落合信彦 オイルマン伝説の終焉

オイルマン(現国際政治コメンテーター)として生きる藤原肇の証言


 タイトルの中に人名が二人も出てくるが、本書の本当のタイトルは『捏造ジャーナリスト 落合信彦』で著者は奥菜秀次氏だ。

 藤原氏が彼の発言部分を転載し、この書を広く読者に訴えて貰いたい、版元の社長にも了解の電話をするから…ということで急遽掲載することになった。




「長いことオイルの仕事をやってたからわかるんだが、落合信彦が昔オイルビジネスをやっていたっていうのはホラ話だよ。落合には専門知識などあるはずがないし、第一、石油ビジネスのイロハさえ知らない人だから。素人が本を読んでオイルマンになりすましているだけだね」――藤原肇


本物のオイルマンの抱いた疑惑

 日本人のオイルマンで、現在は引退して国際政治コメンテーターをしている藤原肇氏が、落合自らが語るオイルマンだったという前歴に、強い疑念を示していたという話を私は以前から聞いていた。それは今から七年前の九四年のことだった。氏が知人相手に語ったという話を、私はその知人の知人から聞いたのだ。しかし、その時の私は、抱えていた本のメインテーマが落合の盗作と捏造記事だったので、この話を聞き流しただけだった。
 藤原氏は現在カリフォルニア在住だが、年に数回帰国し、氏を囲む読者たちの会も執り行われている。
 また、地質学者であり、数多くの著作もある(図1)。最新刊は『夜明け前の朝日』(鹿砦社)。代表作は『石油危機と日本の運命』(サイマル出版・絶版)、『理は利よりも強し』(太陽企画出版)、『朝日と読売の火ダルマ時代』(国際評論社刊)、『地球発想の新時代』(東明社)だ。
 藤原氏はこんな具合に経歴を語っていた。(要約)



図1 オイルマン、現国際政治コメンテーターの藤原肇氏の著書



(談) 私はサウジアラビアに行って仕事をして、当時若かったヤマニ(鉱山石油相)や彼の友人たちと親しくなり、石油がこれからおもしろくなるから鉱山石油省に来ないかと誘われて、それで初めて石油の重要性に気付いたわけです。
 私自身は地質学を十年以上も大学で勉強してますし、フランスでは構造地質学という、日本ではほとんどやる人のいない領域の仕事をして、地球を診断するトレーニングを受けました。三井物産での資源問題のパートタイムのコンサルタントの仕事で、アフリカの鉱山資源の開発や、ヨーロッパでは石炭開発を手がけました。
 最初に就職したのが世界一の水のシンク・タンクのソグレアという会社でした。そこでどういうことがあったかに関しては『山岳誌』(東明社)という本の補説、『オリンピアン幻想』(東明社)という本にかなり詳しく書いてあるし、『日本脱藩のすすめ』(東京新聞出版局)の中にも具体的に書いてます。
 最後はテキサスで石油会社を経営したいという夢がありましたが、テキサスヘそのまま乗りこめばすむものじゃありません。その前に一流のオイルマンになるために修行して、世界の最前線の現場で徹底的に地質学中心に、石油開発のべーシックな仕事をやる。大手の石油会社で十年から十五年、徹底的に現場をやり、指揮をし、それであらゆることがわかった上でないと、そんな簡単に石油会社の社長とかオイルマンになれないし、素人が見よう見真似でやってもすぐだめになるにきまっています。

 氏は、フランスやカナダでも石油の現場で仕事をしている。

(談) カナダに行って十年間ほどいろんな石油会社で、「エクスプロレーション・ジェオロジスト」としての仕事を担当しました。「エクスプロレ−ション」というのは「探鉱」とか「開発」あるいは「探査」と訳し、石油がどこにあるのかを調べる石油ビジネスの中核部門です。その仕事の後で、コンサルタントになりました。
 コンサルタントとして世界中で仕事をしている時に、アメリカの油田地帯で一緒に仕事をした人で、二十五年にわたりカンサスでたくさんの油田を見つけた人から、「あなたの世界的な経験と自分のカンサスでの経験を生かして一緒に石油会社をやろう」という話があり、彼と一緒に石油会社を始めたわけです。
 彼がキングで私が藤原だったから、始めた最初の会社に「フジキング・エクスプロレーション」という名前を付けて、石油開発に取り組みました。私はテキサスヘ行く足場としてカンサスで石油会社の土台を固め、ある程度資金をたくわえてから、テキサスに乗りこもうと考えました。安易な気持ちでテキサスに行ったら、連中にカウボーイ・ブーツで蹴散らされちゃいます。というわけでカンサスで三、四年仕事をしました。
 テキサスで石油を掘っていた頃の話は、『地球発想の新時代』(東明社)の中にあります。オイルマンから詐欺師まで、いろんな連中についても書いてあります。

 その後、テキサスでのオイルマンとしての活動が、朝日新聞に紹介されたことがある。一九八五年四月十五日夕刊の記事、「オイル不況今こそ勝負頑張る邦人掘削マン」だ。書き出しの一部を紹介しておこう。

 米国南部のかなめ、テキサスの州民は、一八三六年メキシコとの独立戦争に勝って「テキサス共和国」を樹立、やがて米合衆国の一員になったのを祝う「百五十周年祭」にわくはずだった。が、石油輸出国機構(OPEC)の没落で、思わぬオイル不況の底にたたき込まれている。石油関連企業の倒産と失業急増にルイジアナ、オクラホマ、カンザスの石油王国は揺らいでいる。そんな不況下、独立独歩のテキサス魂で、石油をこつこつと掘り当てるオイルマンのなかに、日本人もいた。米国産油地帯から報告する。
 (『朝日新聞』八五年四月十五日付)

 記事後半では藤原さんが試掘で石油を掘り当てた後で、次々と生産井戸を掘って油田を仕上げていた現場を紹介している。

 牧場や原野を走ってみると、原油掘削のヤグラが立ち、カッタン、コットンのポンプジャックは、せっせと原油をくみ上げ、小さな貯蔵タンクにためている。いっぱいになると、タンク車が巡回して集め、地元の小さな石油精製工場に売る。
 大手石油会杜は、この小さな石油精製工場から買い集めて、自社ブランドの石油、ガソリンとして売る。つまりは、巨大な石油産業の根元は、毛細管のような独立系業者なのだ。
 一本の油井を掘る経費は十五万ドル(藤原注・千五百万円)。石油を掘り当てると、ポンプジャックやパイプ、タンクなど付属施設に十万ドル。油価の暴落前は一日十バーレル以上出れば、二年で投下資本を回収でき、それ以降はもうかった、という。油価が半値に下落すると、それだけもうけが出るのが遅くなる。
 何基の掘削ヤグラが稼動しているかで、米国南部の景気動向は分かる。四月初めに千基を割り、史上最低に減った。少し前は千三百基以上だった。それでも、これから掘り出すオイルマンもいる。
 「地質学者として、オイルマンとして、油の本場テキサスで掘るのが人生の夢だった」という日本人、藤原肇さん(四八)も、その一人だ。
 藤原さんは埼玉大卒後、ニッポン脱出、仏グルノーブル大で構造地質学を専攻。カナダ石油産業の主都カルガリで、多国籍企業の石油開発部門で経験を積み独立。いまは米国カンザス州ウイチタ市を本拠に、石油探査やコンサルタントをしている理学博士のユニークな人物。「石油飢餓」「日本不沈の条件」といった資源関係、国際関係論で警世の書を日本で数多く出版してもいる。
 「カンザスで七十本ほど油井を掘り当てた。いまは八%余の株主ですがね。損はしていない。真の起業家精神の持ち主なら、いまが掘るチャンスだ。なにしろ、石油掘削業者は、仕事が減っているから、最盛時の半値の工賃で掘れる。付属施設も、資材置き場に、ごろごろと眠っているから安い。油価は、いつまでも下がるものではない。掘り当てておけば、もうかる」
 「メジャ−(大手)は施設や会社運営にカネがかかるので、米国内で人員整理や油井閉鎖をして、手っ取り早い輸入原油でかせぐ。一日数バーレルしか出ないストリッパ−(零細)は採算割れで休止。そこで、インデペンデントに活躍の場ができる。独立独歩の起業家魂だ。テキサスの伝統でもある」
 日本から、藤原さんの掘り当て率の高さを伝え聞いて、指南を求めてきたケースもある。
 「日本の石油元売り会社や、政府機関は、米国の業者に相乗りで、資源開発もやっているが、海外経験豊かな自前の地質専門家がいないから、大きな成功ができない。原油価格が底値の時こそ、強い円を活用して、自前で掘るべきなのだが」
 高等遊民と自称する藤原さんの日本評だ。

