『タケヤマレポート』1995.02.20



サイエンス軽視と阪神大震災

―自然の生理を無視した利権政治のツケ


藤原肇  




阪神大震災と構造地質学の結びつき

 七十年余り前の関東大震災に次ぐ被害を生み、五千人を上回る死者を出した阪神大震災は、救援活動における不手際の数かずを目撃させ、政治当局の稚拙な危機管理能力に対して、厳しい批判と非難の声が高まっている。政府の防災システムがなっていない点を始め、自衛隊の救援活動の遅滞が目立ったことなどは、既に日本国内で多くの指摘が行われているので、その議論は経験豊かな識者たちにお任せしたい。
 現時点において私が本稿をまとめた理由は、地震など地殻変動に結びつく構造地質学的視点のインプットが、将来に向けての建設的な批判になると思うからである。 先ず、構造地質学という耳慣れない言葉を聞いて、何のことか分からない人のために概略を説明してみよう。
 これは地殻を構成する岩石や地層の状態を調べ、物理的性質やストレスによる地殻運動を研究し、マクロの造山運動からミクロの地震や火山活動など、地球の生理活動や発展史に関わる学問である。これだけでは十分に納得できない人のために、構造地質学を学びに30年前にフランスヘ留学した動機を、今では絶版の『日本脱藩のすすめ』(東京新聞出版局刊)から引用してみる。
 [……僕が卒論をやった場所は長野県と群馬県の境界の十石峠の信州側で、長野県南佐久郡大日向村という所です。(中略)大体、長野県は東京の裏庭でして、地図で見ると埼玉県を挟んですぐの隣です。ところが、東京から長野に行くには碓氷峠か甲府経由しか道がありません。そこでひとつ秩父山脈を標高1300mくらいの所でちょん切って台地にしたら、長野と東京はひと続きになると思いました。日本で発生しているあらゆる問題は土地の不足に由来していて、国土の83%が耕作不能で工場も作れない山岳地帯だからです。
 1990年代の日本の国家計画の主題のひとつに、国土改造が登場するに違いないけれど、土建屋に山を切らせる仕事をやらせたら、日本列島は日茶苦茶になってしまう。だから、誰かがその学問的な裏づけになるような仕事をしておく必要がある以上、将来はそちらへ進もうと考えました。
 なにしろ、日本は地質学的に非常に不安定なところで、アイソスタシーといった地殻が隆起したり、地震が起きやすいので、やたらと山を切り取るわけにはいかず、構造地質学的なアプローチが必要だけど、日本にはその専門家が一人もいないのです] これで構造地質学という学問の輪郭が理解でき、山や丘を切ったり埋め立てをすることで、地殻変動による地震や地盤沈下が起きたり、その力学的なメカニズムを研究する自然観察が、この専門分野の仕事だと納得されたことだろう。
 こんな意図でフランスのグルノーブル大学に留学し、五年間の修業で学位を得た私が仕事をするには、日本は余りにも異常に支配された国であり、科学が技術主義に踏みにじられた状態にあった。しかも、アカデミアにおける地質学の領域は、閉鎖的な学閥の橿格に支配されているだけではなく、明治以来の舶来思想と翻訳のために、システムとしては世界の第一線から立ち遅れていた。
 個人的には優れた人材も結構いるし、困難な条件の中で達成された研究成果もあるが、 日本の産業界の体質は自然科学の評価が低く、構造地質学を活用することはとても期待し得ない。なにしろ、独創的な考え方を評価する土壌がなく、基礎科学に対しての全般的な軽視がある上に、応用を重視して技術主義が支配する日本では、構造地質学はおろか地質学でも日当たりは悪い。
 日本列島は地球上で地殻変動が最も激しい場所で、生活にとって脅威になる現象が色いろと存在する。地震、火山、地崩れなど地質絡みの天災に加え、台風や冷害を始め気象にまつわる自然災害や、地盤沈下や公害などの人災まで目白押しだ。
 だから、これらの災害をもたらす自然現象の本質を知り、被害を防いで犠牲を最小にするために、 自然を観察して地殻の異常を診断する。そして、社会の安全を保障する国策の基本として、長期的な国造りのビジョンの確立が不可欠だが、残念ながらそれが国政に反映していない。
 人材を育てて資金と時間を費やすよりも、技術導入と設備投資を組合せることで、手っ取り早く利益を生むという短絡発想に支配され、ソフトな基盤造りを忘れ経済大国を目指していたのが日本の姿であった。
 日本の大学を卒業して海外留学をした頃の私は、引用の通り山を削る時のアイソスタシー(地殻均衡補正運動)の学問的な裏づけもなしに、土建屋が山を削ったり埋め立てをすれば、地震や地崩れなどの災害を誘発すると危惧していた。だが、この日本流の弊害は、その後の二十年を通じて、改められるどころか逆に加速度がつき、丘陵が削られ川の氾濫源や海岸が埋め立てられ、開発と称した凄まじい土地の造成が行われた。その結果の一つが神戸を中心にした阪神大震災の被害であり、これは戦後の半世紀も続いた[富国強工]政策が招いた、人災の要素が濃厚な悲惨なツケに他ならなかった。


