『真相の深層』2004年春号

藤原肇


小泉純一郎の破廉恥事件にまつわる日本のメディアの腰抜け



「破廉恥事件を起こした男でも首相になれる国」

森喜朗は「フカの脳みそ」と新聞記者に書かれ、「ノミの心臓」と椰楡された政治家であり、日本の憲政史上で最低の首相と呼ばれたが、彼の金ピカの経歴には破廉恥事件があり、早大生だった時に売春取締条例で逮捕され、指紋まで取られた記録が残っている。それを報道したのが『噂の真相』誌であり、辣腕記者の西岡研介は取材経過をまとめて、『噂の真相トップ屋稼業」(講談社)に事件の詳細を報告している。西岡記者に情報を漏らしたのは警察の幹部で、「犯歴番号」や「指紋番号」を秘かに教えたX氏は、政治腐敗に憤りを持つ良心的な官僚であり、こういう人の存在が日本人の誠を伝えている。私も読者の警察官僚がある日のこと真顔で、『諸君』を創刊し『文芸春秋』の編集長になり、最後には社長を歴任した田中健五が若い頃に、川島広守の子分として内調の使い走りをやり、それで出世したという話を教えてくれたことがある。この件を拙著『インテリジェンス戦争の時代」や『夜明け前の朝日』(鹿砦社)に書き、「歴史の証言」として記録した私は、山岡記者の情報力と信用度を高く評価する。だが、警察や裁判所が権力者に追従する中で、報道の自由を抑圧する名誉殿損訴訟を蔓延させ、罰金刑や和解がメディアを萎縮させた結果、『噂の真相」は休刊になり活動を停止した。この破廉恥首相の森政権を森派代表として支え、無能内閣が破綻して棚ボタで首相になったのが、田中真紀子に変人と呼ばれて支援を受けた、はぐれ鴉で世襲議員の小泉純一郎であり、日本の政界にはどす黒い系譜が伝わっている。


「30年間も眠っていた情報の蘇生」

2001年4月25日に小泉純一郎が首相になり、その数日後の新聞を読んだ私に閃きが走り、30年間も記憶の底に沈んでいた古い情報が、新首相の横顔という記事によって蘇った。そこには新首相の父親が防衛庁長官であり、小泉首相が30年前にロンドンに留学したとあり、この二つの情報の組み合わせが、私のインテリジェンス感覚を痛く刺激した。しかも、スパークの火花は半世紀以上の時間を超え、太平洋や大西洋を飛び越えた空間として、ヨーロッパで体験したエピソードに結びついた。それはフランスで学位論文を準備していた頃であり、30年ほど前の私は三井物産の資源顧問をしたが、パリで会ったロンドンから来た人との会話が関係している。その人が喋ったのは「父親は二流の官庁の長官をしているが、その息子が婦女暴行で警察に捕まり、ほとぼりが冷めるまでロンドンに留学して、云々」という話であり、ゴシップ的な情報ですっかり忘れていたのに、新首相の経歴を伝える新聞記事に触発されて、私の海馬に陣取る記憶細胞が励起したらしい。


「真のジャーナリストと売文業者の違い」

2001年半ばの私はロスの「日米文化会館騒動」の取材で、50人近い人と会う取材のために忙しかったから、秋の墓参の訪日まで小泉問題は棚上げだった。日系社会の寄付で成り立つ施設が私物化され、専務理事の年俸や経費が30万ドルに達し、叙勲の推薦料が利権化している問題をまとめて、「ロスの日米文化会館騒動に見る日系コミュニティの混迷」と題した記事に仕上げた。これを『新潮45』に寄稿するので10月に訪日した時に、早川編集長を訪ねたら『週刊新潮』に移籍になり、彼に会って『新潮45』の新編集長の紹介を頼むと、「彼女は政治や社会問題に関心がなく、騒ぐ記事に編集路線が変わるから、会っても無駄でしょう」と言われた。かつて亀井龍夫編集長から「XXのテーマで書きませんか」と言われた時に、「そういう記事は西部適か福田和也が適役で、カネになれば何でも喜んでやるから、売文は絶対にしない江戸っ子の私でなく、見ず転学者の彼らに声をかけたらどうですか」と断ったことがある。「女がやるのが売春で、男がやるのが売文だ」と考える私は、過去30年間に注文で書いたことは一度もなく、大事だと思ったテーマをまとめて寄稿して来たし、この姿勢のため記事の大半はボツだった。しかし、真のジャーナリストは自分でテーマも長さも決め、注文で書くのは売文業者だと考えるが、世界のジャーナリズムは寄稿の記事で成り立つのに、日本のメディアの大勢は注文記事で花盛りだ。


