『ニューリーダー』 2004.08月号

《徹底分析》



「プーチン・ロシア」の新世界戦略(上)


木村汎(拓殖大学海外事情研究所教授)
VS
藤原肇(フリーランス・ジャーナリスト 在米)



独裁体制築くか「プーチン政権」の危険な進路
「大国主義」の悪夢と石油をめぐる文明の相克



エリツィンと闇取引で彗星的に登場

藤原 木村先生は、この春行なわれたロシアの大統領選挙の内情を調べるために、モスクワに出かけて現地で観察されたわけですが、プーチンは圧倒的な強さで再選され、第二期に入りました。今の日本は北朝鮮やイラク戦争のことに関心が集まり、北朝鮮よりはるかに大きな懸案を抱えた隣国ロシアに対して、外交的な無関心が支配しているのは実に危険です。確かに、経済的な破綻でスーパーパワーのソ連は解体したが、ロシアは従来と同じユーラシア大陸に陣取った軍事大国です。また、日本にとって重要な資源に恵まれた隣国として、これからの日露関係は非常に重大な意味を持っています。プーチン大統領の今後のボジションがどうなるかは、極めて慎重に分析しなければならないテーマです。
 順序として、第二期を迎えたプーチン大統領の政治路線が、今後どのような展開を遂げるかを考えるうえで、プーチン体制の現状の分析から始めたいと思います。
木村 今回の選挙でプーチンは七一パーセントという驚異的な得票を集め、一発で大統領に再選されて大勝利を手にしました。これを見て、プーチンは絶頂期を迎えたと考えている人が圧倒的です。その理解にはこれまでの状況を知る必要があるが、第一期目の大統領としてプーチンが取ったポジションは、首相に抜擢されてわずか三か月という短い時間で、エリツィンから大統領代行に指名された関係もあって、独自の路線を出すことができなかった。それは、エリツィンが人統領任期が終わる半年も前に、進退窮まって大晦日というタイミングで辞任を発表したので、エリツィンとその「ファミリー」には頭が上げられないまま、自分でも予想もしなかった大統領になったせいです。
藤原 あのプーチン大統領の誕生はあまりにも急激であり、「プーチンって誰」という感じで世界が驚いた抜擢人事でした。その裏では何か取引があったに相違ない……。
木村 突然だった。ステバーシン首相がわずか三か月で首になり、その後釜に誰も予想もしなかったプーチンが首相に指名されたが、彼は連邦保安庁(KGBの主要継承機関)の長官に過ぎなかった。これは驚くべき≠ニ形容できる大抜擢です。大体、プーチンがエリツインによって首相に指名されたのは、クレムリンの高官がスイスの銀行に不正蓄財していた汚職事件に、エリツィンの次女で大統領補佐官だったタチアーナが関係しており、それをもみ消すためにプーチンが抜擢されたと言われています。
藤原 スイスでタチアーナ名義のクレジットカードを使って、リベート受け渡しが行なわれたという事件があったが、あれも石油やゼネコンの利権絡みだと、言いますね。
木村 ニューヨーク銀行のマネーロンダリング事件とか、石油会社の代表だったタチアーナの夫や大統領府総務部長が絡み、クレムリンの下層部とマフィアが複雑に関係した汚職があった。その追及に、スクラートフ検事総長が熱心に取り組んでいたから、検事総長の首を切るのがプーチンの仕事でした。その褒美に一九九九年の大晦日に大統領代行に就任したプーチンは、エリツィン前大統領の刑事免責の保証と引き換えの形で、首相と大統領代行を数か月ずつやっただけで、あっという問に大統領になった。世界中が「プーチンって誰」と、言たのは当然の反応ですよ。
藤原 あの時はまったくめまぐるしかったですね。そこで、木村先生とロシア間題を議論するために、インタビュー形式でまとめたプーチンの伝記だという”FIRST PERSON”を飛行機の中で読んでみたのですが、残念ながら未だ読み終わっていません(苦笑)。しかし、彼が諜報のプロとして受けた訓練と行政経験から判断して、寡黙だが人の心理を読みぬく眼力と世界情勢の把握力では、ブッシュの千倍か小泉の百万倍の能力を誇っていて、これだとあと数年で凄い政治家になりそうだ、という強烈な印象を受けました。
木村 人を褒めない藤原さんがそれだけ高い評価をするのは、きっと何か特別に感じたものがあるのだろうと思いますが、プーチンのどこにそんなに評価を与えたのですか。
藤原 プーチンがNATOについての意見を述べた時に、「ロシアはヨーロッパ文化に属していて、ナトー文化に属す国ではない」と断言したからです。また、プーチンが壁に飾ったのが英雄時代のピョートル大帝の肖像画ではなく、晩年の物悲しそうな大帝の版画を選んだエピソードで、彼はフーシェ的だがとても繊細な人間だと感じたのです。


