〈特別寄稿〉
『パワースペース』 第18号 1995.01




九州で体験した奇妙な地上巡礼(下)

藤原肇(メタサンエンチスト)在カリフォルニア



九州を後にした筆者は、初めて四国を訪れた後、今回の旅で経験した意味を考察すべく、幾人かの知人を訪ねた。そこで、各々のスペシャリスト達との歓談を通じ、筆者の地上巡礼の謎とその謎解きについて改めて確認するとことなった。

メタサイエンチストの奇妙な地上巡礼は、今後も延々と続いていくことだろう。




[藤原肇]
1938年生まれ。グルノーブル大学(フランス)理学部卒業。構造地質学専攻。理学博士。アフリカやヨーロッバで鉱山開発に従事した後で、世界各地で石油開発の仕事をしてから、アメリカで石油会社を経営。経営コンサルタントのかたわら国際政治コメンテーターとして、評論活動をアメリカを中心に展開している。世界で最初のメタサイエンスを論じた『宇宙巡礼』は、21世紀の新しい学問原理を示唆しており、台湾で中国語版も出版され注目を集めている。最先端認識科学や超意識領域の著書としては『間脳幻想』(東興書院刊)、「宇宙波動と超意識」(東明社刊)、『身体と宇宙』亜紀書房刊)、『宇宙巡礼』(東明社刊)などがある。また、最近の日本の政治問題を論じたものに『インテリジェンス戦争の時代』(山手書房新社刊)、『平成幕末のダイアグノシス』(東明社刊)、『日本が本当に危ない』(エール出版刊)などもある。



藤原純友と平将門の接点を求める彷徨

 九州を後にして東に向かう山陽新幹線を岡山で降り、四国へ行く特急に飛び乗ってしまった理由は、一度も瀬戸内海を渡ったことがないからである。

 そう言えば、瀬戸新大橋が完成した時に日本中が騒ぎ立て、熱狂の渦に包まれていた頃に、ある国の特派員が、「日本人は橋を一本架けたくらいのことで、何でこんなに興奮するのか不思議だ」と言ったのを聞き、騒ぎが済んでから渡ろうと思ったことがあったっけ。それにしても、暗黒大陸と呼ばれたアフリカの奥地から、北極点を含む北氷洋までを仕事場にして、若い頃には世界各地を渡り歩いた癖に、私の日本国内での足跡は本州の中に限られていた。しかも、北アルプスの穂高周辺の岩場が中心で、それも山岳巡礼の対象になった山々であり、その記念碑として残ったのが『山岳誌』(東明社刊)である。山岳巡礼のパトスを綴ったこの本は、母の遺言で全国六千の高校図書館に寄贈されたが、アラビアのロレンスヘの憧憬が籠もっていた。だから、『砂漠の反乱』の頃の荒魂が『平成幕末のダイアグノシス』期に和魂に転生して、突然こんな乱れた軌跡を描かせたのだろうか。緑の松に縁取りされた花崗岩の島々が、瀬戸の水面にアクセントをつけて点在し、白い航跡を残して船が行き来している。降り注ぐ真昼の陽光の流れと同じ角度で、そんな光景を車窓から眺め続ければ、自分が光になったような気分に包まれてしまい、網膜から間脳にかけて既視(Dj vu)感覚が拡散して行く。

 それは少年時代に体験した海賊気分の高揚であり、平安時代の貴族政治が反抗期と激突して生じた、中学で習った日本史の渦潮の触感を伴っていた。

 藤原という同じ眷属の権勢と横暴に反発し、自分の血統にいわれのない悲劇を感じた錯綜の日々。中学生だった私は藤原純友をアイドルに選んで、「自分の祖先は瀬戸内海の海賊だった」と信じ、反権力の姿勢に密かな誇りを感じたものだが、何と純粋で幼稚な思い込みに支配されたことか。

 私は神田の生まれで正真正銘の江戸っ子であり、東京生まれの父と島根出身の母を両親に持ち、平将門を祭った神田明神の氏子として育った。だが、奥州ではなく方向違いの瀬戸内海を選んだことを、40年後に鉄橋の上で訂正する気になった。

