『ニューリーダー』 2013年6月号



対談・民主主義の危機と属領政治(下)

覇権主義破綻の歴史の相似象
基礎的な政治の原則とは何か



本澤 二郎(政治評論家、元『東京タイムズ』政治部長)
藤原 肇(フリーランス・ジャーナリスト、慧智研究所長)


基礎的な政治の原則としての統治方式

本澤 前回の対談の最後の部分で藤原さんが指摘された、「ウエストファリア体制の政体と国体が国民国家としての政治を支え、表と裏の構造になっている」という指摘には、承服できないものがあります。なぜなら、国体は天皇制と密着した言葉で、天皇が統治する国家の秩序を指すし、いまの日本は主権在民だから、国体など出てくる余地はありません。ましてや国際問題にまで拡大したら、支離滅裂な議論になる。

藤原 確かに、日本における国体は異常な言葉で、万世一系の天皇制と結びつくために、政治用語ではなくカルト概念に近い。だから、ファシズム時代の「国体明徴論」をはじめ、敗戦時の「国体の持護」のように、天皇を中心にした神国思想と結びつき、常識人には違和感を与えてしまう。

本澤 その通りです。問題を整理すればどうなりますか。

藤原 私が使う政治用語としての国体は、日本的なカルト概念とは無縁です。源流はプラトンの国家論の政治用語で、ローマ帝国の体制三分類に由来する。基礎的な政治の原則としての体制は、君主制が国体で貴族制が政体を代表し、国民国家での民主制の在り方として、貴族と人民が合体し政体を作る。また、共和制では大統領が君主に代わり、上院や参議院が元老院とか貴族院で、議会全体では上下両院や衆参両院になって、これが統治システムの母型になる。
 ウエストファリア体制により、「話せばわかる」という合理精神と結ぶ、政治における健全な生理活動の形で、ヨーロッパ型の外交スタイルが生まれた。それに対し病理現象の侵略戟争は、ガン細胞の異常繁殖や転移に似ており、生理の中に病理が内在するのです。

本澤 藤原さんらしいガンの位置づけだが、基礎的な政治の原則の生理活動として、その後はどう発展していくのでしょうか。

藤原 今後はマルチチュードを含む帝国をはじめ、大陸レベルの共同体や国家連合が、新しいタイプの国体を構成していく。そして、国際資本やシンクタンクが顧問役で、民族共同体や文化共同体を中心に、政体としての議会を構成するのです。しかも、真の政体の主役は自治体であり、そこにNGOやNPOなどが参加して、それが未来の体制だとアントニオ・ネグリは言う。

本澤 それはありうる一つの仮説ですが、日本ではそんな理想的な形にならず、制御中枢としての国家の権力機構は、もっと現実的で硬直したものになると思います。官庁ごとに縦割りになった非営利法人が、日本には既に存在しているので、わざわざNPOという外来語を使っているだけで、利権構造が根強く定着しています。

藤原 そうかも知れない。ただ、兆候としては政策決定と運営に関し、民営化と国際化が著しく進んでおり、それが多国籍企業やシンクタンクとして、勇み足だが行動を着実に展開している。しかも、進歩が立ち遅れている日本に較べて、民営化と国際化が目覚ましい米国では、シンクタンクの役割が際立っており、その任務分担と専門化が顕著です。
 また、情報革命の進展に同調しすぎたことで、米国は建国の理想を風化させてしまい、寄生して収奪する覇権国家として、自己解体の路線を突き進んでいる。結論的に言えば、米国の政体のほとんどはアウトソーシングで、シンクタンクや多国籍企業が代行して、議会はほとんど形骸化している状況です。だが、それに気づいている日本人は少なく、日本の政治はそれに振り回されているし、愚弄され操られているのが実情です。

健全なジャーナリズムの価値と歴史の相似象

本澤 石油ビジネスを通じて産業界を生き抜き、アメリカに三〇年も住んだ藤原さんが、観察と体験で得たその結論は貴重だし、私はその意見を尊重したいと思います。また、米国の議会制度は日本とは比較にならず、運営もはるかに優れた機能を果たし、民主国家として動いていると思う。だが、侵略政策と財政赤字の破綻は酷く、国内の治安の悪さは目に余るほどで、アメリカの破綻と没落は時間の問題です。対談(上)で指摘したように、そんな米国に日本は隷属している。
 とはいえ、報道界は日本に較べはるかに健全に機能しており、それがアメリカに託す唯一の希望だと考えて、私も勇気を持って言論活動を続けています。

