『四次元』 1980年04月号



外から見た日本の針路

理学博士  藤原肇



 日本は今、自由世界第二の経済大国になったと多くの日本人は自画自賛の態であるが、エネルギーと資源を持たない日本が、エネルギー、資源多消費型の大型経済を築きあげてしまったのは、砂上に楼閣を築いたに等しく、その崩壊は必至だと藤原氏は見ている。

 そして一九七三年の石油ショックは予震にすぎず、本当の石油危機は、これから持続的に繰返し日本に襲いかかってくるだろうと予告する。これは七三年のショックで充分に予告されていたのに、日本人および日本の指導者たちは、ただ拱手傍観するのみで、その無為無能は今日に至っても改まるところはなく、このように危機への対応の遅れは、日本の社会制度の根本的改革なしでは救いようがないらしい。

 藤原氏はカナダ、アメリカに居て、石油地質学者として、石油開発のコンサルタントならびに開発会社を経営しており、その専門の立場から見ると、日本は石油に関しては無医村に等しく、これでは日本に石油の出ないのは当然だと言う。そして日本の危機は、世界状勢の緊迫化とともに、いつ爆発するかもしれず、それが心配で心配でならない。

 「もう、このままでは、日本は潰れるより仕方がないのかと、悟りのようなものを持ってしまっている。」

 というのが藤原氏のいつわらぬ言葉である。果たしてそれはオーバーな表現といえるのであろうか。

藤原肇氏

一九六三年埼玉大学卒業、フランス留学、理学博士。石油・資源開発の地質学者・ビジネスマンとしてアフリカ・中東・欧州・アメリカで活躍。現在アメリカのカンサス州で石油開発会社を経営。著書に、「石油危機と日本の運命」「日本丸は沈没する」「中国人・ロシア人・アメリカ人とつきあう法」などがある。




世界の情報の中心地力ルガリー

 いま世界の市場において、一番価値があるものは何かといえば石油です。それで私はカナダのカルガリーという町でコンサルタントとして、世界中の会社や個人や国にアドバイスしたり、アメリカのカンサスに出かけて行って、石油開発会社を経営したりしております。

 なぜカルガリーにいるかといいますと、じつはカルガリーは、ある意味で情報センターだからです。この間竹村健一氏とテレビで会談したのですが、あの人もニューヨーク、ワシントン、モスクワ、ロンドン、東京などの名をあげていましたが、現在のところは、一番情報の集まるところはアメリカのヒューストン。第二がどこかというと私たちの住んでいるカルガリーで、第三がロンドンです。

 それではなぜ、ヒューストン、あるいはカルガリー、ロンドンが情報センターなのかと言いますと、じつはその場所に石油会社がたくさんあるからです。そして現在国際政治を動かしているのは、石油だからであります。

 このところ、石油問題が脚光を浴びておりますが、それは日本で最近脚光を浴びたのであって、二〇世紀の始まりから、じつは経済の中心は石油だったのです。ではどうしてヒューストン、カルガリー、ロンドンが情報センターになっているかということの具体的な例をあげましよう。

 石油会社というと、いま日本ではダウンストリーム(精製とか販売)しかありませんが、石油産業の一番中心的なものは、アップストリームといわれる、いわゆる石油の開発あるいは生産、それからアップストリームとかダウンストリームをつなげるものとして、トランスポーテーション(輸送部門)があります。輸送の部門にはタンカーとかパイプライン、あるいは鉄道とかトラックと様々なものがあって、日本で輸送というと、すぐタンカーとなりますが、じつはタンカーは輸送部門のほんの一部門に過ぎません。そういうふうに見てくると、日本では、タンカーだけでしか石油を運搬しないと考えている状態というのは、いろいろ考えなければならない問題がある。

 たとえば、日本は造船王国なんていわれていましたが、一九七三年に私はそれはとんでもない思い違いだと警告し、そういう考えで一五万トンの日章丸についで二五万トンの船をつくり、五〇万トンの船をつくり、百万トンの船をつくる、そういうやり方をやっていたのではダメです、と書いたのです。ところがそれが出版されたのは一九七七年で、その時は、いわゆる造船王国はすでに傾き始め、倒産が始まっていたのです。

 私の書くものはつねにそういうことで、たとえば一九七〇年に「石油危機と日本の運命」という題の原稿を書いたのですが、どこの出版社も出してくれなかった。三年たって一九七三年にサイマルから出版されたのですが、その六ヵ月後に石油パニックが始まったわけで、どうにもこうにも処置なしでした。「造船王国」も七三年に本にならなくて、七七年に本になった。

 そんなわけで、いま、アメリカが日本を見棄てることが近く始まるのではないか。日本に、ある意味で経済パニックが起こり、内乱状態になるのではないか、それが心配でしょうがない、なんてことを言うと、ああまた藤原さんが始まったと言われてしまうわけです。私には、それが心配で、心配でしようがないのです。

 いまの日本のジャーナリズムというのは、非常に不易の流行部分のみを見て、状況判断をしています。現在われわれが与えられている条件は何かという、そしてその中で、最善の選択をした場合はどういうふうに変ってゆくか。そういうことが読めるから言うのであって、私は予言をしているのではないのです。当然にこれからこういう状況になったときに、頭のいい人たちが集まって最善の選択をしても、おそらくこういうことになるだろう、ということを見通して言っているのです。


日本が破産する

 じつは三年前に来日し、堺屋太一氏と対談しましたときに、私は

 「イランではいまに革命が起きますよ、三井がイランにのめりこもうとしているけれども、イランは破産ですよ。イランが破産すれば、日本だって破産するんじゃないですか。あるいはその影響で、日本に内乱が始まるんじゃないですか。」

 と言いましたら、

 「藤原さん、言われることは非常におもしろいけれども、信用はできません。そんなことはあり得ないでしょう。」

 と彼は言っておりました。その彼が

 「日本にとって八○年代は危い。」

 なんて、将来を見とおせるようなことを書いたりしています。この問もテレビに出て、彼は「チリなども資源です」なんて報告してましたけれども、じつは日本の工業に関する木はチリに等しいようなものがベストセラーになっているのです。この国は、おぞましいな、と今回帰って来てそんな感じを強くしています。

