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国旗の精神分析学
1 名前: ナニワの田吾作 投稿日: 2003/03/13(木) 23:52
ブラジルの国旗と社会学者コント


                 
正 慶   孝

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 コントと社会学

 ブラジルの国旗は、よく知られているように、図案のほかに文字が書かれている世界で類例をみないめずらしい国旗である。世界中の国旗を全部調べたことはないのではっきりとはいえないけれども、国旗に文字が書かれている例は、ブラジルを除けばあるとしても一、二であろう。その文字とは、ordem e progresso というポルトガル語で、英語におきかえれば、order and progress であるから、「秩序と進歩」という意味になる。それでは、なぜ、このような語がブラジルの国旗に書き込まれているのであろうか。
 その理由はブラジル連邦共和国の建国と大いに関係がある。一国の国是ともいうべき語が国旗に書き込まれているのは、一八八九年のブラジル共和国の建国の際に建国者にもっとも影響を及ぼした思想家が、社会の「秩序と進歩」の条件を明らかにしようとした、十九世紀に活躍したフランス人のオーギュスト・コントであったことによるのである。
 オーギュスト・コントの学説をブラジルの近代化のイデオロギーとしてブラジル人に徹底的に叩き込んだは、ベンジャミン・コンスタントという人物であった。かれは陸軍士官学校の出身で、一八五二年、かれがその学校の校門をくぐったころには、すでにコント主義の影響は学校中に瀰漫していたという。そこで、コンスタントはコントの学説の洗礼を受ける。その後、かれは陸軍士官学校の数学の教授に任命されるが、その教え子たちにコント主義を徹底的に叩き込む。それが普及して、徐々にブラジルの中産階級のイデオロギーに、さらにはブラジル近代化のイデオロギローと化して、一八八九年のブラジル共和制実現の際、国旗にも反映されることとなるのである。コントは、こんにち社会学とよばれている学問の創設者であった。

2 名前: ナニワの田吾作 投稿日: 2003/03/13(木) 23:55
本文が長すぎて分けさせて頂きます。 社会学の誕生

 近代の社会科学は、紀元前から存在した政治学や法律学のように古くからある学問の近代バージョンとは異なり、十八世紀の経済学から始まる。「必要は発明の母」の諺のように、学問も必要に応じて「発明」される。
 近代市民社会が生まれて、経済活動が市民の「自由放任」の活動に任せられているにもかかわらず、全体としての市場経済が大きな破綻もなく作用していること、そこには当然秩序が存在しているに違いないということから、経済学は生まれた。「経済学のアダムでありスミスである」といわれるアダム・スミスが、銘々の個人が利己心に基づいて勝手気儘に活動している経済活動が無政府状態に陥らずに全体として調和が保たれているのはなぜか、という理由を見つけようとして、『諸国民の富』(一七七六)という書物を上梓した。ここに科学としての経済学が発足したのである。スミスが、市民の自由な活動によって成立している市場経済のなかに貫徹しているメカニズムの働きを「見えざる手」とよんだことはよく知られているとおりである。
 次に誕生したのは、社会学であった。十八世紀から十九世紀にかけてのヨーロッパは、市民革命でアンシャン・レジューム(古い秩序)は崩壊したけれども、革命によって社会の秩序は、乱れに乱れてしまい、多数の血がながされ憎悪が憎悪を生んでとどまることがないという状況にあった。特にコントの祖国フランスは、一七八九年に勃発したフランス大革命から数十年にわたって動乱がつづいて社会は混乱のまま秩序を失しないアウト・オブ・コントロール(制御不可能)の状態にあった。このような時代に人となったコントは、社会の秩序はなにによって維持され、また、社会が進歩するあるいは人間の精神が進歩するとはどのようなことであるかを検討した。それが社会学とよばれる学問の誕生に結びつくのである。
 前にあげた order という語は、命令と秩序の意味を分有する語である。このことはある地域の権力者の命令が守らられればその地域の秩序が維持される、ということからきていることを示唆するであろう。ある人とは封建時代においては荘園領主であった。領主の命令は絶対で、そこに居住する領民あるいは農奴の生殺与奪の権を領主は握っていた。西洋中世においては、領主は初夜権さえもっていたのである。order が命令であり秩序を意味するのは、そのような歴史的含意があるからである。
 かつて、「ローマの平和」(パックス・ロマーナ)とか、「英国の平和」(パックス・ブリタニカ)とかよばれる時代があった。これはその時代の覇権国家(ヘゲモニーを握った国)が、最強の軍事力を背景にして、他国に「命令」を発して「秩序」を維持してゆくことを意味する。冷戦後の現在、「新しい世界秩序」(ニュー・ワールド・オーダー)の維持者は米国であるところから、「米国の平和」(パックス・アメリカーナ)の時代がつづいている。
 さらに、この語には勲章とか修道会とか騎士団とかの意味があることも、よく知られていることであろう。これらの語も命令と秩序に関連する。勲章とは国王あるいは皇帝が授けるもので、ヨーロッパなら騎士団、日本なら武士団の団員に選ばれたことを表徴する徽章である。日本には菊花とか旭日とかの勲章があるが、これらの勲章は菊花武士団、旭日武士団などの団員であることを証明する徽章である。たとえば、イギリスにはガーター勲章がある。これはエリザベス女王を団長とするガーター騎士団の団員であることの証しを意味する徽章である。
 ローマ・カトリック教会にはたくさんの修道会がある。その修道会のことを order という。これは、修道士になるには、従順、童貞、清貧の三つの誓願をたてて修道士になり、神の代理人であるローマ教皇を頂点とするハイアラーキー(階層組織)の一員としてその命令に絶対服従することを誓うからそういうのである。
 コントは、市民革命によって「新しい社会」が誕生したものの、暴行、殺戮、盗奪、詐欺、乱倫、逸脱等の絶えない社会的病理に直面して、社会の秩序がなにによって維持され、また、人間精神がどのような形で進歩していくのかを深く考究したのである。これが実証主義哲学であり、社会学であった。また、晩年のコントは、科学者から宗教家に変貌し宗教的になっていき、人類教とよばれる宗教を創始した。一名コント教とよばれる、この宗教が海を渡って、ブラジルに根づくことになる。ブラジルには、このコント教の教会である「ブラジル実証主義教会」あるいは「人類教会」がある。コントと因縁浅からぬブラジルが、このコントのスローガンであった「秩序と進歩」を国是として国旗に刻みこんだのは、このような事情があったからである。

