『ニューリーダー』 1994年01月号



「意味論」音痴が日本を亡ぼす




「コミュニケーションの成立しない国」

藤原:小室さんとお会いして対談するのは久しぶりで、今から十数年前に、『脱ニッポン型思考のすすめ』を出したとき以来ですね。
小室:あの頃は「脱ニッポン」なんて言うと異端者扱いだったが、今ではそういう本が続々ベストセラーになっている。最近は日本の方がおかしくなって潰れかけているが、それにしても、あの頃から今までこの国はよくもったものだ(笑)……。
藤原:特にここで強調しなければならないのは、潰れかけている原因が“セマンティックス(意味論)”にあり、日本人に意味論が分かっていないことだ。われわれは共にヨーロッパ派に属する日本人だとも言えるが、小室さんはやはりドイツ派で、著書の中にガイスト(精神)どかゲミュート(情緒)なんて単語が続々と使われている。ぼくはフランス派でドイツ語は口に合わないから、あんな野蛮な言葉は誰が喋るものかと思っている。だから、あなたの本を読むたびに鳥肌を立てている(笑)……。
小室:ドイツ語はバーバリアン(野蛮人)の言葉だという劣等感は、ドイツ人自身が抱いているんだ(笑)。
藤原:こんな話がある。フランス王が「私は神様と対話するときにはスペイン語で、人間と話すときはフランス語を操り、馬と喋るときはドイツ語を使う。犬と喋るときには英語で、若い娘にはイタリア語で話しかける」と言ったとか。ぼくはアメリカ人に「どうして英語で著書を書かないのか」と聞かれたらこの話を引用して、「犬に使う言葉で書くのは気がすすまないし、フランス語だと日本語の五倍も時間がかかり、アメリカの美徳の能率に反する」と答えると丁解する。要するに、アメリカ人は理路整然とした話なら納得するんだが、日本人は腹芸でやるし気分が先に立つ。だから、日本人は最も親密なはずのアメリカ人のみならず、世界中ともコミュニケーションができないでいる。
小室:コミュニケーションが成立していないことにさえ気がついていない。
藤原:ドイツ人はある意味で情の連中でロマンチックであり、フランス人は理に価値の基準をおく特性を持つ。小室さんの思想にはドイツ精神的なもの、つまりへ−ゲルとマックス・ウェーバーが根底にあり、ぼくは自分で言うのは恥ずかしいが、考えの基盤にデカルトとヴォルテールがある。われわれ二人の精神には情と理の差があるように見えるが、実は根底においてヨーロッパ精神で結びつき、ライプニッツに数学で通底している。だから、今日の対話のテーマであるセマンティックスを、これまで仕事みたいにして懸命にやってきた。


