『エネルギー』 1979年12月号
●新春対談● 日本エネルギー経済研究 所所長
生田豊朗 Fujiking Explomtion社長 石油開発コンサルタント 藤原肇(在カナダ)
エネルギー問題の捉え方 ――:石油ショック後、満5年を経ました。この間、石油供給に関する悲観的予測が内外から発表されましたが、最近では楽観論が台頭してきております。このような中にあって、藤原さんは今後のエネルギー問題をどう捉えておられますか。 藤原:このエネルギー問題はこれからいろんな形で変わっていくだろうと思うが、その中で日本がどう進めたらいいかわかってないで暗中模索して、一番手近な核分裂に飛びついている。なぜ飛びついたかというと、ベースになる石油開発の分野で何も持たず、とくにソフトウェアに相当するものをほとんど持っていないからです。
では、次の展望として何があるかというと、それもない。ちょうどあいている口の中へ飛び込んでいったことになり4、5年経った場合に日本人は高い授業料を払って教訓を得ることになると思います。
生田:私も大体同じことを考えているわけですが、外国でもある程度そうかもしれないけれども、とくに日本は国内でエネルギー問題の考え方のスタートラインが間違っているんじゃないかという気がときどきするんです。つまり、エネルギーはそれ自身が目的でなくて手段なんですね。経済や文明とかを支えたり、つくったりする手段に過ぎないわけです。だから、エネルギーは確保したが経済は死んでしまった、なんてことになってはなんにもならない。人間が病気のとき、すぐれた外科医がガンは完全に摘出したが死んでしまった。しかし手術は成功したんだとはいえないと同じことでね。そういう誤りがあるように思うんです。
藤原:おっしゃられたことは最も重要な部分なんですね。私は53年の本誌3月号に"MTKダイアグラム"というのを紹介したが、Mは労働力で、労働力を支えているのは食糧です。Tに相当するテクノロジーを支えているのはエネルギー、Kに相当するのが情報です。
生田:そこで石油の長期的な不足ということも原点を間違えると伸縮自在なんです。つまり成長率を落とせばいくらでもエネルギーの需要は減ってくる。だから需要と供給のバランスは成長率を変えればどうにもなるということでしょう。ゼロ成長にすればエネルギー需要は減ってくるが、実はそれで経済が持つか持たないかの方が問題なんですね。
――:最近いわれている楽観論にはどんな背景があるんでしょうか。 生田:一つには日本も世界も不況が続いているので、1973年の石油危機のときをスタートラインにすると、それから何年間か現実に世界経済は停滞して、エネルギー需要が小さくなったということになっている。ある意味では時間をかせいだわけですね。で、あまり増えないエネルギー需要を前提にして、これから世界経済が回復するにしてもベースが小さいから、予測したある時点―85年とか90年―のエネルギー需要は小さくなる。
――:すると、いままでいわれていた石油危機というものが80年代から90年代に延びるだけだということですね。 生田:いや、だからそれは成長率があまり上がらないという前提が一つ。それから、これは藤原さんの領域ですが、供給側で世界の石油需給のバランスについていろんな説があり、供給量でいうと一番違っているのはサウジアラビアです。これを除くとあまり違いはないんです。だから話を簡単にすると、サウジアラビアが何万バーレル/日の生産を85年なり、90年にすることによって、それが少なければ危機が早くくるし、多ければ先になるし、そこでかなり伸縮自在だということになってくる。 ――:藤原さんはこの石油需給について今世紀一杯どのように考えていますか。 藤原:これはみんなが予想しているほど供給の絶対量が大幅に伸びるわけではない。これがまず第1の問題です。というのはサウジアラビアなどはポテンシャルは大きいが、例えば現在、2次回収の問題とか、新しい技術にチャレンジしているが、その中でサウジアラビアが突然2000万バーレルとか3000万バーレル/日に伸びることはあり得ない。またいろんな国で発見されている云々ということもタイムラグがあり、本格的に動き出すには10年もかかるなどの問題があって、そんなに順調に伸びるわけでない。
生田:私もそう思う。例えば、最近の楽観的見通しですと、80年代とか85年とかいわれていた石油供給の不足時期が90年、95年とかを打ち出していることが楽観論といわれているが、これには現時点と90年の二つの点を比較してみるようなやり方が多いが、その点と点をつないだ線をみた場合に、その間全く何も起こらなくて、90年に突然石油の不足が起こるということはあり得ないわけです。いまの中東情勢は別にしてですよ。
――:藤原さん、メキシコや中国の確認埋蔵量というのが注目されているが、新しく発見されそうなもの、あるいは発見されつつあるものの評価をどうお考えですか。 藤原:メキシコは30年、40年前から絶対あるはずだと思っていたわけですよ。メキシコに突然大きい状態で出てきたというのはポリティカルなものが絡んできたのだというふうに理解しないといけない。第2に、メキシコの国営会社は少しずつ大きくなってきた。で、途上国あるいは社会主義国には共通していることですが、いわゆる目に見える技術と見えない技術というのがある。目に見えないものであればいくらでも受け入れる。ところが、目に見える技術はお断りであるという。例えば、リグなど持ってきてやるのは困るが、探鉱でどう石油を掘るかで協力を受けるのは歓迎するということでやってきた。アメリカの有能なコンサルタントがこれまで、メキシコのテクニシャンクラスの人たちを大量に育ててきた。そこでメキシコ側で発見したものを自力で掘れるんだという自信が出たので、彼らは逆にポリティカルに使って、できるだけ高く売り込もうとしている。が、実際問題としてどれだけの量があるのかは技術の問題とこれからのマーケットの問題に関連してくるわけです。
