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『朝日と読売の火ダルマ時代』
1 名前: 亀山信夫 投稿日: 2003/03/28(金) 08:48
 藤原肇博士のご厚意により、グループAまたはグループBの購入希望者に限り、2003年に入って絶版となった『朝日と読売の火ダルマ時代』(藤原肇著 国際評論社)を\1,810円で販売致します。『朝日と読売の火ダルマ時代』の購入希望者は、以下のグループAあるいはグループBの料金に\1,810円をプラスしてお申し込み下さい。
 ただし、『朝日と読売の火ダルマ時代』の在庫は僅か10部しかありません。よって、希望者が10名を越えた段階で、『朝日と読売の火ダルマ時代』の販売は完了させていただきます。
 詳細は、以下のURLを参照願います。
 http://jbbs.shitaraba.com/bbs/link.cgi?url=http://www2.tba.t-com.ne.jp/dappan/fujiwara/sales.html


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2 名前: 三の谷慎之介 投稿日: 2003/03/28(金) 09:42
「朝日と読売の火ダルマ時代」の購入ご案内の下にこんなことを書くのは
失礼かとも思いましたが、他意はありませんので、ご報告ということで。
私の住む大分市のある郊外型古本屋で、ついこの間、同書を5冊見つけました。
同じのを5冊はと思いつつ、2、3回通ううちに全部買い込んでしまいました。
どういうルートでそうなったのか、無論、どなたかが手放したのには決まって
ますが。
この「朝日と読売の火ダルマ時代」は実は初めてではなく、上京のおり
神田の古本屋さんの均一本コーナーでも見つけました、その時は興奮しました。
藤原さんのご本は中々、新刊書店では見つけにくいようです。市内の大型書店に
よく通ッていますが、まず見かけることがまれです。さすがにこの間出た鹿砦社本
は書店で買いましたが。
私も凡そ30年位に及ぶ藤原ファンで最初の石油シリーズの頃は書店でしたが、
あとは古書店か版元経由ばかりです。いいも悪いもありませんが、藤原さんの
タイプを写しているような気もします。
思うに藤原さんは八白ー艮ー土の性と思われます。本の名前がおおよそ艮の性を
映したものばかりですし、相克のほうの、木の性ー、三、雷
(新聞マスコミから宇宙まで)に無関心ではいられないのではと拝察します。
宇宙はともかく、新聞マスコミの性悪は絶対直りませんと、思いますが。
木生火の性の人のエリート傲慢意識にはお手上げですから。でもこのライバル
がいるから燃えるということでもあり、お互いさまかもしれません。

