『ニューリーダー』 1995.06月号



サイエンス軽視が日本を亡ぼす

いまなぜ再び「阪神大震災」か?


藤原肇




阪神大震災はやはり人災である

 日本のマスコミはいま、オウム真理教報道一色。わずか四か月前に起こり、あれほど日本中の関心を集め論議が沸騰した「阪神大震災」もいまや紙面・画面の片隅に追いやられた形で、世論の関心はにわかに冷えてしまった。日本のマスコミは何か事件が起きると、一斉にワンパターンで追いかけ、興味本位に皮相な記事を並べ立てるが、問題の本質を深く根源的に掘り下げる努力をしようとしない。また読者もそれを求めない。
 「阪神大震災」についても同様。政府の危機管理の推拙さ、大都市防災システムの無策ぶりを始め多くの問題が議論されたが、その背後にあるより根本的に重要な問題が看過されていることに、私は大きな疑問をもつ。オウム一色の世論の中で、いま改めて「阪神大震災」報道で見過ごされた問題提起をしようとするのも、明日の日本を考えた場合、どうしても黙過できないという私の危機感のためである。
 私が本稿をまとめようとした、そもそもの理由は、「阪神大震災」発生議論の中で、地震など地殻変動に結びつく「構造地質学」的視点が欠けているためであり、そのインプットが将来に向けての建設的な批判になると思うからである。
 「構造地質学」という耳慣れない言葉だが、これは地殻を構成する岩石や地層の状態を調べ、物理的性質やストレスによる地殻運動を研究し、マクロの造山運動からミクロの地農や火山活動など、地球の生理活動や発展史に関わる学問である。いってみれば、山や丘を切ったり埋め立てをすることで、地殻変動による地震や地盤沈下が起きたりする、その力学的なメカニズムを研究する自然観察が、この専門分野の仕事である。
 私はこの学問に興味をもち、フランスのグルノーブル大学に留学し、五年問の修行で学位を得た。しかし、この分野で仕事をするには日本はあまりにも異常な国であり、科学が技術主義に踏みにじられた状態にあることを痛切に知らされた。しかも、アカテミアにおける地質学の領域は、閉鎖的な学閥の桎梏に支配されているだけでなく、明治以来の舶来思想と悪しき翻訳の伝統のために、システムとしては世界の第一線から立ち遅れていた。個人的には優れた人材も結構いるし、困難な条件の中で達成された研究成果もあるが、日本の産業界の体質は自然科学の評価が低く、構造地質学を活用することはとても期待しえない。なにしろ、独創的な考え方を評価する土壌がなく、基礎科学に対しての全般的な軽視がある上に、応用を重視して技術主義が支配する日本では、構造地質学はおろか地質学でもいまなお、日当たりは悪い。
 しかし、日本列島は地球上で地殻変動が最も激しい場所で、生活にとって脅威になる現象がいろいろと存在する。地震、火山、地崩れなど地質絡みの天災に加え、台風や冷害を始め気象にまつわる自然災害や、地盤沈下や公害などの人災まで目白押しだ。だから、これらの災害をもたらす自然現象の本質を知り、被害を防いで犠牲を最小にするために、自然を観察して地殻の異常を診断することが不可欠である。そして、社会の安全を保障する国策の基本として、長期的な国造りのビジョンの確立が重要課題である。ところが、残念ながらそれが国政に反映していない。人材を育てて資金と時間を費やすよりも、技術導入と設備投資を組合せることで、手っ取り早く利益を生むという短絡発想に支配され、ソフトな基盤造りを忘れ経済大国を目指してきた。
 日本の大学を卒業して海外留学をした頃の私は、山を削る時のアイソスタシー(地殻均衡補正運動)の学問的な裏づけもなしに、土建屋が山を削ったり埋め立てをすれば、地震や地崩れなどの災害を誘発すると危倶していた。だが、この日本流の弊害はその後の三〇年を通じて、改められるどころか逆に加速度がつき、丘陵が削られ川の氾濫原や海岸が埋め立てられ、開発と称した凄まじい土地の造成が行なわれた。その結果の一つが神戸を中心にした阪神大震災の被害であり、これは戦後の半世紀も続いた「富国強工」政策が招いた、人災の要素が濃厚な悲惨なツケに他ならなかった。


