迷走する日本の高等教育システムと技術立国を損なうエゴの横行


藤原肇 (元大学総長顧問、ジャーナリスト、理学博士)
山田久延彦(ベンチャービジネス経営者、評論家、技術者)



息切れ状態を見せる日本の最先端科学

藤原 最近の日本の高等教育の荒廃は酷いもので、硬直化した制度と既得権の確保が著しいために、それを見限って若い研究者が頭脳流出し、ポテンシァルが著しく低下していると私は見ます。そこで、物理学者として長らく技術開発の仕事に従事し、ベンチャービジネスを立ち上げて苦労している山田さんが、日本の先端科学が置かれた状況に関して、どのように観察しているかを喋ってくれませんか。

山田 ポテンシァルと質の低下が著しいのは確かです。それは学会での発表の内容を見れば分かり、発表する論文が大いに減っているらしくて、私の所にまでそんな声が掛かってくるのです。昔は若かったので学会でよく発表したが、企業の中で仕事をしていると実務本位になるし、研究の第一線から遠ざかることになります。一応は専門にした大学の講座との結びつきもあるので、私も機械学会のメンバーになっているが、他の領域の学会に首を突っ込もうと試みれば、従来は排除されるような仕組みになっていました。

藤原 そんなに排他的なのですか?

山田 というのは、学会のメンバーになろうと希望する場合には、既に会員である人が二名ほど保証人として必要であり、一種の資格審査をする閉鎖的な伝統があるために、どこでも良いから大学に籍を置けないかと言うのです。

藤原 信用保証は自治組織としての伝統だが、何も大学に籍を置く必要はありませんよ。

山田 そうでしょう。だから、面倒くさい気持ちもあって放って置いたら、最近では応用数学会や計算力学会などを手始めに、あちこちから発表依頼が来まして、今年の四半期だけで五つの学会で発表したわけです。

藤原 マンネリズムに支配されたか先端分野が衰えて、学際的な分野の研究が底を突いたためでしょう。あなたが得意な数学や力学の分野では、優秀な日本人の頭脳流出が激しいために、国際化で国内に人材が少なくなってしまった。半世紀前の日本なら外国に行くのが困難だったので、「フェルマーの最終定理」を解く「志村・谷山予想」を考えた、志村五郎や谷山豊のような若手の研究者もいたが、その後は頭脳流出で人材が海外に流れました。

山田 日本の大学の講座制はボスが支配するので、優秀な人間は逃げ出すに決まっているし、学会だって閉鎖的な上に排他的だから、古手の吹き溜まりでジリ貧になるだけであり、私にまで声が掛かってくるようになるのです。

藤原 でもね、「野の遺賢」を探して山田さんを見つけ出す点で、日本の学界は未だ大いに救いがあると思います。政界なんかは人材払底が20年以上も続き、大平内閣以降の日本の首相は政治屋ばかりであり、天下国家を忘れて私益を追うだけだし、売春防止法違反や強姦で警察に捕まった男たちが、自民党の総裁として首相になる体たらくです。

山田 現時点から振り返れば不毛な年月が過ぎ去り、世紀末か末法時代を体験していることが良く分かるが、総てが行き詰まって日本は全く沈没寸前で、こんな酷い状態になるとは夢にも思わなかった。また、日本の学界が今の政界ほど百鬼横行ならば、私も藤原さんと同じようにこんな国は見限って、外国に出た方が精神的にも遥かにマシです。それにしても、日本の置かれた状態は悲惨の一語に尽き、人間の士気や生産設備でも台湾や韓国に抜かれており、このままではアジアの劣等国になるだけです。銀行が金を貸してくれないので経営はとても苦しいが、資金繰りに駆け回って何とか生きているのは、ここで頑張って技術を育てる努力を続けない限り、日本に未来が望めないと思っているからです。


