『New Leader』 2011.02月号



ウィキリークス事件は
何を示唆するのか
「秘匿と公開」
「知る権利と情報操作」

慧智研究センター所長 藤原肇
初代・日経ワシントン支局長 大原進



新聞記事の劣化とウェブ時代の情報

藤原 大原さんは日本経済新聞の外報部記 者や『英文日経』の編集長、初代ワシントン 支局長を歴任したアメリカ通です。

大原  実は、ケネディ大統領がダラスで暗 殺された事件が起きた時に、朝毎読の三大紙 はワシントン支局があって、ワシントン発の 特派員記事を掲載できた。だが、当時の日経 は貧乏会社でニューヨーク支局しかありませ んでした。これでは体裁が悪いという次第で、 誰かワシントンに送らなければということに なり、当時の円城寺編集局長に飛べと言われ て慌てて出発しました。

藤原 ケネディ暗殺事件のニュースの第一 報は、日米衛星テレビ放送の初日の出来事で した。人工衛星を使った情報時代の幕開けに、 アメリカに飛び立ったのは象徴的ですね。

大原  それにしても、昔の新聞記者は取材 や分析に生き甲斐を感じ、死に物狂いで記事 にした者が多かった。だが、最近は商社や銀 行に行けなかったので、仕方なしに新聞社に 入ったという人も多く、電話取材や記者クラ ブのお下げ渡しの情報ばかりです。

藤原 日本に来ている間は、私は新聞もテ レビも見ないようにしています。

大原  実は私も、日本の新聞はせいぜい見 出しを見るだけです。コンピュータで世界の 新聞が読める時代ですから。

藤原 Google Newsを開けば、全世界の 新聞のトップ記事が読める一方で、新聞社の 経営は劣化し、アメリカでも『シカゴ・トリ ビューン』は潰れたし、『ウォールストリート・ ジャーナル』も乗っ取り屋のルパート・マー ドックに買収され、『ニューヨーク・タイムス』 も経営不振です。

大原  『NYタイムス』は民主党びいきで リベラルな姿勢が強く、ジャーナリズム精神 に溢れていた。ベトナム戦争時代には、ダニ エル・エルスバーグが国防省の機密文書を掲 載した。同時に『NYタイムス』の特徴はニ ューヨーク的な多様性です。例えばニクソン のスピーチライターだったウィリアム・サフ ァイアが、親イスラエルのコラムを書くなど、 紙面の中に保守的な記事も共存していました。

藤原 ジェームズ・レストンという名物編 集長も健筆を振るっていた。

大原  時にはワシントンの極秘情報を公表 して、『NYタイムス』にレストンありと世 界の読者を捻らせたものです。

藤原 それだけの伝統を持つ『NYタイム ス』ですが、今回のウィキリークスの「外交 電報流出事件」では、権力側に公開のお伺い を立てたミスを犯した。また、この事件で情 報公開の性格がすっかり変わりました。つま りウェブ時代の情報の価値と役割が浮き彫り になった。一生を記者生活で過ごした大原さ んにとって、この事件はどう映りましたか。

大原  権力の側は情報を独占して隠すのに 対し、反権力の側が公開を暴露の形で行った。 今回のウィキリークス事件の衝撃力は、二五 万件の外交公電が暴露されたことであり、そ の量の多さに驚きました。

垣間見る重大情報の片鱗超限戦とコモンウェルス

藤原 二五万件は全体の数で、これまで公 開されたのは千数百件に過ぎない。これから 順繰りに公開するようですが、重要なのは、 ウィキリークス単独の暴露ではなく、『ガー ディアン』(英)、『NYタイムス』(米)、『ル・ モンド』(仏)、『シュピーゲル」(独)、『エル・ パイス』(西)といった世界の一流メディア による共同発表だったことです。
 ただ、情報の質の内訳をグーグルで調べた ら、機密扱いされていない文書が一三万件、 マル秘文書が約一〇万件、秘密文書が一万五 〇〇〇件。トップ・シークレット(機密)と なるとゼロです。果たして機密文書漏洩と大 騒ぎできるかどうかは疑問です。

大原  マル秘は新聞の切り抜き記事のこと で、秘密文書のほとんどは外部に出さない情 報を指します。トップ・シークレットがない というのは面白いが、メディアが大騒ぎした。 特にマードックのFOXテレビは視聴率を稼 ぐ機会にしている。

藤原 情報の中味はそれほどではないにし ても、この事件は二〇一〇年が「情報紀元の 元年」なるほどのインパクトを残しました。

大原  サウジの国王がイランの核開発を恐 れて、米国政府にイラン攻撃を要請したとい う情報は、ジャーナリストが注目する価値が ありました。
 見逃せないのはゴミ情報の中にも貴重なも のが混じっていたことです。クリントン国務 長官が各国のトップのクレジットカード番号 や、個人情報を調べろと命じていた事実とか、 イラクの米軍が大量の民間人を殺しただけで なく、BBCの記者を誤爆した映像は、強烈 なインパクトを持っていた。

