『加州毎日』1989.5.10〜1989.5.15、1989.11.28から1989.12.21.『平成幕末のダイアグノシス』第六章に収録



アメリカから読んだリクルート事件の深層


藤原 肇(国際政治コメンテーター)


  プロ ローグ  日本人にとってのリクルート事件


 仮説としての全体像の構成

  リクルート事件とはいったい何だったのだろうか。事件そのものに多くの日本の政財官界のトップが関与して、平然と背信行為をしていた犯罪性は言うまでもなく、嘘の証言をした人が沢山いたにもかかわらず、偽証罪で告発されることも無かったこの事件は、いったい何だったのかと思うと気詰まりな気分になる。
  それにしても、あれだけ日本の報道界がエネルギーを注入したり、一億二千万人の日本人が注意力を払って追及したのだから、リクルート事件の教訓が一種の歴史的遺産になっていいはずだが、泰山が鳴動して数匹の子鼠が捕まっただけだから、何か間違っていたらしいという印象が残るばかりだ。
  言論の自由が存在すると考えられている社会では、基礎事実が報道されているという神話があり、日本で活字になったものが事件の全容を伝え、それが犯罪を立証出来なかったので仕方がないという態度が、一種の社会的な暗黙の諒解になっている。そして、この基本原理が人びとの意識を支配しているために、狡猾な権力者にそれを利用されている懸念があり、初期の段階で警察官僚出身の秦野代議士による、もみ消し工作による情報操作が試みられたとか、検察当局がやる気を持っていなかったと伝えられたが、記者クラブ制の現状からすれば有りうる話だから、これは心配のし過ぎとは言えないことになる。
  こういった種類の苛立ちを感じることで、不必要なストレスを人生に持ち込むのは、実に愚かなことであり、「あんな不祥事に関わりを持たないで、のんびり瞑想して生きていればいいのに」とよく忠告を受ける。しかし、余計な発言をして権力者に怨まれたり、親しい人に生命の安全を危惧させてしまうにしろ、歴史の証言を残して置くことは一種の義務であるし、歴史感覚の疼きがそれをさせるのかも知れない。
  地質のプロとして四十五億年の地球の歴史を扱うし、石油開発の専門家としての修行を通じて、時間と空間を取り扱う訓練を受けている私は、断片的な破片から全体像を組み立てることに慣れている。その結果、国際政治や社会現象を観察する場合でさえ、相似象転換と位相解析を使いこなして、兆候から病理の全体像を診断するのが得意である。
  こうして身に付けたダイアグノシスの能力を武器にして、二十年前に石油危機の襲来を感知した時に、私は『石油危機と日本の運命』(サイマル出版会刊)という本を書いたが、当時は誰も石油危機の襲来などを信じなかったので、パニックが現実のものになるまでは冷笑されたものだ。しかし、造船王国の沈没、鉄鋼産業の低迷、株式市場の暴落のどの例を見ても、私の予感はその後の時間の経過を通じて、不幸なことにほぼ的中しているのである。
  そして今、このリクルートゲートと呼ばれる疑獄事件の背後に、日本人が気付いていない不吉な影が潜んでおり、未だ光が当らないまま闇の中に隠れているが、日本の歴史と社会の運命に極めて重大な影響を及ぼす、不気味な胎動の始まりを告げていることを感じ取っている。果たしてそれが杞憂であったか否かについては、歴史が証明してくれるに違いないが、取り返しがつかない事態が起きてから、それに気が付いて後悔しても手遅れである。
  また、考えられないことを考えつくという所に、戦略発想を持った史眼の輝きがあるとすれば、出来る限り集めた情報群のマトリックスを使い、歴史の場でシュミレーションすることで、意表を突くモデルを取り出すのは価値ある挑戦になる。そして、二十世紀の支配者だった国際石油政治の中に陣取って、戦略思考を磨いてきた私にとっては、このモデル作りはそれほど困難な挑戦ではないと思えた。
  そこで太平洋の対岸のアメリカに陣取って、故国で発生した奇妙な事件を観察した記録を、歴史の証言として活字に残すために、ロスで発行されている「加州毎日」新聞の紙面を利用し、一九八八年十二月五日から一九八九年十二月五日にかけて発表したのである。
  証言としてのリクルート事件の解析の本文に続き、それが佐川事件と同根の構造に由来する点を分析した、短いエピローグから本稿は成り立っているが、その基盤には株と投機をめぐるホワイトカラー犯罪と、世紀末を象徴する倒錯精神の関係を取り出し、それが共に犯罪病理と精神病理にかかわりを持ち、しかも、知能犯罪はメタストラクチャーの側面から追わない限り、全体像は捉えられないことを証明したのである。


 定説や常識を懐疑する精神

  報道が作り出す公認された全体像を通じて、その時代における定説や通説が出来上がり、ビジョン化した概念を共有し合ったものが、ある時代を特徴付ける情報空間を構成する。
  だが、公認された定説や通説がどこまで事実の全体を示すかは、多くの疑間が残るところであり、それが単に有力者の見解に過ぎなかったり、単なる一部分が水面上の氷山のように全体だと信じられ、まかり通っているというのが普通である。そして、ありきたりな疑問への考察がなされないまま、定説や通説をそのまま鵜呑みにした挙句に、後になって定説の修正を繰り返すのが世の習いだが、それが歴史の実態であることを慧智ある史眼は知っている。
  常に仮説として立ち現われたものが定説化し、時たま異端者と呼ばれるタイプの人間が出現して、それを否定したり修正を試みる過程で新仮説を生み、その繰り返しを続けたのが歴史の実態である。それにしても、情報化が進んだ大衆社会と呼ばれる今の時代は、異端の立場に立つ気概を持つ人間の絶対数が、目立って減少していると言えないだろうか。
  異端の説として時代から冷笑されたり、反逆思想の烙印を押されて指弾されるにしても、主張するに値する仮説を考え続けた人間を、歴史は後になって知識人と名付けて来た。このような知識人の生きざまの外見には、保守と進歩の両面がちぐはぐに現れるが、その動きの方向性は一義的ではない。問題は自分の生との関わり合いの仕方にあって、価値の根源との結び付きで物事を捉える姿勢と、不易の上に立って流行に左右されない点で、知識人は常に孤独なタイプの人間であった。
  知識人と大衆の問題について思索し、高貴な生とは何であるかを洞察し続けて、生を誠実に生きようとする限り、人は単独行の道を選ぶしかないと結論した、あのスペイン生まれの哲人オルテガ・イ・ガゼトは、「自らを特別な理由付けに基づいて考えて、善いとも悪いとも評価しようとせず、自分が皆と同じだと感じて苦痛に思わないどころか、却って、他人と自分が同一であるということに、快感を感じるような人びとの全体が、大衆なのである」と『大衆の反逆』の中に書いている。
  ある事柄を前にして思索と懐疑を行い、自分なりの評価から決断を生み出すという点で、この指摘は知識人の思考体系のモデルだし、その生きざまを方向づける道標の言葉である。 そんなことに思いを馳せると、「ロツキード事件で軍用機のP3Cの代わりに、民間機のトライスターに焦点が移されて、しかも、五億円が田中首相の外為法違反に矮小化」したり、「リクルート事件ではスーパーコンピユータが介在し、これは主に軍事的な用途で使われるのに、真藤や江副の起訴にはスパコン疑惑に触れず、もつばら株の問題に矮小化」されているのがなぜか疑問になってくる。
  そこに共通しているのは軍事問題であり、それは六〇年前にあつた「満洲某重大事件」と共通する、国家機関の中枢が関与する重大機密に対して、権力が総がかりで張作森の爆殺を隠蔽した、あの謀略事件を思い出させてしまうのである。


 ダイアグノシスの重要性

  異常な現象や症状が発生した時には、その治療が可能かどうかにかかわらず、先ずは生理的な情報を集めてマトリックスを作り、それを病理学的な問題として扱うべきかについて、色んな側面から比較検討して判定を試み、ダイアグノシスと呼ばれる診断をするのが、医学における伝統的なアプローチである。
  だいたい、疑獄や政治的な腐敗現象の基本パターンは、社会病理学の問題に属しているから、多様な自然と幅広い歴史現象の観察を下敷きにして、多層構造を持ったマトリックスを組み上げれば、「天網恢恢、疎にして漏らさず」と老子が言った、威力のあるスクリーンを作り上げて、世紀末の日本を覆うことが出来るのである。
  特筆に値する二十世紀の異常精神として、全体主義体制の中で暴虐と乱行の限りを尽くした、二人の特異な政治家の病跡学的な診断の試みの形で、早野泰造博士は『ヒトラーとスターリンの精神医学』(牧野出版刊)と題した、非常に興味深い本をまとめている。このように日本は優れた精神病理のプロを誇っており、優れたパイオニア的な仕事がなされているので、一九八〇年代についての分析の実現する日が、出来るだけ早く訪れるようにと期待したい。そして、診断を下すという事実がインパクトを生んで、日本文化が内包する自然治癒力を目覚めさせ、病巣の自壊による快癒現象をもたらせれば、治療行為を施さなくとも社会の健康が蘇るし、日本列島が健全な生活環境になるに違いない。
  ウィーンの世紀末現象についての記録は、十九世紀の代表的なものとして有名だが、このヨーロッパの辺境の王朝都市からは、異常精神についての分析の大家として、リビドと無意識機制で新時代を築いたフロイトや、エゴによるコンプレックスのアードラーが輩出した。そして、フロイトが確立した精神分析の手法は、まさに意識体系の複雑なマトリックスであり、リクルート事件として姿を現した錯誤行為の断片から、入り組んだジグソーパズルを組み立てることで、世紀末の病理の検証が可能になりそうだ。
  最終的には、豊かな経験と卓越した手腕を誇る日本のプロの手で、カルテの分析を通じた病跡学的な仕上げが行われて、世紀末としての一九八〇年代が記録されるだろうが、それに先んじた診察と診断のまとめが必要になる。
  そこでリクルートゲートがメディアに登場した、事件の発端でもある一九八八年六月の時点から、東京地検が公式に捜査の終結を宣言した、一九八九年五月末までの経過を振り返ると、最初に株にまつわる事件が川崎市で発覚した段階で、一冊の本が既に犯罪の輪郭と主役の横顔について、浮き彫りにしていた事実が分かるのである。



  歴史の証言 リクルート疑獄(その1)

 『罠』を読む

  日本では年間五万点ちかくの新刊書が出版されるとかで、本屋の店頭は本を求める人で賑わっている。こんな様子を目撃すると、眼光紙背に徹する読書人口も多そうな印象を抱きたくなる。しかし、ある読書子の意見によると、「あれは隣の百姓気分が、ベストセラー作りに貢献しているだけのことで、話題の本に目を通していないと流行遅れになる、という強迫観念を利用した商業主義が、有名人の名前や題名の付け方で勝負しているだけです。動機も目的も金儲けであり、内容的にタイムリーな本が書店にあったり、横積みになっているわけではありませんよ」ということになるらしい。
  内容的に幾らタイムリーでも数年前に発行された本だと、ほとんど誰も思い出そうとしない場合が多いことからして、これは首肯できる好説明である。
  その典型的な例が一九八六年に講談社から出版された、『罠』(東郷民安著)という題名の本だ。副題に「殖産住宅事件の真実」とあるこの本のまえがきには、「私が本書を刊行した目的は、とくにこれから大企業に成長しつつある未上場会社の経営者諸賢に対する、迂闊にも張り巡らされた罠にまんまとはまつてしまつた、私の苦い体験からの忠告のためである」とあつて、まるでリクルート社の現在を予想したような文章が印象的である。
  しかも、第三章の「運命の岐路」には、新聞記者や東京地検特捜部検事たちに見落とせない、株を使った錬金術の手口が活写されている。
  一一五頁の「会がはじまり、中曽根や木部代議士の挨拶が終わつて間もなくのことだった。中曽根が、うしろに手をついて体をそらせるようにしながら、顔だけ私の方に向けて、なにやら小声で話しかけてきた。"今度、君の会社は株を公開するそうだね。その機会に、私にひと儲けさせてくれないか。実はいまは名前をいえないが、ある有力なスポンサーが金を出してくれるといっているから、それを使い、株式公開を利用して政治資金をつくりたいんだ。なんとか協力してくれないだろうか。ぜひ頼むよ¨とか、その一カ月後には、"このあいだ頼んだ資金造りについて、ぜひとも協力してもらいたい。総裁選ともなると、二十五億円くらい準備しなければならないんだよ"」と言われ、東郷民安は「彼が本気で殖産住宅の株式公開を利用して、政治資金づくりをしようと考えているのだということを、そのとき改めて知った」と告白している。そして、一二四頁には野村証券からの話として、「規定上、個人に割り当てうる最高額は五千株までだから、中曽根先生個人には百万株を割り当てることはできない。そこで、表面的には法人割り当ての形をとる必要がある。この形をとって、中曽根先生が資金を法人名義口座に払いこめば、新株式は先生のものになる。そして、先生が時機を見てそれを売却すれば、相当の金額を手にすることができる。ついては、それに必要な法人の名義貸しを、殖産住宅の取引関係会社で引き受けてもらいたい」との要請を受けるのだが、ここに二匹目のドジョウをリクルートで狙ったパターンが浮かび上がっている。


 株と秘書名義を使った中曽根流の錬金術

  より意味深長な記述は第四章の「祭りのあと」の「中曽根の取り分五億円の処置」に書かれている。一四四頁から一四五頁にかけての記述は、「十月五日、野村証券から、中曽根割り当て分百万株の売却代金が、なんの連絡もなく、突然、榎本の回座に振り込まれてきた。このやり方には、私も首をかしげざるをえなかった。(中略)早速、私は中曽根のところに行き、金額の詳しい説明をすると同時に、中曽根に渡せる分(五億円)をどのようにしたらいいのかの指示を仰いだ。"いますぐ必要な金ではないから、君のところで、もう少し預かっておいてくれないか"この中曽根の返事には、私は少々腹が立った。彼が拝むようにして頼んできたので、私としても非常に無理を重ねて、やっとここまで漕ぎ着けたというのに、いざ金ができると、このようなそっけない返事である。あまりにも身勝手すぎる話ではないか。"とんでもない。君の金を僕のほうで預かるなどというのは、とうていできない"そう言って、私はきっぱりと拒絶した。"そうか。だったら、上和田の名で預金しておいてくれないだろうか"上和田というのは、中曽根の秘書の名前である」とあり、ここには秘書の名前を使った中曽根流裏金作りと、それまで金にガツガツしていた中曽根が、五億円に大喜びしない状況が描かれている。しかし、その翌朝の十月六日には三井銀行銀座支店において、上和田秘書官と日本学術会議事務局長の名義を使った口座が開設され、中曽根の政治資金としての五億円は預け入れられるのである。
  この殖産住宅事件と今回のリクルート事件を、青年時代の一時期にフランスに滞在して、レヴィ・ストロース流の神話の構造分析や、ジャック・ラカン流の深層心理の構造解析の洗礼を受けた、構造主義者としての私が眺めるならば、状況の背後に潜んでいる基本構造を、疑獄のモデルとして抽出が可能になる。
  東郷民安が五億円を中曽根に渡す以前に、中曽根はその金額をはるかに上回るだけのものを入手済みであり、それは日本のジャーナリズムや検察当局が追及し得なかった、ロッキード事件にまつわる対潜哨戒機P3Cがらみの収賄であることは、ほぼ確実であると言えるのではないか。二匹目のドジョウを狙ったために、中曽根は殖産住宅でのやり口を繰り返し、構造疑獄の一端を氷山の一角として露呈したようである。
  公判維持のためには先ず物的証拠が必要だ、という先入観に支配された検察当局や事件記者たちは、物的証拠という捕物帳レベルの伝統思考のまわりで、右往左往しているだけである。しかし、現代における知能犯罪のやり回や、国家権力を総動員して役人を手駒のように使う政治業者たちの悪行を、状況証拠の蓄積を突破口にして一掃するだけの、気概と勇気を持ち合わせないなら、社会の道義心の低下が経済力を根底から損なう結果をもたらすことを教えている。
  かって伊藤検事総長が「巨悪は眠らせない」という名言で、マスコミの拍手喝来を受けた時に、発言の狙いが中曽根にあると噂されたが、腰の座らない検察当局に対して警察官僚は、密かに嘲笑の声をもらしたと伝えられている。
  検察官たちが検事総長の遺言の意味を看過し、「秋霜烈日」ということばを戯れに愛誦し続けるだけなら、日本列島に生きていく次の世代の多くは、正義とはいったい何を意味するものかについて、全く理解できない人間に成り果ててしまうと思わざるを得ないのである。


