『ボイス』1979年04月号

●対談●



豊田有恒
昭和十三年生まれ。群馬県出身。武蔵野大学経済学部卒業。SF小説『火星で最後の……』でデビュー。アジアの古代史に興味を寄せる。著書『モンゴルの残光』『韓国の挑戦』ほか多数。

藤原 肇
昭和十三年生まれ。東京都出身。埼玉大学・仏グルノーブル大学卒業。構造地質学、石油地質学専攻、理学博士。資源・石油開発コンサルタントとして、中東、欧州諸国で活躍。在カナダ。


高齢化社会を生きる 老人と若者



老人がふえることはプラス

豊田  高齢化社会にどう対処するか、これはむずかしい問題です。今のままでゆくと、多くの老齢人口をわずかな人間が費ってゆくことになるわけで、福祉の問題からいっても今と同じような老人福祉をやっていれば、財政負担だけでもどうしようもなくなると思います。ですから、老齢人口が働けるようにしないとまずいわけで、定年制とか賃金体系とか、組織の構造を見直し、変えていかねばならないでしょう。
 それともう一つは、いま日本全体に目標の喪失感のようなものがありますね。目標といっても戦前のように異常にナショナルコンセンサスができ上がっているという状況はよくありませんが、高齢者も参加できるような国家目標を設定しないと、これからは日本の社会の活力がなくなってくると思うのです。

藤原  老人がふえるということは実はそんなに問題ではない。老人がそれぞれ老人にふさわしいというか、老人がもっと有効に生きられるような社会がこれから築きあげられていくんだったら、老人がふえることはマイナスではなくむしろプラスになる。そう考えますと、今の炭業社会をそのまま将来に投影して、老人がふえるとさわいでも意味がないのです。これから老齢人ロがふえていく、そのためにわれわれはどのような産業社会をつくっていかねばならないか。われわれのボテンシャルからすると何ができ、何ができないのかという議論を始めていかなければならないと思います。

豊田  一つの例として上げると、こんなのは参考になるかもしれません。タイにはお坊さんがたくさんいますが、これは最気の変動に対する一つの安全弁でもあるらしいのです。景気が良くなると市場で労働力を必要とするものですから、お坊さんの数は減る。反対に景気が悪くなってくるとお坊さんがふえる、つまり、労働力のある部分を必要最低限度の生活しかしない状態にしてしまうわけです。お坊さんになっている人は、托鉢をしてお米を食べて、必要最低限度の生活しかしない。その間は残りの人が社会を支えていればいいわけで、国全体として、不景気のあおりを受けないですむ。景気が上向いてきて労働力が不足してくれはまたお坊さんが仕事につく。遊休人口をプールするという意味で非常に意味があったのだそうです。最近それは少し変わってきているそうですが……。
 われわれ日本人の考え方ですと、働かないでお坊さんをやっているというのは、非生産的のように見えますけれど、それは単に宗教的なことだけではなく、経済的な意味があったのですね。長い間の生活の知恵でしょう。このことをそのまま高齢者の問題にあてはめるのは問題があるでしょうけれど、景気がよくなるとおじいさんが働けるような状態でないといけないし、景気があまりよくなくても政治・経済など、あらゆる面を見直し、自力で生活できるシステムをつくっていかねばなりませんね。

藤原  労働力集約型をべースにした産業社会では、高齢化の問題も労働力としての人間の問題として出てくるわけです。しかし、一般の産業社会というのは、二次元的な見方ですけれど、労働集約型から出発して技術集約型へ、そこから知識集約型へ移行する。つまり、労力としての人間から考える人間へといったプロセスの中で、いったいわれわれは老人の問題、若者の問題をどう考えるかということだと思うのですね。
 老入の問題は、結論的に言ってしまえば、老人と若者の間の信頼関係を復活し、それをベースにスムーズに機能する社会をつくっていかなければならないということ。特に老人問題の基本的な部分は、実は老害を取り除くことによって社会は本来の姿に戻り、そこからすべてが始まらなければならないという気がするのです。その点どう思いますか。

