『財界 にっぽん』 2010.04月号



生理と病理の診断と日本の健康な国づくり

政治評論家、前参議院議員 平野貞夫
vs.
慧智研究センター所長、フリーランス・ジャーナリスト 藤原肇



好評のうちに第3回を数え る平野鴨藤原両氏の特別対談 は、日本の政治の在り方につ いて、厳しい意見と同時に、 温かい心のこもった意見が見 事に同居、両氏の日本に対す る思いが、政治家と、政治を 志す人たちの指針となること を願うばかりか、読む人の心 を揺さぷる対談となっている。 政権交代後の混迷する政治 は、新・旧が激突する壮絶な 権力闘争の様相を呈している が、そういった次元から1日 も早く抜け出し、国民のため の政治の実現が望まれるとこ ろである。



生理と病理の診断と「死に至る病」

藤原 健康と疾病の状態について 正しく理解し、社会の生理と病理 について診断する能力があれば、 社会が慢性病に蝕まれるのを回避 して、今のような亡国現象を呈さ ずに済んだはずです。
 診断能力がないのに応急手当や 痛み止めを飲ませ、病気を悪化さ せ日本の生命力を損なったのが、 自民主導のゾンビ政権による暴政 の実態でした。

平野 所得格差の拡大で貧富の差 が広がり、弱い者が犠牲になって 仕事がなくなってしまい、人々が 前途に希望を失うような状態は、 社会不安の原因として実に由々し い問題です。そのために政治への 無関心やシラケ層が増え、国民の 連帯感が急激に減少したことは、 社会の健康という意味で深刻な事 態ですよ。

藤原 スピノザは「悪とは何か」 を定義して、「連帯意識の消失で ある」と言っています。これは社 会学的にはアノミ!の蔓延だが、 この虚脱感を逆手にとって国粋主 義が台頭し、安倍や麻生による 「靖国カルト」が横行しました。

平野 出発点での自民党の寄って 立つ理念は、自由とデモクラシー に基づく自由社会の建設だった。 この自民党が政権交代せずに半世 紀も君臨し、独裁的な政治をして 社会の健康を損なったために、自 由は放縦に民主は愚民主義に変質 しました。

藤原 そうですね。民主主義や自 由主義の母体は健康な社会で、自 民党の一党支配により社会が硬直 化してしまい、気息奄々で重態な のが今の日本です。

平野 国によって歴史や政治風土 があるので、健康な社会とは何か という定義づけをするのは、言う は簡単でもなかなか難しい問題で す。
 ある国では不健康に見えても止 むを得ないし、別の国ではそれが まともということもある。だから、 健康な社会を作るのは難しい課題 だが、ただ、政 治社会学におい て生理と病理に ついて、それを 峻別することは どうしても必要 であるし、その 診断が政治をす る上での決め手 になるのです。

藤原 だから、 今の日本で最も 重要な政治課題 は、自民体制で デモクラシーと 議会主義が損な われたので、暴 政を放置した怠 慢の反省の必要 性です。
 きちんと過去 の過ちを摘出し て総括し、法治 国家の枠内で徹 底的な批判を加えて、その批判と 責任追及をきちんとすることです。 そう考えて『さらば暴政」を書い たのですが、メディアからは完全 に黙殺されて書評もありません。

平野 先生の『さらば暴政」を読 んだ日本人にとって、診断書が病 状の核心を突いて正しければ正し いほど、恐ろしくなって認めたく ない心理が働く。そして、出来る なら診断が間違って欲しいという ことで、黙殺される結果になった のではありませんか。
 日本では「暴政」は第一級のタ ブー言葉だから、「臭いものには 蓋」ということ以上に、忌むべき ものとして崇りを恐れるのです。 また、読後感として私の意見を付 け加えるなら、生理と病理という 言葉をキーワードに使い、民主党 が引き継いだ瀕死の日本の国が、 いかにボロボロになっていたかが 良く分かった。だから、本当は鳩 山首相が新内閣の大臣たちにこの 本を配って、「こういう間違った 政治にしないようにやろう」と手 渡したら、新首相は流石だと評判 になったと思います。

藤原 むしろ、小沢が小沢チルド レンの新議員たちに、「これが政 治家としての心得を学ぶ上で役立 つ、他山の石だから熟読せよ」と 言って配ったら、国会議員の意識 を向上させる上で、役立ちました よ。

平野 ただ、今の民主党は政権交 代のことばかりを考え、日本の政 治をどう変えるかについて誰も考 えていないし、考える頭脳もない から全て役人任せです。だから、 官僚化して最も役人依存が強いの が民主党で、そこが新政権の問題 として致命的な部分なんです。