地震を起こした断層構造の性格

 地震が起きた直後にあった気象庁の発表では、[地震は淡路島北部の深さ20キロで、北東から南西方向の断層が横ずれして起きた。余震の震源域は淡路島北部から神戸市の直下まで達しており、破壊が神戸の直下まで進んだ内陸の直下型地震と分かった]そうで、震源が非常に浅かったために拡散せず、放出エネルギーは非常に大きかった。しかし、これは地震計によるデータ分析の数字であり、現地調査をした広島大学の中田助教授の調査隊は、長さ9キロに及ぶlm半の断層ずれを発見している。
 この断層は野島断層として知られており、淡路島の海岸線と平行して北北東の走向を持つが、世界中で各種の断層を観察して来た私の目には、これは捩れ(ウレンチ)断層に属すタイプの性格を示す、活断層であることは疑いの余地がない。また、現在の段階で手に入る情報をもとに予想すると、深さ10キロ以内の超浅発性地震の可能性が濃厚である。
 そうなるとこの地震は人災の要素が強まり、30年昔に私が危惧した無茶な土地開発のために、浅いレベルでの地殻均衡補正運動(アイソスタシー)が起き、災害を必要以上に大きくしたとも考えられる。そして、科学に対してもっと真剣な配慮をしていたら、地震の被害はより小さかっただろうと思うのである。
 メディアに登場している地震についての議論は、プレートテクトニックス理論が脚光を浴びて引用され、ユーラシア・プレートとフィリッピン海プレートが衡突して、大地震を発生するという話で賑わっている。震度8を越えるような大地震なら当然だろうし、巨視的に見ればその相関も無視できないが、今回の地震のように非常に浅い性格を持ち、震度が中程度のものについての説明として、プレート理論の適用は飛躍し過ぎている。現に震度7・2という中央気象台の公式発表は、その後の議論では国際基準ではマグニチュード6・9になり、ちょうど一年前にロスの町の北部で起きた、ノースリッジ地震に比較されているのである。
 プレート理論の無原則な適用がなぜ問題かと言えば、今度の地震はユーラシア・プレートの内部で起こり、しかも、捩れ断層の運動による超浅発性だからである。地震という自然現象の枠組みは確かに共通だから、一見すると科学的な議論の印象を与えるが、局所的で直下型の性質の浅発性地震は海溝型で深発性の巨大地震とは性格が違う。そして、阪神大震災が大きな損害を招いたとはいえ、ストレス蓄積の原因や均衡調整のメカニズムの点で、これをプレート理論で説明するのは無理であり、地震の形態や次元が余りにも違っている。
 ちょうど、眼球の水晶体破損と糖尿病では同じ失明でも、メカニズムと原因が異なっているし、水晶体なら眼科に行って治療をする必要があり、糖尿病は内科的な措置が不可欠なのと同じである。
 大構造の関係を大平洋を挟む日米で比較すれば、大構造線であるサン・アンドレス断層は南海トラフに相当し、それに沿う大断層帯がサンガブリエル断層群や中央構造線だ。ところが、今回の地震はそれらの大断層帯に直接関係がなく、それに斜交して発達する派生的な断層の中で、支線に相当する活断層群が捩れ運動を演じ、ロス北部を襲ったノースリッジ地震と同じメカニズムで、神戸を襲った地震を発生させている。しかも、淡路島の北端から神戸に抜ける六甲系断層群が、野島断層と諏訪山断層を結んで捩れ運動をし、軟弱地盤が阪神大震災の被害を大きくしたのである。
 被害が大きかったのは人口が緻密な臨海都市が、直下型の地震に見舞われたことに加えて、阪神地方の地盤が地質学的に軟弱であり、地震の揺れの増幅に抵抗力が弱かった。しかも、山を削り砂利を埋めた無理な土地造成が、自然の均衡を崩してストレスを高め、被害を大きくした点を見落としてはならない。


