『財界 にっぽん』 2002.01月号



世界から見た「同時多発テロ事件」と日本

──日本は米国のプロパガンダに振り回されるな──

藤原肇 国際コメンテーター




 九月一一日にアメリカ中枢部を狙った同時多発テロ事件が起き、一〇月からアメリカ軍を中心にしたアフガニスタン攻撃が続いている。それに伴い、日本ではテロ対策特別法が作られ、自衛隊がアフガン攻撃の後方支援に出動している。カリフォルニア州に住む訪日中の国際コメンテーターの藤原肇氏に、歴史を紐解きながら、同時多発テロ事件と日本の対応などについて、縦横無尽に語ってもらった。


世界から今回の同時多発テロは“真珠湾” とは違う

 九月一一日の朝、ニューヨークのワールドトレードセンターと、ワシントンのペンタゴンがテロの標的となり、大惨事となった。私はその日、カリフォルニア州パームスプリングスの自宅で早起きをして、シカゴのコモ先物商品の相場がどう動いているかと、午前六時前にインターネットに接続したところ、最初の画面で、WTCピルが火事だと知らされた。どんな状態かとテレビをつけると、まだ二機目が突っ込む前で、飛行機が激突して南タワーが燃えているのだと言う。とんでもない事故が起きたものだと思って画面を見ていると、二機目が北タワーに激突して爆発した。
 そのとき思ったのだが、一機目が激突するシーンが、なぜあのように縞麗に撮れたのだろう。観光客がビデオで撮ったのとは、明らかに違う鮮明な映像であり、どうなっているのだろうと違和感を覚えた。
 私がテレビをつけたのはカリフォルニア時間の午前六時で、ニューヨーク時間では午前九時だから、おそらく午後一〇時前のニュースで知ったなら、東京の人の方が私より早く事件の映像を見ていたと思う。
 情報革命の本質はサテライトによって、世界が時間的にも空間的にも一体化することだが、今回の事件はカリフォルニアの住人より、日本人の方が早く事件を知った点で、情報化時代を象徴していた。
 ただ、情報革命によって世界が一体化するというのは、インフォメーションのレベルであり、インテリジェンスという意味でレベルの高い情報は、必ずしも一体化しない。インテリジェンスは非常に高度な分析と総合と評価が必要だが、日本の情報はそのレベルに達していない。
 同時多発テロが起きた直後のアメリカでは、「これはパールハーバーだ」という反応が強かった。しかし、パールハーバーへの攻撃は、真珠湾にいた軍艦を主体にしたものであり、日本側のミスで奇襲の形になったが、国と国との戦争という関係で起きた戦闘行為だ。
 しかも、戦史を詳細に検証してみると、パールハーバー爆撃の二時間近く前に、アメリカは日本海軍の潜水艦を撃沈している。つまり、真珠湾攻撃の前に、アメリカは日本に対して敵対行動をとっていた。さらに、アメリカの右翼が五〇年も昔から言っていることだが、ルーズベルトは真珠湾攻撃を事前に知っていた、という謀略史観も根強く存在している。
 問題はアメリカのマスコミが今回のテロを「パールハーバーだ」と言ったことに対して、日本政府が遺憾の意を全く表さなかったことだ。
 今回のテロは、本質的に真珠湾攻撃とは違う。ワールドトレードセンターに対するテロにより、約五〇〇〇人の民間人犠牲者が出たが、これは真珠湾というよりむしろヒロシマ・ナガサキに相当する。そういう意見が日本側から公式に出てしかるべきだった。
 たしかに日本側のミスで最後通牒を渡すのが遅れ、真珠湾攻撃が奇襲という形になったのは、外務省の大失態だが、アメリカ国内で今回のテロがパールハーバーにたとえられたことに対して、日本政府は「同盟国として心外だ」と言うべきだった。
 日本側からの抗議はなかったが、事件から数日経つと、アメリカ国内で、「今回のテロとパールハーバーを同一視するのはおかしい」という意見が出始め、マスコミも自重するようになった。