 そんなふうで、私が、こんごどんなことが起りうるかということを考えて議論をしても、日本ではあまりまじめに聞いてくれる入がいません。私は予言者でもなんでもないのですが、私の信ずるところを、ただお話しているに過ぎないのです。

 さて、世界には私と同じように、いわゆるオイル・ジェオロジスト(石油地質学の専門家)と呼ばれる人たちが二万人ばかりおります。これは業務上はお医者さんといわれるような入たちに相当しまして、お医者さんは病人に対して診断したり治療したりするわけですが、じつは石油をさがすということは、地球における異常状態を見つけて、地球の表面に近いところにたまった、ウミみたいなものを取り出すのが地質学者の役割でして、石油産業における地質学者は、病院におけるお医者さんと同じで、お医者さんが病院を儲けさせているように、われわれは石油産業を儲けさせているわけで、地球相手の医者というのがオイルジェオロジストです。それをソ連と中国ではジェオロジストと呼び、日本では地質学者と訳しています。私はそれを、学者と訳してはいけないので、或る意味で科学者と技術者を兼ねそなえ、かつビジネスの出来る人、このように理解した方がよいと思っています。

 この二万人のうち、五千人がヒューストンにおりまして、カルガリーには二千人、全世界の約一〇パーセント。では日本にどのくらいいるかというと三〇人ぐらい。そこで私は或る雑誌に書いたのです。「日本は無医村じゃないか」と。これでは日本に石油が出ないのは当り前です。だから日本の石油開発会社というのは、医者のいない病院みたいなもので、歯医者をつれて来たり、インターンをつれて来たりで、それでは石油がなかなか見つからないのは当然です。なぜかと言えば、お医者さんで言えばゼネラル・ドクター、要するに内科でも外科でも、あるいは精神病も扱える、そういう人がいなくて、地球を掘っている。これでは石油が見つからないのは当然です。

 ジェオロジストの集まっているのではカルガリーは世界で第二で、日本には二〇人か三〇人しかいませんので、カルガリーは日本の一〇〇倍以上のポテンシャルをもっているといえます。人的資源からいっても、すごい町だといえます。

 ではどうしてもっと大きいヒューストンヘ行かないのか、とよく質問されますが、ヒューストンというのは、じつはメジャーオイルカンパニー、みなさんよく御存じのエクソンだとかシェルだとかテキサコ、あるいはアラムコなどという、巨大企業の頭脳中枢の集まっているところですが、大体石油などというものは、あまり大きな組織で見つける確率は少ないのです。大きな組織に働いていますと、サラリーマン化してしまいます。私自身、サラリーマンに近い状態での大会社の仕事を十年やって後に、初めてコンサルタントになったわけです。

 石油ビジネスというのは、一生懸命やっても十年かかるという大変なビジネスなのであって、大学を出て何か少しやったくらいで、たちまち名医が育つわけにはゆかないのと同じで、それと同じような修業をしなければ一人前にはなりません。


コンピューターの使い上手なヒューストン

 また、何故カルガリーやヒューストンが情報センターであるかということの裏付けになるものとして、日本ではコンピューターというのはハードウエアとしてのコンピューターを考えて、日立がどうの富士通がどうのと言っておりますが、コンピューターというのは、じつはソフトウエアが重要なのであり、ソフトウエアがなければコンピューターは使い切れない。コンピューターを会計機として働かせたり、東海道新幹線の座席の予約をしたりしていますが、これはコンピューターの非常に程度の低い使い方なのです。コンピューターというのは、もっと高度に使わなければならない。人間のやる計算を、コンピューターにやらせたら、人間が一ヵ月かかるところを一秒でやってしまう。それで余った時間を人間がもっと有効なことに使う、というようにコンピューターを使いこなして初めてコンピューターは生きるのであって、じつは、コンピューターの容量×利用時間、この積からいって、世界でどの町が一番コンピューターを使い切っているかというと、ヒューストンが世界一であり、第二がカルガリーであり、第三がロンドンである。ということからも、逆にコンピューターが非常にフルに動いているという意味で、情報センターであるということができるわけです。

 何故私がヒューストンにいないでカルガリーにいるかというと、ヒューストンはアメリカの大手の石油会社が集っているのに対し、カルガリーの場合は、石油会社三五〇社のうち一〇〇社が大手の石油会社で、あと一〇〇社がインデペンデント(独立系)といわれる小さい会社で、二人あるいは数人ぐらいで、非常に問題意識のある人たちでやっているビジネスで占められています。そのほかに一五〇社ぐらいが、いわゆるペテン師専門といいますか、素人をだましたり、日本の石油会社を呼び込んで、金を巻きあげたりするのが上手なのがおります。とくにそのうちの五〇社ぐらいは、私の目から見ても眉つばものと思われるのがあります。ですから三五〇社あっても、半分以上はまともかもしれないが、半分ぐらいは、ちょっといかがわしいといえるものです。

 一〇年かかって私が石油会社にいて修業したというのも、石油ビジネスというのは、どうしてもそれだけの時間がかかるということです。

 石油会社にいていろいろなコンサルタントとかコントラクター(請負業者)を使って仕事をするなかで、どこのコンサルタントが一流であるとか、こういう仕事に関しては、どのコンサルタントを雇うと世界一であるとか、十指に入る人だとかがわかり、そういう人たちを使いこなして仕事をしてゆきながら、そういう人とかかわりを深めてゆきますと、向こうでも、あいつはよく出来るとか、そういうネットワークの中で、お互いに知り合うことによって、一人立ちする足場が出来たところで会社に見切りをつけて、コンサルタントとして新しい人生を歩こうと決心したわけです。


ベンチャー・ビジネスの存在価値

 というのは、大きい会社になればなるほどビューロー・クラシックというか、官僚主義的組織になるのはやむを得ないし、そうすれば決断が遅くなる。それにトップにいる人たちの問題意識が非常にトロくなる。