豊田  高齢化社会になれば、老害の問題は逆にはなはだしくなると思うのですよ。今ですら、上の方が頑張っていて、頭脳明断なうちに決定を下すようなポストにつかなければいけないような人が、まだつけないでいるという状態があるわけです。指導者の年齢が高いことで考えたら、世界の中でソ連に次いで日本は二番目くらいではないですか。
 ですから、今の団塊の世代がこれから、現在のシステムのままで老入になったらえらいことです。今、藤原さんがおっしゃったことと全く逆なことになって、大変に多くの老人層をバックにした世代的な利益代表者として、今以上に指導者層の老人の権限というのは増してくるんではないでしょうか。


老人の知恵・若者の情熱

藤原  老人の問題というと、これは肉体年齢における老人の問題とすぐ考えてしまいますが、老人が老人として機能するには、ある意味で円熟した知恵を持っているということが重要だと思うんです。同じように、若者は単に肉体的な若さだけではなく、チャレンジする情熱をもっているとか、情熱に支えられた洞察力をもっていなければならない。けれども日本の場合には、知恵をもった老入としてではなく、何か権力を握った形で現われてきている。その一方では、肉体的な若さしか誇れない若者たちが出てきていますね。この分裂が、今の日本の悲劇をつくり出しているのではないかと思います。

豊田 これはやはり世代間の断絶につながってくるわけです。よく新入社員は宇宙人と思えというような話がありますでしょう。それが日本では激しいのではないですか。

藤原  知恵の問題とか洞察力の問題というのは、世代間の断絶など本当はないわけですよ。若くたって、洞察力や知恵をもった人はいる。老人でももっていない人もいる。

豊田  本来そうあるべきでしょうね。日本では、年をとるに従って権力をもてる仕組みになっていますでしょう。ですから、若いうちは権力はもてない。かなり洞察力があったとしても、それを会社なり官庁なりで発揮するというパイプがあまりないですね。

藤原  そうですね。また権力をもっても、知恵と洞察力で勝負しないで、若さのないことを劣等感にもった人が首相になったりする。明治三十八歳だなんてやっているわけでしょう。
 実際問題として騎馬戦をやるというなら若い人にやらせればいいのだし、知恵をもった人というのは表面に立たないで、アドパイザーとして生きられるようなシステムをつくっていかなければなりません。若い人が、自分たちが将来どのような社会に生きるのか、ということを考えながら社会をつくっていけは、良い社会がつくられると思いますよ。

豊田  新しい道徳とか価値観とかが、すべてシステムとして必要とされている時代に来ているわけでしょう。なぜかと言いますと、昔、年寄りが敬われたというのは簡単に言ってしまえば年寄りが少なかったからです。

藤原  いや、やはり知恵があったからではないですか。

豊田  そうではないと思いますね。つまり古希というぐらいでしょう。七十歳というのは古来希なわけですよ。だから、昔の儒教的なシステムで、お年寄り、つまり隠居をした人々に対して敬って接してゆく、そういうことができたのも、遊休人口としてのお年寄りが少なかったわけで、そのへんを根本的に考え直さないとダメですね。


姥捨山は必要か

藤原  ご隠居さんには知恵があったのですよ。姥捨山の伝説があるように、やはり老人は知恵があるがゆえに評価されたので、僕は知恵がない老入は姥捨山そのままに、拾てられてしまうという社会が、ある意味では健全じゃないかと思います。

豊田  それが健全ですか。私はやはり知恵のない老入も何か生きがいをもって生きていかなければいけないと思います。これからはたくさんの老入が生き残ることになるんですよ。要するにサーバイバルの率がふえてくる。しかもその上で、人口ピラミッドの形が変わってくるわけで、膨大な老齢入口を養わなければならなくなる。

藤原  人それぞれに知恵というものはついているのです。それが高齢になって発揮できなかったら始末が悪いと言いたいのです。日本の場合、老人問題というと、すぐ無料パスを与えればよいとか、金を給付すればよいとか、そういう意味での福祉の問題だと思っていますが、そうではなく、やはり老人にとって一番やりがいのある仕事とは何かということを見つけていくことだと思います。

