『財界 にっぽん』 2001.04月号
石油開発コンサルタント 藤原肇
アラビア石油・元幹部 福沢油吉
かつての超優良企業が破綻で終末を迎えた悲劇 藤原 サウジとクウェートの中立地帯の石油鉱区は、カフジ油田として莫大な石油埋蔵量を誇り、そこで石油の開発と生産をしていたことで、アラビア石油は自主開発の石油の供給源として、かつては日本の希望の星≠ニ考えられてきました。 福沢 説明できるいろんな事情があれば救いになりますが、こんなブザマな形で終末を迎えたのでは、まったく情けなくて言葉もないほどです。だからといって嘆いていても仕方がなくて、なぜこんな破目になったのかを考えると、会社として体をなしていなかったが故に、アラ石は自滅せざるを得なかったのです。
藤原 でも、新幹線方式の高速鉱山鉄道の建設の問題が、とても、採算に合わないので交渉が決裂したように、メディアはそこに力を入れて報道しました。だが、問題はサウジ側で日本人をパートナーとして、全く評価しなくなったということです。 福沢 その通りです。社長が鉄道建設を検討すると発言して、最後には鉄道経営に乗り出すと言質を与えましたが、こんなビジネス感覚の人が社長だから、まともな交渉ができるわけがない。最後は役所や政治家に、泣き込んだように、故郷の官庁のやり方が忘れられないし、こういうトップが何代も君臨したから、国外でのビジネスに全く適応できなかったのです。
藤原 日本の外では実力で尊敬されなければ、まともなことは何一つとしてやれないし、トップに優れた実力を持つ人がいない限り、資本金や有名度では勝負にならないのに、日本人はそのことに気づいていません。石油開発の場合は科学的な基礎知識や技術の他に、歴史や政治関係を判断する能力が要るし、ゲームの理論に習熟している必要もあります。 福沢 戦後のある時期から官僚が絶大な力を持ち、日本国内でそれが罷り通っているからと考えて、外交を役人がやる過ちから脱却できない。しかも、官僚は知識だけはたくさん持っているから、マックス・ウェーバーが「最良の官僚は最悪の政治家だ」と言ったのを知っており、ダメとなると直ぐに政治家を頼ります。
藤原 遊牧民のアラブ人は情報感覚に優れていて、出会いの瞬間に実力を判定するだけでなく、相手の目の動きで心の奥底まで読み取ります。昔の日本の侍もそういう鋭敏な感覚を持っていましたが、最近の日本人は豊かさで鋭さを失い、判断力の代わりに肩書きを使うようになったから、真の意味での迫力に乏しくなりました。 福沢 アラブ世界では信頼で結びつかない限り、友人として心を開いた関係が成り立たないし、小細工を弄したり言い逃れや嘘を言ったら、相手にされないと日本人は知るべきです。サウジは産油国で石油は死活問題だから、責任者は驚くほど精通しているのですが、井戸元のことまで理解しているトップは、アラ石には過去二〇年間いませんでした。 藤原 地質関係でアラ石にいた何人かの友人が、トップの酷さについて嘆いていましたが、実際に社長人事はどんな具合でしたか。 福沢 ひとことで言えば、古手の役人の天下りです。ご存じの通り、事業家の山下太郎が苦労して創業し、財界の協力で一九五八年に発足したアラ石は、最初の一八年間は民間出身の社長であり、四代目まではビジネス経験者が社長でした。だが、山下太郎の息子の水野惣平が社長を辞めた以後は、一九七六年に通産OBの大慈弥社長になり、ずっと役人の天下りが現在まで続きました。 藤原 前半が民問人で上昇と隆盛の時期になり、後半の下降と衰退の時期が官僚の天下りならば、役人にアラ石は食い荒らされたわけですね。
福沢 ズバリ言ってしまえば、そういうことです。石油ビジネスがどんな内容かについて、その実態を理解していない古手の役人が、実力を備えた人を押し退けてトップになり、寄生していることに責任も感じない。しかも、日本の会社では社長は天皇と同じ存在であり、社長を絶対に傷つけないのが自己目的化しています。 藤原 日本の社会は派閥人事と利権人事が蔓延して、大組織のほとんどが実力主義に無関係だし、至る所が役所の植民地として天下りの場になっています。アラ石内部から批判の声は高まらなかったのですか。 福沢 落下傘で天下りして一番上に着陸するから、その下にいる者が批判できるわけがないし、心ある人材は見限って辞めて行くので、誰もが将来に限界を感じて士気喪失です。アラビア太郎≠ニ呼ばれた山下太郎の場合は、事業家として不眠不休で血の小便をしながら、自己責任で目的達成のために邁進したお陰で、中東に油田を持つ夢を実現しています。楠木正成の子孫であることを誇りにした彼は、アラブ人たちに鎧をプレゼントしており、いまだにその気迫がアラブ世界に残ってます。