 日本のように、いつも常務会をやったり、なんだかわけのわからないことをやるというようなことは、石油ビジネスの場合は少なく、トップがかなり問題意識をもっていますが、それでも私がベルギーの会社に働いていたとしますと、ある程度大きな予算になると、まずカナダ本社の承認が出、しかもまたベルギーの本社のOKをもらうため、私がブラッセルまで飛んでいかなければならないというようなことになる。そういういろいろなことがあってデシジョンが遅れます。現場ですぐ意志決定ができないような組織ですと、どうしても石油ビジネスのようなものでは、早いものに取られてしまう。

 大きいところに居ればいるほどダメだということ。そこで、より小さい会社、さらに小さい会社、さらに小さいところへと移り、最後は一人立ちするということになる。結局、アメリカでは、一番実力のある人は、一番小さいところに居る。日本は残念ながら、大きい会社が有能な人たちを、みんな大学を卒業した段階で吸い上げる。その人たちを半分飼い殺しにしていて、若い実力のある人たちがなかなか飛び出せない。何故飛び出せないかというと、じつはベンチャー・キャピタルというものが存在しないからです。

 ベンチャー・ビジネスを始めようとしても、銀行は担保がないではないか。担保がなければ金は貸せない、などと日本の銀行は言う。日本の銀行は質屋の近代化したもので、担保がある限りでは金は貸してくれるけれども、いわゆるソフトウエアを持っているから、といっても誰も金は貸してくれない。

 われわれのビジネスの場合には、金を銀行に預けておく必要は全然ないわけです。というのは、誰とパートナーを組むかということで金を動かせるという状況になるからです。

 「こういうビジネスをやりませんか。」

 とか、たとえば、

 「二億ドル出しませんか。そうすれば、出した金は一年半で回収できます。あとは毎年毎年何千万円か儲かりますから、利益は折半しましょう。」

 こんな電話をすれば、

 「カネはいつ要りますか。いくらですか。」

 そして、すぐ金を持ってくるアメリカ人がいっぱいいます。アメリカの銀行でもそういうことで金を貸してくれるわけです。


ソフトウエアの重要さ

 ですから、要するにソフトウエアを持っていれば、アメリカではいくらでも独立して自分でビジネスが出来ますから、有能な人たちは大きな組織には残らない。これがアメリカのビジネスです。

 ところが、日本では有能な人たちが大会社に集まっていますから、なにかアメリカでも有能な人たちが大会社に集まっているように思って比較されます。ソニーの井深さんのように、

 「アメリカはもうダメだ。大会社に全然人がいない。こんごは日本式経営がいい。」

 なんて言いますけれども、問題の本質を見誤っていると思います。

 アメリカで一番実力を持っているのは、大会社ではなくて、じつに小さい、日本で言えば、それこそ零細企業以下の企業が実力を持っているのです。それがなかなか日本人にはわからない。日本ではやたらにコンサルタントを名乗っていますが、どれだけビジネスとして成り立っているのでしょうか。アメリカではコンサルタントとして立派にやっている人が非常に多い。しかし同じコンサルタントでも、二流は二流の仕事しかできませんし、一流は一流の仕事をし、それだけの大きな収入を得ています。

 具体的に言いますと、たとえば私のところへ、

 「アンデス山脈の東のすそ野の地質構造についてのコンサルタントの仕事をやりませんか。」

 というような話が来ますと、

 「いや、アンデスに関しては、ロサンゼルスにターナーという男がいて、私と同じ値段で、彼は五年間そういう仕事をやっていますから、南アメリカに関しては、彼に仕事をさせた方がよい。いい仕事をすると思いますよ。」

 そういうふうに、互いにネットワークを持っていますから、そんな中で、私がやった方がよい仕事は私の方に回ってくるのです。大体アメリカの大きな石油会社では、私のために広い事務室を用意してくれるのが普通です。そこへ三つくらい大きなテーブルを構えて、これは本を読むテーブル、これは考えごとをするテーブル、これは人の書いた地図を評価するためのテーブル、といった調子で、朝八時半に会社に出て、四時半には自分の家に帰るというような、優雅な生活ができるわけです。それで年俸五万ドルとか六万ドルをもらって仕事をするわけです。

 アメリカでは、オイルジェオロジストはプロフェショナルとして認められています。プロフェショナルというのは、医者、弁護士、公認会計士、エンジニアなどと同じで、いわゆるサラリーマンではなく、「自分としてはこういう仕事ができる。権限を与えてくれれば年俸いくらで仕事をしましよう」と自分の能力を会社に売り込むわけです。すると会社では経歴をしらべたりして、有能であればどんどん雇入れる。そしてわれわれは年俸の十二分の一を毎月とか、二十四分の一を半月ごととか、分けてもらうわけで、ある意味では実力本位の仕事ができるのです。

 私はコンサルタントとして一ヵ月仕事をすれば、大きな石油会社でゆったり仕事をして、一年間の年俸と同じぐらいの収入が入ってくるわけです。そこでたいていの人は一ヵ月働いて肩の力を抜いてしまうわけです。一ヵ月仕事をすれば五万ドルとか六万ドルの収入がありますから、もうそれである程度生活が安定してしまうわけです。しかしそれをやっていてはインプットがない。やはりこういう仕事は勉強しなければならない。そして、あの人と仕事をしていると、いろいろ情報が集まってくるから、やはり仕事をしておこうということで、一ヵ年のうち三ヵ月ぐらいはコンサルタントとしての仕事をしています。それで非常に優雅な生活はできるのですけれども、人に知恵をつけて儲けさせるよりは、自分にそれだけの判断力があり、評価能力があるのだったら、それを自分のビジネスに生かした方がいいというわけで、じつは一年ほど前からアメリカで石油を掘る会社を始めました。

 実際問題として、石油は売手市場ですから、アメリカの場合、メジャーとしても、中堅の石油会社としても、石油が足りなくて困っているわけです。見つけさえすれば、皆売ってくださいと言って来ますから、私のように頭(づ)の高い男には、こんな有難い商売はないわけです。手紙でのやりとりですが、