豊田  そのときの新しいモラルというか、新しい形の敬老精神が必要になってくるわけですね。敬老精神という言葉が悪ければ老人の処遇に関する新しい精神ですね。

藤原  そうですね。ところで知恵というのは自分の出処進退がはっきりわきまえられること、自分が何をやるのが世の中にとって一番良いのかなど非常に単純なことなのです。ところが、これができないのですね。日中条約が結ばれましたが、以前に経団連の土光さんや稲山さんが中国へ行って何をされたかというと、石油の問題をいろいろ細かく議論しておられるわけです。ああいうことはやって欲しくないですね。お茶をともに飲みながら、「二十一世紀、日本と中国がどのようにつきあっていくことが世界のプラスになるのか、お互いに話しあいましょう。鉄鋼や石油のことなど細かいことは、後から若い連中を送りますから議論して下さい」と言えるような指導者だったら、日本はもっとうまくいっていると思うのですよ。そういうことができるのも老人の知恵だと思うのですけどね。


石油埋蔵量は変えられる

豊田  日本の企業の決定手段がアメリカと全く違っていますね。向こうのプレジデントはいわば独裁者で上意下達というような感じだと思うのですが、日本の場合、下の方で稟議が回って、それから上の方に行って決定される。これは時間がかかるかもしれませんけど、わりあい下の方の意見を反映することができるやり方だと思うのです。

藤原  ええ、たしかにそういう面はあると思います。しかし、これも大きな問題を含んでいると思います。豊田さんが言われたように日本のビジネスは実際は係長クラスが決めるわけです。お役所でも会社でも係長クラスの水準で決定され、上はメクラ判を押してますよ。
 ところが、係長クラスの問題意識が非常に低い。生の情報というものを知らないのです。耳で聞いたことばかりなのですね。たとえば僕の専門分野で恐縮ですが、石油の埋蔵量を計算する場合、われわれは六つくらいの数字の掛け算だということを知っている。この数字をたとえばひとつ変えることによって全体に10%影響を与える数字というものもあれぱ、0.1%しか影響を与えない数字もあるわけで、そういった数字によって埋蔵量が出てくる。ところが、経済学者でも官僚でも、われわれがつくった数字をまる暗記しているだけなのですね。ですから、そういう人たちと話をしますと、「埋蔵量はこうで、石油は今後○○年でなくなってしまう」というようなことばかり言っている。ところが、僕がもし埋蔵量の話をすると、「豊田さんどれだけ埋蔵量が欲しいのですか」ということになるのです。というのは、僕はいくらでもつくれるのですよ。べつにでっちあげているわけではなく、ここの数字をこう変えるとかいうことでつくれるわけです。

豊田  海底油田を考えますと、採油能力が80メートルと200メートルの場合ではその埋蔵量が大幅に変わってくるでしょうね。

藤原 石油の埋蔵量なんて、石油の値段が上がれば、今まで掘ってももうからないからやめておいたところがふえますね。いくらでも変わるんです。要するに、数字のつくれる人だけが数字を本当に評価できるのですね。ところが日本では数字をまる暗記している人が頭が良いと思われている。

豊田  分析能力のある人が頭がいいのではないのですね。

藤原  つくられた数字の上で舞っていて、蜃気楼のような社会だという感じがしますね。こういったことをベースにして経済や政治が動いている社会はおかしな社会だと思う のです。というのは、日本には本当の意味でのプロ、専門家がいないからです。