だが、無念にも二〇年後には役人の植民地になり、建て前としては民間会社のはずなのに、アラ石は官僚が支配する組織になり果てました。 藤原 公団や事業団と同じで役人の養老院になり、役員の安楽椅子付きの高級保養所として、退職金稼ぎの利権の巣窟になり果てている。だから、これからカザフスタンやイランの石油地帯に進出しても、役人が君臨する石油公団が中心ならアラ石の二の舞で、最後は敗退か玉砕になり、税金の無駄遣いということになりますよ。 福沢 養老院で連中が何もしないならまだ増しですが、自分がいる間だけは失敗が起こらないようにと、必要な作業の妨害に精を出すのです。しかも、問題の先送りをして組織をダメな体質にして、対外的にも不信感を高めて気づかない。 藤原 アラ石は天下り族の「姥捨て山」になって、パートナーたちの信用を損なってきたから、見切りをつけて離縁させられてしまった。 福沢 「姥捨て山」なら山は潰れないから良いのですが、アラ石の場合は山ごと潰れてしまったのだから、こんな情けないことはないと言えます。また、二〇年前に「姥捨て山」になった時点において、悲劇の始まりがあったことを思うならば、権益期間のちょうど半分が過ぎた時点だから、これからどうすべきかに全力を傾けるべきでした。
藤原 二〇年前の時点でも私の知る限りでは、人材と言える人がまだ健在だったのに、アラ石の社長を古手の役人が独占してから、これはという人がどんどん辞めてしまった。 福沢 内部にいた者の観察もそれと同じでして、どうして株主たちが放置しているのかと思いましたが、二〇年前から財界もサラリーマン社長ばかりで、何の頼りにもならないと分かりました。創業期の頃は財界総理である石坂泰三の下に、桜田、小林、永野、水野の財界四天王もいたが、それに較べたらサラリーマン社長の集団だから、いくら銀行、保険、商社、電力、鉄鋼が総出であっても、役所の言いなりに甘んじる体制でしかなかったのです。
藤原 トップが無能である限りは救いがないが、役人の天下り人事の弊害に続くものとして、何がアラ石のダメな点だったと考えますか。 福沢 利権契約によってアラ石が存在する以上は、契約がなくなった後のことまでじっくり考えて、会社の基本路線を作る必要があるのに、それが全く考慮されていなかったのです。契約が切れた後でも何らかの仕事が残れば、有形でも無形でもパイプの繋がりが生きるわけですが、それには現地の組織が一人立ちすることです。
藤原 自分が社長の間は大きな利益を計上して、高配当をすればいいという近視眼に陥れば、事業全体の展望を見失ってしまいます。投資をすれば生産の能率が良くなるだけでなく、埋蔵量も増えて資産としての価値が高まり、それがパートナーたちの信用を高めるのに、目先の利益しか考えなければアウトです。 福沢 現地人を訓練して人材として教育すれば、相手も期待に応えて一生懸命にやるわけだし、将来の収穫を分かち合うパートナーが育つ。だから、契約を継続するにしろ終わりになるにしろ、仮にわれわれが日本に引き揚げても、現地に人材や設備が残っている限りでは、日本とサウジの間は信頼関係で結ばれます。そうなれば、日本に向けての石油の流れは継続するし、商品や人的交流で日本からもサウジヘ流れ、それが石油の安定供給の確保に結びつくのですが、そういった視点は天下り族にないのです。 藤原 石油をカネを出せば買える国際商品だと考えて、石油開発の持つ戦略的な意味を忘れてしまったり、オイルマンとして意志疎通の基本になるのが、問題意識と信頼であることに日本人は気づかない。石油ビジネスを通じて人材を育てたり、国際政治の中で的確な判断と行動力を持つ、卓越した人材に活躍の場を提供しておけば、いざという時の保険として命綱になるし、それが価値ある投資として貴重なのにね…。 福沢 ポジションが空いていると言われた時に、「その分野は自分には良く分からないから、責任を持ってやる自信がない」といって、断固として断わればいいだけのことです。しかも、サウジの土になる覚悟もない者が、アラ石の社長になろうという根性が間違いだし、何期も地位にしがみついて退職金を稼ぐ。その意味では、日本の会社はどこも似たり寄ったりで、本当の意味での適材適所は行われていないし、これまでは何とか誤魔化してやってきたが、これから次々とボロが現れてくるのです。
藤原 現に目の前で起きている銀行業界の破綻は、そういった無責任体制の成れの果てだし、国鉄や石油公団の天文学的な負債を見れば、役人の不始末の酷さは一目瞭然です。教科書を理解する能力を誇っている官僚は、決まり切った仕事をする時には有能でも、激変する状況の中で的確な決断をする点で、社会の荒波で鍛え抜いた人にとてもかなわない。