 「お宅はいくら?三九ドル五八!」

 「お宅はいくら?三九ドル九四!」

 「お宅は四〇ドル〇〇!……ではお宅と一年間契約をしましよう。」

 というようなことをやって、一番高いところへ売って、というようなことになります。早い話、アラブ諸国へ出かけて行けば石油がたくさんあることはわかってはいますが、いま世界中がアラブに対して文句を言っている時です。「アラブ怪しからん」「OPECがなんだ」と、アメリカも日本も欧州諸国も言っている。そのアラブヘ行って袋だたきにされるより、アメリカの中にいてアラブ人をやっていれば、アメリカ人が喜んで売ってください、とくるんですから、こんな有難いことはない。アメリカでアラブ人やっているからといって、別にターバンを巻いているわけではありません。


被害者意識をなくせ

 それがじつは一番いいのでして、日本人はなにかいつも被害妄想にかかって、あの連中怪しからんと息まいている。しかし、いき巻いている限りこれは、いつまでも被害者の立場なのです。そうではなく、発想を転換して、ちょっと石油ビジネスに投資して、儲かるサイドに行けばいいのですが、それをやるにはサイエンスとかテクノロジーが関係するので一般にはできないわけです。ですから私のような男が、アラブに行かないでアラブ人をやっているのに、ご協力くださるという方法もあると思います。

 それで、アメリカで一番有利なところはどこかといいますと、オクラホマシティーとかタルサとかウイチタ、このあたりは一番石油が見つかりやすくて、しかも安い費用で調査することができるところです。じつは人に知らせないでこっそり儲けていればいいのですけれども、今日は初めてお目にかかった方々が多いので、あそこは一番いい場所ですよ、とご披露したわけです。

 私は結構アメリカの中では一番儲かるところでやっているのですが、私よりもうわ手がアメリカに一握りいるわけです。こいつ怪しからんと私は思っているのですが、ケンカしても始まらないし、しようがないと思っているのですが、それは誰かといいますと、この間テレビにも出ましたが、じつはアメリカを動かしている連中です。彼らは緑色のインクと紙でもって、にせ札を造っているのです。

 一番地上で価値のあるものは何かというと、じつは石油でして、アメリカは一日当り八〇〇万バーレル(一〇〇トンちょっと越えるくらい)の原油をどんどん輸入して、しかも、それに相当するぐらいの原油の精製品をベネズエラとトリニダットから買い入れ、それを使って、余ったものは全部穴蔵に貯めておく。結局、誰がババをつかまされるかというと、じつはアラブの連中なのです。アラブの連中は、にせ札を何トンか貯めてしまって、しかも貯めておく限り、どんどん目減りして行く。

 これは、じつは大変なことです。アラブとしても石油を貯めておきたいのですが、タンクを造らなければならないとか、地下に貯めておきたいけれど、テクノロジーがないから、アメリカ人が掘り出してくれない限り、地下にある石油というのは約束手形みたいなもので、期日が来ても落ちるか落ちないかわかったものではない。しかたがないからせっせせっせと掘り出しては金(キン)に代えている。最近金が高騰していますが、これはじつは、無限に石油に接近しようとする動きに外ならないのです。

 要するに、石油を価値として一定のものであると考えると、にせ札の方はどんどん暴落しているわけです。そしてアメリカのドルがにせ札だとしたら、日本の円はチラシなんです。皆さんはチラシを退職金としてもらうとかして握っているわけです。そういう虚像の中で日本経済は動いているのです。聖徳太子の像が付いているので有難い感じがするかもしれませんが、私に言わせますと、一万円札などというのは、Yシャツ三枚に靴下三足とか、今日現在のチラシに書いてあるように見えます。明日になると靴下二足、あさってになると靴下一足になってしまう。

 そういう訳で、アラブの連中あるいは、にせ札をどんどんつかまされている人々というのは、これは大変だというわけで、あわてているわけです。

 ところが残念ながら日本の大蔵省だとか日銀だとかを陣取っている入たちは、何トンというにせ札を貯めて、これを外貨準備だなんて言っているのです。私がもしコンサルタントとしてアドバイスを頼まれれば、そんなにせ札はどんどん外へ出してしまって、もっと価値のあるものと交換しなさい。石油を買うのも結構、金でも構わない、買いなさいとすすめるのですけれども、私にコンサルタントやれなんて、日本から頼みにこないのでだまっているのですが、もう何トンも貯ってしまっているのです。

 じつは政治をやるうえで大切なことは、敵の強みを弱みに転じること、これは孫子の兵法でも言っている政治の基本でして、日本がどんどんドルを貯めたら、貯めすぎは怪しからんと言うのはよその国の政治のやり方です。やられてしまったのは福田時代です。福田内閣はせっせと外貨を貯めました。貯めたものをどんどん外へ出して買ってしまえばいいものを、それをやらないで、アメリカから緊急輸入だといって、クズみたいなものばかり買い込んで、価値あるものは誰ひとりとして持っていないんです。

 アメリカでは、どこの家庭でも銀のスプーンだとか、ダイヤモンドなど持っています。それは潰してもカネになるからです。私などもポケットをさがせばすぐ潰しになるものが出てきます。この万年筆も銀製だし、靴ベラも銀です。なんでも、つぶしたとき価値のあるものを持っていれば、いざというとき役に立ちますが、日本人の場合、スイス製の高級時計だなんていっても、つぶしたら大したことにはならないし、ポータブルラジオにしても、白金は使ってあるにしても、熔接するところにすこし使ってあるだけです。そんなふうで日本の家庭には、価値のあるものがほとんど見当りません。


マンションは力ギ付き監獄

 そういう意味で、日本の外貨保有高というのは、じつはにせ札が貯まっているわけで、個人の次元でいいますと、一生懸命チラシを貯めてしまっているのです。日本経済というのは、チラシの上に成り立っているのであって、しかもこのチラシは、クサリという形でひもがついているのです。

 三年前に日本に来たとき、国広正雄氏とテレビで対談したことがありましたが、そのとき、

 「皆さん、日本の経済の実体をご存じですか。私は外国に出ていて、裸の王様が裸でいることを、率直に言う人間だから、皆さんからきらわれているけれども、私が日本の経済の現状を見ると、こういうふうに見えますよ。」

