『エネルギー』 1979年12月号

●新春対談●

日本エネルギー経済研究 所所長
生田豊朗
Fujiking Explomtion社長 石油開発コンサルタント
藤原肇(在カナダ)



日本のエネルギー供給を考える
自立化は、国際チャネルのより多い組み合わせで



 このところ世界経済の景気不振のあおりをうけて、石油需給は一時的に緩和の様相を呈している。しかしながら長期的には、エネルギー問題の困難さが何ら変わっていないことも事実だ。とくにここ数年、脱石油を図るための代替エネルギーの開発、導入が進められてきているが、わが国にとっては今後も、依然石油を中心とするエネルギー供給体制を続けざるを得ない。  そこで、この大宗をなす石油資源の供給が悲観・楽観の入り混った予測にあって、これらをどう捉えたらよいのか、わが国の石油確保はどう進めたらよいのか一などについて、日本エネルギー経済研究所長・生田豊朗氏と、石油開発コンサルタントとして活躍されている在カナダの藤原肇氏が対談した。



エネルギー問題の捉え方

――:石油ショック後、満5年を経ました。この間、石油供給に関する悲観的予測が内外から発表されましたが、最近では楽観論が台頭してきております。このような中にあって、藤原さんは今後のエネルギー問題をどう捉えておられますか。

藤原:このエネルギー問題はこれからいろんな形で変わっていくだろうと思うが、その中で日本がどう進めたらいいかわかってないで暗中模索して、一番手近な核分裂に飛びついている。なぜ飛びついたかというと、ベースになる石油開発の分野で何も持たず、とくにソフトウェアに相当するものをほとんど持っていないからです。  では、次の展望として何があるかというと、それもない。ちょうどあいている口の中へ飛び込んでいったことになり4、5年経った場合に日本人は高い授業料を払って教訓を得ることになると思います。
 ただ、このエネルギー問題は産業を中心にして考えた場合、非常に重要な問題です。いま痛感していますことは、エネルギー問題の前提になっているわれわれの経済全体の問題が、ここへきて非常におかしな方向へいっていることです。エネルギー問題でわれわれがいい選択をしたとしても、一体日本経済はこれから生き延びていけるのかどうか、むしろ、その問題が先に出てきて、エネルギー問題よりもそっちが重要になってしまうのではないか。エネルギーに限定した場合はたくさんの問題点はあるが、それとのかねあいでエネルギー問題を扱っていかなければならないという感じをしています。

生田:私も大体同じことを考えているわけですが、外国でもある程度そうかもしれないけれども、とくに日本は国内でエネルギー問題の考え方のスタートラインが間違っているんじゃないかという気がときどきするんです。つまり、エネルギーはそれ自身が目的でなくて手段なんですね。経済や文明とかを支えたり、つくったりする手段に過ぎないわけです。だから、エネルギーは確保したが経済は死んでしまった、なんてことになってはなんにもならない。人間が病気のとき、すぐれた外科医がガンは完全に摘出したが死んでしまった。しかし手術は成功したんだとはいえないと同じことでね。そういう誤りがあるように思うんです。
  そこで私は、最近はエネルギー問題というのは一体何かといった場合、価値観という言葉を使っている。いわばスタートラインを揃えないと議論が分散してかみ合わないということから、そんなことを考えているわけですね。したがって、エネルギー政策は経済政策の中の一部だということです。

藤原:おっしゃられたことは最も重要な部分なんですね。私は53年の本誌3月号に"MTKダイアグラム"というのを紹介したが、Mは労働力で、労働力を支えているのは食糧です。Tに相当するテクノロジーを支えているのはエネルギー、Kに相当するのが情報です。
 つまり情報とエネルギーと食糧の三つがあります。そこで、日本は情報に関しては全くできていないで、これが政治の問題になり、経済問題になっている。そしてテクノロジーという問題が経済問題のアキレス腱になっている。食糧問題はある程度カネで解決されるということで、今のところはそれほど大きな問題にはなっていないが、これも大きな問題になってこざるを得ない。
 このようなワクの中で考えたときに、一つの国の中でのエネルギー問題は三つの足の一つですから非常に重要だということです。ところがこれを支えている国家の生存自身が非常に危なくなってきている。だから日本はこれから一体どういう生き方をしていくのかというワク組みの中で、エネルギー問題を捉えなければならない。日本の産業社会は重工業的であり、あるいはテクノロジーをベ一スにした労働力集約型と技術集約型の産業社会であるから、これを支えていくにはエネルギーは一番重要だということになりますね。