 倒錯精神の危険

  専制政治というものは全体主義であり、帝国主義、民主主義、社会主義、そして、自由主義という好みの名前で幾ら自らを飾り立てようと差異はなく、権力者による専横が続いている限りは、基本構造を支配する腐敗体質が政治体制を特徴づけることになる。
  特に日本のように一党による権力支配が四十年以上も永続すれば、幾ら自由や民主を名乗ろうとも、悪い風通しの中で支配機構の空気はすえたものになる。そして、官僚機構の上層部が供応と共同謀議の慣れで、バランス感覚を喪失して放免集団化して、権力の持ち駒として飼いならされてしまうと、自浄機能がまったく動かなくなる。こうした状況においては、エリート集団が異常精神の持ち主によつて構成されることを、人類の歴史は末法時代や世紀末現象として教えているが、現在の日本を支配しているのがこの狂の時代精神である。
  そのことを拙著『アメリカから日本の本を読む』(文芸春秋刊)の一五六頁から次の頁にかけての部分で、「そして今、空洞化する産業界とカジノ化した経済環境の中で、狂気と呼ぶしかない「円高」に振り回された日本では、ナルシスト集団の饗宴の日々が、司祭政治として中曽根時代を特徴づけたのである。国際化への派手な掛け声とは裏腹に孤立化への度合は強くなり、自閉症的な人びとが好んだエリート主義は、自由社会圏における経済戦争を激化させたというのが、新体制時代の顛末である。また、生の様式としての男の友情がひとつの時代精神を構成したこともあり、中曽根首相の私的諮問グループに結集した学者の八割が、倒錯精神によって特徴づけられる人材だったという事実。(中略)さらに、この時期に三島文学に傾倒した外国の文学者たちが大挙して日本にコロニーを作り、友情に結びついた海軍賛歌の静かなブームの中で、情念の美学が文学界に浸透した。
  同性愛が時代精神を彩るにしても、このことばは現代最大のタブーである。そうである以上、倒錯精神やナルシズムをキイワードにして世界史や現代史の謎に挑み、閉ざされた秘密結社の扉を開く鍵にしたらよい」と書いた。
  現代における最大のタブーに挑んだが故に、その頭目から暗殺指令が出るかも知れない、大変きわどい章句を含んだ本書が出版された時、私はちょうど秋の東京を訪れていたが、折しもリクルート事件が燃え上がっていた。そして、宮沢叩きがマスコミ界を賑わせていたが、私の読者であるジャーナリストの多くは、この事件の本質が単なる株のバラまきだとは、拙著を読み抜いていれば考えなかったはずである。
  先の引用部分のメタファーを一読しただけで、第二臨調や中曽根首相の私的諮問委員グループに結集した、異常精神に支配されたエリートたちが、リクルート事件に関係していたと予想できる。それも、国鉄、日本航空、電々公社などの国有財産を利権化し、鳴りもの入りで大宣伝した民活のカモフラージュの陰で、収穫物を仲間のうちで分かち合おうとした時に、川崎市という権力の周辺で発覚した収賄事件の余波から、思わぬ疑獄構造が露呈してしまったのだ。また、そうである以上は、第二臨調や首相の私的諮問委員グループの顔ぶれが、最終的に企みの配役として舞台に姿を現すことになる。『中曽根ファミリー』(あけび書房刊)に登場する二一四の諮問機関や、審議会の顔ぶれを丹念にクロスチェックすれば、その全貌はたちまち明らかになるはずである。
  また、偶然とも言うべきか、私の東京滞在のある日のことだが、親しくしている日本のエスタブリッシュメントの家庭で、禁裏にも近い人を訪問して拙著を贈呈したら、本の内容について話に花が咲いた。中曽根政治と倒錯趣味についての話題になった時に、奥方が「そう言えば、お友だちの家でアルバムを見せてもらつていたら、中曽根さんが長い髪を垂らして女装している写真がありましたのよ。そこで皆で、中曽根さんて変わった趣味をお持ちなのねって噂したんです。それもカルメンのいでたちでして、実に板についておりましたわ……」と教えてくれたが、『フォーカス』あたりが耳にしたら大喜びしそうな情報だ。
  そう言えば、何年か前に『週間朝日』だつたか『サンデー毎日』だかの記事で、笹川良一が似たようなものを保管している、という発言をしたのを読んだ記憶がある。
  火のない所には煙りが立たないのだろうが、学生時代の仮装行列ならともかく、こういった病理学に属すような良くない趣味を、国政のレベルにまで持ち込まれたのでは、一億二千万の日本人はたまったものではない。政界と財界を巻き込んだリクルート事件に関連して、これから次つぎと姿を現すナルシストたちは、ある意味では気の毒な異常精神の持ち主かも知れないが、こういった腐り切った倒錯趣味や疑獄への不感症を、国政のレベルから一掃しない限りは、日本に明るい未来は訪れないのではないか。
  私は構造地質学の学位をフランスの大学で貰ったが、学士入学した文学部は中退だったし、ファシズムやナチズムの歴史や異常心理について学んだのは、政治学部や医学部のフリーの学生としてだった。それにしても、政治の中に異常心理や倒錯趣味が紛れ込むような国が、いかに悲惨な結果を招来するかについては、ナチスの歴史を通じて徹底的に学び取ったつもりだ。
  そこで提案になるのだが、ロッキード事件やリクルート疑獄の追及を担当する、東京地検特捜部の犯罪分析のスタッフとして、異常心理に精通した精神病理学の専門家を加え、世紀末の日本を地獄につき落としかねない、エリート犯罪への対策を整えていただきたい。
  政治家たちの選良意識と倫理感覚がなくなっている以上、もはや歯止めになるものとしては、犯罪病理学を徹底習得することと、児童心理学的なアプローチが役に立つと思うからである。


 代議士の分身としての秘書

  一握りの権力者たちが情報と決済権を独占することにより、国政を政治業界化している状態を指して、田原総一朗が「情断」国家と形容した点に関しては、彼の『新・内務官僚の時代』に指摘してある通りだ。そして、情断化が巧妙に完成した国に、いかにも似合わしい形で起こったのがリクルート事件であり、これは日本流のインサイド・トレードがもたらせた、大疑獄の氷山の一角である。
  株式の上場を利用して巨大な政治資金を作る錬金術は、中曽根康弘が最も得意にしていたやり口で、それは東郷民安の『罠』という本に詳述されている。そのものズバリの賄賂を受け取ると、田中角栄のように収賄罪で御用になるから、コロンビアやシシリー島の犯罪シンジケートの手口を真似て、不正に入手した汚れた金をクリーニングするのである。
  また、老檜な政治業者として熟知するノウハウは、秘書を使ってその名義で取引することで、そうすればいざという時に秘書に全責任を負わせて、自分は責任を逃れることができる。しかも、秘書は雇い人だから使い捨てが可能で、いくらでもボロ雑巾のように使ってポイである。
  リクルート株でボロ儲けをした灰色高官として、公表されたリストで自民党の重鎮代議士を整理すると、その秘書の使い振りが次のように歴然とする。
  竹下首相関係(元蔵相)
   青木秘書官……………………………三〇〇〇株
   福田私設秘書(竹下の親族)……一〇〇〇〇株
  宮沢蔵相関係
   服部秘書官…………………………一〇〇〇〇株
  安倍幹事長関係(元外相)
   清水秘書官…………………………一七〇〇〇株
  中曽根前首相関係
   上和田秘書官…………………………三〇〇〇株
   築比地秘書官………………………二三〇〇〇株
   大田私設秘書…………………………三〇〇〇株
  渡辺政調会長関係(元蔵相)
   渡辺私設秘書(長男)………………五〇〇〇株
  藤波前官房長官関係
   徳田秘書官……………………………二〇〇〇株
  加藤農水相関係
   片山秘書官……………………………七〇〇〇株
   加藤私設秘書(次女)………………五〇〇〇株
  ざっとこんな具合であり、国会を舞台に使った日本の政治業界では、ヤクザの世界で子分が親分の身代わりになり、ムショ入りするのと同じパターンが出来上がっている。そして、税金を払わないでいい濡れ手に粟の黒いカネを求めて、蔵相や閣僚時代に手口をマスターした、ホワイトカラー犯罪の名人たちで賑わっている。しかも、竹下首相以下が口裏を合わせたように、「違法ではない」とうそぶいているが、「その身を正すこと能わずんば、人を正すを如何んせん」である。為政者が政は正であると考えずに政治の要諦を見失い、上に立つ者が「してはいけないことは絶対にしない」という倫理観を喪失すれば、これは亡国路線以外の何ものでもない。特に、蔵相を歴任した渡辺美智雄に至っては、「法に触れていねえことをやつて、どこが悪いと言ぐのか」とズーズー弁でまくし立て、盗っ人たけだけしい態度で居直ったが、犯罪が実証されて起訴されないならば、政治家はどんな破廉恥なことでもやっていい、とでもこの男は考えているのだろうか。


 千里を走る政治家の悪事

  一九八八年八月十日付けの「ニューヨークタイムス」を始め、「ウォールストリート・ジャーナル」やロンドンの「エコノミスト」誌などは、日本におけるインサイド取り引きを取りあげ、「世界の常識からすると収賄だのに、日本では誰も刑務所に行かない」、「米国なら即座に首が飛ぶようなことでも、日本の当事者たちは悪いことをしたとは思っていない」、「収賄した閣僚が誰一人として辞任していない。日本は本当に大国たり得るのか」といつた論調で首をかしげている。
  われわれ海外で生活している日本人にとって、日本の汚名は自らのものと思わざるを得ないので、故国のこの醜態と悪評を実に恥ずかしいと感じてしまう。
  日本の政治業者たちは国内のことしか考えないから、出来るなら収賄事件をもみ消そうと居直っているが、情報化時代の現在は国内のスキャンダルに留まらず、「悪事千里」で伝わって行くのである。だから、国際社会における日本の信用は損なわれ、近代国家としての体面は大いに傷つけられたのだから、腐敗行為の責任を取ってケジメをつけるためにも、竹下内閣は総辞職をして国民の信任を問うべきだろう。
  われわれの祖先が伝えた「恥を知る」人間が内閣にいないが故に、天寿を全うしようとしている天皇でさえ、安心して冥界に旅立つことが出来ずに、苦痛のなかで生命力を磨り減らしているではないか。
  拙著『アメリカから日本の本を読む』の中にも書いておいたが、中曽根や竹下の如きヤクザ政治家たちに、首相の印綬を帯びさせたことに対して、白虹が帝都の上に架からなかったのが不思議でならない。
  拙著といえば私はその中で、山田正喜子の『アメリカのプロフェッショナル』(日本済新聞刊)を講評した時に、米国の証券取引委員会(SEC)の問題にふれておいた。そして、「粉飾決算、インサイドトレード、株価操作といった、日本では日常茶飯事化しているホワイトカラー犯罪は、米国では日本で想像できないほどリスキーなビジネスだ。そのベースにはコインの両面である情報公開と、プロフェショナル倫理への信頼が、バランスを保って共存しているのである。日本にはSECに相当する独立した監視機構が存在せず、そのために、ほとんどの会社が粉飾決算に近い行為をやつている。(中略)その結果、株主総会が儀式化してしまい、総会屋という珍妙な事件屋が横行する破目になり、政治家と暴力団が結びついて、日本の経済的体質を不明朗なものにしてきた」と書き、SEC的な監視機構の設立が急務だと強調した。それなくしては、世界の経済コミュニティのパートナーとして、真の信頼に基づく仲間入りはなし得ないのである。
  実際、米国のSECは二五〇〇人以上のプロフェショナルをスタツフに持ち、悪質な証券犯罪がアメリカン・キャピタリズムを蝕むのを防ぐために目を光らせている。ところが、日本にはSEC的な組織は皆無であり、辛うじて大蔵省証券局の数人の役人が、証券市場全般を担当しているに過ぎない。そして、殖産住宅事件を始めタテホ化学事件や、新日鉄事件とかリクルート事件などのように、株を使った悪質行為が野放し状態である。しかも、歴代の蔵相経験者がリクルート事件では顔を並べて、巨大なボロ儲け話に加わっていたのだ。
  また、NTT株の放出の手口を見ても明白なように、大蔵省自体がリクルート社と同罪の違法を試み、詐欺まがいの投機的な株式操作を演出して、十兆円近い資金を証券市場から吸い上げ国庫に入れたが、その直接の担当が証券局だったのである。こんな泥棒が十手を預かるような茶番劇をしていたのでは、日本が世界から信用される筈がないではないか。同じ民活でもブリティッシュ石油(BP)の株式を公開した英国は、利回りが公定歩合に見合うように価格を設定し、しかも、公平を期して一回で全株を放出している。
  ところが、日本では小出しの公開を大蔵省が行い、その設定価格だと利回りは1%に遠く及ばず、これは投資ではなくて信用詐欺の同類だといえる。仮にNTT株の利回りが定期預金並みならば、放出価格は五十万円以下のはずで、この株が世界の投資家に受け入れられるためには、PERから一株十五万円くらいが相場だが、大蔵省は十倍以上も吹っかけたのだった。
  アメリカ人のエコノミストの友人は「日本のカブト町は株式市場ではなくてカジノだ」と言ったが、私も同じ意見で三流市場のデンバー並みだと思う。いずれ東京市場は大ガラに見舞われ、NTT株も三十万円くらいのレベルで落ち着き、日経ダウも三桁台になることだろう。その時に汚れた日本の大掃除をする瞬間だと悟り、西方浄土の方角に立った大きな虹が、限り無く透明に近い白光で包まれていると気づいたのでは、余りにも情けないと言えないであろうか。



  歴史の証言 リクルート疑獄(その2)