 十六年前を振りかえって、藤原氏はこう語っている。

(談) もし(藤原氏の記事が掲載される)その前に日本人がアメリカで石油会社を経営していたならば、日本の新聞社は当然嗅ぎ付けてそれを取材してるはずですが、そんなことはなかった。落合のオの字も登場したことはありません。だから落合がオイルマンを自称しているとすれば、それは彼の願望であって真の姿じゃありませんね。

 落合の嘘つきぶりを見きわめ、落合信彦オイルマン伝説にとどめの一撃、棺に最後のくぎを打ち込む人物として、自らオイル・ビジネスを手がけたこともある藤原肇氏をおいては、他の人物を奥菜秀次は知らない。

 『落合信彦最後の真実』の続編執筆にあたり、私は藤原氏とのコンタクトを試みた。昨年、藤原氏が来日した時に人を介して氏を紹介してもらい、私は落合との過去のいきさつを説明した。その後、藤原氏と書簡のやり取りをし、本書第三章の原稿を氏に読んでいただいたり、資料の提供を受けた。
 以下の藤原氏の話は、氏の著書やいただいた書簡、氏が来日した時の読者たちの会を始め、国際電話でのやりとりを基にしたものである。


ファースト・コンタクトは激烈に

 私は、氏と初めて会う前に、間を取り持ってくれた方に――この方には多大な感謝をするが――私が過去落合の暴露本を書いたことを伝えた。藤原氏は最初にお目にかかった時から、落合の話をかなり詳しく語ってくれた。今思い出しても、落合信彦のオイルビジネス話について、氏と交わした話はかなり単刀直入なものだった。
 私が「誰から聞いたかは明らかにできませんが、以前から藤原さんが落合のオイルマンの経歴を否定していたと聞いたので……」と言いかけたら「ああ、落合のホラ話に関しては、あっちこっちで喋ったから、どこで言ったかは覚えていないが、落合がオイルマンのはずがないよ。もし彼が油に関係していたとしたら、ガマの油じゃないかな。アメリカじゃ蛇の油(スネークオイル)と言うけどね」と笑っていた。

奥菜 落合の開発したっていうナイジェリアの巨大油田の売買記録がイギリスのBP(石油会社)のファイルにあるかどうか調べれば、落合の嘘の物的証拠が出せると思うんですよ。
藤原 「売買記録」を調べようなんて、やってもいないことの記録を調べるわけ?大体落合はオイルビジネスなんかやってないのに、わざわざ調べるのは時間のムダですよ。
奥菜 うーん。オイルマンの藤原さんなら落合の話が嘘とわかるでしょうが、一般読者相手だと物的証拠を出さなきゃならないんですよ。
藤原 落合がオイルの仕事をやってないことは彼の本を読めばわかるじゃない。大体、当てたという油田名や鉱区名が、なんで(本の中に)全然出てこないかと言えば、そんな油田がないからだよ。
奥菜 まあそうなんでしょうねえ。
 氏は私が持参したカセットテープレコーダーを指して「そのテープ、回ってんの?」と私に問い、「藤原が言ってたとはっきり書いといてくれ」との要請さえしてくれた。
 今、自分の調べた落合オイル話の嘘を回想し、この原稿を校正しながら考えると、藤原博士が本気になって落合のペテンを暴露する気になったのには理由があった。小説家としてフィクションを書いて稼いでいた落合が、そのうちハッタリが嘘になっただけでなく、大家気取りで嘘を本当だと主張しはじめた、その厚顔な不正直さに対して怒りの気持ちを抱いたからだと思う。


藤原博士、落合ノン・フィクションのフィクションぶりをかく語りき
奥菜秀次、落合ノン・フィクションのフィクションぶりを博士に問う

 藤原氏は、氏のファンから「落合が石油ビジネスですごいことをやったと書いた本があるから、これを飛行機の中で読んで、もしもつまらなかったら捨ててください」と、落合の著書をプレゼントされた。それが、例の「ノン・フィクション・ノベル」の『ただ栄光のためでなく』だった。
 氏はこの本を飛行機の中で退屈しのぎに読み、あまりのデタラメさに仰天したという。

(談) まあ読んでみたらインチキ極まりないって言うか、まったく用語の使い方から概念まで、すべてが子供騙しの作品だった。私は本を読む時には必ず線を引っ張ったり書き込みをする癖があるんだが、特にこの本にはいっぱい書き込みがある。何しろひどくて、読むに耐えなかった。「荒唐無稽だ」とか「猿飛左助の講談並だ」とか、本の余白がそんな調子のコメントだらけになった。

 ちなみに、落合はこの作品をたいそう誇りにしており、『月刊プレイボーイ』上で行われた、米アクション作家のケン・フォレットとの対談「男のアドベンチャーはこう書け!」ではこう発言していたのだが(注・Oは落合、Fはケン・フォレット)。

F ところで初めての長編小説を書き終えたんだってね。
O そうなんだ。オレにとってはあんたの初めてのドキュメントに匹敵するぐらいの挑戦だった。そしてやはり同じことを逆の意味で感じたね。ドキュメントの方がよほど楽だって。
F (笑)
O だけとまたドキュメントを書き出すとやはり小説の方が楽という気になるかもしれない。
F その通りだよ。今、私は新しい小説を書いてるんだが、いかに創り出すことがむずかしいかをひしひしと思い知らされている。今現在やつてることが最もタフと感じてしまうものなんだな。ところで、君の長編小説のタイトルは?
O ちょっと長いんだけと、“ノット・オンリー・フォー・ザ・グローリー”(ただ栄光のためではなく)というんだ。
F いいタイトルじゃないか。テーマは?
O かつて第一次石油危機の時、アメリカの第六艦隊の油が完全に切れてしまったことがあった。これは史実なんだ。これをバックにした話なんだが主人公はもちろん日本人でオイルマン。(中略)ストーリーそのものはーカ月たらずで終わるんだが、フラッシュバックを入れてあるから第二次大戦終了時から石油危機までの約30年間が描れているんだ。
F なかなか壮大なスケールだね。ぜひ読んでみたいな、英訳の可能性は?
O さあ、どうかな、日本語を実際に訳すには時間がかかりすぎるからな。
(『月刊プレイボ−イ』八四年二月号 P164)

 同書単行本のオビの惹句は次の通り。

 信じるものに自らを賭けた男たちの記念碑!
 世界中のオイル・マンから“ザ・ギャンブラー”と恐れられた一人の日本人――。終戦から石油危機そしてアメリカ第六艦隊絶体絶命のピンチを頂点に熾烈な男の世界が展開。かつてないスケールで描く国際ノンフィクション・ノベル。
 初の書き下し長編小説

 藤原氏は、元オイルマンを自称する人物の自らの経験を元にして書いた小説『ただ栄光のためでなく』を読んだ限りでの印象だがと言って、落合のデタラメぶりを暴いてくれた。以降しばらくは、この本や他の落合本のオイル描写と藤原氏の意見、私の解説を交互に紹介する。

 この小説の主人公、佐伯剛は恩人を救うため、ラス・ベガスのギャンブルで金を稼いでいた。佐伯は一万ドル以上の勝ちをおさめ、その光景を目撃していたオイル会社の社長に「お前は生まれながらのギャンブラーだ」「カジノなんかでは味わえないようなすごいバクチを教えてやるぜ」と見初められ、オイル業界に誘われる。
 この作中では繰り返し、オイルビジネスはバクチであるかのようなセリフが出てくる。
 「石油というものはバクチですよ」(P 146)「丁と出るか半と出るかやってみよう」(P 150)「石油はあくまでギャンブルなんだ。この真実を忘れたらオイル・マンは失格だ」(P 181)
 もともと落合は「元オイルマンのジャーナリスト」としてデビューした時から、オイルビジネスを「地上最大の丁半バクチ」と表現していた。本書第三章前半で、その発言の多くは紹介した。落合のような素人上がりの人物でも、バクチの才能があればオイルマンになれるという言外の意味があるのだろうか。
 が、藤原氏は著書で、オイル業界に関してこう説明している。