 と紹介したことがあります。

 「それは、日本の人たちはみんなマンションを買って、それは資産である、インフレヘッジになる、と思っておられるかもしれないけれども、あれはカギ付きの監獄の中にいるようなものですよ。カラーテレビがあって、クーラーがついているかもしれないけれども、いざ首を切られたからといって、田舎へ行って二、三年遊んでこようなんていっても出られませんよ。カギは自分で持っているかもしれないけれども、借金で買っている限り、月々の払いがあるから、そこから一歩も出られませんよ。日本は自由主義社会だから、カギを開ける自由はあるかもしれないけれども、田舎には行けませんよ。」

 それから地方自治体。東京都にしても、横浜市にしても大阪市にしても北海道にしても、みんな起債で借金しているのです。しかも毎年、あるいは毎月入ってくる税収はほとんど人件費で食われてしまっている。さらにそのうえ赤字になってしまい、足りないところを特別に国から指定してもらって援助を受けている。企業はどうかといえば、新日鉄・松下電器、いろいろあるが、設備投資はみな銀行からの借入金です。銀行から金を借り出せることが経営能力があるように言われている。しかも、設備投資ばかりでなく、これから退職してゆく人たちの退職金その他まで、借入金でまかなっている。

 また、たくさん人も抱えているから、儲からなくてもビジネスをやらなくてはならないという、悪循環にはまってしまっている。

 私は日本に住んで、商社マンを三年やって、日本の企業がどういうものかはよく知っていますが、要するに儲からないビジネスでもやらなければならないということです。何万人もの社員を抱えているので、口銭は一%でも、しようがないからやっていこう、こういうことをやっているのです。私はアメリカでビジネスをやっていますが、儲からない仕事はいっさいやりません。われわれが儲かるビジネスというのは、利益が二〇〇%とか三〇〇%というものです。荒利が七%とか一〇%などというのは、ビジネスとは思っていないわけです。そういう仕事は、そういうことしかできない人にやってもらえばいい、ということになります。日本の場合は、儲からない仕事でもせっせとやっている。


資本金は要らない

 具体的には、私がアメリカで石油会社をやっているといいますと、お宅の会社の資本金はいくらですときかれます。しかし資本金は要らないのです。要するに、こういうプロジェクト、あるいはこういう買い物がある、これに投資しませんかと話をすると、出す人がいくらでもいるので資本金は要らないのです。銀行にカネを貯めておいても、それはにせ札を貯めているだけで、毎月目減りするから貯めてはおかないのです。また従業員は何人いますかと聞かれます。従業員などというものは、無能な人を雇う必要はないのです。タイピストの女の子でも、あの町の一番有能な女の子を、一枚いくらで契約すれば、ちゃんとやってくれる者が雇えますから、われわれはサインだけしていればいいわけで、文書が間違っているとか、そういうことをチェックしなくても済む。それがビジネスであって、仕事もしない人間をやたらに抱えこむのはビジネスとは言えません。

 それはコンサルタントでも同じことで、この仕事をやったら間違いのないという男を、四日間、一日三〇〇ドルで仕事をしないか、というようなことで契約するわけです。四日目にレポートなど出してもらう必要はない。ただあなたが、これをいいとかわるいとか言ってくれればそれでいい、そういうように仕事を頼めば、その人を抱え込む必要はないし、一ヵ月分のサラリーを払う必要はない。そのとき限りで終了。そういうように非帯に機能的にやっていますから、儲からないビジネスはいっさいやらない。ところが日本では窓際族とかいいますが、仕事をしない人たちを抱えこんでいるから、こんどは儲からなくても、なんでも仕事をしなければならないということで、企業はどんどん大きくなるけれども、全然実力がないわけです。だから企業の次元でも日本は赤字です。

 では国の次元ではどうか。これは全くどうしようもないわけでして、三割、四割国債でやっている。明らかに赤字経営です。どこかで自転車操業が循環しなくなったら、日本中バタバタ潰れてしまうわけです。

 国内事情だけでなく、国の外に目を向けてみると、日本は外貨準備として、にせ札を二〇〇億ドルあるなんていっていますが、石油の値段に比べると毎日計る量が減っているわけです。しかもこれから一年間か二年間石油を買う量しかありません。外貨準備としてはイタリー以下であることは明らかです。イタリーは破算寸前のように言われているけれども、現在の国際市場価格で金を換算すると、外貨準備では日本の十倍ぐらいです。日本は経済大国といわれているけれども、じつは管財人の管理に入るか入らないか、そういう瀬戸際にあるというのが実状でしょう。

 それで現在日本に中東諸国から直接投資というのが来ているわけです。いわゆるオイルダラーが日本の国債を買ったり、株を買ったりしています。日本円がチラシなら国債などは新聞紙であって、アラブ人はいまのところそれに気がつかないから持っているに過ぎません。

 ところがもし、アラブがそれを引上げるとなったら、日本経済はたちまち破産してしまいます。そういう恐ろしい状況に日本は現荘あるのです。

 日本にくると、「藤原さん、アメリカで日本のことをどういうふうに見ていますか」とよく聞かれることがあります。そこで私が、

 「アメリカでは日本のことはなんにも言っていませんよ」

 と言いますと、

 「そんなことはないでしょ、日本について何か言っているはずです。」

 「言ってませんよ。だってアメリカは日本のことなんかそれほど評価していないし、アラブ諸国の一国ぐらいの扱いしかしていませんよ」

 と答えるしかありません。


ジャパン・アズ・ナンバーワン

 日本には不良外人がやって来て、日本を持ちあげている。その一番の筆頭はハーマン・力ーンなどです。「"二一世紀は日本の時代だ"なんて持ち上げて、それが日本でベストセラーになったり。それで日本人はいい気になって「さあ、すし食いねえ」と森の石松をやっているわけです。

 森の石森がどういう頭の持主であるかは皆さん御存じのとおりで、それでハーマン・力ーンは日本にくると売れっ子でちやほやされる。そこで入れ替り立ちかわりそういう連中がやって来ます。

 ボーゲルなんて男は、訳のわからないことを言って"ジャパン・アズ・ナンバーワン"なんて本を書いている。あれは"アズ・ナンバーワン"なのであって、"イズ・ナンバーワン"と言ってはいないのです。

