世界の一流ホテルの条件と発展するホテル文化

謝森展(中華民国日本研究学会理事長)
藤原肇(フリーランス・ジャーナリスト)



文化を体現するホテルの役割

藤原 謝さんは中華民国日本研究学会理事長として活躍し、台湾や日本の新聞や雑誌に両国の政治や文化について執筆したり、国際経済や歴史についてコメントしています。
 それだけではなく、台湾の財界の幹事役として、世界を舞台に忙しく動きまわっているし、自然環境の保全に関してのリーダーでもある。
 また、台北の経済人として活躍していた時期に、この来来大飯店(来来シェラトン)を設立されたそうですが、ホテル建設という異質の分野に手を出した動機や、謝さんのホテル観を中心に話を進めましょう。

 ホテルは一国にとって文化を代表するものであり、ロビーに入った瞬間からその国の文化が始まるに等しく、ホテルの中は文化や文明が集約されている。
 しかも、ホテルが全体として構成する小さな社会というのは、その国の縮小ではなくて洗練された部分の集約であり、そういう視点で助言したり環境作りをするために、世界を相手にビジネスをやった経験豊かな経営者や外交官が、ホテルの経営に参加するケースが多いのです。

藤原 それに、ホテルは建物ではなくて人が決め手ですね。
 発展途上国や後進国になるほど、近代的なホテルがあり、ハードウエアとしての建物は立派に見えるが、中に入った時の第一印象がチグハグな感じがして、マナーも付け焼き刃だと思うものも多いですね。

 アジアでの最新で立派に見えるホテルはマニラだったが、それはアジア開発銀行がマニラに進出したために、それに合わせて最新ホテルを急遽つくった。
 しかし、何といってもホテルに関してはヨーロッパが素晴らしく、多くの点で手本になるものがあります。

藤原 そうですね。フランスやスイスは、観光や国際会議の伝統があり、ホテルに関しても素晴らしいものが多いが、決して最新的な大設備を誇っているわけではなく、シックで落ち着いた雰囲気を持っているし、従業員のマナーも感嘆することが多いです。

 パリのリッツやロンドンのサボイ・ホテルのように、外装で見る限りでは特別なものは目立たないが、従業員の物腰に洗練さが読み取れるし、内装のちょっとした所に気配りが生きていて、真の意味でのホスピタリティが感じられます。

藤原 建物はカネの力で立派なものは幾らでも作れるが、床や柱に使う大理石の選択や組み合わせを始め、タピストリーや調度などは文化に属すから、カネをかければ良いというわけにはいきません。
 それに、パリのリッツのように、ロビーがなかったり、単なる見物客は中に入れてもらえなかったりして、それをスタイルとして押し通しています。

 入るのを断わられた人は悔しい思いをするだろうが、ヨーロッパにはプライバシーを尊重ずる伝統があり、一種のクラブ的なホテルも存在するわけだから、多様性として認めなければならないでしょう。
 カネが万能でない世界があってもいいのです。

藤原 日本にもイチゲンの客を扱わない料理屋はあるし、英国に多いクラブは会員でなければ利用できないから、それを問題にする方が野暮になりますね。


首都にふさわしい近代ホテル建設の努力

 それも、文化的な遺産の一つだということで、同じホテルでも伝統とスタイルが違っている。
 また、経済が発展するに従って、外国から来る良質の客が増え、滞在してもらう上で似合わしい良いホテルがないと、恥ずかしい思いをすることが多くなる。
 そこで、台湾にも世界に恥ずかしくないホテルが必要だと考え、それを作ろうとしたのが前の台湾議会議長だった黄朝琴さんであり、彼は外交官だった経験を持っていたから、アンバサダー・ホテルを作ったのです。
 台北にアンバサダー・ホテルを作る前に、実際的にはマダム蒋(宋美齢)のグランド・ホテルがあり、中国の宮殿をモデルにした大ホテルが存在したが、管理やサービスの面で沢山の問題を抱えていて、欧米のホテルにはかなわなかったのです。