 初めて踏んだ四国は穏やかな春景色に包まれ、ここが弘法大師を生んだ土地かという感慨を味わい、これで九州から四国への成り行きまかせの彷徨はピリオド。そして、予定通り大阪でフランス時代の友人に会ってから、熱海の駅で東明社の吉田さんと待ち合わせ、太平洋を見渡すリゾート・マンションに塩谷先生を訪ねた。そして、歓談を行った時点で脱線軌道が修正して、この旅の体験を整理する考察のプロセスが始まった。


宇宙無限力とテレポーテションの不思議

 酸素が足りないと脳細胞がどんどん萎縮するので、正心調息法で宇宙の無限力を深々と吸い込めば、死の瞬間まで健康の維持を楽しめるのに、小さな恵みに感謝しても大きな恩に片礼つかないのが人間である。塩谷先生はこの呼吸法の活用のお蔭で、僅か10日程で最初の著書を91歳の時にまとめたが、客間に案内されたわれわれが座った途端に、「気がついたら2冊目の本が書けちまった」と張りのある声で言って哄笑した。

 そして、『宇宙無限力の活用』と題した本の原稿を渡しながら、「これは神様が書かせたのだよ」と吉田さんに言ったので、挨拶も忘れて私はその活淡さに目を見張った。

 93歳の塩谷先生の前では80歳の吉田社長は青二才だし、55才の私などはまるで青ゼロ才の感じがする。10年前に現役の医師を退いた塩谷さんは元気一杯で、93歳の現在でも毎週ゴルフを楽しんでいるが、この歳でアフリカやヒマラヤに出かけるのだから驚きだ。この凄い馬力と健康の秘密は呼吸法にあり、信念とイメージ作りを活用することによって、宇宙力が働いて奇跡が当たり前に実現するらしい。

 具体的な例として、前立腺肥大の治療体験の話があり、続いて不思議な現象が実際に起きた話として、声優の徳川夢声が自宅で紛失したパイプが、先生の客間の座布団の中から出現したので、テレポーテーションに目を丸くした話。また、世田谷の霊媒の家で行った交霊会の席上で、千手観音の銅像が空中移動して奥さんの膝に乗ったが、その時のエピソードは今度の『宇宙無限力の活用』(東明社刊)に書いたとか。

 また、先生の診療所の治療室に一時期だが金粉が降り、4時間くらいすると跡形もなく消えた経験から、サイババのビブティ(聖灰)は特別な現象ではなく、精神世界のレベルではよくあることだと物語った。そこで話題が移ってサイババ現象の問題になり、九州放浪の最初の日に博多で衣川さんと会ったが、その直前にサイババから絨毯が届いたと見せられ、触った私はその図柄の見事さに感嘆したこと。また、その日の出来事を私は一種のシンクロニシティだと思ったが、サイババが真に優れた超能力の体現者なら、荷物として贈り物の絨毯を送るのではなく、なぜテレポーテーションを活用しなかったのか。こう考える私は未だ納得できないという意見を述べ、こうしたやり取りが更に続いたのである。

 S「物品の移動というのはありふれたことであり、例えば神戸にある何かをここに持ってくるのは簡単で、そんなことはぼくにはザラに出来ます……。サイババなんてそんなことをよくやり、自分の体まで他所に持って行くようだが、インドにはそんなことをやる人は沢山いる……。そういう例としては、ぼくが何も知らずに眠っている間に往診して、患者を治療して来たということが何度もあり、不思議に見えても霊界の科学では全く当たり前らしい。あなたが砂漠の家にお帰りになった時に、ことによったら、ぼくの幽体が訪ねて行って、色々と案内して貰うなんてことが起きるかも知れない……。」

 F「どうぞ飛行機を使わずにアメリカにおいで下さい。歓迎しますよ…。」

 S「ぼくが超能力や自分の意志でそれをやるのではなく、藤原さんを思うだけで砂漠に行って話しかけたりするので、念力だけでなく幽体が行くことになる……。地球だって小さなものであり、こういう惑星が百億兆もあるのだし、その中のたった一つの星のゴミ粒みたいなものだが、人間は宇宙大に大きい存在なのです……。藤原さんのように数学や幾何学で詰める人もいるが、ぼくはそれがダメでこんな具合に感じるだけです」