 素人考えだと石油ビジネスは投機的であり、一山当てることを狙う危険度の高いものだと考え、俗に、一発当たるとたちまち大金持ちになり、使い切れないほどの大金に押し潰されかねないという、夢物語のイメージが横行しています。確かに、大金持ちの筆頭には石油成金が目白押しで、その話を否定することはできません。しかし、それはジェームス・ディーンが演じた『ジャイアンツ』とか、主演のスーザン・ヘイワードが石油熱にとりつかれた、映画『タルサ』の世界での話であり、十九世紀末から二十世紀の半ばまでのことです。
 (『地球発想の新時代』P 88)

 これまで落合が語ってきたオイル業界の世界観とは、趣を異にするような藤原氏の話だが、ここで氏の語りも聞いてみよう。

(談) この本を見ると、「石油はバクチ」だなんて書いてあるわけです。これは日本の通産省の役人と同じような口調であり、石油の本質がわかんない連中は「石油はバクチだから、当たらなくて当たり前だ」とか、そういう実にお粗末なことを口にするのです。
 石油開発はそんないい加減なものじゃなくて、地質学というサイエンスの先端をいく部門とエンジニアリングを動員した、二〇世紀における科学と技術の最先端を使っているので、二流の国は追いつけないわけです。アメリカと英国が大体のソフトウェアを完全にコントロールしてるし、その次にオランダとフランスが強くて、この四カ国が世界の石油ビジネスを支配しています。ドイツや日本はサイエンスのレベルで非常に遅れていて、ハードウェアしかわからないから。同じエンジニアリングでも日本とドイツは物を作るハードエンジニアリングは強いが、ソフトエンジニアリングでは弱いわけです。しかも、エンジニアリングは単なるサイエンスの応用に過ぎなくて、いかに能率が高いかだけが決め手だから、サイエンスがない国はどうしても石油開発ができない。
 だから、そういうバックグラウンドを持っていない落合さんが「石油はバクチだ」って言うのは実に滑稽であり、ちょうど木っ端役人の連中が「バクチだ」って言ってるのと同じ発想で、こういう人たちが「バクチだ、バクチだ」と騒ぎ立てたら本当に困ると、私としては迷惑にさえ思っているわけです。
 何を血迷っているのか知らないけど、「丁か半か出るかやってみよう」と寝ぼけたことを言っているのは“落合石油”だけであって、他のまともな石油会社はそんな発想ではやっていません。

 氏曰く、落合の持つオイル業界の世界観自体が、実際のオイル業界とは異なるペテン師の世界だというのだ。氏は私に「落合のオイル話は裏庭でポチがほえたから、掘ってみたら石油が出てきた式の、“花咲かジイサン”とか“わらしべ長者”に擬したオトギ話だね」と笑っていた。
 この小説『ただ栄光のためでなく』はオイル業界が舞台になっているので、専門用語や石油開発用の器具名がふんだんに出てくる。

 「しかし、そう簡単にいくものじゃない。ドリリング・リグひとつとってみても、今はメジャーから安く借りて使えるが、(後略)」
 (『ただ栄光のためでなく』P 137)

 ここで言う「ドリリング・リグ」とは、石油の掘削機で、平たく言うと穴を掘る機械のことだ。『石油用語辞典』(石油開発公団編、七四年)では、こう説明されている。

 リグ rig 掘削機をさすが、厳密には掘削装置またはワークオーバ−装置の櫓、ドローワークスその他の地表にある付属した装置類をいう。
 (『石油用語辞典』P 357)

 落合の認識では、この器具は大手石油会社から安く借りられるらしい。
 藤原氏の著書にも「リグ」の説明がある。

 ボーリング会社の商売道具のリグと呼ばれる掘削機は、できあいの物を買ってくるのではなく、目的にあわせて部品を発注して、自分たちで電気屋とか溶接工を監督しながら、徐々に組み立てて完成品に仕上げるのです。そこで、工事も掘削の仕事も任せうる現場監督を見つけないと、事業化に踏み切る目安が立ちません。しかも、経験豊かな現場監督を他の会社から引き抜く必要と、リグの所有権の一部と利益分配を提供するのが、アメリカでの慣行になっています。
 (『地球発想の新時代』P 83)

 何だか、落合の小説の作中人物、新進のオイル会社の社長フェインシュタインの感覚とはずいぶん違うものだ。藤原氏の語りを聞いてみよう。

(談) 何を勘違いしたのか知らないけど、彼の本の中で「ドリリング・リグひとつとってみても、今はメジャーから安く借りて使えるが」って、こんなでまかせを書いているわけですよ。
 我々が石油会社として井戸を掘る場合には、どこのボーリング会社がどれぐらいの値段で、どれだけの深さの能力を持ってるかとか、この掘削機なら計画の深さまで掘るのに深さ一メートルあたりいくらという見積もりを何社にも出させて、試掘費として正当な価格を評価した上で、請け負わせてるんでね。
 石油開発に必要な手順も無視しているし、要するに落合は石油ビジネスのイロハがわかっていない。

 小説の中では、佐伯が所属する会社プログレス・オイル社がエクアドル進出をした時、現地での石油調査に関して、佐伯と社長がこんな話をする。

 「サンチェスからオッケーの返事が来次第、私はエクアドルに行きます。政府と早いとこ契約しといた方が無難ですからね。そして出来るだけ早くドリリングを開始します」  
 「しかし、その前にサーヴェイ(地質調査)をせねばならんな。それには時間がかかる」
 「その必要はないんです。調査はすでにニーダーマンが十年もやってるんですからね。やるとすればサイズミック・スタディ(地震調査)でしょうが、これはダイナマイト五、六本埋め込めば十分です」
 「よしわかった。今この時点からお前はエクアドルの問題すべての責任者だ。(後略)」
 (同 P141)

 藤原氏によると、ここでの佐伯のセリフ「やるとすればサイズミック・スタディでしょうが、これはダイナマイト五、六本埋め込めば十分です」が、まったくのマンガ的でたらめだという。
 藤原氏の解説の前に、オイル業界の専門用語である「サイズミック・スタディ」を説明しておこう。
 これは「地震探査」とも呼ばれ、地表近くで火薬爆発などを起こし、地中への振動の伝わり方、地表への反射を地表に設置した電磁地震計で記録し、その波形をコンピューター解析し、油層の有無を探査する方法だ。記録されたデータには雑音も混じっているので、有用なデータのみを抽出する。
 『石油用語辞典』では、「地震探査」の難解さをこう説明していた。

 地震探査は現場の測定技術もデータ処理も大がかりな人員設備を必要とし、また附帯的な技術が少なくないので、現在では主として専門の請負業者が実施している。
 (『石油用語辞典』P 166〜P 167)

 『石油用語辞典』には地下深部を調査する際の地震探査、「反射法」が図入りで説明されている。ここにその図を再現しておく(図2)。



図2 「地震調査」の図解



 佐伯剛とフェインシュタイン社長の「ダイナマイト五、六本埋め込めば十分」「よしわかった。今この時点からお前はエクアドルの問題すべての責任者だ」というこのやり取りは、現場では測定車と作孔機と受振機を使い、データ解析にコンピューターを使う複雑な地下地質構造調査を表現するには、確かにアバウトを通り越してでたらめという印象を受ける。しかも、オイルビジネスの基礎がわからない佐伯のトンマな発言を聞いてフェインシュタイン社長は激怒するどころか「お前を責任者にする」と答えるのだから。
 藤原氏によると

(談) どうして素人を騙したいのかは知らないけど、地震探査話でも「ダイナマイト五、六本埋め込めば十分です」と、これはテロリストをやるようなお粗末な発想であり、地震探査は一定の区間に穴を掘ってダイナマイトを爆発させるか、あるいは振動するトラックでバイブレーションを起こして、返ってくる地震波をいろんな地点で測定して、それをコンピューターで解析するんです。結構カネはかかるし、大変な仕事なんでそう簡単にできるわけじゃないんだけれど。それをいたっていい加減に書いているのが落合です。

 この小説では、石油開発をするのに、佐伯の会社プログレス・オイルが単独でいくか大手の下請けでいくか、激しい議論が交わされるシーンが随所に出てくる。
 佐伯は役員会でこう豪語する。