藤原 アンバサダー・ホテルとグランド・ホテルは、漢字だとどう書きますか。

 国賓大飯店と円山大飯店と書きます。
 円山大飯店(グランド・ホテル)は、以前そこに台湾神宮があった所で、宮前町の一番きれいで素晴らしい場所です。
 けれども、蒋介石夫人の持ち物として、所有権が実にいい加減で、土地は国有地の形で政府が保有しており、建築費用は全額、台湾銀行からの融資でし た。
 しかも、現在では中華航空と同じで財団法人ですが、毎年の欠損は政府が面倒を見てきたし、実際はマダム蒋の私有財産みたいなものです。
 しかし、蒋経国の没後に一族が政権を離れてから問題が起き、政府御用達の財界人を理事長にして基金会を作り、円山大飯店をその財産として扱うことになりました。

藤原 そういえば、マダム蒋が個人の財産をアメリカに運ぶのに、中華航空のジャンボ機を使ったという話が、マルコス夫人の醜聞と共に噂になりましたね。

 彼女が自分の自由だと考えて米国に財産を移したのは、円山大飯店の全権を任せていた親戚がガンで亡くなったのと、既に百歳に近いからだと言われているが、政府のものかマダム蒋の個人財産かが曖昧だから、蒋家がらみの物件は誰も手をつけられない。
 蒋介石は、大陸にいたときは戦争に明け暮れていたが、台湾に逃げて来てからは、文明的にやる必要を感じて、アメリカを良く知る細君にホテル経営を任せました。
 マダム蒋にとって、財産として関心があっても、ホテルの経営には興味がなかったから、放漫経営が続き、政府の厄介なお荷物でした。
 円山大飯店は中国の宮殿スタイルだから、建物としては中国文化を反映していたが、中身となると全くダメというしかなくて、レセプションの所がとても悪い設計だった。そのために、チェックインの窓口とチェックアウトが別々であり、ロビーに入っても何となくまとまりがないし、従業員の訓練はお世辞にも良いと言えないのです。

藤原 それでアンバサダー・ホテルが必要になったのですね。

 そうです。
 しかし、首都に良いホテルがないと情けないということで、折角アンバサダー・ホテルを黄朝琴さんが作ったのに、商売敵として政治的に随分と叩かれてしまい、彼の理想は十分に生かされなかった。
 黄さんは、管理が台湾式では駄目だと考えて、近代ホテルを経営するために東急ホテルと組んだのに、圧迫のために理想から遠くなり、残念でした。
 また、台湾のホテルは経営ノウハウで苦労しており、アンバサダー・ホテルは東急ホテルのノウハウだし、来来大飯店はホテル・オークラと提携してやりました。


欧米のノウハウを消化する日本人の卓越した能力

藤原 東急はホテルの経営ノウハウを学ぶために、ヒルトンと提携して赤坂の東急ヒルトンを成功させたが、現在ではヒルトンと東急は別れています。
 赤坂周辺にあるホテルの経営スタイルからして、東急が本当にノウハウを生かしているかどうか、私にはちょっと疑問に思えるものがあります。

 しかし、あの時点では、東急はヒルトンから色々と学び、アメリカ流のホテル経営ノウハウを身に付けていたので、管理能力の面では、台湾にとって良い先生でした。
 日本人は欧米のノウハウを学んでマスターする上で、非常に優れた才能を持っている民族だから、過去百年で産業的にも近代国家を作ったし、アジアの先進国の地位を確立しています。だから、日本が取捨選択したものを台湾人が手本にするなら、欧米から導入するより失敗の可能性は低いし、日本人と台湾人は相性がとても良いのです。
 ですから、日本に何度も行った私の体験からして、次に来来大飯店の時には、ホテル・オークラと提携したのです。

藤原 でも、来来大飯店はシェラトンの看板を付けていますね。

 それは、後になってシェラトンと提携したせいであり、最初の段階ではホテル・オークラが提携相手です。
 来来大飯店を作る時に、私は設立準備委員会の主任でしたが、ホテル・オークラのゆったりとしたロビーの印象を始め、顧客へのサービスには感銘を受けていました。
 あの広いロビーに入った瞬間に感じることですが、建物の中の最初の空間が日本間になっていて、その奥に広がる正面の庭も日本庭園であり、日本のホテルという美学が一面に漂っているので、日本という国を実に上手に印象づけます。