 日本がナンバーワンだと英語のわからない人は考えるのですけれども、"アズ・ナンバーワン"は全然違うので、しかも"ナンバーワン"というのはキャバレー用語であって、"稼ぎがいい"という意味しかないのです。それは非常に美人である、気立てがいい、そういうことを言っているのではなくて、"尻ぐせは悪いが稼ぎはいい"といわれているのを、なんかほめられたと思って一生懸命読んでベストセラーにのしあげさせました。私は読んだわけではありませんが、ウォールストリート・ジャーナルに彼自身が書いた紹介記事が出ているのを見て、日本のことさっぱりわからないのに、日本のことをほめたたえていて気持がわるいなと思い、それを読んで大体わかったのです。

 それから一昨年であったか、ガルブレイスが「不確実性の時代」を出版しましたが、あれは表題だけで売れたのである。こんど日本に帰って来ても、不確実性の時代なんて誰も言う人がいないくらい、一時的なものであったのです。あれは中味は白い紙で、表紙だけ刷ってもベストセラーになったのじゃないかと思われるくらいです。本当にいい本だったら、彼のほかの本も売れていなければならないわけです。

 孫子の兵法にもあるように、入を没落させるのに足を引っぱるのはゲスのやることです。福田氏が三木氏を一生懸命引きづり下ろしたの、あれもゲスです。上の策は、相手を持ち上げよ、もち上げて一番高いところへもっていって、そこで落してしまえば、全治不能の打撃を与えることができるのであって、それは世界中でやっていることです。

 他の国が、あなたの国はとてもすばらしいと言うのは、じつは持ち上げているのであって、日本人はそれを言われるとうれしくなってしまって、この人非常に日本に好意をもっている。知日家だ、親日家だと、正体を現わしてしまう。

 こうなると、不良外人はいくらでもやって来ます。この国には、何か知らないがやたらに日本人論とか日本をほめた本が氾濫してしまっている。これは大変。これはいかん。私は日本へ帰りましてそれを痛感し、カナダの友人を交えて「中国人とロシア人とアメリカ人とつき合う法」を書いたのです。つき合う法といっても別にハウツーものではなくて、要するに中国人、ロシア人、アメリカ人を見ることによって日本を知れ、そういう国の人たちを鏡にして日本を見たならば、日本人はどういうふうに見えるかということを書いたのです。

 ところがこの対談に出て来る早川さんや私が、日本のジャーナリズムに対して率直な批評を書いたのが気嫌を損じたのか、どこも書評してくれるところもなくて、売れなかったわけです。

 それを書評した唯一の入が藤原弘達氏です。読売新聞"に天下大乱に処す"なんて大げさなコラムを持っていますが、その中で私たちの本をほめたとも悪口ともつかない奇妙なことを書いていました。彼は

 「日本の将来に対して若者の世代にどういうような構想を持たせようとしているのか、ということで読んだが、そういうことは書いてなかったのは残念。日本人としての限界を感じた。」

 私はそんなつもりで書いたのではないので、彼に読売新聞社気付で、

 「内の藤原さん、私は外の藤原だけれども、あなたは日本人の限界を感じたと書かれたが、このごろの編集者というのは、編集者としての見識のない人ばかりで、おそらく日本人論と感違いして、日本の限界と「人」を入れてしまったのではないか。その方がおもしろいから。そうなると、まるで私が日本人として限界があるみたいですが、じつは日本に限界があるのですよ、まあ藤原さん、国内でしっかりやってください。」

 そんなふうな手紙を書いたのでした。

 そのように、この本の中では、外から見た日本人論というように、日本を外から見たらどういうように見えるか、といろいろ書いているのです。


外交は切り札づくりから

 その本の中で、たとえば北方領土を取り戻す法、などを書いてありますが、要するに、日本で北方領土返還などと言っているが、あれは問題の建て方が違うのではないか。あんな小さい島を北方領土だ、返せと言ったところで、帰ってくるわけがないですよ。北方領土ということを主張するのだったら、まず千島列島全部、樺太、カムチャッカ半島、東シベリヤ、これら全部を取りあえず北方領土とする――日本の領土であるとかないとか関係なく――という問題を立てたらどうか。次にポーランドとかチェコスロバキヤなど、いろいろな国に日本が接近していって、日本の切り札をつくらなければならないのです。

 いま日本の政府が交渉していて足りないのは切り札である。要するに、切り札のすべてが向こう側にあるわけでしょう。サケは取らせないとか、島は返さないとか、資源は開発させないとか。交渉するとき、切り札が向こうばかりにあって、日本に一つもなかったら、これは交渉にはならないでしょう。だから切り札づくりを始めませんか、と言うのです。

 では切り札とは何かというと、いまソビエトの中にある、すなわち敵の強味を弱味に転ずるような政治的発想法に外ならないのです。つまり、そういうことからババづくりを始めましよう、というわけです。

 たとえばポーランドの例だったら、ポーランドヘ話をつけて、日産自動車かなんか半分工場を移設して、自動車をどんどん造るとか、議定書などを交換して、一九九五年までに日本人移民を五〇〇万人ポーランドが受け入れるとか、こういうことをデッチあげる。日本でも、実行する気がなくても平和条約を結んでもいいのであって、ナチスでも、ヒトラーがリッペントロップを使ってスターリンと結んだ不可侵条約なんていうのは、攻めるつもりはありながら一応結んでおいたに過ぎないものです。大体不可侵条約というのは、守るつもりはないが結んでおくというのが外交のイロハというべきものである。日本の場合、移民を送るつもりはなくとも、そういう取り決めをすれば、ソ連としては、おや日本人がポーランド国境に五〇〇万人も入って来て自動車工場をつくり始めるとなると、これは大変だと神経を高ぶらせることになる。

 ハンガリーには別のことをやり、チェコスロバキアにはまた別のことをやり、リビアのカダフィーに対しては、彼を大いにおだててしまう方法がある。カダフィーはどういう男かというと、彼がトルコで陸軍士官学校に留学したとき、彼を家族のように可愛いがったというトルコ人を知っていますが、そのトルコ人はカダフィーの性格をよく知っていて、彼を持ち上げれば喜んでしまうから、それをやらないかと教えてくれたのです。