政治を見る目に必要な医学の素養

藤原 民主党のマニフェストの内 容や予算の使い方は、病気に対し ての治療法や処方箋の議論に属す ものばかりだ。より重要なのは病 気の正しい診断であり、それが今 の日本で最も欠けているのに、奇 妙だが誰もそれを言わないのです。

平野 それは実に鋭い指摘です。 生理から病理に至っている日本の 病状について、正確に認識するこ とから始めるべきで、私は藤原さ んのそのご意見に大賛成です。 『さらば暴政」の読後感で申し上 げた通り、生理と病理で社会判断 するというのは、仕分けの仕方と して最高のやり方です。それは親 父が開業医だった影響のお陰で、 健康維持が何より大切だと私は考 えており、社会でも個人でも健康 を損なえば病気だし、その予防と 健康管理が何にも増して重要です。

藤原 その通りです。昔から「命 あっての物だね」と言うし、生れ た時も死ぬときも裸なのであり、 世俗の欲望に翻弄されれば阿修羅 地獄で、閻魔大王に舌を抜かれて 終わるだけのことです。

平野 だから、先生が社会の健康 について取り上げて、自民体制に よる暴政が日本を破滅に追いやっ たのだから、健康な社会に戻そう という意見に接し、わが意を得た りという気持ちを強く持ちました。 また、世の中にはこんな発想を する人がいて、世界中で資源開発 の体験をした後で、アメリカで石 油会社を経営したという体験がこ ういう視座をもたらせたというの ならば、発想を持つに至った経過 を知りたいものです。

藤原 私は文学少年で中学時代か らフランス語をやり、ファシズム やナチズムの研究をしたかったが、 日本では歴史学科は文学部に属し て、数学が苦手の学生が圧倒的だっ たから、幾何学が好きな私には抵 抗があった。そこで、医学部に行っ て医者になることも考えたが、死 体の解剖をしないと免状が取れな いし、私は肉や血を扱うのがとて も嫌だったので、地球の医者とし て地質学をやったのです。

平野 地球の医者という発想は面 白いですね。実は私の父親は京都 の府立医専を出まして、爺さんの 遺言で開業医になったわけだが、 大正時代の初めに大山郁夫などと 一緒に、京都で医師としてセッツ ルメント運動をやった。その頃は 未だアナキズムの方が強かったこ ともあり、生まれ故郷が幸徳秋水 の出身地と同じなので、故郷に帰っ て医者として開業した次第です。

藤原 じゃあ、平野さんは生粋の 土佐自由党の後継者ですね。

平野 そういうことです。私は高 校生の頃に先生の影響を受けて、 政治活動に関心を持ち社会科学の 本を読み漁りました。親兄弟は皆 で私に医者になれと言ったが、医 学関係の学校に二年ほど行ったけ れど、医者になるという気持ちに なれなかった。それで大学では社 会問題について勉強し、せいぜい 武力革命を起こして30歳で死に、 社会さえ良くなれば満足だと考え ていた。私は毛沢東の『実践論」 と『矛盾論」を愛読し、多くの仲 間が私を共産党に入れようとした が、あの教条主義と官僚主義は嫌 でした。

藤原 毛沢東主義者だと聞いて成 る程と思ったが、私はマルクスで はなくてエンゲルスが好きであり、 高校時代に『自然弁証法』を愛読 したお陰で、自然科学者としての 道を選ぶことになりました。

平野 土佐は自由民権運動の本拠 地であるし、吉田茂の影響が至る 所に広がっており、親父が開業医 として吉田茂や林譲治と親しく、 その関係で地道な政治活動に転じ ました。学生活動に一時のめり込 んでいたが、私は吉田と林の両先 生に説教と指導を受けて、衆議院 の事務局に勤めるようになりまし た。また、園田直衆議院副議長だ けではなくて、前尾繁三郎衆議院 議長の秘書官もやり、特に戦後政 治の三賢人だった前尾さんの議会 運営は、生理学の原則に合う素晴 らしいものでした。

藤原 前尾さんは昔の大蔵官僚の 風格と見識を持ち、戦後の復旧期 の日本の財政について貢献し、彼 に育てられた大蔵官僚の話では、 外国人に尊敬され賢者の名にふさ わしい人のようです。私の知人に 大蔵の官房長から国税庁長官を経 て、博報堂の社長になった近藤道 生さんがいて、彼は何時も巻紙に 墨筆の手紙をくれます。彼は前尾 さんの通訳として戦後の欧米を訪 れ、前尾さんの人柄を絶賛してい ましたよ。


東大閥から脱却できない大蔵官僚の蹉践

平野 前尾さんの通訳を最もやっ たのは宮沢喜一で、彼は大蔵省きっ ての英語使いで、名人級であり、 色んな興味深い話があるのですが、 生理と病理について関係したエピ ソードとして、秘話をここでひと つ紹介してみましょう。
 中曽根内閣の時に宮沢さんが総 務会長で、ちょうどその時に衆議 院の選挙区の定数がアンバランス であるということになり、最高裁 で違憲だという判決が出ました。 そこで議員定数の是正が必要になっ たが、これには自民党は大もめに なって騒然となり、政府案が総務 会で承認されなかったのです。