 事件を囲むタブーの砦

  リクルート疑惑は時間の経過と共に新しい展開を遂げ、国民の前に隠れていた氷山の一角を次つぎに露呈して、高級官僚や政商的な経営者たちの間から、逮捕される者が続出し始めた。自民党の派閥連合として反主流派もない体制を作り、小手先政治でこの世の春を謳歌してきたが、国民の信頼の喪失と戦後最低の内閣支持率で、竹下内閣は遂に空中分解してしまつた。しかも、首相が退陣表明の記者会見をした直後に、リクルート社から一億円以上の献金を受け取っていた、首相の金庫番で経理担当の青木秘書が首つり自殺した。
  それでなくても奇妙な事件だという印象を伴って、事件が少しもすつきりした形で解明が進まないのは、それなりの理由があってよさそうだ。ジャーナリズムや政治家たちが口を喋み、時たま奥歯にものが挟まった発言をする裏には、黒い霧の元凶に脅える共同体心理が働いているものだ。しかも、その背後には誰もがふれるのをためらうような、その時代における最大のタブーが関係しているのが世の習いである。
  特に、権力者がタブーに守られてしたい放題をした場合には、タブーに接近したという行為だけで、社会から葬られたり命を奪われることも多く、こういう事件では多くのジャーナリストや関係者が、謎に満ちた状態で姿を消しているのであり、首相の秘書の死はその始まりを意味しているのだろうか。なにぶんにも秘書は男が担当する女房役であるし、金庫番となると汚い金の動きに関与するから、ヤクザ的な政界の裏面との接触も多いので、タブーの世界と紙一重の位置にいると言えるのである。
  川崎市の助役がリクルート社のビル建設に関連して、便宜を計った見返りとして株を受け取り、それが巨額のワイロだったことが収賄事件として発覚し、それを口火にしてリクルート疑獄の煙りが立ちのぼった。この段階で汚職容疑で内偵していた神奈川県警に対して、元警視総監で中曽根内閣の法相をやった秦野章が、圧力をかけて捜査を中止させようとしたほど、リクルート社の自民党中枢への浸透は強力だった。それは本命の中曽根前首相は言うに及ばず、ニューリーダーと呼ばれる竹下、宮沢、安倍などの幹部が、ワイロ性の強い金を一億円以上も受け取っており、その事実がここにきて続ぞくと発覚していて、川崎という地方都市での汚職は駒を生んだ瓢箪になった。
  もし、川崎市でこの収賄事件が発覚しなかったら、今頃はリクルート疑惑などは存在せず、竹下内閣は大いに安泰でこの世の春を楽しみ、経済援助の美名の下に世界中で血税をバラまき、政治的無能力を札束の威力で抑え込む竹下流の買収外交として、撒ける金がある限りは順風に乗っていたかも知れない。しかし、リクルート事件は首相の秘書の自殺で新展開を見せ始め、女房役の秘書が金庫番であった事実に注目すれば、平和相互銀行の吸収合併が最大の政治資金作りの仕掛けだから、「死人に口なし」でうやむやになるか時限爆弾になるかは、今後の成り行きにかかっているのである。
  それに、竹下首相と自民党は内閣を犠牲にしながらも、中曽根の国会への喚間という簡単なことを、なぜ全力を挙げて阻止したかという疑間に対して、誰も未だはっきりと答えていないのである。
  すでに江副や真藤を始めとした幾人かの当事者は起訴済みで、これから本命の巨悪の砦に包囲網が絞られていくはずだが、今の段階は未だほんの序の口であり、竹下退陣程度のことで気を緩めてはいけない。それは造船疑獄の教訓がはっきりと示しており、戦後最大と言われたこの疑獄がたとえ忘却の彼方にあっても、もう一度それを思い出す必要があると言えるのである。


 造船疑獄の教訓

  造船疑獄の発端は川崎市の助役のワイロに似ていて、伏魔殿の天守閣とは程遠いところで始まり、小さな船会社の重役が会社の金を着服したという、ありきたりの公金横領事件が火種だった。そして、次の段階で丸の内や霞が関に飛び火して、最後に国会や自民党本部のある永田町や平河町で、大火事として燃え上がるパターンを持っていた。
  造船疑獄では百人近い財界人が逮捕され、自由党の佐藤幹事長と池田政調会長が収賄していたので、逮捕されるばかりになった時に、悪名高い指揮権発動という暴挙ですべてが雲散霧消した。そして、自民党としてはどんな大赦でも消すことが不可能な、永劫に残り続ける犯罪記録を作ってしまった。
  この例において既にはっきりしている通り、過去の歴史に似たような事件を体験しているし、なぜ巨悪を取り逃がしたかという苦い経験があるから、今度は同じヘマをしないことが肝要だと、ジャーナリズムや検察当局は新たな覚悟が必要だ。なぜならば、高辻法相は指揮権の発動を気軽に口にすることで知られ、指揮権発動がいかに国政と民主主義の破壊とに結びつき、その根幹に触れるものであるかを知るならば、それを軽率に口にする人間は信用が置けないことを、造船疑獄の教訓が示しているからである。
  リクルート事件が造船疑獄に似た構造疑獄であり、腐敗した政治家と高級官僚が職務権限で関与し、当時の文部次官や労働次官が既に逮捕されている。だから、国会議員や閣僚の逮捕を予想するのは、乱れ飛んだ札東や利権の内容からして、それほど難しいことではないだろう。それにしても、現在の段階において、これが奇妙な疑獄だと言わざるを得ないのは、マスコミ界で取り沙汰されている問題と、事件の本質が肉離れした形で進行していることだ。現金で自腹を切らないでワイロを支払いながら、株券を領収書の代わりに利用している点を考えていないし、リクルート事件はNTT事件かスパコン事件と呼ぶべきだが、国民は事件の核心が巧妙にすり替えられているのに、それに全く気がついていないのである。
  なぜであろうか。それは疑獄としてのリクルート事件は、民活の一貫として国有財産の払い下げに関係し、中曽根内閣時代の犯罪と不始末の数かずが、内閣交替を機会に次つぎとボロを出したものだからだ。しかも、初期の段階から本命は中曽根康弘だと言われながら、これまで一年も時間が経過したというのに、中曽根城の天守閣からは全く遠い場所で、火が燃え煙りが立っているにすぎない。
  ここに来て風向きが本命の方向に変わり、中曽根召喚についての紛糾が命取りになり、竹下内閣が腰砕けで崩壊するに至ったし、あれだけ目立ちたがりやで芝居っ気の強い中曽根が、ここにきて存在を顕示するのを抑えているのは、一体なぜかという点に着眼するならば、リクルート事件の真相の半分が解明できたと言えるのである。
  リクルート疑獄は面白いほど犯罪心理学の教科書通りに進み、リクルート社関連の未公開株の譲渡にまつわる、与野党を巻き込んだ政治疑獄を暴き出したが、株券が領収書の代わりだったのは興味深い点だ。特に、松原社長室長が札束を持って楢橋代議士を訪ね、国会での追及をワイロで抑えようとし、その現場をビデオに撮られるというヘマを犯して、地検に告訴されたというハプニングがあったために、物証主義の検察当局は本腰を入れなければならなくなった。
  それまで明電工事件や撚糸工連疑獄などで、中曽根がらみのスキャンダルを追った特捜部が、政治権力の圧力ために途中で挫折させられ、当時の伊藤検事総長の巨悪発言を空手形にしている。だから、未公開株のリストまでが現れたので、法治国家の番人のメンツを賭けるラストチャンスとして、検察は追及せざるを得なくなった。なにしろ、株式上場の株分けを使ったワイロ工作は、政界、財界、官界、学界、言論界などを巻き込んで、日本全体が金狂いに陥っていることを露呈した上に、陰湿な地下の結社集団の存在を浮上させたからである。


 政界におけるセイジごっこ

  リクルート社はお祭り騒ぎが好きな仲間意識に支えられた、女性的な企業文化を持つミーイズム集団だと言われ、性の平等化が目覚ましかったと指摘されるが、このユニセックシズムの心理現象で塗り込めて、政治行為に一般化したのが中曽根内閣だった。
  発足した当初の内閣は田中角栄に手綱を取られて、日白台の顔色で動く「田中曽根内閣」と呼ばれる哀れな存在だった。それは総理大臣の犯罪の罪を軽くするために、その任に当たるとは誰も考えていなかったのに、中曽根は闇将軍から首相に指名されていたからだ。
  しかし、権力に慣れるに従い面従腹背が目立ち出し、独宰官への憧憬を権力機構に反映すると、首相の私的諮問委員会が派手に動きだして、実質的な無視による国会の骨抜き化が進行した。委員家業でタカリ癖のついた学者や評論家は大量にいたので、大平首相が総裁時代に作った「総理の政策研究会」の諮問委員の中から、めぼしい顔ぶれを集めて矢継ぎ早に作ったのが、中曽根流の首相の私的諮問グループだった。
  従来のものは私的集団の自民党の総裁が、党レベルの総裁の私的機関として設置したのに、自民党総裁が日本国総理を兼任するのを利用して、中曽根は審議会もどきの私生児を乱造し、審議会並みの権限を勝手に与えると、国会での公式な審議を回避する目的で、この私生児に行政行為を実行させたのである。
  これは憲法に決められた議会制度の否定であり、昭和のファシズムと呼ばれた戦前の軍国主義の時代でも、こんな暴挙は行われなかったのに、奢りに支配された中曽根はそれを敢行した。政府関係の諮問機関は国家行政組織法第八条に基づいて、国会の承認を必要とする正規の審議会と、法律や国会に拘束されない私的なものがある。中曽根は私的なものを正規なものに見せかけ、何億円もの税金を使って茶坊主集団に対して、鼻薬としての小遣いを与えながら政治を聾断した。政治のルールが首相の趣味のためにこれほど乱れたことは、明治以来の日本の憲政史を振り返ってみても、かって前例を見ないほどのものであった。
  実際問題として、首相が自分の好みに合った追従者達を集めて、適当な口実で個人の満足を満たす上で利用したというのに、その費用は首相のポケット・マネーではなくて、各省庁の予算という血税で賄われていたのである。例えば、高坂正尭京大教授を座長にした「平和問題研究会」は、一九八三年(昭五八)八月に発足しているが、一年余りの間に八千万円ほどが総理府の予算から支出されていて、委員は旅費や宿泊費の他に二万円の日当を受け取っている。
  瀬島竜三や佐藤誠三郎のような十以上の委員会に顔を連ねる常連は、その収入の方が本業の給料を上回る月も多く、乞食と政府委員は三日やったら止められないと、口の悪い連中から妬まれる種を作るほどだった。しかも、やっていることの多くは、中曽根がそうしようと考えたことを受け、意向をそのまま反映させて格好を作るだけの、愧儡としての役割を演じたに過ぎないのだ。要するに、その頭脳が役に立った訳ではなくて、お殿様の言いなりになって身も心も捧げ尽くし、学術用語を使って春の歓楽をもてなす、象牙色の肌を持つ今様の白拍子として、彼らは集められていたに他ならないのである。
  こうした殿様の道楽が過ぎていることに対して、参議院内閣委員会の調査室長は東京新聞の記者の取材に答えて、次のような興味深い発言をしている。
  「歴代の首相の私的諮問機関は、一内閣一機関にほぼ抑えられ、行政の前面に出るケースは少なかった。中曽根さんの場合は質が異なり、明らかに正規の審議会と同じ役割を果たしている。意図的とは思わないが、脱法行為であることは否めません。」
 高島易断神聖館の高島龍峰館長は首相時代の人相を見て、目の冷たさにはずる賢さが現れていると喝破しているので、中曽根のやり回は意図的だったに決まっているが、私的諮問機関を悪用して、彼一流のやり方で議会制度を骨抜きにするクーデタを試みたのが、中曽根時代の政治を特徴付けた、乱造私的諮問委員会の実態だったのである。
 有能な頭脳を動員してよりよい国政を実現するのなら、ブレーン政治も悪くはないだろうが、エストロゲンで体がふっくらと丸みを帯び、首相好みの餅肌の中年学者や評論家を集めて、セイジごっこに現を抜かされたのでは、納税者としてはたまったものでないのである。


 三島事件の教訓

  法的には全く根拠を持ち合わせない集団を、首相の私的諮問機関と名付けて飼い馴らした弊害は、議会軽視と政治不信を助長したが、それを破廉恥にも外交の場にまで持ち出してしまい、中曽根の個人的な願望に合わせて宦官集団が作文したものを、まるでわが国の基本政策であるかの如く扱ったために、自民党内で大紛糾したのが前川レポートだった。これは数ある私的諮問機関の一つとして、一九八五年(昭六〇)の十月に発足した「経済構造調整研究会」のレポートで、座長が前川春雄前日銀総裁だったために、政府は前川レポートと称したものの大宣伝をした。
  内容は首相好みの奇麗事の羅列に過ぎず、国会での審議に欠けた民意とは無関係のものだが、それを独断で対米外交の公約に使ったので、自民党内にも批判の声が高まったいわくつきの私的レポートであった。
  思い付きに従ってその場逃れに終始して、自分だけは常にいい子で居ようとする中曽根政治の実態は、同じ自民党でも古手の政治家達には、胡散臭さを強く感じさせたのである。彼らはダテに国会議員をしてきた訳ではなく、永年に亘って築いて来た党の存立基盤を損うものに対して、お目付役として時には立派に機能するのが、自民党のオールドリベラリスト議員の良い所でもあった。
  彼らが教訓的な例として明確に覚えていたのが、一九七〇年(昭四五)十一月の三島事件である。
 イタリーの民族的英雄で詩人だったガブリエレ・ダンヌンツィオに憧れ、学習院の文学少年時代から死の瞬間まで、徹底的なコンプレックス心理を持って模倣に徹して詩人に献身した余りに、遂には本格的な性倒錯者の仲間入りをした三島は、イタリーの永遠の恋人に焦がれ死にをした。
  同時に、彼を裏切った日和見主義者への面当てとして、しかるべき地点を死に場所として決定すると、彼は愛刀の「関の孫六」を使って自刃したが、そこが市ヶ谷の自衛隊東部方面総監部だったのは、中曽根康弘が防衛庁長官だったからである。
 中曽根は文官的な宦官学者を私兵に仕立てて、日本の議会制度をいびり殺そうと試みて、日本の民主主義が死の苦しみで足掻くのを、首相官邸の中で快感として味わったらしいが、武力蜂起によるクーデタを指向した三島の倒錯の美学は、それに十年も先立って楯の会という私兵集団を組織して、玉砕戦術に死の快感を感じていたのだ。戦争の推進力を一種の性的妄想と理解した三島は、政治とエロスの関係を戦いの場で一体化して、絶対者への服従にマゾヒズムとサディズムを感じ、その種の突き詰めた狂気をナルシズムに体現していた。
 共通の倒錯精神を持つ中曽根は三島の戦法に口では共鳴し、物心両面から支援をしたといわれている。しかし、それはアメリカからの外圧に虐げられ、日本国が呻吟し産業界が悲鳴を上げたのを放置し、却って被虐的な快感を楽しんだだけでなく、平和国家として蘇った戦後日本に対しては、総決算と称して苛め加虐的な快感に陶酔していたが、これは中曽根流のナルシスト的なSM趣味に基づく友情の一種かも知れない。
 それは政治家として日本国に対しての裏切りだが、ナルシストとして自分だけが可愛い中曽根にとつては、自分のために他のあらゆるものが犠牲になるのは、矛盾ではないし痛くも痒くもないのだ。だから、配下の陸将補が三島の決起に呼応して、自衛隊員を引き連れて参加するのを内諾していたのに、責任を取るのが怖くなった風見鶏の中曽根は、土壇場で翻意すると三島を裏切ったと言う人が多い。
 だから、三島の死は片割れに裏切られた情死であり、残った方は位人臣を極めて宰相の印綬を手に入れ、官房機密費を使って茶坊主遊びを楽しむことも出来た。そのお仲間が昔とった杵柄の海軍の中級士官出身の財界人や官僚とか、権力に擦り寄る心の卑しい小姓志願の学者だとしたら、政治がまともに機能するはずがないのも当然だろう。
 しかも、首相という公的な立場と政治権力を利用して、公的な国家の機能の私物化が進み、自称国家主義者が国家を食い物にする時、そこに亡国の音が響き渡ることになるのである。