 そのトルコ人は、自動車を八台持っていて、使っているのはベンツ一台だけ。というのはトルコは貧乏国、破産寸前の国でして、ちょうどいまの日本と同じように、石油が買えないで困っている。そこで彼らはキャデラックとかアメリカのいろいろな大型車を揃えているが、それは石油の割り当てを受けるために使っているわけで、満タンにして自分の大きな屋敷の中に停めておく。この使用人たちは、それらの車からガソリンを移し替え、彼はベンツを乗り回しているわけです。石油が逼迫しているからそういうことが行われているのであって、日本も遠からずそうなるのです。しかし石油を買い集めるため八台の自動車を持っている人など、いまのところ日本にはいないでしょうが、世界の次元ではそういうことがすでに行われているのです。これは私が目撃しているのですから、ウソではないのです。

 その人の話では、カダフィーは本当はソ連はきらいなのだそうです。しかしアメリカもきらいなので、じつは日本あたりに接近したいけれども、日本はなんだかわけのわからない空約束ばかりして、全然何もやろうともしないし、してくれそうもないので、彼はツムジを曲げているのだ。仕方がないからソ連に接近しているだけで、彼をちょっとたきつければ、きっと親日家になるはずだ。こういうような知恵をつけられていますので、この本の中でそのことを書いてあるのです。

 「カダフィーのところへ行って、彼をもち上げ、最後に、お宅はハン・アラビズムらしいが、イスラム同邦主義というのは非常によろしい。われわれ大いに賛成である。日本は経済援助、技術援助いたしましょう、というようなことをやっておいて、しかしソビエトの中の国民の三分の一ぐらいはイスラム教なのだ。だがこの人たちは日に三回の礼拝も出来ないでいる。

 そういったら、ガタフィーは例の調子で、怒り狂って、イスラム会議なんか開いて、ソビエトに最後通牒かなんかつきつけることだってやりかねない男である。」

 ということです。だから私は、そういうことやったらどうか。そういうことをやることによって、北方領土というのは、始めてわれわれが敵の中に切り札を持つことになるのである。ソビエトが、

 「そういうことはあまりやってくれるな。」

 と言って来たとき

 「では、やらない代わり、ひとつ千島はどうだ。」

 ソビエトが

 「千島は全部やるわけに行かない。」

 と言ったら、

 「千島の北半分はやるから、樺太をくれ」

 とか、あるいは

 「沿海州に日本人を五〇〇万人入植させろ。」

 とか、そういうデモができるのであって、いままでのように、北の四ツの島にねらいを定めて返せ、返せと言ったって帰ってくるわけがない。それはビジネスやっていたら当り前でしょう。

 それで、そういうことを書いているのですけれども、日本入では誰もやろうとしないし、私の本なんか誰も読んでくれない。これではどうしようもないと思うのです。

 大体、私は一番いいアイディアというのは、本の中には書かないことにしています。何故かというと、一番いいアイデイアを書くと、それを生まかじりした人間がやったら、必ず失敗するからです。というのは、いままでの歴史を見ればよくわかることです。そこで私は三番手か四番手のことを書いているのですけれども誰も使おうとしないし、折角の案が全然生きていないのです。


私の立場と日本

 私は、ある意味で世界でコンサルタントをやっていますから、世界で私の知恵を借りたいと言ってくれば、どこにでも私の判断力を売っているわけです。とくに石油ビジネスに関する判断力を売っているのですが、政治的問題に関してもお客さんの声がかかってくれば、たとえば、アメリカのドルの将来はどうなる、なんて相談を受ければ、「あれはにせ札だから金と代えてしまいなさい。」なんて正直に言うわけです。

 いまのところソビエトからは声がかかって来ていませんから、ソビエトのアドバイザーはやったことはありませんし、日本からももちろんかかって来ていませんので、日本のアドバイザーになったこともありませんが、ヨーロッパ諸国だとか、スイスの銀行とか、アラブといった国々から声がかかれば、そのままウソもいつわりもなく知意をつけることになります。

 それが日本にとって利益があるかないか、ということになりますが、それは、私が知恵をつけたことに、日本側がどう対応できるかということであって、それが出来ないのでは、どうしようもないのです。私は世界の自由人として自由自在にやっていて、それが売国行為に該当するなんて言われることがあっても、私には聞こえませんと言うより仕方がないのです。

 私が日本に帰って来て一番つまらないと思うのは、私はいつも情報を一〇〇持ってくるのだけれども、その九九・五ぐらいは持ち帰らなければならないということです。

 情報というのはベラベラ喋るものではなくて、相手が切り込んで来たときに、自分を守るために出すものでしょう。ですから私が何かやって、いまから三年前に、日本人記者クラブで、私は人工衛星の解析の専門家ですから、人工衛星を眺めていると、いまソビエトはさかんにアフガニスタンの国境へ向けて道路をつくっている。

 「この次はアフガニスタンですよ。」

 こういうことを喋っても、聞いている人たちはみな、ただボヤッと聞いているだけで、しかも「質問ありませんか」と言っても誰も質問する者がいません。ただご意見承っておきます、ということで聞いているだけです。

 そして日本に来ると、

 「藤原さん、さきに言われたこと当りましたね。」なんて言われる。当ったじゃありませんかなんて、私は占いをやっているのではありません。私は当るも八卦当らぬも八卦で言っているのではなく、私が見たままのことを言っているのですけれども、それに対する日本のリアクションは全くないのです。

 私は特別な情報は出していませんが、さきの本の中で私の指摘していること、私の考えは興味深いというので、英語訳とかロシア語訳にはなっていて、内外不出ということでタイプ印刷などになっているに違いないのです。


自衛隊スパイ問題

 近ごろ、自衛隊のスパイ問題などで日本は大さわぎしていますが、あそこでソ連に情報を流したなんて問題にしているけれども、じつは情報を与えることによって情報を得ることは、より重要だということがわかっていれば、あれはスパイなんていうものではない。

