『財界 にっぽん』 2010.05月号



草の根民主主義とジョン万次郎の教訓

政治評論家、前参議院議員 平野貞夫
vs.
慧智研究センター所長、フリーランス・ジャーナリスト 藤原肇



日本人でユニテリアン
第一号のジョン万次郎

平野 藤原さんの「さらば暴政」 にはネオコンのことが書いてあり、 彼らの「弱肉強食」という政治的 な立場について、ジャングルの捉 としての社会進化論の形で捉え、 差別に基づく帝国主義の思想基盤 を論じてます。これはキリスト教 国家としてのアメリカにおいて、 差別と平等の二つの対立した考え 方に関し、社会における現象の根っ こについて触れているので、私に はとても興味深いと感じた次第で す。ネオコンが貧欲な政治を実現 したのに対し、その対極にある米 国のキリスト教の運動として、ユ ニテリアンという特異なグループ が存在するが、重要なのは人種差 別をしない特色を持っている点で す。

藤原 キリスト教は自分たちが神 から選ばれた存在だという、一種 の選民思想に基づいた宗教グルー プといえるが、出発点には奴隷だっ たユダヤ人たちによる、劣等感が 逆立ちした形での選民思想が見え る。だから、顕教として一神教の カトリックやプロテスタントに対 して、異端の宗教として排斥され た多神教的なものが、グノーシス 派として地下に潜った形で存在し、 それが原理主義的なピューリタン 思想に生きており、その代表がユ ニテリアンだと私は考える。だか ら、ユニテリアンが多神教的であ ると共に密教的でもあるから、古 神道や道教に共通するものを内包 するので、日本人にとって親和性 を持つのだと思う。

平野 その密教的という指摘はと ても興味深い。そこに今後の日本 の政治が求める方向を考える上で、 草の根民主主義の持つ意義を理解 して、この思想を政治の上に反映 したら良いと私は思うのです。と いうのは、ユニテリアン信仰の根っ こにある思想としては、日本の仏 教や古神道を含めた東洋的な考え 方、あるいは、中国やインドの考 え方に似た生き物すべてが支えあ い、共生するという思想がとても 強く生きている。しかも、万人救 済で人種差別をせずに平等に生き、 異文化や異宗教とも融合して共生 することで、自然環境に調和して 生きることの尊重がある。だから、 19世紀の半ばの米国の草の根民主 主義を支えた、エマーソンやホイッ トニーを始めとした思想家や、ジェ ファーソンやリンカーンなどの大 統領も、ユニテリアン思想に共感 して支持をしていたのです。また、 共生の思想が根っこの部分にある が故に、漂流民として米国に行っ たジョン・マンこと中浜万次郎は、 日本人として最初のユニテリアン になったのです。

藤原 ユニテリアン思想について 平野さんの記事を読み、こんなこ とを論じる能力を持つ政治家が日 本にいたと知り、私はびっくり仰 天してしまいました。だから、ゴー ストライターが書いたのではない かと疑い、『財界にっぽん』の川 口社長に会った時に聞いたら、 「原稿用紙にエンピツで書いてく るから、本人が書いたのに間違い ありません」という返事でした。

平野 エンピツで書いて消しゴム で訂正するのが、私が慣れ親しん できた流儀である以上は、嘘や誤 魔化しは出来ないから見破られる…。 (笑い)

藤原 そうでしたか。ところで、 平野さんが「ジョン万次郎の会」 を組織して、ユニテリアンの思想 を普及しようとした背後に、草の 根民主主義への共鳴があると思う のですが、その辺についての背景 を説明してもらえますか。


議会で嘘をつかないという
議会政治の根本原理

平野 そうですな…。実は日本で 最も歴史を誇る社交クラブの交詞 社から、「ジョン万次郎に学ぶ」 と題して話して欲しいと頼まれ、 2009年の初夏に講演したこと があります。交 詢社は1880 (明治13)年に 出来たわけだが、 その頃の交詢社 は日本の社会や 文化に対して、 非常に大きな影 響力を与えていた。日本の近代化 や改革の中心的な集まりであり、 福沢諭吉を囲む財界人が結集して いたからです。