藤原 日本では政治家たちがチンピラ記者に嘘をしゃべり、国民は新聞で読んだ記事を信じて、それで政治家が政策を確認するのでは、虚妄とペテンのたらい回しに過ぎない。日本はサラリーマン記者がほとんどで、鋭い観察と洞察力をペンに託して、書く記事に命を賭ける記者がいません。明治時代の気骨を持つ記者には、政治家の言いたい放題や手前味噌を紹介して、その後に「こんな愚論を述べた」と書き加え、自分の判断を明らかにしたものです。

本澤 いまそれを実行してもデスクの手で、ダメだと言ってボツにされてしまう。

藤原 昔は『信濃毎日新聞』の主筆として、言わなければならないことを書いた、桐生悠々のような記者が存在した。また、健筆で首相や閣僚からの尊敬を集め、「新聞一般が近来何となく敬意を失うようになっても、私は後藤さんがいるからというので、『朝日』に信頼を持ち続けるのであった」と同盟通信の松本重治元社長までが褒めた後藤基夫編集局長を最後に、書かざる大記者に属すジャーナリストは絶滅しています。

本澤 それから後の日本の報道界は、権力の代弁をした『日経』OBの小汀利得や、権力を操った『読売』 ナベツネ(渡邊恒雄)など、批判精神の片鱗も持ち合わせない、恥ずかしい限りの御用記者の続出です。中曽根バブルの頃からメディアが狂い、まともな報道が途絶えた感じです。
 さて、ウエストファリア体制に戻って話を進めましょう。

藤原 まず、わかっていないと理解することが、いかに大切かを知ることです。若い頃の私は理解することを重要だと考え、わかりやすい解説を重要視したが、フランスに留学してその姿勢を徹底的に叩かれ、「無知の知」について根底から学んだ。
 なぜかと懐疑することから出発して、自分で問題の所在について考察し、自らの頭で問題を整理しない限りは、頭を使って考えたことにならない。答えを見つけることが重要ではなくて、問題を結びつけている関係性の中で、全体を支配する法則を見つけることが必要だし、そうやれば歴史の相似象を発見できます。

本澤 藤原さんの著書の中に「歴史の相似象」という変わった表現がよく出てくるが、政治の基本が歴史学だという意味で、とても興味深い言葉遣いだと思います。
 私も政治記者として生き、生涯を永田町の周辺を取材現場にしたが、最近の政治家に接して痛感するのは、歴史を知らない人があまりにも多い。しかも、歴史と歴史小説の区別もできずに、断片的な知識を寄せ集めて、歴史を読んだつもりの人ばかりです。

藤原 フランスのユマニストのジョルジュ・デュアメルが、「国家はあらゆる立派な職業から弾き出された、クズによって統治されている」と言っている。代議士の大半がタレントと世襲議員だから、日本の政治家に何を期待してもムダです。

本澤 でも、政治の要諦は歴史の教訓だと言います。

この世の地獄だった三十年戦争の惨禍

藤原 歴史を知らないクズ政治家たちが、この国を統治するから悲劇になる。私は四六億年の地球の歴史を扱った、自然が主人公の歴史学徒の立場から、文明のレベルの社会や人間を観察して、変化のパターンでその盛衰を捉える。だから、相似象に基づいて診断する点では、地球の生理と病理を扱う医者として、これまでのカルテが著書になったし、その診断はほぼ的を射ていました。しかも、いまの日本の置かれている状況は、近代と国民国家時代の夜明けを告げた、ウエストファリア体制の歴史の中に、相似象をパターンの形で読み取れます。

本澤 かつて習った世界史によれば、三十年戦争を終結するために、一六四八年に行われた講和会議において、ウエストファリア条約が調印された。この戦争では新教と旧教が対立した抗争が、ドイツを戦場にして広まり、近隣諸国が領地拡大を狙って介入した結果、殺戮で人口が八割も激減した。

