『毎日新聞』1987年4月27日刊



引用が巧み
データ扱いも上手
でも気にかかる
軍事力一辺倒



こんばんは
おとこの部屋  
企画・小泉貞彦編集委員



今週は「こんばんはの一冊」の欝外ワイド版として、藤原肇氏による「アメリかで読んだ日本のベストセラー」と題する大型書評を紹介したい。米テキサス州で石油開発会社を経営するかたわら、カリフォルニア州マリブにあるペパーダイン大学名誉総長顧問をつとめる“一匹オオカミ”的な地質学者(ジオロヅスト)で日本の石油ショックや“日米経済戦争”についても大胆な指摘を行っている。その藤原さんが、カリフォル ニア在住の日系人のためにと書き「U・S・ジャパン・ビジネス・ニュース」誌などに連載してきた数十冊に及ぶ本の紹介・論評を、日本の若いビジネスマンにも参考になれば……と、このほど当「おとこの蔀屋」に預けてくれた。わが国では、著者に遠慮なしで真剣勝負を挑む「書評」はまだ珍しいが、たまには、海外からの本音を聞いてみよう。

 


『戦略的思考とは何か』(岡崎久彦 著中公新書)






ジオロジスト藤原肇さんが「戦略的思考とは何か」を批評

 藤原さんがとりあげている本は、新刊ばかりでなく、戦後の大ロングセラーである「甘えの構造」や「ノストラダムスの大予言」から、スパイ小説、ドキュメント、文化論、経済学……と広い分野にわたっている。またその内容を高く評価し著者の視点を称賛している場合も多い。しかし、今回は、いささか著者に対しては厳しい語り口になっている例だが、第一線の外交官が書いて注目された「戦略的思考とは何か」(中公新書)の評を紹介することにした。

 著者の岡崎久彦氏は現在、サウジアラビア大使だが、外務省調査企画部長をつとめ、「隣の国で考えたこと」「国家と情報」などの著書もあり、外務省きっての戦略問題のエキスパートとの評価も高い人だ。その岡崎さんに対し藤原さんは、次のように書く。

 《題名だけでなく「歴史」への深い素養と良質の情報が生んだ、戦後初の国家戦略論」という宣伝文は、知的好奇心をかきたてるだけの魅力を持っていたので、私は意気込んで本書巻ひもといた。

 そして、本書の核心を構成すると思える部分を目次で拾い出し、第八章から十章まで「核の戦略」、「新しい戦争」、「情報重視戦路」の三章を読んでみた。その結果、余りの期待はずれに愕然(がくぜん)とした、と冒頭に書くのは書評のルール違反だろうか。》

 藤原さんは、のっけからズバリと切る。

 《外交官がものした戦略論というふれこみに期待しすぎた反動なのだろう。本人が「戦略論をゴタゴタ書いて来た」と言うものが、実はゴタゴタした軍略問題だったせいでもある。

 使い古しのガラクタとさびついたハードウエアの陳列は、ニューヨーク・イーストエンドの古道具屋に入った時の印象に似ていた。》

 藤原さん自身、石油ビジネスにたずさわり、日本の国家戦略については、いろいろと論じたこともあり、いわば「知った世界」だけにいささか激しい。

 《我々は著者の職業の必要条件である視野の広い判断力と外交能力に日本運命を託している以上、期待は当然大きくならざるを得ない。

 それにしても、知識をふんだんに詰めこんだ人間が、汗牛充棟の資料を頼りに作文すれば、立派に見えるリポートが出来るという良い見本が本書である。至る所にちりばめてある引用は巧みだし、データの扱いもなかなかで、コラージュ技術は一流のようだが、ヒラメキに似たものに欠けている。

 その最大の理由は、戦略の名を使って軍略レベルの問題にこだわり、しかも、リーデル・ハートが大戦略と名づけた、確立すべき安全保障と平和の問題について、遠望することさえなく終わっているためである。》