ビジネスの原点に帰れ

豊田  スポーツや芸能の世界ではプロはいるのでしょうけど、プロの政治家とかプロのエコノミストはいないようですね。

藤原  どうもプロの政治家であるためにはこういうことが必要だといった発想法がないのです。自分の話ばかりで恐縮ですが、咋年まで十年間大きな会社の中で働いてきましたが、最後に社長のところに挨拶に行ったら、社長が「あなたが非常にうらやましい。私もプロとして一匹狼になってやりたいが自分には自信がない。残念だ」と言う。
 アメリカでは、上に行けば行くほど、プロとして、一匹狼としてつとまる人たちがいるわけです。日本は逆で、上にいる人ほど組織から離れると紙クズ同然になってしまう。逆に言えば、組織から離れられない人たちがたくさんいるわけです。
 日本の産業社会自身がマンモス化しているでしょう。どんどん大きくなって、恐竜の進化と同じでいきづまっている。ビジネスも大きくなっていきづまり、政府に尻ぬぐいをしてもらっている。ビジネスの原点は儲かることをやる、儲からないことはやらないということなのです。日本の場合、儲からないビジネスばかりやっている。実は儲かるビジネスは実力のある人しかできない。企業家精神に富み、真のエンタープライズを築きあげていこうという人たちがトップに立っていないとダメなのです。
 このビジネスの原点というべき、ベンチャー・ビジネスを僕はアメリカでやっていますが、日本に帰ってくると、会杜は従業員が何人いるか、どんなビルに入っているかといったことばかりが問題になってくる。ベンチャー・ビジネスというのは、私の能力、私の人間そのものだし、形として表われないものなのです。このようなものに向かって日本の産業社会が変わっていくと、老人も知恵をもった人間として生きてくると思います。

豊田  これは年功序列制が大きく関係していますから、これをどう変えていくかですね。私の仕事のほうでいえば、出版社なんかは、日本的なりに、ベンチャー・ビジネスの要素を持っています。


無限にある老人の分野

藤原  高齢化社会を考えた場合、老人のためにわれわれが何をしてあげるかではなく、老人が社会にどんな貢献ができるかということですね。彼らが貢献できるシステムをつくりあげていかなければならないのに、日本の場合全くできていない。それと共にシステムではなく、インフォーマルなものも社会の中にとり入れていかねばならない。
 とくに僕は日本に来て感ずることは、情報はたくさんあるが駄物が多いことです。たまには中に良いのがあるが選択できる人が少ない。選択するためには知性、知識だけではダメです。ちょうど呉服屋の番頭が瞬時に品物の値打ちを判断するように、知恵をもった老人は、うまそうに見えるけれどおかしいということが経験とか年の功で分かるのですね。そういう意味で、芸術、政治、経済等々、老人がアドバイスできる分野は未開拓のまま無限に残されています。このようなことを日本のシステムにとり入れていかなければならない。

豊田  私は昔から日本人は取捨選択能力にかけては非常に優れていたと思うのです。つまり中国のものでも宦官とか纒足とかは採用しなかった。今はこの能力が後退してきているようですね。
 今の若者たちを見ていますと、完全に取捨選択を放棄してしまった人が多いようです。つまり、スローガンやレッテルだけをとるわけです。革新や公害反対というとカッコがよいと思ったり、左だとか赤だとか一枚のレッテルを貼ってしまうと簡単ですからね。
 こういった若者たちがそのまま年をとってくると大変ですよ。これからはケース・バイ・ケースで判断していくということがますます大切になってくる。またそういう若者を育てていかなければならない。


ひとりよがりな日本人

藤原  日本に帰ってきて驚くのは、多くの若者が電車の申で足を広げて漫画を読んでいることです。漫画を見るのはかまわないけれど、公共の場ではなくベッドルームで見たらいいじゃないかと言いたいですね。残念ながら、日本の若い世代の大部分はしつけができていない。このしつけの悪い人たちが外国へ出て行くことによって、外国は非常に迷惑を受ける。そういった意味で日本というのはいま非常に苦しい状況にあるんですね。