プーチンはナポレオンになる?

木村 なるほど、フーシェですか。だが、プーチンが志す指導者像がビョートル大帝であり、ヨーロッパの技術と結んで近代ロシアを作り上げた大帝が、プーチンの今後における政治姿勢を象徴していると考えるなら、フーシェよりもナポレオンと比べるほうが面白いかもしれません。そうなると、今回の選挙は「ブリュメール(霧月)一八日」のクーデタになり、これからプーチンの支配力が確立することになりますね。
藤原 あの事件を境に、ナポレオンは政府の実権を握ることになり、皇帝として絶対権力を支配することになったわけですが、そうすると第一期のプーチンの支配は至って脆弱で、本当の政治の支配権は手にしていなかったことになりますね。
木村 それが第一期大統領としてのプーチンの偽らざる姿です。クーデタ前までは、イタリアやエジプト遠征に明け暮れたナポレオンと同じで、プーチンもチェチェン戦争に全力を挙げて取り組んだ。大統領としての第一期目のプーチンにとっては、世界の第二の軍事大国であるロシアの最高指導者のポストまで、無名の自分を引き上げてくれたエリツィンの恩恵は圧倒的です。とてもエリツィン・ファミリーの力を無視できませんよ。
藤原 だから、第一期大統領のプーチンにとってのエリツィンは、「ブリュメール(霧月)一八日」のクーデタ前のバラス総裁と同じだ。この時期のロシアの政治を、「フランス革命」の恐怖政治が破綻して、帝政に転換した時期に対比するとわかりやすいですね。
木村 歴史的な事件の推移には意外なほどの共通性があって、今度の選挙以前のプーチンは軍司令官だったナポレオンと同じで、自分の足で踏み立つだけの力はなかった。それは、新米大統領の保護者であるエリツィン・ファミリーとともに、プーチンの手勢である「シロビキ」(旧KGBや軍などの武力派)をうまく調整することで、この二大勢力の均衡を取らなければならなかったからです。しかし、今度の選挙でプーチンが圧勝したことにより、これからはエリツィン系の残党を着実に追い払って、「シロビキ」をバックに腕を振るうプーチン時代が始まりそうです.
藤原 じゃあ、ナポレオン帝政に似たプーチン帝政の始まりですか、
木村 何と言っても、ナポレオンの時代から二○○年も過ぎているし、プーチンは歴史の教訓を身に付けている政治家だから、彼独自のやり方で強いロシアの復活を狙うでしょう。ただ、これまではエリツィン系と「シロビキ」の二本の足の上に立ち、両勢力の均衡を取って無難にやってきたが、これからは一見すると独裁的にやれそうでも、一本足ではバランスの均衡が不安定だから、ちょっとしたことで失敗する危険も大きい。
藤原 文明の利器はすべてがバランスの上に機能している。船は推進機とともに左右を決める舵があるので直進できるし、自動車は舵に相当するハンドルの他にアクセルとブレーキがあり、そのコントロールで安全運転が成り立つ。今までのプーチン政権にはブレーキとアクセルがあったのに、選挙の大勝でブレーキがなくなってアクセルだけになった。アクセルを踏み込めば加速はよく馬力も出るが、カーブやデコボコ道という状況で注意しないと命取りになる。
木村 その比喩はわかりやすいし説得力を持っている。というのは、「シロビキ」は強いロシアを求める国家主義的な考え方が支配的だし、プーチン自身も「強いロシアの再建」を目指しており、チェチェン征伐を断行した政治家だからです。
藤原 対立するものが均衡による調整を通じて共存し、乾坤一擲の知恵がスムーズに働く。その意味では、反対勢力が健在であることは破局の予防になる。民主主義を多数決や参政権に短絡するのではなく、与党の政策案と野党の対案がぶつかることで、よりよい政策を作り上げるのが民主主義だから、自由な発想と実際的な課題の実現を目指して話し合うことです。だが、このプロセスをまどろっこしいと考える権力者は、どうしても反対勢力を一掃しようとするし、結果的に独裁化して破滅したのが歴史の教えです。


