『財界 にっぽん』 2010.01月号



国際舞台で存在感を喪失し続ける日本

大局観とデコンストラクション思考
に欠けた日本の悲劇

坂田英雄(画家・リラ会長、ロサンゼルス在住)
vs.
藤原肇(慧智研究センター所長、台湾在住)



全体を直感的に捉える能力としての大局観

藤原 ここで議論したいのは大局 観の重要性についてで、それは全 体把握が日本の混迷を救う上での 鍵だからです。画家には二種類の タイプがあると私は思うが、先ず 描写力や筆さばきに優れた腕を持 つ職人的な画家がいて、このタイ プの人が全体の80%を占めている。 また、全体の構図と配置を的確に 描ける才能に恵まれた1%には、 ラファエルやダヴィンチのような 天才に属す人がいて、残りが普通 の芸術家だというのが私の意見で す。

坂田 冒頭からラファエルやダヴィ ンチの名前が出たのでは、私のよ うなありきたりの絵描きが出る幕 などはとてもない感じです。確か に、偉大な画家は全体をピシッと 捉えて作品に仕上げるが、その才 能を持てば本質と永遠性が描ける し、何といっても全体を掌握する ことは最も重要な能力であり、こ れは芸術に限らず全ての分野に共 通です。

藤原 カリフォルニアは人種のル ツボと言われており、いろんな国 の人が作るコミュニティがあるが、 大局観を持つにはタコ壷にいたの ではダメです。この多様なコミュ ニティと非常に緊密な関係を維持 すると共に、各国に頻繁に出かけ 現地人と接触する点で、坂田さん は日本人として例外的な存在です。 あなたはロスに住む画家としての 活躍だけでなく、世界的な規模の 「メトロポリタン芸術協会」の一 環であり、NPO(非営利組織) であるLELA(Lantern of the East, L.A)の会長として、世界 中を飛び回って忙しく活躍してい る。そこで、先ずは坂田さんが会 長をしているLELAの内容につ いて、簡単に説明してもらうこと から始めましょう。

坂田 芸術家が本当にやりたい芸 術家同士の交流とか、地域社会の 芸術活動に寄与できるかを考えて、 1985年に世界を結ぶネットワー クを作りました。そして、198 8年のソウルでのオリンピック大 会の時には催し物として、プラン タン百貨店の三階の半分を借り切 る形で、二十数力国の芸術家の作 品を展示した。これを契機に今ま で二十回ちかくLELA主催の展 示会を続け、開催国はインド、韓 国、日本、タイ、米国、メキシコ、 アルメニアといった具合で、各国 から十数名が参加するアートキャ ンプも続いています。芸術にとっ てアトリエでの伝統的な創作は大 切だが、人目は慣れ親しんだ環境 の中で満足すると、マンネリに陥っ て創造力を衰退させてしまう。こ れは芸術だけでなく産業活動や国 力の場合でも同じであり、今の日 本の混迷は政治や経済だけでなく、 芸術活動も低迷で優れた作品が生 まれなくなった原因なんです。

藤原 アジア主義者の坂田さんが 行動している様子は、茨城と福島 の県境の五浦に日本芸術院の研究 所を作り、弟子の横山大観、菱田 春草、下村観山、木村武山などを 引き連れて旗揚げした、岡倉天心 の平成版のような感じがする。あ なたがアトリエのキャンバスに向 かう仕事は半ば放棄して、東奔西 走して若い芸術家たちを組織して いるのを見ると、アジアを舞台に 新しい芸術の炎を燃え上がらせよ うとしている様子が、とても良く 分かります。

坂田 私には岡倉天心のような才 能や指導性はないが、少なくとも 長崎での原爆の被爆者としての立 場から、次の世代に芸術の素晴ら しさと平和の心を伝えたい。今の 世界には純粋無垢な魂を指し示し て、真に価値ある手本が乏しい上 にエゴが渦巻いており、自己の利 益追求ばかりが横行しているので、 そういう世相への反発なのかも知 れません。だから、発表の機会に 恵まれない発展途上国の若い芸術 家たちが、もっと活躍できるよう な場を作りたいという希望を抱い て、忙しく世界を駆け回っている ということです。