藤原 定員の変更は議員には死活 問題だから、国政よりも自分の既 得権に目ざとい議員にとって、大 いに紛糾の種になったことだろう と思います。

平野 そこで宮沢総務会長が衆議 院の事務局の私に、どう対応した らいいか非公式に問い合わせてき たので、選挙制度については全会 一致はあり得ないから、これは党 議を外してフリートーキングがい いと答申した。
 これによって自民党は結党以来 初めて、自由投票にするやり方に 踏み切ったのです。

藤原 それは世界の民主国では当 たり前です。国会議員が自分で判 断しないで党議に従い、ボスが勝 手に決めた党議に従うのでは、ソ 連の共産党の中央委員会のやり方 と同じであり、議員ではなくてロ ボットに他ならないです。

平野 誰が考えても当然のことな のに、自民党ではそれも分かって いないのです。
 いずれにしても、宮沢さんから 「良いアドバイスを頂いたので、 折り入って会いたい」という連絡 がありまして、二人で会ったら宮 沢さんが「どうもお世話になり有 難う」と言いました。続いて宮沢 さんから「政治に関わっていく上 で、最も大事なことは何ですか」 という質問があり、そこで私は 「政治の現象は人間の体と同じで あり、病気に見えても生理現象の 時もあるし、病気でも生理的に異 常でない時もある。この時に診断 を間違えてしまい、生理の時に変 な薬を飲ませたら、とんでもない ことになる」と答えました。

藤原 血が出たからといって女性 の生理の時に騒げば、これはとん でもない誤診になってしまうのに、 政治の世界ではこの種の誤診が頻 繁です。

平野 だから、「政治家はそんな に勉強しなくてもいいが、何が生 理で何が病理かが正しく分かり、 それを取り違えないことです」と 私が答えたら、宮沢さんが「つい てはあなたの学歴を聞きたい」と 言うのです。そこで「私はあなた に告げるような学歴はない。ただ 私が他の人と違っていることは、 医学関係の学校に二年ほど行きま して、それから社会科学に興味を 持ち社会学部に行き、その関係で 衆議院の事務局で働いています」 と答えました。そうしたら、宮沢 さんは「東京大学の医学部中退で すね」と言ったのであり、彼はそ れを信じたまま亡くなっているの です。

藤原 東京大学の法学部だけが日 本の代表で、それで日本を動かせ るという明治以来の発想が、今の 日本をこれだけダメにしてしまっ たのです。


西周とジョン万次郎との出会い

平野 ところで藤原さんは日本の 大学ではなくて、フランスに渡っ てて学位を取っておられるが、ど うしてグルノーブル大学に留学し たのですか。

藤原 私の専門の構造地質学の分 野では、世界一の先生がレニング ラード大学にいたのですが、ソ連 政府の給費留学生試験に落ちてし まい、その次にいい先生がいるグ ルノーブル大学に行きました。
 それにしても、お爺さんの影響 で自由民権に目覚めたので、今の 政治家の平野さんが育ったわけで すが、私は母方の祖父は津和野の 生まれであり、その父親が森林太 郎と藩校の養老館に学んでいます。

平野 津和野のご出身ですか。津 和野藩は土佐藩と同じように幕末 に、多くの人材を生み出したこと で知られていますね。

藤原 その代表が西周でして、彼 はライデン大学に留学して国際法 を学び、軍人勅諭を作っています。 平野その西周に英語を教えたの がジョン万次郎で、この二人は文 明開化の日本に大きな影響を残し ています。ということは、土佐の 生まれの私と津和野出身の藤原さ んが、こうやって出会いを持った のも因縁であり、歴史は奇妙な形 で繰り返すという証拠として、こ の出会いは実に貴重だということ ですね。

藤原 そうでしたか。西先生は私 と同じでフランス語をやったから、 彼は英語が出来なかったので苦労 したことでしょう。また、祖父の 家には西先生の机という書見台が あり、母が亡くなった時に郷土館 に寄贈したが、机の裏面に「読書 百遍、義自ずから通ず」と書いて あり、西さん特有の丸文字で墨書 しているんです。