藤原 余談ですが、後漢の三国志時代の戦争と黄巾の乱で、漢人が九割も死んで中華王朝は壊滅し、それ以後は遊牧民の支配が続き、中国五千年の歴史の嘘がわかるが、歴史には綺麗ごとが多過ぎる。

本澤 その通りですね。この三十年戦争を止めるために、西欧における最初の国際会議を開いて、国境を持つ独立国家群を作った。そして、ドイツの諸侯が主権を持つことを確認したので、諸侯が統治する地域は領邦国家になり、オランダとスイスが独立を実現すると共に、事実上の国民国家体制が始まった。このウエストファリア条約の締結で、ハプスブルグ家の君臨が崩れ、実態としては神聖ローマ帝国の形骸化でした。また、英国とフランスの中央集権化に対して、ドイツでは分裂の固定化が進んだし、ヨーロッパにおける近代が始まり、歴史的には絶対君主制と帝国が現れた。

藤原 帝国には二種類のものが存在して、大陸レベルの大帝国に対して地域的な小帝国があり、本澤さんがいう帝国は小帝国です。大帝国とは何を指すかといえば、内海の地中海を囲むローマ帝国の次にユーラシア大陸を支配したモンゴル帝国、さらに七つの海を支配した大英帝国がきます。

本澤 流行したサミュエル・ハンチントンの『文明の衝突』と藤原説とは、問題の捉え方が随分違っていますね。

藤原 ハンチントンは文明の理解が浅薄であり、大衆向けに「文明の衝突」と大袈裟に称しただけで、政治学者の白昼夢に似ています。

本澤 ウエストファリア条約が国際法の視点から興味深いのは、この条約で主権国家体制が生まれ、各国の君主が自国の宗教を決め、宗教干渉をしなくなり、国家理性と利益を打ち出した点です。

フランス式覇権主義の短い栄枯盛衰

藤原 ウエストファリア条約はラテン語だし、以後はフランス語が公用語になり、君臨する時代の始まりになった。また、ラインランドは情報と物流の中心で、ベニスからインスブルックを経由して、ブリュッセルを通りオランダと結ぶ、郵便馬車とライン川の幹線路があり、それをタクシス家が独占支配した。しかも、ウエストファリア条約によって独立した、オランダとスイスを結ぶラインランドの諸侯や大司教たちが、フランスの強い影響を受けている。だから、ルイ一四世が君臨する宮廷文化の威力で、ヴェルサイユ宮殿を中心に開花した、絢爛豪華なバロック様式を軸にして、フランス文化が全欧に広まりました。

本澤 トルストイの作品を読めばわかるが、ロシアの宮廷や貴族はフランス語をしゃべり、生活様式もフランス一辺倒で、ファッションや料理もパリ式です。『戦争と平和』の冒頭の記述は、会話のすべてはフランス語で、旅行のほとんどがパリかイタリア行きです。

藤原 いまの日本人がアメリカに行くように、人はソフトパワーを誇る国に惹きつけられ、文明や文化の先進国に出かけます。パルテルミーの大虐殺の時には、新教徒のユグノーはオランダに逃げ、一六八五年の「ナントの勅令」の廃止で、ユグノーがベルリンに数万人も移住し、市民の三割に達したと言いますよ。

本澤 ロシアの女帝エカテリーナはドイツ人でした。彼女はフランスの啓蒙思想に強く憧れ、ディドロやヴォルテールと文通した。こうした派手な宮廷文化の陰で魔女狩りやペストが大流行したが、ユダヤ人の話は見かけませんね。

藤原 ユダヤ人は賤民として差別され、登場するのは一八世紀半ばだし、彼らが活躍するのは侵略戦争によって、ルイ一四世が荒れ狂ったお蔭です。それと共にフランス文化が普及して、ロシアまでが文化圏に組み込まれ、宮廷文化が花開いたのです。でも、彼女以上にフランスに憧れたのは、プロシアのフリードリヒ大王であり、ベルリンの郊外のポツダムの町に、サン・スーシ宮殿を建造してヴォルテールを招いて議論に明け暮れたが、喧嘩別れした詰も有名です。

