世界の枠組みの中で、日本とソ連は何ができるか、またアジアでどう協力していくか、それを話し合うべきでした。それが本来の政治であり、外交です。
 ところが、北方領土しか眼中にないような対応をしている。まるで子供がダダをこねているようなものです。こういう政治をやっていては、世界の物笑いになりかねません。
 先般の東京都知事選挙など、まったく笑止千万。七五歳になる私のお袋などは、投票に行く気がしなかったと憤慨していました。保守系は何が何だかわからないような分裂選挙、革新は最後の最後まで候補者が決まらない、こんな状態は政治がデタラメになっているからです。



日本の豊かさは世界に誇れるか?

 日本の新聞を読むと、「バブルははじけた」と書いてあります。しかし、私は、バブルはまだはじけていないと見ています。東京の地価が一坪一億円もするというのは"幻想経済"です。もっと"実態経済"に目を向ける必要があります。
 カリフォルニア大学の教授が、日本の"幻想経済々は"実態経済"の四〇倍だと計算しています。アメリカは三・五倍だということです。したがって、本当にバブルがはじけたら、日本は大変なことになるわけです。
 日本は豊かな国になったといわれていますが、決してそんなことはありません。昔は、サラリーマンが定年まで働けば、家の一軒ぐらいは建てられました。しかし、いま、東京のサラリーマンは、一生汗水流して働いても、家を持つことはできません。これが世界に誇れる豊かな国といえるでしょうか。
 家が持てないから、せめて車にお金をかけようと、みんな高級車に乗るようになりました。ところが、日本の道路事情は最悪です。車はどんどん生産するけれども、その一〇〇倍の投資が必要な道路はつくらないので、車は溢れてしまうのです。自動車メーカーは、それではとばかりに、道路のしっかりしたアメリカに洪水的に輸出し、摩擦を起こしているのです。
 東京でタクシーに乗り、急いでいるので首都高速に入ってもらったら、渋滞で全然動きません。こんな高速道路は日本だけです。しがも、高い料金を取っています。台湾などは、連休で行楽の車が繰り出すときは、料金所で渋滞が発生しないよう、高速料金をタダにしているようです。東京の首都高速などは、もう元はとっているはずですから、タダにすればいい。そうすれば少しは流れもスムーズになるでしよう。
 地下鉄では切符を買うために行列させられ、高速道路では料金を払うために長い時間待たされる。日本人は本当に我慢強いと思います。そのストレスを発散するために、カラオケをやり、ゴルフに興じているのではないですか。こんなことをやっていたら、日本はどうしようもない国になってしまいます。
 日本は、ゴルバチョフのソ連は経済が破綻して大変だ、アメリカは巨額の貿易赤字、財政赤字をかかえて大変だ、などと他国のことばかり心配していますが、本当は自分の国がいちばん大変なのではないかという感じがします。