自然の均衡を崩してストレスを高めた

 地震が起きた直後にあった気象庁の発表では、「地震は淡路島北部の深さ二〇キロで、北東から南西方向の断層が横ずれして起きた。余震の震源域は淡路島北部から神戸市の直下まで達しており、破壊が神戸の直下まで進んだ内陸の直下型地震とわかった」そうで、震源が非常に浅かったために拡散せず、放出エネルギーは非常に大きかった。しかし、これは地震計によるデータ分析の数字であり、現地調査をした広島大学の中田助教授の調査隊は、長さ九キロに及ぶ一メートル半の断層ずれを発見している。
 この断層は野島断層として知られており、淡路島の海岸線と平行して北北東の走向を持つが、世界中で各種の断層を観察して来た私の目には、これはねじれ(ウレンチ)断層に属すタイプの性格を示す活断層であることは疑いの余地がない。また、現在の段階で手に入る情報をもとに予想すると、深さ一〇キロ以内の超浅発性地震の可能性が濃厚である。
 そうなるとこの地震は人災の要素が強まり、三〇年普に私が危惧したように無茶な土地開発のために、浅いレベルでの地殻均衡補正運動(アイソスタシー)が起き、災害を必要以上に大き<したとも考えられる。そして、科学に対してもっと真剣な配慮をしていたら、地震の被害はより小さかっただろうと思うのである。
 メディアに登場していた地震についての議論は、プレートテクトニックス理論が脚光を浴びて引用され、ユーラシア・プレートとフィリピン海プレートが衝突して、大地震を発生するという話で賑わった。震度八を超えるような大地震なら当然だろうし、巨視的に見ればその相関も無視できないが、今回の地震のように非常に浅い性格を持ち、震度が中程度のものについての説明として、プレート理論の適用は飛躍し過ぎている。現に震度七・二という中央気象台の公式発表は、その後の議論では国際基準では六・九になり、一咋年ロスの町の北部で起きたノースリッジ地震に比較されているのである。
 プレート理論の無原則な適用がなぜ問題かと言えば、今度の地震はユーラシア・プレートの内部で起こり、しかも、ねじれ断層の運動による超浅発性だからである。地震という自然現象の枠組みは確かに共通であり、一見すると科学的な議論の印象を与えるが、局所的で直下型の性質の浅発性地震は、海溝型で深発性の巨大地震とは性格が違う。そして、阪神大震災が大きな損害を招いたとはいえ、ストレス蓄積の原因や均衡調整のメカニズムの点で、これをプレート理論で説明するのは無理であり、地震の形態や次元があまりにも違っている。ちょうど、眼球の水晶体破損と糖尿病では、同じ失明でもメカニズムと原因が異なっており、水晶体なら眼科に行って治療をする必要があり、糖尿病は内科的な措置が不可欠なのと同じである。
 大構造の関係を大平洋を挟む日米で比較すれば、大構造線であるサン・アンドレス断層は南海トラフに相当し、それに沿う大断層帯がサン・ガブリエル断層群や中央構造線である。ところが今回の地震はそれらの大断層帯に直接関係がなく、それに斜交して発達する派生的な断層の中で、支線に相当する活断層群がねじれ運動を演じ、ロス北部や神戸を襲った地震を発生させている。しかも、淡路島の北端から神戸に抜ける六甲系断層群が、野島断層と諏訪山断層を結んでねじれ運動をし、軟弱地盤が阪紳大震災の被害を大きくしたのだ。
 被害が大きかったのは人口が緻密な臨海都市が、直下型の地震に見舞われたことに加え、阪神地方の地盤が地質学的に軟弱であり、地震の揺れの増幅に抵抗力が弱かったためである。しかも、山を削り砂利を埋めた無理な土地造成が、自然の均衡を崩してストレスを高め、被害を大きくした点を見落としてはならない。