天下りの蔓延と税金の無駄遣い

藤原 金融制度が完全に破綻している今の日本で、ベンチャービジネスをやって行くのは大変にしても、あなたまで日本を見限ったら救いがないが、日本人は不毛な政治に抵抗するのにも疲れ果てたのです。なにしろ、今の日本には理念を語れる人が上にいないし、無抵抗状態の中でしたい放題が罷り通るので、悪くはなっても今より良くなることはありません。何をやっても過去の手本に回帰するだけで、それがもたらす結果をきちんと判断できる人がいないし、危機を指摘する勇気ある発言もないために、愚民政治は全体主義に飲み込まれるだけです。

山田 学問の世界は独自の姿勢を持つはずだのに、どうも政治の腐敗に巻き込まれて汚れ果てており、総てが利権になってしまった感じが強いな。だから、研究費なども大企業と大学がほとんど持って行くわけだが、どこに何l落とすかは予め国の側で決まっていて、理屈付けに大学の先生を利用して委員会を作るし、先生も余得でやりたいことをさせて貰っている。たとえば、東大の総長だった吉川先生は工学畑だから、役人が作った審議会のメンバーに選ばれているので、学者として何となく利用されているわけです。そのために後ろめたい気分に支配されているらしく、最近では役人の前でビクビクしている感じがして、あの人がなぜだろうと私はもどかしく思っています。

藤原 役人による権力支配のダシに使われているからですよ。

山田 それも、古手の役人の天下りに利用されているのです。

藤原 日本の場合は、サイエンスの独創的な研究は無残と言うしかなく、優秀な人材は海外に頭脳流出してしまったせいもあり、国内に残った人は役人にまで軽蔑されています。

山田 でも、日本のサイエンス関係の予算はもの凄くて、科学技術振興事業団とかナントカ財団という外郭団体が沢山あり、そんな組織が各2000億円ほどの政府予算で動いている。ところが、予算のほとんどが人件費や出張費で消えていて、実際の研究に使われるのは30億円とか40億円で、予算全体の数lというのが実情だと言います。

藤原 それは科学や技術を名目にした公費濫用であり、役人の天下りのためであることは明白で、そうして続々と生まれた政府の外郭団体には、古手の役人や定年教授で学会のボスが理事になります。科学技術振興事業団のパンフレットを見たが、支出する研究費のほとんどが大学学長、研究所長、名誉教授であり、巧を遂げ名をなした人たちが圧倒的でした。大体、科学や技術の分野で最先端の仕事をするのは、助手や講師といったレベルの若い人材が中心であり、上り詰めた名誉の肩書きを誇る人ではありません。

山田 退官後に政府の外郭団体に行くためには、現役時代に役人の言うことを聞いてコネを作り、この先生なら我々に協力して貰えるということで、仲間に出来ると考えて声が掛かってくるのです。小泉政権になって構造改革が叫ばれて、公団や外郭団体の整理が始まったけれど、自分で稼げといってもそんな能力は無いので、研究実績に見えるものを作る必要を満たすために、科学技術庁と文部化学省が慌てているのです。

藤原 ゆとり教育を持ち出して教育の内容を低下させ、文教族の反動路線で歴史感覚を狂わせた元凶だから、文部科学省を廃止することから始めない限り、日本の将来は実に暗澹としたものになってしまう。だから、役人にカネの配分権を任せてはいけないのです。


産学協同の逸脱とオーバードクターの押し付け

山田 その通りです。科学や技術にカネを出すという名目があるので、国民も国会議員もそのカンバンに騙されてしまい、研究のための資金が提供されると思い込みます。ところがそれはとんでもない思い違いであり、たとえば科学技術振興財団に見るケースでは、大学の先生が研究に関係しているという条件をつけて、30億円の予算うち5億円をベンチャー事業に流すが、資金の提供を受けるのに担保に要求します。担保として土地か債券を出して欲しいといわれたので、それが無いから研究費の申請をしたのだと答えたら、従来からそうしているのでという返事なのです。こんな旧弊が公になったら困るということらしく、このあいだ初めて一般公募の説明会をやったら、皆から質問攻めでタジタジになったために、現状に適した運営を考える委員会が出来ました。だが、予算のうちで残りの2000億円のほとんどが給料であり、そんな財団が日本中に幾つもあって天下り先だし、ここに来て幾ら大学の権威が衰えたといっても、それに付き合わされたのでは全くたまりません。