豊田  日本と同じだけの経済力をもった国が東アジアにたくさんあれば別でしょうが、日本だけ孤立している。しかたがないからヨーロッパやアメリカとつき合っているわけです。その結果、いまの日本の教育とかしつけがダブル・スタンダードになってしまっています。日本だと赤ん坊のときは叱らない。だんだん大きくなり社会的制約がふえてくるに従って叱っていく。向こうでは赤ん坊は叩いてもかまわないし、ともかく犬っころと同じですね。だから、親二人はディナーに行くけれど、子どもはおしりを叩いて二階に寝かせてしまう。それが十七、八歳になってくるとだんだん叱り方が減ってくるのです。日本とは逆ですよ。ところが、今の日本では、その中間をとってどちらも叱らない。

藤原  日本で通用していることが世界でどれだけ通用するか、そういう視点が必要ですね。残念ながら日本人は世界でも最もひとりよがりな国民に入るでしょう。たとえは、僕がある雑誌で「日本人の皆さん出ていらっしゃい。アメリカで石油開発をしませんか」と言ったら、編集後記で編集長が、日本がアメリカヘ出て行くと、アメリカ人はおそらく日本に対してこうしてはいけない、ああしてはいけないと規制するのじゃないかと書いているのですね。
 日本人がいやがらせを日本国内で外国人に対していろいろやっているわけです。自分がやっているから、他所へ行ってもやられるんじゃないか、そういう発想法で考えているから、日本人は思い切って外へも出られない。


日本は多民族国家

豊田  だれも賛成してくれないのですが、日本は単一民族国家だという迷信を捨てろ、アメリカと同様多民族国家である、ということを私はいろんなところで言ったり書いたりしています。ドイツ系日本人がいてドイツの文化をもっている方がにぎやかでいいだろうし、朝鮮系日本人がいて、朝鮮服を着て朝鮮語をしゃべっている方がよい。そういうふうに規定しないとまずいと思う。
 お正月には和服を着て、とそ酒でも飲んで、文化的にすべて日本人になったから日本人にしてやろうという発想が日本人にはあるのですね。日本では日本に帰化するということは大変なことです。苗字まで日本式にしなければならないし、母国の風俗習慣を捨てなければならない。日本国内には今七十万人くらいの外国人がいるわけですが、将来を考えた場合、日本は多民族国家であることを再確認した方がよいと思うのです。

藤原  日本が多様性を受け入れないという状態で近代化してしまっているからいけないので、実は近代化というのは多様性を受け入れるがゆえに近代化なので、日本はその意味では本当に近代化していないわけです。
 だから、SF的な話になりますが、日本が外に向かって進出するだけではなく、日本のドアを大きく開いて、世界を日本の中に呼び入れたらどうでしょう。ある意味で文化には文明化する文化と、文明化される文化がある。日本文化は中国文明やアメリカの機械文明に文明化されてきたんです。ところが、外に対しては影響力を与えていない。日本は文明化しえない。だから思い切って文明化されることによって、日本の中に入ってきた文明を日本化していくことで、日本が外に向かって少しずつ開いていかなければならない。
 そのパロディとして、たとえば、リビアやサウジアラビアの砂漠の石油と日本のどこかの県、たとえば新潟県の統治権とを交換したらどうだろう。つまり日本のリビア化、サウジアラビア化ですね。これはちょっと極端ですが、極端なことを出していくことによって、もっと現実性のあるものを具体化していったらいいんじゃないかと思います。

豊田  日本と対極にある国がスペインです。スペインの文明史家、ディエス・デル・コラールが書いていますが、スペインは他国に教えるばかりで、他国から良いものを一つもとり入れない。そのうちにスペインに人材がいなくなって、しかもよそから他の文化の刺激をちっとも持ち込まないから、中の文化が進歩しなくなってしまった。文化というのは異質の文化と衝突することで――歴史上はほとんどが戦争ですが―― 発展していくわけですが、スペインの場合それがない。日本の場合は逆で、やらずぶったくり……。
 日本で、ジャパノロジストが大事にされる理由の一つはそこにあると思う。日本人はスボークスマンとしてあまり能力がないので、代弁してくれる便利な外人を重視する。