日本における「意昧論」の欠如

小室:セマンティックスの言い出しっペなんだから、セマンティックスにはどういう効用があって、それを知る人と知らない人ではどう違うかを、あなたから説明しなくてはいけない。たとえば、セマンティックスはタヌキの一種ではないという具合にだ(笑)。
藤原:セマンティックスは日本語では意味論と言っている。言葉がある特定の意味をどうやって獲得し、他の言葉とどんな関連を持ち機能するかを理解して、コミュニケーションをする場合に、ある言葉がどんな枠組みで定義され、どんな概念を含んでいるかを知ることだ。歴史的に見れば、ヨーロッパでは一八世紀に百科全書派が登場し、辞書を作るなどして言葉をいちいち定義したが、日本ではそれが無かったために、未だに言葉の概念が不明僚のままでいる。いま問題になっている政治改革なんていうものも選挙制度にすり替えられて小選挙区制に歪曲されているが、これはセマンティックスがわからないのを悪用した、政治的な詐欺の一種に他ならない。人間は言葉の意味がわかって初めて正しくコミュニケーションできるので、ただ感情や気分に訴えるのでは動物のレベルと何ら変わりない。、
小室:そういう意味では、日本語というのは極めて不思議な言葉であり、あうんの呼吸だとか以心伝心だとか言う。要するに、論理を媒介にしてコミュニケートする習慣がなく、これは韓国人とも中国人とも違っている。その理由は、日本はそのような国と違って外国に征服されたことがないし、逆に、世界帝国を作ったことがないからだ。そして、徳川二六○年の鎖国によって、言葉がなくても通じるような一種の共通の無意識というか、言葉にならない言葉ができてしまったし、言葉というものが発達しなかった。
藤原:世界で一○○○年以上も前の言葉をそのまま使っている国は、日本以外にはあまり見かけない。われわれは高校生時代に『万葉集』を読んでいるが、日本語は言葉の本質が変わらないで古いままで保存され、ことによると変化があまりなかったのかも知れない。
小室:いや、そうではない。論理というものの役割を考えるならば、そもそも自分と立場や考え方が根本的に違う人を説得する道具だが、日本ではそれが必要ではなかった。例えば、中国には階級がはっきりと存在していて、上の階級はうかうかしていると、いつの間にか下の階級にやられてしまう。ところが、日本には絶対にそんなことが起こり得なくて、上の階級の人は家来にそれを任せておく。江戸時代のプロトタイプ(原型)になっているのは、殿様のほとんどがバカ殿様であり、家老がしっかりしていたから大体うまくいっていた。実例を忠臣蔵にとれば、「どだい家老がやったこと」とか「江戸家老がしっかりしていないからだ」と後の人が言ったが、殿様の運命は家老の能力次第だった。さらに幕末になると家老も皆バカになっちゃって、下級武士が最も利口になってしまう(笑)。しかも、勝海舟と西郷隆盛はあうんの呼吸で江戸攻めの中止を決めたが、あんなもの凄い取り決めでも肚と肚でやった。維新の歴史を動かしたのはまさに最下級の武士だった。
藤原:勝海舟の父親なんて武士の権利を買っているもんね....。
小室:しかも買った権利すら最低のものだった(笑)。その人が幕府代表。本来ならば江戸攻め中止談判は有栖川宮と徳川慶喜がするべきで、中国や欧米だったら絶対にそうする。しかも、どんな談判をやるかと言えば、開城のための条件で、確かに幕府軍は降伏するが、旗本八万旗のうち何万だけは生かすとか何とか、細かい条件を付けることが重要だ。そういう細かな交渉としては老中筆頭と鳥津久光あたりがやるべきだ。ところが、有栖川宮も島津久光も慶喜も老中もどこかに行っちゃって、最下級出身の者同士が全体を決めちゃったんだから……。
藤原:それは今でも同じで江戸時代と大差がない。霞ヶ関では課長クラスが何でも決めていて、局長は何もわかっていないのが日本の官僚制だ。国会でも代議士なんていちばん無知であり、閣僚は何も知らないお殿様の現代版だから、政府委員と称する課長クラスの役人が、大臣の代理で答弁している。