 今のように下請け開発ばかりではメジャーのおこぼれにしかあずかれない。彼らの慈悲にすがりついて生きてるようなものです。利益面でのデメリットもさることながら、オイルマンを夢みてこの会社に入ってきた若い社員達に与えている精神的ダメージは決して小さくない。やる気は無気力に変り、誇りはへつらいに変ってしまっています。われわれ自身で油田を捜し、それをわれわれの力で開発すること。これこそわが社が現在直面している諸問題を解くカギだと思います。
 (『ただ栄光のためでなく』P 137)

 われわれオイル業界の素人が聞くと、起業家精神に溢れたセリフと思えるが、実際に石油開発をした藤原氏によるとー

(談) 石油開発の場合は、一本石油の井戸を掘る前に地質調査をしたり地震探査をするので、そういう調査に金がかかる。次に、一本の井戸を掘る場合一〇〇〇メートルと二〇〇〇メートルでは深さが二倍しか違わないが、掘る費用は十倍から五十倍も違うわけだ。だから、浅い井戸になれば非常に安いけれども、深くなると天文学的な数字になるので、一つの会社だけで石油の井戸を掘ることはあり得ない。鉱区を持っている会社が金をかけていろいろと調べて、ここを掘るという場所を決定すると、成功の確率が大体二〇パーセントだとか一八パーセントだとかリスク計算をして、今度は(井戸を掘る)仲間にならないかと他の石油会社に呼びかけるわけです。こういう条件で一メートル掘るのにいくらで鉱区料がいくらだから、一パーセント参加するのにいくらだという値段を出して、興味がある会社にはいろいろデータを見せたりするのです。そのデータを見て評価した上で投資効果で計算し、何パーセントの利権を手に入れるか(Farm in)を決めるのであり、私は十何年間そうやってきたのです。
 例えば、一〇パーセントとか一二.五パーセントの権利を取るのに、この一本の井戸に関して七十五万ドル費用を払わなきゃならない、一体これだけ投資するのにどれだけの危険があるか、ということを会社の年次計画の枠組みの中でリスク計算して、投資をするかしないかを決定するわけで。一社でもって一本の石油を掘るなんてバカな話はありません。石油ビジネスはリスクはあるけど、リスクをいかに分散するかが基本ノウハウであり、一本の井戸に大体十社ほどが参加している。それが落合の話だと一社が一〇〇パーセントの危険を負担して自主開発をするのだから、石油開発のイロハも全然わかってないわけです。
 それに自社開発か下請け開発かなんて書いてあるが、用語がまったくわかってないからデタラメな使い方をしている。
 昔から詐欺師の世界でよく言う言葉に、「騙すのは悪いが騙されるのはもっと悪い大バカ者だ」というものがあるが、カネを払って小説を買ったうえで騙されているんじゃ、読者も救いようがない。

 藤原氏は、『ただ栄光のためでなく』に登場するプログレス・オイル社の会社構造を見て仰天したという。一見もっともらしく見えるが、通常オイル会社は探査(開発)が主体であとはそのサポートなのに、落合の作中の会社はまるで商社のパターンでしかないというのだ。

 社には開発、調査、販売、経理、総務の五つの部門がある。それぞれの部門の長が部長であると同時に取締役の肩書きを持っている。
 (『ただ栄光のためでなく』P 143)
 作中の佐伯剛のセリフによると、開発部の仕事は「鉱区の権益獲得」、「調査部」は「地質調査、フィーズィビリティ・スタディ」だという。
 が、藤原氏によると、

(談) それからもう一つ僕が驚いたのは、「わが社の調査部」なんて書いていること。「エクスプロレーション」は日本語に訳すと「探査」とか「開発」あるいは「探鉱」になるわけです。私は開発って言葉が好きだが、「探査」と書いたほうがより正確であり、落合の場合はそれを「調査部」と書いている。「調査部」なんて言葉遣いは商社のレベルであり、石油会社を持ったことがない人が、勝手に商社の発想で書いているんです。地質調査という言葉があるから「調査」が出てきたのだろうけど。鉱区の権益の獲得はスカウティング部がやり、それを担当するのは開発担当ジェオロジストの指示に基づいてランドマンがやることになっている。地質調査、物理探査は開発(探鉱)部がやるものなのに、落合はそれもわかっていない。

 藤原氏は、落合のオイルに関する無知ぶりをこう説明してくれた。

藤原 落合のオイル話は用語を全然知らないで書いているんだ。例えて言えば、医者が論文を書く時に「このノドチンコが」と連発するようなもの。まともな医者なら医学用語を知っていて、俗語を使うというのはあまりないはずだよ。
奥菜 確か、「口蓋錘(こうがいすい)」って言います。
藤原 そうでしょう?
奥菜 でも、われわれ素人読者にはどうでもいと思ってそう書いたって可能性はどうでしょうか。
藤原 別の例で言えば、宗教をやっている人が「牧師」と「神父」の区別がつかないようなもんだ。牧師はプロテスタントで神父ならカトリック。もっとわかりやすい例では――鹿砦社から出る私の本『夜明け前の朝日』の第三章に書いたが――、日本人なら神社は神主でお寺は和尚とか住職だと誰でも知っている。だが、日本通ぶるアメリカ人が「出雲大杜の和尚」と言ったりする。それが日本の落合信彦で、彼はカタカナで知ったかぶりを書くと私の本に紹介してあるから読んでごらん。石油をやっている人は「調査部」なんて書かないから、この一語で落合の無知がわかってしまう。

 落合は『BIG TOMORROW』二〇〇一年六月号では、自分の会社の「開発部」の仕事は「世界中にある油田をいろんな角度から分析し、『今度はこことここを掘って、次は……』と計画を立てるとともに予算まではじき出さないといけないだけに、膨大な情報が必要とされた」(P 125-P 126)と前言を翻し、事実に近いことを書いていた。やはり「ロサンゼルスの屈辱」(後述)が効いて、偽オイルマンもかなり勉強したのだろう。
 作中、“ザ・スメラー”と呼ばれる人物で、地形からオイルの有無を嗅ぎわけるというハンス・ニーダーマンが、自分が発見した油田の採掘準備にとセメントを買うシーンがある。

 「どこかへ行って来たのか」
 「ちょっとボルトビエホの町までな。セメントを買って来たんだ。田舎町というのは不便きわまりないな。わずかなセメントを買うにも二時間も捜しまわったよ」
 「セメントを何に使うんだ」
 「リグを固定させるためさ。油が噴出する勢いでリグが吹っ飛ぶからな」
 佐伯が笑い出した。リグを吹っ飛ばすほどの勢いで噴出する油田などそうざらにない。もしそうなったら間違いなくジャイアントだ。このことをビリーが聞いたらなんと言うだろうか。彼は出るか出ないか心配しているのに、ニーダーマンは巨大油田の噴出でリグが吹っ飛ぶのを心配しているのだ。
 (『ただ栄光のためでなく』P 169)

 作中人物のニーダーマンの自信のほどがうかがえるシーンだが、藤原氏によると――

(談) セメントを買う話でも、セメントを買うのに「何に使うんだ」って言ったら「リグを固定させるためさ、油が噴出する勢いでリグが吹っ飛ぶからな」と書いているわけです。
 セメントは、セメンティングのために使います。まず石油掘削してから地層の性質テストをしなきゃいけないのですが、テストをする前に、穴の底からケ−シング(鉄管)の外側と地層を密着させるために一度セメントで固定するんです。次にケーシングをダイナマイト銃で穴を開けて、電気伝導や孔隙率などのテストってのをやるわけですね。このテスト結果によってどれだけ埋蔵量があるかわかるし、「この井戸はエコノミカルでないから捨てよう」という具合。つまり、石油生産に入る前のもっとも大事なプロセスのためにセメントで固めるんです。ところがこのセメントでリグを固定するなんて、落合はまったくバカげていて、どうしようもないことを書いている。

 既に何度か紹介し、私自身も検証したが、落合のナイジェリアでの鉱区購入のエピソードを、氏はこう評した。

(談) もうこの落合の本は僕の書き込みばかりですよ。「こんなバカな」とか、「桁が一つ違う」とかね。例えば「ナイジェリアのオファーが二百万ドル」とか「二十万ドルが相場であるから云々」「百万ドルがどうのこうの」、ごたごた書いてあるが、すべて桁が狂っている。