 東京のベルリン化と国家機密の流出

  立花隆が『文芸春秋』誌に執筆した田中金脈の記事が、飛ぶ鳥を落とす勢いの田中政権を崩壊させた、と一般に広く信じられている。だが、それは事実の一端を示しているに過ぎず、致命傷を与えたのは外国人記者クラブでの質問であり、外国の特派員の金脈事件についての質問に対して、田中首相が追及をかわし切れずに自滅したのである。
 そのことを肝に銘じて感じた中曽根首相は、日本の新聞記者は幾らでも誤魔化せても、外国系のジャーナリストの鋭い問題意識の前では、正面からの追及でボロが出ることを恐れて、幾ら招待されてもいつも口実を作って逃げ、外国人プレスクラブでの記者会見を承知しなかった。後ろめたいことが何もないのであれば、特派員と会見して政策を説明するチャンスだのに、中曽根首相はお気に入りの特定記者と会うだけで、公的な会見を全力を上げて回避し続けた。これは有楽町のプレスクラブの理事をする特派員たちが、何人も私に繰り返して言っていた話である。
 こういったメンタリテイの背後には異常心理が潜み、茶坊主的な取り巻きをブレーンに使ったのと同じで、倒錯的な仲間意識に支えられた共同感覚と、密室政治の陰湿なパターンが読み取れる。現に、中曽根首相を取り巻いている新聞記者の多くは、同じ特派員仲間でも眉をひそめる趣味の持ち主で、有楽町の電気ビルのエレベーターの中でも、男同士で手を握り合っているタイプに属しているそうである。
 外国の諜報機関はこのタイプの人間を送り込み、重要な国家機密を盗み出すことが多く、それはMI6やCIAのケースで良く知られているが、最近ではモサドが活用する手口として有名だ。そして、日本人はこの手口に余りにもナイーブであり、中曽根内閣の周りに群がっている人間には、この種のいかがわしい者が特に多いという話を、東京に行く度に読者の特派員たちから聞かされたものである。
 一九三〇年代のベルリンは放埒な悪習が蔓延した都市で、手軽に享楽を味わえる放蕩の町として、倒錯趣味の人間を相手にした施設や出版物が氾濫し、不倫と贅沢趣味が時代精神になっていた。同時に、国家の最高指導者のヒトラーが倒錯趣味で、ナチスの組織が異常精神に支配されていたから、支配と服従を体現するサディズムとマゾヒズムが、政治を情念とヒステリーで彩っていた。
 それに似た異常興奮の熱気に包まれたのが、中曽根時代の東京の雰囲気であり、このお祭り騒ぎの享楽と投機熱を求めて、奇妙なコスモポリタンが日本に集まったし、同類の日本人がメディアの上で浮かれたのである。
 このような倒錯人脈のルートを通じて、国策を決定する上で重要な多くの国家機密が、外国筋に流れたのではないだろうか。それは戦時中のゾルゲ事件の教訓からしても、十分に予想することが可能であるのは、審査基準のない諮問委員の中に外国の下請けもいて、首相官邸は言うに及ばず赤坂や紀尾井町でも、待合での密談や霞友会館での会合の内容は、たちまちその筋のネットワークを通じて流れ、よその国のデータベースに組み込まれてしまい、日本の安全は損なわれてしまうことになる。
 奇妙な趣味が権力と癒着して時代精神が狂えば、首相官邸での決定や国家機密に相当するものが、責任ある地位にいる者たちの見識の欠如で、価値ある情報として他国に大盤振舞いになったり、代償と引き換えに便宜と置き替わっても、少しも不思議なことではない。
 それと全く同じパターンが国内で実行され、自民党の執行部とリクルート社の間で露見し、政府委員の地位や政策決定の取引として、株のばら撒きの形でスキャンダル化したことを思えば、未だ露見していない悪質な不正の数かずが、よその国の各種組織との間に存在してもおかしくない。現に、中曽根内閣の閣僚や自民党の執行部のほとんどが、何の罪悪感もなくリクルート社や江副から金や株を貰い、国の知的所有権や便宜を切り売りしているのだ。これは自衛隊の機密漏洩とは重大性で桁違いであり、末永陸将補事件の何万倍もの打撃を国家に与えている。こういう乱行による国家機密の切り売りを、昔の人は売国行為と呼んだはずだし、たとえ現金ではなくて株券で受け取ったにしても、背信が民族の運命を根底から損なう以上は、これは売国行為そのものだと言わざるを得ない。スパイ防止法が必要だと騒ぎ立てる議員が多いが、体制の中枢にいる首相や閣僚が国益を切り売りし、それを私益に還元しているのだとしたら、一体どうやってそれを防ぐと言うのだろうか。
  国家の中枢部から機密が流れだし、権力者のほとんどが倫理感を喪失していることは、亡国現象の最たるものであり、幾ら資金を投入して軍事力を強化しても、内部から腐っていく以上は救いが無い。この内部を腐食する国家の敵が、極左勢力のテロリストだと考えて、日本の警察機構を公安警察主導型に改造したのだが、気が付いて見たら敵は本能寺にあって、国家を食い荒らしていたのは権力者達で、首相以下の代議士や高級官僚が供応や買収で頂かれていたのだ。そして、六〇年アンポ以来の過去四半世紀にわたって、ひたすら公安と警備の増強に励んで来た結果、逆に警察の刑事部門は弱体化してしまい、三億円事件、グリコ・森永事件を初めにして、犯罪面での無力さは目立つばかりである。それは警察官僚が権力指向になり、出世と支配力の魔力に捉えられてしまい、本当の公安と安寧の意味を忘れてしまったからである。


 警備警察が果たした特殊な任務

  五五年体制はアンポ事件の教訓で警備警察を充実したが、その典型は総務庁長官として官僚に睨みを利かせ、同時に、官房長官として内閣の手綱を取る後藤田正晴であり、彼は中曽根内閣の舵取り役を演じていた。後藤田は警察庁の長官から田中の用心棒になり、中曽根を助けるのではなく監視する目的で、ナビゲーター兼お目付役として送り込まれ、乱行にのめり込みがちな権力の体現者を、側面から巧妙に誘導しているのである。
  国家の番犬役としてかつて警察力を統括し、しかも、田中角栄の懐刀として監視役を呆たした後藤田は、カミソリの鋭さで国政を切り回しながら、田中が法廷闘争で忙しくしている間の御目付役の任務を託され、留守番家老として中曽根の長期政権を支えてきた。自己顕示癖が強くて大言壮語の弊害があるが、強者には無条件で追従する性格の中曽根は、弱みを威嚇出来る扱いやすいタイプの権力者に属している。
 だから、弱みを握っている限りは操縦がし易く、その手始めにしたのかどうかは分からないが、元内調の調査員だった外交官による情報だと、中曽根内閣が誕生する前の総裁選の段階で、内閣調査室にあった中曽根康弘のファイルが紛失していて、その資料は後藤田が握る所になったらしい。当然、中曽根についての全情報は目白台に届いており、弱みをすべて握っているつもりの田中角栄は、ロッキード事件を政治力で無罪にしうると安心していた。
 それに、後藤田機関と呼ばれる警察の情報網を使えば、中曽根についての珍聞奇聞が幾らでも集まったから、真夜中の事務所で鬘を前に悦に入る光景や、キャンバスだけでなく体に絵の具を塗って、得意にシャンソンを口ずさむ報告を受ける度に、目白台の大将はさぞ胸糞悪い思いをしたに違いない。
 中曽根の最大の欠点は軽率な点であり、それを作家の平林たい子は「中曽根という人はカンナ屑のようにペラペラ燃えすぎる」と形容しているが、思い付いたら突っ走って我慢が出来ないから、それを慌て者は中曽根の実行力と錯覚してしまうのである。
 後藤田にとって最も気がかりだったのは、中曽根の複雑で奇妙な交友関係であり、友達との付き合いになると前後の弁えが無くなるから、首相好みの餅肌秘書官を牽制するために、警官から選び抜いた屈強な人間を張り付けたが、問題は中曽根が住んでいる野球の長島から借りた家だった。世田谷区上北沢の長島邸は鉄筋三階建てだが、長島が巨人軍の監督を降ろされた秘密は、試合に勝利するために有能な選手を結集して、彼らを戦力として上手く指揮しなければならないのに、長島にはそれが困難だったのが原因だそうである。
 政治のように汚れているビジネスとは違い、野球は病的な悪癖に対して実に厳しいものがあり、人気稼業にはスキャンダルが致命傷だから、それがゴシップ化しないように苦労した話を、かつて読売のトップから聞いたことがある。それでも、王監督による巨人軍はファンの満足を勝ち取って、読売は売り上げを落とさないで済んだのだった。
 その後としては、長島は自分の性格に似合わしいモデル稼業に転身し、駅に並ぶ商品ポスターに不思議なスマイル写真を連ねて、モナリザ張りの謎の微笑を投げ掛けているが、心理学者の平安女学院の上野千鶴子助教授の説だと、あれはナルシストの淋しい微笑だということになるらしい。中曽根も長島も共にナルシストの傾向が強く、素人向きで力量を懸念されている二人だから、つまらない噂は摘むのが最良だという訳で、別の側面からのスキャンダル予防工作も進み、商法改正を機会に後藤田の統制が厳しくなった。そして、この方面の情報は完全にカットされて、政権担当時代は大きなボロを出さずに済んだのに、リクルート事件で江副や真藤だけでなく、株を受け取っていた顔ぶれのリストから、小姓人脈や側近グループの名前が続ぞくと登場してしまった。


 鬘趣味と江副の女装七変化

  文芸春秋社から出版した『アメリカから日本の本を読む』の中に、私は「日本ではナルシスト集団の饗宴の日々が、司祭政治としての中曽根時代を特徴付けた。(中略)中曽根首相の私的諮問グループに結集した学者の八割が、倒錯精神によって特徴付けられる人材だったと言う事実」と言った指摘をして置いた。すると、これを東京に行って話題にした時、日本の最上流の家庭の奥方が教えてくれた話に、中曽根が長い髪を垂らして女装している写真があり、それがカルメンの姿だという情報だつたから、このエピソードを「加州毎日」新聞の記事に書いた所、情報紙の『インサイダー』が日本国内に紹介した。そのために、日本から国際電話が沢山掛かり、週刊誌や新聞記者と情報を交換し合ったが、多くのジャーナリストやルポライターが注目し、中曽根、江副、鬘と言う奇妙な組合せに関心を持って、わざわざ高い国際電話を使ったり、中にはロスまで取材に来た人まで出現した理由は、ここに突破口があると感じたプロとしてのカンがあつたからだろう。私が「加州毎日」に書いた記事は中曽根の鬘姿だったが、東京からの情報は江副と鬘についてのものが多かった。最初の頃に江副が雲隠れして入院した時に、鬘を付けた変装で外部と連絡したことは有名だが、それ以前から彼には鬘を付ける趣味があり、その後にも、岩手から女装して東北線で上野駅に到着した所を、週刊誌に証拠の写真を撮られている。
 また、中曽根が財界から寄付を集めて作った「世界平和研究所」には、リクルート事件で世界的に名を上げる以前の段階で、事業家の江副浩正が女装で時どき出入りしたと言われている。ある新聞の社会部記者の話によると、世界平和研究所は女装趣味をもつ集団の拠点らしく、この研究所を地検が家宅捜査すれば、ダンボールに幾箱もの女装用の鬘が押収できそうだ、という実にうがった珍説まであるそうだ。それに、中曽根が行った弁明記者会見によると、中曽根が江副と公式に会う時には、いつも奇妙に演出家の浅利慶太の同席があるが、演劇は鬘のコレクションの宝庫だとすれば、リクルート事件の別の側面は鬘コネクションではないのだろうか。
 そのような状況分析が始まった段階で、NTTの真藤会長が株式受領で浮上して、急速度で逮捕から起訴に移行したし、中曽根に影のように付き添う瀬島竜三が、NTTの取締役で相談役であることが注目されており、これも事件の見落せない隠れた鎖の環である。最初は否認していた真藤が観念して、事前共謀と村田秘書の工作を供述した理由は、検察当局が江副と真藤の特殊な関係について、何か確証を握ったことが重要な決め手らしい。
 かって写真雑誌「フォーカス」を舞台にして、女の写真をめぐって中曽根と江副の嫉妬に基づく暴露合戦が起こり、そこを突破口にして追及した地検は、江副、真藤、中曽根の三角関係について何かを探り当てたようだ。それを掘り起こされると政経官界の恥部が露呈し、支配体制は崩壊しかねないので、たとえ竹下内閣を潰しても中曽根の召喚を防ぐと言うのが、体制防御総指令官の後藤田が下した最終的な決断であり、それを自民党執行部が承認したということである。
 それにしても問題はまだ色々と残っているのであり、児玉誉士夫、三島由起夫、小佐野賢治、長島茂男、瀬島龍三、江副浩正、高坂正尭などの中曽根康弘を囲んでいる顔ぶれには、将来の或る時点で精神病理学の専門家の手によって、詳しい分析が行われた時に初めて明らかになる、実に興味深い共通の病症例が観察出来るそうである。
 江副は物心身の全領域で中曽根と真藤の稚児役であり、それは日本のエスタブリッシュメントの、歪んだ部分の小姓とピエロ役を演じていたが、リクルート事件で一番分り難かったのは、株のやり取りと利益金の保管を秘書が関与して、当事者達は一切知らないというパターンの横行である。しかし、議員や経営者の年間給与を上回る金額を、卑しい日付きで金脈漁りに明け暮れ、パーティー券を売り歩く人々が知らない訳がない。
 それは元議員秘書たちを取材すれば明らかになるが、秘書の役目は雑用担当の男の女中である。万一の時は御主人の身代りとして、罪を背負って切り捨てられるが、時には、名代役を果たす責任も与えられている。秘書は一種の女房役だから、繊細な配慮に長けている必要と、主人の代理役として見せる決断力も要り、秘書役に向いた人材は二重人格と倒錯精神が重要である。
 こうして、主人と秘書の間に奇妙な友情が芽生え、けじめの訓練が出来ていない人間だと、そこから奇妙な倒錯感情に支配されて、遂には生死を共にしかねないほどになり、泥沼の愛人関係に発展してしまう。これは封建時代の殿様と小姓の関係と共通で、支配と服従の複雑な二重関係から、サディズムとマゾヒズムが共存になるのであり、軍隊やヤクザの感覚と共通だと言われている。そして、こういう異常な心理状態が支配的になると、狂態が常態として罷り通って、何が異常だか分らなくなってしまうのである。
 親しい友人で国会議員の経験が長い人の説だと、自民党議員の三割は秘書官と疑似愛人関係にあり、それが拡大すると派閥の愛憎関係に転化するから、派閥は政治とエロスが一体になったものだそうだが、呆たしてこの話は本当なのだろうか。