藤原 今だって日本の人事興信録 の分野においては、交詢社が発行 するものが最も権威を持っている し、特に慶応の卒業生を中心にし た財界情報では、その詳しい人脈 を知る上で最良のデータベースで す。
明治時代の日本人は幅広い視野 を持っていて、世界に向かって開 いた大きな展望を身に着け、文明 の流れを理解していた人がとても 多かった。ところが、世界と緊密 な関係で結びついているのに、現 在の財界人の多くは視野狭窄症で 金儲け専門だし、自分が直接関係 する分野にしか関心を払わずに、 文明全体への興味は至って僅かと いえます。

平野 明治の日本人には文明開化 が何より重要だったから、文明の 本質と実態に対して真剣に考えよ うとしたのです。

藤原 ところが今の日本では大違 いであり、知識として世界につい て知っていても、意識として日本 が世界の一員という自覚は希薄だ。 しかも、文明の本質について思い をはせる能力を始めとして、問題 の本質を掘り下げる人が激減して います。

平野 それは政治の世界について の理解と同じで、明治に較べて現 在の政治家の意識がいかに低いか を知れば、愕然とせざるを得ない ことですよ。明治の日本の政治家 や知識人たちの多くが、議会政治 の根っこにキリスト教文化があり、 欧米の議会が社会的な教会だと知っ ていた。
また、教会は心の教会と社会の 教会に別れていて、議会は社会の 教会として機能していたから、議 会では絶対に嘘を言ってはいけな いと知っていました。

藤原 現在の国会議員は議会で嘘 をつきまくり、上手に嘘をつくこ とが官僚や政治家の能力だと信じ られ、上は首相から下は陣笠議員 まで嘘を平気で言う。小泉や麻生 のような厚顔無恥な嘘つきに較べ て、鳩山は正直すぎて嘘が余りに 下手だから、ちょっとした誤魔化 しが大きな嘘に見えてしまう。

平野 議会で公人が嘘をつくとい う行為自体が、神に対して嘘をつ いたと厳しく追及されるので、欧 米では議会で嘘を言わない倫理が あり、それに明治の日本人が大い に敬意を払いました。伊藤博文の 側近だった金子堅太郎は、ハーバー ド大学に留学してユニテリアンを 知っており、学生仲間として知っ ていたフェノロサを東大に招いて、 エマーソンの思想を東大生に教え たし、福沢諭吉も慶応にユニテリ アンの神学部を作ろうとした。ま た、福沢諭吉の長男の一太郎はボ ストンにいて、知り合ったナップ 宣教師を日本に送り、宣教活動を するのを援助しただけでなく、こ のナップ宣教師は1888(明治 21)年に交詢社で、ユニテリアン の思想について講演しているので す。
当時の日本人は世界と共に生き ることに対して、それほど真面目 に取り組もうとしていたことが分 かります。

藤原 函館から密航して渡米した 新島襄とか、薩摩の密航学生とし て渡英した森有礼などは、ロンド ンでユニテリアンになって渡米し ている。しかも、森はストロンド ベリーの思想を強く受けていて、 明治の日本にキリスト教を持ち込 んだし、札幌農学校のクラーク博 士の役割も重要でしたね。


草の根民主主義と
ユニテリアンの博愛思想

平野 要するに、明治の初期の日 本は文明開化のために、キリスト 教を通じて議会政治を取り込もう とした。そして、ユニテリアンの 人類愛の思想に共鳴したせいで、 教育勅語にも「博愛衆に及ぼし」 とあるように、教育勅語にはユニ テリアンの思想が反映しています。

藤原 でも、その割にはキリスト 教は日本で伸び悩み、宗教的な普 及活動と発展という意味では成功 せず、ミッションスクールを除い て大した影響が残らなかった。こ れは幼稚な質問になりそうだが、 その理由はどこにあったのでしょ うか。

平野 日露戦争以降に日本では国 家主義が強まり、それが政治の表 面で支配力を持ったためです。し かし、隣人愛や困った人を救うと いう意味では、労働者や貧困層を 救済するという形を取って、労働 運動の中に足場を確立する方向で、 早稲田の安部磯雄教授の指導の下 に、鈴木文治が友愛会を大正元年 に作っています。