藤原 大学の持つ本来の機能が低下したからといって、その上に大学院大学を作っても一時しのぎに過ぎないし、問題は大学の質を高めることで屋上屋は無駄です。

山田 なにしろ、最近は学生が本を読まないので学力低下が酷く、大学生の大半が数学能力では中学生並といわれており、「分数が出来ない大学生」(東洋経済)という本が注目されました。それほど最近は大学生の質の低下が目立つが、それ以上に問題なのはオーバードクターの扱いでして、留年とか長く大学に残って博士号を貰ったが、狭い専門のことしか知らない人が余りにも多いために、実践に役に立たない温室育ちばかりです。政府の外郭団体に研究の補助金を申請すれば、この種のドクターを雇えと言ってうるさいし、雇えば研究費が出るというメカニズムなんですよ。

藤原 人間の押し付けはダメですよ。研究者として第一線でバリバリやる能力があれば、全世界が仕事場に選べるのは当然であり、ポテンシァルが高い所に人材は集まるものです。

山田 競争相手は外国だけでなく国内の企業もあるので、日本の大学に残ろうという研究者は激減しており、どんな大学の理工科系の研究室に行っても、見かけるのは中国、韓国、インドなどから来ている研究者ばかりです。文化の多様化も良いが日本人がいないのでは、日本の産業界は人材欠乏で全滅してしまいます。それは研究室に残るとオーバードクターになってしまい、厄介者扱いになることが明らかだからですよ。

藤原 でも、若手研究者の多くがアジア系で占められれば、閉鎖的な日本の大学や社会が国際化して行く上で、ことによると貢献することになるかも知れないが・・・。

山田 緊急に国際化が必要なのは文部科学省を始め、利権化が著しい政府の外郭団体などであり、飛躍的な超発想が今の日本には必要です。藤原さんが生活してきたアメリカという国では、人材を全世界から吸い集めるシステムがあるが、日本は派閥や利権でがんじがらめになっている。しかも、流出も出来ない二流の教授の下にいる人が、今度は役人や企業と手を組んで逆転を狙い、派閥争いみたいなものが渦を巻いています。しかも、今までは研究のリーダーは大学の人間だったが、最近は民間会社で無いといけなくなっています。

藤原 それは産学協同の軸が民間主導になり、大学の役割が低下したという意味ですか。

山田 これまでは大学の先生の研究が中心であり、それを民間に移しながら実用化する方式だったのに、現在では大学の研究者が中心ではダメだが、先生が入っていなければ研究費が出ないのが産学協同の実態です。

藤原 まるで戦時中の軍事研究みたいだが、そんなに酷いとは予想もしませんでした。


会津大学物語と情報テクノロジー(IT)に見る惨状

山田 私が関係するITの分野は脚光を浴びていて、メディアの上では色いろと取り沙汰されているが、ITという視点で日本の大学の現状をズバリ言えば、大学の先生たちはほとんど何もやっていないと言うことです。日本中で数人の先生が何かをやっているが、彼らが使っているような研究のアプローチと発想では、モノになると思える研究はほとんどないし、世界の最先端での研究に迫るようなものもありません。

藤原 山田さんは数少ない評価能力を持つ人だから、その診断を素直に受け入れるより仕方がないが、政界と同様に酷いと聞いて強烈なショックです。

山田 残念ながらその通りです。自分で研究のプログラムを組む能力が弱いから、鍛えた実力がないので若い頃に実績が出ないし、長くやっても円熟できないことになるわけですよ。

藤原 全体を捉えた上で自分の専門分野を位置付け、何をどう進めるべきかという方法論を確立して、先端領域の方向を見極めることが決め手です。全体が見えなければ学問のソフトは作れないし、偏差値という本質に余り関係ない数値に迷い、柔軟な若者の頭を硬直化するような文部官僚の考え方が、教育を歪めて日本をダメな国にしたのですよ。