 私は藤原氏に鉱区購入の相場について、再度聞いてみた。

(談) 相場はあってないようなもので、普通は入札によって決まるから、入札が開票されてみない限りは、いくらが最高かはわからない。また、落合に対して役人が価格を言ったとあるが、これは袖の下ともいえる裏取引のことで(著者注・落合は自分の実体験でもそうだったと再三書いていた)、ワイロは油田の価格ではないし、まともな石油会社はこんな取引はしない。落合がバタ屋稼業をするのは自由だとは言え、こんなことで石油産業のイメージを狂わされたのでは、まったく迷惑この上ない。

 ここでの藤原氏の解説は、ナイジェリア政府が鉱区入札の最高値を落合に教えたという話についてである。私が氏に聞いたとき、「鉱区をいくらで売るなんて、言うわけない。普通は入札なんだから」と答えてくれた。プロのオイルマンと偽オイルマンとの見識の差はかように大きいのである。
 落合のヘリのエピソード(本書 P 137)に関しては、

(談) 「ナイジェリアでヘリで現地視察してみてジャイアンツだとわかった」。何というおぞましいやり方だと言うしかないが、こんなことで石油があるかないかわかるわけない。ヘリコプターに乗ってわかるぐらいだったら、その前にBPやシェルがみんな見つけてるはず。

 私はこの件に関して、氏に電話で再度問い合わせてみた。

奥菜 でも、落合はあとでこの嘘だらけ小説を実体験にして、連載で書いたりインタビューで話したりしていましたよ。
藤原 ああ、あなたの原稿にあった話だね。ヘリコプターで酔っ払いの男と鉱区上空を飛んだっていう話は、僕らオイルマンから見たら一発で嘘とわかる話だし、そんなヨタ話をいちいち検証しても時間のムダですよ。
奥菜 うーん。
藤原 僕もヘリに乗って鉱区上空を飛んだことはあるし、そういうのをルコネッサンス(偵察)というが、ヘリに乗ってあんな左右に振れるなか、一〇〇メートル以上も上空から地下二〇〇〇メートルの油層の有無がわかるわけないよ。
奥菜 そうでしょうねえ。
藤原 ヘリの偵察でわかるのは石炭があるかどうかくらいで石炭は地表に黒々と現われているから、私もヘリで油層地帯を飛んだことは何百回もあるが、石油の場合は地下の状況なんてわからない。最終的には地上に降り立って、岩石や地層を調べてみることだよ。
奥菜 ああ、確かに、BPの写真集とか見ると、地表の岩石を砕いて調べているところが載ってましたよ。
藤原 そうだろ。
奥菜 あと、落合はナイジェリアでは一〇〇メート ルも掘らないで石油が出てきたって言ってましたよ。
藤原 えっ?あの国で一〇〇メートルだって、少なくとも二〇〇〇メートルは掘らなきゃだめなはずだよ。
奥菜 最低で、一八〇〇メートルぐらいです。
藤原 そりゃ、ポール・ゲティ(アメリカのオイルマン、大富豪)の最初の自叙伝に書いてあったことだな。昔、ポール・ゲティが若い頃オクラホマで石油を発見したという物語を読んで、それを落合がネタに使ったらしい。あの辺じゃ、「石油が出ます」と言って水しか出ない土地を売りつける詐欺話が横行したけど、その頃のオクラホマのタルサに近い北東部では、確かに一〇〇メートルも掘ったら(浅いところの)石油は出るんだよ。だが、問題はそれからだ。
奥菜 ああ、そういえば、落合は(デビューして)最初の頃、オクラホマの石油業者と一緒にオイルビジネスをやっていた、って言ってましたよ。案外、落合の頭の中じゃ、石油の眠る地層は万国共通だっていう概念があったのかもしれませんね。
藤原 「ゴーッと音がして」なんていうのはゲティの回顧録にあった話からとったんだろうね。

 ここで言う「ゲティの自伝にあった話からとった」というのは、氏が最初に話を聞かせてくれた時からの持論「落合のオイル話は、過去出たオイル本の寄せ集めだ」という説による。氏は落合の作品内に出てくる、オイルを当てたシーンの“元ネタ”をこう推測していた。

(談) 落合は『ジャイアンツ』とか『タルサ』などの映画を何べんも見たんだろうな。オクラホマ州のノタ郡やワシントン郡は詐欺師の天国と呼ばれ、一〇〇メートルぐらい掘れば石油は確実に出るが、一ヶ月か二ヶ月で水ばかりになる。発見の成功率は高いが、投資したカネはすってしまうんだ。
 ポール・ゲティはいくつも伝記書いてるけど、最初の伝記ではオクラホマで石油を掘る現場を書いていて、どうも落合はその伝記を読んで、情景をそのまま写したんじゃないかな。「かすかな地鳴が感じられた」後で「まもなく黒い水が吹きあがって真っ黒に染めた」と書いてある。
 ポール・ゲティが十代の後半、オヤジと一緒にオクラホマに行って、タルサに近い所の情景を描いたのを読んで、そのまま石油発見の舞台背景に使っているんじゃないの。

 ゲティの書いた本のうち、『金持ちになるには』(原題『HOW TO BE RICH』)にはオクラホマのオイル先駆者が「オイルを当てるのは運じゃない、三〇〇〇フィートの地中に石油があるかどうかを嗅ぎ分ける鼻がいるんだ」(P 6)と力説するセリフが紹介されたり、ゲティが「生涯忘れられない瞬間」と回想するオイル掘り当てのシーンでは、原油が吹き出してきて熱いシャワーのようだったと描写している(P 1O)。
 何だか、どこかの本で読んだようなシーンだ。
 作中、佐伯と社員の間で新鉱区奪取方法を巡って激論するシーンでは、過去の鉱区入手に関して佐伯がこう説明している。
 「(前略)それにメジャーや他のインデペンデントは今あんたが言ったような条件でくるにきまっている。もしオレ達が奴らと同じ条件で行ったら、せり合いになる。せり合いになったら必ず負ける。それはすでに北海とノース・スロープでの敗退が証明している。だから競争入札で一発で奴らの息の根を止めなきゃならん」
 (『ただ栄光のためでなく』P 366)

 これも藤原氏によると――

(談) 北海にしてもノース・スロープにしても、競争入札だったのに、まるでオークションをしているような書き方してる。これもまったくひどい、当時の状況も何もわかってない。

 氏は『ただ栄光のためでなく』を最後にこう評した。

(談) それから、落合は「ワイルドキャッター」とか「サイズミックスタディー」とかいろんなカタカナ言葉を使っているから、素人はみんな騙されてしまうけれども。彼が石油開発のイロハもわかってないのは明白で、彼のくだらない『ただ栄光のためでなく』は彼にとって売れっ子になるための手品箱みたいなものだ。
 まったく馬鹿馬鹿しくて読むに耐えなくて、僕はこの本を捨てちまおうかと思ったけど、せっかくいっぱい書き込んであるから捨てないで持って帰ってきたんだ。あなたから会いたいっていう連絡があったから、ちょっと目を通し直してみたけど。落合のインチキのひどさは名人芸だ。
 これで若い人たちが騙されても、これはエンターテイメントだから仕方がないが、石油ビジネスに触れたこともない人間が勝手気ままにでっち上げたのに騙されてナイジェリアにでも出かけたら、罪作りだね。

 落合の作品世界では『ニューヨーク・タイムズ』に取り上げられるほど有能で、世界のメジャーオイル会社にさえ恐れられるという佐伯剛。作中のタイムズ記事内では彼をこう紹介していた。

