『文藝春秋』 1984年01月号



天動説の国%本よ!

一九八四年を前にした日韓の試練


藤原肇(在北米 国際石油コンサルタント)



日韓の国際感覚の差

 ソウルは東京の街並みをそのまま縮小したようなゴミゴミした町だが、生活臭と結びつく哀愁を秘めたダイナミズムがあって、アジアの都会に特有の活力が雑然さを味わい深いものにしている。一九六四年の五輪大会直前の東京に似て、八八年の祭典をひかえたソウルでは、オリンピック準備で町中が掘り起され、地下鉄建設を主体にした大工事が進行中だが、工事現場の隣には露店が張りついていたりする。こんなソウルを訪れると、目の前に出現する二十年昔の東京をほうふつとさせる光景に、日本人は懐しさの余り暫し茫然とした思いに包まれてしまう。
 しかし、二十年前の東京とその景観を較べるだけでなく、情報化時代と言われて久しい一九八三年末の時点で、日本と韓国の首都について較べてみると、そこに思いもかけない相異点があると気づくことになる。それも、その内容が天動説と地動説の差に等しいものであり、日本人はソウルを訪れることによって、自分の国が天動説に支配された国だという事実に気づく機会を手に入れることになるのである。
 ハングル文字の洪水の中で、日本人がたぐりよせる情報の命綱はどうしてもアルファベットや英語にならざるを得ず、その命綱をたぐりよせた瞬間に、日本人はいやおうなしに韓国の情報メディアの国際性について意識せざるを得なくなる。ソウルで編集される『ザ・コレア・タイムス』や『ザ・コレア・ヘラルド』がホテルの売店に並んでいるのは言うまでもないが、香港で印刷した『インタナショナル・ヘラルド・トリビューン』や『ウォールストリート・ジャーナル』が街角のキオスクに並んでいるのを目撃すれば、思わずギクリとせざるを得ない。新聞の方がわれわれの顔色を読んで国際感覚を判定しているという気分に支配されるからである。
 しかし、日韓両国の首都の違いで最も大きいのは電波メディアであり、東京ではラジオの極東放送(FEN)が唯一の外国語系メディアであるのに対し、ソウルでは米国の三大ネットワークのひとつであるNBCの番組がサテライト・ネットワークを通じて放映され、一般の人が外の情報系と直接結びついている。情報化時代と言われる現代において、この違いはとても大きな意味を持ち、タコ壷の中でフィルターを通した情報しか持ち合せない日本人と、外の世界とオンタイムで結びつく窓口を持つ韓国のトップとの情報感覚の差は、この辺に由来しているようである。そして、これが両国の外交姿勢や外交能力の差に歴然と反映していると思われる。
 ワシントンでよく言われているのだが、日本政府がワシントン駐在日本大使館経由で入手するアメリカ情報は、韓国政府に較べてほぼ十六時間遅れており、韓国大使館員がひと仕事終えてベッドに入る同じ時間に、東京からの緊急電話にあわてた日本大使館員が情報の確認のために駈けまわり始める、という話がある。現に、日本政府は青瓦台と結ぶホットラインによって、辛うじて重要情報を取りこぼさないで済んでいるのであり、自民党政府のやっていることは税金のばら撒き合戦と外交の名を使ったパーティで騒ぎであって、とても国際レベルでの政治の名に値しないものであることは広く世界に知れわたっている。しかも、世界に衆知のこの事実が日本国内ではひた隠しにされたまま、国民が経済大国というプロパガンダに酔い痴れているので、対米外交において東京がソウルに従属せざるを得ない度合はいよいよ強まり、バランス感覚を喪失した日本の対外政策を揺ぶる上で、ものすごい威力を発揮することになるのである。
 現に、一九八三年十一月に行われたレーガン大統領の訪日劇も、実はソウルが企てた世界戦略の一環として、ホワイトハウスの主人公を主役にして東京で挙行された顔見世興行のひとつにすぎなかったのである。レーガン訪日を選挙目当ての宣伝に使おうと計算する、日本の政治家の思惑を十分に読み抜いた上で、日本人が準備する派手な演出の中にレーガンを粗みこんで存分に演技させ、しかもクライマックスを三十八度線で盛り上げるように作られたシナリオを描きあげた韓国の手腕のほどは、流石に緊張の中にエネルギーが漲っていた。
 それに対して、田中判決によって露呈した無定見さと指導性の欠如を、レーガン大統領の人気と熱狂をかり立てるお祭り騒ぎで覆い隠そうとした中曾根首相の小手先の演出は、短期的には興味深いエンタテーメントを国民に提供したことにもなり、選挙対策用の宣伝としてはいかにも成功したかに見える。
 西独のコール首相、米国のレーガン大統領、それに中国の胡耀邦総書記の訪日といった具合に、外交を個人的宣伝の材料に使いまくり、各国の首脳が東京にやって来る筋書きの中で、国際政治があたかも日本を中心に動いているかの幻影を生み、それが国民に快感を与え続けているのである。
 だが、こういった一人よがりに基づいた天動説的な政治がいかに高価な代償を伴うことになるかについて、一億人の日本人は気がつく必要がないであろうか。それと言うのは、今回のレーガン大統領の日韓両国訪問を、韓国ではそのものズバリの《安保飛行》と名づけていたのであり、しかも、問題の鍵が、三十八度線と不沈空母がクロスするあたりにあるとすると、これは日本の運命にとっては実に由々しいことだからである。