藤原 中国政府がグーグルのサ ーバーに侵入を指示していた情報 は、この事件の背景に盗聴技術の 問題があることを示し、グーグル の検索サービスの撤退の理由が、盗 聴用の「バック・ドア」のせいだったと判明 した。中国が戦略的に「超限戦」を準備して おり、それがグーグル追放劇の背後にあった。

大原  その「超限戦」はどんな内容ですか。

藤原 北京政府が考えている新しい戦略構 想で、中国の軍部が二一世紀の戦争を想定し て生み出したソフトな国家総動員体制です。 軍事力を使った武力戦争だけでなく、外交戦、 金融戦、資源戦、情報戦、心理戦、文化戦な どを組み合わせて、世界制覇を成し遂げよう という覇権主義の思想です。
 これは英国がかつて駆使した世界戦略で、 英国ではウェーブとかコモンウェルスと呼ん でいる。英語をベースに科学と技術を動員し て金融や情報を戦力にする発想で、それが大 英国帝国による覇権主義を確立させ、二〇世 紀は米国がその代理人として行動しました。

大原  アメリカは英国の傀儡だったと。

藤原 アングロジュダサクソンだと考えた ら良いでしょう。また、衆知の通り経済学は 英国を故郷にしているし、コンピュータやジ ェットエンジンを始め、原子力の利用や空中 写真も英国生まれで、その技術化と大量生産 をアメリカが行った。それにミュージカルや ハリウッドの映画界だって、英国人やユダヤ 系の人材が米国で活躍して発展しました。目 に見える形ではアメリカは独立したが、不可 視な隠れた次元では英国の支配が続き、典型 がローズ・スカラーシップの人材と英語です。
 今度のウィキリークスの主役のジュリア ン・アサンジュはオーストラリア人で、ハッ カーとしての気ままな生活を送っているが、 オーストラリアはコモンウェルスに属してお り、盗聴システムのエシュロンの主要メンバ ーです。しかも、「象の檻」という名のアン テナの施設を受け持ち、世界中の交信情報を 盗み取る環境の中で、レトロウィルスの役目 を演じたのです。構造主義者である私の考え では、文明は情報の蓄積で発達する概念です が、風土の条件に従って個別化する文化の特 性は、情報をどう活用するかのシステムにあ る。だから、IT時代の訪れで飛躍的に増加 して溜まった情報の砦の壁が、ウィキリーク スの衝撃によって崩壊し、情報の万里の長城 がベルリンの壁のように崩れ、新しい地球型 の文化を生みだす感じです。

大原  風穴が開いたのは分かりますが、果 たしてこの壁が崩壊するでしょうか。

バック・ドアとNSAの巨大盗聴機能

藤原 今は衛星とインターネットのお陰で、 全世界が一瞬のうちに結ばれるようになった。 ある意味で夢のような情報環境が生まれた。 だが、その反対給付として通信の傍受で盗 聴が行われ、新幹線の改札□や飛行場のエス カレータには、監視カメラがいくつも並んで いるし、個人の行動までが密かに監視されて います。しかも、クレジットカードの記録が 分析され、好みや財産の動きも掌握され、プ ライバシーが大幅に失われる時代になった。

大原  一方で情報漏洩の防御のための施設 については、権力機構や大組織ほど熱心に取 り組んでいる。だから、一度組織を離れた私 が日経の本社に行っても、社友室までしか立 ち入ることが出来ない。

藤原 閉鎖性は情報のリークの警戒です。

大原  ウィキリークスの場合を見ても明白 ですが、内部の人間によるリークが目立って いる。それは尖閣列島のビデオの流出と同じ で、組織がガードを固めて締め付けが強くな れば、信頼関係が崩れるのにそれが分かって いない。米軍の場合は正義のない侵略だから、 組織のモラルが低下しているために、マル秘 の情報がジャンジャン外に流れ出ています。

藤原 かつての英国の情報部とロシアのK GBの戦いは、頭脳ゲームの要素が強かった が、アメリカのCIAは西部劇の延長で、頭 脳よりも腕力を直ぐに使うために、発想や布 石が直線的で幼稚です。それで思い出すのは CIAの現場主任だったが、組織の宣僚主義 に愛想をつかして辞めたロバート・ベアが、 回顧録として書いた『CIAは何をしてい た?』(新潮文庫)にある指摘です。この本の 中ではコンピュータの「バック・ドア」を論 じています。この秘密の扉が情報を盗む仕掛 けの役目を果たしていると書いてあります。
 マイクロソフトのOSには二つの扉があり、 いざという時には四枚の扉までが開くと言わ れています。スカイプなら電話だから扉があ って当然だし、携帯電話は全てエシュロンに より盗聴されている。