「契約の概念」のない日本人

小室:つまり、責任に対しての自覚もセマンティクスの意識もないのは言葉がきちんと使えないからであって、この点で日本は中国や欧米の支配層と全く違う。言葉がないことで典型的なのは、日本の契約書を見れば歴然としている。十数年前からアメリカとの障害が日常茶飯事になってから、契約書の形式も大分変わってきたとはいえ、昔の日本の契約書なんていうのは「もし争いが生じた場合には、双方が誠意を持って談合する」なんてバカなことが書かれていた。
藤原:それに契約の概念だって無きに等しかったのは、数学がわからなかったからだと思う。数学つまり理の世界はレシオで比率が重要であり、契約とは比率の問題を明確にすることだから、責任の取り方の比例配分を決める。
小室:契約の概念はないが約束という概念はあるというが、これはとんでもないことであり、セマンティックスのない約束なんてお笑いだ。欧米でもとくにアメリカにおける約束というのは、実に細かなところまで規定しており、契約書も大事なことは注にまた注をつけて、厳密で詳しければ詳しいほど良い約束である。日本での約束は「俺の目を見ろ、何も言うな」であり、言葉のない約束が最高のものということになる。この場合にはこうしてあの場合はこうしろと言っていたら、「俺のことを信用しないのか」と言って怒り出すんだから始末に困る(笑)。
藤原:「いちいち理屈ばかり言う」とか「うるさい男だ」ということになる。
小室:契約の概念はアラブ人なんかもっと強烈だ。欧米が手本にしたのはアラブ諸国だから、アラブ人たちは「欧米人たちはバカだ。何もかも俺たちから習ったのではないか」と言っている。
藤原:数字も数学もサイエンスの全てはアラブから伝来したのだから、アラブ世界は数学発想の総本家だど名乗っても当然だ。
小室:数学に限らずアルコールだって何だってアラブから来ているのに、それを忘れやがってという具合になる。徹底した論理的な考え方はギリシャ流と言われているが、実はギリシャから直接に伝わったわけではなく、アラブ世界を経由して欧米は学んでいる。だから、キリスト教も実はいい加減なものであり、本当のところはアラブ人から習ったんだし、バイブルですらアラブに行って読み方を習ってきた。歴史を読めば明白だが、ローマ帝国の南半分はサラセンないしイスラム圏で、それが後になってトルコ帝国になったのだし、北半分がヨーロッパになったに過ぎない。しかも、ヨーロッパは一つの国ではなくて、熊や猿に近い野蛮人たちがうろついていた頃に、大変な文化を持って栄えていたというのが、地中海の南から東に広がるアラブ世界であった。
藤原:セマンティックスの問題から離れてしまうが、この辺は契約絡みの話として脱線してもいい(笑)。なにしろ、アラブ世界の問題は非常に大事なのに、皆がそれを忘れ果ててしまっているから……。
小室:イスラム教は契約の概念がもの凄く発達しており、キリスト教もそれを模倣してきた。日本人が最も興味を持つべきは結婚の契約であり、いちばん論争の的になるのはその条件だ。結婚した場合に財産の何割を分与するとか、ラクダ何匹など(笑)、これこれしかじかと何十項目にわたって細かく規定する。さらに厳しい論争になるのが離婚の条件であり、結婚の際に離婚の時のことまで契約しておくというのはとても日本人には理解ができない。本当に離婚する破目になった時には利害が対立し、しとやかなアラブ娘もそれこそ鬼ババのようになり、寛大な若者も鬼ジジイのようになって凄い論争になる。そんなことにならないように、結婚の前に離婚条件についてキチンと決めておく。


戦争に関する認識と国際感覚の差

藤原:その意味では、欧米人が日本人はロジックがまともに通用しないし、セマンティックスがさっぱりわからないと思っているのと同じように、アラブ人たちは欧米人が理論的にルーズな連中に見え、その典型が湾岸戦争の実体だったと言える。先に軍事行動を展開したのは致命的な失敗だが、サダム・フセインの言っていることの方がロジックが成り立ち、アメリカがやったことの方が論理性のレベルで見ると支離滅裂だった。
小室:国境という概念はアラブには存在しないのだから、国境侵犯しただのしないだのということ自体がナンセンスだ。要するに、いきなり欧米流の価値観を押しつけたという点と、イスラム圏では戦争の概念が全く違うという点。契約概念やセマンティックスに関しては、日本人は外の世界とどうしようもなく違うのに、戦争概念に関して日本人は欧米人に不思議に同じで、戦争は「やるかやらないかのどちらか」だから、やる以上は徹底的にやるが、こんなやり方は欧米や日本だけと考えてもいい。アラブ、アフリカ、アジア諸国の戦争のやり方は、「やっているようでもあり、やらないようでもある」ということで、戦争についての考えが全く異なっている。一例を出すとフォークランド戦争がそれで、アルゼンチンの人々はフットボールの試合が始まるから、戦争を一時中止してほしいと言った。こんなふざけた戦争があるかと日本人はびっくり仰天した。日本だと戦争に負けるわ経済が破綻するわで、国を挙げて深刻にならざるを得ないわけだが、アルゼンチン人は負けてもちっとも困らないし、国家総動員の戦争や経済の概念がないから、戦争に負ければ再び植民地になるだけのこと。それすらないんだから、いたって平気。
藤原:アラブ人やラテン人はファジーだから二項対立ではなくフレキシブル発想だ。
小室:それを理解する補助線として韓国人の喧嘩を考えると、韓国人はお互いにもの凄い剣幕でののしり合って、あれだけタンカを切るのが派手で上手だから、喧嘩はどんなにすごいかと思うのだが、何のかんのと理屈をつけて本番はやらない。ところが日本人の喧嘩は、口で言うより手の方が早い。
藤原:口で激しく渡り合っても手は出さない点でフランス人も口舌専門で、外交は本来そういう口で行なうものであり、軍事力やカネの威力で外交をするのは低能だと考んている。だから、昔は外交用語といえばフランス語だった。
小室:歴史を顧みれば、日本人と欧米人は本気で戦争をする。アラブ人はそれ以上で、戦争はするぞするぞと格好をつけていればいいのであり、本番はバカらしいから止めておこうというのがアラブ流。この間の湾岸戦争の時のフセインにしても、あれだけ戦争をやると言明したのだから、本番はやる必要がないと思ったのに、本気になって本番をやったアメリカの方がルール違反。