本澤 その意味ではフランス人とドイツ人が、結構うまい具合に緊密にやっていた。そんな独仏関係が存在したのに、どうしてお互いに攻め合いを始めたのですか。

藤原 ルイ一三世の宰相マザラン枢機卿の構想は、ドイツの諸侯が領邦として分立すれば、フランスの安全に最良だと考え、その結果ルイ一四世が君臨できた。だが、ルイ一四世が侵略戦争に明け暮れて、膨大な戦費で国庫を空にしたので、ジョン・ローの入れ知恵でバブルを煽り、悪名高いミシシッピ投機が生まれた。赤字の穴埋めに国債と紙幣を刷りまくり、一時しのぎのインフレ政策を推進したが、これはアベノミクスの相似象になります。しかも、支離滅裂な金融政策の結果として、経済が破綻しフランス革命が勃発し、旧体制は阿鼻叫喚の炎に包まれた。こうしてフランスの絶対王政の君主制が崩壊し、ルイ一六世と王妃はギロチンの露と消え、混乱が続く中でクーデタが発生して、独裁者のナポレオンが登場したのです。

本澤 フランスは栄華の絶頂から転落して、軍国主義の侵略国家になったが、その間に英国では名誉革命が起き、米国は英国の植民地から独立し、国民国家の時代の中で産業革命が進んだ。また、ナポレオンの国民国家体制は、自由思想の伝播者として歓迎されたが、英雄はたちまち侵略者に変貌した。

藤原 そうです。迎え撃つ英露墺の三国同盟を機会に、覇者の正体を現して収奪路線に移って、ドイツの邦国を保護領にしている。そして、収奪のためにライン同盟を押しつけて、巨額の軍事駐留費(日本では思いやり予算と呼ぶ)を強制したし、同盟国に条約案の即時調印を迫った。しかも、事前協議や内容の討議は認めずに、無条件で署名を迫っていた点では、TPPの手本になる卑劣な手口で、収奪路線で保護領を蹂躙しました。また、モスクワ攻撃に使う総動員のために、兵隊をライン同盟から調達し、侵略軍に編入した一〇万人のドイツ人の中で、生きて帰還したのは数千人です。中欧や東欧の犠牲者はその数倍で、いまのTPP騒ぎはその相似象であり、日本は保護領の同盟国の一員だし、東南アジア諸国は東欧の立場です。

本澤 だがナポレオンはモスクワ遠征で惨敗し、流刑先の大西洋のセントヘレナ島で死んだ。それにしても、ナポレオンの帝政路線と収奪は、現在の米国の膨張主義と共通しているし、大日本帝国の侵略路線にも似ている。

直接アプローチと官僚支配の構造

藤原 日本政府が国体を体現した時は、官僚主導の機構を直接に活用し、国民国家として国民を総動員したが、戦死者の七割近くが餓死でした。官僚が国家をダシに侵略戦争を始めても、国家総動員の計画自体が杜撰だったし、国の名で正義を振りかざしてやるから、間接アプローチにはなり得なかった。その点で英国の手口は国王の特許を持った、民間型の特殊法人を活用する形で、東インド会社を作り上げてから、植民地支配や侵略を実行している。アヘン戦争は東インド会社が主体で、周辺にサッスーン商会やマセソン商会を置き、大砲を持つ鉄鋼戦艦を所有したのも、東インド会社でした。

本澤 実に巧妙なやり方ですね。さすがはアングロサクソンというか、後始末まで十分に目配りすることで、責任が及ばないように配慮している。準備不足でも構わず猪突猛進してしまう日本人とは、読みの深さが違っている。

藤原 だから、麻薬を使い暴虐の限りを尽くし、あれだけ悪辣な侵略戦争をしたのに、英国に対しての中国政府の態度は対日とはまるで異なる。民間が前面に立っていたせいで、イギリス人の卑劣な盗賊行為に対しては、日本の侵略への非難と全く違う。

本澤 言われてみればその通りで、東インド会社は利益追求の私企業だし、その後に解散して姿を隠してしまった。

藤原 巧妙な手口を見抜いた後藤新平は、東インド会社の機能と生態を研究して、満鉄を日本の東インド会社にしたかった。だが、官尊民卑の思想と官僚支配の伝統が強いために、満鉄は天皇の資産や国家資金を頼り、むしろ準国営会社になってしまい、そこに天下り官僚が群がった。しかも、軍人までが満鉄を自分たちの利権にして、侵略の道具に使おうとした。だから、大日本帝国の破綻で満鉄もご臨終を迎え、すべてが「見果てぬ夢」になったのです。