大原  そうなると日本の国家機密など丸裸 同然。

藤原 そうですよ。だから、中国ではマイ クロソフトのOSを嫌って、独自のOSの開 発に取り組んでいるし、グーグルの検索にも 干渉しています。だが、日本では独自のOS のトロンを放棄してしまったし、検索も粗悪 なヤフーの君臨状態です。しかも、日本では 国会議員も会社の社長も国民のほとんどが、 携帯で情報を交換して物事を決めているため に、国家や企業の機密は盗聴されている上に、 重要な通話は文章化までされている。
 これが情報戦争の恐ろしいところです。し かも、エシュロンによる盗聴のスケールと威 力は飛躍的に伸びています。人工衛星写真の 精度はGoogle Earthで分かるように、家の 中の写真まで撮影できるのです。

大原  監視されているのに気づかない。

藤原 世界の盗聴の総本部は米国のNSA (国家安全保障局)で、フォート・ミードの本 部では三万人のスタッフが働いていて、エシ ュロンの運用と管理を行っている。エシュロ ンはCIAの三倍の予算を使う秘密組織です が、一二年前に出版された『Digital Fortress』(日本語訳『パズル・パレス』角川文庫 が参考になります。この本は『ダ・ヴィンチ・ コード』でベストセラー作家になった、ダン・ ブラウンの処女作だったもので、暗号解読と 盗聴装置をめぐって展開する、プライバシー と国家の安全保障の対立小説で、ウィキリー クス問題を考える時に下敷きに使えます。

情報操作と記者クラブの弊害

藤原 今回のウィキリークス事件の主人公 だったアサンジュは放浪癖があり、情報への 欲求が強い。漂泊民は情報の評価と判断力に 従い移動する。だから、移動生活を営むタイ プのユダヤ人は、情報に対しての嗅覚が発達 している。やはりオーストラリア人で英国の メディアを支配し、アメリカに乗り込んだユ ダヤ系のマードックも、それで情報ビジネス の分野で成功したのです。

大原  仰るとおり、情報に対するユダヤ系 の感覚は凄いものですね。

藤原 商売人の能力は情報の活用能力にあ りますが、それが政治権力と結ぶと情報操作 になります。現在は金融操作と共に情報操作 によって、国際化した経済と政治が動かされ るし、それに取り込まれているのがメディア 業界です。報道界がメディアになった段階で、 報道に真実を期待できなくなるのは当然だし、 それがスピン現象としての情報操作の蔓延に なり、経済詐欺や大本営発表の洪水を生む。

大原  大本営発表は日本人の発明ですが、 湾岸戦争の時の米軍による記者会見も、大本 営発表に似て情報操作の臭いが濃厚で、とて も信用できる代物ではなかった。だから、ホ ワイトハウスの記者会見室は皮肉をこめて、 スピン・ルームと呼ばれています。

藤原 正直を誇りにしていたアメリカ人た ちが、覇権主義に支配されて侵略戦争にのめ り込み、ホワイトハウスまでがスピンの舞台 になった。だが、その原点は日本の記者クラ ブにある。

大原  私は駆け出し記者時代、悪名高い外 務省の霞クラブのメンバーでした。役人たち がこんな具合に書けというように、記事の見 本みたいなものを配布した。あれは凄い情報 操作だったと今なら分かります。

藤原 日本では情報公開の意味が正しく理 解されないまま、記者クラブが情報操作の場 になった。欧米では情報公開が未だ不十分だ と考える者が、ハッカーの形で秘匿情報の暴 露を試みており、その具体的な例がウィキリ ークスだと考えれば、今回の事件は未来の予 兆かも知れません。

大原  官僚はいよいよ防御の壁を高くして、 情報を隠そうと一生縣穴叩になるはずだし、情報操作のやり方も巧妙になるでしょう。

藤原 ただ、九・一一事件とリーマン・シ ョックに関する不正の存在を証明する情報が、 次の段階でウィキリークスにより暴露される なら、これは大変な衝撃を及ぼすでしょう。 なにしろ、情報支配で世界帝国の覇者として 君臨した、アングロジュダサクソン勢力の急 所に相当するので、その辺に今回の事件の真 相が潜んでいる。また、それが引き金になっ て中国のバブルが炸裂する……そんなシナリ オが現れそうです。

大原  メディアが狂うと社会の頭脳が機能 せず、それが文明社会を崩壊させる道筋でし ょう


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