「これは戦争だ」は間違った解釈だ

 同時多発テロが起きた当時、ブッシュはフロリダの小学校にいたが、その後しばらく行方をくらました。それに対してアメリカのジャーナリズムは、「大統領はどこを逃げ回っていたのか」と、厳しく追及した。
 ブッシュはエア・フォースーにいただろうが、おそらく、どうしていいのかわからない、という状況だったようだ。それに対してアメリカのジャーナリズムは厳しく批判した。それがジャーナリズムの正しい姿であり、ただニュースを流すだけの日本のマスコミは、真のジャーナリズムとは言えない。
 テロの翌日、ブッシュは演説の中で、「アクツ・オブ・ウオー(Acts of War)」という言葉を使った。この演説原稿はスピーチライターが書いたものだが、四年ほど前にトム・クランシーが書いた『アクト・オブ・ウォー』という小説から取った言葉だ。この小説の内容からすると、そのタイトルは「不法戦闘行為」とでも訳すべきであり、ブッシユの言葉も「戦闘行為」という意味合いで使われたと解釈すべきだ。
 ところが、日本では「これは戦争だ」という形でとらえられており、書店へ行くと、『文藝春秋』が出した「これは戦争だ…日米総力特集」という別冊が並んでいるが、これはブッシュの演説の文脈を間違ってとらえている。
 日本では意味論を考えないから、常に同じような過ちを繰り返す。以前、「日米構造協議」という言葉がマスコミを賑わせたことがある。構造協議は英語で「ストラテジック・インピーディメント・イニシアチブ(SII)」と言い、その意味は「戦略的に障害を取り除くためにイニシアチブを発動する」ということだ。
 アメリカの場合、「イニシアチブ」とは「第一オーダーの戦略次元での対外政策」を意味し、アメリカは日本と協議するつもりでSIIを発動したわけではない。しかし、日本側は「日米構造協議」というインチキ極まりない役人言葉でごまかし、新聞もテレビも雑誌も単行本も、横並びでその言葉を使用した。
 アメリカはSIIの前に対ソ戦略として、「ストラテジック・ディフェンス・イニシアチブ(SDI)」を発動している。これは「スター・ウォー」を想定して、レーガンが発動したもので、日本語では「戦略防衛構想」と訳された。ソ連はこのSDIに対応しようとして、経済的に行き詰まり、結局、ソ連は潰れてしまった。その意味では、SDIは戦略的に大成功した。
 SIIも同じ意味合いを持っており、アメリカは日本経済を攻略するためにSIIを発動したのだ。そして、日本は一〇年間にわたって合計四百数十兆円を内需拡大に使うことを約束させられた。それが過去一〇年間に日本経済を狂わせ、平成不況から脱出できない最大の原因であることを、誰も指摘しない。ソ連がSDIのワナにはまって崩壊したのと同じように、日本経済もアメリカのイニシアチブのワナにはまったのだということを、日本人は理解しなければならない。


米国のアフガン攻撃は帝国主義の延長

 私は二十数年前に『虚妄からの脱出』(東明社)という本を書いたが、その中に「クラウゼウィッツと経済戦争」という章を設けた。クラウゼウィッツはプロシアの戦略思想家だが、彼は「戦争は他の手段による政治の継続である」と言っている。ナポレオン戦争を分析し、戦争の本質を扶り出したわけだが、彼の『戦争論』はその後、戦争に関する大聖典として、読み継がれてきた。
 たしかに、クラウゼウィッツの『戦争論』はヨーロッパにおいては大聖典だが、アジアには中国に昔から孫子の兵法や太公望の軍略書など、戦争に関する名著があり、私が政治レベルで最高の戦略家だと思うのは老子である。要するに、東洋は戦略思想において欧米にはるかに卓越しているのである。
 それはともかく、この二〇〇年の世界の歴史は、欧米列強の帝国主義の歴史であり、現在のアメリカのアフガニスタンに対する攻撃も、帝国主義の延長線上にある。
 クラウゼウィッツを最も評価したのは誰かと言えば、実はエンゲルスであり、彼はクラウゼウィッツを徹底的に研究して、『遊撃戦論』を書いている。
 そのエンゲルスを徹底的に研究したのがレーニンであり、彼は『哲学ノート』を残している。その中に「クラウゼウィッツに関するノート」という項目を設け、戦争について書き、「平和とは他の手段による戦争の継続に過ぎない」と、クラウゼウィッツの言葉を反転させている。
 レーニンの後継者としては、トロツキーとスターリンがいた。スターリンは秘密警察の親分で戦略家ではなかった。むしろトロツキーがレーニンの真の後継者で、戦略家として『永久革命論』を著している。彼は実際に、軍事人民委員として内戦で活躍した。また、エンゲルスの遊撃戦論を発展させたのが毛沢東である。
 軍人としてクラウゼウィッツの命題を展開したのが、普仏戦争でビスマルクの参謀を務めたモルトケであり、彼は補給と兵姑を重視し、鉄道を使って補給と兵姑の機動的な展開を行い、フランスに大勝利した。
 ビスマルクがフランスに勝利してドイツ統一を果たしたのは、一八七一年。日本の明治維新が一八六八年だ。落ち目のフランスと組んでいた徳川幕府が倒れたので、明治新政府がドイツを手本にしたのは、時代の趨勢だった。


