『意見広告とのつきあい方 アメリカを動かせ!』(マッド・アマノ著 東京書籍)1986年08月発行



Interview 藤原肇(地質学者・石油採掘会社経営)

エネルギー危機は、明日またおこる


藤原さんは、いま、カンサス州のウイチタに居を構えている。月に一度は最近、購入したばかりのカリフォルニアのパームスプリングスの家とロサンゼルスのオフィスに顔を出す。藤原さんはテキサスに石油開発の会社をもっている。アメリカの油田に投資をしている日本人は藤原さんのほかにそう数は多くない。「アメリカには石油会社が四万社ほどあって、まともな会社は一万五〇〇〇社。そのなかの一万四九五〇ぐらいがインディペンデント。残りの五〇がメジャーあるいは準メジャー」と藤原さんは石油業界を説明する。石油ショックの原因は中東紛争にあることはまちがいがないとしても、じつはアメリカ国内でのメジャー(大資本)とインディペンデント(小資本)の対立にある、という藤原さんの指摘。「石油資源の持つ強大な影響力は、世界経済と国際政治を大きくゆり動かそうとしていた。私自身数年前まで中東にいて、当時者たちが何を考えているかを知っていたから、早いうちになんとか対策を講じておかないと天下の一大事が始まると思っていた」と一九七三年春、著書『石油危機と日本の運命』(サイマル出版)のなかで、藤原さんは、まさに石油ショック到来を予言しているのである。そして、必ず経済的力タストロフィーがくる、というのだが…



石油なんていつでも買える、と思っていた

アマノ アメリカの石油危機の話ですが……

藤原 一部の識者のあいだでは、石油危機が五〜一〇年以内に来るといわれていましたが、なかでもいちばん説得力があったのは、キング・ハーバート(地質学専門家)が、いろいろな石油危機がくるという論文を……

アマノ それは一九六〇年代ですね。

藤原 アメリカでいろいろ講演していました。日本でもエネルギー関係の情報誌の一部には紹介されていましたが、それはアメリカの問題であって、と。

アマノ 現実には、一九七四年あたりに石油危機が……

藤原 正確には一九七三年十月七日ね。

アマノ それは結局どういうかたちで?

藤原 イスラエルとエジプトが戦争して、そのあと、産油諸国がエジプト側につくという……

アマノ メジャーがそういうふうにさせたんじゃないかとサカヨミする人もいますね。

藤原 というよりも、アラブの民族主義が主体で、それまではメジャーとアラブ諸国は対立関係にありました。石油の値段が上がると両方とももうかるけれども、同時に消費者同士としては対立していた。アラブ諸国の民族主義の立場は、われわれはアメリカのメジャーに搾取されているという意識は強い。そこで、少しでも自国のとり分をふやそうという交渉はずっとつづけてきたわけです。
 それを歴史的にいうと、まずトリポリ会談というのがあります。これはリビアのトリポリでおこなわれましたが、それまでは石油会社が圧倒的なロイヤリティーをとりましたが、産油国の主張は通ったわけです。その次がベネズエラにいってカラカス会議になりますが、それまで産油国は土下座をしてでもできるだけよけいにくださいと頼んでいたわけです。トリポリ、カラカスとかなり産油国の発言力が高くなってきたところで、一九七三年にOPECが団結してアメリカと対決したわけです。
 それまでは石油の値段は市場関係と無関係で、むしろメジャーが決めていた。歴史的にアラブ諸国にとってイスラエルというのは不倶戴天の敵であって、そのイスラエルをサポートしているのがアメリカです。アメリカのユダヤ人の数はイスラヱルに次いで多い。ユダヤロビーというのはワシントンに非常に大きな影響力をもっている。そこでアラブ人はユダヤ人憎しということから、ユダヤ人に対して特別親切にしているオランダとアメリカ両国に対して輸出禁止をした。と同時に、イスラエルに対して協調的路線をとる他の国に対しては、徐々に輸出量をへらしていくことにした。これによって日本はたいへん困った立場になるのですが、日本人の大部分は、石油などいくらでも買えると思ってた。一九七三年十月のオイルショックの前までは、だいたい一バーレルあたり一ドル五〇セントから一ドル六〇セントぐらいで、日本の場合にはワリモドシをもらうことによって、実際には一ドル三〇セントぐらいでして、国際相場より、一、二割安く日本は買っていました。

