『レジャーアサヒ』 1993年冬号



ヒポクラテスの故郷と西洋医学の源流を訪ねて
エーゲ海のコス島とベルガマ(トルコ)のアスクレピオンの遺跡巡り

文と写真 藤原肇



三日月の島サントリーニの街から見た客船と海




「ワイン色の海」エーゲ海の船旅

 春から夏にかけて未だそれほど暑さが強烈ではなく、ヨーロッパ中から観光客が押しかける前の季節になると、透き通るように青いエーゲ海に波頭の航跡を描き、船に揺られた島巡りを楽しむギリシァ通たちが、「葡萄酒色の海」と呼ばれるエーゲ海に集まって来る。
 エーゲ海には神話や古代文明と結びついた島々が浮かんでおり、どの島を訪れても歴史と旅情を満喫することができる。ペリカンのペドロや風車が名物のミコノス島のメルヘンの世界、アポロン生誕の神話の映えるデロス島の光と影アトランチス大陸の破片というロマンと結んだサントリーニ島のカルデラ、ミノア文明の遺跡クノッソスの王宮を持つクレタ島の迷路、「エーゲ海のバラ」と呼ばれる騎士団の城塞に囲まれたロドス島、そして、イソップや女流詩人サッポーを生んだレスボス島の奇妙な習俗、エトセトラ、エトセトラ……。
 こういった由緒ある歴史に輝くエーゲ海の島々については、多くの旅行記や案内記事が書き継がれており、人々は素晴らしい景観の中で旅の魅惑に陶酔する。
 それにしても、豪華船でのエーゲ海クルーズや個人のヨットの旅なら、灼熱の太陽や混み合った真夏でも構わないが、同じ遺跡巡りでも個人的な旅を楽しむつもりであれば、バカンスの季節だけはどうしても避けた方がいい。ホテルが満員で浜辺の野宿をしなければならなくなったり、遺跡の入口やレストランでの行列を避けることは、旅の味わいを増す上で不可欠な心構えだし、快適な旅の思い出にとって大事な要素でもある。
 しかも、旅を楽しむ最高の秘訣は安眠の後の爽やかな気分に包まれて、人類の遺産や珍しい風俗に新鮮な感動を覚えたり、寛ぎの雰囲気の中で美味しい食事をゆっくりと味わい、健やかに生きている仕合せをしみじみと噛みしめる点にある。
 健康に生きていることの実感を心から体験したいなら、西洋医学の父と呼ばれるヒポクラテスの生まれ故郷のコス島を訪れて、彼が医療教育と治療をおこなったというアスクレピオンの遺跡で、医術の歴史を追想してみるのはどうだろうか。医師や薬剤師あるいは看護婦のように、医療関係の仕事に従事している人たちにとっては、一生に一度は医学の生誕地であるコス島を訪れて、アスクレピオスの神殿に、参拝するのが巡礼の心に似た憧憬になっている。また、自分の健康を司るのは自分自身に勝る者がない点で、われわれも自らの健康管理においては、エクスパートであって然るべきだ。

ミコノス名物の風車と夕陽




海上から見た港町サントリーニの全景

エージアン・ブルーの海上に浮かぶ客船


ミコノス島の人気者ペリカン

医聖ヒポクラテスの誓いと彼の生まれ故郷コス島

 紀元前460年ころに医者の息子として生まれたヒポクラテスは、九十歳以上も長生きしてBC370年頃に亡くなったが、その生涯について詳しいことは伝えられていない。それでも、死後にエジプトのアレクサンドリアで刊行された『ヒポクラテス全集』によって、科学的な医学の父としての業績を地中海世界に知られ、その後の二千年余りにわたって西洋医学に強い影響を及ぼして来た。
 殊に金言集『Aphorism』は十九世紀まで医学の教科書として使われ、[人生は短く、技術は長い。機会は逃げやすく、実験は危険を孕み、判断は難しい]という金言などは、[人生は短く、芸術は長し]という言葉で[過ぎたるは及ばざるが如し]と共によく知られている。また、医師の理論を説いた[ヒポクラテスの誓い]は医学部の卒業式で未だに朗読されることが多い。
 「医神アポロン、アスクレピオスおよび全ての神々の前に、この誓約と義務をわが力と誠をもって履行することを誓う」で始まり、「業務上の見聞や他人の私生活の秘密は口外しない。もし、この誓いを固守し破らない場合には、世の信頼のもとに私の人生と術を長く楽しましめよ。もし破った場合は、逆に報いを与えよ」で結んでいるこの誓いの言葉は、どれほど多くの医師の卵たちが繰り返して唱え続けたことだろうか。
 コス島は騎士団の島ロドス島の北西百キロに位置し、空と海の境界に白い波の航跡を残している船のデッキから、石灰岩の白い岩肌の島影やトルコの海岸線を眺めているうちに、いつの間にか着いてしまう感じの島である。
 コスの町の中心地には古代アゴラ(市場)の遺跡があり、誰でもが自由に歩ける公園になっていて、近くにはヒポクラテスのプラタナスと呼ばれる直径十メートルを越す老樹が、垂れ下がった枝を大理石で支えられて鬱蒼と茂っている。
 この木の根元に座ったヒポクラテスが、弟子たちに医学の講義をしたと伝説は言うが、それはどうも彼の臨床の流儀に合わない感じがする。
 弟子を前にして木陰で病気について講義するのではなく、患者を前にして診察するヒポクラテスを観て、診断と治療について弟子が学び取ると考えた方が、科学的な医学の父のイメージにふさわしいと思うからである。