生田:そこで石油の長期的な不足ということも原点を間違えると伸縮自在なんです。つまり成長率を落とせばいくらでもエネルギーの需要は減ってくる。だから需要と供給のバランスは成長率を変えればどうにもなるということでしょう。ゼロ成長にすればエネルギー需要は減ってくるが、実はそれで経済が持つか持たないかの方が問題なんですね。
 いわゆるエネルギー危機といわれるものがどういう形で出るかについて、かなり間違った感じが持たれているんでね。例えば、中東戦争が起きて石油の生産が激減すると、突如その供給が中断することはありえるわけですが、その他に長期的にみた場合、石油の限界がいつくるかとか、代替エネルギーの供給が足りるかどうかの話になってきておりますが、実はそうではなくて、例えば、エネルギーの価格が上がるとか、供給量がじわじわ減ってくるとかによって、それに見合った需要の大きさなり構造に変わってくるということなんですね。ということは、経済そのものがかなり弱ってくる形でエネルギー危機は出るのだから、そこを問題外にして成長率が下がれば需給がバランスするから問題ないという言い方は全く間違っていて、目的と手段を混同したものであるということになる。


石油需給をどう予測するか

――:最近いわれている楽観論にはどんな背景があるんでしょうか。

生田:一つには日本も世界も不況が続いているので、1973年の石油危機のときをスタートラインにすると、それから何年間か現実に世界経済は停滞して、エネルギー需要が小さくなったということになっている。ある意味では時間をかせいだわけですね。で、あまり増えないエネルギー需要を前提にして、これから世界経済が回復するにしてもベースが小さいから、予測したある時点―85年とか90年―のエネルギー需要は小さくなる。
 もう一つは、いま不況だからこれからも高い成長率は期待できないだろうということが世界的に強いので、かつて想定したよりも低い成長率を考える。日本経済に例をとると、7%以上といったのが6%、あるいはそれ以下になるというように、下げてくればエネルギー需要も減るわけです。だから供給側が一定とすると、その分だけ余剰ができてくる。そこで80年代と想定していた危機が90年代、95年代とかになるだけで、これでは実は本質的には何も問題が解決されたということにはなっていないわけです。

――:すると、いままでいわれていた石油危機というものが80年代から90年代に延びるだけだということですね。

生田:いや、だからそれは成長率があまり上がらないという前提が一つ。それから、これは藤原さんの領域ですが、供給側で世界の石油需給のバランスについていろんな説があり、供給量でいうと一番違っているのはサウジアラビアです。これを除くとあまり違いはないんです。だから話を簡単にすると、サウジアラビアが何万バーレル/日の生産を85年なり、90年にすることによって、それが少なければ危機が早くくるし、多ければ先になるし、そこでかなり伸縮自在だということになってくる。

――:藤原さんはこの石油需給について今世紀一杯どのように考えていますか。 

藤原:これはみんなが予想しているほど供給の絶対量が大幅に伸びるわけではない。これがまず第1の問題です。というのはサウジアラビアなどはポテンシャルは大きいが、例えば現在、2次回収の問題とか、新しい技術にチャレンジしているが、その中でサウジアラビアが突然2000万バーレルとか3000万バーレル/日に伸びることはあり得ない。またいろんな国で発見されている云々ということもタイムラグがあり、本格的に動き出すには10年もかかるなどの問題があって、そんなに順調に伸びるわけでない。
 ところが突然供給が断たれる可能性にはいろんなファクターがある。例えば、いま起こっているイランの政情不安、サウジアラビアが絶対安定か、また景気が回復して世界の消費量が大幅になるのか、ソ連の供給体制がどうなるのかなど、突然供給途絶につながる大きなものがあるが、生産が伸びる可能性としてはスムーズに伸ぴていくよりしようがない。突然大きくなり得ないですね。