3 名前: ナニワの田吾作 投稿日: 2003/03/13(木) 23:57
 内務省という役所

 ここ十数年の日本は、「空白の十年」などといわれているように、さまざまな問題が次々に発生し、秩序は乱れに乱れている。以前は「空気と安全はただ」であると、日本は評されてきたけれども、空気はともかくとして、いまでは残念ながら安全は決してただではなくなっている。凶悪犯罪が激増しているばかりではなく、その検挙率も著しく低下している。迷宮入りのまま時効を迎えてしまった殺人事件も増えている。日本の「安全神話」は、すでに崩壊しているのである。
 戦前、警察行政を担当していたのは、内務省という役所であった。内務省は、外交を担当する外務省に対応し、昭和二十三年に廃止されるまで内政を相当部分担当していた大きな官庁であった。その一局が警保局で、今日の警察庁にあたる役所である。警察のことを英語ではポリス(police)という。しかし、この語はもともと警察を意味する言葉ではなかった。戦前の内務省でいえば、その仕事全体がポリス、すなわち内政全般をポリスというのである。
 それではどうして広義では内政全般を意味するポリスが狭義の警察の意味になったのであろうか。これは近代市民社会の成立および発展と密接な関係がある。前にのべたスミスは、国家の経済活動に対する介入・干渉をできるだけ少なくすることが経済発展にとって必要不可欠の条件であることを、説いた。これは政府の仕事が最小であることを必要とする。一七七六年、スミスの著書が上梓された年は、奇しくもイギリスの植民地であるアメリカが独立戦争をしていた真っ最中で、アメリカ側が「独立宣言」を発表した年である。スミスは、著書の『諸国民の富』のなかで植民地支配の不当なことを主張しているけれども、経済活動の自由と市民の政治的自由とは同伴者であり、この時代は「新しい社会」の始まりの時期であった。
 スミスの自由放任の主張は、政府の仕事は治安の維持、義務教育、道路工事、国防などの仕事にできるだけ限定されるべきで、多くのことは市民の自由な活動に任せておくべきだというものであった。スミスの時代には自由主義を唱える思想家が輩出した。多くの思想家は、スミスと同様、政府の重要な仕事のひとつは治安の維持すなわち警察の仕事である、と考えた。そのような時代背景の下で、内政を意味するポリスが内政のうちの重要ではあるが、その一部の仕事にすぎない警察の意味に転じていったのである。
 アメリカ独立の立役者のひとりで独立宣言を起草したといわれるトーマス・ジェファーソンは、「最良の政府は最小の統治をする政府である」と、いっている。「最小の統治をする政府」のことを経済学者は「安価な政府」という。この「安価な政府」は、ラサールのように「夜警国家」と揶揄した人もいるように、夜警ぐらいしかやらない政府という意味である。
 もともと、ポリス(polis)とはギリシアの都市国家のことで、このポリスから警察を意味するポリス(police)という語や政策を意味するポリシイ(policy)などの語が派生している。一般的にはポリシイといえば、「外交の」を意味する foreign という形容詞がなくても、外交政策を意味していた。
 自由放任というのは、「勝手に死んでしまってもよろしい」という含意があることはもちろんである。これがダーウィンの適者生存という生物学説と結びついて、資本主義下の生存競争を正当化したのである。
 近代国家建設の指導者であった大久保利通が明治十一年に暗殺されたとき、外国の新聞は、日本の首相(the PrimeMinister)が暗殺されたと報じたが、それはあながち間違いではなかった。大久保は当時、厖大な権限と予算とをもつ筆頭の役所の長官すなわち内務卿であったからである。
 首相すなわち内閣総理大臣は、英語で the Prime Mini-ster ということはだれでも知っている。prime は首位の minister は大臣のことだから、筆頭の大臣すなわち総理大臣ということとなる。大久保は実質上筆頭の大臣であったからである。
 しかし、正確にいえば the Minister of Interior である。minister という語も興味深い。mini は mini skirt の mini から推測できるように、「小さい」、そして sterは「奴」という意味なので、直訳すると、「小さい奴」あるいは「小物」というような意味である。だれに対して「小物」なのかといえば、もちろん王様に対してである。王様の卑小な召使えという意味が minister の原義なのである。外交使節で公使のことも minister の語をつかうが、これは王様の使いをするからである。日本では天皇のお側近くにつかえる高い地位にある臣下のことを大臣というのと対照的である。