アマノ いまの値段はいくらですか。

藤原 一バーレルあたり二五〜二八ドル、今日の相場で二六ドル七〇セントぐらいです。石油の値段には二つ大きなのがあって、サウジアラビアのガルフ価格とアメリカのテキサコウエスト価格です。ロッテルダムのスポット(価格)もある。いまそれが安くなっているので石油の値段が下がっている。中東あたりが価格暴落の引きがねになっていて、火だねがあればいつでも火薬は爆発します。石油自体が不足するのも予想されていて、アメリカの場合、一九六〇年ごろが生産のピークで、その後落ちこんできています。

アマノ どういう理由からですか。

藤原 アメリカでは一九三〇年から五〇年くらいのあいだに、もっとも大きな油田が見つかってしまって、より深くて掘るのがむずかしい、つまりコストのかかるところが残ったのです。と同時に、産業界の消費量が生産とは無関係にふえているので、その二つがぶつかる時点が六〇年代のなかばです。そうなってくるとアメリカは、六〇年代のなかばで消費量の七割ぐらいを自国で生産していたのが、七〇年代には半分を外国に依存しなければならなくなったのです。
 アメリカでは日本のように、石油がなくなる、という危機感はもっていません。そこに、同じエネルギー・クライシスといっても日米の意味するところのちがいがあります。日本の場合には、物質的になくなって大騒ぎする(米騒動のように)のですが、アメリカの場合にはエネルギ〜の六〜七割は確保できる。足りないぶんは他の国に依存することになり、依存ということは独立という立場をそこねることであり、つまり、石油危機とはナショナル・セキュリティ上の危機と考えられています。
 アメリカという国はたいした国で、日本もそのように発想しなければいけないと思いました。物がなくなったらたいへんという庶民のレベルで(米騒動のように)石油危機を考えるべきではない、だから私のいう石油危機は、日本の石油パニックとはちがいます。石油危機という同じ言葉をつかっても、ほんとうの意味がわかっていなかったのではないですか。まあ、一般の人にはわかりにくいことですが、石油が少なくなるということ自体は、直接の危機には結びつかない。危機という言葉は日本語には一つしかないですが、英語にはクライシスとクリティックと二つある。クライシスにしてしまうかどうかは政治にかかわっています。たんに石油が不足するのは、「石油不足」にすぎません。