生田:私もそう思う。例えば、最近の楽観的見通しですと、80年代とか85年とかいわれていた石油供給の不足時期が90年、95年とかを打ち出していることが楽観論といわれているが、これには現時点と90年の二つの点を比較してみるようなやり方が多いが、その点と点をつないだ線をみた場合に、その間全く何も起こらなくて、90年に突然石油の不足が起こるということはあり得ないわけです。いまの中東情勢は別にしてですよ。
 それではその途中でどうにかならんのかというと、むしろ90年以後に予想されるのは一種の構造的な石油不足の状況ですが、その間に一種の循環的な石油不足が短期的に起こるかどうかというと、これは世界経済の成長率いかんによってはわからないんですね。OECD諸国でもある程度経済回復が軌道に乗ってくると、その時期で一時的に供給不足―それは価格上昇の形で―が起こる可能性は考えなければならない。そういうことを繰り返しながら90年代の構造的な供給不足の方向に接近していくと思われるので、いまいった二つの点を比べて、良い悪いの議論は欠落した部分が大きい考え方と思うんです。


供給源の多様化

――:藤原さん、メキシコや中国の確認埋蔵量というのが注目されているが、新しく発見されそうなもの、あるいは発見されつつあるものの評価をどうお考えですか。

藤原:メキシコは30年、40年前から絶対あるはずだと思っていたわけですよ。メキシコに突然大きい状態で出てきたというのはポリティカルなものが絡んできたのだというふうに理解しないといけない。第2に、メキシコの国営会社は少しずつ大きくなってきた。で、途上国あるいは社会主義国には共通していることですが、いわゆる目に見える技術と見えない技術というのがある。目に見えないものであればいくらでも受け入れる。ところが、目に見える技術はお断りであるという。例えば、リグなど持ってきてやるのは困るが、探鉱でどう石油を掘るかで協力を受けるのは歓迎するということでやってきた。アメリカの有能なコンサルタントがこれまで、メキシコのテクニシャンクラスの人たちを大量に育ててきた。そこでメキシコ側で発見したものを自力で掘れるんだという自信が出たので、彼らは逆にポリティカルに使って、できるだけ高く売り込もうとしている。が、実際問題としてどれだけの量があるのかは技術の問題とこれからのマーケットの問題に関連してくるわけです。
 それから石油問題を考えるとき、日本で一番欠落しているのは、石油はどれだけの量があるのかということだけで議論をしていることです。これでは全部蜃気楼になってしまう。そうじゃなくて、国際価格がこれだけで、それを掘るのにどれだけインプットしなければならないか、それとアウトプットしたものの差がこれだけ大きい、それに生産量をかけるとこれだけになる、だからわれわれは掘るんだ、というベースで石油開発は行われる。
 ところが中国の場合をみても、まさにその通りで、日本ほこのペテンにひっかかっているわけです。中国は1800万〜200万バーレル/日近いものを昨年出しているし、いままで30%、50%を輸出してきた。われわれは将来日本が買うんならば600万バーレル/日だって出せるという議論を彼らはやっている。ところが中国の石油開発をみると、陸成層でソ連・モンゴル国境近いところで、地質データでは浅くて構造的にみつけやすく、非常に簡単な油田がほとんどなんです。中国はアメリカに比べたら石油開発では50年か60年遅れていると思うし、ヨーロッパは5年遅れ、ソ連も5年、日本は30年遅れている。なぜかというと、アメリカが1940年代にやっていたことを日本はいまやっているからで、これは努力して追いつこうとすれば3年か5年で追いつけるかもしれない。
 もう一つ中国で、すでに開発された油田はモンゴル・ソ連国境地帯で、もし紛争が起きたら戦場になる地域なんです。すると石油とか食糧とかの供給が兵站の意味から戦うベーシックなものになるので、供給地をできるだけ離した所に欲しいということ、これは私が元首だったら当然考えることです。で、彼らが石油開発をするとすれば海南島周辺とか、朱江河口とかが簡単ですから掘りたいと思った。そこへ日本を呼び込むにしても、技術はたかが知れているが、オフショアの技術はあるし呼び込んでもいい。そこで重要なのはネットの問題です。要するに大量に出ても、出る石油のコストが9〜10ドルもかかれば、それで近代化をやろうとしても使えない。すると日産2200万バーレルにしたところでトータルとしては使えるものは少ない。できるならばポリティカルな使い方をしなければいけない。逆に民間ベースではペイしない。だからペイするところでやらなければいかん。渤海湾などは日本をひきずりこむに一番いいしね。