4 名前: ナニワの田吾作 投稿日: 2003/03/13(木) 23:59
人類教とコント

 ところで、オーギュスト・コントは、社会学の創設者であると前に述べた。コントは、ラテン語の socius とギリシア語の logos とをあわせて sociologie (社会学)という学問をつくった。
 コントは、一七九八年にモンペリエで生まれた。フランス革命の勃発から九年目のことで、軍人のナポレオンがヨーロッパ大陸を荒し回っていた時代のことである。なくなったのが、一八五七年のことであった。天才は時代を超越するけれども、同時に時代の子でもある。この時代背景がよい意味でもわるい意味でもコントの学問を規定している。
 フランス革命を動かしてきたイデオロギーは、コンドルセーらの進歩史観が支配していた。また、「自由、平等、友愛」がそのスローガンであった。このスローガンは、フリーメイソンの標語から借用したものといわれている。
 しかし、その実態は、血が血をよび惨憺たるものであった。秩序はまったく失しなわれ、恐怖政治と暴力と謀略が社会を支配していた時代であった。このような時代にコントの学問が形成された。それは実証主義体系とよばれるもので、その主著は『実証主義講義』である。
 コントの学問体系のなかで人口に膾炙しているのは、おそらく三段階の法則であろう。これは人間精神の発展段階を表わしたもので、コントの学問の柱石になっている。三段階の法則というのは、人間の精神が神学的段階、形而上学的段階、実証的段階の三段階を経過して進歩するというものである。
 コントと限らず、物事を三部分に分けるのはユダヤ=キリスト教的文化の伝統である。キリスト教のトリニティ(三位一体)から始まり、弁証法(正・反・合)も三つの部分からなる。ダンテの『神曲』も「天国・煉獄・地獄」の三つの世界に分かれる。最近でも産業社会の発展段階をダニエル・ベルのように工業前社会、工業社会、工業後社会、あるいはケネス・E・ボウルディングのように文明前社会、文明社会、文明後社会のように、それぞれ三つに社会発展段階を分ける例は多い。三つに部分を分けることは、問題を鮮明にするのに役立つからであろう。
 前にあげたフランス大革命のスローガンも三つの用語からなる。この三つの用語を具象化したのが、フランスの国旗の「三色旗」(トリ・コロール)である。要するに三に分けると語呂がよいのである。現代は「第三の波」の時代だといった人もいる。アルビン・トフラーというアメリカの未来学者である。「第三の波」は、「第一の波」の時代、「第二の波」の時代につづく情報が中心の社会ということになる。
 このように、ヨーロッパやアメリカのキリスト教文化からでている思想は、物事を三つに分けて発想する思想が多いのである。十九世紀に活躍したダヴィッド・リカードというユダヤ系イギリス人の経済学者は、今日でもつかわれているように社会階級を資本家、地主、労働者の三つの階級に分けている。マルクスの経済理論も社会階級に関し、このリカードの理論を踏襲している。
 反マルクス主義の立場に立つケインズの経済学も同様である。かれによると、英国の階級は、投資者の階級、企業家の階級および労働者階級の三つの階級に分かれる。その他、例をあげるときりがない。
 コントの三段階の法則もこのようなヨーロッパの知的伝統に属するものであろう。コントによると、人間の精神が、(1)神学的段階、(2)形而上学的段階、(3)実証的段階の三段階を経て、発達するというのである。これが三段階の法則とよばれるコントの仮説である。最初の神学的段階とよばれるものは、さらに三つの時期に分かれる。フェチィシズム、多神教、そして一神教である。フェチィシズムは、物神崇拝のことである。すべての事物に神性が宿っているという信仰であり、つづく多神教というのは、フェチィシズムにとってかわって無数の神々を信仰することからある程度まで抽象化された神々を信仰することである。一神教は、さらに抽象化された唯一神(例、ユダヤ教、キリスト教およびイスラーム教)の信仰のことである。
 ここまで述べてきたことから多くの人は、これは原始未開社会の社会、古代社会、中世のローマ・カトリック教会の支配する社会をそれぞれうつしたものであることに、気づくであろう。
 形而上学的段階というのは、ルネサンスや宗教改革に始まって、フランス革命でピークに達する時期である。実証的段階というのは、科学の実証的精神によって支配される新しい理想の時代を意味している。

5 名前: ナニワの田吾作 投稿日: 2003/03/14(金) 00:01
コントの旗印

 以上のような仮説を唱えたコントは、自分の学問体系を要約的に示すものとして、「秩序と進歩」を旗印に掲げたのである。それが大西洋をはさんで対岸にあるブラジルに移入され、ブラジルの近代国家建設のスローガンとなっていったのである。近代国家は、国民国家(ネイション・ステート)としてまとまりを保つためには、なんらかの紐帯が必要である。ブラジルのような多人種・多民族国家の場合には、特にそのような必要は高いであろう。その紐帯となるものを図像学的に表現したのが、ブラジルの国旗なのである。
 興味深いのは、ブラジルの旧宗主国のポルトガルの思想家の思想ではなく、フランスの思想家のスローガンを借用していることである。それにはおそらくポルトガルに対する複雑でアンヴィバレントな感情がブラジル人の胸中に存在するとみても、そんなに間違いはないであろう。植民地人の複雑な思いが、この国旗の文字にも隠されているのである。国旗の精神分析学は大きなテーマである。ブラジル人の深層心理が、一見他愛ない国旗の文字のなかにも、潜んでいるのである。
 サッカー(アソシェーション・フットボール)のつよい国であるブラジルは、おそらくもっともサッカーを愛好する人口の多い国であろう。サッカー自体、世界でもっとも愛好されているスポーツである。それには社会学的あるいは経済学的理由も存在するであろう。サッカーは、ボール一個あれば、他のスポーツと違ってどこでもだれでも大勢の人がプレーできるスポーツであることが、愛好者の多いひとつの理由であろう。したがって、もっとも国際性のある球技なのである。比較的エリートのスポーツであるラグビー(ラグビー・フットボール)とくらべて、サッカーは大衆的なスポーツであるから、世界中のファンが多い理由であろう。
 今回のワールド・カップでは、ブラジルが優勝しておわった。そのサッカーで重要なのは、フォーメーションである。どのような隊形で相手側のゴールに近づき、だれにボールをわたし、そのボールをどの地点でだれがシュートして得点をあげるか、その隊形自体、国家建設の姿とよく似ている。相手側のゴールというのは、近代化という目標である。その目標を達成するためにはどのような国の形が望ましいのか、どの国のリーダーも考えるであろう。
 日本の場合、「富国強兵」、「殖産興業」であった。それを強力に推進したリーダーのひとりが、前にあげた大久保利通であった。このような近代日本が掲げた国家目標も、結局、社会あるいは国家の秩序を維持するとともに、社会あるいは国家の進歩を達成することにあったのである。
 国の形のことをコンスティチュウションという。これには憲法という意味もある。明治憲法発布の年の明治二十二年に暗殺された森有礼は、「日本国が三等の地位にあらば、これを二等におしすすめ、二等の地位にあらば、これを一等にすすめ、遂には万国に冠たれ」、と述べている。このハイカラな初代文部大臣の文句を忠実に実現しているのが、学校の運動会でよくみられる万国旗の飾りである。あの飾りは、「遂には万国に冠たれ」という意識を小さいうちから叩き込む手段であった。そして、つねに「世界のなかの日本」を意識させる絶好の機会であった。国家目標は、しばしば学校の運動場で涵養されるが、これはそのほんの一例である。