ウォールストリート vs. インディペンデント

アマノ さきほどのメジャーですが、これは第一次石油危機以降、どういう動きをしたのですか。

藤原 だいたい、アメリカの場合は、南北戦争のころから、主導権といった意味でもニューヨーク、ワシントンに陣どった金融資本家が中心にビジネスをやっていたので、その連中と結びついた会杜がメジャーの石油会社を構成しています。石油会社も大きくなると金融資本と連携していかないとやっていけなくなるから、本社をニューヨークにするとか、ニューヨークからのパイプを太くするとかしなければならず、メジャーは東部資本とつよく結びついていきます。
 それに対して南部の独立系の人たちは、ある意味で山師的な人たちで、小組織です。アメリカ人は独立の気運がつよいので、なかには地主が投資をする例もあるし、いいかげんな例も多いけれど、アメリカにある石油会社の四万社ほどのうち、一万五〇〇〇社ほどはまともな会社です。そのなかの一万四九五〇ぐらいがインディペンデントで、残りの五〇がメジャーあるいは準メジャーです。メジャー、準メジャーはウォールストリートで金を調達しています。組織も大きくなると、官僚主義的になってしまう。アメリカ国内に官僚的な雰囲気を広めて陣どっているメジャーとインディペンデントの利害は対立しているわけです。
 インディペンデントはローカル会社が多いので、どこで、誰が、どれぐらい(石油を)掘ったという情報をもっている。お役人会社のメジャーに石油が見つけられるわけがない、自分たちが見つけた石油をメジャーに売ってやればいい、というインディペンデントの考え方はいまだに変わってません。
 メジャーになると何千人もの従業員をやとうので経費がいろいろかかる。石油開発・生産に集中してやっているのはインディペンデントで、メジャー、準メジャーなどの大手になってくると石油開発のほかに運搬部門や精油・給油部門があり、メジャーはこれらが一貫してタテにつながっている。いうなれば、メジャーはハードウェアに集中しているわけで、ハードウェアは大きな資本の投下が必要であり、どうしてもウォールストリートにつながる。ウォールストリート vs. インディペンデントというのがアメリカの石油ビジネスの実体ですが、そのような見方をしている人はあまりいないでしょう。

アマノ オイルショック以降、ある意味ではメジャーとインティペンデントの利害は同じなんでしょうが、どちらも中東から石油がこなくなるという……

藤原 いえいえ。というよりは、一九五〇年代までにメジャーは国内で有望な石油はほとんど見つけつくしたわけですよ。あとは小さいものが多い。エンピツをけずるときにはナイフが必要で、チェーンソーではだめです。残ったアメリカ国内の油田は小さすぎるので、メジャーはフロンティアを求めて世界中にでかけていった。カナダを新天地としたり、中東にもでかけていった。中東で大きな油田を発見した場合、コストはアメリカの一〇分の一以下です。
 コストがかかってもアメリカ国内では高く売れる。しかし、国内でやっているインディペンデントの連中は、海外の安い石油が持ちこまれると“神の見えざる手”(価格の安定)がくずれて困る。そこで外国から輸入するものにはクォーター(負担金)制を要求した。国内市場は世界市場にくらべて三倍くらいだった。こうしてインディペンデントとメジャーの対立があったわけです。メジャーは税金を払っても国内にもってきたいけれども、インディペンデントが反対する。市場に出まわる石油は絶対量が少なければ少ないほどいいというのが、石油業者の考えです。だけども、生産をへらすわけにはいかない。
 まあ、自分たち仲間うちの誰かの油田が出なくなれば、いちばんつごうがいい。そこでいろいろ謀略がからんでくるわけで、そういうところをアリスター・マックィーンあたりが冒険小説に描くわけです。一九六〇年代のはじめごろ以来、ベトナム戦争もあったし、第二次大戦後の不況からたちなおり、好況に入っていった。したがってエネルギー源としての石油はあらゆるものに使われ、消費は伸びました。しかし逆に、石油の生産はボトルネックだし、また国内にもってくるにはクォーター制があり、六〇年代末あたりから、アメリカではそのバランスが微妙になる。しかも、それを政治がうまく解決するというところまではいかなかった。
 そうした状況で、一九七一年ごろは天候が不順になり、ニューヨークどころか、テキサスにまで雪が降り、突発的に暖房用の灯油、天然ガスが不足した。天然ガスと灯油の不足であって、アメリカの場合、石油ぜんぶが不足したわけではない。真冬に灯油がなくなり凍死したり、天然ガスがなくなり学校が休校したのをジャーナリズムが大さわぎして、それをアメリカでは"石油危機"と名づけた。それを日本では石油がぜんぶ不足すると信じこみました。一九七一年に「文藝春秋」に「日本のアキレスケン石油」という文を私は書きましたが、誰も真剣にとりあげなかった。私が石油危機が襲来すると書いたことに対して編集者も半信半疑でしたが、それでもいちおうは活字になりました。
 私は、一九六八年にサウジアラビアで仕事をし、ヤマニたちが何を考えているのかも知ったし、一九七〇年代に日本に大石油危機がくるのではないかと思い、本を書きあげました。一九七一年末には脱稿していたのですが、どこへ持ちこんでも、その出版を断わられました。


アラブに世界が乗っとられるのではないか、と

アマノ ヤマニ氏とのつきあいは?