技術偏重の袋小路に呻吟する日本

 地震や地滑りなどの地質学的な自然現象は、現地調査(フィールド・ワーク)が何よりも決め手であり、震源地を中心にした緻密な調査が欠かせない。自然現象を理解する基本は観察力の訓練にあり、丹念に観察することで見抜く力がつくし、自然が語りかけているものを受け止めて、何が問題の本質かを読み取る眼力がつく。
 地質現象の観察は地球が患者だと考えれば、人間が患者である医学と立場は同じである。地質学者は患者に接して診断する内科医に相当し、地球物理学を扱う地震学者は計機類を駆使して、物理療法やX線解析を行なう医師の役割を演じ、間接的なテータ解析で診断を担当しているが、両者の組み合せと作業協力が必要である。それに加えて、技術指向の強い土木建築の分野があって、これが具体的な工事の施工を担当しておリ、病院でいえば外科に相当する仕事をすることになる。
 一般に病院は内科、外科、臨床検査などを軸にして、各種の医師、看護婦、医療技師などが協力し合い、総合的な医療業務を行なう施設であるが、その中心は診断を行なう内科にある。だから、システムとしての医療制度の中核が内科で、診断というソフトの比重が大きくなるが、よりワザやハードウエアの度合いが強くなるに従い、外科や物療諸科のような特殊化をたどり、局所治療や対症療法の性格が強くなる。
 国を挙げてハード指向に邁進してきた日本は、病院の例だと最新鋭の医療機械や設備を誇り、先端を行く外科手術や物理療法を得意にするが、診断をする内科医の陣容の面で手薄な、特殊な大病院に似た存在になっている。その結果、時代の脚光を浴びる臓器移植や整形外科では名を上げ、金回りのいい立派な病院を構えているが、住民と密着した医療行為にあまり興味を示さない点で、弱者への気配りに欠けた豪華大病院に似てきた。また、社全が特殊な部門に偏向して発達することで、全体のバランスよりも特化への指向が強まるが、この趨勢を邁進した日本は技術集約に偏重し、前述の大病院と似た特化のパターンが、産業社全の体質になっているのである。
 私が拙著『日本が本当に危ない』(エール出版刊)で論じたように、戦後の日本は技術集約型の産業社会の建設に熱中し、技術偏重の袋小路に頭を突っ込んで呻吟している。
 これはドラッカー教授が「日本は高度製造技術(ハイエンジニアリング)の段階で、ハイテク段階には至っていない」と喝破したように、基礎技術さえものにしきってはいない事実を示す。また、肥大化して大量に資源を消費するだけでなく、新しい立地を求めて自然を乱開発して、中生代末の恐竜のように身動きできない状態に陥っているのが、経済大国を誇る日本の姿に他ならない。