6 名前: ナニワの田吾作 投稿日: 2003/03/14(金) 00:02
 「陽はまた昇るか」

 ここ十数年、日本経済は停滞し、不況にあえいでいる。社会は秩序を失しない、進歩はやんでいる。前述のとおり、社会病理は大いに増大している。「日章旗」は、泣いているのではないだろうか。「ライズイング・サン」(昇る太陽)を形どっている「日章旗」は、日本経済の象徴でもあった。右肩上がりにドンドン成長した時期には、『ロンドン・エコノミスト』は、「昇る太陽」を特集した。しかし、いまの日本経済は「沈む太陽」の様相を呈している。そこで、「陽はまた昇るか」を特集している。
 経済政策の目標は、経済の秩序の維持と経済の進歩の条件を明らかにすることである。経済政策ばかりではなく、おそらくその他のさまざまな分野の政策もその目標は、秩序の維持と進歩の達成にあるであろう。
 いまの時点でいえば、日本経済の秩序の維持(経済の安定)をはかるためには、一日もはやく不良債権の問題を処理すること、そして経済の進歩を達成するには、イノベーションがつぎつぎと起こってくるような金融上財政上の条件を整備することであろう。戦後の経済復興に寄与した経済安定本部という役所は、戦争で失しなわれた秩序を回復し、戦後の経済の再建と成長(進歩)を達成するための政策を策定する役所であった。
 このようにブラジルの国旗は、さまざまなところで顔をのぞかせるのである。おそらく、社会科学とよばれる一群の科学は、ブラジルの国旗に掲げられているスローガンを実現するために、社会的に要請されている科学といっても、差し支えないであろう。また、ギリシアのポリス(都市国家)で発達した「民主主義」的な方法で「秩序と進歩」を達成するための条件を明らかにすることにあるといっても、過言ではないであろう。ブラジルの国旗は、興味深い問題をさまざまに示唆しているけれども、いままで述べてきたことは、その一例である。
 また、もはやいうまでもないように、コントの教えるとおり、問題解決にあたっては、実証的・科学的でなければならない。
 科学の時代とよばれる今日でも、カルト集団が出てきたり、迷信や誤解によってさまざまな紛争が発生している。それはコントの願いと反対の方向を示すものであろう。繰り返していうと、コントは、フランス革命を指導したいわゆる「進歩の観念」を否定したのであった。「進歩の観念」が正しいのならば、恐怖政治もギロチンも存在しないはずではないのか、というのがその立場であった。
 今日の国際情勢をみても、核兵器、化学兵器、生物兵器などの大量破壊兵器が存在し、人類は危機に瀕している。メガ・デス(大量死)の可能性がつねに存在する。ブラジルの国旗は、人類の平和という秩序の維持と、幸福の増進という進歩が、いかにして達成されるか、をつねにみる人に問いかけているのである。

7 名前: 花咲か爺さん 投稿日: 2003/03/14(金) 05:08
花咲じじいではなく花咲爺三という名前のために三に拘る訳ではないが、コンとの三段階の法則がヨーロッパ的な伝統であり、三に由来するのは三位一体を基礎にしたキリスト文化の伝統だというのは、弁証法の正反合をはじめダンテの神曲、フランス革命のスローガン、三色旗、リカードの三階級などなど、いろんな興味深い例が挙げられています。だが、果たして三はヨーロッパだけが重要視したものかどうかを考えてみると、中国の思想でも三は非常に重要視されていて、一、二は数として数えられる陰陽の世界に属しているが、三はそれを超える多数とかより上位の次元に連なるものとして、聖なる数を意味した全体に関係しているという三の記号論や意味論が考えられます。それにより分かりやすい例としては、天地人という三才は中国思想の根幹であり、これで西洋も東洋も三という数に対して特別な観念を持つと理解できます。だが、東洋や西洋よりなお歴史が古いメソポタミアやエジプトを視野に入れて考えれば、エジプトには三角錐で出来たピラミットがあるし、キリスト教の原典であるイシス神話やミトラ神話には、ギリシアにエディプス物語として伝わる三位一体の原型があります。でも、脱藩道場のメンバーなら良く知っている「宇宙波動と超意識」や「宇宙巡礼」を読めば、三角形の図が至る所にあるだけでなく、三が宇宙の法則を示す貴重な意味を持つことが示されています。その点でコンとの思想を反映したブラジルの国旗が、言葉の意味論として興味不快だけでなく、そこに描かれている地球が宇宙の一部であり、宇宙の中の素粒子的な存在としての立場で、ラチオ(レシオ)を体現していると理解したら興味深いのではないでしょうか。

8 名前: シアトルの山田一郎 投稿日: 2003/03/17(月) 06:18
正慶先生の実に深い考察と分かりやすい説明を読むことによって、「ジャパン・レボリューション」のあとがきの中に藤原さんが書いていた、「オフキャンパスの講義の醍醐味」という発言の意味しているこてが、とてもよく分かった。この資料を見つけて紹介したナニワの田子酢酸に感謝する。それから、三という数字の持つ意味の重要性については、花咲か爺さんのいうようにユニバーサルナも野田と思うので、誰かこの問題を掘り下げて検討するようにしたいが、もし正慶先生か藤原先生の発言が得られたら嬉しいと思う。