藤原 私はサウジアラビアでは水を掘っていたのです。ファイサル国王のアドヴァイザーで水を掘った。そのときにできた友人の一人がヤマニでした。
 アメリカでは暖房用の灯油が不足する事件がよく発生したし、同時に、あのころアメリカはベトナム後のインフレでドルが目減りし、ニクソンショックもありました。ニクソンのドル切り下げで、中東はマルクを要求したりで通貨のことでごたごたしており、ドルが下がり、石油不足で、マーケットとしては売り手市場が生まれていた。
 売り手がカルテルをつくって何かをやると買い手がパニックをおこすというのは、経済学のイロハであり、その観点からみれば何かがおきるに決まっている。そうしたら案のじょう、一九七三年十月に第四次中東戦争がはじまり、OPECがアメリカとオランダには輸出禁止、その他の親イスラエル的な国には制限していく方針をとりました。十二月には日本が特使を送って土下座をしましたが、翌年の二月、三月にかけてトイレットペーパ;がなくなるなど、大パニックがおこってしまいました。
 この第一次石油危機は、ドルの弱さと、石油の供給絶対量が少なくなるなかで、石油を政治的武器に使ったということが決め手となっておこりましたが、それがオーバーヒートした世界経済に水をかけることになった。一九七四年後半から七五、六年まで世界は不況に陥り、不況になれば石油を使わないので石油が余りはじめた。
 私は一九七四年二月に出した『石油飢餓』の前書きで、いま、日本中がパニックに陥っているが、これはほんとうの石油危機ではない、ほんとうの危機は一九八〇年代前半にくるのではないかと予告していた。今回は政治的なかけひきが引きがねとなった石油パニックであって、世界の産業社会がやっていけないくらい不足したとは孝えられない、と。このような発想は、当時の日本では理解されなかった。

アマノ そうすると第二次石油危機へ移行していった過程はどうなるのでしょうか。

藤原 一九七五、六年と日米は不況に陥り、ドルが中東に集中していきました。イランはメルセデスベンツ社を買収したり、アラブ人がロンドンのめぼしいホテルを買い占めたり、アメリカのショッピングセンターを買ったりで、アラブに世界が乗っとられるのではないかという危倶が高まりました。