テロが横行した幕末の日本

 一九世紀の半ばは、世界中でさまざまな戦争が起きた。それは帝国主義による植民地戦争がほとんどだった。その先陣を切ったのが、一八三八年のアフガニスタン戦争であり、そこでイギリスは大惨敗を喫し、二年後の一八四〇年に中国でアヘン戦争を起こした。当時のシナ(清)は今の日本と同じで大腐敗していたから、イギリスは勝利して香港島を取ったり、清国の鎖国を解除させたりした。
 一八四五年にはインドでシーク戦争が起きたが、イギリスはこの戦争でシーク族を屈服させ、インドを完全に植民地化した。翌四六年には、フランスがメキシコ戦争を起こし、さらに一八五〇年には、中国大陸で太平天国の乱が起きた。日本にペリーが来航したのは一八五三年だが、当時のシナは大混乱を来たしていた。
 イギリスは当時、一八五二年にはビルマ戦争をやり、五三年にはフランスと一緒にクリミア戦争をやり、五七年にはインドでセポイの乱を惹き起こして大虐殺を行った。また、フランスは一八五九年に第一次アルジェリア戦争をやり、翌六〇年にはインドシナ戦争をやっている。
 一八六〇年はアメリカで南北戦争が起きた年でもあるが、欧米はそうした戦争で使った中古の武器をアジアに持ってきて、日本に売り付けたりした。坂本龍馬はグラバーから中古の武器を買いつけた死の商人の一人だが、日本の小説では英雄視されている。また、幕府が古い先詰め銃を買いつけたのに対して、新しい後詰めのライフル銃を買い入れた坂本竜馬は、ミニエー銃を長州藩に売り付けている。だから、その兵器の差によって、幕府の長州征伐は失敗に終わった。
 いずれにしても、一九世紀半ばは、日本の周辺で帝国主義が猛威をふるっていた。アヘン戦争を現地で見てきた高杉晋作をはじめ、佐久間象山や横井小楠など先見力や洞察力を持つ日本人が、日本がアヘン戦争や太平天国の乱で大混乱を来たした清の二の舞になることを、真剣に憂慮したのは当然だった。
 当時の日本では、接夷のテロが猛威をふるっており、いま日本人は、同時多発テロのニュースをテレビで見ながら、よその国の出来事と思っているかも知れないが、百数十年前の日本にも同じ状態があったことを忘れてはならない。
 当時、もっとも過激な擾夷論を唱えていたのは、水戸藩の烈公、徳川斉昭だった。その影響下にあった尊王接夷の志士たちにより、開国を決断した井伊大老が暗殺されるなど、テロが横行した。そのテロリストたちの勢力が内部分裂し、一部が天狗党となって決起したが、反テロ勢力に追い込まれ、最後は福井まで逃げたが虐殺されている。
 明治維新を担った長州にしても薩摩にしても、幕末にはさんざんテロ活動を行っている。イギリス人を殺傷した生麦事件を起こしたのは薩摩であり、日米修好通商条約を結んだアメリカのハリス領事の通訳のヒュースケンも、テロに遭って殺されていて、当時の日本は、現在のタリバンと大差なかった。
 そうしたわずか百数十年前の日本の歴史を鏡にして、タリバンの問題を見れば、日本人も問題の本質がよく見えてくるのではないか。