3 名前: 藤原肇 投稿日: 2003/03/29(土) 17:29
山の谷さんが「朝日と読売の火ダルマ時代」を大分で見つけられ、全部押さえられたというのは実に幸運でした。日本の他の町では起こり得ないことが、大分ならば起きても不思議ではなく、きっと積善の人生に対して点の恵みがあったのでしょう。
実は、昨年の初めに営業の責任者が亡くなり、続いて社長が夏にガンのために亡くなる不幸が続き、そのストレスも会って会長兼編集長が入院したために、編集機能が低下していた状態が続いて、それでも病院からの指令で編集を続けましたが、昨年の暮れに医者から仕事をしてはいけないと言われたらしく、今年の一月末を以って国際評論社は経営を休みました。私がそれを知った段階はオフィスの明渡しの時で、自動的に拙著も絶版という運命になり、著者の私も自分用にストックするチャンスを失いました。
会長の寺川さんは40年前に読売の経済部の記者で、日本には「東洋経済」「エコノミスト」「ダイヤモンド」等の経済詩はあるが、どれもメーカーサイドの記事の編集ばかりで、消費者の立場での取材がないと考えて、「国際経済」と言う名の月刊経済誌を35年間だし続けてきました。1975年にその雑誌の編集長からカナダに住む私に手紙が来て、好きな時に好きな長さで好きなことを好きなスタイルで書いて欲しい。ただし、世界から日本を見て経済に関係したことに触れてあれば、全文を無条件で掲載するとのことでした。
それで書いた記事が「虚妄からの脱出」の母体になり、それが東明社から本を出すきっかけになりました。以来、私は注文で記事を書いたことは一度も無く、全て大事なテーマを取り上げてまとめて寄稿し、没になった記事を単行本の中に収録し、藤原ブッククラスターが出来あがりました。また、1990年頃に亡国現象が目立つようになり、ジャーナリズムの堕落と退廃に原因があると考え、私は六年を費やして歴史の証言を集め、「朝日と読売の火ダルマ時代」をまとめたのですが、39社に断られ最後に国際評論社の寺川会長が活字にして下さった。その時に私は800部ほど引き受けたので、事情を知った読者たちがカンパに協力してくれ、中には100部を引き受けてくれた人が二人、五十部が数人と言う好意ある支援の御蔭で、私は持分を一応というか本と読者に結び付け得ました。
しかも、大分市出身の寺川さんは郷土で集まりがあって参加したときに、拙著を故郷の人達にプレゼントしており、また、県下の高等学校にも寄贈したと噂に聞いていて、コミュニティーに恩返しする姿勢に対して、素晴らしいことだと感じていました。きっと、そのような配布の残り物が古本屋に流れ、それが三の谷さんの手の中に救い上げられたものと思います。おめでとうございます。拙著は書き込みをしたり擦り切れるまで読む読者に恵まれ、古本屋にはなかなかで回らないために、数千円のコピー代を費やして図書館で写し、手作りのものを作っている読者が多いことを知っています。しかし、福沢達が適塾で写し取った苦労に比べたら、単にカネの問題に過ぎないのも事実です。また、時には目利きの古本屋の親父がいて絶版本と知り、定価980の本を著者の私が4000円で買ったこともありました。藤原

4 名前: 三の谷慎之介 投稿日: 2003/03/30(日) 14:06
藤原様 ご丁寧にありがとうございます。
多分寺川さん経由ではないかと思っておりました。
というのも同じ古本屋に寺川雄一著「日本の新しい本の展望」
1冊も見つけまして、一瞥して火ダルマ時代と同様の本の作り方ですし、
面白い内容で先ずこの方経由とふんでいました。
同書には同じ大分出身の三浦義一のことにも言及の部分あり、この方面に
興味あることもあり、実にいい本にめぐり合えたとの思いでした。
ちなみに新年のお参りに奈良桜井の大三輪神社に参りましたとき、
機関誌「大美和」(103号)を求めましたが、そこに三浦の孫の方が
祖父を語ると、寄稿しておりました。
それにしても寺川さんの国際評論社、残念なことでした。

5 名前: 藤原肇 投稿日: 2003/05/07(水) 16:14
亀山さんが扱っている「朝日と読売の火ダルマ時代」が全部はけて、残部がなくなった段階で私が確保しているものから、更に八部を提供できるのでそれをお知らせします。ただし、それは現在アメリカに保有しているために、次の訪日の機会にでも持って行きたいと思います。
この「朝日と読売の火ダルマ時代」には色いろと思い出があり、日本が亡国現象を深めている最大の理由は、ジャーナリズムの堕落と腐敗にあると思い当たって、1990年頃に取材を開始して約六年を費やし、日本各地に隠棲しているジャーナリストや経済界のOBを訪ね、各人があの世に持っていくつもりの極秘情報を探り、「歴史の証言」として埋もれかけた秘密を集め歩きました。
引退して東京周辺に残っている人は大した秘密を持っておらず、価値ある情報の持ち主は概して瀬戸内海周辺や関西に住み、温暖な気候と新鮮な海の幸に恵まれた環境を好み、文化の香りの高く歴史と密着した西日本の地で、悠悠自適の老後を楽しむケースが多いと発見しました。秘密は簡単には喋ってくれないものであり、何遍も訪れて精神的なマッサージを試みて、その苦労の果てに秘密が少しづつ手に入りました。
そうしてあつめた記録を纏めてからが実に大変であり、39社の出版社に持ち込んで断られましたが、3年も断られ続けた後に国際評論社によって、やっと一冊の本として出してもらえたのが、「朝日と読売の火ダルマ時代」という本でした。絶版になって残念至極ということですが、この本の出生の謎とその短い生涯のエピソードについては、これからゆっくりと書き続けることにしましょう。