  歴史の証言 リクルート疑獄(その3)

 雲散霧消のリクルート疑獄

  連日にわたるトピックスとして騒ぎ立てていたのに、一九八九年の五月末に検察庁が捜査打ち切り宣言をした途端に、日本人はリクルート疑獄について考えるのを忘れたらしく、疑獄事件はもはや存在しなかったように見えるほどだ。はっきりとした歴史的な総括をするのが苦手で、すべてを「台風一過」のように考えて、同じパターンの疑獄の繰り返しが民族性を特徴づけているが、それにしても、今度は些かボケが過ぎていないだろうか。
 あれだけ悪質な政界の買収と疑獄が発覚して、金権に汚れた政治業者の奢りに満ちた生態が、いかに虚飾に満ちたものかを露呈したのだから、汚染されていた自民党と政府の首脳だけでなく、それを支えていた腐食構造の全体を切開して、きちんと結末をつけて欲しいものである。
 こうして戦後四十年続いてきた一党独裁が、権力者達だけにとって都合の良い、至ってインチキな支配機構に過ぎないと分かったのに、残念なことに、日本では東ドイツやハンガリーで起こっているような、政治の行き詰まりの根本的な大掃除は始まりそうもない。
 それは飽食に酔って感受性を麻痺した国民と、記者クラブ制の安易な取材態度に慣れた、日本のマスコミ界の弛んだ社会正義への感覚が、リクルート事件の追及を中途半端なものにしたからだ。しかも、日本国内で収賄事件として騒ぎ立てられた報道が、リクルート疑獄の一部分に過ぎず、日本人は事件の本質と全体像について、余り知らされないままだというのが実態と言えるのである。
 日本の書店にはリクルート事件を扱った単行本が並んでおり、その数は十指に余るほどだと言えるが、それらの全部を懸命になって読破しても、リクルート事件の始まりがはつきりする保証はなさそうだ。
 それはラスベガスのハマコー博打リベート事件が、賭博ツアー同行者にメディア関係者が居たために、うやむやになって深追いしなかった時と同じで、自己告発をする勇気のないマスコミ界と、戦後政治を情報操作と利権誘導で動かしてきた、日本の警察当局の体質が深く関わっているからだ。特にリクルート事件の場合は汚染がひどく、メディアの人間が株を買ってかなり利益をあげ、収賄の政治家と同じ立場にいるから、仲間を撃つ感じで筆がにぶるのかも知れない。
 新聞に公表されたリストを眺めても壮観であり、メディア関係の人間がずらりと並び、役職ともらつた株数を比較してみると、所属していたメディアの悩みが伝わって来るし、疑惑追求の声が細くなるのも分かるような気がする。

  森田康(日本経済新聞社長)
  丸山巌(読売新聞副社長)
  照井保臣(フリージャーナリスト)
  歌川令三(毎日新聞編集局長)
  丸山雅隆(「財界」主幹)
  村田博文(「財界」編集長)

  利害が直接に結びつかない民間人であるならば、株式の購入は何もやましいことではなく、貯蓄の一種として認められるべきだと思う。また、仮に江副の古い友人でお祝に株主になったというのなら、最低数の千株をお祝儀として現金購入したのであれば、日本は資本主義の国だから個人の自由だが、それでもジャーナリストには職業倫理が必要である以上は、軽率だったと言わざるを得ないだろう。責任の取り方は色いろあるだろうが、ジャーナリストとしては失格だったことは疑いなく、同じことは政治家や役人にも言えるはずだ。昔から「李下で冠をたださず、瓜田で靴をいれず」と言うが、情報時代の現在は情報操作が行われるので、大いに用心することが必要になるのである。


 情報操作とグレイ・ジャーナリズムの横行

  一九八九年春の日本では中曽根の証人喚間の実現を要求したが、応じない中曽根のために国会の審議が完全に停止し、世論も卑劣な「ミスター巨悪」の態度に怒りを示した時に、奇妙にも竹下や安倍の疑惑が各紙の一面を飾った。これは検察当局の捜査を告げる情報に対抗するために、警察庁や警視庁筋の公安情報のルートで、警察出身の自民党代議士の口を通じて、情報がタイミング良くリークされ、情報操作が試みられていた分かりやすい例だが、それを指摘したジャーナリストは皆無だった。
 警察や業界紙などが奇妙な情報を流して、特殊な目的を実現しようとするのはよくあるが、日本人の純朴さを逆用して意図的な操作をしかねない点で、知能の高い権力者には注意が必要である。
  情報メディアを武器に使いユスリやタカリを行う手口は、洋の東西や何時の時代でも存在しており、そのようなビジネスをシンボライズして、人はブラック・ジャーナリズムという言葉を作り出している。補助金や協賛金を稼ぎ出すのを目当にして、それが丸見えの提灯記事専門の業界紙から、恐喝まがいに醜聞のスッパ抜きを専門にするものまで、さまざまなメディアが世の中に存在していて、ある人にはそれが生活の糧になっていたりする。
  カリフォルニアの日系企業のトップと話すと、「最近の見返りは提灯記事や対談相手で、大分お手柔らかになりましたが、かつては広告を出さないと悪口を書かれるので、日系企業を相手のビジネス・ニュースを謳った、ロスで出ているタブロイド版の新聞には、随分とお賽銭を払わされたものです。これもブラック・ジャーナリズムの海外進出でしょう」という話がよく話題にな ったものだが、この点で日本はメディア活用の技術では、先進国に属しているのである。
  このテクニックをもっとスマートな形でビジネス化し、文化的な衣の中に情報をソフトに包み込み、特に日経連と経団連の強い支援を受けて、カルチュア・メディアとして財界と緊密に結んできたのがサンケイ新聞である。共産党員から戦後に転向した水野成夫を先陣にして、視聴率に命を賭けた鹿内信隆流の院政は、財界切り込み隊長として一時代を画したが、同じ新聞メディアとしては「朝日」や「毎日」には較べようもなかった。また、急進撃の「日経」や「読売」にもはるかに遠く、ローカル・メディアの「東京・中日」や「TBS」グループの後塵を拝して、どうしてもサンケイは泥臭さを払拭し得なかったのは、日経連と富士銀行がスポンサーだつた出生の秘密が関係している。
 それでも、この泥臭さは事件記者魂の育成に貢献し、『日本の危険』(東明社刊)に紹介したように、かって幹事長時代の中曽根が築地署管内で交通事故を起こし、ソ連大使館の情報官と同乗していたというスクープを行い、中曽根とKGBの関係を予想させるベタ記事を書く、骨っぽい社会部記者もサンケイ新聞には健在で、その辣腕記者振りが評判になったりもした。
 そのベタ記事には日本の政府高官と書いてあつただけだが、記事がでた後で新聞社に電話がかかり、政府高官とは一体誰かと尋ねたので、電話の主にあなたは誰かと聞くと石田博英だと答えた。そこで担当記者に繋いで「中曽根幹事長だ」と返事をしたら、電話の向こうで「なるほど、中曽根なら分かつた」と呟く声が聞こえたと教えてくれたのは、信頼出来る私の読者の新聞記者だったので、中曽根という人間の一面を示すエピソードでもある。
 いずれにしても、折から神風のように日本列島の上を吹き出した、経済活動を包んだ発展の追い風にのって、広告量が急激に増大したという饒倖のお蔭で、メディアのビジネスが拡大化したことも利いたに違いない。サンケイ新聞を中核にしたこの情報グループは、リクルート社とは少し違った隙間産業の雄として、文化事業を中心にメディアの一角に地歩を築き上げ、フジ・サンケイ・グループがその頂点に君臨していた。


 強請のメディアと倒錯政治の時代

  時代が移って院政を敷いていた鹿内信隆に替わり、二代目の鹿内春雄がフジ・サンケイ・グループ議長として、銀座を舞台にして派手に振舞うようになっていたし、同じように隙間産業で成功していた江副浩正も、わが世の春で銀座で遊び歩く身分になっていた。ノエビア化粧品の大倉社長に招待された江副は、中曽根首相を取り巻く鬘愛好グループの仲間である、社会工学研究所の牛尾治朗社長などと共に、豪華クルーザーを使ったスワッピング付き沖縄旅行に参加したが、それが一九八五年十月二五日付けの週刊誌「フォーカス」に出たために、夫婦喧嘩や娘の家出などで家庭に波風が立ち、生活が非常に荒んでいた時のことでもある。銀座のあるクラブのママにまつわることで、隙間産業の両雄がなり振り構わず争った挙句、江副がこの時は勝者の立場を手に入れたので、鹿内議長は面目を失ったと考えて、密かに仁義なき戦いを挑むことにした。そして、配下の腕利きの事件記者に指令して、鬘をかむって喜ぶ女装趣味を持ち、それを武器に中曽根首相に取り入ることに成功し、政治の舞台で派手に立ち回っていた、江副の周辺を徹底的に洗ったのだそうである。こんな下世話なテーマの問題を私が扱うのは感心しないのだが、ここにリクルート事件の発端があるらしいし、この喧嘩に関しては一九八七年の夏頃の朝日新聞にも、ちょっとした記事が書いてあるそうだから、それを未確認のまま一応事件の概要を書くことにした。
 中曽根政権を包んでいる倒錯人脈は、『アメリカから日本の本を読む』(文芸春秋社刊)に書いてある通りで、実に淫靡で凄まじい内容と人脈であり、そういつた爛れた人間関係に属すものが、江副に対しての中曽根による特別の引きにある点は、知る人ぞ知る中曽根政治の恥部であった。 それにしても、中曽根時代を特徴付けた倒錯政治は、スキャンダルとしては超一級とはいえ、余りに多くの政・財・学・官界の上層部が関係していたので、その暴露は日本の支配機構に打撃を与えて、体制を大崩壊させるインパクトを持つ。だから、財界のマスコミ抜刀隊長を引き継いだ鹿内議長としては、直接それを使うのは余りにリスクが大きいので、どうしてもためらいの気分を感じたらしい。
 丁度そんな時に入ってきたのが一級クラスの情報であり、NTTにリクルート関係の未公開株が流れており、しかも、それが真藤NTT会長の稚児趣味との関係で、鹿内にとっては天敵のようになっている、江副の重要な役割と関係する事実が分った。この段階では誰もリクルート事件の存在を考えるはずがなく、未だ中曽根政権が派手な演技政治を行い、国を挙げて財テクと投機に熱中して、大国意識に陶酔していた時でもあったから、一獲千金が享楽的な時代精神になっていた。だから、ちょっとした出来心で始めた火遊びが、そのまま燃え広がって大火事になってしまい、体制の天守閣の延焼の危機に発展するとは思わずに、昭和の振り袖火事が点火されたのである。


 N丁Tをめぐるプリベイド・カードの隠れた秘密

  優れたルポライターとして多くのスクープを誇る、歳川隆雄の『NTT事件の金脈と人脈』(アイペック刊)の中に、「真藤の [稚児]は、NTT社内に二人、社外に三人いた。社内の二人は、逮捕された長谷川寿彦、式場英の両元取締役。社外の[稚児]は江副のほかに二人。ベン チヤービジネスの花形企業、コスモ・エイティの碓井優社長と、件のゼネラルコースト・エンタープライズの熊取谷(いすたに)稔社長である」という記述があるが、これはリクルート疑獄の全体像を掴む上で、大変重要な意味を含んだ指摘である。
 ここを突破口にして事件の公判を追って行けば、検察当局での上層部の及び腰のために、不様な状態で一度取り逃がした巨悪を安眠させずに、今度は取り押さえる決め手があるかもしれない。更には、前回は嫌疑を上手く逃れて胸を撫でている、多くの腐敗政治業者やその周辺に出没する、悪徳人脈の一掃が可能になりそうである。
 なぜならば、リクルート事件に続いて黒い煙が立ちのぼり、今度は自民党が居直っているパチンコ疑獄が、熊取谷の存在によつて点が線に変わり、パチンコのプリペイドカードがらみで、警察官僚出身の自民党議員に壊滅的打撃を与える、天の授けた神風になるかも知れないからだ。なにしろ、『警官汚職』(角川書店刊)が明らかにしている通り、パチンコの主力のパチスロ業界は「日本電動式遊戯機工業協同組合」という団体を作り、役員には警察庁の幹部OBがずらりと顔を並べているのである。

  理事長元警視庁防犯部長
  専務理事元山形県警本部長
  事務局長元関東管区警察局外事課長
  事務次長元警視庁王子署長
  技術部長元四国管区警察局通信部長

  元警察庁長官で悪名高い買収選挙で国会議員になり、中曽根内閣で総務庁長官や幹事長を歴任した、カミソリの異名で日本全土に睨みを利かせ、日本のアンドロポフ役を演じる後藤田正晴が、入閣前まではこの賭博機組合の顧間をしていた。
 なにしろ、一九七四年七月に行われた参議院の選挙では、警察庁長官を退官した後藤田は大量の選挙違反で、検挙者の数は三百五十人以上を数える凄まじさだった。その後に彼が公安委員長に就任しても同じであり、徳島の選挙区では激しい選挙違反が続き、泥棒が十手を預かるのと同じで示しがつかず、暴力団員から「自分の親分を取り締まれ」と嘲笑され、現場の警察官が歯ぎしりしたほどである。
 民間組織としての博徒が多くの場合は暴力団であり、制服を着た国営の暴力団が警察だから、暴力団と警察は根で繋がっているとよく言うが、警察の元高級官僚の選挙違反と同じで、警察という組織が潔自で正義の味方でないことは、今後パチンコ疑獄の解明が進むことによって、誰の目にも明らかになることだろう。
 日本の社会では利権の根が深く張っており、しかも、国会議員の職業も利権化してしまい、二世議員と高級官僚の慰安所に成り呆てたが、これが現代日本を支配している悲しい現実である。そして、四十年近く続いた単独政権の弊害のために、利権化した政権に対しての姿勢が固定化すると、政府と政党の区別が出来なくなってしまい、自民党員と同じような発想で党との一体感を持って、警察は自民党の安泰が国家の安泰だと考えている。
 いずれにしても、パチンコ業界は警察にとっての利権の場だが、パチンコにプリペイドカードを導入した熊取谷は、真藤会長と組んだNTTのテレホンカードの経験を生かして、磁気カード事業のパイオニア役を果たしてきた。実際に、真藤の紹介で自民党の渡辺美智雄政調会長に接触した熊取谷は、大蔵省に働き掛けた結果が成功して、大蔵省銀行局が都銀各行に協力を要請したのが功を奏し、日本カードシステム会社を発足させている。しかも、その出資社には都銀十三行の他に政府系銀行と、NTTや日本たばこ産業などが名を連ね、渡辺蔵相時代にノンキャリアから印刷局長に抜擢された、石井直一が初代社長に就任したのである。
  熊取谷はNTTの長谷川取締役の女性スキャンダルにも関与し将来の社長候補のトップランナーだと言われていた長谷川が、トラブルでNTTを退任せざるを得なくなり、国際リクルート社に重役として転職した時に、自民党の有力者や暴力団関係者に働きかける仲介役をした。また、真藤会長のもう一人の社内稚児役と言われ、企業INSの布教師と呼ばれた式場取締役は、NTTの看板男という評判を駆使して荒稼ぎして、成田に一軒と都内に二軒のマンションを持つほど蓄財に励んでいたらしい。
 この時期のサンケイの鹿内議長にとつては、NTTの長谷川や式場などのスキャンダルよりも、リクルートの江副と結び付いた真藤会長の方が、獲物として価値がより大きいと判断する理由があった。取締役という個人レベルの醜聞よりも、NTTという日本一の企業を相手にした方が、ビジネスとして有利な展開が出来ると読んだのである。


