『エネルギー』 1980年5月号
田村秀治(元駐サウジアラビア大使
藤原 肇(石油評論家)
(司会)鹿島茂男(本誌編集長)



対談 中東諸国へのわが国の対応について



地についた協力を

――:今日は、中東諸国にわが国がどのようにアプローチしていったらよいか、ということについて、お二人に話し合ってもらいたいと思います。中東と日本とが非常に密接な関係に入り、それにふさわしいつきあい方が当然必要になってくる。藤原さんは地質学者として石油問題に詳しく、70年ごろから石油危機を警告し、73年の第1次石油ショックでその見通しが当たった。カナダの石油基地であるアルバータ州のカルガリーを本拠地とし、現在はアメリカを活動の場にされているが、中東諸国の事情にも詳しい。まず、藤原さんから口火を切って頂けますか。

藤原:日本は中東諸国、特にアラブ諸国に対し、現在強烈なアプローチをしているが、本当はアラブの人たちはもっと以前に日本にそのような態度をとってもらいたかったわけだ。今は、アラブの産油国はカネが豊かになって、門前市をなすように多くの国から言い寄られているが、パートナーとして日本はふさわしい国だという感じを持っていたし、それを望んでいた。ここで大事なことは、お互いにもっと将来性のあることをやっていかなければならないということだ。私は10年以上も前にサウジアラビアで、石油だけでなく水を掘っていたことがあり、またアルジェリアでも仕事をしていたが、その時から感じていたことは、こうした国々と日本とはお互いに補完し合える関係に有り、そうしたところに目を着けなければならないということだ。たとえ今は儲からなくても、将来実っていくようなことをやらなくてはならない。僕は石油やなんで、今は実はアメリカの中でアラブ人の役割を果たしている。つまり、アメリカのために、アメリカで石油を掘っているんだが、感謝されている。
 ところが、アラブ人はアメリカから恨まれている。同じ石油を掘ってアメリカにも供給しているんだが、値を上げすぎると非難される。だが、アラブ人に言わせると、どんどん値の下がっているドル紙幣をつかまされ、金などに投資して何とか損を少なくしようと努力しているが、彼らにとって大事なことは、石油を売る代わりに、将来に役立つ国づくりをやってもらいたいということだ。それもひところ盛んだった先進国からの大プロジェクトの売りこみといったことは、アラブにとってそれほど重要ではない。もっと有益なのは、僕が15年ほど前にやっていた国土改造といった、地についたものをやらなければならない。日本はその点テクノロジーを持っており、一緒にやっていける。しかし、今の日本のやり方を見ていると、プロジェクトはもらう。だが人件費が高いからインドからひとをもってくるとか、韓国人を使うとかいったやり方で、経済メリットのあることしかやらず、地に足がついていない。会社は注文だけ取ってそれを下請けに回す。これでは本当にアラブ人と日本人の間には血のかよった協力関係は生まれない。

――:田村さんは、ちょうど藤原さんがサウジアラビアで水を掘っておられたころ、現地で大使をやっておられた。アラビア語の堪能なわが国の大使としては草分けでもあられるし、退官後も中東協力センターの顧問や、中東調査会や日本サウジ友好協会など、わが国と中東との関係を深めるのに年齢を超越した活躍をされておられる。最近はアラビア語の辞書づくりに多忙な毎日と聞いていましたが、わが国の中東への対応については、どのように見ておられますか。

田村:いま藤原さんが言われた通りだと思います。ひとつは、ジョイント・ベンチャーで現地の人と苦楽を共にすることが必要だ。一方、石油の面では産油国にとってはドルが紙切れになっては困るので、そのことを考慮してあげなければならない。サウジアラビアのように、世界経済のことを考え、先進工業国との関係も考慮して増産をやっている産油国もあるが、それらの国にとっても、石油資源は大事に使っていきたいという気持ちは強い。いわゆる資源温存策だ。アラブ産油国の中では、クウェートは工業化よりも資金を動かすという国づくりのやり方をとっており、余ったカネはすぐ利用することを考えないと、ドル札で持っていると価値が下がってしまう。日本の社債などにも手を伸ばしてきている。要はその国の立場をよく理解することだ。
 亡くなったサウジアラビアのファイサル国王は、たとえば自分の国の資源に関係したものの工業化や開発を考えておられた。天然ガスや一般鉱物資源などで、外国から物を輸入してまでやるような工業化は考えておられなかった。当時はサウジアラビアはまだ貧乏国で、外貨資産は26億ドルほどだった。日本として大事なことは、こうした発展途上国を後進国扱いするようなことや、イスラムをけなしたりすることは、絶対避けるべきだ。最近は、特にイランのイスラム大衆革命以後、日本でもイスラムについて真面目に考えようという気運が高まってきたことは歓迎すべきことだ。