 一撰千金の夢未だ消えず
 読者の大部分はプログレス・オイル・カンパニーという会社の名を聞いたことがないであろう。しかし、現在アメリカ石油業界はこの会社の話でもちきりである。その理由は同社が最近南米エクアドルで大油田の開発に成功したからだ。この成功によって同社はその名の通り大きなプログレスに向って確実に動き始めた。
 同社の社長デヴィッド・フェインシュタインは今アメリカで最も鼻息の荒い男と言えよう。彼は言う。「これでメジャーだけが石油会社でないことがわかったろう。石油はあくまでギャンブルなんだ。この真実を忘れたらオイルマンは失格だ。私も含めてうちには名ギャンブラーがそろっている」彼の言う名ギャンブラーの一人が今回の成功の立役者となったゴウ・サエキである。まだ二十三歳の若者だが、この成功によって彼は同社の副社長に昇進した。まだキャンパスの臭いが抜けないような若者が、資本金五十万ドルの会社の副社長に抜擢されるのは異例中の異例と言える。しかし、考えてみれば舞台は生きるも死ぬも腕次第のオイル業界である。かの大スタンダード・トラストを形成したジョン・D・ロックフェラー一世がオイルに初めて手をつけたのは二十一歳の時であり、アンリ・デタディングがロイヤル・ダッチを作ったのが二十二歳の時だった。これらを考えればサエキの副社長就任はごく当り前のことかもしれない。
 最後にサエキに、今回の開発はメジャーに対する挑戦と見る向きもあるが、と水を向けると、彼はそのハンサムな顔に笑いを浮べて語った。「日本にはヘビににらまれたカエルということわざがある。われわれとメジャーの関係はまさにそれなんだ。われわれはカエルであり、メジャーはヘビ、それも単なるヘビではなく必殺の技を持つ毒ヘビだよ。そのメジャーに挑戦するなんてあまりにおこがましすぎる」
 とは言いながらも、彼の笑いの裏には不可思議な自信が読みとれる。その笑いはあたかも「メジャーが毒ヘビならオレはマングースだ」と言っているようにも受けとれるのである。
 (『ただ栄光のためでなく』P 181〜P 182より編集)

 落合の作品世界内では、デタラメなセリフを言うオイルに無知な日本人が、メジャーに対抗できる名オイルマンとして『ニューヨーク・タイムズ』相手に大威張りできるわけだ。


落合信彦、『オイルマン伝説」の失敗 ――応用から入った嘘話

 それにしても、落合の「オイルマン伝説」はどうしてこんなに出来の悪い稚拙な嘘だったのだろうか?嘘をつく時になぜもう少し工夫をしなかったのだろうか。
 むろん、その理由は落合さんに聞かないとわからない。聞いても答えてはくれないだろう。だから、私が想像するしかないのだが、当たっていなかったら落合さんに申し訳ないので、落合さんにはぜひとも本当のことを語ってほしいと思う。
 落合の「オイルマン伝説」は三つのパターンから形成されていた。
 (1) オイルメジャーと産油国との関係などの高度な政治話。
 (2) オイルマンが日常どんな仕事をするかという、専門的な話。
 (3) 産油国の油田のある現場の実情、その国の年間オイル産出量、油層の存在する深度、油層地帯の地理、その国のオイル採掘の歴史等の基本的な話。
 このうち、(1)に類する話、『石油戦争』に代表されるものは読んでみても、うさん臭さは感じない。(2)の『ただ栄光のためでなく』類は私みたいなオイルの素人は騙せるが、藤原氏のようなプロは騙せない。が、嘘としてはまあまあの出来だ。『アメリカよ!』や『狼たちへの伝言』などに見られた(3)に類する話は子供騙しの出来だった。
 つまり、落合信彦という人物の持っているオイル関連の知識は、オイルの出る現場で採掘に関わっていた人物の持つレベルではない。「オイルの素人が本を読んでオイルマンになりすましている」という藤原氏の指摘はずばりそのものだと思うのだが、問題なのは落合がオイルマンならぬ「オイルマンだった男」になろうとした際に、何をしたか、だ。
 落合がオイル関連で初めて書いた本は『誰も書かなかった安宅処分』(七八年)だった。この本の中で、落合はオイルメジャーの動き、世界を支配すると言われたロックフェラー家等の、同じオイル関連でも高度な政治話を展開した。同書の参考文献は『オイル・パワー』『セブン・シスターズ』などの、かなり専門的な本だった。藤原氏は落合のオイル話を過去に出たオイル話の寄せ集め」「オイルマンたちの書いた本を読んで、自分の実体験に模している」と評したが、落合が経歴詐称を思い立ち、その準備期間であった七七年末〜七八年中期までの間で、彼が『オイル・パワー』『セブン・シスターズ』を読んでいたことは事実だ。おそらく、オイルマンたちの書いた回顧録の類も“参考文献”としたことだろう。
 が、この時落合は、各国の年代別原油産出量、各国の油田採掘の細かい歴史、油田の現場が砂漠、沼地、山岳地帯等のいずれに存在するのかといった地理的分布区分、各産油国における油層地帯の深度別分布等のオイルの基礎中の基礎を学ばなかった。落合の読んだ『オイル・パワー』や『セブン・シスターズ』は半ば専門書≠ネので、基礎である産油国各国の詳細を書いてはいなかったのだ。アメリカの大学を卒業した三十六歳の男が、いまさら『各国要覧』『世界の産油国』といった基礎資料を読むのを面倒に思ったにしても、無理はないだろ
 落合は「オイルマン伝説」を創り出す際に、「応用」のみを学び「基礎」をないがしろにしたのだ。それが落合に、国全体で日産一万バーレルもない六〇年代のエクアドルで「日産十万バーレルのジャイアンツを当てた」とか、油層地帯が沼地で、油層の存在深度が二キロ近いところに存在するナイジェリアで「砂漠の中を、百メートル掘ったらジャイアンツだった」だの、原油の日産が五万バーレルで、隣国チリに石油パイプラインが伸びているボリビアで「隣国ペルーにパイプラインが伸びているボリビアで、日産八万バーレルの油田の契約を交わした」だの、海上油田を開発はしていたが本稼動状態でなかった七〇年代初期のガーナで「海上油田を当てて、エクソンに売った」等の、自らの手で経歴詐称を暴露するような発言をなさしめたのだ。
 そしてそれは、落合に「ロサンゼルスの屈辱」をもたらすこととなった。


落合信彦、生涯最大の恐怖の時
――集英社ロサンゼルス支局での「魔の刻」

 私が藤原氏に聞いた話の中で一番驚いたのが、氏が落合と面識があったという、これまでまったく未公開だった逸話だ。
 氏と落合が会った場所はどこあろう、集英社のロサンゼルス支局だった。
 落合にとって悪夢以外の何でもない出会いがあった理由は、集英社の西部海岸オフィスマネージャーで、ロサンゼルス事務所所長の奥山長春氏が、藤原氏の著作の以前からの愛読者であったからだ。
 八四年か八五年のある日、ロスヘ来た藤原氏が奥山氏に電話連絡したら、奥山氏のほうから「明日ちょっとお暇ですか、藤原さんにぜひ会わせたい人がいるから、明日朝ウチの事務所へ来てください」と、申し入れがあったという。
 氏の話を聞いてみよう。

(談) 奥山さんが「藤原さん、石油をやっていたオイルマンがウチの雑誌の取材でちょうど来ていますので、明日の午前中お見えになればどうですか。ぜひ藤原さんとお引き合わせしたいんです。きっと二人は話が合うでしょう」と言うので、僕はその日の十時過ぎに行ったわけです。
 落合は集英社のお抱えみたいにしていろんな本を出していたし、奥山さんは私がカンサスで石油を掘ってた頃から読者で、私がテキサスに進出して石油をやったということで、二人を会わせたかったんでしょうね。

 藤原氏は会う前から落合の名前は知っていたが、落合を小説家だと考え、あまり彼の本を読んでいなかった。

(談) その時僕は小説は作り事だと思っていたから、落合の本は一冊か二冊しか読んでなかったと思う。落合の小説は、読むに値することは何も書いてないし。私にとっては、高校生やサラリーマンレベルが読む小説を書いている売れっ子の作家という認識だった。一冊か二冊ケネディの暗殺についての本は読んだが――「二〇三九年の何とか」っての――、もう一、二冊何か読んでたかもしれない。
 落合の本はアメリカのミッキー・スピレーンと同じぐらいひどい。大藪春彦が真似してそのスタイルでハードボイルドを書いてたが、落合のはそこまで激しくはないけどね。まあ、私が飛行機の中で読み捨てにするアリステア・マクリーンの冒険小説をマネしていたが、とてもじゃないがフォーサイスやアレックス・ヘイリーのレベルには達していない。落合のは高校生向けの冒険小説に毛が生えたようなものだと思ってたんです。
 ――奥山氏の事務所で会ったのは背の低い男であり、それが落合でした。

 私はこの模様を藤原氏から直接にも聞いた。

奥菜 落合の第一印象はどんなものでした?
藤原 妙な男だったよ。
奥菜 は?
藤原 「なんで男のくせにハイヒールみたいなものを履いてるんだ」と思ったね。
奥菜  ……(失笑)。
藤原 遠くからでもはっきりそれとわかる厚底靴を履いていた。
奥菜 それは落合の知人の間では有名な話ですね。「板の間から畳の間に上がると背が縮む怪人」って言われてますよ。