藤原 平成無血革命の成果として 民主党政権が出来て、鳩山首相は やけに「友愛」という言葉を連発 していますよね。だが、「友愛」 は18世紀から20世紀の初めに有効 でも、情報革命によってより開か れた関係の中で、世界化が進んだ 21世紀には時代遅れであり、むし ろ、日本語としては「博愛」とい う言葉を選ぶべきです。その理由 として私が考えるのは、博愛はオー プンだが友愛はタコツボ的であり、 閉鎖したグループだけにしか有効 性を持たず、結社、宗派、政党と いう狭い利益集団だけに、価値の 共有が限られていると思うからで す。

平野 その意見に私も賛成です。 国禁の鎖国を恐れずに日本に帰っ たジョン万次郎は、より、広い開 かれた考え方をしていたが故に、 英語を学びに来た若者たちにユニ テリアンの思想が、宗派ではなく 人心の運動だと教えました。そし て、世界がいかに広く開放された ものであり、日本が世界の一員と して国際社会に参加し、共に利益 を分かち合って生きることが、い かに大切であるかを丁寧に教えた ので、彼に学んだ若者たちが明治 から大正にかけて、日本の各界で 活躍することになったのです。

藤原 草の根民主主義が生きてい た時代の米国で、ジョン万次郎が 基礎教育を受けて人格形成した事 実と、明治の日本が彼を受け入れ たことは、非常に幸運に恵まれて いたことだと思います。だから、 明治の日本は文明の手本としての 米国に憧れを抱き、自由民権や議 会政治に強い関心を示した。そし て、プロシア流の強権支配をしよ うとした政府に対して、民間人が 民権と結ぶデモクラシーを求めて 闘い、大正デモクラシーを実現す ることになった。
それに、漂流民のジョン万次郎 や坂本龍馬が土佐の生まれであり、 自由民権運動は土佐を中心に発展 しているが、平野さんが土佐の人 間として衣鉢を継ぎ、議会主義と デモクラシーを訴え続けるので、 そこに不思議な波動の働きを感じ ます。

平野 そう言って頂けるのは嬉し いことです。足摺岬に近い土佐の 中浜で生まれた万次郎が、貧しい 漁民として漂流し九死に一生を得 て、アメリカの捕鯨船に救われて ボストンの近くで学校に行き、草 の根民主主義を全身で味わったの です。そして、捕鯨船の航海士と して地球を6周して、発展期のア メリカ文化をマスターして帰国し た時が、ペリーの来航と重なった のは実に幸運でした。


戦略的な判断力と
リーダーシップ

藤原 しかも、ゴールドラッシュ のカリフォルニアに出かけて、フォー ティナイナーという砂金探しの仕 事まで体験し、帰国の旅費を貯め て日本に戻る計画を実行した。国 禁を破った男が故郷に戻る努力を した人生は、それ自体が素晴らし いロマンに満ちたドラマだが、鎖 国から開国に転換する時代だった から、彼は実にラッキーな運命に めぐり合わせたわけです。

平野 琉球に上陸して開明派の薩 摩藩と接点を持ち、島津斉彬に見 出されたのが第一の幸運であり、 土佐藩主の山内容堂との出会いが 第二の幸運でした。

藤原 だが、それにも増して、徳 川幕府の中老に阿部伊勢守正弘が 健在で、ジョン万次郎の能力を評 価したのが最大の幸運でした。 『さらば暴政』の中に勝海舟の言 葉として、「アメリカでは、政府 でも民間でも、およそ上に立つも のは、皆その地位に応じて怜悧で ございます。この点ばかりは、全 くわが国と反対のように思います」 を引用して置いたが、それは黒船 が現れた後の出来事であり、その 前段階の幕府には阿部正弘を始め 優れた人材がいた。だが、不幸な ことに有能な人材が次々と急死し て、肝心な時に幕府の人材が払底 してしまった。

平野 私もそのエピソードを交詢 社の講演で紹介したが、この発想 はジョン万次郎が勝に吹き込んだ と幕府に誤解され、ジョン万次郎 は軍艦訓練所を首になり、それか らは教師や通訳をしたとはいえ、 より自由な民間人として彼は生き たのです。

藤原 ジョン万次郎はアメリカ人 が作った本を始め、いろんな工業 製品を日本に持ち帰っているのだ が、特に興味深いのはミシンを買っ た点です。当時のミシンは画期的 な産業発明品の代表であり、アメ リカではソウイング・マシンと呼 ぶのだが、各国の文明度によりマ シンの意味が違っている。日本で はミシンがマシーンの代表になっ たのに対して、イタリアではマキー ナは自動車を指しており、フラン スではマシャンは俗語で小道具と いう意味です。また、アメリカで はミシンはマシーンの一部を意味 するし、自動車はカーやオートモー ビルという前に、ドライビング・ マシーンというのが機械の意味論 です。