藤原  ところが、知日家というのは親日家ではないし、日本人が親日家であると思っている人たちは、腹の中でこの野蛮人めと思っているかもしれない。

豊田  韓国などをみると、知日家というのはほとんど反日家ですね。よく日本を知らない人の方が漠然とした親近感をもっている。

藤原  知日家イコール親日家、こうくるから誤解してしまう、敵の中にも味方がいる。むしろ、われわれが必要なのは本当にいい敵だというような発想、あるいは敵の敵は味方であるといった考え方ができれば、国際社会をこれから生き延びていく上で非常に柔軟な対応ができると思うのですがね。


すぐれた敵をつくれ

豊田  メイア首相への弔電でサダト大統領が言ったのは実によかったですね。「すばら しい敵だった」という……。

藤原  われわれは本当にすぐれた人を敵にすることによって学ぶことが非常に多いんです。ところが、日本人はナーナーでしょ。腹と腹で通じあえる人だけが良い人で、あとはみんなダメという割り切り方をしている。本当に良い敵、あるいは競争相手をもったとき、われわれはぐんぐん伸びていくのです。そういう意味で韓国なんかをいい競争相手とすればよいのです。ただ問題なのは、韓国は半島国家でしょう。われわれと発想がぜんぜん違う。マキャベリみたいな人が韓国には出てくる。日本にはそういう人は絶対出てこない。出てくると袋だたきにあいますから。やはり半島民族を理解するのは島国の人間にはむずかしいかもしれません。
 だけれど、おもしろいことにイギリス人は同じ島国ですが、あまりほめると、警戒し始めます。乙いつはほめすぎるけれど、何か腹の中で一物もっているのではないかと思いはじめる。ところが日本人はほめられると有頂点になって、まあまあそうか、すし食いねえ、となるわけですよ。

豊田  けなされると有頂点になる場合もある。優越感と劣等感とが背中合わせでしょ う。外人のご託宣でけなされると大喜びする……。

藤原  日本というのはある意味で浪花節国家なのですよ。日本文化のエッセンスを取り出したら何かというと、浪花節です。清水次郎長であったり、忠臣蔵でしょう。これは普遍性がなく、外へ向かって訴える力をもっていない。中にいて、美しさに共感すればみんなで分かちあえるけれど、それを外へもっていったら、野蛮なことをやるじゃないか、いったい日本というのは法治国家かと言われるのがおちですね。そういうものを案外大事にしていることを、われわれは気がつかない。


メートル法記念日を

藤原  自民党も共産党も社会党も、要するにみんな国粋主義者の団体ですから、僕みたいに国際的な立場で、たとえば日本はさらに国際化していかなければならないと発言すると、みながケシカランと言う。

豊田  裏切り者だと……。

藤原  そう、裏切り者になるのです。たとえば僕はこんなことを言うわけですよ。日本の経済社会が発展してきたのはメートル法のおかげだったと。このことを日本人は忘れているが、製品をつくってアメリカやヨーロッパに売ることができたのはこのおかげです。
 それ以上に重要焦ことは、日本で義務教育を受けたことによって日本人は5キロとか1トンとか、そういう話ができる。これは国際レベルでのコミュニケーションができる人間を育ててきたということです。もちろん英語をペラペラしゃべることはできないけれど、お互いにコミュニケートできるベースを持った人間を育ててきたことは評価しなければならない。建国記念日なんかより、まずメートル法記念日の方を祝日にした方がよいと思います。これと同じことが元号の問題にもあるわけです。僕が1925年などと言いますと、僕のおふくろなどは、それは昭和だったかしら、などと言い出しますよね。外に出て15年にもなる僕自身さえ困ることがあるわけです。このため日本人は世界的な視貯での歴史感覚が足りなくなっている。
 そういうことを考えると、たとえば今、老人たちが、ノスタルジアと西暦を積極的に使うことができないがゆえに、元号を法制化し、これから生まれてくる入たちの未来を規制してしまうのは、これは感心しない。その選択は次の世代にまかせるべきでしょうね。
 また、われわれは他人の成功から学ぶより失敗から学ぶことの方が多いわけで、自分たちの失敗を次の世代に語り、伝えてゆくことができればいいですね。


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