 成田空港から来る途中、友達の新聞記者に聞いたところ、八月に参議院議員選挙があるので共産党をたたき、共産党議員をみんな落としてしまおうというキャンペーンだろう、ということでした。そういうことかも知れません。あるいは自衛隊の中の温厚な人たちの首を切って、全部人間を入替えるとか、そういうことが関係しているのかも知れません。

 情報収集というのは、スパイだとか、スパイが悪者だとか、そんなことをいっていたら情報なんか集まるわけはありません。だから日本の国はおかしな国だな、と思わざるを得ないのです。

 じつは、日本という国は、ただ平穏にやってきたから生きのびることができたのであって、どこかの国を仮想敵国にしてしまうと、いろいろな問題が出てくると思います。

 私は、自分がブレジネフだったらどう考えるとか、アメリカ大統領だったら何を考えるか、そういう発想でやってみるのです。そうすると、日本なんて国は占領してみても何の意義もないことがわかるのです。一億人の人間を食わしていかなければならないわけですから、ソビエトにしてみれば、一千万トンの食糧が足りなくてアメリカから輸入しているというのに、どうして一億人の人間を食わすために日本を占領しなければならないのか。

 それから石油にしても、どこかから買って来なければ日本の工場は動かない。ある意味では、日本という国はババなのです。ババなんかつかむこと、ソビエトが考えるわけがないのじゃないでしょうか。

 北海道なんか要塞化して、大砲を向こうに向けているけれども、あれは第二次大戦におけるマジノ線と同じことをやっているのではないか。マジノ線というのは、フランスの国防大臣のマジノが、ドイツが攻めてくるというので、大砲をドイツ側に向けて据け付けたわけでしょう。しかしドイツはベルギー回廊を回って、うしろから来てしまった。そしたら大砲を反対に向けようとしても、ペトンで固めてしまってあるので間に合わなかったわけです。


対島海峡に注意せよ

 日本では、北海道よりも対島海峡の方を注意し方がよいと思います。何故かというと、日本を占領して一番喜こぶ人たちは朝鮮半島あたりにいるんじゃないかという気がするのです。私があまり挑発して、そこらでドンとやられてはいけないから、これ以上あまり喋りませんが、それにしてもいまの日本の政治を見ていると、自民党の議員の半数は、日韓枢軸だといったり、韓国から勲章もらったり、おそらくこっそりカネをいただいて、アメリカでバクロされているように、日本ではあれ以上のことが行われているに違いない。あるいはもういただかれてしまっているかもしれない。女を抱かせられたところをビデオに取られたりして、正面では派手なこと言っているけれども、内心ではびくびくしていて、みんなひもがついてしまっている、と私には思われるのです。

 日本というのは、そんなふうに、案外内部から腐敗しまっていて、どうにもならないのではないか。韓国軍というのは実戦できたえていますから、自衛隊と戦ったら、おそらく二日くらいで自衛隊を潰してしまうのではないかと思う。しかも、半島の人というのは、マキアベリがそうであったように、非常に政治的頭脳をもった優秀な人間がいるのです。そういう国だから、軍隊を送らなくても、まず代議士をいただいてしまって、さらに財界人をいただき、マスコミをいただいてしまったら、あとは簡単で、自民党総裁戦のとき、一〇〇億ぐらい用意して、息のかかった人物を首相にして、あと何人か閣僚を置いて「日韓併合します」と、昔は伊藤博文が日本の側からイニシアチブを取った日韓併合であったけれども、この次は向こうから声のかかった日韓併合なんてこと、案外起こるのではないかと予想するのです。

 これはすこし脱線がすぎたようですけれども、じつは日本のいま置かれている状況というのは、それくらい危いのだ。一つの国は、亡びるときはそのようにして亡びて行くのだということを、日本の人たちはもう少し考えてほしいと思うのです。


日本の崩壊を手を拱いて見ていなけれはならないのか

 私は日本に生まれましたが、日本の外へ出てもう二十年になります。日本の国籍を持っており、じつは神田の生まれの江戸ッ子でして、やはり国が潰れてしまっては困ると思っているわけです。そして私は、三国誌でいえば諸葛孔明の兄、諸葛理に相当すると思っているのです。呉の孫権のところへ行って、参謀をやっているわけです。だから私は日本のために、いろいろやるわけにはいかない。世界のためにビジネスをやり、世界の人たちと友好を深めているわけですから。ただ諸葛孔明が日本にいて、二手三手先を読んで手を打ってくれれば、日本は潰れない方向に多少は梶を変えることはできると思う。私もそのためのシグナルを送ることは出来るのだけれども、日本のために、日本本位にいろいろなことをやれる立場にはないのです。

 なぜかといえば私は国際人である。私のお客さん、あるいは本当に私を信頼してくれる人たちは、じつは日本の外にいるのであって、直接的にお役に立つことは出来ないのです。そこで日本の中に、もうすこしましなことをやってくれる人たちが何人かいてくれるなら、知恵を出すことはできるし、アドバイスもできますが、私の言うところがわかってもらえないのでは、潰れるより仕方がないのかなと、じつは悟りみたいなものを持ってしまっているわけです。

 だが、同じつぶれるのだったら、何とかソフトに潰れてほしい。そういうわけで、"アメリカが日本を手離す"といったことを書いたり、ソフトに潰れるにはどうすればいいかなどということを書いたりするわけです。もしソフトに潰れなかったら、一億人の五割か六割が餓死するのです。

 こういっても、日本はいま米が余っているなどという人がいるかもしれませんが、それはアメリカから小麦を買ったり大豆を買ったりしているからであって、アメリカからそれらのものが入らなくなったら、米だって足りなくなります。そこで私の母親に

 「だからお母さん、タンスの中に米を買って入れておきなさい。それで何事もなければ結構だけれども、何かあったときに、何の準備もできていない人から先に餓死するのだから。せいぜい生きのびてください。にといったら、

 「わたしゃ六十八。ほとんど寿命が終ったようなものだからいいですよ。」

 と言われたので、仕方がありませんが、それくらい日本の置かれている状況というのは危いということです。これを機会に、日本の人たちが真剣に考えてくださることを願う次第です。


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