軽率かつ危険だ

 レーガン大統領の訪日を星のめぐり合せでソウルから観察できたことで、私は天動説の国の日本の上空に展開した星の配列を地動説の視点から目撃する幸運に恵まれた。しかも、タイミングよく起った事件と出会った人びとがもたらした情報やコメントの数々が、私のこれまでの体験と反応していくうちに、日本の生存にとって死活にかかわる大問題と感じられてきた。だが、この東京を中間に挟んでワシントンとソウルが布陣する今世紀最大のプロットについて、果してどれだけの日本人がその意味するところを正しく理解しているのであろうか。
 私がソウルを訪れたのは、大韓石油協会が主催した第三回石油ゼミナールに招待され、「第三次石油ショックの襲来とその対策」という講演を行うためであった。金浦国際空港には石油協会のクウ(具)弘報課長と韓国の竹村健一と呼ばれてマスコミ界で忙しく活躍するホウ(雇)さんが出迎えてくれた。空港正面広場は、一週間後にひかえたレーガン訪韓歓迎の飾りつけの作業が進み、《ロナード・W・レーガンに敬愛をこめて》と書いたアーチ状の看板が取りつけられていた。空港からソウル市内に向うハイウエーは米国大統領の訪韓歓迎の看板の放列で、《米韓の緊密な友好》《米国と韓国は自由の戦士》《米国大統領とナンシー・レーガン夫人歓迎》《われわれ全員はロンとナンシーが好きだ》といった文面が、横断架橋に取りつけられていた。愛称をそのまま呼びあう至って当り前のアメリカ人との関係が、韓国では自然に生かされている。それをわざわざロンとヤスの関係だとことあげして珍重する日本の権力者に較べると、センスの違いが一目で分るというものだ。たとえ相手が大統領でも、ロンをロンと呼ばないことの方がアメリカでは不自然であり、国賓をロンとナンシーと呼ぶことがアメリカ流に他ならないのである。
 情報社会として閉鎖されたシステムと天動説が支配的な日本という社会環境では、操作された権力者神話がソフトな形でプロパガンダ化するということなのだろう。だから、国内に居坐って日本語として活字化された新聞雑誌やテレビなどに現われたもので全体像を描き、それを国際世論だと思うなら、それは大変軽率であるだけでなく危険でさえある。日本人が常識だと思いこんでいるものの多くは、希望的観測や一人よがりの心情に支配されていて、精神的鎖国性を強迫観念の源泉にした、コンプレックス(優越ならびに劣等)化した深層心理の投影物だということを、私はソウルから見たレーガン訪日劇を通じて嫌というほど思い知らされることになったのである。