技術至上主義で邁進して来た日本経済

 地震や地滑りなどの地質学的な自然現象は、現地調査(フィールド・ワーク)が何よりも決め手であり、震源地を中心にした級密な調査が欠かせない。自然現象を理解する基本は観察力の訓練にあり、丹念に観察することで見抜く力がつくし、自然が語りかけているものを受け止めて、何が問題の本質かを読み取る眼力がつく。
 地質現象の観察は地球が患者だと考えれば、人間が患者である医学と立場は同じである。地質学者は患者に接して診断する内科医に相当し、地球物理学を扱う地震学者は計機類を駆使して、物理療法やX線解析を行う医師の役割を演じ、間接的なデータ解析で診断を担当しているが、両者の組合せと作業協力が必要である。
 それに加えて、技術指向の強い土木建築の分野があって、これが具体的な工事の施工を担当しており、病院でいえば外科に相当する仕事をすることになる。
 一般に病院は内科、外科、臨床検査などを軸にして、各種の医師、看護婦、医療技師などが協力し合い、総合的な医療業務を行う施設であるが、その中心は診断を行う内科にある。だから、システムとしての医療制度の中核が内科で、診断というソフトの比重が大きくなるが、よリワザやハードウエアの度合が強くなるに従い、外科や物療諸科のような特殊化をたどり、局所治療や対症療法の性格が強くなる。
 国を挙げてハード指向に邁進して来た日本は、病院の例だと最新鋭の医療機械や設備を誇り、先端を行く外科手術や物理療法を得意にするが、診断をする内科医の陣容の面で手薄な、特殊な大病院に似た存在になっている。
 その結果、時代の脚光を浴びる臓器移植や整形外科では名を上げ、金回りのいい立派な病院を構えているが、住民と密着した医療行為に余り興味を示さない点で、弱者への気配りに欠けた豪華大病院に似ている。また、社会が特殊な部門に偏向して発達することで、全体のバンスよりも特化への指向が強まるが、この趨勢を邁進した日本は技術集約に偏重し、上述の大病院と 似た特化のパターンが、産業社会の体質になっているのである。
 『日本が本当に危ない』(エール出版刊)で論じたように、戦後の日本は技術集約型の産業社会の建設に熱中し、技術偏重の袋小路に頭を突っ込んで呻吟している。
 これはドラッカー教授が「日本は高度製造技術(ハイエンジニアリング)の段階で、ハイテク段階には至っていない」と喝破したように、基礎技術さえものにし切ってはいない事実を示す。また、肥大化して大量に資源を消費するだけでなく、新しい立地を求めて自然を乱開発して、中生代末の恐竜のように身動きできない状態に陥っているのが、経済大国を誇る日本の姿に他ならない。