 夢工場というイベントの怪

  フジ・サンケイ・グループは大イベントを企画し、一九八七年の東京と大阪の会場を使って、劇団四季を主体にした「夢工場」という催し物を行った。その演出は江副と中曽根を鬘趣味で結び付け、二人の会談に常に立ち合う浅利慶太であり、陰のスポンサーは自民党の中曽根と金丸だと言われている。夢工場の公式ポスターはロスの山形画伯に依頼したが、それはヒロ山形として知られた画伯の絵を、当時の皇太子夫人が非常に愛好しており、現に記念のオープニング・パーティーヘ、美智子さんがお忍びで姿を見せたように、この企画はフジ・サンケイにとっては、スーパー級の人を動かせる大宣伝の機会だった。
 そして、このイベントをダシに使った鹿内は、NTTに五十億円の予算で参加することを迫り、もし、この申し入れが受け入れられない時には、リクルートの未公開株にまつわる不正行為について、記事として公表する可能性をちらつかせたらしい。
 この話を聞いたNTTの真藤会長は非常に腹を立て、「我が社には警察庁のOBを十人以上も飼っているのに、こんな脅迫を始末出来ないとは何たること」と言って、警察OBを叱咤して鹿内議長の周辺を洗ったのだが、結局は、事を荒立てては勝ち目がないと判断して、四十億円に値切ってイベントに参加することにした。費用の内訳は広報予算から三十億円を出し、子会社から十億円を集めたと言われているが、火の無い所に煙は立たないの譬えもあり、一九八九年五月の「週間新潮」が事件の輪郭をレポートしている。
 だが、肝心なことは未だメディアの追及を得ておらず、夢工場プロジェクトには若山政敏という人物が関与し、どうも胡散臭い感じが付きまとうのである。しかも、彼は社長をしていた日本ダイレックス社の脱税事件で、東京地裁から一億三千万円の罰金と懲役二年六カ月の刑を、執行猶予の形で一九人三年八月に言い渡されている。
 その上、この日本ダイレックス社はNTTの輸入代理店として、最終的にはリクルート社が引き取ることになった、莫大な数のモーデム (変復調装置)とTDM(時分割多重化装置)をNTTに納入しており、クレイ社のスーパーコンピュータよりも巨額の取り引きが、NTTやリクルート社の間で実現している。
 その内容を証明するものとしては、一九八六年一月二七日にフロリダ州サンライズ市の本社で、ブルックナー社長が記者会見した時に、「NTTがレイカル・ミルゴ社がら二十億円を越す、通信機器を購入することを決めた」と発表があり、それがモーデムの取り引きの一部を構成していたのである。
 また、その後の時間の経過によって、サンケイ新聞の辣腕記者達の運命が変わり、一人は中途採用方式で門戸を開いた朝日新聞に入って、リクルート事件を掘り越した川崎支局で大活躍をしている。しかも、神奈川県警では共産党幹部宅の盗聴事件が起こり、それを取材していた社会部記者に対して、矛先を変える目的で試みたと思われるが、捜査二課の警部が記者に向かって、「川崎駅前のリクルート・テクノピアを調べた方が、盗聴事件より大きなスキャンダルがものに出来る」とリークしており、ここに何か警察の謀略の臭いが感じられる。リクルート事件がこれほどの大疑獄になるとは、当人たちも予想しなかったのだろうが、政治の中枢にOBを大量に送り込むのに成功して、司法権を好き勝手に支配している警察官僚なら、奢りの気持ちに支配されたとしても不思議ではない。


 国会議員がらみの金の動き

  別のサンケイ新聞の元辣腕記者は政界に転身して、競艇のドンの笹川良一を義理の叔父に持ち、後藤田と並んで大量の選挙違反を出して赤ジュウタンを踏んだ、あの糸山英太郎議員の秘書になった。だから、利には目ざといこの投機が好きな政治屋議員は、このルートからNTTの長谷川取締役の女性スキャンダルや、真藤会長とリクルートの江副社長の問題を掴み、糸山は一億五千万円の日止め料を要求したと言われている。だが、この要求は真藤側からの強い反撃にあい、NTTに天下りした警察官僚が行動を起こし、警視庁は三通の逮捕状を準備したらしいが、逮捕される直前に金丸の手で和解が成立して、金は要らないということでお開きになったそうであり、NTTをめぐって妙な動きが実際に起きたようである。
 世の中にはディスインフォメーションが多く、私は異なった三つ以上のニュースソースを確認しない限り、たとえ話がもっともらしく思えても、情報と信じて書く真似はしないことにしているが、この話は何と四人のジャーナリストが口にしていた。それからすると、この話はよほど具体的なものだったらしいが、とても感心出来る内容のものではない。私の読者には新聞記者が多いこともあって、東京に行く度に彼らと良く話し合うが、そんな時に生臭い話題も結構交わされるし、私も彼らに代わって日本では書きづらいことを、アメリカのメディアを使って日付けをつけて記録して置くのである。
 それにしてもこの話にはオチがあつて、真藤と裏方役の熊取谷の間に連絡上のミスが生じたらしく、江副の頼みで熊取谷が融資した資金は、三和銀行永田町支店の糸山の口座に振り込まれ、それがもとで暫くごたついたという噂が、面白おかしく尾鰭を付けて取り沙汰され、外国の特派員までが知るに至ったそうである。
 糸山議員の口座の金の行方については、伊東久美なる噂の人物に取材するのが最良だが、この種の政界を舞台に使った疑惑の追及において、なぜ検察庁が途中で考えを変えたのかは、検察当局が自らの口で明らかにする必要がありそうである。
 それにしても、一九八九年五月二九日に東京地検が発表した、吉永検事正による捜査の終了宣言には、不思議なことに夢工場にまつわる疑惑や、日本ダイレックス社とNTT社との取り引きなどが、全く視野に入っていなかったのである。
 また、ワシントンのウォーターゲート・ビルの事務所を、自民党の山口敏夫議員が突然閉鎖し、樋口美智子元秘書がFBIに事情調取を受けたことも、リクルート事件がらみのカネにまつわるもので、スパコンがらみだという噂がワシントンで流れたのに、日本国内ではそんな報道は全くなかった。しかも、自民党の藤尾正行議員が栃木県足利市で開かれた、議員在職二五周年記念の講演会の演説で「スパコン購入で中曽根に数億円のリベートが渡っていた」と爆弾発言をし、疑惑があることを明言したのである。
 資料としては興味深いが内容的には首を傾げたいが、一九八九年四月八日づけの朝日新聞の記事らしいものから、藤尾の発言と言われる部分を参考までに孫引きすると次の通りだ。「クレイ社から大型コンピューターがNTTに買われた。最初の言い値は二億ドルだったが、いつの間にか四億ドル六億ドルとなり、リクルートに渡ったときは八億ドルになった。それだけのバックリベート(ワイロ)がヤミに流れ、渡った。それを知り約束した者が中曽根。中曽根の召喚要求が事件解決のカギになっている。……中曽根がアメリカ人のレーガンにバックリベートをやる約束をして、それが渡っていると、それを追求していくと名前が出てきて、レーガンがどういうことになるとすれば、日本国総理大臣中曽根康弘は、米大統領レーガンに贈賄をしたということになる」。
  藤尾は自民党きってのタカ派議員であり、反朝鮮の考え方をして中曽根の半島人脈に、強い嫌悪を示す民族派国粋主義者の代表で読売の元記者でも、どこまで確かなニュース源を持つかは分からないが、同じ自民党員にこれだけ強烈なことを言われても、お喋りな中曽根が沈黙しているのが奇妙である。
  また、その運搬役に当時外交委員長だった山口を擬し、中曽根内閣の運び屋は誰だったかと囁かれていた。山口議員が江副と数十年来の友人であり、山口労働大臣への六三〇万円の政治献金や、さまざまな形で行われた接待の関係だけでなく、リクルート疑惑が公然化する契機になった、松原社長室長が楢橋代議士に贈賄した工作と、被差別問題に関連した事件についての事情聴取で、山口は地検でだいぶ油を絞られたとも言われている。
 だから、リクルート事件の中核に位置して巨悪と呼ばれる中曽根が、総数で僅か二万九千株しか譲渡されていないのと並んで、株の譲渡のリストに山口と小沢の名前がないのは、このリクルート疑獄の大不思議だと言われている。それにスーパーコンピュータにまつわる金の動きや、それに関連したモーデムと時分割多重装置などについて、それが国外のことだからという理由を回実に使い、検察当局が頬かむりし続けて良い事柄ではない。
  「人の噂も七十五日」とばかり居直って、現在では正義の味方面をして国会で茶番劇を演じる、あのロッキード疑獄の要めでもあった、ラスベガスのハマコー賭博事件の二の舞を、再びここでくり返してはいけない。そして、一億人の国民の期待を担っているからには、社会悪との対決の覚悟をはっきり示して、最後まで徹底してやると断言する所から、検察当局は出直さなければならないのである。


 レーガンの金ピカの日本興行

  日本のメディアからリクルート事件の影が消え、秋の収穫の季節の中でレーガン夫妻の訪日が終わり、選挙に浮き足だった日本列島の上では、パチンコ業界の疑惑がひとしきり取り沙汰された。そして、ラスベガスの四億円の賭博で証人喚問騒ぎを起こし、福岡の「川筋男」としての侠気を持つ田中六助に倫理を説かれ、遂に代議士を辞任せざるを得なくなった、あのスネに傷を持つ稲川会出身の浜田議員が、居丈高に社会道義と政治倫理を笑止千万にも高言して、日本の政治も地に落ちたという感じを強めた。
 また、プリペイドカードが論じられるなら、当然のことで熊取谷稔の名前が登場してもいいのに、それに気付くジャーナリストも不在なようだ。しかも、熊取谷の名前はハマコー議員が四億円の大金をすつた、リベートの舞台として名高いラスベガスで賭博場を買ったり、名門のペブルビーチのゴルフ場を買収した投資家として、太平洋の対岸ではその名が見え隠れしていたのである。
 また、五月にあったレーガン夫妻の訪日旅行の発表以来、アメリカのマスコミ界は賛否両論で賑やかだった。三億円の講演料でフジ・サンケイ・グループが企てたこの旅行は、日本人が金の力で元大統領を雇いあげ、コマーシャル用のモデルに使うとやっかみ半分に書き立てたが、その急先鋒は保守派のウイリアム・サファイアで、彼はレーガンの行動を『ニューヨーク・タイムス』ではしたないと決め付けていた。
  リクルート事件が未だ燃え盛っていた五月十八日の段階で、『ロサンジェルス・タイムス』のシェーンバーガー記者は、「フジ・サンケイ・グループにとっては、それが宣伝費だと考えるならば、三百万ドルなんか全く取るに足りない」という、フジ・サンケイ・グループ内部の人間の発言を引用し、それを見出しに使って記事を書いていた。それにしても、この記者はレーガン訪日の政治的意味と、それが同じ時期に始まるリクルート事件の公判への波及効果について、何も考えることが無かったのであろうか。
 そして、十月二十日に羽田空港に到着したレーガン夫妻は、政府などの招待という八日間の公式滞在を終えたが、政府が招待した外交上の賓客ならそれに対して、一民間企業が宣伝攻勢を狙って担ぎ回り、しかも、それがリクルート裁判へのデモンストレーションになるなら、これは余りにも心が痛む組合せではないか。リクルート事件の始まりの部分が不透明である以上は、国民は演技政治で騙された中曽根時代を思い出しながら、欺瞞政策への警戒心を高めなければならないだろう。
 現に、日本のマスコミ界はリクルート事件の教訓に目をつむり、この種の疑獄は過去のものと見て、不正に対しての追及の鋭さが既に乏しくなっている。この点を『朝日ジャーナル』に登場した韓国の『KBS』の李特派員は、「読売新聞、日経新聞などのマスコミ幹部にも株が渡っていた事情があるにしても、マスコミは批判精神を発揮していないし、正確に実態を判断し報道する姿勢が見えない。事実報道だけではなく、事実が社会に与える影響を考慮し、国民を正しい方向に導くべきである」と発言している。また、有楽町の外国人特派員協会のアンディ・ホルバート会長も、日本は欧米のような議会制民主主義ではなく、利害制民主主義を採用していると発言した後で、「日本人は、保守的で理念の無い一大独占政党のもとで、前代未聞の好景気を楽しんでいる。うまく行っているから、賄賂を受ける政治家がいてもいいじゃないかという気さえする。政治改革をなし遂げるためには、危機感が必要だが、今の日本にはそれがない。関与した政治家に、辞職しろ、土下座しろ、というだけでは、うっぶん晴らしに過ぎないのではないか」と結んでいる。
 それにしても、リクルート事件はその始まりの段階から狂っていて、警察が盗聴事件を逸らすために陰謀めいた手口を使ったし、検察当局は楢橋代議士の告訴で辛うじて重い腰を上げ、小物代議士を二人起訴しただけで幕を開めたのだから、日の前で巨悪が胸をさすっているのを見せつけられて、一億人の日本人は中途半端な気持に包まれながら、空しさを噛み締めざるを得ないのである。
 その原因になるものとしては、疑惑の中心人物の中曽根から事情聴取もしないし、アメリカに調査官を派遣しようとしなかった事実があり、検察当局は情けないほど及び腰だった。これは日本国憲法第十四条第一項の「すべての国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分、または社会的関係において、差別されない」という条項からすると、首相や前首相が事情聴取上で特別待遇を受けたなら、これは検察庁が憲法違反の差別をしたことになる。その辺に弁解無用の検察当局の腰砕けぶりが望まれて、何とも侘しい気持になるばかりである。また、実際には事情聴取をしていたのなら、それを報道しなかったマスコミの怠慢の背景には、何か特別な取り引きが存在していたのかもしれない。
 いずれにしても、アメリカ住まいの私が久しぶりに故国を訪れ、日本人のジャーナリストや外国人特派員に会うだけで、次々とリクルート事件にまつわる新しい情報が集まるのに、国内ではそのような情報が報道されないのは、実に不思議なことだという気がしてならない。
 監獄の塀の上を器用に渡って行く政治家たちが、塀の内側の中庭に転落するのを免れて、最後にはいつも決まったように、天下の大道の側に飛び降りている時代は、果たして、これからも続いて行くのであろうか。