まかり通る「悪質な偽訳とすり替え」

藤原:戦争と平和に関しての考え方に差があるにしても、日本で使われている言葉のいい加減さは実に酷い。ジャーナリズムが意味論がわかっていないし、デタラメな用語法が氾濫している。あなたが強調している国際連合にしても、あれが日本を敵視した軍事同盟だというのに、それが日本人には全く理解できていない。また、湾岸戦争の時に日本では多国籍軍などと呼んだが、冗談じゃない、あれは同盟軍とか連合軍と呼ぶべきであり、言葉のすり替えに日本国民は騙されていた。
小室:あれはアメリカ軍だった。
藤原:多国籍は多国籍企業の例で見てもわかるが、米国やオランダのような特定な国に本杜のある会社が、フランスや日本のような国で軍事活動をするように、活動の場でいろいろな国民国家の上にあることを示している。だから、コングロマリットなら連合体であるし、国際連合が連合軍を母体にしている機構である以上は、国連に幻想を抱くことは軽率以外の何ものでもないのに、日本人のほとんどはそれに気づいていない。
小室:国連は対日軍事同盟の戦後的形態であり、日本やドイツを敵視した敵国条項が未だにあって、日本人が理想郷のように考えるような存在ではない。しかも、敵国条項を含む国連憲章ができた時点では、日本だけが連合国と戦争を継続していたので、日本に対しての軍事同盟に他ならない。疑問の多い機構を有難がるのは愚劣だのに、歴代の日本政府は国連中心外交などという、実にバカげたことを言ってきたんだから呆れる。
藤原:あそこは一見すると世界的な機構のような印象を受けるが、実は大国にとって都合のいい路線を邁進する、世界平和を口実にした高級官僚の巣窟だ。ところが、当時の小沢一郎幹事長は単細胞ぶり丸出しで、国際貢献などと愚劣なすり替えで国民を騙した。
小室:国連は軍事同盟で国際対決を欺瞞する場だがら、自衛隊の派遺でもめたPKOにしたって、軍事行動として戦争への参加だったのに、政府は平和維持だから安全だと説明した。だが、PKOを平和維持活動と訳したのが大間違いで、Oのオペレーション(operation)は活動ではなくて作戦と訳し、戦争における軍事行動の一環と位置づけるべきものが、誤魔化しで嘘の凝り固まりになった。戦場に出かけて軍事行動に参加するんだから、せめて作戦と呼ぶくらいの正直さを要求したい。
藤原:この国の政府が国民に嘘っ八を言ったことは、歴史を読めば誰の目にも明らかであり、敗戦を終戦と書き占領軍を進駐軍と呼んで、意味を意識的に歪めて“騙しの政治”を続けて来た。いちばんひどいと思ったのは“文民警察官”だ。警察は国内の治安に当たるものであり、軍隊が国際間の治安に関与するのである。警官が外国に出かけて行動していたのに、ジャーナリズムはその脱法行為を問題にしなかった。
小室:国家公務員試験に国際法は出ないから、政府に国際法がわかる人間はいない。
藤原:言葉のすり替えでデタラメだったのはSIIであり、これを日本では日米構造協議と訳していた。だが、二番目のIは対ソ戦略のSDI(戦略防衛先制構想)と同じで、軍事用語のイニシアチブと同格だから、構造障壁先行制圧とでも訳さない限り、アメリカ政府の意図を読み抜けない。
小室:軍事用語としては先制攻略で支配権を握ることであり、アメリカ政府の代表は協議をするために、わざわざ東京にやって来たとは考えていない。ところが、日本の新聞も政府発表も日米構造協議である。これは偽訳であり悪質なすり替えだった。
藤原:今どきの代議士には言葉の意味が正しく理解できなくても、外務省の役人の中に少なくとも一人くらいは、意味論の分かる人間がいてもいいはずだが……。