戦後行われたきた国家によるテロ

 幕末の日本は、アメリカの砲艦外交の強迫で、無理やり開国させられた。ペリーが来航したとき、連れてきたのは海軍ではなく、いつでも奇襲上陸できる海兵隊だった。つまり、アメリカは遅れてきた帝国主義者として、日本にやって来て脅かしたのだ。
 その証拠に、当時のアメリカは、スペイン戦争によりフイリピンを植民地化したり、メキシコ戦争によりニュー・メキシコ、カリフォルニア、テキサスなど広大な土地をメキシコから奪取している。
 要するに、アメリカも帝国主義の延長線上で動いてきたし、日本もアメリカの後を追って帝国主義路線を走り、アジア諸国に大きな迷惑をかけた。
 そうした歴史の流れで見ると、今回の事件は「戦争とは何か」を冷静に考える良いチャンスだと思う。従来は国と国が戦うのが戦争の基礎概念であり、戦時国際法に基きルールに従って遂行されて来た。戦争には火を噴いた戦争や冷たい戦争があり、交流がある状態に始まって、それが次第に人的交流が止まり、物的交流が止まり、情報の交流が止まり、交流が完全に停止してから、最後通牒による宣戦布告という形で戦争の開始になる。
 宣戦布告を行うのは、それぞれの国の大使であり、大使は特命全権大使と言い、その国の元首や国権の最高機関と同じ権限を持って、宣戦布告を行ってきた。日本が真珠湾を攻撃したときは、大使館のミスで、その文書を手渡すのが一時間遅れたばかりに、日本はスニーク・アタック(騙し討ち)という国辱的な批判を甘受した。
 しかし、アメリカの戦後の歴史を振り返ると、今のアメリカは真珠湾攻撃を批判できる立場にない。朝鮮戦争では国連軍の名の下に宣戦布告なき戦争を戦い、ベトナム戦争や先の湾岸戦争でも宣戦布告は行っていない。
 戦争は本来、国際公法に基づいて宣戦を布告し、そのあとは戦時国際法の下に、ルールに従って行われるものだ。そうしたルールに基づかない戦争は、国家によるテロと言ってよく、その意味では、戦後は国家によるテロリズムが続いてきたと言える。
 私は四〇年近く前に、サウジアラビアで仕事をしたことがある。水を掘るために行ったのだが、石油相だったヤマニと親しくなり、ファイサル国王の直属の責任者として仕事をしたので、アラブ人の浪花節がよく理解できる。
 最初、サウジに行った当時、一三世紀の世界に来たと思った。映画は上映禁止だし、アルコールは飲めないし、女性はべールを被らなければならない上に、広場では公開処刑も行われていた。それは現在も基本的に変わらない。いま、アフガニスタンでは女性が差別されていると言うが、サウジアラビアだって同じだ。サウジのことは言わないで、アフガニスタンだけ批判するデマゴギーに追従して、日本はアメリカのプロパガンダに塗り込まれている。


言うべきではなかった「エブリシング」の絶叫

 同時多発テロ事件が起きた三日後にロサンゼルスに行った私は、事件後初めてNHKの衛星テレビを見た。その中身は、アメリカが言っていることを、そのまま繰り返しているだけであり、ワシントン支局長は単なるアナウンサーに過ぎなかった。本当に必要なのは、
 適切に解説するコメンテーターであり、状況を鋭く分析するアナリストだが、日本のメディアにはそういう人が出てこない。
 その翌日、ロスの私の読者一〇人ほどと、六時間ぐらいこの問題を討論したが、その中の一人が、今回のテロ事件に対する小泉の最初の反応が余りにもお粗末だと嘆いていた。現実に、事件が起きた三日後に、ブッシュが演説の中で、同盟国の名前を挙げながら、各国の支援表明に対して「サンキュー」と言ったが、その中に日本とカナダは入っていなかった。それで慌てたのか、カナダのジャン・クリチアンと小泉が相次いでワシントンに駆けつけて来た。
 そして、小泉はコマギレの英単語を並べて、硬直して半ば絶叫しながら支援を表明したが、その中で「エブリシング」という言葉を使った。これは「何でもやります」ということで、一国の首相が言うべき言葉ではない。このことを日本のメディア、ジャーナリストは指摘しなかったが、小泉の軽率さを徹底的に批判すべきである。
 今回のテロ事件に関して、日本のジャーナリズムは本質を追求していない。日本の週刊誌や月刊誌を見ても、御用学者や売文業者が幇間言論人として顔を並べているが、中東問題の専門家や石油問題のプロは見当たらない。今回のテロ事件の根は非常に奥深いのだから、それぞれの分野のプロが総力を結集して分析しないと、深層は見えてこない。
 アメリカはジャーナリズムがしっかりしているが、今回の事件について、メデイアに登場してくるのは元軍人、元CIAといった人たちが多く、政府の都合のいい情報が圧倒的で、アメリカのジャーナリズムもかなり政府の情報操作にしてやられている。
 アメリカでは最近、炭疽菌の問題が騒がれているが、誰がやっているか正直のところ誰も把握していないだろう。ブッシュとしては、炭疽菌問題でイラクのサダム・フセインを叩くことを考えたのだろうが、現在のところ目算どおりには進んでいない。
 アメリカには、かつてオクラホマシティの連邦政府ビルを爆破した、政府反対、税金反対、軍隊反対を主張する極右が存在する。彼らは現在も活発に動いており、炭疽菌事件も彼らが動いている可能性もある。オクラホマシティの爆破事件のときも、最初はアラブのテロリストの仕業だと言われたが、捜査が進むに連れて極右の犯行だと判明した。ただ、犯人を早く殺してしまったから、それが真相かどうか、よくわからない。ケネディ暗殺事件も、オズワルドやルピーが早々に殺されて、真相はいまだに謎になっている。
 日本はあまりアメリカのプロパガンダに巻き込まれないで、冷静に情勢を分析し、場合によっては、同盟国としてアメリカに忠告したり、戦争を沈静化させる役割を果たすのも、一つのオプションになるはずである。