李登輝総統が期待するアジアに根差した日本

 さて、今回、私は台湾の知人に招かれて、台湾を訪問しました。李登輝総統にも初めてお目にかかりました。李総統は政治臭のしない学者肌の入という印象でした。いわゆる国家元首にふさわしい雰囲気を持った人です。
 台湾や韓国には、私の読者が結構います、その人たちは年配の方で、日本訊が読めるのです。そして、台湾の読者がかねがね「仙人に会わせるから遊びにきなさい」と招待してくれていたので、今回台湾を訪れたわけです。
 最初は五月一日に行く予定でしたが、東京にいる間に、台湾から使者がきて、「二日早く来い」といってきました。それで連休でなかなかとれない航空券をやっと手に入れて、四月二八日に訪台しました。
 「二日早く来い」というのは、実は、李総統に会わせてくれるということだったのです。総統という呼び名は、亡くなった蒋介石もそうでしたし、あのヒットラーも使っていましたから、どこか独裁者のイメージがあります。しかし台湾の新聞を見ると、ブッシュのことも「ブッシュ総統」と書いてある。つまり「総統」とは「大統領」のことです。
 李総統は以前から私の本の読者で、『虚妄からの脱出』『アメリカから日本の本を読む』を読まれたようです。ちなみに『虚妄からの脱出』は副大統領時代のブッシュも読んだということを、アメリカの石油関係者から聞きました。また、余談ですが、『アメリカから日本の本を読む』はいまの天皇陛下も読まれたそうです。
 李総統とは国際情勢など、いろんなことを話しました。総統は京都大学を出ており、日本語はペラペラです。その後、アメリカのコーネル大学でドクターをとっていますから、英語もペラペラです。
 私は『アメリカから日本の本を読む』の中で、日本の政治家のことを"政治業者"と書きました。総統はさすがに目敏く、「藤原さん、非常に厳しい見方をしていますね」と笑っていました。
 また、私が「総統、実は私は京都大学を受験して落っこちたんですよ」といったら、総統は「その方が良かったんですよ。京都大学を出ていたら、今頃、役人になって大変な人生を送っていたでしょう。帝国大学を出なかったから、世界を放浪でき、現在のあなたがあるんですよ」と、逆に慰められました。
 孔子、老子をはじめ朱子学の話もしました。これからのアジアの政治は、朱子学のような「理」の世界をべースにする必要がある、などと語り合いました。
 総統の政治的立場を損なわない範囲で、一つだけ政治的な発言をエピソード的に披露します。
 総統は、湾岸危機が始まったとき、ブッシュ大統領に「戦争は止めた方がいい。話し合いで解決すべきだ」と進言したかったそうです。しかし、残念ながら、現在、台湾はアメリカと国交関係がないので、進言する立場にはない。そこで、総統は、日本にそれを言って欲しかったようです。日本が言ってくれたら、アジア人としてどれほど嬉しかったか、ということです。
 やはり、アジアの国々は、日本がアジアの中でもっとも経済的に発展した国として、アジアの立場で、アメリカなどにアドバイスして欲しいと期待しているのです。その期待にまったく応えなかった日本政府に、李登輝総統のみならず、アジアの国々は失望を禁じ得なかったのではないでしょうか。
 私が台湾に着いた翌日の四月三〇日、李総統は大演説を行いました。それは、「非常事態を解除して、平時に戻す」という内容でした。日木ではほとんど注目されなかったようですが、これは台湾にとって非常に重要な宣言でした。新しい歴史の始まりを意味していました。
 それで、私は、五月一日に総統にお目にかかり、『脱藩型ニッポン人の時代』を差し上げるとき、その日付を記す前に、「内戦終結翌日・平時初日」と書きました。台湾の新たな歴史が始まった初日に、国家元首に会えたことは、非常に光栄だったと思います。
 台湾にとっての「平時初日」は大陸の中華人民共和国にとっても「平時初日」です。これは日本にとっても大きな意味を持つことです。日本はもっと敏感にこれを受け止め、心から祝福してあげる気持ちが欲しかった。
 それが、連休中に、中曽根元首相、竹下元首相という日本を代表する(?)二人の政治家が別々に北京を訪問し、「掃海艇のペルシャ湾派遣を理解してほしい」などと、寝言のようなことを、繰り返しているわけです。
 要するに、日本の政治、外交は自分のことしか考えていない。アジア、世界に対する目配り、気配りが決定的に欠けています。
 先程も触れましたが、台湾、朝鮮、中国などには、まだ日本語の読める人、話せる人がたくさんいます。日本の新聞も読める、本も読めるという人が近隣諸国にたくさんいる、こんなありがたいことはありません。
 そういう世代が存在しているうちに、日本はアジアの長兄にふさわしい政治を行い、それにふさわしいマナーでアジアの国々と接して、友好の絆を深める方向に進んでほしいと思います。
 いま、多くのアジアの若者が日本に働きに来ています。確かに、彼らは日本の高賃金を目的に働きに来ているのですが、中には、それなりの志をもって来ている青年もいるはずです。そして、その中から、かつての孫文やタゴールのような指導者が出ないとも限りません。日本は、アジアの人材を育成する気侍ちで、彼らを温かく受け入れるべきです。
 日本にはかつて「善隣外交」という言葉がありました。隣国との友好を大事にする外交です。それが、いつの聞にか死語になってしまいました。もう一度、その精神を見直すべきだと思います。



〔藤原肇〕
昭和一三年、東東生まれ。埼玉大学卒業。フランス・グルノーブル大学で構造地質学を専攻。理学博士。その後、カナダ、アメリカを中心に石油開発に従事する傍ら、カリフォルニア・ペパーダイン大学名誉総長顧問を務めるなど、アメリカに在住して、国際ジャーナリストとしても活躍している。この五月、新著『脱藩型ニッポン人の時代』を刊行した。




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