『レジャーアサヒ』 2002年夏号



台湾紀行 アジアのルルド
文と写真 藤原 肇


世界屈指の名湯・北投温泉
ガンも神経疾患も快癒する北投(ペイトウ)石の神秘



北投温泉親水公園の遊歩道


台北が誇る天からの授かりもの北投温泉

 ずいぶん昔に愛読したゲーテの作品の中に、「教えてくれ、どうすれば君のように、常に若々しく在り続け得るのか」という問いかけに対して、「偉大なものは常に新鮮で爽やかであり、温もりを持つ若々しい生命をさずけてくれるが、卑小なものは卑しさの中で凍え続けるものだ。
 偉大なものに触れて霊液を汲んでいれば、君も常に若々しく在り続けるだろうに………」と答える洒落たエピグラム(警句)があった。
 昔から若さと健康の維持は人間の最高の願いで、憧憬としての「養老の滝」の伝承で語られるように、不老長生に優る価値は他に比類がない。
 幾ら文明が発達して人々が豊かになっても、世の中に疾患で悩む人の数は絶大で、病院や医者の数を増やしても解決にはならず、健康な生活を人々に保証することは、福祉における究極の課題に属している。
 でも、不老長生を約束する点で霊泉と呼ぶにふさわしい、全世界に誇っていい素晴らしい温泉が台湾にある。それも市の中心の台北駅から僅か30分で、温泉郷の前まで地下鉄で行けるのだから、こんなに便利で有難いことはない。
 毎年のように日本から何十万人もの観光客が台湾を訪れ、首都の台北に必ず立ち寄るというのに、台北市内にある北投温泉を素通りしているらしい。
 ほとんどの人が素晴らしい人類の至宝を知らず、霊液を汲み霊液を浴びる恩恵を見落しているのは、実に勿体ないことだと言えないだろうか。

モダンな新北投行車輌

台北の地下鉄マップ


新北投駅の石門

日本では特別天然記念物である北投石の秘密

 台北駅から淡水行きの地下鉄を北投で乗り換えて、僅か一駅だけ乗れば終点の新北投駅に到着し、駅の石門を潜ると大通りの彼方には、陽明山の裾に広がる北投温泉親水公園の森があり、[湯]と書いた大きな光電板の横が入口だ。




北投温泉の入口

北投温泉親水公園

 地獄谷から流れ下る渓流に沿って公園内を5分も歩けば、湯煙に包まれた谷間の両側にホテルが並び、北投温泉で一番古い「滝の湯」という公衆温泉の前に出る。
滝の湯の入口

 日本の大衆浴場の原形を留めるこの温泉は、男湯と女湯に分かれて一風呂浴びる場所であり、日本の各地でお馴染みの銭湯スタイルだ。
 日本人は昔から温泉好きの民族だったから、台湾が植民地時代だった頃は湯治場として賑わい、北投には数十軒の温泉宿があったが、現在その名残りを留めているのは松之湯だけで、温泉宿は総べて建て直されてホテルに変貌した。
 世界でも珍しい北投(ペイトウ)石のお蔭で、ガンや神経痛を始め万病に効く不思議な力を持つが、この北投石という貴重な石と関係した温泉は、北投温泉の他には全世界で八幡平の玉川温泉だけだ。
 北投石は硫酸塩鉱物の重晶石と硫酸鉛鉱の固溶体で、温泉沈殿物として皮殼状結晶で産出するが、鉛の放射能とバリウム塩の相乗効果により、世界でも類例のない霊泉を生み出していて、数日の湯治で赤ん坊のように滑らかな肌になる。


北投温泉の薬効

 日本で唯一の産地である八幡平の玉川温泉では、北投石は大正時代に天然記念物に指定されたし、戦後になって文部省が特別文化財に指定して、希少性から厳重な保存対策が講じられて来た。
 文化財用語辞典にある記述では、「北投石は台湾の北投温泉で発見されたのでこの名がある。日本では秋田県の玉川温泉で産出し、特別記念物に指定されている。王川の場合は大噴と呼ばれる高温の噴湯が、湯の川となって川に注いでおり、川の温度が下がるにつれて含まれている重鉱物が析出し、川床の転石表面に縞模様になって沈殿したものである。主成分は含鉛硝酸バリウムで放射能を有し、フィルムを長時間当てておくと縞状に感光する」と紹介されている。
 だから、ラジウム温泉に加えて石膏の親類のバリウムの効果で、皮膚病や神経痛に始まって糖尿病や高血圧から、婦人病やガンまで癒す素晴らしい威力を発揮するために、北投温泉には日本からも湯治客が訪れている。
 石膏は漢方薬でも重要な生薬として、「医学衷中参西録」の最初に取り上げられており、皮膚病や切り傷などの外用薬とか、神経痛や高熱病の内服薬として効くとされている。
 また、ギリシャのコス島のアスクレピオス(医神)の浴場を始め、ローマ帝国領内の有名な湯治場には、石膏泉を利用している所が多いのである。

「医学衷中参西録」冒頭
美麗島の精華らん(蘭)




強酸性の温泉と北投小唄の夢うつつ

 北投温泉湯の歴史について詳しく知りたい人は、滝之湯の前、に架かる橋で渓流を渡って、石段を登り、レンガ造りの北投温泉博物館を訪れて、内部に展示してある資料や説明を読めばいいし、漢文と概念図でおよそのことは理解できる。