外交知らずの日本の政治家と外交官

小室:霞ヶ関の官僚たちは外交官意識がなくて、未だに終戦処理事務所的な発想に支配されており、アメリカの命令を伝達すればいいと思い込んでいる。まず、連中はアメリカに反対は絶対にできないし、アメリカ以外に国はないというのが外務省の公理だ。終戦処理事務所ならばそれでもよいが、外交は駆け引きで交渉の手腕が決め手になる。要するに、『ノーと言える日本』がベストセラーになったのは、ノーと言えないのを当然だと思っているから、「ことによったらノーと言えるかもしれない」と思いちがいしたんだ……。
藤原:外交ではノーと言ったら駄目で、"Don't say no, always negociable"が金言になっているんだ……。
小室:しかし、日本の場合はワシントンに対してノーと言わない限り、絶対服従ということになってしまう。
藤原:それに、日本の役人がやっているのはネゴシエーション(交渉)ではなく、バーゲニング(取り引き)に過ぎない。
小室:外交とはそもそも交渉を行なうことだが、日本がアメリカと行なった最後の交渉はポツダム宣言の受諾だった。あれは無条件降伏ではなくて、ポツダム宣言の条件に関してちゃんと交渉している。だから、「天皇の地位は自由に日本国民の意志によって決める」という条件を追加した。これをアメリカが了解したのであるから、日本国民の意志を無視しないという立派な条件を、日本側としては付けたことになる。つまり、無条件降伏をしたのは日本の軍隊だけであり、日本国自体が無条件降伏をしたわけではない。あれが最後の交渉であり、あの時から以降は条件反射的に、「アメリカ様のおっしゃることは、ごもっとも」以外には、言ってはならないという意識になってしまった。湾岸戦争の時に呆れ返ったことに、アメリカのある上院議員が「日本はアメリカの同盟国だから、アメリカが戦争する時に助太刀するのは当たり前だ」という論理でやってきた。そしたら、アメリカの言いなりになるのが国際貢献だということになり、日本はアメリカに鼻面を引き回されてしまった。
藤原:外交オンチの海部俊樹は国際貢献という言葉に陶酔したが、貢献の文字を解読すれば貢いで献上するという意味であり、御主人様にひれ伏して機嫌を伺う土下座外交だ。
小室:かつて鈴木善幸は「日米安保条約は軍事同盟ではない。経済同盟、文化同盟である」などとバカなことを言った。同盟は軍事同盟でしかあり得ないのに、総理大臣でさえ安保条約の意味をわかっておらず、日本の政治家の政治音痴は世界最低の水準だ。首相が軍事同盟でないと言うならば、日米安保は廃棄したことになっちゃうが、幸いなことにアメリカは日本のことをよく研究していたから、「鈴木は国際法を全く知らない」と考えて(笑)、ことを荒だてないで済んだので助かった。
藤原:アメリカで外交を担当している連中のほとんどは、鈴木善幸だけでなく他の首相も全部ダメで、日本政府は無能者集団だと理解している。
小室:日本人はこれほどまでに軍事同盟の本質を理解せず、日米安保条約を仲良しクラブのつもりで考え簡単に無視したり恣意的に解釈している。本来ならば、軍事同盟の一方的な無視は敵対行為であり、次の瞬間に水爆が飛んできても文句が言えないのに、そんな事態になりかねないことを首相が平気で言っている。それこそセマンティックスがさっぱりわかっていないから、この国は国際的な契約を平気で無視してしまうし、言っていることが世界に通用していないとも気づかない。
藤原:世界に通用するような人間が、今の日本の政治家には皆無に近いからネ……。