「シロビキ」の危険な大国主義

木村 なるほどね。それに似た考え方に基づくと思いますが、今がプーチンにとって最も大きな力を誇るピーク時です。これから増長して独裁者の道を突き進めば、数年以内にロシアは再び混乱するという人もいる。ただ、問題はプーチンらが属している「シロビキ」をどう制御するかです。ここにきて政治エリートの中に勢力を拡大しており、行政管区の全権代表の七割、安全保障会議のメンバーの六割近くが「シロビキ」の出身で、各省庁の次官の三分の一が「シロビキ」系です。しかも、ほとんどが強いロシアを目指す民族主義者として、ソ連邦の解体が間違った決定で遺憾だと思っている。領土の保全はもちろん旧領土の再統合を打ち出し、そのために国権の強化による大国上義路線を主張しています。
藤原 ビョートル大帝がロシアの版図と近代化を確立して、地上最大の空間を持つ大帝国を築いた歴史への思い入れが強い。ビョートル大帝をプーチンが敬愛している事実は、「シロビキ」の大国主義を牽制するうえでのアキレス腱です。しかも、米国が軍事力の優位をバックにして拡大政策を採用して、ロシア南部のモスレム諸国の石油資源に手を出し、ドルの威力でどんどん軍事基地を作っていることは、ロシアの国土安全にとって極めて深刻な間題を生んでいる。
木村 それは南部のモスレム諸国だけの問題ではなく、ユーゴを含めた東欧の旧衛星国とNATOとの関係でも、ある意味で時限爆弾になりかねない。しかもその後に独立した が旧ソ連で垣根の中に位置していたモルドバ、ベラルーシ、グルジア、ウクライナなどの共和国に対しても同様です。アメリカが利害関係を拡大すれば、ロシアもつばぜり合いを強いられ、「シロビキ」には耐え難いわけです。
藤原 もう一つ見逃せないのが「タタールの頸(くびき)」の問題です。ロシア人にとってアジア的な専制の想い出は恐ろしい悪夢だが、最近の米国はモンゴルにまで軍事顧問団を派遣して、ロシアと中国に睨みを効かそうとしている。トルクメニスンやタジキスタンなどの酋長的な大統領に対して、米国が札束攻勢をかけて懐柔を試みているが、彼らは三○○○年以上の伝統を持つ盗賊遊牧民だから、短期的には成功しても長期的には必ず破綻する。
木村 ロシアから独立した南部のモスレム諸国では、かつてクレムリンの傀儡で共産党の手先だった連中が大統領になり、今では裏切って米国の手先をしている。それに対する憤りが、プーチンはじめ「シロビキ」の心理の中に根強い。しかも、ロシア人は被害者意識に基づいて世界を考える習性を持つのに、アメリカ人はロシア人のそうした心理の深層を理解しようとしないから、行き違いが生じておかしなことになる。
藤原 米国でのイスラムやスラブの研究は移民や亡命者が中心で、ある意味でアメリカに寝返った人や送り込まれた人が多く、学問的に見て円熟の度合いがあまり高くない。しかも、彼らにとって米国は一時的な出稼ぎの国で、機会があれば出身国に戻って出世したい。そのために、適当に単純なアメリカ人を操ったりしている。とはいっても、日本にはまともな「アメリカ研究所」や「モスレム世界研究所」はないし、「ロシア問題研究所」や「ユーラシア研究所」もない。それに比べれば、米国の他民族研究は圧倒的だし、人材の層も比較にならないほど充実している。いい仕事は米国の研究施設で外国人がやっています。


