〈特別寄稿〉
『パワースペース』第17号 1994.11.11




九州で体験した奇妙な地上巡礼(中)

藤原肇(メタサンエンチスト)在カリフォルニア



新時代にむけてメタサイエンス≠提唱している藤原氏が、あの噂の長崎の「超能力者」の正体を確かめるべく九州に渡った。さらに日本の八幡さまの総本宮にも立ち寄り、そこで自分の果たすべき役割を悟ることになる…。前編同様、今回もまた不思議巡礼は続く。

※ 本稿は本年五月に書かれたものです




[藤原肇]
1938年生まれ。グルノーブル大学(フランス)理学部卒業。構造地質学専攻。理学博士。アフリカやヨーロッバで鉱山開発に従事した後で、世界各地で石油開発の仕事をしてから、アメリカで石油会社を経営。経営コンサルタントのかたわら国際政治コメンテーターとして、評論活動をアメリカを中心に展開している。世界で最初のメタサイエンスを論じた『宇宙巡礼』は、21世紀の新しい学問原理を示唆しており、台湾で中国語版も出版され注目を集めている。最先端認識科学や超意識領域の著書としては『間脳幻想』(東興書院刊)、「宇宙波動と超意識」(東明社刊)、『身体と宇宙』亜紀書房刊)、『宇宙巡礼』(東明社刊)などがある。また、最近の日本の政治問題を論じたものに『インテリジェンス戦争の時代』(山手書房新社刊)、『平成幕末のダイアグノシス』(東明社刊)、『日本が本当に危ない』(エール出版刊)などもある。




筆者も幕末の自由人・坂本龍馬と同じ脱藩仲間



幕末と末法時代の震源地の彷徨

 夜中過ぎについた長崎は生まれて初めての町であるが、駅前に立った私は不思議なエネルギーに包まれており、ホテルに泊まって寝ようという気にならず、歩き回りたいという気分に支配されていた。案内書や地図もなしに初めての町を歩くのは、多分に無茶な感じがしないでもないが、港町には特有な構造があると知っていたから、星を頼りに彷徨するのも悪くなさそうに思えた。どこに向かって行けばいいか見当がつかなくても、とにかく波止場の方角を目指して歩けばいい。出島跡や石畳のオランダ坂を体験してから後は、長崎の町が一段と身近かに感じられるようになった。帰りは山の手に沿う寺町通りを歩いて、階段のある龍馬通りを上ってみると公園があり、そこに腕組み姿の坂本龍馬の銅像が立っていた。

 思いがけない人に出会った感じがしたが、過去15年間に『日本脱藩のすすめ』(東京新聞出版局刊)、『脱藩型ニッポン人の時代』(TBSブリタニカ刊)、『平成幕末のダイアグノシス』(東明社刊)という具合に、幕末シリーズの著書を出版してきた私にとって、坂本龍馬は言うならば脱藩仲間みたいなものであり、時代が運命的な出会いを用意したのかも知れない。そこで銅像の下に腰をおろして星空と街の灯を眺め、百数十年前の時代に思いを馳せることにした。幕末の時期に長崎を足場に活躍した龍馬は、『船中八策』で大政奉還による幕末の回天を動かしたが、『柳子新論』で体制変革の革命思想を打ち出し、幕藩体制の打倒の最初の一石を投げた山県大弐に、どんな重点的系列の形で繋がって行くのだろうか。

 坂本龍馬は勝海舟を暗殺に行き師事に転向したが、海舟の教師だった佐久間象山に続ければ、その先生の新井白石を経由して木下順安になり、同じ朱子学でも山崎闇斎の系譜の山県大弐からは遠くなる。そこで象山の弟子の吉田松陰に迂回を試み、行脚する聾唖の僧侶であった黙霖と結べば、松陰と大弐が反体制の思想で直結を果たし、『柳子新論』は『船中八策』に重点的系列の連鎖で繋がってしまう。

 十数年前に『山岳誌』(東明社刊)の〔まえがき〕において、『柳子新論』について書き、幕末の予感を論じたことがあるが、龍馬の銅像の前でこの係り結びは完成したのであり、鎖国時代に世界に開いた唯一の町を訪れたことで、流れのネットワークが図柄になった感じがした。

 幕藩体制を転覆させた大きな嵐の発生は、常にこの町の一角に誕生の地を持っていたが、現代の幕末において長崎の役割は果して何か。古代でも近代でも日本列島の正面玄関だった九州は、常に文明の窓として世界に結びつきを持ち、情報においてヤマト民族の触覚と頭脳の役割を果たしたが、現代の九州はどんな役割を演じるのだろうか。