 氏が落合に紹介される前に、落合と奥山氏は隣の部屋でこんな会話を交わしていたという。

(談) 入っていった時には誰もいないみたいで、何か奥のほうでゴチョゴチョ話をしていて、「金がないから八百ドル前貸してくれ」とか何か――八百ドルだったか千ドルだったか忘れたけど――、そんな借金の話が私の耳に入ってきたから驚いた。
 誰も出てこないので、「こんにちは、藤原ですが」と大声で言うと、話が一段落したらしく奥山さんが出てきて、後について来た落合を紹介して、「この落合さんが昔石油をやってたオイルマンの人です」なんて言ったわけです。何でオイルマンの人が八百ドルぐらいのポケットマネーを、「前貸ししてください」なんて雑誌社に頼んでいるのか不思議だと思った。石油やってる者は千ドルや二千ドルのポケットマネーはいつもポケットに持ってるし、クレジットカードは何枚もあるのに、何でそんな貧乏たらしいこと言ってるのかなというのが私の第一印象でしたね。

 私は直接この話を聞いた時、氏に落合の富豪ぶりを伝えた。

奥菜 落合はインタビューじゃ、オイルマン時代は月収三千六百万円だったとか、その後は二十億円貯金があったとか言ってましたけど。
藤原 へえ、驚いた。何で貯金が二十億円もある人が、出版社から八百ドル前借りする必要があるの?

 落合は後に、旅行する時は、現金を「日本円で100万円。それとドルで1万ドル」持っていくと語っていた。ドルのほうは情報の仕入代だそうである(『週刊宝石』八八年十一月四日号P 194)。この時の落合は、スパイたちへの情報の仕入代を持っていかなかったのだろうか。
 奥山氏はオフィスのソファヘ二人を案内して、「落合さんも石油をやってたそうだから、どうですか、二人で」とオイルビジネスについて語り合うことを熱心に勧めたが、「落合は借りてきた猫みたいで、石油のセの字も言わなかった」という。
 偽オイルマンの落合は、本物のオイルマンの藤原氏の前では、しゃちほこばっているだけでまともに口も聞けず、オイルのことをまったく口にできなかったのだ。
 この時落合は内心「日本にはヘビににらまれたカエルということわざがある。私と藤原氏の関係はまさにそれなんだ」とでも思ったのだろうか?

(談) 「私は藤原と申します」と落合に自己紹介しました。彼には全然石油の話なんかできないし、一生懸命逃げようとしてるのがよくわかったからね、かわいそうだし、「測隠の情」ということで、オイルから話題を変えてあげたわけです。
 私は自分より若い人には、できるだけ激励してあげて、活躍してほしいと思うタイプの男ですから、彼に「落合さんねえ、あんまりあなたの本読んでなくて失礼かもしれないが、あなたは文章が上手になってきたじゃない。だから、少し経済学の基礎でもきちんと勉強すれば、ポール・アードマンぐらいの作品書けるからね、もう少しその方面の本を読んでみたらどうですか」と、激励したつもりで言ったわけです。そうしたら、彼はぷうっとむくれてしばらくの間だけど沈黙が続きました。きっと自分は日本では大家だと持てはやされているので、気分を害したのでしょう。
 アードマンの本は『1979年の破局』という中東の石油戦争の話で非常におもしろかったから、落合を誉めてやったつもりだったんだけれど、彼はぷうっとむくれて口をきかないんだな。

 藤原さんはこの時の落合の表情を「何とも言えない困惑した顔をしていた」と表現した。落合はその後「五分ぐらい黙ったままだった」という。
 氏と落合のやり取りを見ていた奥山氏は、後になって嘆息し、おもしろい形容をしたという。

(談) 奥山さんも期待外れだったみたいでね。あれだけ集英社の作品の中では派手にやっているので、せっかく落合と僕を会わせたのに、「あまり話が進みませんでしたね」って笑っていた。そして、後で「落合さんが藤原さんの前では借りてきたネズミ≠ナしたなあ」って言うから、僕が「何でネズミよ、ネコ≠カゃないの」って聞いたら「だって、ネコよりもっとひどくて逃げまくっていた」って奥山さんが爆笑していたのが印象的でしたね。

 藤原氏が落合の『ただ栄光のためでなく』を手にし、そのデタラメぶりに憤慨したのは、これより数年後のことであった。
 氏は最後をこう締めくくってくれた。

(談) 落合を本物のオイルマンだと誤解している人がたくさんいて、落合の発言を、エコノミストとか評論家とかが新聞や雑誌に「石油問題に精通した落合信彦氏によると」などと引用しているのだから、お笑いです。
 それだけではなくて、もっとひどい公害を落合はばらまいています。それが一番ひどかったのは、落合が書いた外人部隊の本に感動して日本の若い人がフランスの外人部隊に志願し始めたというものです。落合をほったらかしておくと彼の嘘のために若い人が人生を狂わし、害悪の元凶になると思ってウソを暴く責任を感じました。

 藤原さんがここで言う「日本の若者が落合の本を読んで傭兵に志願した」という話は、落合の『傭兵部隊』(集英社、八二年・『週刊プレイボーイ』の連載をまとめたもの)という作品を読んで、実際に傭兵になる読者がいたということだ。
 落合はこの作品の中で、傭兵たちを徹底して格好よく描いていたから、それに感化される読者がいてもおかしくないのだが。
 しかし奇妙にも、落合は『狼たちへの伝言』の「酒を絶ち、女を絶ち、タバコを絶って100歳まで生きるバカよりは、戦いに生き、死んでいった男たちのほうがよほど輝いている!」の回で傭兵のフランク・キャンパーの生き方を絶賛したが、その次の回である「人を殺し、破壊以外に生み出すことのない傭兵に憧れるより、ビジネスマンとして耐えるほうがはるかに男らしい」では、傭兵に憧れる日本の若者をバカ呼ばわりし、こう書いた。

 最近、日本の若者たちの間で、外人部隊への傭兵志願者が増えていると聞くが、これは、実に悲しむべきことだ。
 9年前、オレは、外人部隊を取材した『傭兵部隊』という本を出した。もし、最近の日本の若い傭志願者たちが、オレの本を読んで、「ああ、かっこいい。行っちゃおう」と、非常に短絡的に考えて、傭兵に憧れているんだとしたら、それはとんでもない間違いだ。
 オレの本を普通のメンタリティーで読めばわかることだが、オレはそんなことはこれっぽっちも勧めていない。
 (『狼たちへの伝言(3)』P 76)

 確かに落合サンは「傭兵になれ」とは書いていないが、「酒を絶ち、女を絶ち、タバコを絶って100歳まで生きるバカよりは、戦いに生き、死んでいった男たちのほうがよほど輝いている!」って言ってんだけどね……。
 余談ながら、その『傭兵部隊』のハッタリぶりが米本和広氏の記事に出ていた。落合は誰でも金を出せば入れる傭兵訓練校を、独自のコネを使って入ったような書き方をしたり、訓練の模様を大げさに書いたりしていたのだ。ここでは訓練の模様における落合描写の嘘を暴いた部分を紹介しよう。