瞳の輝きと覇気を失った最近の日本人

藤原 ところで、ロスに住む坂田 さんは世界を飛び回っているが、 過去一年間にどれくらい海外に出 かけているのですか。

坂田 おそらく年に六回か七回に なると思うが、オランダ、タイ、 ドイツ、メキシコ、コスタリカ、 日本、アルメニアといった具合で す。

藤原 それだけの行動力を持つ坂 田さんが世界を訪れた印象として、 海外における日本の存在感につい てどんなことを痛感しましたか。 ビジネスマンやジャーナリストが 感じた記録は、活字になって報告 されたものも結構あるが、全体図 を構想して作品にまとめる画家の 視点と、芸術家が誇る直感の閃き は貴重なのでそれを知りたい。

坂田 日本の存在感が実に乏しい という一語です。下手な英語だが 私も時によって講演をするが、ど この国に行っても若い人が目を輝 かせて聞いてくれて、来て良かっ たし喋り甲斐があったと感じるの に、どういうわけか例外が日本人 です。日本人が好奇心に欠けてい るわけではないが、全く反応がな くて張り合いがないので、「何か 質問はありませんか」と問いかけ てもレスポンスがない。特に若い 人が無気力になってしまい、外国 人に追い越されているのを見るの は悲しいことだが、こんな感じが 世界に拡散しているのです。

藤原 デタラメで身勝手な政治が 長期にわたって続き、日本中が不 況の中で閉塞感に支配されている ために、若い世代までが希望を失っ てしらけている。日本の政治には 大局観がないから戦略も生まれな いのだが、挑戦の気が起きないの は老化現象であり、でき上がった 秩序に捉われて進化しないのが老 化で、日本人の覇気が沈滞して老 衰している。

坂田 若者だけでなく産業界全体 がチャレンジ精神を喪失し、敗北 主義に陥って対応さえも出来ない 事実をメキシコで見て、私は日本 の不甲斐なさを痛感しました。サ ン・ディエゴの南百キロのエンセ ナダの町は建設ブームで、メキシ コ人に連れられて町の新規開店し た大型スーパーのコスコを訪れた 時に、日本製品がなかったので背 筋が寒くなった。特に電化製品の 売り場で受けたショックは強烈で して、カメラのところにソニー製 が一台あっただけで、後は韓国製 や中国製が山積みになっており、 テレビや携帯電話では韓国のサム スンが圧倒的でして、日本と台湾 の製品はほぼ姿を消していました。

藤原 価格競争にはばまれて日本 製が店頭から消えれば、顧客との コンタクトが断たれて忘れられて しまうだけだし、存在感を与える 機会を失ってジリ貧に陥り、それ を取り戻す労力と時間は巨大で大 変な損失になる。コスコは倉庫方 式の大型スーパーで自己ブランド まで持つから、そこで市場を失っ てしまうと影響は深刻です。

坂田 最近の日本製品の品質はと ても良くなったが、高級品は伝統 的にヨーロッパ製品が支配してお り、一流品にはそれなりの独創性 と思想性が必要だから、その分野 で名声を簡単に確立できるとは思 えません。中流の中から下流にか けては値段が勝負だから、そこは 人件費の高い日本製品には手が出 ないし、韓国製だって中国製にと てもかなわない。

藤原 でも、韓国製や中国製の多 くは日本製の部品を使い、日本の 会社が作っているケースが多いか ら、韓国などは対日貿易の赤字で 苦しんでいるそうです。日本人は 国内市場を開拓する代わりに、韓 国や中国を手先に使って輸出攻勢 を続け、ブランド力ではなく稼ぎ 高の大きさが主体という作戦で、 生き延びようというやり方をして います。

坂田 それもあるだろうが、日本 が得意にしていた中流品の市場に おいて、優位性を失った最大の原 因は日本の高賃金だけではなく、 日本人全体を包む覇気のなさだと 思うのです。

日本のフィードバックと世界のフィードフォーワードの差

藤原 米国でもテレビやコンピュー タの液晶モニターは、最近は韓国 のサムスンが市場を制圧している 感じで、かつて陳列の中心にあっ たソニー製は片隅で「昔の光いま いずこ」です。制度疲労で機能不 全に陥った日本政治のせいで、世 界の動きへの適応力をなくして国 粋主義化したために、外に開く関 心と挑戦への気概が衰えており、 相対的にこれまでの優位を喪失し ているのだが、国内にはそうした 事態への危機感もないようです。

坂田 その代表が国際規格とは違 う方式のために、国内市場を守る ために孤立化した携帯電話のケー スです。日本製の携帯はテレビ以 上に存在感がなくて、世界の市場 はフィンランドのノキアと韓国の サムスンが支配している。韓国人 の話だとサムスンは電化事業の分 野において、日本のエレクトロニ クス業界全体より大きく、半導体 メモリーの生産では世界一を誇っ ているそうで、そのうちソニーや 松下も吸収されかねないし、三菱 や日立だって乗っ取りかねない猛 烈な鼻息です。