9 名前: 藤原肇 投稿日: 2003/03/23(日) 04:46
正慶さんの「国旗の精神分析」と題した論文の中に、ブラジルの国旗に記された言葉の由来の解説があり、秩序と命令についての意味論が展開されていて、興味深いと思った人が多かったと思います。実はこの国旗やコントの思想についての記述が、「ジャパン レボリューション」のまえがきを構成していて、本が出版になってから皆で討論するならば、実り多いだろうと予想して出版を待っていました。しかし、これで「まえがき」と「あとがき」がそろいました。
すると、山田さんがいみじくも指摘して評価したように、ナニワの田吾作さんが正慶論文を見つけて、掲示板の上に公開したのを目撃して驚きました。シンクロニシティが発動したということですが、ダルマを襲名した田子作さんのカンのよさに対して、さすが脱藩人の慧眼について感嘆する次第です。こういう鋭い先見性が今の時代に求められており、ただ掲示板を眺めて観衆の仲間に満足するのではなく、自ら積極的に知的探検を試みる人が増えれば、日本は未だ期待が出来ると思いました。
さて、正慶さんの論文は社会学をベースにしたものであり、その中に経済や哲学が含まれているとはいえ、いわゆる人文科学の枠組みでの見解が主体なので、orderという言葉が秩序、命令、勲章、結社という枠組みで扱われています。これを近代における思想一般に拡大するために、サイエンスにおけるorderという用語に関して考え、近代科学の基本である分類学(taxonomy)に着目し、ヒントとして次の概念を紹介しておきます。
生物学ではシステム思考で上位から下位に向けて、サブシステムにおける次の階層構造があり、これはホロコスミックスの多層構造を反映していて、ホロコスミックスは秩序の移相を内包しています。分類学ではより上位のものから次のような順で、界(kingdom),門(phylum),綱(class),目(oder),科(family),属(genus),種(specis)で下位に降りていき、オーダーはクラスより下位で家族を含むもので、これは共同体がそれを代表していますし、あとがきにおける小室さんの発言に繋がります。
知的営みとして区別は非常に大事だのに、日本では区別が差別と取り違えられていて、区別するのを回避する傾向が強いために、社会における知的混迷が進んでしまったのです。それを乗り越える試みとして続いているのが、脱藩道場における意味論についての議論だと思います。

10 名前: 西條 投稿日: 2003/04/02(水) 01:05
 正慶さんの著書『「遊戯人」の政治経済学』や「財界にっぽん」誌上での藤原
さんとの対談を拝読するたび、意味論を踏まえた諸概念の深い理解と思考整理
の上に、古今東西に渉る博識の上に築かれたインテリジェンスというものがい
かに素晴らしいものであり、遠くを深く見通す力を持つものであるかを学び、
いつも警策を打たれる心地を味わっています。

正慶さんが取り上げられたコントの「秩序と進歩」に触発され以下私見をのべ
ます

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現代における知識階層のミッション

 ミッシェル・ボーは「大転換の時代」(藤原書店刊)の中で、歴史を踏まえて、
現代は「メタ社会問題」を抱えて大転換期を迎えていると捉えたが、たしかに、
21世紀の幕開き後の世界は、世界金融寡頭制や帝国主義の基調の上に、巨大
多国籍企業を中心とする国際寡占体制の高度化や、貧困・人口・環境問題の深
刻化、技術革新と倫理・哲学との間のインバランス等々の問題が錯綜しており、
人間社会の状況はいたずらな楽観をゆるさない状態であるといえよう。

また視点を祖国に転じれば、日本は平成幕末とか第二の敗戦などといわれ亡国
の淵に沈んでおり、ここからどう国を立て直すかが真剣に問われている状況に
ある。

そのような時代を生きる現代世界の知識階層にとって、これらの社会問題はど
ういう意味を持つのかと問うたならば、志ある者は、世界及び日本が抱える
この深刻な「メタ社会問題」の発展的解決に取り組み、文明をより良く進歩さ
せることこそ、天から与えられた最重要のミッションであり、また公案に他な
らないと答えるのではないだろうか。

「社会の名医」のもとでの修行のすすめとフィラントロピー

このような「メタ社会問題」を正しく考え解決の糸口を見出すには、複雑に錯綜
している問題の全体像と相互連関を明晰にとらえたうえで、なぜ問題をかかえる
に至ったかの原因を究明することが必要であるのは言を待たない。

しかし、現代世界が抱えたグローバル規模での「メタ社会問題」は人類史上に
おける特異性及び、問題の複雑性が顕著な大問題であり、闇雲にもがくだけで
は蟷螂の斧となる可能性が高いのではないだろうか。

そこで私は、現代世界の知識階層に課された「メタ社会問題」の合理的な改善・
解決の為にこそ、理を修め、全体を把握し、問題を統合的に診断し、プライオリ
ティをつけた治療指針を示すことのできる、藤原さんや正慶さん、将基面さんの
ような「社会の名医」に学び、彼らが打ち出す哲学という処方を修めることが不
可欠であると考えるものである。

この視点に立つとき、人は、次世代を担う若者が精神的に脱藩を果し、良き師
と武者修行の機会を求め諸国遍歴の旅路に踏み出し、その過程で「社会の名医」
が開く「適々斎塾」のような研鑚の場を得て厳しい修行ができるように尽力する
ことこそ、より良い社会をつくる営為につながる「入廛垂手」であり「フィラン
トロピーの精華」であるということがようやく見えはじめ、「君子は器ならず」
という言葉を反芻する必要性を感じることができるのではないだろうか。