――:それに関連して、いまお話のメキシコ、中国、あるいはブラジルなど、日本からみれば供給源の多様化につながることになるが、これのポテンシャルはどうお考えですか。

生田:まさにいまお話の考え方には私も同感なんですよ。だからポリティカルに利用されるんなら利用されても、それで多角化ができれば日本としてはベターであろうと思うんです。
 ただ、メキシコにしても中国にしても、例えば、メキシコの大統領が訪日して石油の話が出て、あそこには資源があるということになると、それで石油問題は心配がなくなったというふうに飛躍するんですが、そんなことはないわけですよ。これは石油のイロハですが、資源があることと生産されることとは別問題であって、生産量ベースで考えると、メキシコでもいま120万〜130万バーレル/日ですが、あとどのくらい増えるかはメキシコのポリシーによりますが、楽観的な見通しでも500万バーレル/日、仮に500万に増えたとしても、いまと比べると350万バーレル/日しか増えない。これは世界全体の石油の生産ないし消費に比べると5%ぐらいなんです。中国の場合はもっと少ない。そうだとすると日本にとってメキシコ、中国などから買うことが、この供給源を変えることには役立つが、それを世界の石油需給と結びつけて、もう心配はいらないというふうに短絡して考えるのは間違いですね。

――:この間の「21世紀のエネルギービジョン」の中で、アジア地区で昭和65年ごろに1/3を占めたいとの答申があったが、これは可能な線なんですか。

生田:1/3ということは石油をどのくらい買うかというと、仮に大きくみて日本が1000万バーレル/日の石油を消費するとして330万バーレル/日、それはやろうと思ってできないことはないでしょうが、いまの石油政策だったらまずできないでしょうね。


可採年数とは何か

――:藤原さん、最近可採年数が減るんじゃないかといわれているんですが、先行きはどうなんですか。

藤原:可採年数というのは役人の使う言葉であって、石油ビジネスをやっているものは重要視しないんです。ゼロには絶対に収斂していくものではなく、10ぐらいの単位で21世紀の半ばまでは続いていくでしょう。可採年数なんてのは経済的な要素、要するにどれだけペイするかどうか、それが決め手でしょう。それからもう一つは代替エネルギーとして出てくるものは、どれだけの競争力を持つのかどうかということも関係してくるので、かえってどんどん開いていってもっと大きくなると思うんです。

生田:確認埋蔵量を今の年間消費量で割るのを可採年数といっているが、すると今では30ぐらいといわれている。いま世界で年間200億バーレルぐらい消費していますね。で、確認埋蔵量に追加されるのは年間100億〜150億バーレルぐらいしかないから、差し引き50億バーレルぐらいは総体的に消費量に対比して減っているわけです。

――:日本では可採年数が15ぐらいまで減ったらたいへんだという議論もありますね。

生田:最近アメリカのCIAが出したレポートが楽観説に変わって石油資源は問題ないというように日本では伝わっているが、これは間違いです。CIAのレポートを読むと、推定埋蔵量は2兆バーレルだというのは変えてないんですね。ただ回収率が高まるという意味で石油資源は今後増える可能性があるといっている。しかし資源量そのものとしては確認埋蔵量の増加は巨大油田が急激に減っているので、これからは増えないだろうということと、回収率の増加をてんびんにかけると楽観できないんだということで、あれは必ずしも楽観論じゃないと思うんですがね。

藤原:そう思います。いま中東などで掘られているのはほとんど構造性のものです。これが一段落すると現在アメリカがやっている小規模なものがかなり出てくる。
 一つ一つのものは小さいが絶対量としては大きなものです。いまはそれを評価に入れないで確認埋蔵量の議論がされているし、また、それに対して回収の問題が大きく変わってくるから、あまり確認埋蔵量の議論をしても意味がないんです。この確認埋蔵量を議論する人はみんなエコノミストなんですね。だからその数字を信じて議論するが、私どもは、そういう議論が始まると、いったいどういう数字がお望みですか、われわれはウソをつかないし、少なくともサイエンスのベースだけでもご注文に応じて、どういう状況でもつくれますよといってやるんです。