平野 それは非常に面白い話です な。国によりマシーンという言葉 の意味する内容が、全く違ってい ると知るのは有意義です。それが 理解できていたから、福沢諭吉も ジョン万次郎も字引に関心を持ち、 ウェブスターの英語辞典を一緒に 買ってきたのだし、二人とも文明 開化に対して貢献しています。

藤原 言論活動がデモクラシーの 基礎だと考えたので、新聞を発行 することに明治の先覚者たちは情 熱を傾けたが、現在の日本にはそ れだけの人物がいない。新聞が中 生代の末期の恐竜と同じ状態で、 絶滅しかけている現在の言論界は、 生命力を喪失してまともに機能し ないが故に、政治の異常を診断す る能力を失いました。

平野 そこに今の不甲斐ない亡国 現象の原因と、人材枯渇という致 命的な欠陥が浮き彫りになってい るが、それを嘆いても社会は良く なりません。
これまでの自民体制による暴政 は実に酷かったが、それに代わる べき民主党に人材がおらず、代議 士の多くが未熟で経験不足に加え て、自分が実力不足だという自覚 すらもない。鳩山首相の周辺を官 僚出身の代議士が取り巻き、役所 で係長が課長補佐をやったくらい で、官僚生活に見切りをつけて議 員になった者も多い。
あるいは、松下政経塾あたりで 政治教育を受けて、即席で政治運 営の知識を覚え込んだだけで、小 手先の政治活動をした程度で議員 バッチをつけても、若手の役人や 塾生程度の知識と経験では、国政 の舵を取るだけの力量や判断力は ない。だから、彼らが頼りにする のは肩書きとしての地位だけだか ら、出世して肩書を得ることに熱 中するのです。

藤原 大臣になったことで偉くなっ たと誤解し、不適切なことまで得 意になって喋りまくって、実力の なさを露呈して嘲笑されている。 今の日本の閣僚は本当に実力が無 い人が多いですね。


実力の伴わない大臣や
首相補佐官の跋扈

平野 その典型が単なるマニフェ ストにこだわってしまい、マニフェ ストを憲法以上に重要だと誤解し て、マニフェストに書いてあるか ら断固やると発言し、政治家とし ての資質を疑われた大臣が目立つ。 マニフェストに中止と書いてある から、八ツ場ダムは中止だと大臣 が発言したのでは、政治のダイナ ミズムのイロハも知らないわけで、 政治が話し合いの場であることも 分からずに、マニフェストに振り 回されているだけでは困ります。 政治を担当する責任者に必要なこ とは、行政を処理するという役人 的な能力ではなく、戦略的に物事 を識別して取り扱う能力であり、 これは判断力に基づく指導性に関 わっています。

藤原 政治の指導体制がお粗末だ という点では、自民党政治の末期 は誰の目にも亡国だと分かったが、 そのことは『さらば暴政』で指摘 しました。最悪なのは安倍内閣に おける主要人事だったが、大臣か ら首相補佐官に至る全員が支離滅 裂で、世界から物笑いになっただ けではなく、日本の信用は丸潰れ で恥ずかしい限りでした。

平野 大臣が自殺したり絆創膏を 張ったりして、正に国会が漫才劇 場になった感じだった。また、小 池百合子や世耕弘成などについて、 首相補佐官になった人事への藤原 さんのコメントは、お粗末さの指 摘としてズバリ的中だった。それ に中国の古典から引用した文章の 持つ威力は、問題の核心をついて いて実にお見事でした。

藤原 『戦国策』にある人材抜擢 の序列によれば、「礼を尽くせば 自分の百倍も優れた人材が、敬意 を表せば十倍優れた人材が集まっ て来る。対等に振舞えば同じ程度 の人間が、怒鳴りつければ下僕が 集まるだけだ」というのだが、こ れを下僕をかき集めた自民党政権 だけではなくて、鳩山内閣の人事 にも有効な名言ですよ。