アマノ ドルが中東に集まって……

藤原 そこで今度は、反アラブ感情が高まっていった。また、一九七七年ころからは世界景気が上向いてきて、アラブの金がウォールストリートに大量に流れこむ。ウォールストリートはそれをどこかに貸さなければならない。石油会社が借り、その尻馬に乗って貧乏国が借りた。ブラジルやメキシコなどが借りまくった。金は動けば動くほどオーバーヒートするので景気がよくなったと思うわけです。
 景気が回復すると、石油危機のころを思い出し、しろうとが金を借りて石油を掘るという石油ブームが始まりました。また、銀行が投機を始めた。それが、一九七八、七九、八○年とアメリカで大ブームを巻きおこす。一九七六年にはカーターが大統領になり、かれは反ワシントンを標榜していましたが、実際はワシントンの役人にぎゅうじられていて、役人主導型の政治にはまりこむ。
 石油ブームがおきたのに対してジャーナリズムはこの石油会社がもうけすぎだというキャンペーンをはる。だいたいアメリカ東部の大メディアはユダヤ人が支配しているから反アラブだし、反大企業です。実際問題として石油の値段が一九七三年に五倍にもなり、その後一バーレル三〇ドルに下がったとはいえ、一時最高一バーレル四〇ドルにもなり、石油会社はたいへんな利益をあげましたね。
 メジャーは、税金対策、世論対策として、もうかっていないことをキャンペーンしなければならない。社会的に重要な仕事をしているということと、もうかっていないことをPRするのがキャンペーンのエッセンスであり、もうかっていないことの理由は帳簿上でマニピュレートできます。ガルフの広告のなかでアベレージ・プロフィットを示してガソリンスタンドでもうかっていないことを書いていますが、石油ビジネスでもうかるのは、石油を見つけて生産する部門です。精油・販売ではもうけられないのはあたりまえで、もうけに注目する石油業者は、はじめから精油や販売などに興味はないのです。この広告はしろうとだましです。
 たとえばエクソンです。これだけいいわけがましいのは、裏になにかやましいところがあるとかんぐるのが道理です。エクソンは一九七三年ごろ石油の殖段が下がったとき、タイプライター会社を買収している。エクソンタイプライターをつくって「ニューズウィーク」や「タイム」で大々的に広告をしましたが、ビジネスとしては失敗している。トップがいかにマヌケかのいい例です。また、かつてメジャーグループのセプンシスターズだったガルフは、現在、雲散霧消してしまった。またガルZ石油も、たしかモンゴメリー・ワーズというデパートを買収して失敗しています。ガルフは政治キャンペーンが好きな石油会社で、かつてガルフ・カナダの社長がアメリカ社長になり、優秀な男でしたが、説教じみた広告をよく出していました。
 なぜ、石油会社があのようなことをするのか。広告をみると、石油に投資している開発予算についていっていますが、じつはまったく無駄使いばかりですよ。石油会社は、もうかると、税金かくしのためにまったく別な会社に投資する。なぜメジャーがでたらめなことをしているかというと、ビジネススクール卒の近視眼的な連中がマネージメントするからです。とくにMBA(経営学修士)がダメです。ところが日本の大会社は、いま、中堅社員をMBAを勉強するために留学させている。アメリカを他山の石にしなければならないのに、後を追っている。一匹狼として会社をとびだすというぐらいの人材こそ、これから育てなければいけません。


第二次オイルショックヘ

藤原 第二次オイルショックの引きがねはホメイニのイラン革命です。イランはそれまで一日に四〇〇万バーレル生産していましたが、革命でそれは崩れました。それが原因で石油の値段は上がった。そのときはアメリカをはじめ世界中が石油投機のブーム、開発のブームでした。産業界自身が消費ブームで、銀行では、担保なしに金を貸すほど、金がダブついていた。一種の狂乱状態でした。値段は、いまに一バーレル一〇〇ドルぐらいになるのではないかといわれました。メキシコは一〇〇万バーレル生産していましたが、今後生産がふえ値段が上がるということで、われ先にドブに捨てるように金を貸していった。
 アメリカではカーターが大統領で、政府資金をつかうことをすすめていた。ケインズ派の政策で景気はよくなり、失業者をへらす目的で公共投資をふやしていた。そしてその反動のなかからレーガンがでてきました。景気には波があり、非生産的投資をおこなったのでインフレになり、次に金づまりが始まった。アメリカ企業は操業率をおとし、電力・石油の使用量がへり、石油がダブついて値段が下がるという破目になる。
 石油開発は、だいたい二〇年さきを考えるのでして、現在は、一九九五〜二〇〇五年ぐらいにどうなるかを考えます。投資するときと結果の出てくるときとは約一〇年くらいの時差がある。景気が悪いからと手びかえると、よくなってからではおいつかない。いま、いちばん問題なのが、一九九〇年のはじめに予測されている天然ガスの不足です。天然ガスが不足すれば、石油・石炭の値段も上がる。パニックが始まります。