利権政治に毒された日本列島の危険度

 歴史を概観すると、古代人は本能的に高台を好み、ローマ時代の村落は丘の上に散在しているし、日本でも縄文人は丘陵地帯に住居を作り、低地に降りたのは農耕文化の弥生時代からである。こうして、住むのは山の手の高台で仕事は低地という選択は、つい最近まで日本人の生活の知恵になっていて、明治の終わリ頃まではそれが人生に反映していた。
 だが、戦後長らく続いた技術信奉の工業化路線が、日本全体を産業至上主義に塗り込めてしまい、丘を削り川の氾濫原や海岸を埋め立て、土地造成が開発の美名の下に推進された。その極めつけが『日本列島改造論』であり、土建屋上がりの政治家である田中角栄は、『都市政策大網』という通産官僚の作文を横取りして、都市開発を政治キャンペーンに使いまくったが、それが土地投機と結ぶ利権政治の幕開けになった。
 田中金脈の象徴として名高い信濃川の河川敷は、田中ファミリーの室町産業の疑獄として知られるが、これは水資源開発特別委員長、通産相などの職務を通じて知った、内部情報と蔵相の地位を使った買い占めである。また、あまりマスコミに登場しない別の田中金脈に、関西国際空港の建設にまつわる利権があり、ダミーを使った土地投機が密かに利用され、和泉丘陵や淡路島の砂利の買収が進み、丘が削り取られて空港埋め立てに使われた。
 関西新空港の候補地としては泉南沖、神戸(ポートアイランド)沖、淡路島、明石沖などがあったが、田中幹事長は埋め立てによる海上説を唱え、最初は埋め立て実績のある神戸案が優勢に見えた。だが、六甲山を切り崩して沖合いを大規模に埋め立て、土地造成をする神戸市の事業は歴史が古く、トンネルを使った砂利運搬システムを使い、大量の土砂で沖合いを埋め立てていた。だから、田中流の土地投機の食い込む余地がなく、砂利利権の面で田中にはウマ味が少なかったので、首相の田中は泉州沖を積極的に椎進した。
 新空港は三兆円から関連含みで一〇兆円に及ぶ、巨大な投資規模をもつ開発プロジェクトであり、大阪商工会議所を中心にした財界のイニシアティブで、関西の復権を目ざして推進された。水深二〇メートルの海を埋めて一一〇〇ヘクタールの土地を造成し、完成には四億立方メートル以上の砂利の需要があり、砂利はいくらでも必要だということで、大阪湾周辺の土地は投機的な土地買い占めが進んだ。しかも、滑走路一本の第一期工事の砂利だけでも、二億立方メートルを必要とするという数字に基づき、風化の進んだ花岡岩砂(真砂)と山砂利に恵まれた淡路島北部は、札束攻勢で士地買収が浸透した。ことに津名丘陵に殺到した砂利採取業者たちは、数十メートルの規模で大規模に丘を削リ取り、泉州沖に運んで埋め立て砂利を用立てた。
 淡路島北部は地質学的にも非常に不安定な場所で、野島断層を始め六甲断層群が北東に走り、それが六甲山の東面の崖を作っている。そんな場所を手荒なぺースで削り取り、土建屋の発想に基づいて岩石を破砕して、大量の砂利を運び去ったのだから、断層地帯の地殻は局部的に安定を喪失した。しかも、神戸沖では大規模な埋め立てが続いて、六甲アイランドやポートアイランドが次々と生まれ、均衡異常が起きても不思議ではなかった。
 新空港予定地となった泉州沖五キロは水深二〇メートル前後で、海底の表面には二万年前から現在までの間に沈積した、沖積層と呼ばれる泥が二〇メートルも覆っており、その下には四〇〇メートル近い粘土層と薄い砂礫層の互層が発達するが、これは過去一〇〇万年に堆積した半凝固の洪積層である。この砂と粘土は水を含むと豆腐に似た性質になり、ともに基盤としては非常に脆弱な地層であるが、最初の固い岩盤である第三紀層はその下にあった。
 こんな場所を短期間に大量の土砂で埋め立てれば、猛烈な地盤沈下を生むのは当然であるが、そうした研究は不十分な形でしか行なわれず、強引に空港建設を決めて見切り発車した。ここにも技術過信の弊害が現れており、科学を軽視して技術力で既成事実を作る、戦後の日本を支配した猪突猛進主義が横行して、国策への懐疑や批判を政治力で圧殺した。
 その結果は悲惨である。年間五〇センチ.近くのぺースで沈む空港を支えて、構造物の歪みを補正しなければならなくなり、空港ビルの地下には一〇〇〇本近いジャッキを据えつけた。これは小刻みに毎日連続する災害であり、埋め立て地の安定には数百年が必要だが、自然が数万年かけて行なうプロセスを、わずか数年でやった無謀さの報いでもあった。
 しかし、それ以上の致命的な過ちを犯していたのは、この地域が地質学的に非常に不安定であり、長期的には最悪の選択をしていたのである。