藤原 ホテル・オークラを作った大倉喜七郎は、帝国ホテルを創業した大倉喜八郎の息子で、英国のケンプリッジ大学を卒業していて、ジェントルマンリーを身に付けた人です。
 彼が帝国ホテルの社長だった時に財閥解体があり、大倉財閥の責任者として帝国ホテルを辞め、その後に日本的な美しさを持つホテルを作るのに、自宅の土地を使って建築したと言われています。きっと品格の良さが謝さんに感銘を与えたのでしょう。

 そうです。内装や調度が生むホテル・オークラの雰囲気は、日本の伝統が滲み出している感じで、「ああ日本に来た」という印象を与えてくれ、それが日本を代表するホテルの風格になっている。
 また、ホテル・オークラは日本の外務省と深い関係を持ち、牛場とか中山という元外交官が役員だったし、外国からの賓客を扱い慣れていました。
 それに、トップの人たちが社交的で外国人を良く知っていたから、台湾で賓客に利用してもらうホテルを作るには、ホテル・オークラとの提携が最良だと考えたのです。

藤原 ホテルの経営は、快適なサービスが中心であり、建物はサービスに付帯するものに過ぎないが、どうもアメリカ流の大ホテルが君臨して、ヨーロッパ式の百室から二百室程度の規模で、しゃれたホテルが東京や台北には少ないですね。

 そう言えないこともないが、現在の台北や東京には世界的なホテルがあるし、ホテルは一つの社会で自己完結的なものです。泊まって食べてショッピングが出来るだけでなく、国際会議になると数日間も滞在するという面で、とりあえずは小型の名門ホテルを代行できて、最近の台湾のホテルは文化的に運営されています。


名門ホテルの文化と歴史の積み重ね

藤原 仕事の現役時代はピジネスが主体だったから、大きなホテルに泊まることが圧倒的で、ニューヨークに出張するとヒルトンやマリオットが多く、ピエールやアストリアは仕事の時には勿体なくて使わなかった。
 ヨーロッパには、小さくても雰囲気とサービスが良い、とてもチャーミングなプチホテルが沢山ある。だから、同じニューヨークでも、仕事でなく身銭を切るなら、セントラル・パークの東側のプラザ・アテネを選びます。

 ニューヨークのホテルの話が出ましたが、ウォルドルフ・アストリアとかプラザは何といっても最高で、あれだけのホテルを持っているという点で、アメリカの経済の底力が分かります。
 確かに、部屋数が千室を越えるとビジネスになり、目配りが利かなくなるという欠陥が出るから、矢張り百室から二百室くらいの大きさが、泊まり心地としては一番かも知れません。
 景色の良い場所にあるリゾート・ホテルとか、料理を売り物に出来る客筋の良いホテルなら、そういった満足を提供して顧客を掴んでいて、日本だったら箱根の富士屋ホテルなどがそうだし、スイスにはサンモリッツのパレス・ホテルを始めとして、そういう面での伝統を誇るホテルが多いですね。

藤原 あそこは宿泊客が到着するとオーナーが挨拶に来るし、夕食の時にはレストランのテーブルを廻って、主人がお客と会話を交わすことで知られています。オードリー・ヘップバーンが主演した「シャレード」は、話があのホテルで始まっていましたよ。

 それも伝統と結んだ顧客があるから出来るので、同じやり方を丁寧に模倣して見た所で、板に付いていなければ却って滑稽だし、過剰サービスが嫌味になったりするから、その辺がサービス業の難しいところです。
 戦後になって、国際会議が各国で開かれるようになり、総合的な大ホテルが大都市に作られたが、休暇や社交用のホテルはヨーロッパ的ですし、レジャー用の大ホテルはアメリカの発想です。