CIAにも見くびられた日本政府

小室:安保条約には日本の基地を自由に使わせると明記してあるが、日本が米軍の軍事行動におっとり刀で駆けつけるとは書いていない。日本の基地を自由に使えなかったなら、米軍は湾岸戦争を遂行できなかったはずだ。
藤原:だから、日本はアメリカに貸しがあるのであり、筋の通らない因縁をつけられて反論もできず、一兆四○○○億円もの大金をむしり取られた連中は、戦前だったら売国奴だと袋叩きになっていた。政府を私物化した私的集団の頭目の小沢幹事長や、大蔵大臣としてハンコを押した橋本龍太郎なんて、サダム・フセインなら電柱吊りの刑にしている。
小室:安保条約にはアメリカが戦争するときに日本がカネを出すなんてどこにも書いてない。文句があるなら日本の基地を使ってくれなくてよろしいと米国に明言すればいい。ペルシャ湾を通るタンカーの五五%は日本国籍だが、フセインが日本に石油をやらぬと言ったか、攻撃をしたか。攻撃もされていないのだから、守ってもらわなくても結構だと言えばいい。日本はアメリカに貸しがありフセインには借りがあるのに、腰抜けの海部は一兆円を越す大金を召しあげられた。
藤原:頭脳も肚も持ち合わせていない癖に、ヤクザ政治で権力を振り回せると思い上がった小沢は、腰の定まらない政府を脅かして血税を浪費した。きちんと外交的な手続きを踏むのが独立国同士のルールだのに、アマコスト米国大使はCIAエ−ジェントの手口で自民党幹事長を威嚇したし、日本政府は小沢幹事長に脅されてカネを払った。
小室:アメリかにはろくな外交官がいないのに、日本はそれ以下だから情けない……。
藤原:アマコストの過去を調べて見れば明白だが、フィリピンでマルコス政権を転覆させたように、彼の活動はCIAのエ−ジェントの水準なのは一目瞭然だ。
小室:日本の政治家や外交官がなぜこんな具合に成り果て、なぜ自分の言葉を持たないのかを考えれば、亡国の淵に立っている理由が明らかになる。根本的な意識においてアメリカ隷属であり、任務を遂行できるほどの人材が存在していない。また、外交官の採用基準が間違っており、何がなんでもアメリカ様さまでネズミの条件反射のようだ。米国でさえいろんな人材を外交官にしているのに、日本では民間から採用したのはわずか数人で戦前以下だ。元総理が大使になるのはヨーロッパでは当たり前だ。
藤原:あなたの本にはいつもビスマルクが出てくるし、ぼくの本にはタレイランが登場するから、ここでビスマルクとタレイランの顔合わせだと見立てれば(笑)、日本の外交の世紀末が嘆かわしい。また、タレイランは首相をやってから駐英大使になったし、ビスマルクも外交官としてパリやペテルブルグを体験している。
小室:欧州では総理経験者が大使をやるのは普通で、ヨーロッパ史にこんな例はいくらでも捜せる。日本でも初代駐英大使は小村寿太郎で、この人は総理クラス。次代駐英大使加藤高明は後に総理になっている。アメリカでさえカーター政権の副大統領モンデールを、駐日大使として東京に送り込んでいる。