藤原:それから物の考え方として、日本人に浪花節があるように、アラブ人にも浪花節がある。だが、アラブのほうがずっとスケールが大きい。日本人がアラブにも浪花節があるとわかって、それで対応しようとすると、とんでもない間違いをおかす。心と心の調子だと早合点し、忠臣蔵や清水次郎長式に自分だけ理解できる範囲内で「アラブはわかった」と手土産を持っていって話をつけようとする。2,3回アラブの王族関係の人と食事をしたから、自分はアラブ通だという日本人が多すぎる。そのような人が「アラブは俺に任せておけ」といったような思い上がった態度で主役になりたがっている間は、本当にアラブと日本の友好はできないと思う。田村さんがやってこられたように、アラブの複雑な人脈に対し、もっともっと一つずつ丹念にやっていかなければならない。たとえば、カイロ大学など中東の大学で一緒に学んだアラブ人が、中東の国で要職についていれば、同窓生の日本人は他の人よりもずっとうまく接触できる。日本人がどんどん中東の大学に行って学ぶことも大事なことだ。また、そのような人が現実にいても、そうした人たちを十分活用していない。財界などのボスと言われる人たちがすぐ表面に出て、2、3度の食事ですぐわかったような顔をしすぎる。アラブ関係は、もっと現地の人に信頼される人を中心にやり直さなければならない。あまりにも現実は浮草稼業だ。


日本人ももっと海外に

田村:先方からも技術関係の修得を中心に留学生を派遣したいという希望もあり、その意味で興味を持っているのは、アラビア石油がこれまでずっと留学生を東京に受け入れているが、そうした人たちがサウジアラビアに帰ってペトロミン(国営石油会社)や企画庁に入っている。今後、外務省やほかの分野にも広がっていけば、日本にとって大きなプラスだ。

――:アラビア石油が費用を出して、サウジアラビアなどから留学生を呼んでいる事は聞いていましたが、帰ったらカフジのアラビア石油の現地の鉱業所に勤めるのだと思っていたのですが、そうではないのですね。

田村:アラビア石油に勤めるためではないんです。サウジアラビアで高校を出た人から選抜して、半年間カフジで日本語を勉強させ、そのあと日本に来て1年間さらに日本語をやったあと試験を受けて日本の大学に入る。第1回の人は秋田大学を出た。今年早稲田大学を出た人もいるし、愛知工業大学には6人入ることになっている。他にも青山学院大学にもいる。アラビア石油は、サウジアラビアとクウェートの両国に関係があるので、クウェートからも留学生が来る。前駐日クウェート大使の息子さんは、アメリカン・スクールを出たあと、1年半アラビア石油の留学生として日本語をやり、そのあと東海大学の国際学部を卒業し、帰国してクウェートの外務省に入っている。でも、一般的には中東の学生は欧米に留学したがっているものが圧倒的に多い。特にクウェートはそうだ。

藤原:長期戦略としては、本当にこうしたことが大事で、お互いによいことも悪いこともわかっているということ人間関係が大切なんだ。

田村:このアラビア石油の留学制度は、実は今のサウジアラビアの外相が石油次官だった当時言い出されて実現したもので、問題は、本国に帰って日本語が活かされるようなところに就職しなければ、その経験が十分に生きない。そこに悩みもある。

――:逆の場合はどうですか。日本人の方が中東の大学に行くというのは、軌道に乗っているのですか。

田村:日本からの方は、宗教、言語関係で行く人がほとんどだ。それでも悪くないが、政府が派遣しているものではなくて、先方がイスラム関係などで招待するのだが、カイロのアズハリ大学などで6、7年学んで帰国しても、たいていは先生になってしまう。それではだめで、望ましい形の接触はそこで途切れる。