藤原 アメリカ流のビジネス用の大ホテルの波は、ハワイやフロリダに大観光ホテルを生み出し、それがアカプルコやカンクンの浜辺に蔓延して、どこに行っても巨大ホテルが並んでいます。
 しかし、モンテカルロの優雅なオテル・ドゥ・パリにしても、大陸を訪れるイギリスの貴族とスイスのホテル業が、ヨーロッパのホテルの基本パターンを作り、それがフランスやスイスのホテル文化を育てている。
 そして、大英帝国の植民地にもネットワークを広げて、香港のペニンスラ・ホテルやシンガポールのラッフルズ・ホテルを生んだ点で、名門ホテルは帝国主義の遺産かも知れませんね。

 ホテルが作る小さな社会は、その国の縮図ではなく、文化の洗練された部分をまとめたわけだから、貴族文化が育てたものには歴史的にかなわない。
 社会の深層は文化の裏づけになっており、貴族には学問と教養がないといけないから、幾ら家柄や血筋を誇っても文化を体現できないし、それだけに歴史の積み重ねは強力なのです。

藤原 それに比べると、アメリカ系のホテルは実用本位で、ビジネスが前面に押し出されているから、味わいの面で物足りないものがあります。

 そんなことはないでしょう。
 アメリカ人もヨーロッパから色々と学んでおり、先ほど話題にしたニューヨークの場合を思い出せば、ウォルドルフ・アストリアやプラザは流石でして、アメリカらしい壮大で豪快なホテルで、世界一の経済力を代表した格調の高さを誇っています。
 アメリカ経済の積み上げた過去の遺産は、われわれが幾ら外貨を溜め込んでも問題にならず、矢張り真のスーパーパワーと認めざるを得ません。


一国の顔としての一流ホテルの条件

藤原 ハワイやマイアミにあるリゾートホテルは、世界中の観光地に似たようなものがあり、アメリカ的な豪華さを売り物にしているが、何度も泊まっているうちに飽きが来ます。
 それは歴史のなさを豪華さと便利さで補って、大衆の欲望を満足させることに徹しているからで、商品化した大衆文化路線が如実に現れているにしろ、それを徹底的に追求しているのがラスベガスであり、独創的なテーマでホテル作りをしています。あれだけはどんな成金大国でも真似が出来ないし、アメリカ人の奇抜な発想に感嘆させられます。

 あれがアメリカ人のバイタリティの象徴です。彼らは大胆な発想でとてつもない建物を作るが、巨大で夢のような豪華ホテルであっても、あれは客集め用のカジノの装置に過ぎず、世界の名門ホテルに入ると信じていない所に、彼らなりのわきまえが感じられると言えます。
 欧州の名門ホテルの愛用者に米人が多いのは、成功した移民が故郷に錦を飾るのかも知れず、アメリカ人といっても色んな人がいますよ。

藤原 アメリカにはパリのリッツ・ホテルを始めにした、ジョルジュ・サンクやオテル・クリニョンの風情はないが、サンディエゴの木造のコロナード・ホテルには、アメリカ流の賛沢がふんだんに散りばめてあり、それを発見して思わず目を見張ったりします。あの木造建築は誰も真似が出来ない所に、アメリカ人の独創性が良く現れているし、それだけに文化遺品として大事にしています。

 それに、王冠を賭けた恋の舞台になったので、たちまち歴史の箔がついて輝きました。

藤原 19世紀末に作られたコロナード・ホテルは、古き良き時代のアメリカの雰囲気を伝えていて、米国式のハイソサエティの香りが、木造建築の至る所に立ちこめています。
 木造建築の粋を集めているという意味で、あれは米国の法隆寺に相当しており、石とガラスで出来た近代ホテルとは一味違う、柔らかい寛ぎを感じる場を作っています。

 フランク・ロイドが設計した昔の帝国ホテルは、外装はレンガだが基本は木造建築に属す、気品を持った素晴らしいホテルでした。あんな感じのホテルが今の東京にあれば、都心のオアシスとして滞在が楽しくなり、東京に出かけて行くのが待ち遠しくなります。

