『LA INTERNATIONAL』 1998年03月号



『オリンピアン幻想』を読んで

  オリンピックとジャーナリズムの荒廃を知る




 3000年の歴史をもつオリンピックは、世紀末の日本で死んだ。宇宙神ゼウスに捧げる神聖な祭儀だった古代オリンピックに比較しなくても、僅か四半世紀前の札幌オリンピック大会に較べるだけで、長野大会で西武の利権になったオリンピックの姿は無惨だ。
 これが『オリンピアン幻想』を読み終わった時の感想である。
 地上楽園の実現を讃えるこの祭儀の間は、戦争中でも戦いを中断し、鍛えられ選ばれた青年が聖域に集まり、肉体と精神の高揚をゼウスに捧げた。
 フェアプレーの精神の下に、レスリング・競争・槍投げで戦闘行為に代え、真・善・美を讃えたのに....。
 百年前にクーベルタン男爵の手で、競技大会とオリンピック精神の復活が試みられたのに、二十世紀における近代オリンピックは、オリンピアンの理想の風化の過程だった。
 国家主義の嵐や商業主義の誘惑で選手は走る広告等に成り果てた。
 アトランタ大会と組んだ長野大会は利権まみれで、世紀末を象徴した醜悪な大会になってしまった。
 それを浮き彫りにしたのが『オリンピアン幻想』で、絶妙なタイミングで出た本書の一読は貴重だ。オリンピックの理想が何であるかを知るだけでなく、長野市民が失ったものについて理解でき、冬季大会への興味が何百倍も高まること疑いない。
 グルノーブルや札幌では、オリンピック準備に市民が参加していた。二十年後の長野での準備に見る市民の不在と疎外を照応すれば、オリンピック精神の衰退が浮かび上がる。
 それ以上の驚きもある。誰も知らなかったオリンピックの秘密を報告する著者は、近代オリンピックが、単にスポーツの祭典ではなく、世界の王侯貴族の私的サロンである事実を暴露する。この秘密のクラブでは、王者達の縁組みや支配権の取り決めが行われるのだ。
 オリンピアンの夢とオリンピックの現実を見つめる著者には、ジャーナリストの観察眼が冴える。
 同じ目は日本を支配する恐竜化した二大紙の実態を追う。その墜落と腐敗を朝日と読売の火ダルマ時代と題して前人未踏の聖域に踏み込んでタブーに挑み、徹底的に糾弾する姿勢は雄者のイメージと二重写しだ。
 世紀末の実相に肉迫して、文明や文化を蝕む現代の恐ろしい病因を知る上で、『オリンピアン幻想』と『朝日と読売の火ダルマ時代』は、共に現代人の聖火であり、導きの書だ。
 仕上げとして耳慣れない用語の現代的な再定義を楽しむとしよう。

◎オリンピアン
 テッサリアの山オリンポスに関係がある。神々が住んでいた所だが、今日では黄色く色が変わり始めた新聞紙や、ビールの空きビンや切り刻んだイワシの缶詰めなどの貯蔵所と化し、観光客の訪れと旺盛な食欲とを明らかに物語っている。

アンプローズ/ピアス著
『悪魔の辞典』より

◎オリンピック
 「アマチュア精神」という名分の下に、スポーツで生活する選手や役員を養成し、「スポーツは政治に無関係」という旗印を掲げて、各国が国威発揮を競い合う場、かつては「参加することに意義がある」と言われたが、近年「参加しないことに意義がある」年もできた。

トラ・アンジェリコ編
『天使の辞典』より

◎オリンピアンとオリンピック
 地上の楽園の実現を目ざしたオリンピアンの世界が、政争と商業主義に毒されたオリンピックに変質し、欲望地獄を本格的に地上に出現させたのは、1960年代末から90年代にかけてだった。夏期大会のメキシコシティからミュンヘン大会にかけては血塗られた時期で、冬季大会のグルノーブルから札幌大会にかけてが転換期の相を示した。そして、20世紀最後の長野大会で狼藉は極限に至り、長野の冬季オリンピックは利権の祭典として、自然破壊と人心荒廃で世紀末を象徴した。

世紀末版『人間の辞典』より


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