尊敬できる外国人には最大限敬意を表する米国

 今回東京へ来て、外国人特派員から興味深い意見を聞かされた。「日本人はテロ事件をアメリカの問題と受け止めているが、日本でもテロが進んでいるのが見えないのか」と言うから、「オウム以後、日本でもテロがあったのか」と聞いたら、「新宿の歌舞伎町で火事があったじゃないか。あれは外国人がやったと言われているが、民族主義者がやったのかも知れないよ。歌舞伎町は外国人が多いし、あのような場所を狙うのは、テロの常識じゃないか」と言われた。
 日本人はうっかりしているが、御用文化人たちが「危機管理、危機管理」と言っている間に、盗聴法、テロ対策特別法などが次々に成立している。日本が全体主義化してファッショの色を深めているが、自衛隊の治安出動をやりたがってムズムズしている蛮勇男が、都知事の椅子に座っているではないか。だから、日本人は自分自身の問題として、もっと危機意識を持つ必要がある。
 私が長年アメリカに暮らして感じることは、日本人は好感を持たれているのに、日本政府は世界中から軽蔑されているように、アメリカ政府はアラブ世界をはじめ世界各国から嫌われていても、アメリカ人はオープンだから、世界から好かれている。だから、オサマ・ビンラディンが本当に「アメリカ人を皆殺しにする」と言ったとしたら、とんでもない間違いを犯していることになる。毛唐と云って異国人を毛嫌いして切り殺そうとした、幕末の接夷派のテロリストたちを想起すれば、排外感情の危険さが理解しやすいだろう。
 アメリカ人は開放的な性格の持主だから、相手を尊敬すると最大限の敬意を表わす。幕末に、幕府を代表した使節団が通商条約批准ーのために渡米した。小栗上野介はフイラデルフィアの造幣廠で、ハリスらが日本から持ち出した金・銀を不正に交換していることを証明して抗議し、担当者を大いに驚かせただけでなく、米政府高官の敬意を一身に集めた。そこで日本の使節団に最高の敬意を表した米政府は小栗たちの帰路、ニューヨークから江戸まで、最新鋭のナイアガラ号で送り返してくれた。
 また、真珠湾攻撃の前に、アメリカで客死した斎藤博駐米大使は、「斎藤大使が病死しなかったら、日米戦争は起きなかっただろう」と言われるほど、優秀で、アメリカ側にとても信頼されていた。だから、斎藤大使が亡くなったとき、アメリカ政府はアナトリア号という巡洋艦で遺体を横浜港まで送り届けてくれた。
 アメリカという国は、尊敬できる人に対しては、きちんと処遇し礼を尽す伝統を持つ。その点、小泉首相や田中真紀子外相はどんな処遇をされているだろうか。中国の外務次官や韓国外相は議会に招かれて演説したが、日本の首相や外相には呼び声もかからないし、日本政府はタリバン政権並みの評価に甘んじている。
 国会議員の中には優秀な人もいるだろうから、知的ポテンシャルのある若手をどんどん登用して、国際社会で堂々と日本独自の役割を果たしてもらいたい。

(11月2日・談)


記事 inserted by FC2 system