 利権政治に毒された日本の政治

 歴史を概観すると古代人は本能的に高台を好み、ローマ時代の村落は丘の上に散在するし、日本でも縄文人は丘陵地帯に住居を作り、低地に下りたのは農耕文化の弥生時代からである
 こうして、住むのは山の手の高台で、仕事は低地という選択は、つい最近まで日本人の生活の知恵になっていて、明治の終わり頃まではそれが人生に反映していた。
 だが、戦後長らく続いた技術信奉の工業化路線が、日本全体を産業至上主義に塗り込めてしまい、丘を削り川の氾濫原や海岸を埋め立て、土地造成が開発の美名の下に推進された。
 その極め付きが『日本列島改造』であり、土建屋上がりの政治家である田中角栄は、都『市政策大綱』という通産官僚の作文を横取りして、都市開発を政治キャンペーンに使いまくったが、それが土地投機と結ぶ利権政治の幕開けになった。
 田中金脈の象徴として名高い信濃川の河川敷は、日中ファミリーの室町産業の疑獄として知られるが、これは水資源開発特別委員長、通産相などの職務を通じて知った、内部情報と蔵相の地位を使った買い占めである。また、余リマスコミに登場しない別の田中金脈に、関西国際空港の建設にまつわる利権があり、ダミーを使った土地投機が密かに利用され、和泉丘陵や淡路島の砂利の買収が進み、丘が削り取られて空港埋め立てに使われた。
 関西新空港の候補地として泉南沖、神戸(ポートアイランド)沖、淡路島、明石沖などがあったが、田中幹事長は埋め立てによる海上説を唱え、最初は埋め立て実績のある神戸案が優勢に見えた。だが、六甲山を切り崩して沖合いを大規模に埋め立て、土地造成をする神戸市の事業は歴史が古く、トンネルを使った砂利運搬システムを使い、大量の土砂で沖合いを埋め立てていた。だから、田中流の土地投機の食い込む余地がなく、砂利利権の面で田中にはうま味が少なかったので、首相になった田中は泉州沖を積極的に推進した。
 新空港は二兆円から関連含みで十兆円に及ぶ、巨大な投資規模をもつ開発プロジェクトであり、大阪商工会議所を中心にした財界のイニシアティブで、関西の復権を目ざして推進された。水深20mの海を埋めて1100haの土地を造成し、完成には4億立方m以上の砂利の需要があり、砂利は幾らでも必要だということで、大阪湾周辺の土地は投機的な土地買い占めが進んだ。 しかも、滑走路一本の第一期工事の砂利だけでも、2億立方mを必要とするという数字に基づき、風化の進んだ花商岩砂(真砂)と山砂利に恵まれた、淡路島北部は札束攻勢で土地買収が浸透した。殊に津名丘陵に殺到した砂利採取業者たちは、数十mの規模で大規模に丘を削り取り、泉州沖に運んで埋め立て砂利を用立てた。
 淡路島北部は地質学的にも非常に不安定な場所で、野島断層と六甲断層群が北東に走り、それが六甲山の東面の崖を作っている。そんな場所を手荒なぺ―スで削り取り、土建屋の発想に基づいて岩石を破砕して、大量の砂利を運び去ったのだから、断層地帯の地殻は局部的に安定を喪失した。しかも、神戸沖では大規模な埋め立てが続いて、六甲アイランドやポートアイランドが次々と生まれ、均衡異常が起きても不思議ではなかった。
 新空港予定地の泉州沖5キロは水深20m前後で、海底の表面には二万年前から現在までの間に沈積した、沖積層と呼ばれる泥が20mも覆っており、その下には400m近い粘土層と薄い砂礫層の互層が発達するが、これは過去百万年に堆積した半凝間の洪積層である。この砂と粘土は水を含むと豆腐に似た性質になり、共に基盤としては非常に脆弱な地層であるが、最初の固い岩盤である第二紀層はその下にあった。
 こんな場所を短期間に大量の土砂で埋め立てれば、猛烈な地盤沈下を生むのは当然であるが、そうした研究は不十分な形でしか行われず、強引に空港建設を決めて見切り発車した。ここにも技術過信の弊害が現れており、科学を軽視して技術力で既成事実を作る、戦後の日本を支配した猪突猛進主義が横行して、国策への懐疑や批判を政治力で圧殺した。
 その結果は悲惨であり、年間50cm近くのペースで沈む空港を支えて、構造物の歪みを補正しなければならなくなり、空港ビルの地下には千本近いジャッキを据えつけた。これは小刻みに毎日連続する災害であり、埋め立て地の安定には数百年が必要だが、自然が数万年かけて行うプロセスを、僅か数年でやった無謀さの報いでもあった。
 しかし、それ以上の致命的な過ちを犯していたのは、この地域が地質学的に非常に不安定であり、長期的には最悪の選択をしていた点である。