自然の生理を無視する人間の驕慢

 日本列島を東西に横断する巨大な構造に中央構造線があり、すでに述べたように断層帯として多くの大断層を含み、地質現象では超一級不安定地帯を構成するが、関西国際空港はそのすぐそばに位置している。この構造線は大阪府と和歌山県の境界を紀の川沿いに、四国の吉野川に抜けて九州まで続いており、白亜紀の和泉砂岩がこれに沿って発達しているが、地層の厚さは何と一万メートルを超している。
 一般には、砂や泥が堆積した重さのために海底が沈み、さらにそこに土砂が積もると考えられているが、和泉砂岩は構造地質学的にその逆なのである。地殻が沈下するために海底にへこみができ、その空間を埋めるために周辺の山が隆起して、激しい浸食作用で削られて運ばれた砂が、窪みを埋めるというプロセスになっている。どんどん沈むのが和泉地向斜の生理であり、その結果が一万メートルの砂岩の堆積になったが、こんな過去を持つ基盤の上に関西空港は建設されたのである。
 沈降と隆起の相剋は地質構造を決定づけるが、極地的なアイソスタシー(地殻均衡補正運動)の脈動は地球の生理であり、地震は急激な痙攣現象の一つに過ぎない。この地殻のリズムを反映した自然の営みとして、大阪湾は沈み続けて窪地を維持するし、周辺の丘陵や山塊は年間数ミリほど隆起するので、バランスをうめるために浸食作用が継続した。
 過去一〇〇万年の関西地方の歴史を振り返ると、こんな地質学上のフレームワ―クのせいで、琵琶湖から淡路島にかけての低地には、洪積層の礫岩、砂岩、泥岩が厚く堆積した。また、氷河期が終わった二万年くらい前からは、両側の山地の隆起と浸食作用が続き、琵琶湖と大阪を結ぶ地溝状低地の中心部を流れる淀川流域では、周囲の山地から削られた砂や泥が厚く積もった。中でも木津川は天井川として有名であり、川底の方が堤防の外の氾濫原より高く、道路や鉄道が川底の下を通る現象があるが、これは厚い砂の堆積のせいである。
 大阪平野は厚い堆積物で覆われた三角洲であり、大阪湾の中と東大阪市に地盤沈下の二つの中心があるが、洪水のたびに土砂が運ばれてそこを埋めるので、水の都として運河が必要になったために、大阪は日本のベニスとして美しい景観を誇っている。
 このような関西地方の構造地質学的な条件と、関西新空港の抱える問題点を指摘する目的で、私は「地球発想のアプローチ」の副題を持つ『脱藩型ニッポン人の時代』(TBSブリタニカ刊)の中に、次のような地質学的な見解を書いたことがある。
 「構造地質学のプロとして世界各地で仕事をし、サウジアラビアの国土改造計画に参加した立場で言えば、泉州沖に作っている関西新空港の埋立地の地盤沈下を危倶しています。それはあそこが和泉砂岩の堆積地帯であり、今から五〇〇〇万年ほど前の堆積盆地のせいです。砂が堆積するから地盤が沈下丁るのではなく、逆に、地盤が沈下するから窪地に砂が溜り、和泉砂岩は一万メートル以上の厚さになりました。だから、砂利で埋め立てをすればするほど沈み、万が一に大きな地震でもあれば大変で、砂利の間隙の地下水が吹き上げ現象を起こして、大量の砂利とともに水没する危険があることを、専門家として警告しておきたいですね」
 国策事業を批判して致命的な欠陥を指摘したためかどうかは不明だが、この本は問もなく絶版になっただけでなく、編集を担当した部長はヒラに降格になり、「藤原は編集者殺しだ」という風聞が立った。この出版社が関西財界の重鎮として活躍しており、拙著の指摘に対して、臭いものに蓋の発想があったのか、と推測するのはうがちすぎかも知れない。
 しかし、この出版社から本を出した契機は、一九七八年に関西経済同友会に招かれて講演し、人工衛星写真で構造解析すると活断層がいくらでも見え、このノウハウを戦略的に活用することが、日本の未来を決定づけると強調したおかげだった。
 それから一七年の歳月が経過した現在に至って、乱開発と大規模埋め立て事業が進行し、活断層を刺激して阪神大震災を招いたのなら、犠牲者に対して慰霊に捧げる言葉としては、「同じ過ちをくり返さない」という常套句しか思い当たらないのである。