石油危機と安保飛行

 ホテルで旅装を解く前に、空港を出た車は韓国のNHKに相当する韓国放送公社(KBS)に直行した。三日後の十一月九日の夜十時から二時間の特別ドキュメンタリーとして放映される「石油ショックから十年目」と題した番組に、コメンテーターとして発言することで私の韓国での日程が始まった。しかも、放映時刻はレーガン大統領の東京入りのニュースが流れだす頃に一致しているのだ。KBSでの初仕事を終えてホテルに入って間もなく、今度は民間放送の文化放送(MBC)の報道班の取材があり、これは十一月十日にスペシァル番租として「石油危機」と題した一時間ものの特別企画のコメントの録画だと言う。私が石油ゼミナールで石油危機について講演するのが十一月八日だから、三日間連続で石油ショック物が企画されているという事実の背後には、単に韓国が石油危機問題に対して真剣に考えているといった以上のものがあるとの印象をうけた。確かに、石油危機は国家の生存と安全にとって最重要の問題であり、しかも、一九七三年秋の石油ショック十周年という時点で、歴史を思い出して襟を正そうとする韓国のマスコミ界の特別企画を組む姿勢には社会の木鐸としての使命感が生きている。十年前の悪夢をすっかり忘れ去り、レーガン祭りにうつつを抜かす日本のマスコミ界とは雲泥の差がある。私は、これはレーガンの東京での日程を石油危機キャンペーンと重ね合すことにより、中曾根流のお祭り騒ぎの効果が韓国に波及するのを帳消しにする意図がありそうだと思い、この考えをホウさんにぶつけてみた。すると半分正解だという返事だった。
 「今回のレーガン大統領の日韓両国訪問は韓国を訪れて三十八度線を視察することが最大の目的であり、この旅行を韓国では(アメリカ大統領の安保飛行)と呼んでいます。それに、レーガン大統領が就任後に最初にワシントンに招いた外国元首としてチュン・ドゥ・ワン(全斗煥)大統領が選ばれたことを見れば分る通り、米韓関係は極東において最も誠実で真剣な内容を持つ政治問題と結びついており、日本のように外交を選挙宣伝のお祭り騒ぎに使うやり方と一緒にして欲しくないのです。そのためには石油危機は恰好のテーマだし、韓国にとって幸か不幸かラングーンのテロ事件で北朝鮮の蛮行が国際世論から総攻撃をうける事になったので、もはや石油危機を強調しなくとも、東京のお祭り騒ぎは韓国にとって無害です。いや、むしろ、中曾根・レーガンの二人が東京から派手に北朝鮮への非難のデュエットをしてくれたら、こんな有難いことはありませんよ。今回のレーガンの安保飛行は大成功でチュン大統領は手放しで大喜びをすることになるでしょう。


危うきかな日本

 この予想が適中して、レーガン訪日中の韓国の新聞やテレビは、専ら東京会談が三十八度線を中心にして極東の平和が維持されるといった大見出しでまとめられた。しかし、それに対して「韓国日報」のパク(朴)記者のような新鮮な見解を披露するだけでなく、日本人にとってショッキングな指摘をする人もいた。
 「今回のレーガンの日韓訪問は韓国が手配したものに、中曾根首相が乗せて欲しいと頼みこんだのであり、乗せ賃は四十億ドルの借款です。本当は六十億ドルだったんだが、三十八度線を半分日本国内に持っていったので、われわれは二十億ドル分だけ肩の荷がおりたという訳ですよ」
 その意味するところは、これまで台湾には中国、韓国には北朝鮮、アメリカにはソ連といった形で不倶戴天の仮想敵国がいて張り合っていたが、ローカルな意味で日本が米国の肩替りをして、日本海やオホーツク海方面に関してはソ連との敵対関係を持ったことにより、韓国と共に三十八度線防衛の一翼を担ったということになる。危うきかな日本、ではないか。
 レーガン大統領の訪日をソウルで観察していると、レーガン訪日だけでなく現在の日本の外交が、いかに中曾根康弘個人の自己保身と人気とりのためにねじ曲げられているかを理解する上で、余りにも沢山の情報と証言とを持つ点で、驚くほどである。ある重工業企業のトップであるチョン(鄭)さんはこんなことを言っていた。
 「中曾根さんが東京にレーガン大統領を迎えて大はしゃぎをしているのは、田中元首相が収賄で有罪になったのをごまかすためだという事を韓国人が知らない訳はありません。それに選挙対策もある。しかし、田中角栄さんが懲役四年なら中曾根さんは懲役十年になることは、P3C事件とかソウルの地下鉄疑獄からすれば当然ですし、今度ばかりはわれわれの方で中曾根内閣の命綱を握っているのです。八三年一月に中曾根首相が大あわてでソウルにやって来たのは全斗煥大統領に呼びつけられたのであって、日本では十年一日のごとく韓国を日本の家来のように扱っているが、事実はすっかり逆転しているのです」