生田:だから藤原さんが批判されたよりももっと程遠いところから問違ってこういう議論が始まっているわけなんです。例えば、推定埋蔵量が2兆バーレルで年間消費量が200億バーレルだから100年持つから心配ないというのがあり、しかも相当高名な学者がそれで石油の不安はないといったりしているんです。これは確認埋蔵量までいかない議論でね。そこまでいくとそれから先が藤原さんの議論とかみ合ってくる。
 いま確認埋蔵量が6000億バーレルといわれており、これが最後の一滴まで使われてしまうのか、それとも確認埋蔵量があってもどこまで掘れるかを分けて考えないといけないのに、そこがはっきりしてないので、さっきの可採年数が15になると増産の限界になるということが通説になっているが、どうしてそうなるのか解明されてないんですね。
 これはちょっと教えていただきたいんですが、世界の石油生産の歴史の中で油田が減衰してきた歴史はアメリカしかない。たしかアメリカの可採年数が10を割っているが、アメリカの場合はそれが15ぐらいになったときに1次回収が難しくなるという意味で、物理的に生産がダウンするということなんですか。

藤原:それは当然ありますね。が、それ以上に大きなファクターとして値段がどうなるか、これが変わってくると、いままで輿味の対象になってないものが新しい油田となってくるから。

生田:いわれる通りですが、1次回収が限界までいったからといって2次回収をすれば石油そのものはあるわけだし,3次回収はまだまだ……。

藤原:ところが1次回収でのいわゆるインプットしたものとアウトプットしたものとのネットの問題がある。2次回収するとインプットの費用が大きくなるので、石油ビジネスはもうけが少なくなる。じゃあやめておこう。3次回収になるといよいよ少なくなる。放っておいて、石油があるんだといって鉱区とも売りとばすということで、またビジネスになりますからね。そういう石油の内部問題がわかってないと数字だけの議論になるわけです。

――:いまのR/Pが日本でいわれているように、何年あるかと理解することが間違いのもとなんですね。

生田:ですからR/Pと簡単にいっちゃうからいけないんでね。Rをもう少し分解していかないといけないし、分解していくと、2次回収をするには価格が高くないとビジネスとしてはペイしない。ペイしないものは政府事業でやるとか、補助金を出すとかしないといけないし、いまのアメリカのような価格体系の問題も出てくるしね。

藤原:アメリカでは石油ビジネスはもうかるものであり、もうからない石油ビジネスはあり得ないという考え方があるんです。日本ではもうかろうともうかるまいと石油に携わっていれば石油ビジネスだと思っているんですね。

――:アメリカと日本の国情の違いといったものが出てくるんでしょうね。

生田:出てくるが、日本の場合も、とにかく極端な例だが、石油がバーレル100ドルのものでも100ドルで売る前提で掘れば掘れるんだといった場合に、それでも掘るかどうか、これは一種の政策的な決断であって、値段にかまわず欲しいということならバーレル1万ドルであろうと掘る。しかし経済はそういうものではなくて価格とのバランスがあるからね。

藤原:石油に限らず日本の産業社会は、いわゆるビジネスはもうけを前提にして行われるんだという発想が何十年か前に消えてしまっているわけですね。そういう意味では日本のビジネスはおかしな状態で動いているということです。


日本のエネルギー自立化とは?

――:次に、かねて日本でエネルギーの自立化といわれているが、果たして自立化できるのか、あるいは日本にとっての自立化とはどういうことをいうのか……。

藤原:エネルギーの自立化というと、皆さんが単純に考えるのは、日本が使うエネルギーを日本人がどこから持ってくるか、そのバランスが完全に保たれ、いわゆる国内自給自足思想が中心になっている。できるならば自立化には日本人の手ですべてやりたいというのが通産省を中心にした考え方であると思うんです。
 しかし、エネルギー問題を考えると、エネルギーそのものをどう移動するということでなく、どう変えて持ってくるか、例えば、日本が北海で掘って得た石油を、インドネシアの石油に置き替えて持ってくるのも一つの供給の方法になる。要するに日本が多角的にいろんなものと組み合わさって、間にいろんなものがあればあるほど、一つに依存する危険性は少なくなってくると思う。
 だから自立化というのは、できるだけリスク・ファクターを分散させてはじめて本当の意味の自立化ができると思うんです。