 書店の一角に、事件の背後にはユダヤ、フリーメーソンなどの陰謀団体がいるという陰謀史観による歴史書が並んでいる。この種の本の特徴は、書いてある事柄がほんとうかどうか読者が確かめる、つまり裏を取ることが難しい点にある。
 落合さんの本も、ほんとうかどうか確かめにくいものが多く、その点で陰謀本と共通したところがある。
 (中略)
 だが、事情を知った人がいれば、落合さんの本はとたんに色あせていく。
 『傭兵部隊』の裏側を知ることができたのは、本に出てくる傭兵学校に入学した日本人がいたからである。『USサバイバル・スクール』の著者・高橋和弘氏だ。同氏によって、落合さんが傭兵学校に入るまでの過程が誇張されたものであることを知った。
 その学校での体験話も随所で首を傾げるものが多い。本の一節と高橋氏の指摘を交互に列記しておく。
 「フランクは素早く手にしたAK-47をバラバラに解体した。そしてデイヴに十秒以内に組み立てるように命じた。十秒もしないうちにデイヴは終えていた」
 〈十秒で組み立てることはできません〉
 「この日の復習には二十メートル・コースが使われた。まずは最も手っ取り早いヘイスティ・ラペルである。ガケのテッペンから下の小川まで三秒のうちに降りることが要求される。隊員たちは皆慣れたものでスイスイと降りて行く」
 〈ヘイスティ・ラペルは両腕にロープをまきつけて降りる方法ですから、三秒だと確実に火傷をしてしまいます〉
 「彼らがこれだけうまくラペルするのも当然のことと言える。なぜなら訓練中はいつもフランクが下から小弾丸で体すれすれまで撃ち込むからだ。もたもたしていたら手や足にぶち込まれる。事実マイケルなどは昨年の訓練で手の甲にぶち込まれ今でもその傷が生々しく残っている」
 〈実弾を撃つことはありますが、その場合は水中に撃ち込みます。陸地だと弾丸が跳ね返ってしまい、思わぬ事故が起きるからです〉
 ざっとこんな具合なのである。つい大風呂敷を広げてしまうのは、いかにも自分がすごく危ない訓練に参加したことを言いたいがためなのか。『傭兵部隊』に関してはオチもある。当の傭兵から落合さんの嘘が明かされたのだ。
 この本の最後の章に、傭兵の総元締フランクのグァテマラ工作に同行する場面が描かれている。「彼にピッタリとついてその仕事を目のあたりにした」というから、一部始終行動を共にしたと読者は思う。ところが、当のフランクは『ザ・マーセナリー』(高橋氏の訳)で、落合さんといつも一緒にいたわけではない、彼が知らないこともある――とはっきり書いているのである。フランクは高橋氏にこう語ったという。
 「彼(落合さん)は雑誌用にセンセーショナルに書くところがあるね」
 誇張した表現を使えば限りなく嘘に近くなり、その結果「落合はほんとうに取材しているのか」と疑問をもってしまう人が出てくるのも当然だろう。
 (『陰謀がいっぱい!』P 126〜P 127)

 米本氏が触れた、『傭兵部隊』のエンディングとはこのようなものだ。

 われわれは彼(引用者注・フランク・キャンパー)にピッタリとついてその仕事を目のあたりにした。最初私は彼のミッションが単に情報収集と思っていた。派手なバン・バンはないと彼が言っていたからだ。せいぜいいってコマンド部隊の着陸可能地点やグアテマラ軍の武器をチェックすることぐらいと考えていた。
 しかし、実際は大きく違っていた。
 本来ならそのミッションの本当の目的と内容について私はここに書きたかった。しかし、現時点では絶対に控えるべきという結論に達した。ことがあまりにデリケートだし、これからのアメリカとグアテマラの関係に少なからぬ影響を与えるからだ。それに私を心の通い合った友人として扱い信じてくれたフランクにとっても決してプラスになることでもない。
 ただその仕事は私が当初考えていたよりはるかに危険かつバイオレントであったとだけ言っておこう。
 (『傭兵部隊』P 269〜P 270)

 当のフランク・キャンパーの説明はこの通りだ。

 私がノビ落合(落合信彦)に会ったのは一九八二年のことだ。彼は傭兵に関する本を書いていて、私のことを載せたがった。私は彼がスパイや傭兵の内情を知っていたので、できる限りで協力した。だが無論、話せないことはたくさんあった。
 彼は傭兵の作戦についてきたがり、一九八二年四月のグアテマラでのクーデターに連れていくことになる。ノビとの関係は進展していくが、私は実際に誰のために仕事をし、動機が何であるかなど自分についての本当のことは言えなかった。
 (『ザ・マーセナリー』P 107)

 ノビ落合はグアテマラ偵察の間、オブザーバーとして私といた。しかし彼が『傭兵部隊』(集英社刊)で書いたこととは違うところもあるだろう。次の章は私の活動のみであり、いつも一緒にいられたわけではないノビの知らないことも書かれている。
 (同 P 143)

 確かに、米本氏の言う通り、落合とフランク・キャンパーの説明の間の落差は大きい。
 フランク・キャンパーは「グアテマラでの仕事は、大統領警備状況の写真撮影、空港にある私有機の確認、反乱軍がもたらした地方での損害の調査、そして可能ならグアテマラ軍がクーデター以後の争いにどう対処しているか見てくることだった」と書いた。
 落合にとって、「事情を知った人」とは決して存在してはならない人たちだったのだろうが、彼にとって運の尽きだったのは、落合がデタラメを書きなぐった各分野に詳しい人たち(私自身を含めてだが)から、私みたいな物好きが情報を得たことだろう。

 それにしても、藤原氏の三十年にわたる文筆活動の中で、氏が語った落合のエピソードや、オイルビジネスに関する落合のデタラメぶりが、これまで明らかにならなかったのはどうしてだろうか?氏はその理由をこう語ってくれた。

(談) 落合みたいな石油のセの字も知らない嘘っぱちのペテン師を相手にして「これは嘘ですよ」と言うのも大人げない。また、そう書いたところでほとんど意味がないから、私は今まで活字にしなかったんだけどね。落合が石油をやってたという話がいかにインチキか、それをあなたが論証したいと言うので、協力したわけです。
 彼の書いた『ただ栄光のためでなく』は小説にすぎず、荒唐無稽のフィクションと言うか、ある意味ではサラリーマン向けのマンガに過ぎないのです。だから、これを叩くのは若い世代の人がやんなきゃだめです。落合は石油ビジネスに関してはフンドシ担ぎ以下です、小説はいっぱい読んでるかもしれないが、私のようなプロの人間がまともに扱う相手じゃない。せいぜい日本でも前頭の二十枚目ぐらいの人が「落合が書いているのはハッタリで嘘だよ」って書いたらいい程度の相手だと思います。わざわざ大関や横綱が出てくる必要がない小粒のフィクション作家にすぎないから、そういう意味で、あなたにがんばってもらいたいと思います。

 氏は私の本『落合信彦最後の真実』をめくりながら、ため息をつきつつ「あの時落合が僕の言うことに耳を傾けていれば、こういう本を書かれなくてもすんだんだろうけどね」と微笑んだ。
 そして、最後に藤原さんが一言った言葉が印象的だった。

(談) ポール・アードマンは非常に優秀なエコノミストで、アメリカの投資銀行の社長としてスイスのバーゼルにいた時に、ココアの商品取引に手を出したことが罪になり、刑務所に入った時に書いたのが、先ほど例に出した『オイルクラッシュ』(新潮社)という本です。アードマンは実力があったから刑務所の中で経済小説を書いたが、落合はオイルビジネスはおろか外人部隊にも入らなかったのに、若者を惑わす小説をデッチ上げたのは見事だとはいえ、化けの皮がはがれるような底の浅さのために、プロの目にはとてもじゃないがお笑いです。
 私がフランスで買った童話集にギュスターブ・ドレが挿画を描いた、『ミュンシュハウゼン男爵の冒険』というおもしろいホラ話の本があり、同じホラ話でも「ホラ吹き男爵の最後の冒険』ほど奇想天外で痛快だと、芸術性によって全世界の子供たちの古典になる。
 しかし、落合のホラ話はカタカナ文字の羅列と外国が舞台だが、人為的に背伸びして嘘を遠慮がちに並べるので、せいぜい高校生が喜ぶレベルであり、英訳しても英米では誰も読まないマカロニ西部劇ならぬ、ザルそばウエスターンだ。

 それにしても、集英社も本物のオイルマンと偽オイルマンを対面させるとは、つくづく粋なはからいをしたものだ。
 落合信彦の「オイルマン伝説」はやはり、伝説であり、ここに完全に終わったと言わざるを得ない。この話全体は、少し前にあった偽石器事件と同レベルの、程度の低い経歴詐称だった。
 奇しくも私は本章の最後の図として落合本人を描いたイラストを、藤原氏は「ホラ吹き男爵」のイラストを使おうとしていた。このカップリングは、あまりにうますぎるので、二つ並べておこう(図3)。
 後には、ただ、落合の詐称した経歴の数々が残るのみである。これは、落合の墓標でもあるのだ。
 「落合信彦オイルマン伝説」ここに眠る。今、私は死せる伝説のために祈ろう。
 南無阿弥陀仏。



図3 かつては、集英社も落合を元オイルマンとして持ち上げたが……


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