山田 それも確かだ。しかし、問題になるのは最先端を担う分野のことであり、官庁は大学の先生や研究者を利用しているが、大学の先生がしようと考えることを評価せず、絶望状況を生み出しているのに気づいていない。しかも、大学教授の権威が急激に失墜しているし、それを先生たちが認識しても無力であるために、生徒が必要としていることを教えられないだけでなく、逆に生徒に迷惑な変なことを教えているのです。

藤原 良く分からないな。それはどういうことを意味しているのですか?

山田 基礎的なものは生徒に必要だし重要であるが、学生がこれから役立つ新しいものを学びたいときに、ITでは昔は無かった新領域の知識が要るのです。

藤原 でも、知識ではなく学び方を身に付けるのが高等教育ですよ。

山田 それなら、分かり易い例として会津大学の場合を言います。あの大学はNTTが中央研究所のリストラをする時に、福島県庁に優秀な研究者を提供するから、コンピュータ専門の理工学部を作らないかと働きかけ、それが具体化して単科大学として発足したのです。

藤原 学生が情報関係の取り扱いに優れているので、新しいタイプの大学だと一時期とても評判になり、そんな記事を経済誌で読んだことがあります。だが、背景にNTTのリストラ問題があったとは知りませんでした。

山田 それが真相です。IT専門の大学として発足するにあたって、文部省にカリキュラムを提出するという段階で、情報物理学や情報数学という科目を並べたために、文部省に前例が無いからダメだと蹴られたわけです。整地して校舎のビルまで建てたというのに、開校の許可が出ないので福島県庁は慌ててしまい、東大に情報科学科を作った国井教授を招いて、どうか開校の手続きを整えて欲しいと依頼した。国井先生はアメリカの大学の教科を手本に再申請して、目出度いことに開校に漕ぎ付けたのだが、このカリキュラムで教育できる先生が日本にはいなかったのです。仕方なく公募したら世界中から応募者が集まり、とてもユニークな大学として注目されるし、学生にも人気のある大学になったわけです。

藤原 それで私も会津大学の存在を知ったのでしょう。

山田 そうなると、NTTから来た研究者は教授になれなくて、仕方なく教養課程を作って情報物理などを教えたが、元NTTの教官が生徒に赤点の成績をつけ、そのうち何人かはノイローゼになったという次第です。生徒にしたらこんな基礎教養を学ぶのではなく、ITの最新技術を学びたいのだということになり、医者を交えて人権騒動にまで発展したのです。

藤原 でも、コンピュータを中心にした単科大学なら、それは本来の大学ではなく専門学校であり、技能者養成所として出発した方が良かった。なぜなら、自動車会社や製鉄所が作る技能研究所に関しては、カレッジとかインスチチュートと呼ばれているし、NTTがリストラをするために作った偽装学校に対して、県立大学として発足させた所に問題があります。

山田 そういうことです。大学だか会社の研究所の延長だか分からなくなり、リストラされた研究者たちは教員組合を結成したので、労組みたいな教員組合との交渉に悲鳴をあげて、国井先生は学長を辞任してしまったのです。そうしたら、元NTTの研究者たちは世界から集めた教官をいびり出し、外国人の先生も今時こんなことを教えるのかと言われて、追い出される破目に陥る教授がいたりで、2/3は世界から招聘した教授陣の英語授業だとか、ITで世界の最先端という建前は崩れ去りました。


日本の高等教育の没落と数理教育の急務

藤原 確かに、大学の作り方としては泥縄的で稚拙でしたね。新しい技術を学ぶ上でユニークな方式だったのなら、学生はそこで学んだことを足場に使って、他の大学に編入するなり海外に留学することです。大学は建物ではなく先生に価値があるから、自分が挑む分野で世界一の先生が誰かを調べて、その人に弟子入りすることが学問での王道です。