シベリアの呪い≠ニいうインパクト

木村 それはアメリカが人材を引き付ける魅力を誇って、世界中から優れた人材を集めるだけの場を提供できるからです。ポール・ケネディも英国からイェール大学に来たように、世界中の優秀な人を取り込む体制を持つことが、アメリカのこれまでのポテンシャルを高める原動力だった。だが、日本の場合は閉鎖的で才能を活かす希望がないし、独創的な仕事を評価する眼力を持つ人もいない。優秀な研究者がどんどん海外に流出して人材を失っている。残念ながら、これが日米の実力の差なんですね……。
藤原 日本人は海外からせっかく来た人材を活用するのが下手だ。日本に来て喜ぶのは技術系の人が圧倒的で、国際政治の分野で一流の人は日本に関心を持たない。最近はジャパノロジストたちが対象を誤ったと考えて、中国問題に専門領域を変更しようとしている。
木村 それは残念ながら一時のクレムロノジストと同じで、ソ連が解体してロシアになった時の私たちも惨めで、人生を誤ったと大いに落胆したものです(笑)。
 話を元に戻しロシアとプーチンの将来についてだが、最近アメリカで非常に話題になっている本がある。フィオナ・ヒルが書いた『シベリアの呪い』(Siberian Curse)は一〇年に一冊の名著で、ブルッキングス研究所で仕事をしている英国人の著書です。概要は「ロシアはシベリアを持つことが大きなマイナスであり、あんな広大で不毛な大地を抱え込んでいるがゆえに、それが足手まといになり具合が悪い。もっとコンパクトに、モスクワとサンクトペテルブルグを中心にしてやれば、ヨーロッパの一流国に肩を並べられるのに」と言っている。
藤原 しかし、それは伝統的なロシアの膨張主義に背く考え方ですよ。
木村 確かにその通りだが、オスマン帝国やロシア帝国の持つ空間に対しての妄信というか、領土が大きいほど安全保障にとって好都合だという発想は、空間を過大評価した時代遅れの考え方だというのです。戦前の日本もアジア大陸に向けて膨張したが、敗戦で内地だけというコンパクトな国になったから、かえって経済発展を成し遂げた。アメリカも中東や中央アジアに勢力圏を拡大することで、かえって国力をすり減らして滅亡への道をたどると言えそうだし、ロシアにとって多くの教訓を含むと思うのです。
藤原 その意味では現在の中国も膨張しすぎている。清帝国の版図に加えてチベットや内蒙古を支配し、帝国主義の重みに押し潰されて自滅しかねない。領土の膨張もバブル現象のバリエーションであり、当事者たちは発展とか躍進だと喜ぶが、長い目で見ると異常な肥大化に他ならない。適正なサイズに戻るのが自然の理のはずです。
木村 私も引き揚げ者の家族として無一物で内地に戻ったので、最初の数年間は生活の面で非常に苦しかった。それでも何とか頑張って必死になって生きたし、そういう国民の努力が日本を復興させたという意味では、今の日本のサイズがちょうどよかったと思います。
藤原 私は今の日本でも大きすぎると思う。むしろ、九州と四国が一緒になって独立国になり、本州も三つくらいに独立して連邦を作り、コンフェデレーションかコモンウェールスを作れば均衡が実現するし、中央集権による破綻の悲劇が回避できる。同じように、ロシアも五つの国に分かれて再構築すれば、均衡の崩れた「独立国家共同体」(CIS)よりはるかに安定した、新しい政治機構が成立すると考えています。
木村 しかし、その前に重要な役割を演じる石油の問題がある。ロシアの経済活動を支えているのは石油の輸出であり、国家財政の過半が石油に依存している以上は、ロシアの運命は石油によって支配されている。今後もし石油価格が下がって経済が低迷すれば、プーチンの人気を支えた経済の活況が鈍化して、彼が掲げる所得倍増論がうまくいかなくなり、約束が果たせなくなって人気は暴落すると思う。だから、石油の専門家の藤原さんと議論する機会を生かし、経済面からロシアの将来を検討するうえで、具体的な石油間題について考えなくてはいけない。イラク問題が今後のプーチンの政策をどう動かし、カスピ海周辺の石油がどんな意味を持つかについて、文明的な視点から見たら石油戦略がどういう形のもので、実態がどうなっているかについて検討しませんか。
(次号に続く)


記事 inserted by FC2 system