「サイキックショウ」を見せる喫茶店は長崎県の東彼杵郡川柵町にある 写真は大浦天主堂

宇佐神宮(JR日豊本線宇佐駅からバスで約10分)神仏混合の八幡信仰の発祥の地として知られている。本殿は国法で八幡造り
 
 そんなことを思いめぐらして眼下の町の灯を眺め、日本の将来に思いを馳せていた脳裏に閃光が走り、長崎に炸裂した原子爆弾のイメージが浮かび上がると、それが雲仙の火山の爆発と重なり合った。長崎はウランを使った広島型の原爆とは違い、キノコ雲を伴うプルトニウム型の原爆だった事実。そして、雲仙の火山砕流の災難は普賢岳がもたらしたが、釈迦三尊の脇侍である普賢菩薩の相棒が文殊菩薩で、臨界値に達したばかりの敦賀の原発が文殊であること。敦賀と長崎はプルトニウムで結びつくだけでなく、曙光を前にそれに気づいたこの日が花祭りで、釈迦の誕生日であるというこの奇妙な一致。重点的系列が示す不吉な連想に怖くなってしまい、私は大急ぎで駅を目指して坂道を駆け下り、一刻も早く長崎を離れようとして急ぎに急いだが、5時前の駅は未だ閉まっていて人影もなかった。

 駅前には24時間営業のサウナ温泉があり、そこで斎戒を兼ねてひと風呂浴びて始発列車を待つことにした。長崎では一睡もせずに過ごしたのも奇妙な体験だが、龍馬の銅像の下で味わった不吉なイメージを払拭し、身も心も洗ってさっぱりした気分になることだ。

 サイキックショウを最前列で観察するために、8時前に川棚に到着しようと旅を急いだが、諌早から川棚までの大村湾の景観は美しく、地中海の沿岸に似た寛ぎの気分を漂わせていた。興味深かったのは海と反対の北面の山の名であり、虚空蔵山が川棚の町の背後に聳えていた。これも菩薩で悟りを求める者に属しているが、慈悲ゆえに仏にならずに救済に勤め、しかも、虚空はメタサイエンスが包む大宇宙全域だし、この日は目出たい仏様が誕生した花祭りでもある。こんな感慨に包まれて川棚に到着したが、予定通り8時前に〔アンデルセン〕の入口に行くと、既に大分から来たという3人の客が並んでいた。

 ロサンジェルスに住む読者に小島真吉郎さんがおり、2ヵ月に一度位の割合で一緒に食事をしながら話をするが、彼は日本人で唯一のSAM(アメリカ奇術協会)の終身会員だし、AMA(奇術芸術アカデミー)の名誉会員でもある。ラスベガスの手品や奇術に魅惑された彼は、アメリカに住み着いて奇術の技を磨いただけでなく、PEA(サイキック・芸人協会)の正会員でもあり、日本のテレビや雑誌のサイキック・ブームに関しては、陰の仕掛け人みたいな役割を演じていた。だから、アメリカに帰って彼と会うときの話題の種として、アンデルセンで久村さんのパーフォーメンスを見て、私なりの診断をするのがこの旅の目的だから、奇術か超能力かを観察するためにショーの開幕を待ち構えた。


川棚のサイキックショウと通じなかつた念波

 3時間ほど待つ間に行列は40人くらいになり、喫茶店の扉が開いて観客は店内に入ったが、運よくカウンターの真ん中に席を得た私は、カレーライスで昼食の腹拵えをして演技を待った。一時間半ほど続いたサイキックショーの全期間を通じて、私は広大無辺な大空の虚空蔵菩薩に向かい合い、大地に構えた地蔵菩薩になったつもりで、久村さんに向けて一生縣命に念波を送ってみたが、それに対して反応は全く現れなかった。その日が釈迦の誕生日だった因縁もあったし、ちょうど黄金色のラクダのコートを着ていたので、波長が合えば仏縁で何か反応がありそうだ。だが、意識的に私の視線を回避している気配があり、相手が心理的に私の眼光を負担にしている様子も読め、ショーが9割まで手品か奇術に属すと判断できた。後はアメリカに帰って小島さんを相手に、どんな形で謎解きを進めるかだと考えた私は、記念に振れたスプーンを購入して汽車に乗り、隣町のハウステンボスで途中下車して入口に向かった。

 また、オランダを20度ちかく訪れている私には、テーマパークは魅力が湧かなかった代わりに、ふと阿蘇山の裾野を抜けて大分に行って、布川さんが言っていた別府に泊まってから、翌日に宇佐神宮を訪れたらというアイディアが閃いた。

 そこで駅に引き返して時刻表を調べたのだが、豊肥本線は時間的に間に合う列車がないし、久大本線も接続がうまく行かないことが分かり、ハウステンボス号で博多に出て新幹線で小倉に行き、特急〔にちりん〕で宇佐に向かうことにした。