自然の生理を無視する人間の艦慢さ

 日本列島を東西に横断する巨大な構造に中央構造線があり、既に述べたように断層帯として多くの大断層を含み、地質現象では超一級不安定地帯を構成するが、関西国際空港はその直ぐそばに位置している。 この構造線は大阪府と和歌山県の境界を紀の川沿いに、四国の吉野川に抜けて九州まで続い ており、自亜紀の和泉砂岩がこれに沿って発達しているが、地層の厚さは何と一万メートルを越している。
 一般には、砂や泥が堆積した重さのために海底が沈み、更にそこに土砂が積もると考えられているが、和泉砂岩は構造地質学的にその逆なのである。地殻が沈下するために海底に凹みが出来、その空間を埋めるために周辺の山が隆起して、激しい浸食作用で削られて運ばれた砂が、窪みを埋めるというプロセスになっている。どんどん沈むのが和泉地向斜の生理であり、その結果が一万mの砂岩の堆積になったが、こんな過去を持つ基盤の上に関西空港は建設されたのである。
 沈降と隆起の相剋は地質構造を決定づけるが、局地的なアイソスタシー(地殻均衡補正運動)の脈動は地球の生理であり、地震は急激な痙攣現象の一つに過ぎない。この地殻のリズムを反映した自然の営みとして、大阪湾は沈み続けて窪地を維持するし、周辺の丘陵や山塊は年間数ミリほど隆起するので、バランスを埋めるために浸食作用が継続した。
 過去百万年の関西地方の歴史を振り返ると、こんな地質学上のフレームワークのせいで、琵琶湖から淡路島にかけての低地には、洪積層の礫岩、砂岩、泥岩が厚く堆積した。また、氷河期が終わった二万年くらい前からは、両側の山地の隆起と浸食作用が続き、琵琶湖と大阪を結ぶ地溝状低地の中心地を流れる淀川流域では、周辺の山地から削られた砂や泥が厚く積もった。中でも木津川は天丼川として有名であり、川底の方が提防の外の氾濫原より高く、道路や鉄道が川底の下を通る現象であるが、これは厚い砂の堆積のせいである。
 大阪平野は厚い堆積物で覆われた三角州であり、大阪湾の中と東大阪市に地盤沈下の二つの中心があるが、洪水のたびに土砂が運ばれてそこを埋めるので、水の都として運河が必要になったために、大阪は日本のベニスとして美しい景観を誇っている。
 このような関西地方の構造地質学的な条件と、関西新空港の抱える問題点を指摘する目的で、 私は[地球発想のアプローチ]の副題を持つ脱『藩型ニッポン人の時代』(TBSブリタニカ刊)の中に、次のような地質学的な見解を書いたことがある。
 [……構造地質学のプロとして世界各地で仕事をし、サウジアラビアの国土改造計画に参加した立場で言えば、泉州沖に作っている関西新空港の埋立地の地盤沈下を危惧しています。 それはあそこが和泉砂岩の堆積地帯であり、今から五千万年ほど前の堆積盆地のせいです。 砂が堆積するから地盤が沈下するのではなく、逆に、地盤が沈降するから窪地に砂が溜り、和泉砂岩は一万メートル以上の厚さになりました。だから、砂利で埋め立てをすればするほど沈み、 万が一に大きな地震でもあれば大変で、砂利の間隙の地下水が吹き上げ現象を起こして、大量の砂利と共に水没する危険があることを、専門家として警告しておきたいですね……]
 国策事業を批判して致命的な欠陥を指摘したためか、この本は間もなく絶版になっただけでなく、 編集を担当した部長はヒラに降格になり、[藤原は編集者殺しだ]という風間が立った。この出版社がサントリーの子会社であり、親会社の会長が大阪商工会議所の会頭として、拙著の指摘をどれほど目障りに感じたかや、臭いものに蓋の発想があったかは知らない。
 しかし、奇妙な因縁でこの出版社から本を出した契機は、1978年に関西経済同友会に招かれて講演し、人工衛星写真で構造解析すると活断層が幾らでも見え、このノウハウを戦略的に活用することが、日本の未来を決定つけると強調したお陰だった。
 それから17年の歳月が経過した現在に至って、乱開発と大規模埋め立て事業が進行し、活断層を刺激して阪神大震災を招いたのなら、犠牲者に対して慰霊に捧げる言葉としては、[同じ過ちをくり返さない]という常套句しか思い当たらないのである。