7 名前: 亀山信夫 投稿日: 2003/05/09(金) 09:42
『朝日と読売の火ダルマ時代』の出生の謎とその短い生涯のエピソードについて、これから時折本掲示板にて拝読できるとの由、一読者として大変楽しみにしております。

さて、当初は寺川さんから『朝日と読売の火ダルマ時代』を10冊送付いただけるとのお話でしたが、実際に届いたのは倍の20冊でした。よって、藤原博士の5月7日の投稿以来、新たに数名の方から『朝日と読売の火ダルマ時代』およびグループ本の駆け込み注文が届いたものの、お陰様で注文してきた人たち全員に送付することが出来、安堵しております。今秋にアメリカから持参していただくまでに、拙宅にある残りの『朝日と読売の火ダルマ時代』はここ1〜2ヶ月で在庫切れになるものと思われます。その場合、入手出来なかった読者は今秋に新たに8冊が入荷するまでお待ち頂くことになりそうです。
http://jbbs.shitaraba.com/bbs/link.cgi?url=http://www2.tba.t-com.ne.jp/dappan/fujiwara/sales.html

追伸
現在、書籍の販売は郵便局振込を皆様にお願いしておりますが、来週あるいは再来週あたりからクロネコヤマトを利用した「代引きシステム」(コレクトサービス)に転換する予定で、現在クロネコヤマトと交渉中です。それにより、皆様にはより迅速に書籍をお届けすることが可能となりそうです。また、将来的にはクレジットカードでも支払いが可能な設定にする予定です。「代引きシステム」をご提案いただきました広島県のD様、今回は貴重なアドバイスを有り難うございました。


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8 名前: 藤原肇 投稿日: 2003/05/12(月) 10:02
「朝日と読売の火ダルマ時代」として出版になった本は39社断られましたが、持ち込んだ段階の仮題は「朝日と読売のハルマゲドン」という題で、その頃は未だハルマゲドンという言葉を知る編集者も少なく、「オテモヤンの中にでも出てきそうな名前だね」という人もいたので、この人は「原爆、なすびのイガイガドン」を連想したなと思ったりしました。しかし、断りの理由は朝日や読売を相手に批判したような本は、広告も出せないし睨まれるから出版活動に差し障りがあるから、出版は見合わせざるを得ないというものが圧倒的でした。今時の日本ではきわめて当然な断りの理由だと言えます。
そこで途方にくれて思い当たったのが国際評論社の寺川会長であり、彼の所に原稿を持っていって編集者の目で読んでもらい、読後感を聞くと同時に出版の可能性を打診する作戦で臨み、とりあえずは読んでもらうことから始めたわけです。読後感は「とても面白かった。実際に取材している生の声は貴重だ。しかし、こんな内容の本は日本では出ない。なぜなら、朝日と読売を相手に喧嘩しているみたいだが、よく読めば検察とも取次ぎとも政府とも電通ともやっていて、日本中の権力を相手にして喧嘩しているから、こんな本を出した出版社は潰されるに決まっている」ということでした。
「でも、不正行為に加担している相手ならば、それを追及するのがジャーナリズムの責任だし、今の日本の亡国現象はジャーナリズムの堕落と腐敗が、その原因を作り権力に追従しているからです」と言ったものの、メインテーマのリクルート事件に巻き込まれて、収賄の当事者の仲間に入っていたのも日本のメディアでした。そこで私は寺川さんに対して少し腰を低くして、「もう39社も断られて疲れ果てているのです。無理を承知で敢えて寺川さんにお願いしますが、お宅でこの本を出版して貰うことは出来ませんか」と頼んだのですが、「とても駄目だね」という一言で40番目の却下を体験しました。
その後に続いた儀礼としての拒絶理由の説明では、「経済誌を月一度だし季刊の[レジャー・アサヒ]を三月に一度出すので、忙しいときには一週間も残業が続く状態だから、単行本を出すだけの人手も資金的余裕もない」という話です。「でも、寺川さんの著書を何冊も出しているではありませんか」というと、「私は長年ここで編集長として記事を書いてきたし、雑誌に載せた記事を二年か三年に一冊にしても、それを改めて単行本として買う読者は結構いるが、藤原さんの記事は年に一度か二度は掲載しても、あくまでも外部の人の記事だから違うのだよ」ということでした。
国際評論社の入り口には何時も雑誌が山積みになっており、蟹の横ばいのようにして入らなければならないし、取材費は節約してカネの代わりに知恵を使っており、私もそれを承知して原稿料など貰ったことが無いから、寺川さんの言うことはもっともだと了承しました。そして、最後の頼みの綱の経済誌の出版社で出すことを諦めて、いよいよこれから41社への挑戦をしなければと思い、その日は冴えない気持ちで日本橋の国際評論社を後にして、東京滞在の残った日を忙しく過ごすスケジュールに戻りました。でも、40社に断られたのは私にとって最高記録であり、打ちひしがれたた気分に支配されていたのは確実です。