シックなレンガ造りの北投温泉博物館

北投温泉博物館の入口

 北投石を世界で最初に発見したのは日本人であり、台北博物館員の岡本要八郎だったことや、その発見が1907(明治40)年だったと写真入りの説明もある。
 それに10年ほど先立つ1896年には、平田源治が地獄谷に天狗庵という旅館を開業し、それが北投温泉の発祥となったそうであり、温泉好きの日本人の手でここに温泉郷が誕生した。
 最盛期には70軒余りの温泉宿で賑わったし、日本の芸者に当たる待応生が宴の席にはべり、台湾の熱海と形容される歓楽街が出現した。
 そして、湯の香が広がる谷間の渓流の上を漂って、三味線の音と共に「北投小唄」が流れたという。

 北投夜明けの、湯煙けむり、
 とけて流れて、さらさらと、
 ドントダイトン、トロントな、
 雲に抱かれて、夢うつつ。

 障子明ければ、湯煙けむり、
 七星おろしが、そよそよと、
 ドントダイトン、トロントな、
 雲に抱かれて、夢うつつ。

 北投温泉は「北投小唄」の囃子にあるように、如大屯火山系の断層から湧き出した温泉で、地獄谷を泉源にもつ温泉は非常に強酸性であり、PH(水素イオン濃度)は1.4から1.6を示し、青礦と呼ばれる酸性緑礬泉類に所属している。
 だから、この温泉に入っていると鬱血部が皮膚の表面に染み出して、一時的に微小な痂が出来てピリピリするが、それが剥落するとツルツルの肌が現れるので驚く。


北投温泉の野天風呂と室内の岩風呂

 博物館を出て地獄谷の方角に向けて歩けば、瓦屋根を持つ露天風呂の入口に数分でつくが、ここは野外浴場だが家族向けなので、海水着を着用して岩風呂を楽しむために、温泉は水で薄めてあるので酸性度は強くない。
 また、水割りでラジウムの放射能も弱いから、治療より家族の団欒という意味で、楽しい一時を過ごそうと考えれば、子ども連れには最高の保養施設と言えよう。
 湯治を目的にして北投温泉に滞在するなら、酸度の強い青礦にドップリ浸かることが出来る滝之湯か、少し古いが新秀閣を利用して、体の芯から暖めることを狙うのが良さそうだ。
 新秀閣は湯元の滝之湯に隣接していて、源泉を直接に引き込んだ浴室がある旅館として、9室の岩風呂個室や大浴場と宿泊設備を持つ。
 事情通によると岸信介や佐藤栄作が愛用して、台湾美人と睦まじく過ごす常宿だったそうで、畳を敷いた和室もある年輪を経たホテルだが、昨今の日本人には鄙び過ぎるかも知れない。
 それにしても、青礦は湧水量が極めて限られているために、湯元の周辺の浴槽をまかなうだけであり、新設された大型ホテルは陽明山で湧く、白礦と呼ばれる酸性硫酸単純土類泉で、PH4前後の微乳色の温泉を使っている。
 贅沢に慣れた日本人は外観や設備で選ぶので、熱海を始め京都などの豪華な最新ホテルは、日本人の団体客や観光客で賑わうが、厳密な意味では湯元が異なるとは言え、湯治効果の上で大差があるわけではない。
露天温泉の入口

露天温泉

道標と露天風呂への石段
個室

大浴場[新秀閣]

岩風呂個室(中央の岩風呂で岩の表面に黄色く沈着しているのが北投石)


「地上の楽園」が誇る古くて新しい医療的効用

 秋田県の玉川温泉も日本が誇る名湯の一つで、多くの湯治客を日本全土から招き寄せ、古来からマタギが愛好する山奥の隠れ湯として、「鹿湯」の名前で知る人ぞ知る存在であった。
 北投石の持つ強い治療効果に富むとは言え、「鹿湯」の周辺には遊離した砒素が漂ったので、砒素中毒を起こす殺生石の存在も知られていた。
 だが、玉川温泉が持つ絶大な疾患治癒を始め、疲労回復や若返り効果は医学的に注目され、多くの医師や科学者が温泉について研究し、北投石の持つ医療効果について発表している。
 そうした多くの研究の成果については、岩手大学の足沢三之介名誉教授が監修した、「玉川温泉湯治の手引き」(玉川温泉研究会)を始め、温泉研究家の安陪常正が資料を編集した、「北投石の秘密」(民事研究会)に詳しいので、個々の例症についてはそれらの本の記述が参考になる。
 さて、北投温泉において最も人気が高い場所は、地獄谷の湯の川における足浴テラスであり、日本人と違って入浴より足浴を好むせいか、台湾人たちは温泉の流れに足を浸すことで、手軽にやれる疲労回復を家族で楽しんでいる。
 近くには屋台の食べ物屋が店を開き、焼きトウモロコシや餃子などを商っているので、陽気に喋り賑やかに食べたりしながら、一家団欒のピクニックを楽しむ光景を始め、若い恋人が肩を寄せ合う姿も微笑ましい。
 北投温泉博物館の展示で見た文章の中に、[在大屯主峰、竹子山、七星山環抱下、峰山秀麗、翠緑欲滴、一面臨広豁平野、北投美景有如天成]とあったが、爽やかな気分に包まれて健やかに散策すれば、北投温泉はこれ地上の楽園ということになる。
北投温泉“地獄谷”

地獄谷の足浴テラス


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