粘土は生きコンクリートにも生涯がある

 技術革新の成果が経済大国にしたという神話は、日本人に技術への過信をもたらせており、それが経済主義で動く開発熱に浮かされて、阪神大震災を大きな災害にしてしまった。
 安全基準を越えるはずのビルや高速道路が崩壌し、大丈夫なはずのポートアイランドの埋立地が、液状化によって最大3mほども沈んでいるが、安全基準が学問的な一晏づけに基づかずに、法規定に過ぎないことが馬脚を露わしている。
 鉄筋コンクリートの例で安全な基準を検討すると、構造物の大さが高さと鉄筋の関係が主で、張力や重力歪みを中心に定量的に考えられ、セメントの物性についての科学的な評価は、既存の資材としてほとんど考慮されていない。補足的な説明をすると、セメントは粘土と砂の組合せによる一種の結晶で、それに砂利礫を混ぜたものがコンクリートである。
 セメントは組成として一応のポジションを構成するが、次々と結晶型が順番に変わり続ける性格を持ち、その生涯サイクルは60年だと言われている。水で練った最初の一ヵ月日は幼年期に相当し、この間に40回も結晶は形態を変えるし、最初の一年目の少年期に更に幾度か形態を変え、次に移行する青年期は最も頑強な時代である。
 最初のクラックは幼年期に出来る超微視的なもので、これは結晶化の時の縮みで出来る生理的なものだが、少年期から発達する微視的なクラックや、青年期以降のひび割れの原因はストレスであり、外からの圧力や応力に由来して亀裂になる。
 20年目を過ぎて壮年期に入る時期には、空気中の炭酸ガスを固定して炭酸化が進み、その過程で結晶構造が異なる形態になり、次第にボロボロになったり剥離現象が目立ち、ほぼ60年でコンクリートの寿命が尽きるが、まるで人生のリズムにそっくりではないか。
 鉄筋コンクリートの建造物の寿命が60年とされ、現に米国では古いビルや橋梁の取壊しが進むが、これは幼年期には健康体だった珪酸カルシウムが、時間の経過で珪酸とカルシウムに分かれて遊離し、最後には人間の骨に似てボロボロになってしまう。
 こういったセメントの生理については、建築家や土木関係者はほとんど考慮しないし、同じセメントでもカルシウムとドロマイトの比率やシリカ糊の混入が、老化防止の秘薬だと知る者は絶無に近い。そして、セメントは構造物に使う資材に過ぎないから、日方で買うものだと思い込んでしまい、安全基準も炭酸カルシウムの生理を軽視して、動態変化に疎い静態基準に過ぎないのである。
 似たように無視されているサイエンスで言えば、埋め立て工事における地盤と砂利の関係でも、一種の水ガラスの実験工場だという発想がなく、誰もシリカと水の縮合関係を想像しようとしない。だが、海底を20mの厚さで覆う軟弱な沖積土は、砂利として埋め立てに使う土砂と同じで、その下に堆積する400m近い半凝固の洪積層と共に、珪酸塩と呼ばれる粘土鉱物が主体であり、マクロでは流体だから地震による液状化に無力である。
 既に論じた通り地質学的に基盤が軟弱な場所に、酸やアルカリで簡単にグル化する珪酸塩を埋め立て、防水と称して周辺をセメントで固めれば、流動性の水は逃げ場を失って一時的に豆腐状になる。そして、地震を機会に流れて液状化を呈するのだが、この基本原理を無視して巨大な何かを企てることを、昔の人は[砂上の楼閣]と言わなかっただろうか。