藤原:そこが一番考えなくてはならないところで、僕の場合、10年以上前にサウジアラビアで仕事をしていた時に石油省からアドバイザーにならないかという話があった。そのときは他にやりたい仕事があったので断ったが、その国で勉強した人から、その国で働くという人がもっと増えたらよいと思う。世界中で仕事のできるが、なぜ日本に帰ってこなくてはならないのか。むしろその国で重要な地位について仕事をやったらどうか。たとえば、アドバイザーになったら、外国との契約の時など、どこに頼めと指名することも可能な場合がある。日本の会社が入札できるチャンスも増える。アドバイザーは非常に重要で、日本人でもそのような機会はあると思う。

田村:日本人の場合は、技術はあっても、言葉の問題が現実の問題としては大きい。

――:言葉の問題はあっても、確かにそのような努力をわが国はあまりにもやらなかったのではなかろうか。サウジアラビアの工業化の中心地の最右翼のアル・ジュベイルに5年ほど前に行った時、アメリカの“ベクテル”という名を書いた車が走り回っていた。工業化全体のプランニングをやっているコンサルタント会社で、サウジアラビアの国づくりはどうしてもアメリカ絡みとなっているのが、こうしたことにも端的に表れている。

藤原:パレスチナ人は今は国がないので、湾岸地域のアラブ産油国で重要な仕事をしている人が多いが、パレスチナ国ができても、今いる国に残ろうとする人が少なくないと思う。サウジアラビアで重要な仕事をして影響力を持つことが、結局はパレスチナのためになることパレスチナ人は賢いから知っていると思う。

――:“賢い日本人”なら、もっと賢く行動して、外国に積極的に行けばよいのだが。

田村:それをしないのは、日本がやはりよい国だからですよ。経済的に困ったときは、移民という形で出たときもあったが。

藤原:日本人は島国根性で、内弁慶で、中でだけ大きなことを言う人が多い。世界で仕事ができる人にとっては、いくらでもできる仕事が世界中にあり、若い人たちにはどんどん外に出たらよい。

田村:ドイツ人はその点、第2次世界大戦後エジプトにかなり移住した人がいる。シナイ半島の防衛で、ナセルの軍事顧問的な仕事までやっていた。実業家でも永住のつもりでエジプトに来ている。日本人にはそのような人は極めて少ない。クウェートには1人いるのを知っているが。

藤原:僕がサウジアラビアで会ったイギリス人は30年住んでいるとか、イタリア人は25年だとか言っていた。日本人は出稼ぎ根性で、ちょっと稼ぐとサッと帰ってしまう。


石油以外の中東外交も

――:姉妹都市構想など、中東の都市との間でどんどんやったらよい。

藤原:リヤドと名古屋でもよいし、そのようなところから始めてお互いに交流し、そのあと住み合い、最終的にはお互いが最も頼りになる国と認め合うような関係にもっていったらよい。サウジアラビアの場合でも、政治的には完全に不安がないとはいえない。むしろ危ないところもある。日本も石油が来なければ危ない。お互いに頼りあわなければ生きていけないのなら、日本とサウジアラビアが連邦を作るということまで考えてよいのではないか。首都も両国の中間のどこかの島を買って、そこにする。サウジアラビアの人口は500万人ぐらいで、日本の1億人以上とはバランスがとれないが、これからは日本人が年に500万人とか出かけていって、そこに住む。代わりにサウジアラビアは、日本の三菱とか三井とかの財閥の30%ぐらいをもらうとか、お互いに持ちつ持たれつの関係を作っていったらよい。血となり肉となりで、いずれは一体化してしまってもよいと思うのですが、田村さんはどう思いますか。

田村:それはどうかな。

藤原:極端すぎるかもしれませんが。

田村:そこまでいかなくても、お互いに持ちつ持たれつで、日本はテクノロジーを提供し、現地にもっと住んで交流を深め、姉妹都市を作ることも考えたらよい。サウジアラビアも日本にイスラムセンターを作るとか、日本をより重要視する施策をとることは望ましい。