ソウルのリモコンだ

 この発言を裏づける重要情報を私は韓国政府の高官筋から耳にしたが、現段階では特にニュースソースを守らなければならないと思われるので荒筋を紹介するにとどめたい。それは中曾根首相の密使として元伊藤忠会長の瀬島龍三氏が中国を訪問しており、胡耀邦総書記の訪日工作をしていること。中国がらみの利権を田中金脈から中曾根パイプにきりかえるために、慣例として続いて来た中国首脳の目白表敬訪問を中止する工作を行うと共に、お互いに認知し合っていない中国と韓国の国交正常化のための工作をする。新しく作られる中国での金脈は四川省方面の石炭を韓国に供給する三角貿易の形をとり、その取り扱いは伊藤忠が担当する。そして、この工作(ブラック・ピラミッド計画)に目鼻がついた段階で、中曾根首相自ら北京を訪問して、中国と日本を結んでいた田中路線に代る中曾根路線を確立し終る。
 このようなストーリーは日本の新聞を読んでいる限り片鱗も姿を見せていないので、果してどこまで信用していいのかとまどいを感じるほどだが、ソウル滞在を利用して英字新聞で韓国のエネルギー工作の動きを追ってみると、石炭、石油、天然ガスの輸入などに見る韓国の動きには、日本を上まわるほどの意気ごみと努力が読みとれる。日本の商社を使って中国産の燃料炭を韓国に持ちこむくらいのことは、そう難しくはないのだ。
 現に、十月初めに韓国はアラスカのビル・シェフィールド知事をソウルに招き、アラスカ州からの石油輸入の交渉を進め、知事からの積極的な約束を手に入れている。現在アラスカ州は日産三千トン(二万バーレル)に相当するロイヤリティ分原油を保有しており、その半分を韓国に輸出するための議会工作を約束すると共に、レーガン訪韓における米韓間の経済協力の議題にアラスカ石油の話は組みこまれているのだ。この点では、懸案は出来るだけあとまわしにし、専ら人気取りに終始した中曾根外交に較べると、全斗煥外交は名を棄てて実を取る現実外交に徹しており、中曾根英語が馬脚を顕わしたフルーツ(口当たりがいいだけの)外交に対し、全外交はフルーツフル(みのりある)外交だったということになるのであろう。
 それにしても、中曾根外交がソウルのリモートコントロールによって存分に操られているだけでなく、欲得勘定に支配された日本の金権外交を逆手に取って、したたかさで定評のある北京によっても好きなようにもてあそばれているとの印象を持った。
 なぜならば、私はアメリカのグレナダ侵攻の話をした時、ソウル滞在で耳にした最も不吉なコメントに接することになったからだ。