人材不足と教育システムの欠陥

藤原:でも、日本で首相を歴任した連中を眺め渡しても、世界に出して恥かしくない外交官になれる者は、ちょっと見当たらないんじゃないかな。
小室:いるよ。中曽根康弘は韓国の女性に人気があって、あれは朝鮮型の美男に属しているから(笑)、駐韓大使としてソウルに送り込んだらいい。それに金丸信はさしずめ北朝鮮の大使にして、土下座させておけば良いかも知れない。
藤原:巨悪たちの姥捨て山にはなるだろうな(笑)。でも、この間カンボジアにPKOで行った自衛隊員だって、英語もフランス語も喋れなかったから、便所にも行けないで右往左往して足手まといになり、豪華な風呂場を作って現地人に羨ましがられたと、『ワシントン・ポスト』紙に出ていたよ。何の準備もしないで外に出すから恥をかくが、外交官や閣僚だって国内向きであり、中曽根や金丸だって似たりよったりじゃないかな。
小室:それはトレーニング・システムの欠陥のせいであり、日本の大学が使いものにならない卒業生を生んでいるせいだ。
藤原:そもそも日本の大学は大学と呼ぶに値しない。
小室:国民学校(フォルクス・シューレ)だ。というのは大学であるためには教授自由移動であることが条件であるが、日本の大学はこの条件を満たしていない。だがら、大学改革や教育改革についてどうしたら良いかを聞かれたら、ぼくは即座にこう答えることにしている。すなわち、国立、公立、私立を問わず公式の大学を潰して、全部を塾と予備校にしたらいい。なにしろ、日本の大学は世界で最低のものに属しているが、世界最高は自由競争がある塾と予備校だからだ。
藤原:特に官僚を生む法科が悪くて、国内にしか通用しない人間しか育てない。
小室:東大の法学部では役人にバカにされないようにと、大学院生は大学生の定員の一五分の一しか採用しないで、偏差値秀才ばかりを集めている。助手にいたっては司法試験と国家公務員試験が一番だけでなく、学校の成績も一番の三冠王でないとだめ。しかも、二二歳で助手で二五歳で助教授になり三○歳そこそこで教授になる。だから、法学部だと二五歳までは一生懸命に勉強するが、あとはエスカレーターに乗るので勉強しない。日本の大学や企業に共通していることだが、偏差値とは高校までの学力判断であり、大学レベルでの能力にはほとんど関係ない。だから、第一命題として日本の教育は高校までは存在するが、それより上の教育は存在していないし、初めは優秀な人材でも才能を殺している。第二命題として塾や予備校が最高であり、公的な教育機関が最低ということになる。


若者よ日本の外に飛び出せ

藤原:日本の大学改革は困難だから、高校の段階で若者が日本を飛び出したらいい。
小室:そういう意味ではジャンジャン出してやるのもいいが、帰国後に日本の受入れ態勢ができていないんだな。それから、名前は体を表すいうから大学はまず名前を変えて、東京大学ではなくて東京国民学校にしろと言いたい。
藤原:世界に向かってコミュニケートできる人間を、これから大量に育てていかなければならないが、この国にいる限りそんな人間が育つわけがない。土壌がない所に生物は生育しないのだから。若者はどんどん海外に雄飛すべきだし、勇気を持ったチャレンジが必要だ。外国に行って卒業資格や博士号を取るというのではなく、中退でもいいから本当の勉強を体験し、コミュニケーションとは何かがわかればいいのだ。アメリカではどの大学でも聴講生になれるし、授業料だってそんなに高くない。
小室:夏期護習に参加するのも名案だし、これと聴講生がいちばん簡単な方法だが、正規に入るのも日本に比べたら何倍も容易だ。
藤原:これからの日本は一度潰れて御破算から出直しだから、新生日本を作り直す時に必要な人材として、若い人を海外で育てておかなければいけない。
小室:ある程度の人材を外に出しておかないと、日本人の同士討ちになる危険があるのだが、かつての日本人は海外に大量の人材を出せば、ソ連に攻められるなんてことばがり考えた。しかも、ソ連が崩壊したから安全だなんて言う奴もいるが、北朝鮮だってまだましだと思えるほどで、今ではロシアでは戦車だって売っているんだから、ギャングや独裁者が攻めてきたらいったいどうする。ギャングがミサイル付きの原子力潜水艦を買って、それを使って「五○○兆円出さないとミサイルをぶち込む」と脅されたら大パニックだ。
藤原:ターゲットとして日本の街を核兵器で狙わなくても、日本の原子力発電所に通常爆弾を一発落とせば、そこに原爆がちゃんとあるのだから簡単だ。そういう危機的な状況に陥った時に、ちゃんとネゴシエーションできる頭脳をもつ人間がいて、適材適所で活躍できる態勢を整えることが先決だ。
小室:セマンティックスとの開係で大事なことは、すべてのことを気分でやってしまうことに慣れ、プライオリティ(優先順位)による選択なんか考えないから、共通のコミュニケーション手段が存在しないんだ。現在の日本は官僚による制度疲労が極みに達し、戦前の大日本帝国の陸海軍と同じになっている。最高の秀才を集めてチームワークの訓練ばがりやり、日露戦争と大東亜戦争を比べると良くわかるが、ある側面においては世界最高だが、別の側面では世界最低ということをやる。