――:それに関連して、いまお話のメキシコ、中国、あるいはブラジルなど、日本からみれば供給源の多様化につながることになるが、これのポテンシャルはどうお考えですか。 生田:まさにいまお話の考え方には私も同感なんですよ。だからポリティカルに利用されるんなら利用されても、それで多角化ができれば日本としてはベターであろうと思うんです。
――:この間の「21世紀のエネルギービジョン」の中で、アジア地区で昭和65年ごろに1/3を占めたいとの答申があったが、これは可能な線なんですか。 生田:1/3ということは石油をどのくらい買うかというと、仮に大きくみて日本が1000万バーレル/日の石油を消費するとして330万バーレル/日、それはやろうと思ってできないことはないでしょうが、いまの石油政策だったらまずできないでしょうね。
――:藤原さん、最近可採年数が減るんじゃないかといわれているんですが、先行きはどうなんですか。 藤原:可採年数というのは役人の使う言葉であって、石油ビジネスをやっているものは重要視しないんです。ゼロには絶対に収斂していくものではなく、10ぐらいの単位で21世紀の半ばまでは続いていくでしょう。可採年数なんてのは経済的な要素、要するにどれだけペイするかどうか、それが決め手でしょう。それからもう一つは代替エネルギーとして出てくるものは、どれだけの競争力を持つのかどうかということも関係してくるので、かえってどんどん開いていってもっと大きくなると思うんです。 生田:確認埋蔵量を今の年間消費量で割るのを可採年数といっているが、すると今では30ぐらいといわれている。いま世界で年間200億バーレルぐらい消費していますね。で、確認埋蔵量に追加されるのは年間100億〜150億バーレルぐらいしかないから、差し引き50億バーレルぐらいは総体的に消費量に対比して減っているわけです。 ――:日本では可採年数が15ぐらいまで減ったらたいへんだという議論もありますね。 生田:最近アメリカのCIAが出したレポートが楽観説に変わって石油資源は問題ないというように日本では伝わっているが、これは間違いです。CIAのレポートを読むと、推定埋蔵量は2兆バーレルだというのは変えてないんですね。ただ回収率が高まるという意味で石油資源は今後増える可能性があるといっている。しかし資源量そのものとしては確認埋蔵量の増加は巨大油田が急激に減っているので、これからは増えないだろうということと、回収率の増加をてんびんにかけると楽観できないんだということで、あれは必ずしも楽観論じゃないと思うんですがね。 藤原:そう思います。いま中東などで掘られているのはほとんど構造性のものです。これが一段落すると現在アメリカがやっている小規模なものがかなり出てくる。
生田:だから藤原さんが批判されたよりももっと程遠いところから問違ってこういう議論が始まっているわけなんです。例えば、推定埋蔵量が2兆バーレルで年間消費量が200億バーレルだから100年持つから心配ないというのがあり、しかも相当高名な学者がそれで石油の不安はないといったりしているんです。これは確認埋蔵量までいかない議論でね。そこまでいくとそれから先が藤原さんの議論とかみ合ってくる。
藤原:それは当然ありますね。が、それ以上に大きなファクターとして値段がどうなるか、これが変わってくると、いままで輿味の対象になってないものが新しい油田となってくるから。 生田:いわれる通りですが、1次回収が限界までいったからといって2次回収をすれば石油そのものはあるわけだし,3次回収はまだまだ……。 藤原:ところが1次回収でのいわゆるインプットしたものとアウトプットしたものとのネットの問題がある。2次回収するとインプットの費用が大きくなるので、石油ビジネスはもうけが少なくなる。じゃあやめておこう。3次回収になるといよいよ少なくなる。放っておいて、石油があるんだといって鉱区とも売りとばすということで、またビジネスになりますからね。そういう石油の内部問題がわかってないと数字だけの議論になるわけです。 ――:いまのR/Pが日本でいわれているように、何年あるかと理解することが間違いのもとなんですね。 生田:ですからR/Pと簡単にいっちゃうからいけないんでね。Rをもう少し分解していかないといけないし、分解していくと、2次回収をするには価格が高くないとビジネスとしてはペイしない。ペイしないものは政府事業でやるとか、補助金を出すとかしないといけないし、いまのアメリカのような価格体系の問題も出てくるしね。 藤原:アメリカでは石油ビジネスはもうかるものであり、もうからない石油ビジネスはあり得ないという考え方があるんです。日本ではもうかろうともうかるまいと石油に携わっていれば石油ビジネスだと思っているんですね。 ――:アメリカと日本の国情の違いといったものが出てくるんでしょうね。 生田:出てくるが、日本の場合も、とにかく極端な例だが、石油がバーレル100ドルのものでも100ドルで売る前提で掘れば掘れるんだといった場合に、それでも掘るかどうか、これは一種の政策的な決断であって、値段にかまわず欲しいということならバーレル1万ドルであろうと掘る。しかし経済はそういうものではなくて価格とのバランスがあるからね。 藤原:石油に限らず日本の産業社会は、いわゆるビジネスはもうけを前提にして行われるんだという発想が何十年か前に消えてしまっているわけですね。そういう意味では日本のビジネスはおかしな状態で動いているということです。