藤原 三菱や日立は造船や重工業 を持っているから、サムスンが吸 収できると考えたら思い上がりに なるが、少なくとも売り上げ利益 ではトヨタ級ですね。戦後の日本 が製造工業を中心に発展した理由 は、産業社会の中核が技術指向型 だったからで、日本の企業は合理 化とフィードバック・システムを 武器に、目覚しい発展を遂げて経 済大国になった。より良いハウトゥ を求める点で日本人は優秀だから、 その器用さで迅速にフィードバッ クを活用して成功したが、これは 類型化による制御技術に頼る経営 です。だが、決められた枠組みの 中での成果に対処するフィードバッ ク方式は、創造性や知的なチャレ ンジとは無縁なために、新しい状 況に遭遇すると判断不能で無力を 呈します。

坂田 昔から日本人は手本があれ ばいい仕事をするが、創造的な仕 事は得意ではないと言われている し、芸術の世界でも伝統への崇拝 が支配的です。だが、変化と関係 する独創とか創造性という面では、 力夕を大事にする日本人の伝統へ のこだわりは、規格品としての品 質の良さだけで終わってしまうの で、最終的にサムスンに追い抜か れてしまった。

藤原 裏金事件の責任をとってサ ムスンの会長を辞任した李健煕は、 ジョージワシントン大学でMBA を取って経営革新したが、同時に オリンピックを利用して蓄財のた めに使い、最後には錬金術を糾弾 されて晩年を汚した点で、コクド の堤義明と似た二代目総師の典型 です。それでも、再訪日で三星重 工業の東京支店を指揮した時に、 日本が得意にしていたフィードバッ クのやり方に勝つには、フィード フォーワードが絶対だと確信した という。日本人好みで受動型のフィー ドバック方式に対して、フィード フォーワードは先読みして変化を 積極的に取り込み、戦略的に目標 を設定して挑戦するやり方です。 李は情報革命を電子産業の事業化 に役立てるのに、日本で学んだ現 場主義を事業展開に生かし、フィー ドフォーワードを戦法として生か し成功した。それに対して、堤義 明は国税庁や役人と組んだバブル 紳士で終わっており、ホテル中心 の土地転がしにフィードバックを 活用し、節税で財産は作ったが情 報革命嵐に吹き倒されたのです。

坂田 韓国人は日本人に比べると えげつないほど積極的であり、石 橋を叩く日本人と虎穴に入る韓国 人の差になって、その代表がサム スンの李会長だったのです。また、 ロスだけでなく世界各国における 韓国人の進出は目覚しく、日本企 業がどんどん撤退して行く後に入 り込み、日本人が開拓した市場を 奪い取るような形で、驚くべき勢 いで勢力を拡大している点では、 人の善い日本人にとって「油断大 敵」の相手です。

藤原 新聞もソウルの五大新聞を ロスで印刷しているし、ロス支局 には新聞記者が何入もいて取材活 動しており、コミュニティヘの影 響力も絶大なものを持ち、それが 米国の政治に大きな影響力を及ぼ している。だが、日本の三大新聞 のロス支局は大抵が特派員は一人 で、五つくらいの州を担当して地 元での取材はしないし、二年か三 年で転勤するので人脈も育ちませ ん。それに、時事通信までがロス 支局を閉鎖してしまい、情報を取 材する能力が激減していることに よって、情報時代に対しての準備 が実にお粗末と言えます。

坂田 芸術の世界では画廊の存在 が重要な意味を持つが、ロスには 日系画廊は二つしかないのに対し て、韓国系は10以上もあるという 圧倒的な差があるし、中国系は専 用の美術館までパサディナ市に持っ ています。

日本の海外拠点の放棄と総引き上げの進行

藤原 米国各地に日本人街や日本 人地区が存在していたが、今では それが解体したり融解したりして 姿を消し、そこに韓国人やメキシ コ人が進出しており、それは坂田 さんが住むガーデナの町を見れば 一目瞭然ですね。

