『ニューリーダー』 2016年3月号



〔地政学〕その統括と展望@

東南アジアに残るソフト・パワーの足跡


宇宙に広がる世界秩序の新フロンティア



ジェームス鈴木 / ビクター小林 / ジム(肇)藤原

藤原 二〇世紀は帝国主義が猛威を揮い、戦争の世紀と呼ばれているが、資源と市場を奪い合う体質を持っていた。それは植民地主義の究極段階として、古典的な地政学に支配されていたためで、現在にもその影響が続いている。インド洋と太平洋が取り囲む形でユーラシアとアフリカの両大陸が広がり、その地域の地政学的な動きに関しては、二〇一三年の夏の本誌で米国のジャーナリストを相手に、地政学の具体例として論じた。だが、二一世紀を前にしてソ連が解体し、二極型の対立が消えたことにより、米国の一極支配が短期的に登場している。しかも、イラクやアフガンでの戦争により、米国が疲弊し衰退したことで、古典的な地政学の時代に代わり、二一世紀型の地政学に推移しようとしている。
 そこで東南アジアからユーラシアにおいて実務経験の豊かなお二人に加わっていただくことによって、歴史的な総括と現状分析を含む、地政学の将来展望を三回にわたる座談会話でご紹介しよう。


ユーラフリカ大陸から捉える視点

藤原 二〇一三年夏の本誌ヘの反応として、人材やソフト,パワーに関し、分析が足りないという鈴木さんの批判が香港から届き成程と思いました。あなたはベンチャー事業の投資家として、長く香港で事業活動をしており、人材の重要性を痛感しているが、ソフトパワーという言葉との関連で、何を強調すれば良かったのですか。

鈴木 香港に住んだ経験で痛感するのは、英国人の人材に対しての扱いであり、その根幹にあるのが判断力ヘの評価です。また、私はそれをソフト.パワーだと理解して、人材の育成が鍵だと考えるので、適材適所の実行と指導性の面から、地政学を捉え直したら良かったと思う。

藤原 小林さんはカナダで十数年生活して、最終的にカナダ国籍を取っており、現在は経営コンサルタントをされています。あなたからの批判と指摘には、中国の覇権問題に注意を払い過ぎ、植民地主義ヘの配慮が足りないとあった。私は植民地主義が過去のもので、今の中国は覇権主義国として登場しており、侵略と膨張が目立っていると思っています。

小林 それは差しあたって今の現象で、インド洋をめぐる動きにおいて、英国やオランダの東インド会社が、如何に植民地政策をしたかを学ぶ必要がある。そうした環境の中で近代的な国として、植民地から独立したということで、国民国家が誕生している歴史がある。タイに住んで仕事をして分ったが、アメリカの世界支配が強いのに、インド洋の周辺は英国の影響が強く残り、それを知ることで総てが始まります。

鈴木 その意見に賛成です。仕事でシンガポールやヤンゴンに行くが、英国の存在感が圧倒的であり、アメリカの影響力は意外に少ない。バンコクには日本の資本が多いので、日本とアメリカが一緒に見えるが、だからといって見誤ると危険です。

藤原 今日はバンコクで出会いを持ち、インド洋の風に吹かれての鼎談です。私がユーラフリカ大陸を論じた時に、ヨーロッパ半島、インド半島、アラビア半島などが、半島だという理解だった。また、アメリカ、日本、オーストラリアは島であり、大航海時代を経たインド洋周辺は、香料貿易に続き植民地主義の舞台だった。そして、一九世紀に太平洋がそこに加わり、新しい地政学の世界が登場しています。そこで、鈴木さんに人材と植民地主義の問題から、私の記事への批判と補足を兼ねる形で、口火を切って貰いましょう。


ヨーロッパ人の東南アジア進出

鈴木 アセアンが脚光を浴びているが、この地域に投資をする関係上から、アジアと西洋の関係史を知りたいと思い、参考書籍を探したがなかった。結局インドの元外交官のK・W・パニッカルが書いた「西洋の支配とアジア- 1498-1945」が参考になった。要点を紹介すると、東南アジアを支配した西洋人の到来は一五一一年のポルトガル人のマラッカ到着だった。その背景はベネチアが握るスパイス貿易に対し、対抗都市のジェノバがポルトガルと組み、アジアの貿易を押さえて、切り崩して行く長期戦略があった。ポルトガル人が到来した時期は、東南アジアはインドと中国の文明圏で、イスラムとヒンズーや仏教の影響が強かった。当時はパックスシニカの時代であり、鄭和の航海の後はアジア諸国の王様たちが、北京詣でに行くような時代でした。