9 名前: 藤原肇 投稿日: 2003/06/02(月) 16:14
国際評論社ではとても出版しないことは分かったが、アメリカに戻る数日前に再び国際評論社の寺川会長を訪ねて、次の訪日までさようならと言う挨拶をした後に、「お宅では出版できないと分かったが、これから交渉する上での参考にするために、聞きたいことがあるので教えて欲しいのですが」と話を切り出しました。そして、仮にもし出版するような場合の採算分岐点は、一体どれ位になるのかと質問してみました。そうしたら、寺川さんは「3500部くらい印刷して全部売れれば、恐らくトントンということになると思うが、3000部しか売れなければ500部に相当するものが損失で、一年以内に2000部以下の売上ということなら、可也の損失の上に倉庫の借り賃も懸かることになる。また、3500部くらいの印刷だとこれまでの経験では、日販は500部から800部しか引き受けないだろうし、そうなると書評が出るたびに200部から300部の注文になるが、この本の書評をするような新聞も雑誌もないから、うちの雑誌で書評しても一年で3000部にするのは、ちょっと難しいのではないかという感じだね」とのことでした。
そこで瞬間的に全体像を捉えた私は間髪をいれずに、「それならお宅で損しない限度の3500部を印刷して、私が1000部ほど引き受けるということで、2500部の売上を目安に勝負するということなら、私の引き受け分は社会への恩返しということで何とかします」と言ったわけです。すると寺川さんが「藤原さんがそこまで言うなら出しましょう」と言い、男同士の「意気に感じる」ということで出版が決まり、私は実に爽やかな気分でアメリカに帰ったのです。そして、六ヵ月後に「朝日と読売の火ダルマ時代」は出版になり、ちょうど秋の訪日で東京に来た私は本を手にして、誕生までに三年を出版交渉に費やした難産の記念に、会う人毎にカンパしてくれないかと提案しました。カネの話をするのははしたないと思ってきた私には、カンパを口にするのはいささか気詰まりでしたが、情報収集のための取材カンパという口実で訴えた次第です。多くの人が一万円の単位でカンパに応じてくれ、私は喜んでカンパを受け取っただけでなく、感謝の気持ちを篭めて宅急便で5冊本を送ることで、手持ちの本の数を少なくする工夫をしました。
しかし、私としては一万円はあくまでカンパしてもらったのであり、著書を買ってもらったという意識は持っていません。しかし、数万円のカンパをしてくれた人も十数人いたので、お陰で私は倉庫を借りないで手持ち分がなくなり、友情の有り難さをしみじみと味わいました。
しかも、嬉しいことに100部ほしいと申し入れてくれた人が二人、50部ほど引き受けてくれた人が数人も現われまして、それらの人は出版社に直接に話を繋いで頂きましたが、お陰さまで出版から半年後には再版になりました。もっとも、寺川さんが大分市であった会合の時に本を持参して、参加者や地元の学校の図書室に数百部ほど寄贈したので、それで初版の在庫が無くなったこともありますが、取次ぎの関係で本が余り書店に並ばなかったのに、多くの人に読まれたのは何よりのことでした。出版から五年経った今だから明らかにして良いでしょうが、カンパした人に5冊の本を郵送したのはお礼ではなく、自分が読んで良いと思った本を知人に贈ることで、本の中の思想の伝播に関与するという体験を持ち、それが習慣になったら素晴らしいと思ったからです。知人に上げるとか住んでいる地域の図書館に寄贈するとか、各人なりのやり方は色いろとあると思いますが、何か価値ある情報を含む本を贈り物にすることは、人材育成を実現する上で最も簡単な方法です。願わくばあの時に受け取った五冊の本をそのまま、押入れの奥に眠らせている人がいないようにと期待します。