福沢 国外でのビジネスは契約で成り立っており、最初に山下太郎が締結したのが四〇年契約だから、二〇年も前に二〇年後の契約切れが分かっていた。だから、国有化に向かっての対応を考えた上で準備を整え、如何にスムーズな切り替えをするかについて、構想をきちんとするのが当然だったのに、そういったことは視野に入っていなかった。
藤原 臨機応変に問題を片付けて行かない限り、自らの決断ができないと見抜かれてしまえば、それは交渉などではなくなってしまう。 福沢 四〇年契約の権益が取れたのだから、契約が切れた時にどんなものが残っていて、それがお互いにどんな利益と結びつくかは、社長として考えるべき最優先事項のはずです。だが、そこまで洞察したトップは二〇年間おらず、契約が切れるからと延長することだけを考え、じたばた足掻いて代議士に泣きついたり、経済援助を取り引き材料にしようとして、お互いに後味の悪い交渉決裂を招いてしまいました。
藤原 当然ですよ。日本と中東の間に架け橋を作る布石として、何をしておくことが大切かを考えるのは、石油開発における最優先の戦略課題です。 福沢 ところが、それを何一つやらないできたのです。アラムコ(サウジで操業する米国系の石油会社)が国有化される問題が起きた時に、それまで五〇代だった役員を四〇代にして、適用の効く人間に切り替えを断行しており、五〇代は僅か一人しか残さなかった。これは重要だし他人ごとではなかったので、アラ石でも同じ路線を採用することによって、将来の布石にしたらという意見があったが、それは過激すぎると拒絶されてしまいました。 藤原 役員全員が四〇代では天下り先にならず、役人にとってはとんでもないということで、目先の利益に迷って布石が打てなかった。自分の無能を知られるのを恐れたらしく、有能な人材をいびる風潮が強かったので、実力と覇気のある人から辞めています。 福沢 残念ですがその通りです。石油開発は技術が中心になって動くビジネスで、少なくともトップが技術問題に無知だったら、何をか言わんやということになります。ところが、アラ石は技術系の人を役員にするのを嫌って、何人もいた役員の中に技術系の人がいたのは、創業した四〇年前の数年間だけでした。発足した頃は誰も事業の内容を知らないから、地質学や採鉱学をやった人が指揮したが、一〇年も経たないうちに技術屋は邪魔だということで、専門職の地位に追いやってしまいました。
藤原 石油開発の常識では考えられない愚行であり、そんなことをやれば誰にも相手にされないし、いかに幸運でも破綻で終わってしまいます。石油開発で最も悪いのが現状維持であり、素養である科学と技術の成果を最大に生かし、リスクを計算してそれを効果的なやり方で分散して、ノウハウで挑戦して石油を発見するのです。 福沢 そうでしょう。でも、アラ石では失敗の恐れのあることは避け、現状維持で波風を立てないことが第一だし、秘密を保つのが遵守事項だったのです。
藤原 石油開発を担当しているプロフェッショナルは独自のノウハウで鉱区の評価や石油の発見を行いますが、その能力は他流試合で磨かれるのだし、それが知的所有権として会社の実力の評価になる。しかも、技術以上にサイエンスが重要であり、地球を相手に大地の構造や生理状況を診断し、石油を効果的に発見して生産するノウハウは、資本金よりもはるかに価値を秘めているのです。 福沢 ビジネスの素養において欠けているのに、アラ石のトップ人事を役人が支配して、科学や技術は分からなくて良いと考え、何も学ぼうとしない事務屋がしたい放題です。金融や証券だってアナリストを必要とするし、自動車やエレクトロニクスも技術に依存するが、石油開発はそれ以上だと理解しなかった。
藤原 当たり前です。オイルマンやプロの専門家は当然そうだが、普通の石油会社には「スカウティング部」があり、業界情報や競争相手の動向を探っていて、アンテナの感度は常に高く保っているから、どこで何が進行中かについて知っています。 福沢 日本の石油会社ではそんなことは絶対になく、全てが秘密主義に支配されているし、情報の価値の分かる人が上にいないし、レポートにしても判読できない状態です。