藤原 その前に考える必要があるのは、ユーラシア大陸の次元の歴史で、一二世紀にモンゴル帝国が誕生し、大陸全域に支配権を確立した点です。鈴木さんが中国だと指摘したものの実体は、モンゴル系の元イスラム教徒です。それまでは地中海や黒海沿岸に、支配権を持っていたベニスの商人が、アラプ人との商取引により、大量の富を蓄積していたのだが、トルコ人に通路を遮断されたので、アフリカを回った航路を使って、ヨーロツパ人がアジアに進出したのです。

小林 それが大航海時代の発端です。もちろん、ユダヤ人を追放したスペインは、アメリカ大陸で略奪をしていたし、追い出されたユダヤ人は、ブラジルやオランダに渡った。また、ポルトガル領のマラッカが、オランダによって占領され、ポルトガルの利権を奪ったことで、オランダは大貿易国になっています。

藤原 当時のオランダの経済力は日の出の勢いで、英国から羊毛を輸入し毛織物にしており、アメリカに植民地を作って、ニューアムステルダムを建設しました。だから、オランダの繁栄の前では、エリザベス王朝も田舎の王国で、スペインの無敵艦隊の撃滅は、英国の海賊船だと言われるが、その資金源はオランダ商人でした。

小林 イギリスが使った海賊たちは、国王の特許状で略奪を稼業にし、それで稼いだ資金を活用して、産業革命にまで持って行った。この資金活用は凄いと思うが、システムの使い方として、彼ら独特のノウハウがありますね。


東インド会社の暴虐な植民地支配

鈴木 東洋にオランダとイギリスが現れ、インド洋から中国までを押さえたが、アヘン戦争でも香港を手に入れて、一九世紀にパックスブリタニカを確立した。これはデズレリー首相の手腕だが、イギリスの搾取路線は酷いもので、私的な軍隊を持つ東インド会社によって、インドは収奪でメチヤクチャにされ、豊かだったインドは英国に食い荒らされた。

藤原 東インド会社を一言で言えば、資本家と国家が侵略のために作った商社で、宗教も絡めて住民を取り込み、商売や開発のきれいごとを並べて収奪した。

小林 そうですね。ベネチアは東インド会社の源流で、海を押さえて西洋と東洋の間に入り、バランサーの役割をしていました。今でも色んなところでバランサーをやり、それがイギリスのお家芸でもある。東インド会社はインドの麻薬を中国に流し、中国を混乱させて市場にしたが、色んな協力者層を育てており、それが買弁と呼ばれた連中でした。

鈴木 それはシンガポールの歴史に記録があり、インドから運んだアヘンを精製するのに、シンガポールに工場を作り、それを華僑に経営させたが、この華僑を「信用できるシナ人」と呼んだ。彼らは中華マフイアの伸間だが、それを英国人は上手に使っています。イギリスが統治した所では、シンガポールにしても香港にしても、ちゃんと使える人間を作って取り込み、それを巧妙に使うので感心してしまうが、影の主役は華僑ではなくユダヤ系でした。

小林 コモンウェルスを作ったせいで、カナダやオーストラリアは、インドほど酷い扱いをされずに、イギリスの勢力範囲ではあったが、別の形の植民地として支配を受けた。それは広い大陸国だったから、港の支配が出来なかったからで、制海権の支配が死活間題でした。

鈴木 だから、ポルトガルが最初にやったように、マカオとかゴアのパターンになり、植民地主義は点と線の支配です。点を押えるのは海洋戦略の基本でして、首絞めというチョークポイントを握り、海洋で外に出たオランダやイギリスは、海港を戦略拠点として押さえたのです。