 「日本、中古の大統領を購入」

  レーガン元大統領の金ピカの日本親善興行は、無事に八日間にわたる日程を終えたが、レーガン訪日中のアメリカのメディアは、講演料二百万ドルについて賑やかだった。特に、深夜のポルノ番組を売り物にするフジ・テレビと、タカ派の論調が専門のサンケイ新聞による、「商売と政治のごたまぜ屋のコングロマリット」と名指しで、フジ・サンケイ・グループが何故七百万ドルもかけて、一連のイベントと政治宣伝をしたのかと、首を傾げた感じの記事を書いていた。
 素直に考えればこれは間接アプローチであり、ラスベガスで浜田議員が博打でリベートを渡したように、講演料の謝礼の形でリベートを公然と支払い、それがスーパーコンピューターに関係していたとなれば、日本人はおめでたいと言うしかなく、米国ではミッキーマウス・ビジネスと表現するのである。
 「ニューョーク・タイムス」は日本人の過度のもてなしだけでなく、自制心を失っているレーガンを強く批判して、「全くの商業主義に、こんなにズウズウしく呑めり込んだ大統領経験者は、かつて存在したことが無い」と手厳しかった。それにしても、レーガンに一足遅れた形だったが、ひっそりと行われた北京訪間によって、却ってニクソンの人気と評判が高まり、帰米したニクソンはホワイトハウスに招かれ、ブッシュ大統領と夕食を共にして、中国の首脳との会談についての報告をしたのが目立っていた。
 これまで、ブッシュ大統領はニクソンとは電話連絡だけであり、ワシントンに正式に招いて協議したのは初めてだし、帰国報告を電話で済ませただけのレーガンとは、実に、その対照が鮮やかで、それはブッシユの日本への面当てのようだった。
 アメリカでは日本のような政治形態ではなく、長老支配や院政などのやり方は存在しないのに、成金ぼけした日本は生き馬ではなくて、英語でデッドホースと呼ぶ死に馬を買ったのか、或いは、不動産屋と商売人が血道を上げている、アメリカの買い占めのやり口を真似て、実に見え透いた愚劣なやり方をしたために、レーガンを死に馬にしてしまつたのかも知れない。「麒麟も老いては駄馬に劣る」というが、「死に馬」は更に劣ることを知るべきではないか。
 実際に、十一月六日の「ニューヨーク・タイムス」は痛烈であり、あんぐりと口を開けたレーガンが、箸で差し出された札束を呑み込む挿画まで付けて、「日本、中古の大統領を購入」と題した記事を掲載したのである。
 ワシントンでのレーガンの人気は暴落であり、「前大統領が日本で二百万ドルも稼ぐのに、なぜ米国の納税者が多大の負担をして、シークレット・サービスの同行の警備までするのか」と反発したカジョルスキー下院議員を始め、「アメリカ人は日本人や前大統領から、つべこべ言われる筋はない」と日本人を含めて、強い反感の気持を表明したブライアン上院議員に見るように、成金ぼけした日本人のお祭り騒ぎは、多くのアメリカ人の心にしこりを残したのである。
 私の目にはフジ・サンケイ・グループが企画したお祭り騒ぎは、誰もその真相について触れなかったが、夢工場の延長線上にあったように思えてならない。
 日米関係の将来と日本の運命を損わないためにも、今の時点で、あのリクルート事件とレーガン訪日を結ぶ隠れた糸について、じっくりと考えて反省してみるというのも、狂乱の一九八〇年代を総括して見る上で、意義ある試みになるかも知れないのである。



  エピローグ リクルート疑獄の総括 「不透明のために見えない結社」

 迷宮入りしたリクルート事件

  リクルート事件は奇妙な性質を持つ疑獄であり、表面的には収賄と贈賄によって構成された犯罪だが、その背景には社会のタブーが関係している特殊な集団が関係していたために、一種の迷宮入り事件として終わっている。政治家や官僚を始め幾人かの関係者が逮捕され、贈収賄に関与した人間が指弾されたが、「巨悪」と呼ばれて中心的存在の中曽根はおろか、その周辺でプロットに関わっていたグループは、上手に立ち回って網の目を逃がれている。
 その理由は、権力の中枢にいた者の責任追及をせず、適当に誤魔化してウヤムヤにするという、長年培われた日本的心情の特殊性が作用していた。二、二六事件の真の首謀者を隠蔽したり、太平洋戦争の責任者の裁断を回避したのと同じで、いつもながらの汚点を嫌う民族的な心理と伝統が目覚めて、ここで再び機能してしまつたのである。
 日本は欧米や中国のような契約社会ではなく、国家の成立を始めすべてが自然発生的であり、運命共同体としての国家が社会生活を規定し、独特の文化とサブカルチヤーを育てている。
 公害を例にして公的な犯罪の社会分析を行い、深刻な構造的アノミーの拡大再生産のメカニズムを抽出して、日本人の民族性を論じた小室直樹博士は、経済社会学における名著『危機の構造』(ダイヤモンド社刊)の中で、「日本では、機能集団としての共同体を媒介とすることなしには社会的地位は保てず、社会的生活を営みえない。企業共同体における生活の終焉は社会的生活の終焉を意味する。しかも、共同体の機能的要請はすべてに優先し、これが内部倫理によつて規範化される。他方、外部の人間は倫理外的下等動物であるから、この下等動物の生命を企業共同体の利益よりも優先させることなどは、許すべからざる反逆である。このようにして、企業共同体のための活動はすべて正当化され、その結果に対する社会的責任が意識に上ることはありえなくなる」と指摘している。
 この鋭い分析の手法を作業仮説として借用し、次に次元の展開を行い体制の議論に移すために、企業共同体を国家やエスタプリッシュメントと読み替えてみる。すると、体制の内部倫理が外部の社会倫理に整合せず、しかも、上等であるはずの内部倫理が劣等の場合に、非常に始末の悪い問題を生み出すことが分かるし、それがリクルート事件だったことが理解できるのである。
 このアナロジーの体系は似たものを捜す行為だが、哲学の父と言われるターレスの時代から、現代数学の先端を行く群論やトポロジーに至るまで、変形、交換、置換を含むメタファーにおいて、最も基本かつ原理的なモデルとして類比は威力を持つのである。
 リクルート事件の犯罪としての追及に関しては、検察当局が捜査の終了を宣言して打ち切っているので、今後はアカデミックな病跡学の検討の場において、精神医学の専門家に任せるのが最良だろう。特異な時代精神や政治家を動かす歴史分析としては、マザーの『政治家としてのヒトラー』(サイマル出版会刊)の手法が有効だし、権力者の異常な行動を衝き動かす心理と病理の問題になると、『ヒトラーとスターリンの精神医学』(牧野出版刊)のような優れた仕事があり、その道のプロがメスを振るっている例もある。
 リクルート事件に関しての情報を米国で発表し、歴史の証言として活字にした私の仕事に、多くのジャーナリストが注目してくれたお蔭で、予想もしないほど多くのアプローチがあり、情報が私に向かって押し寄せる現象が起きて、それがジグソウパズルを組み立てる上で貢献した。それは私がジャーナリストの同業者ではなく、一種のアウトサイダーとして診断する立場にいたので、このようなチャンスに恵まれたと言っていい。
 医者に向けて患者が基礎データを提供するように、日本人記者だけでなく多くの特派員を始め、在京の外交団や情報筋などの人までが、読者の立場で私にアプローチして来た。そして、私が持つインテリジエンス能力に期待する形で、議論や大刀合わせをする機会に恵まれたお蔭で、多くの人たちが苦労して集めたり、裏を取る努力をした成果に属すものを、東京訪間の度に私は手に入れることができた。その情報をここで公開することも必要だろうし、ジャーナリズムの遊軍として独立の立場で取材を行い、国際的な視野と人脈を動員して集めた情報を整理して、地球の歴史を扱う歴史学徒の史眼に基づいた、事件の深層を含むメタ構造を眺めながら、何らかの総括を引き出すことも必要だろう。


 世紀末の東京の上海化とベルリン現象

  情報化の進んだ現代はディスインフォメーションの時代であり、『インテリジエンス戦争の時代』で論じたように、情報操作は非常に巧妙こ行われているし、油断していればたちまち相手に取りこまれて攪乱されてしまう。だから、ディスインフォメーションに対しての私の防御策は、異なった種類の三つ以上の情報源がない限り、噂に類したものはいっさい信じないことと、スクリーニングとして幾つかの質問を浴びせ、相手の日と表情の動きをNLP(ニューロ・リングィスティック・プログラム)の手法で読み取り、それを総合判断して信憑性の格付けを行って来た。 これは情報を扱う人間にとって素養に属すものであり、任務を帯びて東京に滞在している外国人なら、このトレーニングは十分に受けているはずだが、日本人のほとんどはこの面で隙だらけである。東京にはさまざまな肩書きや役割を持った外国人が住み、国会議員や財界のトップとつき合って生活し、日本の国家機密に属す情報を収集しているが、これは自民党員が騒ぎ立てているような、スパイ罪的な低級レベルの問題ではなく、頭脳ゲームとしてのインテリジェンスに属すものである。
 インテリジェンスは総合的な判断力の問題であり、姑息なスパイとは無縁なものであるが、この面での日本の水準は余り高いとは言えず、日本人は情報のインフオメーションの側面に拘泥しがちである。
 仮に問題にして真相追及の必要があるとすれば、自民党幹事長がソ連大使館の情報官と車に同乗したり、首相の最高相談役がKGBとの関係を疑われ、総理のブレーンが外国のコネクションの指図に従って、日本のメディアで派手に動いていることの方が優先だろう。あるいは、朝鮮半島の八紘一宇である統一教会に取り込まれて、国会議員や学者がそのエージェントになったり、蔵相や外相が利権のために青幇と結ぶのを見破るのが、真に優れたインテリジエンスではないだろうか。ソウルに行って骨のあるジャーナリストと茶飲み話をすれば、日本人は余り知らない自民党の新井議員について「あれはウチの人間であるだけでなくて、統一教会の方が国会よりも活躍の場です」という話を幾らでも聞けるのである。
 石油産業は二十世紀を支配した王者のビジネスであり、帝国主義を体現して世界に君臨したが、石油の周辺にはスーパー級の詐欺師やペテン師が横行して、紳士然とした顔で凄いイカサマをやってのけ、時には国が潰れたり戦争が起きたりもする。
 運の良いことに私はこの石油ビジネスの参謀として、二十年以上も世界中で生活してきたお蔭で、情報の真偽や人間を識別する修行を積み、勝負の決め手になる眼力や洞察力を磨く訓練を受けてきた。そのせいだと自信を持って断言してもいいが、兆候から将来あり得ることを予測したり、目の前で進行中のことの正常と異常に関して、かなり的確に評価や診断を下せるまでになった。そして、洞察と診断がインテリジェンス能力だと理解して、そこに頭脳ゲームの基盤を認めるだけでなく、その価値を正当に評価できるようになっている。
 その集積が過去に積み重ねて来た二十冊ほどの著書だが、二十年近く前に予告した東京の上海化は、中曽根内閣時代に顕在化したヤマトニズメーション(『虚妄からの脱出』参照)と共に、残念ながら現実のものになってしまった。
 政治は腐敗して利権の周辺で動いており、国益よりも党利党略や私益がわが物顔で横行し、東京に一種の国際租界に似た放埒がはびこっている。しかも、退廃的なムードが国の隅ずみに拡散すると、日本はヤクザ政治とカジノ経済に毒されて、ほとんど亡国に近い現象に包み込まれている。この上海化は第二次大戦前のベルリンの頽廃を含み、ポルノや倒錯精神が射倖的な投機と結びつき、踏みにじられて空洞化した憲法に見る通り、日本列島の上に世紀末的な世相を出現させ、信頼感の崩壊と秩序の混乱が広がっている。
 田中内閣時代は金脈政治の形で札束の嵐が吹き荒れて、土地転がしやロッキード疑獄を生んだが、中曽根時代になるとバブル経済の狂乱が巻き起こり、裏の世界と表の世界の境界がなくなった所に、リクルート疑獄などのスキャンダルが多発したが、これは完全に社会の病理現象の顕在化である。


 海外の方が良く知っている日本の恥部の秘密

  皇民党事件は竹下内閣誕生に深く関係した、暴力団絡みの不可解な事件と考えられているが、その発生はもっと古い時代に遡るものであり、中曽根の兄貴分の児玉誉士夫が政界の黒幕として健在だった、あの一九七〇年代にその源流に相当するものがあった。しかし、その問題はリクルート事件から逸脱するから、ここではキイポイントだけを報告すると、それはアングラ世界の国際化が大きな意味を持っていた。
 ヤクザがいち早くハワイやタイに進出を呆たしたり、台湾や韓国にも拠点を築いているだけでなく、外国のマフィアと事業協力をしている点については、すでに日本でも広く知られているにしろ、この面での事実の掘り下げをすることが急務だろう。
 皇民党事件を最初に詳しく報道したのは伊勢暁史で、一九八八年二月号の月刊『現代』の誌上であり、この記事は皇民党事件を知るバイブルとして、事件記者を始め多くのジャーナリストに読まれたが、情報源は日本人ではなく外国の情報機関だと言われている。
 日本の暗黒街や特殊集団の情報に関しては、タブーに縛られて明確に報道できない日本人より、大胆にベンを振るうことが可能な外国人の方が、深く鋭い分析を活字にしているようだ。それは犯罪地下帝国を扱った『ヤクザ』(第三書館刊)や、国家の諜報を論じた『日本の情報機関』(時事通信社刊)が明示している通りである。また、最近では表の世界に関しても優れたアナリストが登場し、オランダ人のヴァン・ウオルフレンが書いた『日本/権力構造の謎』や、ロンドンの『エコノミスト』記者のウッドが著した『バブル・エコノミー』のように、日本人には書けない分析を含む本が、力作と言える内容を伴って次つぎと出版されている。だから、複雑な内容のサブカルチャーやアングラ世界は、国外に恥部として伝わっていないと日本人が安心すれば、「悪事千里」の譬えが明示しているように、それはとんでもない油断を生んでしまうのである。
 副総裁時代の二階堂進がワシントンを訪問して、東京の内密な動きについて得意げに耳打ちしようとした時に、ホワイトハウスの主人公であるレーガンが、「われわれは東京に四百人以上の人間を置いていて、日本のことは何でも詳しく知っている」とほのめかしたことは、有名な語り草としてワシントン雀の間に伝わっている。しかも、児玉や小佐野がCIAのエージェントだったことは、現在ではすでに衆知の事実に属しており、米国の情報機関は日本のアングラ人脈を使って、政治や経済の操作までやっていたのである。
  同じことは韓国のKCIAについても言え、金大中拉致事件や文世光事件の背後には、山口組の中の半島人脈が関係していたし、それは再び児玉コネクションに結びついて、児玉の舎弟の中曽根にと係り結ぶことになるのだ。このような視座を持てば、裏と表の世界の一体化がなぜ中曽根時代に起こり、それが戦後の日本の社会システムを解体し、結果的に戦後の総決算になったかについて、初めて明確な形で納得出来るようになるのである。
 米国には情報公開法が存在しているから、ワシントンの国立公文書館を訪れて調べれば、日本では入手できない数かずの極秘文書や、タブーとして触れることの出来ない分野の情報が、研究のために幾らでも自由に閲覧が可能である。そこを突破口にして秘密の扉を開かない限り、日本でタブーになっている領域についての情報は、残念なことになかなか手に入らないし、永久に問題提起も解決も出来ないのではないか。