藤原:たとえば、サウジアラビアが日本の国鉄(注:当時)と日本航空(注:当時完全民営化前)を政府の代わりに半分を持分として持つ。代わりに日本はサウジアラビアの南イエメン(注:当時)寄りのところに大きな池を作って製塩業をやる。そこに大きな池を作ると、水が蒸発してソ連(注:当時)のウクライナあたりが土砂降りの大雨に見舞われる。ソ連が池を作るなと言ってくれば、代わりに北方領土を返せと言う。要するに、日本がこのように小さな島の中に陣取って、口で騒ぐのでなく、日本がサウジアラビアとうまくやっていけば、アメリカも楽になると思う。ペルシャ湾あたりまで第7艦隊を送り込む必要もなくなる。

――:サウジアラビアだけでなく、湾岸産油国や他の地域にも広げることも考えたらどうかな。なにしろ日本は全方位外交の国なんだから。

藤原:アメリカとやってももちろんいいんだ。僕が言いたいのは、日本がより国際化してお互いに補い合うという発想法でやるべきだということなんだ。現実は、日本は逆にどんどん小さくなっていっており、国粋的な傾向が強まりつつすらある。これは日本にとって危険なことだ。

――:日本は中東外交というと、すぐ石油外交になってしまい、産油国だけを相手にするやり方はいずれ壁にぶち当たる。たとえば、スーダンはアラブの穀倉として期待されているところで、日本の協力の余地はあるところだと思うが。

藤原:昨年の暮れごろ出した僕の本に「日本浮沈の条件」というのがあるが、その中にスーダンのことを書いてある。スーダンはカナダの半分の農業生産の潜在能力がある国だ。ブラジルの2倍だ。現実は、スーダンで人が住んでいるのは、青ナイルと白ナイルの周辺地域だけだ。これを大規模に灌漑すれば、世界の穀倉地帯になる可能性すらある。サウジアラビアとかクウェートなどの余っているカネと日本の農業技術などを総動員して注ぎ込めば、中東諸国の大きな問題の食糧についての解決を与えることになる。いまスーダンは貧しい国で、誰も金を貸さないといっているが、世界の宝にすらなる国なんだ。長期的に見て、スーダンは中東にとっても重要なところだということが日本人にはわかっていない。こうした情報はカナダのカルガリーに住んでいても、ちゃんとつかめる。当地にスーダン人の地質学者がいるが、モスクワの大学を出たために本国に帰れないでいる。もし帰れれば石油大臣になれる人だが、彼からこのような話を聞いている。

――:中東は石油地帯だけに、世界の目がここに集まっており、米ソ両国は特に中東をめぐって厚い火花を散らしている。アフガンへのソ連の軍事介入はその典型的な表れであり、湾岸諸国へのソ連の介入があれば、アメリカは軍事干渉も辞さないと言っている。イラン革命後の湾岸の政治情勢については、どのように見ていますか。

田村:戦後の大きな歴史の流れとして言えることは、中近東・アフリカで王制の国がたおれていったことだ。それも、強いと言われていたところに変化が起きている。エチオピア、アフガンやイランがその例だ。反面、弱そうだと見られていたヨルダンやモロッコは王制が続いている。

――:サウジアラビアはどうですか。

田村:サウジアラビアは王制が強いことは強いが、国民の知識水準が高まっていけば、今の王族中心の行き方ではいつかは当然問題が出てくる。もうひとつ民意を反映するようにしなければ不安定感が残ろう。

藤原:特に異民族が大量に入っているから、その人たちを差別するやり方を続けていると、そのうち問題になる。

――:イスラム内の宗派の問題もある。

田村:その意味では、先のメッカの事件はサウジアラビアにとっても大きな教訓になったと思う。ファハド皇太子も諮問会議を開いたり、イスラムに基づいた国の基本法のようなものも早く定める必要があるというようなことも言っている。何と言ってもサウジアラビアはイスラムを中心にやってきた国だけに、日本もそこをよく理解しなければならない。

藤原:現在、米ソがアラブ湾岸産油国をめぐって、軍事力を背景に衝突も辞さないという構えでいる時には、どうしても日本のような国が必要になってくる。その場合、日本は本当に有効なアプローチをしなければならない。スタンドプレーしかできないのでは困る。

田村:園田特使にケチをつけるのではないが、あれではお茶を濁したにすぎない。国会中にあわてて特使を派遣しなくても、国会が終わってからでも首相が直接行った方が何倍もよい。 日本は、よほど腹をすえて中東に対応すべき時で、空手形では通用しない。そのことを政府首脳も国民もよく理解してほしい。

――:今日はどうもありがとうございました。


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