11 名前: 亀山信夫 投稿日: 2003/06/20(金) 06:32
藤原博士の著書を含めた書籍販売に関し、本スレッドでクロネコヤマトのコレクトサービス(代払い)の導入についてお知らせしたことがあります。その後、お陰様でコレクトサービスは購入者から好評を博しています。

さて、コレクトサービスに加え、このたびクレジットカードによる支払も可能になりましたのでお知らせ致します。
http://jbbs.shitaraba.com/bbs/link.cgi?url=http://www2.tba.t-com.ne.jp/dappan/fujiwara/sales.html

以上


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12 名前: 亀山信夫 投稿日: 2003/06/23(月) 06:44
以下のURLに『朝日と読売の火ダルマ時代』の書評が載っていましたのでお知らせ致します。
http://jbbs.shitaraba.com/bbs/link.cgi?url=http://www.review-japan.com/folder/p1454.html

また、藤原博士とは知己の間柄であるジャーナリストの奥菜秀次さんが著した『捏造ジャーナリスト落合信彦』の書評も掲載されていました。


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13 名前: 永岡浩一 投稿日: 2003/07/12(土) 17:08
藤原さん、以前お会いいたしました神戸の永岡です。
 「朝日と読売の火ダルマ時代」、「夜明け前の朝日」、むさぼるように読みました。
 日本にジャーナリズムはありません。それは、ジャーナリズムに相当する日本語がないことからもわかります。確かに、少数の心あるものは、例えば噂の眞相のようにがんばっています。しかし、大メディアは元から腐っています。
 読売は言うに及ばず、朝日ももうリベラルではありません。それは本多勝一なる詐欺師が、リベラルと言われていることからもわかります。岩瀬達哉さんとの裁判、本多はボロボロで、そのことを活字にした噂の眞相に対して、ヒステリックに金曜日のコラムを使って誹謗中傷の限りを尽くす、あれを見るにつけ、日本もダメだと思われます。
 藤原さんの著書を何人かに一部(本多のいかがわしさの部分)見てもらいましたが、大半の人は「文章が下手で読めない」と、自らの読解力のなさを文章のせいにする、つまり自分には教養がないと平気で言われて、ひっくり返りました。もう、活字離れと言うレベルではなく、日本人は白雉化しています。
 そんな中、少なくとも、志ある人たちを啓発し、連帯していきたいと思います。
 これからも、お元気にお過ごしくださいませ。