――:次に、かねて日本でエネルギーの自立化といわれているが、果たして自立化できるのか、あるいは日本にとっての自立化とはどういうことをいうのか……。 藤原:エネルギーの自立化というと、皆さんが単純に考えるのは、日本が使うエネルギーを日本人がどこから持ってくるか、そのバランスが完全に保たれ、いわゆる国内自給自足思想が中心になっている。できるならば自立化には日本人の手ですべてやりたいというのが通産省を中心にした考え方であると思うんです。
――:そうしたネットワークをつくることは日本にとって可能なんですか。 藤原:可能ですし、むしろその方向であらゆるビジネスが行われなければいけないと考えるんです。 生田:だから自給自足という考え方は、つまり国内で生産され供給されるものでなければ不安定だというのは、アメリカの政策には安全保障の見地からその傾向が非常に強い。アメリカの石油依存は4割で、その半分が輸入ですから全体で2割しか依存していない。日本は逆で85%が輸入ですからね。アメリカがその20%をあれだけ重要視しているのは、ソ連との対比で考えればそれだけウイークポイントがあるということです。メキシコの油も陸続きで、パイプラインで持ってこれるということで興味のあるところでしょうね。
藤原:そういう世界の中で、むしろ日本の安全は他国の力を使いながら確保できるんだという戦略が出てこなければいけない。そういう意味では、いろんなチャネルをできるだけ複雑に張りめぐらして生きていく。それから日本列島に日本人が集まるんでなく外へ出ていって、外でできるものは外でやっていくということで、日本の産業社会を多国籍化、国際化していかねばならんという発想が出てくると思うんです。
――:そのチャネルの多様化というのは国際協調がベースだと思いますが、国際協調の秘策といったものは‥‥。 生田:そんなものはないでしょうね。ごく平凡な常識的なことしかないと思います。日本人のものの考え方を国際化するということが出発点であって、それをやらないといけません。 ――:文化面などを含めたいろんな面でね。 生田:そうですね。 藤原:どこともビジネスを一緒にやっていくということです。例えば、一緒にやるといっても、中国なら中国の石油を日本へ持ってきたいという形だけでやると、本当の意味でいい話は全部つぶれてしまう。それは国際協調ではないわけですよ。それから日本は、直接ゴールが見えるものはやっていくが、ゴールのためにはいろんなことをそれに関連してやっていきたいというと、全部つぶれてしまう。それが続く限り、日本に対してエサになるものを正面に持ってくるビジネスしか行われない。だから長期的には決して国際協調にはならないわけです。 生田:それから日本の予算制度のあたりに基本的な欠陥があると思うんです。まさにゴールは見えないが、相当の確率で可能性があっても、カネにならないものとしてかたずけられ、非常にはっきりした形のものしか予算をつけられないというのが多いわけですね。必ず成功することが証明されていなければ試験をやってはいけないことになっている。実はこれは矛盾ですね。例えば、ある技術開発での試運転で故障すると、けしからんといって批判される。故障するかどうか試すのが試運転であってね(笑)。故障が起きるというのは一つの成果なんですが、それが許されない。ということは資源開発では相当の制約になってくるわけです。
――:最後に日本のエネルギー政策はどうあるべきか、何を望むのかということについては……。 藤原:日本のエネルギー政策はビジネスとして成り立つものをやっていくことが基本としてなければいけない。最初からポリティカルなベースというのは必ず破綻をあとに追いやっているだけで、税金での穴埋めを繰り返すだけです。その意味で日本のエネルギー政策は、石油でも原子力でも石炭でも、民間企業の総意のもとに行われている形態は皆無ですから、それを育てていく方向でエネルギー問題を考えていかなければいけないと思います。 生田:私は、エネルギーは手段であって目的ではないわけですね。エネルギー需給を安定化するために経済の規模を小さくしてしまうのは簡単ですが、経済には経済の必要な規模なり成長があるので、それに合わせたエネルギーを確保することが本当のエネルギー政策だと思います。そうだとすると、日本のおかれているエネルギー資源の環境からすると、エネルギーを獲得して使っていくコストが高くなっていかざるを得ない。これは覚悟しなければいけない。
(司会 本誌編集長・大島謙四郎)
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