 F「そう感じるだけでいいのであり、直観的に捉えるより仕方がないのですよ」

 S「……インドには直観で悟った例は幾らでもあり、そんな無駄な修行などしなくても、そこまで悟る人は腐るほどいて、超能力なんてものは当たり前の現象です」

 F「二つの大陸がぶつかってヒマラヤの大山脈ができ、破砕帯に沿って地の底から凄い岩が湧き出し、それから出来た土で育った野菜を食べていれば、そういう能力を持つ人間が生まれて当然ですよ……」

 S「本当に当たり前です。あそこに異才が出るのは当たり前過ぎます……」

 F「われわれは石の精のミネラルで構成され、一番ありきたりの鉱物の硅酸で出来た石英でさえ、ちょっと圧力を加えるとピエゾ電気が起き、規則的な発信作用をするほどです。細胞自体がミネラルと水で成り立っているし、体内でできない分はビタミンとして取り入れ、生命活動を営んでいるのです。ただ、鉱物が出すパワーを感じ取る能力を喪失して、おいしいとか辛いと言っているが、ミネラルの波動には凄いパワーがある……」

 S「それに、栄養学は動物性タンパクが必要だとバカなことを言っているが、牛や象は動物性タンパク質など取っていないのに、あれだけ素晴らしい肉体を作っているし、美しい角や象牙を生やしている。葉っぱの中に骨や牙を作るものがあるのではなく、宇宙エネルギーの中に含まれているのであり、この宇宙力に気付づいたのは歳をとってからでした」

 こんな会話で楽しい時刻が経過して行ったが、塩谷先生の生きた体験談の魅力だけでなく、体内から湧き出すエネルギーの渦に心を洗われる思いがした。


ユダヤの影と消え残るスサノオの足跡

 翌日の夕刻に六本木の馬野周二先生のお宅を訪れたが、最近の先生は徐福伝説とサタン(悪魔)現象に取り組み、古代史をその視点で検討し直していた。

 10年ほど前の私と先生は雑誌でよく対談し、中曽根政治の欺瞞性を正面から徹底批判し、当時の亡国現象を糾弾した数少ない日本人であり、その記録は『日本の危険』(東明社刊)に残っている。現在では興味の対象がだいぶ違っているために、雑誌での対談も久しく試みていないが、年に1度は歓談してお互いの健在を確認し合っている。

 馬野さんは神話時代や超古代史に詳しいので、宇佐神社にまつわる古伝について蘊蓄を傾けて貰えば、画期的なものが発見できるかも知れない。そこで早速この神社を訪ねた体験談を報告し、宇佐神社にまつわる神話や事件の教えを請うたが、先生は次のような内容の話を一気に物語り、時々それに対して私が質問の言葉を挟んだ。

 U「宇佐の話は『秀真伝(ほつまつたえ〕』にちゃんと出ていて、広島あたりに勢力を持ち北九州にも領土を持つ、赤土の命という有力者が宇佐に別邸を築いていた。

 同じ頃に天照大御神は13人の后を持っており、東西南北に各3人づつの夫人を置き中央に1人だけ正妻がいたことになる。北方の3人の妻のうち2人が姉妹であり、姉がモチ子で九頭竜川で小頭オロチと言い、妹はハヤ子と言って八岐のオロチで、これは大蛇の眷属だった……」

 F「と言うことは、天照大御神は女神ではなくて男神だったのですか?」

 U「その通り。『古事記』や『日本書紀』に書いてあるのは大嘘であり、曽我馬子と聖徳太子が捏造して、あなたの祖先の藤原仲麻呂が仕上げた嘘八百の歴史だな……」

 話を元に戻すと、この大蛇姉妹の父親はクラキネの命と言い、イザナギの命の弟で加賀の白山の一帯が領地だが、その娘たちが複雑なお家騒動を起こすんだ。妹のハヤ子はスサノオの命に横恋慕して、天照大御神を殺害してしまうのであり、別の后の子供のオシホミミの命が皇位についた。姉のモチ子は長男のホヒの命を皇位につけたくて、大陰謀をめぐらしたが発覚して流罪になり、赤土の命に預けられて宇佐に行って住む。このハヤ子の3人の娘が宇佐で育ち、これが宗像三女神でヒメ大神として祭られている。神代は霊性的な直観力が高い時代だから、宇佐にはきっと強い地霊があったのでしょうな……」