藤原 普段から親しく付き合いをしておけば、いざという時に仲間扱いしてもらえるのだから、アラ石がその価値を忘れたら終わりです。会社の設立では山下太郎の活躍は伝説的だが、鉱山学をやった通産審議官の吉田半右衛門は、陰の功労者として見落とせない存在です。ローマでの世界石油会議に出席した時に、彼はサウジのタリキ石油局長と親しくなり、この交友関係がその後に威力を発揮してます。 福沢 その話はアラ石では誰でも知っており、タリキが中立地帯の権益を勧めてくれたお陰で、カフジの大油田を発見できたわけだし、アラ石の歴史の第一ページが始まりました。アラブ人たちに山下太郎がプレゼントした冑を見て、彼が事業に賭けた執念を強く実感しましたが、明治生まれの人の熱意には頭が下がります。 藤原 命懸けで事業をやる人の迫力は絶大で、国籍に関係なく人を感銘させるものだし、それが信頼とパートナーシップを確立する…。
福沢 アラ石はパートナーとして見限られ、サウジに別れを告げなければならなくなったわけですが、アラムコは相変わらずサウジで健在でいます。アメリカ大使館の場合は週に一度大使館を開放して、世界情勢についてレクチャーしていまして、日本人だからと排除することもなかったので、よく出かけて行き仲間にしてもらいました。
藤原 でも、それは現地の最高貴任者の人柄次第であり、サウジ駐在だった田村秀治大使は現地と密着して、誠実で仕事熱心だから非常に人望がありました。彼はその前にエジプトやモロッコにも駐在しており、アラビア語は方言まで堪能だったし、退官後は日本サウジ協会や中東文化センターの理事でした。 福沢 田村大使ならアラ石の参与になっていただき、いろんなアドバイスをしてもらいましたが、彼の才能を十分に活用するには至らなくて、その点が惜しかったと非常に心残りです。 藤原 反対に悪評が高かったのが岡崎久彦大使で、自分は欧州の国の大使になるはずだったのに、サウジのような場末に追いやられたと思い、『評伝・陸奥宗光』を雑誌に連載して、大使の仕事では手抜きをしていました。私の体験からも毎月の連載の執筆をすれば、大使の仕事は片手間になるのは明白であり、サウジの要人も「あの大使は酷かった」と言っていました。それがアラ石の運命を決めてしまったのに、その責任を追及する人は日本にいないし、評論家として偉そうなことを言っています。 福沢 役人には良い人も悪い人もいるから、一概に役人だからダメとは言いませんが、先人たちが苦労して築き上げたものでも、たった一人の不心得者がいることで、目茶苦茶になってしまうから恐ろしい。その意味では、権益の更新のために無理を重ねて鉄道を作っても、途中で投げ出して相手を怒らせるだけで、撤退した方が最良なのかも知れません。
藤原 オイルピジネスは地球規模のベンチャーであり、在野精神に科学と技術をミックスさせて、帝国主義のノウハウを完全にマスターした上で、既成概念に挑戦していかなければならない。そういった人材の育成は役所や学校ではなく、実社会と世界中の現場での修行が決め手であり、非常に良い現場を持っていたアラ石が、人材育成の面で成功を誇れなかったのだから、残念だが解散が最良の選択になります。 福沢 「天は人の上に人を作らず」とも言いますが、「人は人の上に立つ人を作らない限り、何事もなし得ない」というのが教訓でしょうか。 藤原 私がサウジで仕事をしたのは一九六八年で、フランスの会社の地質の専門家として赴任し、アラビア半島の国土改造計画をやりました。そして、砂漠の中の洞窟の探険をやったりして、アラブ人と一緒にラクダ牧場に行った縁で、友人つき合いで得たアドバイスで人生航路を改め、水から石油に仕事を大転換しました。また、首都のリヤドにアラ石の駐在事務所があり、事務所長に会って話をしたことがあるが、日本人がなぜフランスの会社で仕事をするのかと言われて、閉鎖的なタコ壼感覚に驚いたものです。 福沢 それは三〇年後でも何ら変わっておらず、現地事務所はリヤドに陣取っているだけで、カフジはカフジで現代版の出島であり、行動の自由は東京本社が握っています。 藤原 国外で仕事をする日系企業を観察する限りでは、そのほとんどが東京に向いて仕事をしていて、世界という舞台で仲間扱いされておらず、結局はいつも尻尾を巻いた撤退で終わっています。アラ石の場合はまだクウェートとの契約があり、一年間の時間的な猶予が残されているので、まだ優れた資質を持つ人がいるとしたら、満州の関東軍の二の舞いを演じないように、有終の美を心掛けたらいいのではないでしょうか。 福沢 現代版の関東軍は長銀や日債銀がやったから、アラ石はマッカーサー元帥と同じ口調で、「老兵は消え去るのみ」ということです。愚劣なトップの利益至上主義に災いされて、日本一の高収益会社なのに高配当優先で、アラ石は企業年金制度も採用していません。国民年金で老後を生きるOBとしては、マッカーサー将軍の口調を借用して、慰めの気持ちの表現にでもしましょうか。 | |