坂田 その通り。ガーデナは戦前 に日本から来た農民や庭師が住み、 ほとんど日本人一色のコミュニティ だったが今は違う。ロスの町の中 心近くには「リトル東京」が存在 し、日本人の存在感は昔から結構 あったし、80年代のバブル景気の 頃のロスのダウンタウンは、高層 ビルの八割を日系資本が買ったと 言われた。そして、リトル東京も 日本の経済界がシンジケートを作っ て、都市計画に協力して地域開発 に投資したので、ホテルニューオ オタニを中心にして賑わっていた が、今はホテルや書店は撤退して 閑古鳥が鳴いている。しかも、リ トル東京地区は外国の投資ファン ドが買ってしまい、日本語の看板 をつけた商店の大半は日本人の経 営ではなく韓国系で、経済面での 日本の衰退がはっきりしています。

藤原 最近の新聞記事からの受け 売り情報だが、1970年にホテ ルとショッピングセンターを作る 計画が始まって、鹿島インターナ ショナルを世話人代表として東西 開発会社を設立した。そして、当 時ロスに進出していた40社の銀行、 商社、メーカーなどの日系企業が 出資し、「ウェラi・コート」と 「ジャパニーズ・ビレッジ」の二 つのショッピングセンターを作り、 日米文化会館、日本国領事館、引 退者高層ホームなどを中心にして、 それがロスの「リトル東京」とし て賑わっていた。ところが、20 07年にホテルを含むリトル東京 の施設は売却され、テナントに通 知しなかったので大騒ぎになって、 「日本の敗退」と新聞に書き立て られました。

坂田 日本軍が転進と形容すると ころの総退却です。しかも、リト ル東京から一番先に逃げ出したの が日本国総領事館で、ガラス張り の高層ビルに移転してしまったが、 役人は自分本位で日本とか住民の ことは二の次でした。

藤原 商店街の「ウェラー・コー ト」は3D投資会社に売却され、 「ジャパニーズ・ビレッジ」はア メリカ商業財産会社が新所有者に なり、東西開発会社は事業を中止 して解散してしまった。最大の理 由は日本における経済活動の停滞 に加え、米国でのビジネスの低迷 だといわれているが、原因は日本 国内での経済政策の破綻のせいで す。

坂田 リトル東京を買収した陰の オウナーは、韓国系の資本だとい うのは公然の秘密です。それだけ でなくコリアタウンの発展は目覚 しく、ここに来て建築ラッシュの 中で開発計画が次々に推進されて おり、韓国人社会と日本人社会の 違いが好対照です。

藤原 サンフランシスコの「日本 人町」も同じ時期に売却されてお り、買ったのは「ウェラー・コー ト」を買収した3D投資会社で、 二つのホテルを含む日本人町は日 本人の手を離れた。この慌しい日 系企業による資産処分の売り逃げ は、満州における関東軍の敵前逃 亡に似ていますよ。

坂田 後に残された日本人町の商 店の経営者は、皆が当惑して町の 将来を心配しているそうです。ア メリカは多民族国家でエスニック 共同体が共生するから、別に日本 の資本にこだわる必要は無いと思 うが、日本人は団体行動をすると いわれているのに、共同で長期目 標を支える経営は情けないが三流 なんです。

自動車産業の隆盛に見る日本の幻影

藤原 日本の国際収支は巨大黒字 で外貨準備は豊かで、不況でも経 済的には大丈夫だといわれて来た。 また、自動車を始めとした日本の 機械工業界は、技術集約の威力を 発揮して外貨を稼ぎ出しているが、 長期展望による大局観に基づく投 資は下手です。

坂田 カリフォルニアに見る限り 日本車の優位は圧倒的で、どこを 見てもトヨタやホンダを見かけて 愛国者の私は嬉しくなるが、ここ に来て韓国のヒュンダイやキアが 目立っており、サムスンの二のま えにならないかと心配です。それ でも、かつては最高の自動車だと いわれたベンツを追い抜いて、レ クサスが米国でトップブランドの 栄誉を勝ち取り、技術力において 大いに評価を得ているのは嬉しい が、日本車を愛用するのはアジア 人が圧倒的です。トヨタは名古屋 の田舎大名だと言われたのに、世 界に「レクサスここにあり」と印 象付けるのに成功して、日本の技 術力を示した点で実に大きなヒッ トでした。