 F「あそこの神域のエネルギーはもの凄く高く、赤土の命という通り水銀が豊かであり、地下深所の岩のお陰で植生も豊富だし、湧水も実に爽やかで味わ い深かったです。

 それに、この旅は出雲の松江で始まって豊前に至ったが、松江では偶然に八幡様の境内を歩いているし、八岐のオロチを退治したのがスサノオの命で、オロチの姉が住んだのが宇佐だとしたら、ことによると何かに呼ばれたのかも知れないが……」

 U「それは大ありだな。宇佐は八幡宮の総本社で川島家が神主家だ。要するに、朝鮮系の家系が宇佐に陣取るだけでなく、国東半島は昔から渡来人の巣窟だった。泰族の子孫が沢山あの辺に移住して来ており、彼らは地霊のある場所に集まったそうだし、八幡信仰は何だか正体がはっきり分からない。だから、あそこは宗教世界における休火山みたいなもので、そのうちあそこで大爆発が起きるとしたら、その前にスサノオと同じ郷里を持ち、石や岩の分かる藤原さんを呼んだのかも知れないな……」

 F「泰氏ならユダヤ民族とも関係が深いし、鉱山師とか鍛冶師なんかの技術と結びついて、シルクロードで中東と繋がって行きますね」

 U「それだけではなくて、『竹内文献』はユダヤ人が書いたと言う人がいるし、ユダヤ人のマルコ・ポーロも日本を訪れたとかで、平泉の近くに彼を仏像にした彫刻もある。あなたの祖先かどうかは知らないけれど、東北の藤原三代もユダヤだという説があるし、元冠の時にもユダヤ人が日本にたくさん入ったらしいな。それに、日本では昔から8が基数で三種の神器も八だが、藤原氏はユダヤ人と同じ6や13が目立ち、興福寺の石灯籠は六角形をしているし、藤原鎌足の墓には十三重の塔が建っているが……」

 F「でも、ぼくの方は海賊をやっていた藤原で、瀬戸内海にも行って来ましたよ」

 馬野先生の想像力は全く破天荒であり、私もいつしかユダヤの眷属に数えられかけたので、興味深く続く話は尽きない感じだったが、実り多い収穫と共に退散したのだった。


日本の混迷と平成幕末の進行

 歌舞伎座の裏の銀座内科を翌日訪れた私は、藤井尚治先生に旅行の内容を報告すると共に、塩谷先生や馬野博士との話についても喋り、藤井先生の意見を興味深々で待ち構えた。先生はストレスと精神病理学が専門であり、2人で10年かけて議論したものが『間脳幻想』(東興書院刊)になったが、『エンサイクロペディア・ブリタニカ』の医学の項を監修しているように、藤井先生は現代におけるルネッサンス人の代表格だ。また、先生とフリーメーソン問題の対談を10年近く続け、本として8割が完成しているのだが、私の努力不足のためにあと一歩の所で足踏み状態にある。

 先生の診療所には日本中から患者が訪れるだけでなく、世界各地から隠れた重要人物がやって来る点で、日本で最もいい情報が集まる基地でもある。そこで、地上巡礼で集めた色んな情報を診察台の上に並べ、該博で洞察力に満ちた先生の頭脳の助けを借りて、ブレーン・ストーミングを試みることで、難題や謎の解明をする上での腑分け作業が始まった。

 世紀末を特徴づける日本の亡国を告げる危機は、大枠で見ると宗教とユダヤ問題が関係し、それにアメリカと出雲が複雑に絡み合い、それがエネルギーと金融で歪みを生み出して、秩序がゆらぎ出していることの確認が出来た。私が宇佐に到着した日に細川内閣が潰れたが、その原因だとされる〔佐川急便〕との疑惑より、むしろ、西武の堤との腐れ縁の発覚を回避して、細川首相は内閣を投げ出したのではないか。