戦場としての不沈空母

 イー(李)さんは韓国陸軍の元参謀で、現在は半官半民の企業のトップだが、ビジネスマンになった今は軍事問題に関与しないと前置きして、かつて、イー・スーマン(李承晩)大統領時代に、日本を韓国軍が占領する計画を作ったことがあると昔話をしてくれた。どこの国でも隣国を占領する図上演習はやるものであり、おそらく自衛隊も韓国や沿海州への侵攻演習はやっているはずだ。また韓国軍も日本に居留する韓国人の救援のための日本上陸作戦は放棄していないはずである。
 「中曾根さんが武者ぶるいして北で事を起したら、これは韓国にとっては大変な試練です。自衛隊よりは韓国軍の方が実戦経験や士気の点で優れているので、結果として新しい日韓合併が成立するのはそう難しくない。それに、グレナダをやってしまった以上は、アメリカの大統領はこの種の派兵に対して文句は言えないでしょう。造船、鉄鋼、自動車といった具合に、われわれは日本と同じテクノロジーを持っているので、工場は幾らでも稼動できます。しかし、そうなると韓国は二面作戦を強いられることになるし、目下の所はそれを避けるにこしたことはない。ただ、韓国は日本と違って備え有れば憂いなしという立場で、和戦両面どちらでもやれる体制にあるが、少なくとも一九八八年のソウル・オリンピックが終るまでの間は日本が変なことを起して欲しくないのです」
 日本人の常識とは全く逆で、日本では韓国が血気に走って事を構えるのではないかと心配しているのに、韓国では中曾根首相に率いられた日本人が、レーガン節に煽られて武者ぶるいをしないようにと心配しているのだ。下士官あがりの中曾根首相は日本列島を不沈空母と呼んで、航空母艦から飛び立った飛行機がどこか遠くの海上で空中戦をするイメージしか持ち合せていないようだが、これはミッドゥェイ海戦を思い出すまでもなく、航空母艦上が戦場になって火だるまの生地獄を現出した教訓を歴史に持つ日本人への侮辱である。空母の赤城や蒼龍が残した貴重な体験を民族の教訓にするためにも、かけがえの無い祖国を軽率にも不沈空母と形容するようなことは、絶対に許してはいけないと思われる。


八四年とビッグ・ブラザーズ

 レーガン大統領の東京訪問が行われた時、韓国ではベルチル皇太子や産業使節団を迎えて、スウェーデン韓国ビジネス週間が催されていた。しかも、日本政府が警察官九万人を動員して過剰警戒体制をとったので、ある韓国人の実業家は、「独裁国家と言われる韓国よりも日本の方が、はるかに戒厳令体制ですよ」と苦笑していたが、中曾根、後藤田、秦野といった内務官僚上りが中核を構成する中曾根内閣は警察を必要以上に動員して、デモンストレーション効果を期待したようだ。日本を訪れたことのある韓国人は鉄柵とゲートに囲まれ、制服姿の機動隊員と警備員で固められた成田空港を成田サファリと呼ぶそうだ。人間が檻の中に入って身をすくめていなければならないからであり、成田の異常警戒はイスラム革命以前のテヘラン以上で、世界でも他に類例を見ないほどだ。最近日本式の成田型戒厳令を目撃したチョウ(趙)さんは、かつて日本で過した学生時代の旧特高警察の思い出と、解除されてすでに久しい朴政権時代の戒厳令とを二重映しにして、次にアジアで起る軍事クーデタは日本かフィリッピンだと予想するそうである。そこで、私が日本は軍隊より警察の方が上だから、軍事クーデタは起り得ないと主張して論争になった。それにしても現代の日本にはリベラリズムの伝統は影をひそめてしまったし、広告と電波行政の支配を通じてジャーナリズムが骨抜きになったと説明したら、彼は悲しそうな表情でアジアには民主主義は定着しないとつぶやいただけだった。警察権力と享楽主義が奇妙な二人三脚をなしている日本のソフトなファシズムを批判すると、選挙妨害という奥の手を使って圧力をかけるやり口は田中金脈事件以来の常套手段である。そのやり口の名人が中曾根内閣を牛耳って健在でもある。だから、これ以上余計なことを云うのは野暮というものだろうが、日本人が知っておいたらいいことがひとつだけある。
 国内ではソフトなファシズムについて余り正面から取りあげないが、米国では大学やシンクタンクといったアカデミーの世界だけでなく、国務省においても中曾根政権についてかなり詳しい分析が行われている。表面的には和気あいあいに見える国家関係の背後では、相手国首脳に対しての冷徹な心理分析と異常事態への対応策が準備されていて、「お殿様乱心」だけでなく、計算された野望と挑戦に対してのシミュレーションが出来ている。なぜならば、ジョージ・オウエルの天才が描き出したビッグ・ブラザーズに対して最も警戒しているのが、スモール政府を指向する別のビッグ・ブラザーであり、「マック憲法守れるは、マ元帥の下僕なり」といった歌で国粋主義をあおり立てたり、「私が静高時代から唯一尊敬しているのはヒトラーだ」という軽率な発言をしてはばからない人物について、アメリカ人たちが心から信頼を置かないことは誰にでもわかるのである。
 アメリカの民主主義はリベラリズムに基盤を持っており、統制と管理ではなく個人の自覚に出発点を持つ。自由主義圏における文明社会は、ソフトなファシズムの自己増殖とはあい容れない関係にあり、たとえ軍事指向の強いレーガンのホワイトハウスでも、最後には自由の砦アメリカの面目をかけて、ソフトな全体主義と対決することを避け得なくなる。それは第二次世界大戦自体が「四つの自由」を守るために戦われたものであり、全世界のリベラリストたちは四十年前と同じように、いざとなればヒトラーの信奉者に率いられた千年王国を、狂信者もろとも粉砕するに違いないからである。
 一九八四年がビッグ・ブラザーズの年であり、その意味するものが人類の運命にとって大変重要な問題提起をつきつけている。新しい文明時代の夜明けの年としてゴンドラチェフの第五波の始りにも当るのが一九八四年だといった議論がはじまったとき、韓国のリベラリストとしてジャーナリズム界を指導する韓国経済新聞のイー(李)社長はこんな述懐をしたものだった。