 なぜ宇佐が突然スケジュールに登場したかと言えば、過去数年にわたり貿易面で日米関係が波立っていたし、宇佐はUSAと書いて米国のアナグラムであり、ド・ソシュール流の言語学理論からしても実に意味深長だ。しかも、宇佐は日本で最も古い神社の一つとして、国難が関係した時にはいつも歴史に登場しており、東大寺の大仏建立には宇佐の銅と金が役立ったし、妖僧の道鏡が天下を狙おうとした時には、和気清麻呂は伊勢ではなくて宇佐の神託のお陰で、この未曽有の危機をどうにか乗り切っていた。

 歴史における相似現象の不思議を考えれば、財政難と円高により貿易収支の均衡が崩れた状態がある。そして、既得権に縛られた日本の政治機能がマヒ状態で、細川内閣を裏で操る小沢が創価学会と組み、宗教が政治を乗っ取りかねない状況にあるから、日本の現状は奈良時代の末期にそっくりである。こんな状況から次の時代を平安に引き継ぐには、平成幕末をうまい方向に導く必要があるし、宇佐神宮で新しい神託を聞くことにでもなれば、画期的なアイディアが閃くかも知れないのである。

 九州で何回も乗り換えたお陰で感じたことは、JR九州の列車は実に色彩が豊かであり、ヨーロッパにいるような幻想を漂わせている。赤い〔かもめ〕や銀色の〔にちりん〕だけでなく、途中ですれ違った黄色やブルーの車体の列車とか、原色で塗り分けた〔ハウステンボス号〕もあり、駅員の制服まで襟に赤の縁取りがある点でも、本州と色彩感覚の違いを強く印象づけられた。九州人がこれほど独自性を出す能力を持つのなら、中央集権的な東京の政治を拒絶して独立し、太宰府か阿蘇高原に九州府を作って首都に決め、新邪馬台国として独立したらどうだろうか。そうすれば県知事たちが東京に陳情に行かずに済むし、道州制よりも更に弾力性を持つ連邦国家として、日本が再生する足掛かりが出来るのではないか。

 そんな思いに耽りながら走る特急〔にちりん」が中津に着き、ここが福沢諭吉の出身地だと幕末に思いを馳せた時に、伝わって来た会話が細川首相の疑惑に触れていた。

 自民党による首相の疑惑追及は茶番劇であるし、もっと大きな過去の疑惑を糾弾しない限り、嫌がらせ行為に等しいと思っていた私は、政界の噂話しは興味がほとんどなかった。

 それでも、後方から聞こえたお喋りの断片の中に、細川首相とかゴルフ場とかいう言葉に混じって、阿蘇神社の神罰だという表現があったので、何となく因縁話みたいなことを喋っていると感じて、その意味を思いめぐらしているうちに宇佐に着いた。

 駅前にある標識だと宇佐神宮まで4キロほどであり、普通はバスやタクシーを利用して行くようだったが、昔から参拝は歩いて行くのが正統なやり方だから、私は交通の激しい国道を避けて山沿いの小径をたどることにした。神殿まで歩いて行けば途中の景色や植生だけでなく、地形や地質などの土地の特色が理解できるし、なぜそこが神域になったのかが判読できる。だから、これまで世界各地の神殿や聖地を訪ね歩く時に、いつもそんな視線を持って私は巡礼の旅を続けて来た。

 私が住むパーム・スプリングスはロスの東方250キロに位置し、カリフォルニアとテキサスを結ぶ高速道路10号線が走っており、途中に砂漠や火山が作る美しい景観が続くが、興味深いことに宇佐を貫く国道も10号線で、地味が豊かな火山性の丘陵に沿っていた。宇佐神社に参詣する旧道は国道と重なるらしく、山沿いの小径が途絶えるたびに国道まで引き戻し、再び枝道を選ぶような形で歩いていくうちに、日暮れ時の桜が満開の神社の入口にたどり着いた。神社の門前に〔こおした旅館〕という割烹があり、そこで泊まりたいと思ったが部屋がなく、歩けば1時間の距離もタクシーなら5分だから、再び宇佐の駅前に戻って泊まることにした。そして、駅に面した〔宇佐屋旅館〕という旅籠に投宿したが、宿屋に入った時にお力ミが挨拶代わりに言ったのは、「先ほど細川さんが首相をお辞めなさいましたな」という言葉だった。


大鳥居 本宮に通じる石段の上にひときわ鮮やかに建っている

筆者が引力を感じたといとう若宮神社
 
聖地としての宇佐神宮の条件

 細川首相が政治資金の疑惑で追及を受け、国会の予算審議が混乱していたのは知っているが、国際レベルではコップの中の嵐に過ぎず、日本の政治の幼稚なゴタゴタ騒ぎに私は興味がなかった。だが、細川政権の次として羽田内閣が取り沙汰され、能力も見識もない人物が指導者の地位に立てば、日本の運命が完全に狂ってしまうだろう。その点に関しては校正を終えた「日本が本当に危ない」(エール出版刊)で論じたばかりで、日本の危機がこんなに急激に焦眉の問題になり、それが宇佐の町だったのが気掛かりであった。