「科学」でみるコンクリートの生涯

 技術革新の成果が経済大国にしたという神話は、日本人に技術への過信をもたらせており、それが経済王義で動く開発熱を加速して、阪神大震災を大きな災害にしてしまったといえる。安全基準を超えるはずのビルや高速道路が崩壊し、大丈夫なはずのポートアイランドの埋立地が、液状化によって最大三メートルほども沈んでいる事実は、安全基準が学問的な裏づけに基づかない法規定に過ぎないことを露呈している。
 鉄筋コンクリートの例で安全基準を検討すると、構造物の大さや高さと鉄筋の関係が主で、張力や重力歪みを中心に定量的に考えられ、セメントの物性についての科学的な評価は、既存の資材としてほとんど考慮されていない。補足的な説明をすると、セメントは粘度と砂の組み合せによる一種の結晶で、それに砂利礫を混ぜたものがコンクリートである。
 セメントは組成として一応のポジションを構成するが、次々と結晶型が順番に変わり続ける性格を持ち、その生涯サイクルは六〇年だと言われている。水で練った最初の一か月目は幼年期に相当し、この間に四〇回も結晶は形態を変えるし、最初の一年目の少年期にさらに幾度か形態を変え、次に移行する青年期は最も頑強な時代である。
 最初のクラックは幼年期にできる超微視的なもので、これは結晶化の時の縮みでできる生理的なものだが、少年期から発達する微視的なクラックや、青年期以降のひび割れの原因はストレスであり、外からの圧力や応力に由来して亀裂になる。
 二〇年目を過ぎて壮年期に入る時期には、空気中の炭酸ガスを固定して炭酸化が進み、その過程で結晶構造が異なる形態になり、次第にポロボロになったり剥離現象が目立ち、ほぼ六〇年でコンクリ―トの寿命が尽きる。まるで人生のリズムにそっくりではないか。
 鉄筋コンクリートの建造物の寿命が六〇年とされ、現に米国では古いビルや橋梁の取り壊しが進んでいる、これは幼年期には健康体だった珪酸カルシウムが、時間の経過で珪酸とカルシウムに分かれて遊離し、最後には人問の骨に似てボロボロになってしまうからである。こういったセメントの生理については、建築家や土木関係者はほとんど考慮していないし、同じセメントでもカルシウムとドロマイトの比率が、老化防止の秘薬だと知る者は絶無に近い。そして、セメントは建造物に使う資材に過ぎないから、目方で買うものだと思い込んでしまい、安全基準も炭酸カルシウムの生理を軽視して、動態変化に疎い静態基準に過ぎないのである。
 サイエンス無視の似たような例で言えば、埋め立て工事における地盤と砂利の関係である。一種の水ガラスの実験工場だという発想がなく、誰もシリカと水の縮合関係を想像しようとしない。だが、海底を二〇メートルの厚さで覆う軟弱な沖積土は、砂利として埋め立てに使う土砂と同じで、その下に堆積する四〇〇メートル近い半凝固の洪積層とともに、珪酸塩と呼ばれる粘土鉱物が主体であり、マクロでは流体だから地震による液状化に無力である。
 すでに論じた通り、地質学的に基盤が軟弱な場所に酸やアルカリで簡単にゲル化する珪酸塩を埋め立て、防水と称して周辺をセメントで固めれば、流動性の水は逃げ場を失って一時的に豆腐状になる。そして、地震を機会に流れて液状化を呈すのだが、この基本原理を無視して巨大な何かを企てることを、昔の人は「砂上の楼閣」と言わなかっただろうか。