アマノ 景気は一〇年周期です。第三次石油ショックは……。いままでは中近東、イランからの影響が強かったのですか。

藤原 引きがねになるものは何でもいいのです。第二次石油ショックの場合はホメイニ革命でした。イスラム・ファンダメンタリズムを中東諸国に輸出しようとしたその反動で、サウジアラビアがイランを封じこめるためにイラクを支援しました。天然ガス不足による混乱の場合の引きがねは何でもいい。第一次大戦の場合は、フェルディナント大公がサラエボで撃たれたのがきっかけですし、日本でも盧溝橋事件が発端で日中戦争が始まったでしょう。


石油危機は何度でもくりかえす

藤原 人類の歴史をみると、三つの文明期を体験しています。第一文明期は農業生産が主体です。人間の活力源をつくる食料生産に大部分の人が従事した時期を第一文明期とよびます。それが一七七〇年ころまでつづきます。イギリスでおこった産業革命以後が第二文明期で、これは工業を中心とした産業が中核を占める時期です。このなかで労働者の問題をあつかったのがマルクス経済学であり、いま、第二文明期が終わろうとしています。
 日本でも軽薄短小といわれて省ヱネがいわれ重工業がおとろえているのも、第二文明期の黄昏だからです。第二文明期のエネルギー源は初期には石炭、中期には石油、後期には天然ガスです。第三文明期のエネルギー源は水素ガスが主体。また石炭や石油、それに核も補助燃料になりますが、原子力はエネルギー源の主体ではない。原子力がエネルギー問題を解決するという政府の広告は大ウソです。原子力発電は石油を使って発電している。発電所をつくるための鉄やコンクリートなども石油のエネルギーを使っており、石油が安いから原子力発電所がつくれるのであって、石油が不足したり、高くなればペイしないのです。
 原子力発電で決め手となるのは核融合だが、いまの核分裂は石油におんぶしています。高速増殖炉も石油に七〜八割おんぶしています。二一世紀後半から二二世紀に高速ガス炉ができて原子力発電を通じて水素ガスがつくれるようになるはずですが、原子力がエネルギー源として役立つというのは、天然ガスの次にガス炉がもたらす水素ガスが主役になるからです。天然ガスから酸素と炭素を分離して水素をとる。海水からも水素ガスの生産が可能であり、横浜国大の太田博士はそれをポルシェ計画と名づけて研究開発中です。水素が第三文明期のエネルギー源の中心です。それまで石油危機は何度もくりかえすでしょう。
 石油・電力会社のほか、政府も危機のキャンペーンをしていますが、石油危機に便乗する電力会社もあります。政府が公報でゴテゴテ書くのも一種の誇大広告です。しかし、アメリカでは自分たちは納税者であるという意識がつよいから、(日本のようには政府広報などという名目を使った政治プロパガンダを許すような)バカな金の使い方を認めていない。プロパガンダというよりは、原子力発電の政府広告はデマゴギーであり、日本は税金の無駄使いばかりしているという印象が強い。
 天然ガスは運搬がむずかしく、液化してタンカーで運ぶか、パイプラインを使うかのどちらかです。第二文明期のところで石炭、石油、天然ガスヘの移行のパターンを説明しましたが、これは固体から液体、気体の順です。気体になるほど不純物が少ない、きれいなエネルギーになる。固体や液体では、石炭や石油のなかにイオウ、チッソなどあらゆるものがふくまれているので、公害問題をおこす。その点からみても、固体から気体への変化は、よりきれいなエネルギーへと移行していることになります。

アマノ メジャーの主導による第三次石油ショックがありそうだ、という一般的な考えについては?