植民地支配の人材利用

小林 中学校の世界史で、なぜオランダで始まった会社が、国境を跨いでイギリス系になったのか、不思議だと思ったけれども、国境に関係ない人が経営したのが植民地だった。ヨーロッパの支配層にとっては、国境などはないも同然であるから、いろんなところのシステムを使い、能力ある人間を融通しあっている。イギリスのチャタムハウスにしても、その雛型はヨーロッパの結社にあり、イギリスやヨーロッパの支配者は連合している。また、ルールを制定して行く基本は、ゲームしながら条件を変えて行き、自分に都合のいいルールに作り直すことです。

鈴木 しかも、どうでも良いことは自由に変えるが、プリンシプルは絶対に変えないところに、彼らの巧妙な手口が読めます。その点で、日本人はプリンシプルの意味が分からないので、成り行き任せの出たとこ勝負です。

藤原  ルールを自由に決められる人が、本当のルーラーと呼ぱれるのです。

鈴木 イギリスが強い最大のポイントは、「ルールを制す者はゲームを制す」を理解し、いかにルールの制定者になるかです。また、彼らは実に巧妙に本質を障蔽するので、外部の人間には良く分かりません。

小林 モルジプにダイビングに行ったら、環礁の下に地図にない島があり、何かと尋ねたら英軍のインド洋の基地だった。点と線で支配する歴史が積み重なり、古くからイギリスに仕える人がいて、それがすごく効いている。アメリ力人に真似できない深さで、情報も非常に早くて驚きです。

鈴木 そして、人、物、金を集めた者が富を蓄え、特に海軍力を持って海に出る。このスタイルを踏襲したのが、ダッチとアングロサクソンであり、さらにアメリカンだという捉え方がある。

小林 イギリスが作ったゴルフでもテニスでも、または金融システムも同じで、俯瞰して全体像を見ることにより、システム像をきれいに作り上げている。スタンダードが同じ文法で作られ、コモンウェルスで教育を受けた人は、世界のどこでも英国式思考法で、ブロックを積むように理解できる。また、世界スタンダードを作る点で、イギリス人は非常に優れているが、アメリカ式のスタンダードはダメです。

鈴木 米国にもシンクタンクはあるが、英国はインテリジェンス機関とか、エリートの優れたクラブやギルドを持っており、比類ないソフト、パワーを誇っています。

藤原 インテリジェンス能力といえば、多くの人は直ぐCIAを考えるが、CIAは頭がいいだけの田舍者で、インテリジェンスという点では、やはりKGBとMI6の闘いが中心です。CIAの連中は優秀だが役人で、数学の素養に乏Lいから閃かない上に、補助線を引く幾何学発想がない。

小林 スパイ小説も英国のものは深みがあり、アメリカ物は映画向きのアクシヨンばかりでKGBとかMI6という諜報組織には、一種の独特なツールがあって、その伝統を使いこなLている。更にーつ上の次元の頭脳があって、そこが鋭いと考えるべきだが、それをやるのはどこかと言えば、イギリスには輝かしい歴史を誇る所が幾つもあり、チャタムハウス、IISS、タビストツク研究所とかです。

藤原 王立地理学協会を始めとして英国人には知的好奇心を持ち、遊び心が豊かな人が多い。リビングストンやスタンレーのように、知的好奇心を持ち博物学に精通し、探検に出かけ自然を鋭い目で見ている。シンガポールを作った人物で、ホテルに名を遺したラッフルズも、海洋を結ぶ仮想帝国を構想していますね。

鈴木 彼の構想は素晴らしかったし、コレクションも優れていたが、王立地理学協会を持っ国にふさわしかった。英国はオックスブリッジを持ち、さらにロイヤルソサエティを始め、大英図書館やMI6がありますからね。

藤原 MI6は表の軍事情報第6部として、対外情報を扱っているが、裏の組織のGCHQ(通信司令部)は情報中枢です。国防予算は米国が圧倒的だから、GCHQはNSC(国家安全保障局)に従うように見えるが、米国のNSCが見習った極秘の組織で、エシェロンに連なるファイブ・アイズも、英国の頭脳が統括しています。また、大英帝国の機構はべ二スが手本で、オックスブリッジはパドヴァ大学だし、英図書館はサンマルコ図書館です。GCHQは商館の情報活動が祖先だが、海路のチョークポイント作戦を始め、地図や印刷能力の整備もベニスが先行し、ブローデルも「地中海」でそれに触れています。また、観衆が「ベニスの商人」の演劇を支えたのも、手本を良く観察していた証拠であり、ソフトパワーは英国に定着した宝です。  