「破廉恥事件を知っていたメディアの幹部たち」

早川清編集長との雑談で小泉の過去を話題にしたら、彼は事件の概要を知っていたのであり、「調書でも手に入ればいいが」と言葉を濁した。この発言に勇気づけられた私は読者たちに電話し、20人くらいの記者や編集者に会うと、小泉の事件を知らないかと問いただした。私にはジャーナリズムの堕落を論じた著書があり、『朝日と読売の火ダルマ時代』は6年の取材に700万円の経費を注ぎ、39社に断られてやっと出版が実現した。記事が夕刊紙や雑誌に注目されて特報になり、それらの収録と朝日新聞の疑惑に加え、野村秋介の自殺や本多勝一の虚言を検証して、『夜明け前の朝日』(鹿砦社)も出していた。私がメディアで国際石油政治を論じた頃に、取材やインタビューにきた記者の多くは、その後は編集長や編集委員クラスになっており、まともな記者の多くは私の読者といえた。そして、大手新聞の場合は肩書きが上がると口が重く、社会部や経済部の現役記者だと気軽に会い、食事やお茶の機会にそれとなく打診すると、20人の3分の1が小泉事件を知っていた。その中には11月14日に会った『噂の真相』の岡留安則編集長や、16日に会った『サンデー毎日』の北村肇編集長が含まれ、残りは新聞記者たちと週刊誌のトップ屋だ。私は彼らに取材するようにと激励したが、「証拠の調書か証入が要る」と言い、「警察のガードが固い」と一様に嘆息した。特に岡留記者は訴訟で疲労困慮気味で、「アメリカで書いて火の手を上げてください」という始末であり、裁判の記事のコピーを渡してくれたほどだ。フランス時代の私は『カナル・アンシェネ(鎖に繋がれた家鴨)』を時たま読み、難しい捻りで政治スキャンダルを告発して、訴訟などものともしない新聞に較べて、『噂の真相』は醜聞の暴露で元気にやるとはいえ、誌面に品がないのが日本的だと批判してきた。それでも、森喜朗の売春防止法違反での逮捕という、前代未聞のスクープは実に天晴れであり、ジャーナリズム大賞か何か貰って当然だったし、私は彼から授賞式に招待を受けている。


「活字に出来ないサラリーマン編集長たち」

国際事情に詳しい小串元フランス三井物産総支配人を訪ね、小泉事件を中に含む話をしたのが11月11日で、テープを起こして編集した「大杉栄と甘粕正彦を巡る不思議な因縁」が題の記事は、年末に『新潮45』の中瀬編集長に送ったが、「梨のつぶて」で礼儀知らずが続いた。『週刊新潮』の早川編集長が言った通りで、女性編集長は『新潮45』をメチャクチャにし、福田和也に「無教養編集長」とバカにされ、自己顕示癖をオバハンの名で汚していた。四半世紀前に私を育てた編集長の多くは、「書けても書かない」し「出来てもやらない」と言って、浮ついた小手先のことには手を出さず、全体を高いところから展望することに、編集者としての美学を誇っていたものだ。だが、最近の日本は上から下まで節度と吟持を失い、日本経団連の総帥の奥田トヨタ会長まで、自民党のタカ派集団のパーティーに出かけ、カンパイの音頭とりをやる体たらくであり、かつての財界総理は政治屋のタイコ持ちを演じ、日本は亡国の淵に沈もうとしている。そんなことで一橋文哉の記事しか価値のない、『新潮45』での活字化を放棄することに決め、その頃に岩波が大杉栄の本を出していたので、1月末に『世界』に寄稿したら興味なしと返却。そして、2月に訪日した時に再び北村編集長と会ったら、「国際政治の話として取材したいから、その中で小泉事件を強調して欲しい」と言われて、2月7日午後3時のインタビューが決まった。北村記者は社会部出身で私の読者の一人であるし、毎日労組の委員長やマスコミ労組の議長をやり、気骨のある記者だろうと期待した関係で、約束の時間に私は毎日新聞社に出向き、テレコを前に編集長と編集部の記者を相手に、1時間ほどだがインタビューを受けたし、私も念のためにやり取りを録音しておいた。だが、帰米して何週間も経ったというのに、『サンデー毎日』も手紙も届かないので、『世界』でボツの原稿を今度は『文芸春秋』に寄稿した。


「記事は活字になったけど……」

4月に訪日した時に『サンデー毎日』に電話すると、「北村は4月から社長室に移り、週刊誌から離れました」との返事であり、「ああ、やっぱり」と思って私は諦めた。また、『文芸春秋』の松井清人編集長に電話で問い合わせ、「ダメなら原稿を受け取りに行く」と言ったら、「どこにあるか分からないし、コピーを取ってないのですか」と言われた。1971年に初めて『文春』本誌に書いた時から、歴代編集長の資質を観察をする機会に恵まれ、絶交や復旧を繰り返す体験を積んだお陰で、「編集長は無用の用」と言った池島信平以来、時を追って小物編集長になったと痛感する。そして、現在では権力の尻を追う同人誌になり、有名人や御用文化人に小遣いを与えるのが、唯一の役割だと思い込んでいるらしい。菊池寛は企画力を誇る俗物経営者だったが、少なくとも政府に丸抱えされることに、野人として嫌悪の気持を持ち合わせており、それが『文芸春秋』の存在理由だった。そこで、原稿を『財界にっぽん』に手渡して日本を離れ、最終的に6月号で記事は活字になったが、この間に何人もの編集長が読んでいたのに、小泉の若き日の破廉恥事件は伏せられて、オバタリアン人気で小泉政権は安泰だった。しかも、靖国の妻を作るイラク派兵も実現したが、喜んだのはブッシュ一座の連中だけであり、日本は世界から物笑いになり尊厳が傷ついた。その責任は真の記者魂を喪失してしまい、サラリーマン根性で出世した編集者たちや、腰抜け記者の翼賛体質のせいであり、破廉恥事件は亡国を象徴し続けるのである。(了)


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