再認識したいサイエンスの重要性

 科学は自然や社会の生理現象について観測し、全体を支配している基本法則を取り出して、その相関についての知識を求める営みであり、それを湯川秀樹博士は[現実の背後に横たわる広大な真実の発見]と表現した。だが、経済優先で全てが動いて来た日本では、科学は科学技術として一括されてしまい、行政主導の国策推進に邪魔だと軽視され、実際的には技術の中に吸収された状況にある。
 科学技術振興や科学技術庁などの例に見る通り、本来は一緒になり得ない科学と技術を接合したものが、まるで進歩を保証する上での万能薬のように、至るところに我が物顔で登場している。
 世界でこんな言葉が通用するのは日本だけだが、これは御用テクノロジーの押しつけを偽装するために、科学という言葉がダシに使われているのであり、誠実な科学者は恥ずかしい思いに耐えている。
  日本には技術はあってもサイエンスがないと主張し、「マネはサイエンスではない。よくてせいぜいテクノロジーである」と喝破した糸川英夫博士は、「われわれが今しなければならない挑戦は、経済的な水準をこれ以上に上げることではなく、基礎科学の分野で世界にどう貢献できるかだ」と言い切っている。しかも、技術妄信の現状を批判して書いた『日本が危ない』(講談社刊)では、あんなものをサイエンスと考えるのは思い上がりだと決めつけて、筑波科学博は名称に『サイエンス(科学)という言葉を使いながら、そこでやっていることは、完全な技術(テクノロジー)の分野なのである。だから、筑波工業技術博覧会とすべきだった」と苦言を呈している。
 日本が得意にする技術を公平な目で評価すれば、採算効率の面での卓越性が主体になっていて、特殊な条件の中の品質管理の分野に限られ、真のゆとりに基づく高品質には由来していない。それは高いシェアーと大きな売上げを目指し、大量生産と大量販売を技術で追求しているからであり、これまた資源大国アメリカの模倣ではないか。
 中には独自な路線を守る企業も日本にあり、明治時代に政府の仕事を入札で落としたが、暖簾と経営理念を傷つけた体験を味わったので、[質より量の人札工事は厳禁]の家訓があるという話を、竹中工務店の前の当主から聞いたことがある。
 だが、バブル経済はこのような誠実な理念を粉砕し、日本人を財テクで塗り込めて功利主義の権化にしたが、金儲けのテクノロジーが財テクの正体であり、それを支えたのが安易な技術妄信だった。
 技術でさえ外国の物真似と改良が基本だから、科学になったら翻訳と焼き直しがほとんどであり、多くの分野で世界の第一線に立ち遅れているのが、残念ながら模倣日本の現状である。しかも、奇形児に似た科学技術という日本流の呪文が、政治的なキャッチフレーズとして乱用され、全くお座なりな形で使われて来た事実は、歴代の科学技術庁長官の顔ぶれを見れば、技術はおろか科学に無縁なことからも歴然とする。
 その極め付きが村山内閣の愚劣な人選であり、経歴からして技術や科学に全く無縁な田中真紀子が、素養も見識もないまま長官に任命されている。
 村山内閣が発足した時にコメントを求められ、シカゴの邦字新聞『ミッド・アメリカ・ガイド』に、[戦略発想の脱落した新内閣の実態]と題して記事を書き、主要閣僚の顔ぶれについて講評したことがある。他の閣僚の問題点についてもコメントしたし、日本国内のジャーナリズムが大局的な視野に欠け、批判の論陣を張らないのが情けなかったが、その最後の部分を引用して結語に代えたい。
 [……笑止千万で涙がでるのは科学技術庁の長官であり、親父の田中角栄が作った越山会の地盤を相続した、二世議員の円中真紀子がお祝儀で就任したが、学術会議のメンバーや大学になぜ人材を求めなかったのか。あるいは、民間の研究所の上級管理職から人材を選べば、日本が直面する問題点の解決に肉薄できるのに、科学や技術がこんな形で素人にいじり回されれば、 日本の未来は支離滅裂にならざるを得ない。
 なぜこんな結論を出すかと言えば、現在の日本が経済大国と言われながらも行き詰まり、袋小路に頭を突っ込んでいる原因がここにあって、サイエンスの軽視が桂枯になっているからだ。
 過度の技術偏重による大量生産設備の過剰と、低迷して貧困に陥った科学力の肉離れに対して、糸川英夫博士は『日本には科学はなく、技術だけがある』と警告を発しているが、それを教訓にして間題の本質を抽出した私は、拙著で[日本が本当に危ない]状態にあることを実証した。 そして、知識集約型の産業社会に脱皮することこそ、21世紀を目指して日本が進む道だと論じたが、それが知的所有権やインテリジェンスの問題と絡んで、日本の死命を制すことになるからだ。
 この意味で、日白御殿の女主人が科学技術庁の長官であることは、週刊誌レベルで話題を集めるトピックスにはなっても、歪んだ日本の運命を修正する力になるとは信じられず、チャンスが茶番劇になったことが惜しまれる]



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