11 名前: 西條 投稿日: 2003/04/02(水) 01:08
-続き-
正慶さんの論文の意義 及び 藤原・正慶・将基面思想の統合的考察の必要性 

社会の問題を考える場合、社会建設・運営の根底にどういう思想・哲学を持って
いるか、その思想・哲学は自前のものか、他所からの借り物であるか、借り物の
場合、借りた側はそれを咀嚼して自分の物とするに到っているか、単なる方便と
しての借り物のままか、また社会運営の様々な局面にその思想・哲学が透徹して
反映されているか否かを見極めることは重要であろう。

さらに、社会の改善・改革について考える場合、社会がよって立つそれら思想・
哲学そのものを刷新する場合と、基本的な思想・哲学自体は変わらないが、その
思想・哲学とずれを起こした体制の修正・刷新を行う場合の2通りがあると言え
る。また社会改革のスピード面からみて、フェビアン流社会主義が標榜するよう
な「漸進的な改革」もあれば、「急速な相の転換」ともいうべき革命・回天もあ
ることも押さえておく必要があろう。

これらを踏まえて考えた時、私は、正慶さんが論文「ブラジルの国旗と社会学者
コント」で紹介された、コントの「秩序と進歩」の思想と、果敢にその哲学を取
り入れて社会改革のよりどころとしたブラジル社会の話は、社会問題の解決・改
善を目指すものにとって忘れてはならないものであると感得した。

正慶さんは、この論文を通じて、社会建設・運営の根底にある思想・哲学の大切
さを指摘しているだけでなく、我々が取り組むべき社会改革や革命・回天に際し
て、何に価値を置き、どのような思想をどういう姿勢で新たに取り入れるべきか
について、大いなる示唆をされている。私は、本論文をこの上述のミッションへ
の指針として謹んで拝読し、この正慶さんの考察が「ジャパン・レボリューショ
ン」の前書きを構成していることの意義を深く感じる。

藤原さんが多年にわたる精力的な言論活動を通じて我々に指し示してくれている
多くの思想、すなわち「脱藩のすすめ」や、「理」、「意味論」、「社会の木鐸
としてのジャーナリズム」の大切さ、そして「ボンサンス」、「フィラントロピ
ー」等々の思想と、将基面さんが取り上げた「共通善」と反暴君の思想史、さら
に今回、正慶さんがハイライトしてくれたコントの「秩序と進歩」の思想とその
誕生の背景を、統合的に捉えて考察・修行することは、「共通善を実現した平和
で秩序ある社会を築き、適切な進歩を追求し、次の世代により良い世界を引き継
ぐ」という大いなる目的にいささかでも資そうと志すものにとって不可欠のもの
といえるのではないだろうか。


P.S.

フランス革命は、アンシャン・レジームを倒し、人権宣言を公布し、共和制を打
ち立てたブルジョア革命であり、革命の背景となった主な思想の一つである啓蒙
思想は、「理性・自然・道徳を導きとする人間と社会の完成」という目的を掲げ
ていた。
しかし、いざ革命が実行されると、社会体制の変革・進歩の名のもとに、長きに
わたり社会秩序が著しく犠牲になり、啓蒙思想の信奉者のなかにも挫折感が生ま
れ、それがロマン主義運動や、ここで正慶さんが取り上げたコントの「秩序と進
歩」の思想の誕生に繋がっていったようだ。

フリーメーソンの啓蒙主義の理神論は、キリスト教の陰にかくれて存在しつづけ
る古代からの女神信仰とつながりを持つようであるが、ふと、コントは「理神論」
を「人類を神とする宗教」を編み出すことで乗り越えようとしたのではないかと
いう思いがよぎった。 人類教を主宰したコントの真意とブラジル社会の掲げた
理想がどう展開しているかについて、そのうち現地を訪れて調査する機会が得ら
れたらと思う。

書店で「ジャパン・レボリューション」を手にする日が楽しみである。

西條謙太郎 拝

12 名前: 若山源一郎 投稿日: 2003/04/02(水) 11:31
国旗ということでひとつ。
韓国の国旗は例の易から出ている、紋様ですね。
八卦で云えば左側が天(乾)、火(離)、右側が
水(坎)、地(坤)、中央が陰陽の巴紋と易の理通りです。
一度、私は韓国大使館にお国では何か、特別に国旗の教育、
その図柄のもとである、易学などもまじえてやっておられる
のですかとお伺いしたら、勿論日本語がおできになる方では
ありましたが、だいぶ転々とリレーされてしまい、そのたびに
教科書問題でしょうかと、繰り返されるのにはくたびれました。
おかげでなんの国旗教育もされていない事がわかりましたが。
ほんとは教育されていれば、妙な歴史談義で果てない喧嘩を
繰り返すこともなく、共通のものさしができますからお互い
都合がいいんですが。
誰がどんな意図で国旗を定めるのか知りませんが、惜しいなぁと思います。
国旗こそ、ほとけ作って魂いれず、ではないでしょうか。

13 名前: 藤原肇 投稿日: 2003/09/30(火) 11:07
これまでの12の書き込みは「ジャパン。レボリューション」の出版以前の時期の議論であり、現在はナニワのダルマに改名したナニワの田吾作さんが、正慶さんの論文を発掘して皆さんに紹介したわけです。この発掘能力は実に貴重な眼力を伴っていて、私もそのお陰でブラジルの国旗にまつわる、歴史と理念について色いろと学べて嬉しいことでした。
そうしたら、「ジャパン・レボリューション」の編集が進展する段階で、この記事をコンサイスに纏めて意味付けを行い、それを正慶先生が「まえがき」に仕上げてくださり、本の顔として非常に素晴らしい思想の展開になりました。本当は私が担当した「あとがき」の中に、正慶先生の問題提起を受け止めて書きたいと感じましたが、
調子に乗って私が「注」にページを使い過ぎたために、紙面の余裕がなくなったので断念しました。国旗の問題は文部省による強制で日本の小中学校では、「君が代」斉唱と「日の丸」の掲揚が義務付けられ、これで本来の義務教育になったと喜ぶバカもいたし、義務教育でない高校でもそれを強制したために、自殺をした校長が出るような悲劇も発生しています。
そこで皆さんと共に国旗について議論するに当たって、より議論を理知的な形で行う必要があるので、ひとつ重要なヒントを提供したいと思います。私が20代の時期に直接体験したことですが、鯉のぼりを国旗掲揚ポールの上で泳がす計画に対して、フランスの在郷軍人会や県知事が手を結び、絶対反対の講義と妨害工作をしたのです。
そのことは「オリンピアン幻想」の中に詳しく物語っあり、そ時に私は「国旗」のようなもの考察する上で、「ミランダ」という概念が役に立つと紹介しましたが、政治学上の重要概念に関しては解説はしていません。それはこの言葉を見た読者が自らの手で、C.E,Merium教授の著書を読んで欲しいと感じたからです。誰かミランダの説明に挑戦してくれませんか。