「科学技術」に一括された科学≠フ悲劇

 科学は自然や社会の生理現象について観測し、全体を支配している基本法則を取り出して、その相関についての知識を求める営みである。それを湯川秀樹博士は「現実の背後に横たわる広大な真実の発見」と表現した。だが、経済優先ですべてが動いてきた日本では、科学は科学技術として一括されてしまい、行政主導の国策推進に邪魔だと軽視され、実際的には技術に吸収されている状況にある。
 科学技術振典や科学技術庁などの例に見る通り、本来は一緒になりえない科学と技術を接合したものが、まるで進歩を保証するうえでの万能薬のように、至るところに我が物顔で登場している。
 世界でこんな言葉が通用するのは日本だけである。これは御用テクノロジーの押しつけを偽装するために、科学という言葉がダシに使われているのであり、誠実な科学者は恥ずかしい思いに耐えている。
 日本には技術はあってもサイエンスがないと主張し、「マネはサイエンスではない。よくてせいぜいテクノロジーである」と喝破した糸川英夫博士は、「われわれが今しなければならない挑戦は、経済的な水準をこれ以上に上げることではなく、基礎科学の分野で世界にどう貢献できるかだ」と言い切っている。しかも、技術妄信の現状を批判して書いた『日本が危ない』(講談社刊)では、あんなものをサイエンスと考えるのは思い上がりだと決めつけて、「筑波科学博は名称に『サイエンス(科学)』という言葉を使いながら、そこでやっていることは、完全な技術(テクノロジー)の分野なのである。だから、筑波工業技術博覧会とすべきだった」と苦言を呈している。
 日本が得意にする技術を公平な目で評価すれば、採算効率の面での卓越性が主体になっていて、特殊な条件の中の品質管理の分野に限られ、真のゆとりに基づく高品質には由来していない。それは高いシェアと大きな売上げを目指し、大量生産と大量販売を技術で追求しているからであり、これまた資源大国アメリカの模倣ではないか。
 中には独自な路線を守る企業も日本にある。明治時代に政府の仕事を入札で落としたが、暖簾と経営理念を傷つけた体験を昧わったので、「質より量の入札工事は厳禁」の家訓があるという話を、竹中工務店の前の当主から聞いたことがある。だが、バブル経済はこのような誠実な理念を粉砕し、日本人を財テクで塗り込めて功利主義の権化にした。金儲けのテクノロジ―が財テクの正体であリ、それを支えたのが安易な技術妄信だった。


科学技術庁長官の愚劣な人事

 技術でさえ外国の物真似と改良が基本だから、科学になったら翻訳と焼き直しがほとんどであり、多くの分野で世界の第一線に立ち遅れているのが、残念ながら模倣日本の現状である。
 しかも、奇形児に似た「科学技術」という日本流の呪文が、政治的なキャッチフレーズとして乱用され、まったくおざなりな形で使われて来た事実は、歴代の科学技術庁長官の顔ぶれを見れば、技術はおろか科学に無縁なことからも歴然とする。
 その極めつけが村山内内閣の愚劣な人選であり、経歴からして技術や科学にまったく無縁な田中眞紀子が、素養も見識もないまま長官に任命されている。
 村山内閣が発足した時にコメントを求められ、シカゴの邦字新聞『ミッド・アメリカ・ガイド』に、「戦略発想の脱落した新内閣の実態」と題して記事を書き、主要閣僚の顔ぶれについて講評したことがある。他の閣僚の問題点についてもコメントしていたが、日本国内のジャーナ・リズムが大局的な視野に欠け、批判の論陣を張らないのが情けなかったが、その最後の部分を引用して結語に代えたい。
 「笑止千万で涙がでるのは科学技術庁の長官であり、親父の田中角栄が作った越山会の地盤を相続した、二世議員の田中眞紀子がお祝儀で就任したが、学術会議のメンバーや大学になぜ人材を求めなかったのか。あるいは、民間の研究所の上級管理職から人材を選べば、日本が直面する問題点の解決に肉薄できるのに、科学や技術がこんな形で素人にいじり回されれば、日本の来来は支離滅裂にならざるを得ない。
 なぜこんな結論を出すかと言えば、現在の日本が経済大国と言われながらも行き詰まり、袋小路に頭を突っ込んでいる原因がここにあって、サイエンスの軽視が桎梏になっているからだ。過度の技術偏重による大量生産設備の過剰と、低迷して貧困に陥った科学力の肉離れに対して、糸川英夫博士は『日本には科学はなく、技術だけがある』と警告を発しているが、それを教訓にして問題の本質を抽出した私は、拙著で『日本が本当に危ない』状態にあることを実証した。そして、知識集約型の産業社会に脱皮することこそ、二一世紀を目指して日本が進む道だと論じたが、それが知的所有権やインテリジェンスの問題と絡んで、日本の死命を制すことになるからだ。
 この意味で、目白御殿の女主人公が科学技術庁の長官であることは、週刊誌レベルで話題を集めるトピックスにはなっても、歪んだ日本の運命を修正する力になるとは信じられず、チャンスが茶番劇になったことが惜しまれる」


記事 inserted by FC2 system