14 名前: 大坂平八郎 投稿日: 2003/07/13(日) 23:38
永岡様、投稿拝読しました。
私は関西在住の大坂平八郎と申す者です。藤原博士の読者にはジャーナリストやそれに関心ある人が多いらしく、永岡様もそのお一人でいらっしゃることが伺えます。そこで一つのきっかけになるかも知れませんが、私は藤原博士から・・「もし、関西圏のブッククラスターの人達のうち何人かで集まり脱藩道場関西支部を組織するならぜひ参加したい」・・という有難い提案を頂戴しています。まずは手始めに週一ぐらいのペースでこのサイトに訪れるとりわけ関西圏の方々のアイデアやご意見を交えて議論し、かたちが出来て来るにつれバァーチャルから現実の場へと移行していくというのは如何でしょうか。

15 名前: 藤原肇 投稿日: 2003/07/14(月) 14:26
国際評論社の編集長で会長の寺川さんが病気で倒れ、医者から仕事を禁止されたという事情で、雑誌を休刊にすることが急に決まったために、事務所を閉鎖したという連絡が私の所に届いた時には、もはや手遅れで何も出来ない状況でした。そのために「朝日と読売の火ダルマ時代」の在庫の確認や、入手の手配もすることが出来なかったために、自動的にこの本は絶版になってしまいました。おそらく大分市の周辺に数百部あるでしょうが、在庫がどれだけあったかも不明ですから、二刷りで1000部くらいを印刷したにしても、きっと本としては3000部くらいが市場に出回り、後は混乱の中で断裁されたのかも知れません。
著者としての私か何百冊かを確保しておいたなら、後悔しないでも済んだかもしれないが「後悔先に立たず」です。でも、心ある人の手には確実に入ったとしたら、著者としてメッセージが伝わったと満足すべきですが。日本では図書館が貸し本屋化してしまい、基礎資料よりベストセラーのゴミ本の倉庫であり、利用価値が低くなっていることが悔やまれます。定価が1900円で3000部の実売とすれば、単純計算で600万円のビジネスでしたが、アメリカから六年を費やした取材コストだけでも、それに相当する取材経費が掛かったことを思えば、読者は本を買った費用の倍の価値を得たことになり、それを確保したことを喜んで満足してください。
本の価値は定価とは全く無関係だという教訓が、この本を出したことを通じて学んだ成果ですが、39社に断られたという輝かしい勲章と共に、この本の出版に踏み切った寺川さんに対して、その勇気と見識を改めてここで讃えたいと思います。この本の誕生で迷惑した人も多いでしょうが、歴史の証言の意味を味わった人も多いはずで、私としては世の中への恩返しの一端が実現して、非常に印象深い体験になったと銘記しています。

17 名前: 藤原肇 投稿日: 2003/07/15(火) 15:37
昨日は本の価値と定価について書き始めましたが、途中で打ち切らざるを得ない事情があったために、論旨が中途半端になったので続きを付け加えます。本の価値は内容の質によって決まるのは当然ですが、もう一つのファクターとして記事に纏めるための経費、すなわち実験や調査にかかったコストがあって、それを考えるなら実験や調査の比率が多い、科学や技術に関係した物を扱う本が最もコスト高で、次に探検やドキュメンタリー作りに関係した物が来て、それは隠れたコストを入れた評価対象になります。
その意味では文学やエンターテーメントに属す物は、至って低コストで一冊の本になるものであり、食事におけるファストフードと似たような形で、エネルギー価値は大したものでないといったら、それは酷い偏見だと言われてしまうでしょうか。ただし、同じ文学や芸能などに属す作品にしても、洞察や知恵が濃縮して詰まっている物は、時間のフィルターの中で陳腐化の度合いが少なく、古典になる可能性が高いということになって、一時的な流行で直ぐ風化してしまわないことからも、そんな特性をもつことになるのだと思います。
その点で今の日本の九割以上は流行を追う作品であり、本屋に行って横積みになっている本を見れば、紙屑に表紙をつけたゴミに等しい書籍が並び、それがベストセラーと呼ばれていると分かります。また、出版が文化ではなく事業になっていて、売れるか売れないかが決定基準になっているし、価値ある本を次の世代に残そうという立派な気概は、編集者の心からほぼ消えているのが現代日本です。それを考えるなら日本が亡国の淵に立つのは当然で、みすず書房、未来社、人文書院、岩波書店、藤原書店、白水社、法政大学出版会、青土社、平凡社などが潰れることの方が、十指に余る都市銀行が潰れるより悲しいとさえ思います。
日本の宝の優良出版社を支えるために必要な金額は、一兆円も必要としないだろうことは明らかだのに、デタラメの限りを尽くした日長銀に5兆円以上も、無能の極みのりそな・グループに2兆円も費やし、税金を丸投げしている日本政府のやり口は、まさに暴政というより他にないと思います。最近は帰国して本屋に行っても買いたい本が無く、中国の古典や外国の本の翻訳しか買わないのは、日本の新刊本の貧困さのせいだという気がします。