鈴木 博物学の基本は分類にあるが、自分達が押さえた植民地に、どういう質源があるかのリストを作った、イギリス人たちの凄かった点は、世界中に出掛けそれを押さえ、各地の植民地の産物を調ベ上げ、この植民地の産物を別の所に移し、それをベースに世界経営をして来た。その中心がキュー植物圉であり、植物を移植しただけでなく、この人間をこっちに移したらどうかと、そこまで考えて人まで移植しています。

藤原 ロシア人と英国人が競い合い、ユーラシアで陣取りゲームをしたが、それがマッキンダーのハートランド構想です。地政学が君臨していた時代は、英国が海軍力で覇権を握っており、未だ飛行機が登場する前だった。また、鉄道が戦略上の決め手になった時で、石炭と鉄を組み合わせた鉄道が、空間制圧の道具だし国力を象徴していた。だが、今はアストロポリティックスの時代で、人工衛星やGPSを駆使しているし、情報の支配が決め手であるのに、政治家は時代遅れのままです。だから、ブレジンスキーや習近平などは、相変わらず古臭い地政学に熱中し、国益を主体に行動しているので、世界中がそれに攪乱されています。


脱藩して分かる自由の価値

鈴木 今の習近平は外に向かい侵略的だが、外に出る上でのしつけが出来ておらず、その膨張主義は暴走的です。また、ロシア帝国や共産ソ連が消えたのに、百年も前にマッキンダー卿が唱えた、ランドパワー敵視思想から抜け出せず、古い地政学で政治をやるので迷惑至極です。

藤原 ロシア人に較べて中国人は、万里の長城を築いた時から、北からの遊牧民ヘの対応に忙しかった。だいたい中国人は閉じこもる民だし、目先の利害に右往左往するだけで、戦略発想は苦手な連中ですから、返還されても香港はチョークポイントで、シンガポールと共に英国人がツボを握る。

小林 英国にはコントロールした超党派というか、超国境的な頭脳集団が存在しており、それが金融に結びついて動き、オフショアを分散支配しています。

鈴木 それを考える上でのヒントは、資本主義がヨーロッパでどう動き、如何に成長していったかの軌跡です。ベネチアからスイスを経由して、オランダから次にイギリスに渡り、さらにはニューヨークヘと、資本主義は中核都市を変遷してきた。また、資本主義はどこでもそうだが、港とか空港を備えた都市に資本や人が集まっており、境界に沿って市場が成り立つには、規制や税制が緩いところでして、自由があることが決め手です。

小林 そのせいで、資本や人が集まる都市では、どうしても自由王義の指向になるのです。だから、資本や商売の自由を始め、信教や言論の自由が保証され、原点にプライバシーの尊重があることが、どうしても必要になっています。

藤原 その意味で日本は伝統指向で、明治維新に「有司専制」を採用し、日本の政治体制を一二〇〇年も逆行させ、律令制度を復活させてしまい、自立する精神を失い役人に支配されてしまった。

小林 私は日本を出て二〇年余りだが、世界に出て良かったと感じるのは、子供の教育環境に自由があることで、手の中に自由を掴んだと分りました。

鈴木 私も日本を離れて自由の価値を知り、自由の有難さを実感しています。その点で日本の社会が自由を失い、政府や役人の力が強くなり、かけがいのない個人が委縮しています。しかも、増税とか放射能汚染の暗い話題が、日本を包んでいるので心配だし、自由は失ってみないと分らないが、今の日本に必要なのは真の自由と、権力の透明性を求める市民意識です。 (続く)







ジェームス・すずき  ベンチャー事業投資家・元大手メーカー幹部・香港在住

ビクター・こぱやし 経営コンサルタン卜・元多国籍企業幹部・バンコク在住

ジム(はじめ)・ふじわら 慧智研究センター所長、「さらば暴政」著者




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