本澤 日本人は帝国主義の模倣もできず、帝国主義の餌になるだけみたいで、それが自民党体制の対米従属にも繋がっている。

藤原 英国の狡猾な手口に学んだ米国は、国体としてのワシントンを政体と装い、ホワイトハウスも議会も空洞化して、軍隊まで含め公的組織を民間に移し、国を挙げてアウトソーシングを実現した。その現れがシンクタンクの存在で、政策構想や戦略思想を担当し、行政の実行だけは官僚に任せている。

本澤 それがシンクタンクの使い方だし、レーガン時代の規制緩和に現れていた。だが、日本人の受け止め方は短絡的で、財閥の利益を図る民活路線になった。どういうわけか、利権の確保と分配にしてしまうのが、日本人のやり方で、しかも、そこに官僚の利権が介入することで、硬直したものばかり作り上げることになる。

国際化時代のマルチチュード路線

藤原 日本は明治の文明開化の時から、形だけ真似て技術は取り入れるハード主義になり、科学や哲学は軽視してソフトウエアの自己開発はしなかった。しかも、その戦略的な意味がわからずに、形だけを真似しても中身が違うから、「仏作って魂を入れず」で終わる。そうなるのも、人材の価値について評価できないからです。

本澤 情報革命がこれだけ進む中で、国際化の波が押し寄せているのに、どうして日本人はそれを正しく受け止められないのか。

藤原 日本はアメリカ化を国際化と誤解し、アメリカの基準を世界基準と考え、ヨーロッパの本質を理解せずに、米国の模倣しかしないからです。米国は世界の優れた人材を受け入れて、最良の思想や手口をものにするので、実行力で経済大国になっている。だが、話し合う代わりに力に頼る点で、小帝国のレベルに留まっています。米国は技術大国で軍事大国だが、ソフトの面では英国の植民地で、サイエンスや経済思想は輸入品だし、二流の欧州人が米国でトップを占める。コンピュータや科学思想を始め、ジェット機やロケットまで、最高のものを取り込んでいるが、政治や経済のソフトは弱い。

本澤 日本から見ると米国はソフト大国で、絶大な威力を誇っているように感じますが、われわれは虚像を見ているのですね。

藤原 だってアメリカの外交は愚劣だし、金融もアメリカ独自のものでなく、国際金融資本の頭脳中枢の砦は、米国の外に居を構えるように、米国はゲームを行う舞台に過ぎない。ワシントンがシンクタンクを使い、政策の構想を任せていることに対し、アウトソーシングの一種と考えて、すごいと考えることは自由です。だが、国際化の時代性を反映する形で、国民国家や国境の枠を越えて、イスラエルがシンクタンク役を果たすのは、マルチチュードの思想の体現です。また、シンクタンクや各地の国民国家が、下請けの分担の形で仕事をすれば、ウエストファリア体制の教訓が持つ、独立の擬態の意味が理解できます。

本澤 何か秘密めいて薄気味悪いが、それは謀略史観に繋がるもので、秘密結社でも存在している感じがするし、とてつもないホラ話に聞こえる。現実の国際政治はアメリカが動かし、世界中がそれに振り回されて、戦争や経済的な混乱に見舞われ、反米感情も盛り上がっています。だから、アメリカを外から動かす見えない力があり、それにワシントンが操られているという話は信じられない。

藤原 日本で演じている幼稚な政治や、洞察に欠けたメディアに馴れると、国際政治の真相には迫れません。しかも、大事なものは目に見えないから、情報ではなくインテリジェンスのレベルで、心眼を使い歴史の核心に迫り、隠れた真相を見抜くのです。鍛錬に使うウエストファリアの教えは、日本の病んだ政治の克服だけでなく進路の選択に役立つはずです。また、情報の断片を編集し直すことで、世阿弥の「秘すれば花」の世界と、師資相承の奥義に至り得るのです。


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