レーガン訪日の政治的意味

 「一九八四年は大変な年になります。ビッグ・ブラザーズが支配権を確立するか、情報の公開を通じて民主的な精報化社会が育っていくかの大分岐点にわれわれは立っている。日本も韓国も共に貿易立国で生きていかなければならない以上、平和路線だけが唯一の選択であり、世界の自由なコミュニティの一員として協調していくためには、リベラリズムを追求しながら民主政治を確立していかなければなりません。一九八四年が明るい未来と結びつく新世紀への門出になるか、地獄の時代の入口に相当するかは、日韓両国民の政治意識とリベラリズムヘの志向の強さによる訳で、ジャーナリズムだけでなく国民の理想の高さと困難をのりこえる努力にかかわっています。
 鼠年だから波乱に満ちた年になるにしても、ビッグ・ブラザーズの時代だけは御免です。韓国もジョージ・オウエルを読む人が余り多くないから他人のことは言えないが、日本人が『一九八四年』をほとんど読まないというのも気懸りなことです……」
 日本語に堪能で日本の社会現象に精通しているイー社長は、知識人特有の憂いを含んだ思いをこめて嘆息した。私も彼の意見に賛成だ。アメリカの大学生なら誰でも一度は読む『一九八四年』が、日本の書店で平積みになっていたのを一度も目撃したことがないし、友人の書棚や古本屋でもこの本を見かけた記憶がない。
 アメリカではレーガンの訪日をめぐって、こんな議論が真面目に行われたという。「一九三八年に英国の首相チェンパレーンは、全体主義者の砦であるミュンヘンヘ出掛けて相手を激励した。一九八三年にアメリカの大統領はビッグ・ブラザーの選挙本部に出掛けて相手を激励していいものだろうか」
 イー社長とひとしきり議論したあと、手に取って読んだ十一月十日付けの『ザ・コレア・ヘラルド』紙のレーガン訪日の記事の中に、明治神宮のヤブサメ見学に関連してこんな記事が目についた。
 「一九三六年以来日本に住んでいるバプチスト派宣教師のチモニー・ピーシュ師はパールハーバー(真珠湾)奇襲に先立って、日本国内に神道的な宗教儀式が盛んに行われたことをよく記憶している。そこで彼は数力月前にレーガン大統領に公開状を書き、明治神宮へ行くのを中止した方がいいと勧告している」
 いずれにしても、選挙対策用のテレビ・ショウとして派手に演出されたレーガン大統領の東京訪問は、その賑やかさの背後に不吉な影を宿していたのであり、その事実について日本人はじっくりと意味するところを考え、一九八四年を希望と結びついた年として迎える機会作りとする必要があるのではないか。
 甲子の年に一億人の日本人が集まって大黒天を祭る古来の伝統文化は、大黒天が繁栄と福徳をさずける平和の使いであって初めて幸せを招くのであり、ビッグ・ブラザーや軍国主義として日本を荒廃に導くものとは相容れないことを、古人の知恵は甲子として日本人に伝えているのである。
 いまこそ、レーガン訪日の政治的意味を、一億人の日本人はじっくりと噛みしめてみる必要があるのではなかろうか。


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