官僚思想から自由人の発想へ

藤原:それはソフトウェアがわかっていないからだ。
小室:日露戦争は開戦当時はへマばかりやっていて、旅順攻略なんかは失敗に次ぐ失敗だが、だんだんと強くなり最後には圧勝。ところが大東亜戦争じゃこの逆で、パールハーバーとマレー沖海戦では世界的圧勝だが、ミッドウェーでは勝てる戦いを落としている。だんだん失敗が多くなった。
藤原:日露戦争の時の将官は推も士官学校を出ておらず、自分の頭で作戦を考え指導力を身につけたが、昭和の将官は高学歴で硬直した官僚に過ぎなかったんだ。
小室:というのは、決まったことをやるには最高の力を出すが、経験から学んで運命を拓いていく能力が完全にダメで、制度的な疲労で良いところ全くなし(笑)。現在の日本も大日本帝国末期と同じで、会社も何でもかんでも官僚的になっている。たとえ元官僚でないにしても同じことで、行勤様式が官僚にそっくりであり、会社でも役人でも極端な減点主義が支配しているから、減点されないためだけの努力しか眼中にない。
藤原:新しい状況に対しての適応能力がないから、マニュアルに書いてあることへの対応だけで、未経験の分野になると何も判断できない。要するに、理論的な戦術に基づいて行動したり、前進のための後退をしたりするのが苦手なのは、全体を把握して融通無碍にやる、自由人が得意にする戦略発想ができないからだ。
小室:帝国海軍がパールハーバーやマレー沖海戦において、あれだけ完璧にやれるとは誰も思わなかったし、その後の第一次ソロモン海戦のやり方が見事だったから、全滅したアメリカ側が大いに感心した。ところが、レーダーなどという想像もしないものが登場すると、日本人は全くどうしようもなくなってしまった。
藤原:しかも、そのレーダーは日本の八木アンテナが使われていて、日本人は八木博士の発明を評価する能力がなかったが、イギリス人がそれでレーダーを開発している。日本は最近は技術大国だと胸を張っているが、当時はせいぜい職人の国でしかなかったから、他人が作ったアイデアを改良して大型化したり、大量生産する程度で現在と本質的に大差がない。セマンティックスのない所にはサイエンスは発達しないし、科学に較べたら技術なんて物真似の一種に過ぎないのだが……。
小室:要するに、“セマンティックス”がわからないお蔭で、技術大国の足場まで崩れかけないというのは、返す返すも残念至極なことではある。それに日本を取り巻いている政治や経済の環境が、これまでとは全く違った状況になっており、そのことを十分に理解する必要がある。本番の戦争をやらないために軍備を整え、外交でカンカンガクガク議論をやるなら、戦艦「大和」や「武蔵」は艦隊決戦のコケ脅しに使い、それで戦争をやらずに戦争に勝つという発想が要る。
藤原:要するに、手の中に何もなくたって冴えた顔とセマンティックスがわかれば、相手の心理を読んでどんな手でも打てる。ポーカーをやる時の頭の使い方と同じだ。
小室:結局は、国際ルールとセマンティックスをわきまえている、頭のいいリーダーがいない限りはダメで、日本の未来はあまり明るくないということになりそうだ。
藤原:あなたは頭の構造がビスマルクに似ているから(笑)、ビスマルクと同じことをやろうとするが、ぼくの尊敬するタレイランなら頭と舌先三寸で戦いに勝つ。
小室:無手勝流でもセマンティックスがわかれば、舌先は大砲やミサイルよりも強い。
藤原:こういう話になると実に面白くてキリがないが、今日はこのへんで打ち止めにするとしましょう。どうも有り難うございました。


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