――:そうしたネットワークをつくることは日本にとって可能なんですか。

藤原:可能ですし、むしろその方向であらゆるビジネスが行われなければいけないと考えるんです。

生田:だから自給自足という考え方は、つまり国内で生産され供給されるものでなければ不安定だというのは、アメリカの政策には安全保障の見地からその傾向が非常に強い。アメリカの石油依存は4割で、その半分が輸入ですから全体で2割しか依存していない。日本は逆で85%が輸入ですからね。アメリカがその20%をあれだけ重要視しているのは、ソ連との対比で考えればそれだけウイークポイントがあるということです。メキシコの油も陸続きで、パイプラインで持ってこれるということで興味のあるところでしょうね。
 しかし日本はそんなことをいったら絶対にやっていけない。これはエネルギーのみならず食糧にしても圧倒的に輸入依存分野が大きい。そして日本自身、国際経済の中でしか生きられない形になっているので、その中でエネルギーだけ自給自足というのはかなりずれた考え方になる。私がいっているのは自給自足でなく、むしろ国際的な相互依存という、まさにネットワークの中で日本が有利に生きるにはどうしたらいいかという考え方をしないと、限られた部分では需給度を高めるのは可能かもしれないが、それが経済全体としての持つ意味になるとかなり疑問だと思うんです。

藤原:そういう世界の中で、むしろ日本の安全は他国の力を使いながら確保できるんだという戦略が出てこなければいけない。そういう意味では、いろんなチャネルをできるだけ複雑に張りめぐらして生きていく。それから日本列島に日本人が集まるんでなく外へ出ていって、外でできるものは外でやっていくということで、日本の産業社会を多国籍化、国際化していかねばならんという発想が出てくると思うんです。


エネルギー確保と国際協調

――:そのチャネルの多様化というのは国際協調がベースだと思いますが、国際協調の秘策といったものは‥‥。

生田:そんなものはないでしょうね。ごく平凡な常識的なことしかないと思います。日本人のものの考え方を国際化するということが出発点であって、それをやらないといけません。

――:文化面などを含めたいろんな面でね。

生田:そうですね。

藤原:どこともビジネスを一緒にやっていくということです。例えば、一緒にやるといっても、中国なら中国の石油を日本へ持ってきたいという形だけでやると、本当の意味でいい話は全部つぶれてしまう。それは国際協調ではないわけですよ。それから日本は、直接ゴールが見えるものはやっていくが、ゴールのためにはいろんなことをそれに関連してやっていきたいというと、全部つぶれてしまう。それが続く限り、日本に対してエサになるものを正面に持ってくるビジネスしか行われない。だから長期的には決して国際協調にはならないわけです。

生田:それから日本の予算制度のあたりに基本的な欠陥があると思うんです。まさにゴールは見えないが、相当の確率で可能性があっても、カネにならないものとしてかたずけられ、非常にはっきりした形のものしか予算をつけられないというのが多いわけですね。必ず成功することが証明されていなければ試験をやってはいけないことになっている。実はこれは矛盾ですね。例えば、ある技術開発での試運転で故障すると、けしからんといって批判される。故障するかどうか試すのが試運転であってね(笑)。故障が起きるというのは一つの成果なんですが、それが許されない。ということは資源開発では相当の制約になってくるわけです。


エネルギー政策のあり方は?

――:最後に日本のエネルギー政策はどうあるべきか、何を望むのかということについては……。

藤原:日本のエネルギー政策はビジネスとして成り立つものをやっていくことが基本としてなければいけない。最初からポリティカルなベースというのは必ず破綻をあとに追いやっているだけで、税金での穴埋めを繰り返すだけです。その意味で日本のエネルギー政策は、石油でも原子力でも石炭でも、民間企業の総意のもとに行われている形態は皆無ですから、それを育てていく方向でエネルギー問題を考えていかなければいけないと思います。

生田:私は、エネルギーは手段であって目的ではないわけですね。エネルギー需給を安定化するために経済の規模を小さくしてしまうのは簡単ですが、経済には経済の必要な規模なり成長があるので、それに合わせたエネルギーを確保することが本当のエネルギー政策だと思います。そうだとすると、日本のおかれているエネルギー資源の環境からすると、エネルギーを獲得して使っていくコストが高くなっていかざるを得ない。これは覚悟しなければいけない。
 それから自由企業としての限界があれば政府がカバーしなければいけないが、これには価格の形で負担するか、税金の形で負担するかになります。結局、日本にないものを有利な形で確保しようと思えば、価格なり税金なりの形で国民の負担は増えてくることを覚悟はしないといけない。全部を通してコストとベネフィットのバランスを中心にしてものを考えることをしないと、方向がずれていってどうにもならないことになる。これが大事なことですね。

(司会 本誌編集長・大島謙四郎)


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