平野 怒鳴りつけなくても尻尾を 振って集まる、無能な上に意地の 汚い連中が実にたくさんおります な。

藤原 鳩山は首相補佐官に代議士 を任命しているが、部下の代議士 なら必要に応じて考えを問えばよ く、部下にいない大局観を持つ優 れた人物は、「三顧の礼」を以っ て招く必要があるのです。ところ が、専門知識も経験も無いない議 員を抜擢して、そんな人物に補佐 の仕事を託したのだから、狂気の 沙汰と言うしかないと思いました。 しかも、有能な人材は厳選して選 ぶのが鉄則であり、補佐官の数を 増やせば「枯れ木も山の賑わい」 で、「船頭多くして船が山に登る」 だけですよ。(笑い)

平野 私は外部から優秀な人を厳 選して招き、政治家が持ち合わせ ない能力を活用するために、また とないチャンスを逸したと思いま した。ジョン万次郎の例からして 優れた日本人は国外にもいて、誰 が真に優れた人材かを普段から知っ ていれば、必要な時には選ぶこと が出来るはずです。

藤原 ところが、日本人は事大主 義とタコ壷発想のために、高所か ら広い展望に立って人材を選ばな いで、有名人か身の周りにいる人 間の中から、使いやすい人間を拾 い上げるという傾向がある。本当 に有能な人は気軽に引き受けない し、必ず条件を出して責任と権限 を要求する。カネや肩書きには釣 られないから、「三顧の礼」を以っ てする処遇が不可欠で、真の人材 を迎えるのは難しい仕事です。


憲法感覚の重要性と
その見落とし

平野 代議士が人気で選ばれてい るために、日本ではタレント候補 がもて唯されているが、「出たい 人より出したい人」というように、 本当に優れた人は喜んで尻尾を振 らないものです。私は国会議員を 辞め現役から身を引いたが、民主 党員である立場から発言するなら ば、国政を託せるだけの議員は余 りいない。それでも、平成無血革 命を成功に導くためには、再びか つての暴政を蘇らせることなく、 議会制民主政治を実現することが 肝要です。だが鳩山政権が抱える 問題点として心配なのは、憲法感 覚が欠如していることであり、国 家の運営は単なる行政行為ではな くて、憲法との関わりを考える必 要があるのです。その点で憲法を 軽視する態度は厳禁だし、議員立 法の禁止は議会制度のために許さ れるべきでなく、国会は国権の最 高機関だから立法権の拘束はいけ ません。

藤原 賛成です。それと共に、議 論の場としての国会の質を高める ことで、世界で一流として活躍し ている人材たちが、議論に参加す るだけの魅力を持つように、体質 改善と大掃除が必要だと痛感しま す。現在の国会に世界的な人材が 参加しても、こんな低劣なレベル の中で仕事をすれば、世界の一流 が一ケ月もしないうちに、世界の 四流に成り果てる危険がある。今 の日本はそれほど酷いのに気づい ていない。

平野 これは厳しい評価ですな。

藤原 日本では大学生でも本を読 まなくなってしまい、劇画やマン ガ程度のものしか読めなくなって しまった。また、大衆レベルでは 世界でも最低のお笑い番組が、テ レビでのべつ幕なしに放映されて おり、そこで人気を集めた電波芸 人たちが選ばれて、知事や国会議 員になっているために、政治のレ ベルが最低である原因を作ってい る。だが、日本人はこの事実に気 づいておらず、世界で物笑いになっ ていることも自覚せずに、自国が 没落しているとは夢にも思わない。 しかも、かつては世界一だった児 童の学力レベルが、毎年のように 低下して行くのを放置したので、 今では先進国の中で二十番ちかく になり、それが国力の低下を加速 させているし、産業界は中国や韓 国に追い抜かれかけていて、それ が日本の混迷の原因になっていま す。

平野 困ったことだがそれが現実 だとしたら、早急にその問題に取 り組む必要があり、高校の授業料 の無料化という細事ではなく、日 本全体のレベル向上というより重 要な問題に、真剣に取り組むこと が政治の課題です。
ジョン万次郎がアメリカで学ん できた大切なことは、幅広い視野 と教養の重要性にあった。また、 それは草の根民主主義の基盤にな るものであるし、そこに時代を導 くリーダーシップがある以上は、 日本の将来を決定付ける決め手に なるのです。 (完)


記事 inserted by FC2 system