ハートには遠く及ばず

 さらに、戦略論については世界的な名著を書いたリーデル・ハートを引用して……

 《リーデル・ハートが「好戦型の人間や国家と真の平和を行うのは困難であるが、その一方、それらの人間や国家を休戦状態に入るように誘致することはより容易である。そして、これは彼らを打破するよりも、はるかにわが勢力を消耗することが少ない」と言っている通り、戦わずに、あるいは軍事力の代わりに“頭脳力”で相手を無害化するのが外交官の任務である。

 しかも「道徳的義務感の薄い国家ほど物質的な力を大きく尊重する傾向を持つ」と警告し「間接アプローチこそ戦略の真髄だ」と英国陸軍が生んだ最大の戦略家ハートが指摘しているにもかかわらず、外官である著者は、物質的な力と直接アプローチの枠の中であくせくしているように私には見えてしまうのだ。》


兵器中心の幼稚な地政学

 ここで過去の戦略論、戦争論を踏まえて次のようにいう。

 《〈生活圏〉や〈汎地域〉という用語とともにナチス時代に地政学で一世を風びした、ミュンヘン大学のハウス・ホーファー教授だって、兵器と軍事バランスをベースにした幼稚な地政学は論じなかったし、生粋の軍人だった石原莞爾の「最終戦躰論」でさえ、文明史の視点で時間と空間を取り扱って法則性を抽出している。

 その点で、本書は主題が兵器を中心にしたバワー・ボリティクスでしかない。外交宮でも防衛参事宮などを体験すると、こんなレベルの発送しか出来なくなるのかと、肌寒さを感じた。特命全権大使として日本全体を代表する人材が、在外武官の水準で固まってしまうならとんでもないことである。》


戦略の用語に著者の限界が

 そして以下は藤原さんの結論に入る。

 《本欝の基調がポリティコ・ミリタリーであるから「日本旧軍の欠点として、アングロサクソン属の清報重視戦路ではなく、プロイセン型の任務遂行型戦略を採用した」と、一見するどなるほどと思いたくなる記述もあるが、戦略という用語をこんな形で便うあたりに、著者の職略観の限界が露呈していると言える。》


欠如している史眼と洞察力

 《私は著者がしばしば得意げに言及する「国家と情報」という本を参考までに読んでみた。読んだあと全身から気力が抜ける思いを感じた。日本外交の頭脳として、分析裸長や調査課長を歴任している以上は、将来において日本の運命を担ってリードする外交の達人として、ソフトで視野の広い国家経綸(けいりん)と眼識を養う必要があるのではないか。

 流麗な文章をものし、講演能力にぬきんでていても、プロの外交官としての史眼と洞察力を身につけるためには、知識が発酵して知恵になる仕込み方が必要だ。尚武の精神にふるいたつ前に、次の大躍進の足場作りをして欲しいと思った。そうすれば「古来何人も否定しえない最も基本的なものは、畢竟(ひっきょう)軍事力である」といった軽率な発言もしないで済むようになるであろう。リーデル・ハートは軍人出身でありながら、軍人のレベルをぬきんでて大戦略まで考え及んだ。戦略を軍事問題から平時の政治、経済、外交を含む国家戦略に発展する図式の展開で把握していたがゆえに、リーデル・ハートといえば「戦略論」として、世界に名を残し得た。

 それに対して、軍事力の枠のなかでしか外交を考えないとしたら、そういった人材で構成される外務省は、大変危険な存在である。

 現役の外交官は先人たちの経験に学び寡黙実践に徹した方が、よりよいのではないか。国家の安全を損なわないためにも、沈黙の重要性を『蹇蹇録(けんけんろく)』が厳しく我々に教えていることを、改めて思い出して欲しい。》

 現在の岡崎さんは陸奥宗光の評伝を毎月七十数枚以上も書き続けているが藤原さんの評価は相当にきつい。藤原さんによると「いま石油もサウジアラビアも風雲急を告げている。自分のおじさん(宗光)の評伝を二年がかりで書いている余裕はないはず」と手厳しい


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