 なぜなら、堤一族は地中海クラブを通じてロスチャイルドに結びつき、豪華客船のカジノを使う賭博ディーラーの経験者だが、日本で公式に賭博をビジネスにしているのは、堤一族の他は競艇博打の笹川一族だけだ。しかも、日本新党のスポンサーはプリンス・ホテルの堤であり、阿蘇神社の神罰が関係しているとしたら、それは阿蘇プリンス・ホテルのゴルフ場の開発で、神社の神霊地を大規模に切り崩したことである。大した理由もなかったのに、日本の地中海である瀬戸内海を汽車で渡って、私が初めての四国に行った動きの背後には、そんな因縁の糸が隠れていたのではないか。また、出雲はスサノオの命の根拠地だっただけでなく、〔佐川急便疑惑〕の張本人の竹下登の地盤であり、島根県から大分県を地下で結ぶものとして、政界の黒幕の竹下が出雲町長か大分県知事にコネをつけ、政治的野望を企んでいるのではないか。(その後になって大分県出身の村山首相が誕生し、この野合政権の実現を企んだ策士の背後に、竹下がいたことでこの予想が的中していたと分かった)

 それに、校正を終えたばかりの『日本が本当に危ない』(エール出版刊)の中で、小沢一郎が創価学会の池田大作とパナマ・コネクションで結びつき、CIA人脈であることについて論じているが、これは政教一致を狙った現代版の道鏡ではないか。(これは新生党と公明党による新党結成や、7月に渡米した小沢がCIAの首脳陣と特別会議を持ち、隠密行動から公然行動に転じたことで実証された)

 また、世界のウラニウム資源を独占するリオチントは、ロスチャイルドが支配している会杜であり、日本の原発行政の喉頸を握るだけでなく、プルトニウムの精錬にも密着している。その金融をめぐって野村証券が関係しているが、バブル経済を演出した中曽根の人脈には、キッシンジャーを結ぶユダヤ・コネクションがあり、馬野説では日本解体工作のダイナモでもあるらしい。その一環として、その後になって羽田内閣が誕生したが、羽田と泰の関係が露呈する前に自己崩壊しており、混沌の中で不況の色合いを濃くした経済は、世紀末に向かって転がり落ちようとしているのである。

 宇佐は合衆国のアナグラムであるだけでなく、スサノオのSが後ろに行き〔左右の汚す〕の自社連立政権を示し、平成幕末は混迷の度合を増すばかりである。

 塩谷先生が言っていた安楽詩を楽しみ、明るい21世紀を迎えるためには調息法をマスターし、宇宙の無限力を取り込まなければならないが、当面の治療をアスクレピオスに頼めというのだろうか。


アスクレピオスの導きと川棚の奇術の評価

 こんな思いで藤井先生の診療所に別れを告げたが、翌日は溜池の全日空ホテルで石田さんと昼食をとり、アーユルベーダや京都に建築中のアシラムの話をした。石田さんは京都の製薬会社の社主でアーユルベーダに詳しく、インドには頻繁に出かけているようだが、佐保田鶴治先生の遺髪を継いでヨガ禅を主催していた。贈呈した『宇宙巡礼』の図面を示しながら、アシラムの正面玄関にフィボナッチ螺旋を取り入れて、デザインを修正するようにアドバイスした。次に、早稲田のたま出版で瓜谷社長に会った後で、夕方の神保町の喫茶店に急いだが、それは建築家の高橋励さんに会うためだった。高橋さんは『パワースペース』誌に〔カタチ・その驚異のパワーを探る〕を連載しており、毎号の記事の中で最も充実した内容を誇るだけでなく、15号に拙著『宇宙巡礼』の書評を書いていた。

 最近の日本の精神的弛緩状態は悲劇的であり、新聞や雑誌の書評欄で気合いの籠もったものが少なく、過去10年間に10冊近くの著書を上梓した私は、読みごたえのある書評にほとんど出会わさなかった。ところが、高橋さんが『パワースペース』に書いたものは、久しぶりに息を詰めて姿勢を正したほどであり、なかなか深みと洞察に満ちた文章だった。だから、是非ともお目にかかって置きたいと考え、吉田祉長に手配を頼んで旅に出たのだが、幸運にも『パワースペース』の椎原さんと小笠原さんが一緒に見え、その結果、一端を披露した旅行談が編集者の目に止まり、『地上巡礼』を纏める約束までが成立した。その契機になったのが前年のギリシャ旅行であり、ちょうど持参していた『レジャーーアサヒ』誌の120号に、〔ヒポクラテスの故郷と西洋医学の源流を訪ねて〕と題した写真探訪記の形で、私のアスクレピオンの遺跡巡りが出ていた。それを見た小笠原さんが驚きの声を上げ、「これは絶妙なシンクロニシティです。実はうちの雑誌にもコス島の紀行記事が届き、次号からの連載が決ったばかりです。全く驚きました」と目を輝かせた。