藤原 いま、アメリカでおこっているおもしろいことが、メジャーの解体現象です。
 ガルフは、セブンシスターズの三人姉妹の一人でしたが、それもテキサスのインディペンデントのピケンズの乗っとり攻勢に振りまわされた。この会社をTOBで乗っとろうとするとき、どういう金をどういうふうに並べるかが決め手であり、そのノウハウは知識集約型です。この方法をうまく使うと、メジャーをみなつぶすことができます。

アマノ テレビ界でテッドターナー(ケーブルテレビ会社、CNNの社長)がCBSを乗っとろうとしたし、またABC放送が小さい会社から買収された。資本が大きいというだけでは乗っとられてしまうわけですね。

藤原 それをやらないと世の中うまくいかない。メジャーは(ピラミッド型の)巨大会社です。そして、大組織はまったく無能です。そこをゆすぶれば乗っとったりつぶせるわけで、日本の大手企業も分断して、より小さな生き生きした会社にしたほうがいい。マンモスが死にたえたのも、あるいは中生代の恐竜が死んだのも大きくなりすぎたからです。日本も若いピチピチした狼みたいのが出てこなければいけない。狼が最初に死滅した国はダメです。一匹狼は五〇〇匹、一〇〇〇匹になっても健在です。広告業界もゲリラのような小さなところのほうがおもしろい発想が生まれると思います。

アマノ 大きいところが足もとがあぶないのは、日米ともに同じですね。

藤原 体は大きくなっても頭脳が……。日本の場合には、経営者が、地縁・血縁・門閥・閨閥・学閥と閥でこり固まっています。アメリカで目下すすんでいるのは、古いタイプの大組織の解体です。自己解体ではなく、外からくいついてつぶしてゆくタイプの戦国時代がはじまっていて、とてもおもしろい。そうならなければ世の中はうまく流れない。

アマノ AT&Tはアメリカの政府がらみで……。

藤原 AT&Tは、ベル研究所をもっていてすぐれた頭脳が集まっていますが、大きくなりすぎて身動きがとれないと感じています。通信機や電話に関しては独占していますが、今後コンピューターや情報ビジネスに関しては、IBMなどより自分たちのほうのポテンシャルが大きいことはわかっているから、政府から独占禁止法についてのアドバイスと指摘があったとき、むしろ喜んで解体した。
 日本のKDDとはまったくちがいます。KDDは、ある意昧でゆすぶられて割れたのですから。AT&Tのベル研究所はテレビでときどき宣伝していますが、ノーベル賞はベル研究所では中の上ぐらいの人でももらえます。ベル研究所でノーベル賞をもらった人は日本全体の五倍くらいもいるはずです。それぐらいの頭脳集団だから、そこで開発したユニックスなどにくらべれば、IBMなどのソフトウェアは、どうしようもないガラクタ同然です。
 コンピューター・ランゲージは人間の話す言葉とはぜんぜんちがいますが、AT&TのものはIBMのにくらべてはるかにすごい。そのような事実がわかっている人は、日本では意外に少ないですね。