医神アスクレピウスの象
(アテネ国立考古博物館蔵)



ビザンチン時代のイコン画ヒポクラテスが手にする本には「人生は短く、芸術は長し」という有名な箴言が書いてある

夕陽のコス島


コスの町の中心にあるアゴラ(市場)の遺跡


シーザーズパレスやラキンタ・ホテルと糸杉

 医聖ヒポクラテスは医神アスクレピオスが伝えた技に加えて、それを科学的な知識と職業的な倫理観で結びつけ、医学を魔術から分離して科学と技術にした功績で、アスクレピオスの「出藍の誉れ」を体現している。
 アスクレピオスの端正な彫刻像がアテネの国立民族博物館にあるが、アポロンの息子でもある彼は多くの奇跡的な治療を行ったので、コスを始めエピダウロス、アテネ、ベルガマなど数多くの土地に神殿が作られ、そこに祭られてアスクレピオスと呼ばれている。
 そして、この神殿が湛えている安らぎの気分を生む原因は、アスクレピオスが生者のための神聖な場所であって、ピラミットや仏閣のような死者のための墓陵ではなく、同じ神聖な空間でも意味するものが異なるからである。
 コスの町から五キロほど西に離れた小高い丘の麓のアスクレピオスが、世界中の医師たちが巡礼を試みる聖域であり、漁港の前でバスに乗れば二十分ほどで到着する。
 糸杉で縁取られた並木道を入口に向かって歩を進めれば、木立ちを洩れた光りが影と織り成す縞模様のお陰で、寛ぎに満ちた穏やかな気分が体の隅々に広がって行く。有名な『創世記』のノアの方舟が糸杉で作られていたように、糸杉は腐敗し難い木だと信じられていたので、冥界の王ハデスに捧げる神木だと言われ、エジプトやギリシァでは柩や家具に好んで使われた。
 休息と再生を象徴するこの木は保養を意味しているので、シーザーズ・パレスの正面の装飾も糸杉で構成されていたことなど、ラスベガスを訪れたことがあれば思い当たる人も多いはずだ。
 また、ハリウッドのスターたちの密会場所で知られた、ラキンタ・ホテルの入口の糸杉が縁取る並木道も、味わい深いロマンチックな舞台装置であることについては、映画の名場面に通じていれば知る人ぞ知る情景でもある。

アスクレピオン第2の高台アーチ。アーチ下部には噴水や貯湯池がある(第1のテラスにあるローマ人の浴場から)