藤原 レクサスを作ったのはトヨ タという自動車会社だが、レクサ スを構想して米国市場で成功させ たのは本社の経営陣ではなかった。 セスナを操縦して全米を飛び回り トヨタの売り込みの大活躍した、 米国トヨタで名物社長だった東郷 行泰さんの手柄です。詳しいこと は彼の『アメリカに夢を売った男」 (ごま書房)に書いてあるが、東 郷さんは日本人離れの傑物で「レ クサス旋風」の仕掛け人です。タ イのバンコクの支店長時代には托 鉢僧侶の生活を実践し、米国トヨ タ社長を引退して72歳の時には、 セスナで単独世界一周飛行を実現 している。この東郷さんが技術の プロの豊田英二会長と二人三脚で、 現在の世界のトヨタを生み出す上 での貢献者です。1980年頃の 日本人には大局観を持つトップが いて、日本を経済大国にする上で 大活躍しているが、今は経済界に も政界にも人物がいなくなり、そ の功績と遺産を後継者たちが手柄 にしただけです。

坂田 日本人が小粒になった点は、 政治家を見れば貧困さが良く分か りますね。経験不足で小粒な世襲 代議士が大臣になり、目先の利益 と既得権維持だけしか考えなくなっ たために、そんな人物の動きを見 慣れている限りは、日本人の意識 が萎縮するのは当たり前です。そ の間に隣近所の国は着実に実力を つけて、手本の日本に追いついて 追い越しかねない。

藤原 四半世紀前と今では時代が すっかり変わって、過去30年の韓 国の追い上げは強烈だったが、そ れを中国は15年でやってのけたの に、日本人は過去の夢にしがみつ いたままで、相変わらず経済大国 だと思い込んでいる。確かに、国 内だけを見れば技術革新が実現し ており、電子財布のユビキタスが 普及したり、携帯のコンテンツが 豊かになったりしたが、国際基準 との整合性という点で見れば、タ コ壷の中の異常な発達が目立って おり、日本の携帯電話がたどって いるように、「カラバゴス島症候 群」が広がっています。

坂田 韓国に行くとインターネッ トの高速化が普及し、情報産業へ 国を挙げて遭進している様子が分 かるが、国が小さいだけに結束力 がとても強い。だから、何事もば らばらの日本人に較べて軍隊調に まとまって、団体行動で突進する 性格を持つ点では、韓国も北朝鮮 も中国以上に強烈な民族意識を持 ち、日本に対しての競争意識が強 いのに驚く。

藤原 80年代前半の韓国は軍人が 支配する独裁国家であり、民族意 識が強く反日感情が高い状況が支 配していた中で、韓国としては国 産車を生産していたが、ガラクタ でとても自慢できる製品ではなかっ た。アメリカの排気ガス規制をパ スできないから、輸出で稼ぐため には仕方がないという鬱積した気 持ちで、ヒュンダイは三菱製でキ アはマツダ製のモーターを搭載し ていたが、こんな状態が永久に続 くはずはない。だから、私はキア の社長に「モーターが作れずに米 国に輸出したらダメだ」とアドバ イスしたし、車のモーターくらい は誰でも作れるようになると励ま した。だが、失われた二十年で日 本が低迷していたら、自分でまと もなモーターを作る技術が無かっ た韓国が、最近では自前のモーター を搭載するまでになり、それを武 器に輸出攻勢を展開するに至って いる。しかも、自動車の決め手は スタイルではなくて、ボルトとナッ トを作る鉄の品質の良さだが、ど この国にも値段の安さが魅力で車 を選ぶ人はおり、それで韓国車は ここに来て良く売れています。

坂田 韓国はその後に日本からの 技術を導入して、自動車を世界中 に輸出する国になっただけでなく、 サムスン電子のように日本の日立 やソニーを追い抜いて、世界のトッ プに発展するまでになっています。 だから、前向きに積極攻勢をかけ る威力は絶大で、挑戦の姿勢は何 千億円もの価値を持っていました。 また、米国では韓国製は日本製の 二割から三割安いし、製造コスト の面で中国製は半値以下という値 段は、人件費の安さがもたらせた 成果は絶大です。人件費が安いこ とが勝負の決め手になるから、ソ ニーやキャノンにしてもメド・イ ン・ジャパンではなく、よく見る と韓国や中国での組み立てが圧倒 的です。

藤原 それが経済におけるグロー バリゼーションの実態であり、ト ヨタやニッサンの多くはカナダや 米国で作っているし、国民国家の 枠組みの意味が崩れています。だ が、自動車を商品レベルでなく輸 送手段の一つだと考えて、その側 面から議論するのが正当であるの に、日本入は大局を見ないで部分 にこだわります。そして、面子の せいで東京本社の指令に従うため に、真の意味での世界企業を育て るのが苦手だが、それには全体的 な把握による文明の次元の把握に 基づく、大局的な産業論の展開が 必要になります。(次号に続く)


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