 羽田と言えば大陸からの帰化人である秦氏の系統で、秦の始皇帝が西方のラダイトたちの子孫に属し、養蚕と結びついたシルクロードの関係からして、ユダヤの子孫だという説も唱えられている。しかも、この宇佐は新羅系の文化が栄えた場所だし、その中心が秦氏だったことを含めて考えれば、その意味をはっきりと理解するためにも、翌日の神域の訪問と神託に類したものへの期待が高まる一方だった。

 熟睡が生む爽快な気分で日の出前に目が覚め、再び歩いて宇佐神宮への道をたどったが、すがすがしい朝日に映える桜並木に続き、大鳥居の奥の誰もいない神域は静寂に満ちており、神仏の融合した境内を私はゆっくりと歩いた。朱塗りの烏居や社殿の様子から推察すれば、周辺に水銀鉱脈があるのは疑いの余地がなく、空海がここを訪れたその歴史から見ても、どこか大和の吉野郷に似ている雰囲気があった。しかも、神域の植生の豊かさや湧水に恵まれている点で、ここが断層の発達した破砕帯に属しており、鉱物資源に恵まれた感じの地勢から判断して、神域には地質学的な面白さが秘められているようだ。

 境内には弥勒寺がありまた菩薩に再会したが、宇佐神宮は八幡宮の総本宮でもあるから、日本全土にある神社の半数ちかくが八幡宮で、八幡大菩薩による菩薩連鎖の意味もありそうだ。それに、スサノオの命を祭る八坂神社もあって、草薙の剣のような武具が御神体ならば冶金だから、朝鮮やユダヤの採鉱技術が関係することになり、宇佐は冶金師たちの護り神だとも推察出来た。いずれにしても、宇佐神宮と八幡神杜の繋がりや神話問題は、超古代史や神話に詳しい馬野周二博士を訪ねて、その意味についてじっくり議論をすればいいし、大仏開眼の歴史を調べて見るのも面白そうだ。そんなことを考えながら参道を行くと、祭礼の奉納者の名前を書いた高札が並んでおり、その筆頭に金3千万円でコスモメイトの名前があった。次に来るのが金350万円の寄進者だから、圧倒的に抜きんじていることになるが、10年前にコスモメイトの霊能者の深見青山さんに会い、徹夜で13時間半も語り明かしたことを思い出し、不思議な形で再会したものだと言う気がした。

 天然記念物のイチイ樫が構成する森の中に石段が続き、登り切ると玉砂利を敷いた広場にお札売り場があった。吉と出た御神籤に満足しながら進むと、一の御殿から三の御殿までが並んだ朱塗柱の本殿が、爽快な朝の空気に包まれて鎮座していた。かしわ手の参拝の後で御神籤の細目を読むと、すべてを処分して売るべしと書いてあり、これは恐慌のお告げらしいと考え木の枝に結びつけた。ゆっくり石段を降りると小作りな若宮神社があり、社殿の奥からの引力を感じたので賽銭を奉じ、大地に座って神殿を背に暫し瞑想を試みた。

 静寂さに包まれ木漏れ日を浴びて目を閉じれば、瞼の上をオリーブ色の光の波が乱舞して動き、細く息を吐き出す度に光輝に白光が増え、中央の朱点が拡大して日輪と重なり合う。しかも、声とは異質の波動バイブレーションが伝わり、高い処に立って眺める観察の仕事を怠り、渦流に押し流されている状態を戒められた感じで、自分が迷路に迷いこんでいることに気づいた。そして、東京の馬野先生やロスの小島さんの話を総合して、何がメッセージの意味かを考えることや、アナグラムが秘めている謎の解読を通じて、自分の役割を果たすべきだと悟って目を開いた。

 こうして行きは手ぶらだが帰りは満ち足りた気持ちになり、自分でも不思議なほど穏やかな心で宇佐に別れを告げ、特急「日輪」で小倉に出て新関門トンネルを潜った。釈迦と天照大神が九州に垂跡して託したのは、重点的系列の連鎖体験は能力者の道であり、大覚者を目指す者は観察力の陶冶だという暗示を通じ、踏み迷った私に教訓を施そうとしたのだろうか。日輪が大日如来でビルシャナ仏であるなら、この巡礼は釈迦の掌の上の旅路であるが、遍路の道はまだ長く続いて行きそうである。

(つづく)




境内には八幡大神が現れたという霊池がある


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