藤原 あれは外務大臣だった井上馨の発案で、外国からの貴賓を招くホテルを持つために、当時の日本経済を握る財閥のトップが協力し、渋沢栄一や大倉喜八郎が中心になり、財界と宮内省の出資で作ったホテルです。
 その前の時期の明治前半の日本では、外国人が多い横浜や築地の波止場に面した町に、近代的な洋式ホテルが作られたわけですが、震災や戦災で今に残っているものはゼロです。
 でも、昔から街道筋や温泉地では旅館が賑わい、郷土料理や景観などを売り物にして、旅に出る楽しみを盛り上げてくれるので、落ち着いた気分で寛げることもあり、私はホテルより日本旅館の方が好きです。あるいは、石造りならパンフのスプリング・ホテルのような、建物と調度がマッチした所が楽しいです。

 温泉はユカタだから日本旅館がいいです。
 しかし、日本式の旅館で国際会議をするのは難しいから、近代的な大ホテルがないといけませんね。


皇族屋敷のプリンスとインフレの錬金術

藤原 国際社会のエスタブリッシュメントに近づく上で、良質のホテルを持つことは大切だと理解して、各国の財界人は近代的なホテルを作ることに、精力的に取り組んだと歴史は教えています。
 だから、パリのリッツやニューヨークのアストリアを意識して、日本人は日比谷に帝国ホテルを作ったわけです。
 でも、何といっても東京に近代ホテルがそろったのは、1964年の東京オリンピックの時であり、赤坂の周辺にニュー・オータニやホテル・オークラが開業して、東京のホテル事情は国際水準に達しました。

 前に言いましたが、ホテル・オークラは絶品であり、何といっても素晴らしいホテルです。
 その前にも、赤坂にはプリンス・ホテルがあり、木立ちの中に建つ二階建ての西洋館が、あのホテルを個性づける雰囲気を作っていました。

藤原 あそこは旧李王家の屋敷に建てたホテルであり、西武鉄道のオーナーで政治家だった堤康次郎は、没落した旧皇族の不動産を乗っ取る名人で、敗戦の混乱とインフレを利用して、実に巧みに都心の土地を手に入れています。
 その経緯は、猪瀬の「ミカドの肖像」に書いてありますが、猪瀬直樹は書き屋としてまとめただけで、取材は岩瀬達哉が丹念にやったのです。共通の情報源を私も知っているせいで、書いてあることの背景を熟知していますが、衆議院議長だった堤は立場を使いまくって、大蔵省や宮内庁を強引に動かしました。しかも、インフレで手持ち現金に困っていた旧皇族は、執事を丸め込む堤の手口に引っかかって、手付金だけで家屋敷を 巻き上げられたのです。

 東京には沢山のプリンス・ホテルがあるが、あれが旧皇族の屋敷の土地だったとしたら、戦後になってから急激に発展したわけですね。
 すごい辣腕を奮って手に入れたにしても、政治権力を使って財産を蓄積する点では、マダム蒋のやり方と極めて共通していますが、混乱とインフレは、資産造りのチャンスとして、どこの国でも成金の温床を提供します。

藤原 新高輪プリンス・ホテルになった北白川宮家の場合は、坪当たり8000円の値段で、1万2000坪を約1億円で売ったが、動いた金は手付金の5500万円とリベートの1000万円です。
 残りは年間1割の利息を払うだけで、元金の支払いは猶予ということにしたから、25年経過した時に、土地は300倍の時価250億円ですが、元金として1億円の支払いだけで終わりです。

 インフレで貨幣価値が暴落するのを見極めて、他人の不動産を巧妙に使った錬金術であり、香港や東南アジアで華僑が活用するやり方と同じです。
 そうやってプリンス・ホテルが発展したにしても、堤さんはインターコンチネンタル・ホテルではだいぶてこずり、ついに大損をして手放してしまいましたね。

藤原 あれはプリンス・ホテルの堤義明とは違い、デパートをやっていた兄貴の堤清二の方でして、ホテル事業を知らない道楽だと言われましたが、高級ホテルの保有はステータスが高いので、名前に釣られた高い買い物で火傷をしたのです。

でも、折角手に入れた名門のインターコンチネンタル・ホテルなのに、手放さなければならなかったというのは、実に惜しいことだという気がします。


アメリカとヨーロッパの文化の違い

藤原 アジア人はホテルを建物だと考えがちだが、アメリカのやり方はマネージメントであり、建物は土地と共に借りるだけだから、経営能力が勝負の決め手になります。
 日本人は、ホテルは建てるものだと考えていて、高い土地を買うことから始めるために、土地を只同然で入手したプリンス.ホテルを除き、土地を買った借金で経営が楽でないそうです。