 シンクロニシティは2つの出来事が同時に起こり、その間で意味の共振性が読み取れる時に、因果関係を超越したリズム振動として確認される。そのメカニズムは非線系エネルギーの流れが、共鳴し合いながら引きこみ作用を生じるために、ホロコスミックスの同時共振を通じて、各レベルで交響を楽しむ行為に転化するのである。

 こうした体験の継続の中で春の日本滞在が終わり、太平洋を越えて私はアメリカの自宅に戻ったが、ロスの小島さんに『パワースペース』13号の記事のコピーを送って、次に会う時には〔噂の超能力者〕のワザに関し、議論と分析を試みたい旨を連絡した。

 ロスに出かけた機会を利用して会った小島さんは、川棚での観察と見解を披露した後の私に、プロの奇術師が種明かしをしない埋由を説明した。それは奇術を職業として生活する人がおり、種明かしをすれば彼らの生活を破壊するし、説明自体がルール違反になるからだ。それらの人は超能力だなどとは言わないで、エンターテーメントとして観客を楽しませており、トリックの中には一生をかけて考えたものや、完成に二代もの時間を費やしたものもある。手品や奇術の世界では売れないマジシャンが、食うに困って厳禁の種明かしをして、本に書いたりビデオを売ることがあり、それはプロとして背信行為になるのだ。

 何人もの人間が苦労して改良や工夫を積み重ね、洗練された楽しい芸にし上げたものを、僅かなカネのために種明かしをすれば、折角の娯楽文化の基盤を破壊することになる。日本ではオリジナルなものを尊敬しないし、日本奇術協会は情けない組織であり、そういった背信行為が横行している。幾冊かの良心的な参考資料があると言って、『トリックの心理学』(講談社刊)、『超能力の手口』(ゴマ書房刊)、『超能力現象のカラクリ』(東京堂出版刊)を読むことを勧めながら、小島さんはこんな発言を更につけ加えた。

 「藤原さんの話や雑誌の記事を読んだだけで、ズバリ言って使っている手品の道具の出所まで、われわれプロにはすべて分かってしまう。彼が〔サイキック・ショウ〕と名づけてお客に見せている限りは、それは娯楽であるから存分に楽しめばいい。スプーン曲げなどは超能力ではないし、気合い術や気合道に属す気の働きに過ぎず、それを奇跡の超能力だと大騒ぎする人たちがバカ者で、マジックは消去法で消して行けば答えが出ます。

 私の友人でマニア的な人が二人も川棚で見物しており、奇術をやる立場から彼のパーフォーメンスを見ると、余りうまくないしタネも時代遅れだが、それが日本の奇術のレベルなのです。五百円硬貨にシガレットを通す手品は、今から20年前も前に流行って私も道具を買ったし、埃だらけで仕掛けが動きにくくなったコインを、引き出しの中に一つ位は誰でも持っています。それはユリ・ゲラーが演じるサイキックと同じで、超能力の代表みたいに見られるが、色んな原理の組合せが分からない人には、大変なモノに見えてしまうだけなのです。

 昔からわれわれ奇術の世界では、下手なマジシャンとして成功しないレベルの人が、3つ位のタネを使って大成功する秘訣は、超能力者を名乗ってやることですよ。そうすれば、新興宗教の教主でも難病のヒーラーでも、その成功の度合はほぼ確実といえるのです。超常現象や超能力といわれるものを観察する時には、画家や奇術師などと一緒に行くのがお勧めで、医者やエンジニアーなどの専門家は引っかかり易いが、藤原さんが9割まで手品だと見抜かれたのは、なかなか良い観察力をお持ちですよ……」

 冷やかし半分に褒められたような感じだが、サイババの演じる神秘なマジックの手法についても、興味深い2人の歓談は未だ未だ続いた。奇術として目の前でテクニックを見せられ、それが超能力として一人歩きする点などは、別の機会にでも紹介したいと思うが、地上巡礼は多くの謎と謎解きを伴って、今後においても延々と続いて行きそうである。(完)

 ※本文中の小島真吉郎氏(アメリカ奇術協会終身会員)によるマジックに関する話題については、次号より藤原肇氏に改めて論じていただきます。乞うご期待!(本誌編集部)


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