14 名前: ナニワのだるま 投稿日: 2003/10/07(火) 00:35
藤原博士が推薦なされていたC.E,Merium教授の著作ですが、インターネット、図書館、アマゾン等いろいろ調べましたが該当なしと出るばかりです。どなたか既に読まれた方ないし、ご存知の方はおられますか。ひょっとすると何か別の固有名詞を導くためのデコイ?
 さしずめ、早野泰造氏の「ヒトラーとスターリンの精神医学」(牧野出版)に当たってヒントを紡ぎ出すのがいいかも知れません。

16 名前: 相良武身 投稿日: 2003/10/07(火) 08:21
だるまさんへ

ミランダ 政治学  で検索してみてください。

出ると思います。書き込みしたいのですが、事情があり出来ません。

落ち着いたら書き込みます。

17 名前: 藤原肇 投稿日: 2003/10/07(火) 08:49
シカゴ学派の政治学者として一世を風靡したメリアム教授の名前に関して、油断した余りミススペルしてご迷惑を掛けましたが、正しくはCharles Edward Merriam,であり、どうもイタリー旅行をしてラテン語の見すぎで、こんなミススペルをしてしまったようで申し訳ありません。
しかし、ミランダの問題にチャレンジする人が現れて、そのお陰で私のうろ覚えの記憶の誤りが発見でき、知識のいい加減さを指摘していただき有難う御座います。記憶が如何にいい加減かということを痛感し、書く前にチェックしなかった手落ちの過ちを反省させられました。
かつて藤井先生と「間脳幻想」の対談をした時に、先生が「日本人が世界でも比類のない人名辞典を作ったが、どうして[岩波・西洋人名辞典]が出来たのかは、二十世紀における日本の謎の一つみたいです」と言われたのを聞いて、慌てて[岩波・西洋人名辞典]を買った思い出があります。
ナニワのだるまさんの投稿記事を読み「岩波・西洋人名辞典」を引いたら、メリアム先生の名前と著書はちゃんと書いてありました。流石です。赤瀬川原平さんの「新解さんの謎」を読んで教わったことですが、三省堂から出ている[新明解・国語辞典]と並んで、岩波の[西洋人名辞典]は日本が誇る名著の辞書だと再確認しました。

18 名前: 大坂平八郎 投稿日: 2003/10/12(日) 23:23
 C.E.メリアム教授のミランダ政治学において脱藩道場の中で既に著書に当たられている方もいるかと思いますが、海外在住の人も多く含まれている事を考え、私 大坂がインターネット上の検索ならびに政治学のテキスト等から参考になりそうなデータベースからいくつか引用しますので、議論の叩き台にすればいいと思います。

 あくまで、基本的な語句の定義であるから、あとは各自が本を読んで概念の持つ普遍性を行間から掴み取り最終的に日本の特殊な政体とされるORされた国体問題を射程に置くいうのが大まかなプランですが如何でしょう。

20 名前: 大坂平八郎 投稿日: 2003/10/12(日) 23:34
 C.メリアムによると権力は物理的な力だけで自己を維持することが出来ず、被支配者からの心からの忠誠を獲得して、支配の維持強化を図る。そのため支配者は物理的強制力だけでなく被支配者の心理に訴える様々な手段を用いる。政治権力においてメリアムはその類型として「ミランダ」と「クレデンダ」を挙げている。「ミランダ」とはミラクルを語源とし神秘的で非合理的な象徴を指す。これは権力への同一化をもたらす効果があり、一方「クレデンダ」は信条を意味し、権力の合理化を目的とするものである。例、人間の知性を対象とし、イデオロギーなどによって権力への合理化(正統化)を目指す。

 ミランダは人間の感情に訴える象徴形式で記念日、記憶に残されるべき時代、公共の場所および記念碑的な道具立て、音楽と歌曲、、旗、装飾品、物語と歴史、念入りに仕組まれた儀式、行進・演説などを伴い大衆的示威行為が行われる。

政治権力はこのミランダとクレデンダを使用して自らを飾りたて、支配を安定的にする。

 現代国家においては、このような象徴形式は一貫した公民教育の場で提供され、体系的に発展させられる。こうして帰属する社会に対する同一化、権力の合理化を大衆が意識的・無意識的に行うことによって、その権力が効率的に「権威化」されるのである。・・・「政治学テキスト」LEC東京リーガルマインド編著より引用・抜粋 、「政治権力 ・その構造と技術」 C,Eメリアム

21 名前: ナニワのだるま 投稿日: 2003/10/13(月) 11:07
 藤原博士、相良様、早速のレス有難うございました。誤字脱字は私も他人事ではなく、しょっちゅう、仕出かしてしまいます。特に最近目が疲れることが多く、掲示板のスレッドに直接入力するのがおっくうになり、Outlook Expressの「新しいメール」からのメール板に大きな文字を入力し最期にそれをマウス操作で選択・コピーを撮って脱藩道場の掲示板に貼り付けるとかいろいろ工夫しております。