19 名前: 藤原肇 投稿日: 2003/07/17(木) 10:37
大坂さんが脱藩道場の関西支部を作ろうと呼びかけたのに、何のレスポンスもしなかったのはある本を読んでいて、それを読み終わってからと思っていたためであり、主旨には賛成ですから大いに頑張ってください。また、これは私がとやかく言うことではないのであり、読者の集まりは色んな形で存在していて、一番大きな山手線のような集まりが脱藩クラブで、インターネットを使って結びついているのが脱藩道場であり、その他に商社、役所、放送局、宗教者、大学、地域といった具合に、20以上の集まりが現実に動いています。
人が作ったグループに参加するのではなくて、自分達でどんどん活動すればいいのであり、時にそういう集まりから声がかかってくれば、私もタイミングが合えば参加させてもらっており、世界各地にそんな会が散在しているのですから、関西でも大いにやったらいかがかと思います。
ある本といったのは保坂正康著の「実学と虚学」(プレジデント)で、これは素晴らしい内容なので皆さんに勧めるし、私もプレゼントに使いたいと考えるので、そのアイディアは「竹村文祥著[神話。伝説。医学用語]」のスレッドに書き込みます。

21 名前: 亀山信夫 投稿日: 2003/07/17(木) 11:22
藤原さんが保阪正康さんの『実学と虚学』を絶賛されています。偶然ですが、私もメーリングリスト【藤原肇】(藤原ML)の中で保阪正康さんの著作の一つである『瀬島龍三 参謀の昭和史』を取り上げたことがあります。ご参考までに、藤原MLに投稿した内容を一部訂正・中略の上、以下に転載致します。


ホームページ【宇宙巡礼】管理人・亀山信夫



To: "ML 藤原肇" <dappan@ml-c4.infoseek.co.jp>
Subject: [fujiwara:00132] 『財界にっぽん』8月号

藤原MLの皆様

『財界にっぽん』8月号が発売されましたのでお知らせ致します。

「日独枢軸同盟時代のうたかた(上)」    佐藤肇vs.藤原肇

佐藤肇という名を初めて目にする藤原ブッククラスターも多いことでしょう。実は、本号の『財界にっぽん』に載った佐藤肇氏と藤原さんの対談は、今から20年前に行われたものです。20年も前の対談を今になって活字にした理由を、藤原さんは以下のように述べています。

============================================================
        古い対談の活字化への弁明

                     同志としての藤原肇

最新号につき、略

                 『財界にっぽん』8月号 P.28
============================================================


藤原さんの上記の文章に「瀬島竜三」という名を見出し、かつて読んだ『瀬島龍三 参謀の昭和史』(保阪正康著 文藝春秋)を思い出しました。同著のなかで印象に残るのは、最後の部分であるエピローグの箇所です。