糸杉に縁取られたアスクレピオンへの並木道


コス島のアスクレピオンと泉水の秘密

 入口の門を通りアスクレピオンの聖域に足を踏みこめば、木立ちを包む爽やかな空気は心地好く、荒廃していない遺跡の持つ穏やかな雰囲気が、心の中に安らぎと落ち着きの気分を拡散する。正面にはアーチで縁取られた第2のテラスが広がり、そのアーチの下には噴水や貯湯池が作られていて、この水を集めてローマ人たちは得意の大浴場を作った。
 なぜここに浴場を作ったのだろうと疑問に思い、神殿の背後の丘に登って簡単な地質調査をしたら、破砕状石灰礫岩(ブレッシア)がドロマイト化しており、湧き出す鉱泉がミョウバンや石膏に富むことが分かった。
 ミョウバンや石膏の主成分はマグネシウムであり、この泉の水を飲めば胃腸病や高血圧に効くだけでなく、不妊症や月経不順にも治療効果が高い。この事実が分かればここを訪れた価値は十分であり、鉱泉を飲んだ古代ギリシァ人の知恵を受け継いだローマ人は、風呂場を作ってアスクレピオン温泉に仕立てあげたが、コス島の人気の秘密は湯治場のノウハウにあったのである。
 アスクレピオンの祭壇からローマ人の神殿を眺めると、その右手背後には石積みのローマ人の大浴場が見え、糸杉の木立ちの彼方にはエーゲ海が遠望できる。
 この朝のアスクレピオンにはベルリンから来た数人の医者がいて、すれ違った時に「アスクレピオン・ハイル!」と挨拶したら、相手が精神科と内科が専門だと自己紹介した。そこで私も医師仲間だが自分は地球を患者に持つ地質科だと答えておいた。(それはドイツ人のアルピニストと山で出会った時には、「ベルク(山)・ハイル!」と挨拶するのがアルピニストの流儀だから、山の代わりにアスクレピオンを使ってみたのである。)
 ギリシァ時代のアスクレピオス神殿は礎壇の一部しか残っていないが、ここは運動の後で食事と清めの入浴をしてから登り、犠牲を捧げて横たわって夢をみることで治療をする場所である。神殿のお籠もりでぐっすり眠った患者は、翌朝に僧侶から神のお告げを知らされて元気一杯になって帰るのであり、これがヒポクラテス以前に行われた普通のやり方だ。
 しかし、科学的な考え方をしたヒポクラテスは診察のプロセスを導入して、朝になると弟子をお供に患者の隣に腰をおろして話しかけ、目、皮膚、耳、額、呼気、心臓などの生理機能を観察し、眠り具合やどんな夢を見たかを聞いたりして、診断を通じて医学の実地教育と治療の基礎にしたという。

ベルガマの町全景

アクロポリスの遺跡

コス島からトルコのポトラムに通う連絡船


アスクレピオンの祭壇からローマ人の神殿と浴場を望む

クリニックの起源と総合医学の歴史

 患者の隣に座って望診や聞診をするのがクリニコンであり、これは、歴史的に臨床医学の起源に当たるものとして、その後クリニックという言葉になって定着している。
 毎朝ヒポクラテスが患者の病床を見舞うやり方が、大学や病院の朝の回診として現代に伝わっているが、この長い寿命をもつ巡回診断を実践に移したので、良医が良教師を兼ねるという評判がギリシァ中に広まったのだろう。コスの町にある市立博物館の大広間のモザイク絵には、ヒポクラテスに教えを乞う若者の光景が描かれているが、それを見ればコス学派の拠点であった時代の栄華が偲ばれる。
 そして、一般的には「ペリクレスの黄金時代」と形容されているが、歴史のヘロドタス、哲学のソクラテス、演劇のソフォクレス、科学のデモクリトスを輩出したこの時期に、ヒポクラテスのような誠実で理性的な人間が医療に携わったので、コス島は医学の中心地として大いに栄えたのだった。
 コスの港から僅か数キロの海を船で渡ればトルコであり、かつてコスと張り合ってエジプト医学の伝統を誇りにした、ユーリフォンに率いられたクニドス学派で知られた町もある。病名を付けて外科的な処置を得意にしたクニドス学派が、内科的なアプローチと食餌療法を好んだコス学派に対抗して、主導権を競ったことは、医学史の冒頭に出てくる。
 だが、診断を主体にした内科は処置に重点を置く外科よりも、ヒポクラテス式の診療姿勢のお陰で優位を保ち続けた。
 科学的な医学の出発点は診断にあると言うが、七十巻の『ヒポクラテス全集』の中には、解剖学、婦人科や子供の病気、食餌療法や薬物療法と並んで、外科は治療法の一部に過ぎない。
 臓器の外科的な移植が脚光を浴びる現代は、総合医学が診断を基礎にした歴史を鏡に使わない限り、その異常性が正しく認識され得ないのである。