 日本のタブーを構成するアングラ世界の構図

  日本では年間に数万冊の新刊書が出版されているが、地下帝国の内容について論じた本は非常に少なく、『黒の機関』(ダイヤモンド社刊)、『内幕』(学陽書房刊)、『腐蝕の系譜』(三省堂刊)、『日本の地下人脈』(光文社刊)などが目につく程度であり、そのほとんどが絶版になっている状態だし、惜しいことに最新のデータが含まれていない。
 その中では最も新しい岩川隆の『日本の地下人脈』には、中曽根をめぐる人脈や性格分析と共に、「上海ダマ」と呼ばれる大陸の謀略人脈のスケッチがあり、表と裏の接点の灰色ゾーンの顔ぶれが紹介されている。だが、それがアングラ世界に繋がる肝心な部分や、爛れと汚れが絡む醜悪なものを慎重に避けて、何となく口籠った感じで筆を進めているから、どうしても歯切れが悪い印象が残ってしまう。
 「上海できたえられて日本に帰ってくると、内地に住む日本人が単純な子供にみえて、なにをするにも、赤子の手をひねるようなものでした」という実業家の言葉を引用しながら、上海体験者は上等な国際感覚も養われるが、志が低ければ人の動かし方や金の使い方だけに長じて帰ると書いて、岩川は利権を漁る偽愛国者たちの姿と行動を描き出し、それ以上については読者の想像に一任している。
 この辺りの感傷を振り切るレポーターが現れ、現代の秘境に果敢に挑まない限りは、グレイ・ゾーンを徘徊するアングラ紳士の告発は出来ず、すべてが歴史の彼方に霞んでしまうが、それにしても、上海ダマに関しての岩川のレポートは貴重である。
 血と涙を流して多くの代償を払って綴った歴史が、生き証人の死と共に民族に教訓を残さないまま、過去の出来事の集積として終わってしまえば、実に惜しいことだと言わざるを得ない。しかも、現在ふたたび目の前で進行している不祥事や、それを生み出す構造を照らし出さないで、次の世代に同じ過ちの繰り返しをさせれば、暗黒街の帝王やその構造の解体は不可能だ。そして、タブーに護られて聖域から仕掛けられる、巧妙な犯罪行為はなくならないに違いない。
 現在の日本でタブーになったまま放置され、誰も正面から挑んで取り上げようとしていない、灰色の霧に包まれたアングラ世界の構図とは何か、何がタブーに護られた見えない結社であり、日本のアングラ世界を構成するのかと言えば、それはいわゆる日陰者に属す存在の総体を指している。
 そこには大別して二種類のものが存在しており、最初のものはヤクザや暴力団に属していて、アウトロー集団の主体を構成しているし、過激さでは極右と極左の団体がそれに続く。また、日本の特殊性でアングラ的な存在に位置づけられ、長らく差別によって虐げられてきたのが、半島人脈や被差別部落に属す日本人であり、これは個人として不当な差別を受けた犠牲者も中に含んでいる。職業や出身地のせいで一般社会から疎外され、就職や居住地の選択などの面で差別を受けるために、彼らはアウトロー集団の予備軍になり易い立場にあるが、これは本人には責任のない不当な差別である。憲法はこの種の差別を禁止して平等を保証しているが、思想の自由に反して極右と極左が危険視され、警察などが監視しているのと同じ状況に置かれている。弱者の立場を集団の力で克服しようとして、団体行動を起こす時にトラブルを起こすという理由で、半島人脈や被差別部落出身者に対しての差別は、現実に日本では厳然として続いているのである。
 二種類ある日陰者集団の内のもう一つの構成員は、微妙な存在として精神病理学がカバーする領域に属し、正常と異常の色分けをするのが非常に難しい、性的な倒錯趣味を指向するグループである。この集団を呆たして独立させて考えるべきかは、昔から色いろと議論があったところだが、極端なケースを取り上げると異常心理が犯罪と結びつき、社会的にその存在と行為はアウトローになる。特にこのグループが排他的な結社を構成して、ナチスのように政治集団として権力を握ると、社会病理学上の大問題を発生させるのであり、リクルート事件はその要因を内包していたが故に、ウヤムヤの内に迷宮入りで捜査が打ち切られている。しかし、貴重な歴史の教訓として忘れてはならないことは、革命にまつわる天意を描いた『捜神記』が指摘する通り、天下に大騒乱が起きて白虹が立つ前には、陰陽が乱れて倒錯が顕在化することが多いのである。


 病理としての倒錯精神の位置づけ

  大学の教養過程で学ぶフロイトやコフートの学説は、精神の発達段階やナルシズムなどについて、生理と心理の両側面からアプローチしており、普通の男女の友情や自己愛について、正常な心理領域の問題を中心に取り扱っている。しかし、私がフランスの大学に留学した時に聴講した、「全体主義の病理」という講義のナチズムの分析では、分類上の順序としてナルシズムに始まって、フェティシズム、服装倒錯、サディズムとマゾヒズム、そして、ホモセクシュアルと言う段 階があり、それが異常の度合を示していると教わった。
 今から三十年も前に聞いた授業の内容だから、呆たして、現在でも有効かどうかは分からないが、友情や自己愛が過度になって病的になり、エリート意識や排他主義に結び付くと、そこから異常性愛の問題が始まるのである。そして、ナチズムを倒錯の病理として理解することが、政治の生態を診断する上で有効だと知り、私は自分なりに人間性の指標を作ってみた。これは私の頭の中だけにある物差しであり、仮説を学問的に検証したわけではないが、それぞれがオーバーラップしながら次のように並んでいる。
   聖者君子型人間(倫理人間)
   健全な人間(普通人間)
   コンプレックス型人間(ストレス人間)
   倒錯型人間(精神病理患者)
   ハレンチ型人間(犯罪病理容疑者)
  倫理人間は私の造語で高い徳性に象徴されているし、ほとんどの人は健全な人間として社会生活を営み、コンプレツクス型人間はストレスに支配されているために、灰色ゾーンの上部領域に位置している。私の規範だとこの水準までが生理に属していて、それから下が社会病理の対象のアングラ世界であり、日陰者が君臨している地下帝国になる。この指標を使って善悪や可否を判定して、過去三十年間に歴史の証言を著書に記録し、国際政治や日本の運命について論じて来たが、大枠として私の診断は正鵠を得ていたようである。
 最近の世紀末的な世相との関連で日陰者現象を捉え直すと、意識下における異種性恐怖コンプレックスの肥大化のせいで、視力障害なしの「黒メガネ症候群」の顕在化が目立つ。この病理グループの代表がゲイ族であり、社会で特殊な生態を営んでいるが、これは慢性的な快感倒錯に支配された集団である。『間脳幻想』の著者としての視点で診断すると、これは間脳の機能障害による内分泌異常が関係し、精神作用の逸脱や退行が進んでしまい、幼児から獣類に近いレベルに近接する時が多いために、精神が肉体に溶融した状態から脱却できなくなる。だから、かつては変態と呼ばれるグループに分類されて、社会的に大きな差別を受けて抑圧される立場を甘受してきた。しかし、早発性痴呆症の早発性が否定されたり、精神分裂症(スキゾフェラニア)と精神病の位置づけが不明確になっているように、ホルモンや脳機能の関係にはファジーなものが多く、精神疾患の領域には多くの疑間が残っているのである。
 生理と病理の境界ははっきり確定しておらず、常に表の社会の体質の強靭さの関数であるが、それは生命体におけるガン細胞の存在と同じで、正常はいつも異常を要素として内包している。病理現象が潜在の状態に留まっていれば、それはノーマルであると診断しているが、顕在化して発病状態を呈するなら要注意になる。それが社会のレベルで問題化する時が、世紀末や末世と呼ばれる症候群になるのだし、コミニュティである集団や会社などで起きた時には、スキャンダルや犯罪になると私は考えている。
 だから、精神病理や犯罪病理に属しているものが、強烈な自己主張を通じて表の世界に台頭しないで、日陰者として地下に潜っている限りは、たとえスキャングラスでも社会は健全性を維持できる。ところが、表の世界の体質が弱まって感染症を呈すと、そこに時代精神が病むような現象が一般化し、規範の崩壊と価値の転倒が蔓延することを通じ、その社会は発病状態に陥ってしまうのである。
 この病理の診断には二種類のアプローチがあつて、病因のパターン認識をする西洋医学の方法と、病症のパターン認識に基づく東洋医学があり、病因除去か偏向是正かをめぐって、根本的なアプローチ上の違いが存在し、私は病因の除去は不可能と考える立場をとる。
 それが治療において消極的だと承知の上で、私は漢方医学の証という概念を導入する。そして、社会の健康度と指導的立場の人間の資質から、まず病質を理解してから病位の診断を試み、更に病性を看た上で病勢を観察することで、私流のダイアグノシスをしてきたのだし、リクルート事件の持つ意味の考察も行って来た。こうして精神病理と犯罪病理が事件の主役を構成したが、同時にグレイゾーンに位置するコンプレツクスが絡み合い、特殊な病理現象を発生したと結論したのである。


 リクルート症候群と中曽根発疹

  一九三四年六月三十日は「長いサーベルの夜」と呼ばれ、第三帝国の歴史の分岐点になった日だが、突撃隊(SA)の幕僚長のエルンスト・レームを始め、突撃隊が殲滅されたことによって、親衛隊に守られたヒトラー独裁制が確立し、全体主義が世界史を狂わせる時代が始まった。病理学的にはマゾヒスト集団がサディスト集団を襲い、立場を逆転してSMコンプレックス化したのであるが、本質的には倒錯集団相互の権力争奪戦により、ゲーリング=ヒムラー枢軸が基盤を固めて、犯罪集団として驀進を開始したことで、ドイツは熱病に狂い立って暴虐の限りを尽くしたのである。
 アナロジーを通じて人類の精神史を描くことに、われわれは未だ成功する段階に至っていないが、ナチスの歴史の教訓を下敷きにすると、倒錯集団の台頭を放置することの危険性が理解できる。しかも、三島事件の洗礼を既に受けている日本にとっては、血の盟約やエリート集団が友情の美学に陶酔しながら、倒錯グループとして権力を握り秘かに結東するのを放置すれば、社会病理上の兆候として非常にクリティカルである。
 時代精神が似た因子を多大に含むだけでなく、精神構造や病跡上で三島に似た中曽根が権力を握って、倒錯人脈の集団に取り囲まれた時代があり、そこにリクルート事件の基盤が築かれたのだから、日本の運命にとって悪夢をそこに予想せざるを得なくなる。
 既に幾つかの不吉な兆候を掴み取っていたし、それとなくカルテに記録したものを読んだ読者が、新たな観察結果を情報として提供してくれたから、アメリカに居ながら私は日本の様子が良く分かった。そして、東京地検の特捜部の検事たちが研究しているのが、ヤクザや秘密結社についての文献であることや、特捜部には連日にわたり多数の情報が寄せられ、倒錯グループや被差別集団からの密告が多いことも知った。また、検察ではヤクザ、半島、同和、ホモの四つの人脈が、リクルート事件の核心を構成すると考えて、捜査を進めているという情報もあり、私は自分の歴史分析の手法を使った診断に対し、大いに自信を持って全体像を描きながら、北極星の上にいる気分で捜査の進展を眺めたのである。
 リクルート社が就職情報誌を出すに当たって最も苦慮したのが、被差別部落と半島出身者の扱いであり、就職斡旋が差別の拡大に結びついていた点が、問題を非常に複雑な方向に押しやっていた。だから、その方面に強いコネを持っていたので、森永事件の仲介役や労相をやつた山口敏夫や、部落解放同盟の大阪府連青年部長だった上田卓三などが、その方面に強いということでこの事件に議員として関与した。しかも、リクルートコスモスは大阪を中心にして、京都、神戸、堺などの周辺都市に、大型プロジエクトで次つぎにマンションを建て、その地上げや底地買い上げの先兵要員に、ヤクザやアウトロー予備軍を使っただけでなく、マンション販売の価格維持を考えて、入居者の選択にも差別原理を適用したのである。
 リクルート社にそのような意図があったことに加えて、江副や中曽根人脈に女装趣味があったが故に、予想外の内部告発が大量に行われたのだし、五百人を越す事情聴取を伴う大捜査になった。しかも、中曽根政権が旗を振った民活と諮問委員会政治は、自愛と自虐に彩られた時代風俗として、淫靡な空気を国政の中に持ちこんだために、アノミー化した社会が熱病で痙攣したのである。
 そのような状況を太平洋の対岸から観察していた時に、日本の記者だけでなく特派員までが動いて、色んな形で取材をした興味深い情報を、私の診断のデータベースの中に提供し続けた。その中には普通のルートでは入手困難な、「バラ族」とかいう特殊な雑誌の編集長を取材した話として、その人物が大阪の地検に出頭を命じられて訊間を受け、議員会館に美少年を配達している会社の名前や、議員や財界人で誰がその種の愛好者かに関し、知っていることを全て調書に取られたエピソードも含まれていた。東京地検は事件記者や外国の情報機関が、二四時間体制で見張っていたから、地検はノーマークの大阪を使って捜査を進めたのである。また、日米協会が倒錯集団の巣窟であるのは有名だし、日本文学をやるガイジンに倒錯趣味が多い上に、政治家や財界人にも精神の退行現象は珍しくない。また、かつて田中角栄を取り囲んだ「維新会」のメンバーがそうだが、老人になって性的にインポテンツになると、えてして権力指向の活動にのめり込む財界人が多いのである。
 このような問題はどこの国にもあるだろうが、ジャーナリズムが健全な感覚を維持している限りは、ペンの力を使った予防医学のキャンペーンを通じて、病理現象の顕在化を防ぐ上で貢献が続くはずである。それがタブーをタブーたらしめる行為であり、社会の側から個人を見る目の力の方が、個人の側から社会を見る視線より強ければ、社会規範が恣意的な自己主張より優位を保つのである。
 最近のアメリカで脚光を浴びている話題は、四八年間もFBIの終身長官として君臨を続け、大統領以上に権勢を振ったエドガー・フーバーが、倒錯精神で女装趣味の持ち主であり、ケネディーを脅してジョンソンを副大統領にして、戦後の米国の政治を狂わしてきた物語が発掘されている。病理人間が地下の世界を支配する限りでは、それほど大騒ぎする必要はないであろうが、逆に、表の世界の権力と結びついて采配を振るうと大問題を起こすのである。
 リクルート事件の背景に見え隠れしたように、アングラ勢力が紳士スタイルで権力と結び付き、倒錯の美意識が表の世界を闊歩し始めれば、中曽根時代のように価値の体系が逆転してしまう。そして、人目を忍ぶ湿疹が熱を帯びて発疹状態になり、更に勢いづいて発疹からバブルが発生して、財テクが空気伝染で投機熱を高めれば、狂乱の狼藉が社会を荒廃させてしまう。こうして日本が健康を損ねて生命力を放蕩したのが、中曽根バブルの病跡学の記録として残り、秘苑の狂宴の裏で巨悪が微笑するのを放置し、それがリクルート事件以来のヤクザ政治を招いたのである。






記事 inserted by FC2 system