一つネックがあったら、エネルギー開発はすすまない

アマノ 水素ガスについてですが、地質学者の立場から、いつごろ普及する見通しがあるのですか。

藤原 だいたい一〇〇年後でしょうね。アイテアとしてはいろいろ興味深いものがでてきていますが、産業界で実用化できる技術がまだありません。システムがまだないのです。
 たとえば、石炭のときには蒸気機関がありました。石油のときは内燃機関(ガソリン、ディーゼルエンジンなど)がありました。同様に、天然ガスはガスタービンが必要です。しかし、日本も世界も、鉄綱産業がいいタービンをつくるための鉄を供給していないのです。クライスラーがタービン車をつくったのは一九五〇年代です。タービン車がガソリンにつづく次の車ですが、よい鉄がないので自動車会社がエンジン生産を具体化できない。鉄綱会社がねぼけているせいですよ。水素ガスは還元性が高いので、それをいれる容器、タービンが実用化しないと、アイデアがあっても社会に普及するには時間がかかる。
 ひとつ誤解があるのですが、それは電気がエネルギー不足を解決すると思われていることです。電気はエネルギーとしてたくわえるのがむずかしくて、人類はいまだ突破口を切り開けないでいる。電気をつかって自動車を走らすにも、いいバッテリーがない。五〇年、一〇〇年も前から電気自動車が決め手だといわれていますが、電気会社は効率のよいバッテリーをつくれない。
 それと同様に、何でもそうですが、なにか一つネックになっていたら、それを解決しないかぎり次に発展することはできません。石油の半分以上がアメリカでは自動車を動かすために使われています。電気で動かせるかといえば、バッテリーがないからできない。バッテリーができればそれでいいですが、バッテリーがなければ電気化はできない。まして、電気で飛行機は飛ばない。
 電気は解決にはならないことが、役人にはわからない。原子力発電をすればエネルギー問題のすべてが解決するというようなまちがった広告を日本の総理府あたりがしていますが、アメリカでは、民間人が役人のなかに入れ替わりに入っているから、こんなたあいのないウソをいってもすぐバレます。アメリカでは、いま、できかけの原子力発電所をどんどんつぶしています。新しいものはいっさい認められていません。
 日米における宣伝の差は、日本がウソにこりかたまった大本営発表だということです。とくに、国のためにいかに原子力発電が重要かということを、マスコミ全体が総出で流しています。でも、原子力発電所をつくっても三〇年ぐらいたてばコンクリートづめしなければならない。しかも、ウラニウムをいれる容器は存在しない。鉄ではダメで鉛が唯一ですが、そんな大きい鉛の容器はつくれない。そこでドラムかんにつめて外側をコンクリートで固める。しかし、コンクリートも時間がたてば、いくらでもヒビ割れしてしまう。放射性物質が地下にもれていったとき、その処理のためにかかるコストがどれほど高くつくか、まったくわかっていない。
 私が書いた『マクロメガ経済学の構造』(東明社〉のなかで、すべての人はお金で計算しているが、お金で計算しているからものごとが見えなくなっている。エネルギーで計算したらどうか。一のエネルギーをとるために○・四のエネルギーを投入すると、ネットとして○・六残る、と書いたのですがね。
 しかしいまは、一をとるために一・五を投入しているのではないでしょうか。たとえば米の一カロリーを得るために、石油をつかってトラクターを運転し、殺虫剤をまくなどして、大きなエネルギーを投入している。米をとるためにエネルギーはどんどんマイナスになっているわけです。このままつづけばどうなるのか。石油は有限であり、食糧供給の問題もクリティカルになる。
 労働力集約型産業社会(農業中心)は、働くのは人間や動物だから活力源は食糧です。第二文明期は、工場・機械を動かす時代で、エネルギー源は石炭・石油・天然ガスだった。そして、これから始まる第三文明期は、知識集約型であり、そのエネルギー源は情報です。
 情報は、シノンの情報理論からいってもエントロピーと対応し、エントロピーはエネルギーの逆数です。新しい経済学をエネルギーを中心にうちたてなければならないといっているのが今度出したマクロメガという本の主題です。その観点からいえば、いま、日本政府のしていることは文明をめちゃくちゃにしていることになる。日本はいま、黒字がたまっているといいますが、実際に生産したものとそれについやしたものの差がどんどん大きくなっています。
 それがあるていど大きくなると、経済的に破綻してしまい、出発点からやり直さなければならなくなる。それは、ある意味で文明の歴史であって、日本でも何度か徳政令が出ています。
 現在は、世界規模で徳政令を実施しなければならない状況になってきていて、いま、中南米諸国が負債の利息が払えず、アメリカに助けを求めている状況です。すべてが息切れしたときにカタストロフィーになるのですが、これは時間の問題です。経済的力タストロフィーが先にきて、そのなかの一つとして第三次石油危機がくるのか、あるいは石油危機が引きがねになって経済のカタストロフィーになるのかはわかりませんが、いずれにしてもあと数年という非常にさし迫った時間の問題だというのがとても気がかりです。


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