山田 しかし、誰がその分野で一番かを知るのは簡単ではない。

藤原 もちろんです。でも、専門の学術誌を過去20年間にわたって読めば、誰の仕事が最先端に位置するかはおよそ見当がつくし、それを世界の規模でやればいいのです。また、大学教授の九割以上は無能なサラリーマンだし、日本一と言う東大でも世界では200番くらいだから、狭い枠の考え方から抜け出さないといけない。しかも、文部科学省にはアフリカやアラブの教育省よりも、人材がいないことは歴史的にも明らかであり、大学の新設より半減の方が将来のために役立ちますよ・・・。

山田 そうかも知れないな。小学生がやる分数計算ができない大学生とか、生物学を学んでいない医学部の学生がいるために、大学でも困っているという記事もありましたね。

藤原 そのようですね。入試に数学や理科がいらない大学が多いので、日本の高校生は理数系の素養が先進国で最低であり、OECDの14か国中で14番目だそうです。かつての日本は確か世界のトップだったと思うが、変われば変わるというか情けない話ですね。

山田 数学的な素養は人間として生きる基盤だが、今は文科系と理科系の肉離れが極端だから、大学入試にないといって手を抜くために、外見は大学生でも頭の中は中学生のレベルになり、知的なバランスが崩れた学生が激増している。高校生活が受験のために非教養化している点で、日本ほど酷い国は他に例がないと思うが、教養に無関心な世代が今の大学の先生の大部分だから、自分の専門のことしか分からなくなっています。

藤原 広い視野を持たない専門バカの君臨を許し、マクロな視野で全体像を見る人間を育てなかったことが、日本の高等教育の崩壊を招いた原因です。

山田 私が学生だった頃に電気工学通論という講義があり、教授は真空管回路について延々と説明したが、トランジスタ回路に関しては一言も喋らずで、過去の知識の繰り返しに終わったのを記憶しています。基礎的な知識は教科書に書いてあるから、それを読んで予習して授業に出ろと言いたいにしても、過去と未来を結んで現在の問題を考えるのが、高等教育の果たす役割だと私は思うので、明治時代みたいな授業は追放すべきでしょう。

藤原 自分の頭で考える人間を育てるのが大学教育で、マニュアルや知識を丸暗記するためではないのに、就職のための卒業証書を貰うためというのでは、大学は高等教育という名にとても値しないと思います。また、学長に有名人を迎えて有難がる日本の風潮は、教育者として学長の理念や手腕に期待するより、名声を盲信する事大主義に支配されていて、ノーベル賞を取った人を学長に選ぶとか、客員教授に招く現象に象徴されています。

山田 それは日本人の感覚からいって仕方がありません。会津大学の学長を辞任した後の国井教授は、今度は法政大学でIT関係の学科増設をしたが、自分の抱負で新しい大学を指導するのではなく、外国の手本の真似で役所の許可を得るためです。IT関係の学科を増設するという計画自体が、古い教授を新設学科に押し込むためだから、役所にカリキュラムを申請して許可が下りれば、東大元総長も不要になりお役目御免です。要するに、文部官僚から認可を受けるためのピエロ役に過ぎず、日本に最先端の研究の場を作るよりも、役人に顔の利く教授を活用するかが中心だから、ITをめぐって日本の大学が大騒ぎしたことの多くは、優秀な日本の人材育成とは関係なかったのです。

藤原 古手の役人と教授たちの天下り先を作るとか、新しい利権の場を新設学科に求める動きに、日本中がぶら下がっているのでは情けないですね。

山田 だから、今の日本は亡国の淵に沈もうとしているのです。実に残念だが、このような日本を放置して来たのはわれわれ国民だし、十年以上も続く失政による不況に耐えて、政府と役人に責任を取らす能力がない以上は、没落の悲哀に見舞われても仕方がありません。 自分たちのためではなく未来のためを考えて、皆が協力し合うところから出直さない限りは、悪循環からの脱却は難しいのではないですか・・・。

(『財界にっぽん』2003年7月号)


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