 何度も言うようですが、ホテルは社会の集約されたものであり、その社会で活躍しようと思う人にとっては、個人の楽しみだけでなく、文化的なシンボルとして利用しようと考える時には、最も便利な装置です。
 たとえば、フランス料理やイタリー料理を食べたいとか、友達や家族と楽しい時間を持ちたい時に、ホテルはそれに似合った空間を提供するし、自分の我儘がまかり通る包容力があります。
 また、国際的な面でその国の文化や教養をアピールする近道だから、「ホテルは人なり」と昔から言われているように、マネージャーからドアマンに至るまでの全スタッフが、行儀やセンスでその国のレベルを反映しており、ホテルによって外国人はその国を理解するのです。

藤原 昔からホテル業は家族でやるビジネスだったし、他のホテルに修行に行って現場で鍛えられて、他人の飯を食べることで客扱いが洗練され、一人前のホテルマンになると言われています。
 良く訓練されたホテルの従業員の奉仕は、お客にとって最大の喜びであるし、そういう意味でホテル学校の存在は重要で、コーネル大学のホテル学部も有名だが、スイスは良いホテル学校を誇っていて、質の良いホテルマンを世界に送り出しています。

 でも、利用客の教養やマナーも重要であり、客とホテル従業員の間の共感を通じて、ホテルの質は向上すると考えることも必要です。
 藤原さんはヨーロッパ生活を体験しているので、クラシック調のホテルが好きだから、ガラスと鉄を使う巨大なアメリカ式より、ビクトリア風やバロック調のホテルに対して、強い愛着と思い入れを持つのだと思います。
 でも、ジャンボ機で大量の人が簡単に旅行して、国際会議が各地で頻繁に行われたり、大規模な催し物に多くの人が出かければ、収容力の大きなホテルがどうしても必要で、アメリカ式にならざるを得ないのです。
 そうなると、直ぐ役立つ従業員が必要だし、人材の育成のために組織を頼ることになる。スイスは伝統的にホテル学校で養成するが、アメリカは経営学を中心に大学が引き受けて、プロの人材を育てるというやり方をするのです。

藤原 ビジネス・スクールのホテル版になるのですね。

 そうです。
 また、歴史を知り文化を知った上で仕事ができるのだし、教養を身に付けたホテルマンでない限りは、本当の意味でのサービスは期待できません。
 しかも、最近ではホテルが多角経営に乗り出して、その国や地方の性格を強調するために、アーケードの中にブーティックやレストランを揃え、小さなシティとしての機能を発揮させています。
 そうなると、そこで扱う商品の質や趣味の良さによって、ホテルとしての品格も決まって来ることになるから、ホテルをマネージするのに高度な知識が必要になります。

藤原 その点で、ラスベガスはノウハウの宝庫で、シーザーズ・パレスが作ったフォーラムなどは、新しいタイプの名店街のテストであり、あれを真似て小型化したものが登場して、ホテルは大衆の憩いの空間になりそうです。
 その対極にあるのが、ヨーロッパの珠宝ホテルでして、興味深い例が地中海の港町アンチープにあり、中世の修道院を改装してホテルにした宿は、たった5室だから、泊まれたら奇跡で、何度試みても未だに泊まれません。

 過去に向いて伝統文化を大切にするヨーロッパは、ロビーもなく飛び込みは断わるリッツのように、ホテルでも格式が優先で、閉鎖的です。
 それに対して、アメリカのホテルは開放的で、お金を払えば誰でも客として受け入れてくれ、施設を好きなように使えるという点で、アメリカ的なおおらかさに満ちています。
 どちらがより好ましいという問題ではなく、それは個人の好みに属す事柄だとはいえ、大衆化は時代の趨勢ではないかと思います。

藤原 大衆がマスとして団体で使うのではなく、個人の趣味が風格あるホテルを育成して、それが文化として定着するようになれば、ホテルの未来に期待が持てると言えますね。


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