************************************************************
私(保阪正康)は、(瀬島龍三に纏わる)取材を通じて旧軍人が自らの体験を話すときには、ほぼ三つのタイプにわかれるのを知っている。
 この三つのタイプのひとつは、必ず「いまの社会の判断であの時代を見ないでほしい」とまえおきして、太平洋戦争の大状況を話す。むろんこのタイプは政策決定集団の周辺にいた者に多く、話すたびに海軍への批判が吹きだす特徴だった。「あのとき海軍さんが戦争はできんといってくれれば……」と開戦前の大状況(開戦決定の御前会議も含む)に時間がとられる。
 もうひとつは、自らの体験を状況のすべてに普遍させてしまうタイプで、話の内容に矛盾がでてくる点で共通していて、体験と戦後の知識とが混ざりあっている。思い込みのはげしいタイプといえようか。
 のこりのひとつのタイプは、常に自分の体験しか話さず、知っていることと知らないことを明確に分け、自らの歴史的体験を次代の者がどのように解するかは別問題であるという姿勢を貫いている。
 この第三のタイプが、私にはもっとも信頼できる軍人に見えた。意外なことにこのタイプの軍人の戦後の軌跡は、社会での名声や地位を求めないことで貫かれている。大本営参謀であったり、陸軍省で相応の地位にいたのだから、本来なら戦後も相応の地位を求めることが可能なはずなのに、それを拒んで生きつづけている。つけ加えておくが、「電報をにぎりつぶし事件」で瀬島の告白を明らかにした堀栄三は、(最後の)このタイプに属していた。

『瀬島龍三 参謀の昭和史』P.278
************************************************************


上記にあるように、あまりにも対照的な瀬島龍三と堀栄三という戦後の生き方を見るに、現在管理人が参画している新翻訳事業の関係者も、瀬島竜三的な人物と堀栄三的な人物に分けられるなとつくづく思ったことでした。

22 名前: 大坂平八郎 投稿日: 2003/07/22(火) 00:53
「株式会社による大学経営」に道が開く可能性

 先日、藤原博士がご紹介なされた保坂正康の「実学と虚学」を購入しとりあえず、さらっと一読してみましたところ、何かのきっかけで動機付けられ、それをとどまるところのない探究心を持って知を求めていく人間が飛躍していく姿には感動を覚えました。

 保坂さんは「学ぶ」を実学と虚学にわけて考え、実学には職業に即実践できる実利中心の学びもあれば、例え直接手に職を持つに繋がらなくても自身が生きていくうえでの精神における向上に役立てればそれは実になる学びではないかと問われていました。

 裏返せば、虚学は趣味や道楽を別にすれば上に書いた事の中身が伴わない学びのことでしょうが、今回私は皆様に特にどうといった訳ではないが実利面における日本の大学教育において注目に値すると思われる事を紹介してみたいと思います。

 それは現在、「構造改革特区」が各自治体にて実現しつつあり特区において「株式会社による大学経営」を認める法案が立法化される見通しで資格取得の予備校が申請し大学を設置するというビジョンがあるみたいです。なおアメリカでは全米の大学の18%が営利企業によって経営されているらしく、もし日本において実現すれば米国型の職業実務修得型大学・生涯学習型大学ができるそうですが皆様どんなご意見をお持ちでしょうか?藤原博士の「財界にっぽんの」の山田さんとの対談をヒントにして考えてみれば如何でしょう。

 ちなみに私の知るところアメリカでは確か、リベラルアーツ(教養)を主体にしていた感があり職業実践型は英国の大学だったような記憶があるのですが。あそこはスコットランドを除けば3年制ですからね。

23 名前: 田村仁徳 投稿日: 2003/07/22(火) 12:38
「特区」における大学設立となれば、私なら「藤原肇大学」ですね。
学部は2部構成、鉱山学部、ジャーナリスト学部で、場所は秩父です。
藤原さんの今までのお仕事ー著作面は、乾坤学ー天地学とも言うべきで、
加工貿易立国ー巽型の閉塞ニッポンが飛躍跳躍すべき指針として、格好の
現代史の古典であり、天地学のテキストでもあります。いささか体温の低下した
現代日本の若者に火をつけるにはいちばんでしょう。

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