『財界 にっぽん』 2002.12月号



亡国日本と使命放棄の経済界重鎮の社会責任を問う

国際コメンテータ 藤原肇(在米)




日本を包む経済破綻と亡国の音

 一〇年以上も続いた不況からの脱却も出来ず、経済は恐慌前夜の如き混迷の度合いを強め、日本の政治が支離滅裂に陥って久しいために、人気に酔う船長と未熟な四等航海士の舵取りで、進路を見失い大海原を漂流し続ける日本丸は、タイタニック号の悲劇を繰り返そうとしている。日本の外側では文明次元での大変動が進行し、大嵐に煽られて混乱が荒れ狂おうとしているのに、それを肌で感じたり直観で把握しないまま、国内からの遠望で済ませて来たことが災いして、日本の杜会基盤は大崩壊しようとしている。
 先ず気がつかなければならない重要なことは、産業社会の活力の面で製造業の役割が低下し、先進国では価値の生産や雇用人口の面で、GDP(国内総生産)の四分の一の水準が普通だという点だ。惰報革命の先端を行く米国は一五%を切り、西欧諸国は、二割から三割の水準にあるが、三割強のドイツを上回る日本は三五%を越え、職人気質が生きる物造りの国だと得意になっている。
 だが、それは古い考え方の枠組みにこだわって、文明のレベルでの変化に気が付かないまま、情報革命の只中にいる意識が欠如しており、来るべき時代の社会について無知蒙昧なために、一国が時代遅れになる運命に盲目なだけだ。確かに過去四〇年問の歴史は重工業の黄金時代であり、造船や自動車が日本の花形産業だったが、一五年前に精密機械やエレクトロニクスに主役が移り、五年前からはよりソフトなものが台頭している。


自動車が基幹産業だった時代の黄昏と事大主義の支配

 情報改革の嵐が吹き荒れる試練の時代を前に、日本の経済社会の飛躍的な脱皮と発展を目指し、財界の新たな司令塔として日本経団連が発足した。トヨタが自動車会社として売り上げ日本一でも、自動車業界は過去の産業の象徴に過ぎないのに、トヨタの奥田碩会長が六九歳という老体を押して、日本経団連の初代会長に就任したのは、日本の老害天国を全世界に向けて披露したに等しい。
 日本人はそれが恥曝しだと気づかないようだが、世界の趨勢は実力と能力が指導者の条件であり、会社の大きさや利益率をべースにして、産業界のトップを決めるようなことはしていない。日本の輸出金額の面で自動車の比率は大きいが、製造業として長い伝統を持つ自動車の機構は、エンジンとハンドルに四つのタイヤの組合せであり、一〇〇年前とほとんど同じで大した進歩はしていない。しかも、外国で生まれた技術をコピーして改良し、大量生産のシステムに乗せただけに過ぎない、韓国やセルビアでも自動車を作って輸出しており、自動車工業は未だ労働集約から技術集約の中間で、二十一世紀の王者である知識集約型の産業からほど遠いのだ。
 リーダーの椅子を数字で計って割り振るのは、実力競争が掟の自由社会ではお笑いであり、明治維新直後に津和野藩が果たした役割を知れば、激動期には指導性や見識が決め手になった教訓が、誰の日にもはっきりと分かるのだ。江戸時代なら加賀百万石は小田原十万石より実力を誇り、伊達藩八十万石は津和野藩四万石を威圧しただろうが、石高や売上高は経済的な収支決算に過ぎない。御一新から廃藩置県実施までの時期に、津和野藩が薩長肥の雄藩と肩を並べたのは、西周を始めとした開明派の人材が存在した上に、廃藩置県を発議した藩主の亀井甚監がいて、創造的破壊のリーダーシップを発輝したためで、石高ではなく指導力を誇ったからである。
 情報革命の中で政治的な激変に直面する時には、優れた人材の配置が最大の価値になるし、昨日に属す組織は置き去りや廃棄処分になり、資本金や売上高の大きさなど埒外である。日本にも豊かな経験と見識を誇る人材が、エマージングと呼ばれる領域の開拓に挑み、大組織から自立して活躍しているというのに、組織にしがみつき肩書きに執着する現役を優先して、老害を放置し事大主義に毒され続ける気だろうか。


「けじめ」がなくなれば品格と節度を失うという戒め

 そんなことを考えていた時に思い出したのは、金沢工業大学の清水博先生から贈られた「場と共創」(NTT出版)の中に、久米是志氏の「共創と自他非分離心」と題した論文があり、非常に感銘した読後感を持った時のことだ。久米氏は技術研究所で開発担当だった時代に、本田宗一郎社長の空冷エンジン主義に異議を唱え、水冷エンジンヘの切り替えを実現した異端技術者で、その後ホンダの社長を歴任して引退している。
 別に思い出したのは数ヶ月前の経済誌で見た、自民党の有志が志帥会の発足一周年記念の集会を開き、村上正邦前会長から江藤隆美新会長に引き継ぎ、中曽根元首相と中西輝政京大教授が記念講演してから、新保守主義を宣言したという写真入りの記事だ。
 中曽根氏はカジノ経済で日本の破綻を招いた元凶だが、中西氏はカネでどこにでも顔を出す御用学者であり、政府委員室の高坂正尭教授の後継者だから、見ず転芸者としてその出席は場違いではない。だが、亀井会長代行や森前首相らの祝詞に続き、乾杯の音頭を取ったのが奥田トヨタ会長だったと知り、私は節度の欠けたその行為に眼を丸くした。
 かつての日本では経団連会長は財界総理と呼ばれ、政治に対して御意見番の役目を果たしたのに、最近では貴重な伝統を守ることさえ忘れて、改革を阻害する旧守派政治家の集会に参加し、幇間もどきの音頭取りまでやったというのは、幾ら政治と経済が乱れて亡国の時代だと言っても、天を仰いで世も末だと嘆息したくなった。
 経済界のトップが今しなければならないのは、腐敗した政治を批判して日本を立ち直せるために、崩れた経済界の責任感と乱れた士気を回復し、全力を上げて創造的破壊を推進して、日本人の心に信頼の気持ちを蘇らすことのはずだ。自ら律すべき立場にいることを忘れ果てて、声が掛かればどんな座敷にでも顔を出せば、節度を教えた「明哲保身」の精神に背くのであり、そんな締まりのない浮ついた心構えでは、現在の難局はとても乗り越え得ないと知るべきではないか。


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