 さて、昨日、大坂様の投稿記事を拝読し、「ミランダ」とその対概念の「クレデンダ」についての大まかなイメージが掴めました。私もC.Eメリアム教授の著書「政治権力 その構造と技術」を図書館で入手しぱらぱら読み初めております。

 それにしても今の時代はインターネットや大量の本が出版される時代を反映し、データベース化された情報(Information)はすぐに入手できるし、要領のいい人であればそれほど労力を費やさずに知識を整理しやすくなりました。聞くところによると大学などの高等教育の場でもそういったテクニックに長けた要領のいい小回りが効く人がさっさと論文を書き上げ単位を取るそうです。勿論、コンピューターの普及は素晴らしいしインターネットは大変便利ですのでケチをつけるつもりはありませんが、あまり便利さを追求しすぎるためにそれに反比例してじっくり本の行間を読みぬき思考を醸成させていくような古典教育が廃れていくのでは文化の香までが人工的なものに代替されていくようでなりません。文化(culture)とは元々、cultivateするといった意味があったそうです。

以上今回は少し脱線し独り言を述べてしまいましたが、本題に戻りたいと思います。

22 名前: 西條謙太郎 投稿日: 2003/10/30(木) 02:38


国旗とミランダについて議論する叩き台の本を探していて、
「日の丸」「君が代」「元号」考 佐藤文明著 を紹介した 水島たかしさん
という方の書評を見つけましたのでご紹介します。
http://jbbs.shitaraba.com/bbs/link.cgi?url=http://www.siri.co.jp/GENSENKAN/review/G0039.html

リンクアクセスに問題ある場合を考え、念の為、水島たかしさんの書評の
一部を抜書きし以下張り付けいたします。

引用開始
「どの国家も国旗・国歌を持つ。そして互いに敬意を払う。これは近代の
国際社会の確立されたルールだ。民主主義国家だろうと独裁国家だろうと、
これに従ってきた。日本も国家なら、これに従うのは当然だろう。」
 上記のように発言するのは、橋爪大三郎である。毎日新聞99年7月14日付
け夕刊に載ったものである。
 橋爪は上記発言をして、「国旗・国歌」法制化の必要性をあっさり認め
てしまった後で、その「国旗・国歌」に「日の丸・君が代」が妥当かどう
かについて議論を進める。
 中略
今回お薦めする佐藤文明著『「日の丸」「君が代」「元号」考』は、
網羅的に「日の丸」や「君が代」の成り立ちなどを幅広く、さまざまなエピ
ソードを交えて解説しながらも、それだけにとどまらない、「文脈」という
ものを踏まえて書かれている。サブタイトルが「起源と押しつけの歴史を問
う」と書かれていることにそれは明らかであろう。
 佐藤は、橋爪とは全く正反対に、「日の丸・君が代」が「慣習」によって
「国旗・国歌」であり「国民の集合意思」である、などと述べるのではなく、
むしろ「日の丸・君が代」の掲揚や斉唱がいかに推進されていったか、とい
うことを述べる。橋爪のように恣意的に形式化した議論を進めるのでなく、
「日の丸・君が代」がどういう場面で問題となっているのか、を考えれば、
当然の議論であろう。
 現実の問題としての「日の丸・君が代」を考え、調べる佐藤の目には、
「日の丸・君が代」推進の側の矛盾も見えてくる。たとえば、佐藤は、日
の丸と天皇家の家紋である「菊花紋」の対立を指摘する(Q9)。そもそ
も歴史的には、「日の丸」は「商船旗」と「軍旗」として始まり「臣民旗」
として広まった。従って、本来その上に天皇家が位置していたのである。だ
が、もし、日の丸が「国旗」ということになれば、パスポートの「菊花紋」
は存在根拠をさらに失うのではないだろうか。そのとき「右翼」はどうする
のだろうか。
 そもそも橋爪が観念しているように「近代」の「国家」だからといって、
「国旗・国歌」を持たなければならない、というのも佐藤によれば疑わしい。
世界的に旗の標準化は進んだが、そのときに必要とされたのは、識別のため
のデザインの登録、というだけのことだという。
 「つまり『国旗』そのものではなく、登録された『国連基準の旗』、登録
された『オリンピック基準の旗』というのが正しいのです。つまりここでも
厳密には『国旗』の存在を必要としません。好みの『旗』を登録すればいい
のです。」(Q11)  橋爪が識別のための「旗」に「国民の集合意思」な
る過剰な観念を付与しようとしているのは明白である。おそらくその裏には
「近代」の「(国民)国家」に対する過剰な意味づけが隠れている。
 私たちが、近代国民国家システムの中からなかなか抜け出せずにいる、と
いうことが事実だとしても、だからといって、近代国民国家システムを支持
しなくてはならないわけではないし、近代国民国家の諸前提や諸特徴を受け
入れなければならないわけでもない。佐藤の本書も、「旗」や「歌」という
「シンボル操作」の側面に警戒し続けてはいるが、近代国民国家批判の立場
から「国旗」や「国歌」はたとえ強制がなくてもいらない!という主張にま
では至っていない。その点が多少の心残りである。 だがそうはいっても、
「国旗・国歌」法制化の議論に対して、批判的な視点を与えてくれることに
おいては、貴重な役割を果たしてくれる本であることに変わりはない。
引用終了

私は、この中に、国旗とミランダの問題の一つの切り口があると考え、この
あたりの議論を足場に、天皇制をおしいただいた近代国民国家という虚構の
もとで、主権在官のもと国民が荘園領民となっている日本がジャパン・レボ
リューションをどういう形で果たすべきであるか、そして、正慶さんのブラ
ジル国旗とコントの話にも思いをはせながら、その回天軸となる旗印の思想
についても討議ができたらと考えます。

P.S. 日本のパスポートは、菊花紋だけでなく徳川家のシンボルである葵紋
まで入っているめちゃくちゃな代物ですね。戦前のパスポートにはどういう
シンボルがついていたのか調べてご報告します。

西條 拝

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