エフェスの図書館


ベルガマのアスクレピオンと蛇のナゾ

 ジュラ紀の白い石灰岩が続くトルコのエーゲ海沿岸には、壮大な遺跡が風光明媚な背景を伴って散在している。イオニアの誇りといわれた、ミレトスの遺跡や、アルテミスの女神で知られたエフェスの遺跡に感嘆したなら、ヘレニズム時代にベルガモン王国として栄えたベルガマは、最もよく復元されたアスクレピオンがあるだけに、絶対に見落とすわけにいかない町である。
 だが、アスクレピオンは谷を隔てた隣の丘にあるので、アクロポリスを訪れて二千年昔のことを思い起すだけで、ベルガマを見たと満足して帰る人が余りにも多い。
 実は、私もフランスに留学していた頃にベルガマを訪れたのに、アクロポリスだけでアスクレピオンを見逃した慌て者の一人であり、三十年後に長く続いた悔恨の穴埋めをした次第だが、それほどアクロポリスの令名は広く世に知られている。
 頭上の紺碧の空には明るい太陽が燦々と輝いているのに、西風が海の方角から嵐を含んだ雲を吹きつけていたが、このベルガモン王国の遺跡に立って過去を偲べば、アレキサンドリア図書館と蔵書量を競ったという伝説は、[昔の光いまいずこ]という思いを強く印象づける。
 ゼウスの祭壇はドイツ人たちが発掘してベルリンに運び、ベルガモン博物館の中核として復元して名高いが、僅かに残っている神殿の柱の壮観を見るだけでも、その隣に続いていたという図書館の偉観を彷彿とさせる。
 良好な保存状態でエフェスに残るケルスス図書館を思い出せば、その数倍の偉観を誇ったというベルガモンの図書館は、二十万巻を越す羊皮紙を主体にした蔵書量だから、それがいかに素晴らしいものだったかが分る。アレキサンドリア図書館のエッセンスがタロット・力―ドなら、ベルガモン図書館のエッセンスは羊皮紙の写本だが、われわれは本の代わりに映像文字を読み慣れており、本が電磁波障害を伝える時代を作った点や、知識量が知恵を凌駕するのを嘆くべきだろうか。
 アクロポリスの丘を作る安山岩を使って築いた大円形劇場は、ベルガマの町を見下ろしながら急勾配で広がり、町並みが這い上がる小高い丘の一角にアスクレピオンがある。かつて学生時代の私はその価値を見落としていたが、このアスクレピオンはヒポクラテスの時代から二百年ほど後に作られた、ヘレニズム期に栄えた医療施設だったのである。
 入口から両側に大理石柱が並ぶ神聖舗道を歩き、赤紫色の安山岩の敷石を踏んで西に向かえば、蛇の彫刻がある石灰岩の円柱に行きつく。この蛇の彫刻はより古い時期のものらしいが、大地母神の使者として生命力の象徴である蛇は、医療の世界では常に再生と復活のシンボルとして崇拝され、古代のアスクレピオンには蛇が飼われていたと言う。

アスクレピオンの前門に立つ聖柱
(医師にとって復活と再生のシンボルの蛇の彫刻がある)



ベルガマのアスクレピオンの神聖舗道

お告げの地下道


地下道は心の調和と統一を図る保養施設

 ギリシァ神話のアスクレピオスはアポロンとコロニスの子供であり、妊娠中のコロニスは人間と姦通した罪で殺されたが、胎内から取り出された胎児はケイロンの手で養育され、医術を教えられて死者を蘇らせるほどの名医になった。
 彼は学問の女神アテナに頭髪が蛇の怪物ゴルゴンの血を貰い、その秘薬を使って死者を蘇らせたりするので、冥界の王ハデスの怒りを買いゼウスの雷に撃たれて死ぬが、再び復活して神々の仲間入りを果たした。これが医神アスクレピオスの生い立ちの物語であり、アスクレピオスが手に持つ蛇が巻きついた杖は、医学校や病院だけでなく薬局や医療組織のシンボルになっている。
 蛇の彫刻の円柱があるアスクレピオンの聖域には地下道があり、岩組みのトンネルの天井には五メートル間隔で穴があいているが、これは地下道を通る患者たちに向かって「あなたは治る、アスクレピオスの恵みで快癒する」と囁いて、暗示療法をするための仕掛けの名残りである。
 だから、これは意志の力に働きかけて自然治癒力を誘発させ、次に準備された心身矯正のプロセスに続く、文字通り通過儀式(イニシエーション)を行う場所に違いない。また、長いトンネルを抜けると療養施設があり、ここで運動や療養をしたり入浴するだけでなく、反対側に位置する円形劇場で気晴らしの観劇を行い、総合的なリクリエーション(再生)も試みられていた。
 この意味で、アスクレピオンは体育館と浴場を散歩道が結ぶ、心身の調和(ハーモニー)と統一(アンサンブル)を目指す保養施設だった。
 機能本位にできた近代的な病院に比較して、アスクレピオンの方が人間味に富んでいるように思え、何となく文明の退化を感じて寂しくなるが、同時に、保健システムが一般化した現代社会への自信も混じり合い、進歩と退歩の両犠牲を思って苦笑してしまう。
 アスクレピオンを訪ね歩いたこの巡礼の旅は、思いがけない省察と観照の契機をもたらせ、生きることや健康であることの意義と価値について、古代人の知恵を歴史の師父から伝授された印象を生み、淡い余情の温もりが心の中に残ったのである。

アスクレピオンの円形劇場


ベルガマの大円形劇場

療養所

アスクレピオンの付属施設
(発掘中)

アスクレピオンの神殿に残った礎壇の一部


(文と写真 藤原 肇)


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