平野 西周は幕臣で議会政治の精 神を最も理解し、哲学や芸術とい う言葉を作った凄い知識人であり、 ライデン大学で国際公法や哲学を 修めている。

藤原 だから、私もライデン大学 に憧れたことがありまして、中学 生の頃から『百一新論」を愛読し たことで、全てが繋がって関連を 持つことを学び、生理と病理が一 続きであると理解できたのです。 平野西周は明治における日本最 高の知識人だが、軍人勅諭とか教 育勅語などについては、もう一度 きっちり検討し学び直す必要があ る。結局は軍人勅諭を守らずに戦 争にのめり込み、統帥権の独立な どと言い出したために、軍人とし ての職務の間違いが始まってしま い、大日本帝国を滅亡させてしまっ たのです。

藤原 私が戦前に生まれていたら 三宅坂の参謀本部か、海軍の軍令 部での仕事が最も似合っていて、 兵用地誌の専門家になったと思い ます。だが、構造地質学ではフラ ンスで一番の先生がいたので、グ ルノーブル大学に留学した結果、 地球の医者としての人生を歩むこ とになった。地球も社会も人間も 生き物であるし、医者が専門にす る健康を取り扱う学問こそが、結 局は全ての学問の基盤を作ってい るのです。

平野 幼稚な質問になるかも知れ ませんが、ご専門の構造地質学と いうのはどんなことをやり、医者 との対比ではどういうことになる のですか。


人間の医者と地球の医者

藤原 構造学は現象の背後に潜む 関係性を探る学問で、それによっ て色んな現象が規定されて出現す るから、意識に対しての集合無意 識とでもいうか、更に奥深い深層 無意識を扱っているのです。だか ら、構造地質学は地球のストレス の研究として、山脈の出来方や地 震や火山も関係するし、ある意味 で精神病理学の地球版に相当して います。

平野 だから、『さらば暴政」の 精神分析は絶妙であり、特に安倍 晋三に関しての記述は全くその通 りです。世界から見るとこれだけ 見通せるかと思い、全く凄いと感 じて恐れ入った次第ですが、背景 に精神病理学の応用があったので すな。

藤原 私が世界から眺めてこう観 察したというのは、同じような眼 力を持つ人には誰でも読み取れる わけです。こんな愚劣な人物を首 相にしたことで、日本が国の尊厳 と名誉を損なったという意味で、 安部首相の誕生は実に情けない粗 悪人事の見本になりました。

平野 藤原さんが本の中で良く論 じているが、日本人は政治家を含 めて「タコ壷」の住人です。だか ら、自分がいるツボの中だけで世 界を考えて、精神的な鎖国状態に いることのために、「井の中の蛙」 だという事実にも気づかない。

藤原 そうですね。それと共に、 地質学は46億年の地球の歴史を扱 い、タイムスパンが非常に大きい 学問であるので、私には百万年な どは一瞬の出来事だし、大局観で 歴史の事象を相似象として捉えて、 パターン認識を武器に自然を理解 します。
 しかも、人間の皮膚にかさぶた が出来た場合に、それを粉砕処理 すればセメントエ業だし、皮膚の 下に肉腫や塊が出来たので、それ を採掘すれば鉄や銅の鉱山になり、 膿やガス気泡を生産すれば石油事 業です。
 こうしてアフリカや欧州では鉱 山開発をやり、北米を始め全世界 で石油開発の仕事を体験し、地球 の医者としての人生を満喫してか ら、40半ばからビジネスの世界を 引退して、人生のまとめのために ジャーナリストになりました。

平野 人間の皮膚の下の病状に等 しい疾患で、地球における異常現 象をビジネスにする。しかも、そ れが文明の発達だという壮大な歴 史観は、地球の医者を自認する藤 原さんならではのものだし、こん な文明理論は今まで聞いたことが ない。
 それだけに政治の世界における 出来事が、政局という細事に捉わ れているために、末梢的な問題に 終始している現状を見て、幼稚だ と感じる気持ちが良く分かります。

藤原 しかも、われわれが直面し ている情報革命について、日本人 はもっと真剣に考えないと手遅れ になる。アニメや携帯のゲームな どにうつつを抜かせば、一億人が 情報化時代の文盲になってしまい、 世界の後進国に成り果ててしまい 兼ねません。
 また、平野さんが全人生を託し た政治について言えば、政党政治 は19世紀と20世紀の遺物で、組織 論的にも時代遅れの典型であり、 21世紀には全く役に立たないのは 明らかです。組織論についてはこ れまで書いた著書の中で、いろい ろと考察しているのでそれに譲り ましょう。

平野 文盲と後進国については異 議があるが、政界の後進性につい ては「わが意を得たり」ですよ。 だから、私は平成無血革命を成功 させることで、新しい政治システ ムを作る必要があると考えて、盛 んにそれを訴え続けてきたのだが、 誰もそれに対して共鳴してくれな いために、いささか幻滅の悲哀を 感じています。
 それだけに民主党が本気になっ て革命遂行に取り組んで、このチャ ンスを生かして革命を成功させ、 日本が健康な国になるよう期待し たいと思います。 (つづく)


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