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易姓革命論と複式簿記
1 名前: 水戸学ー常陸太田人 投稿日: 2003/03/22(土) 15:05
連日のテレビ中継を見ていて、ふるーいものだけど易姓革命論という
のを、学校の教育に導入したらどうかと思いつきました。今度の場合、
アメリカが正義の使者ですが、アメリカだって不徳の場合はひっくり返
されることがあるべきで、バランスシートの上に神様というものがおら
れることを教えるものです。
日本の場合、右が愛国心、左が平和主義、この両者がにらみあって動き
が取れないのが教育の世界の現状です。易姓革命論ならばこの両者を包含
しつつ、大事なことも入り込める。
易姓革命論を易学学習と共に幼児からの学習をと提唱したいですね。
日本では易があんまり安っぽく地に落ちています。教育界の発展にこそ
役立たせたいと思いますが、いかがでしょうか。
で、この易ー易姓革命論を簿記ー複式、マトリックス式の学習とともに
やってはどうか。複式簿記も王様ならぬ事業者がドンブリ勘定、
アンバランスをすれば容赦なくひっくり返すことを教えるもので、簿記も
陰陽原理でできていると思われます。
藤原さんも言及しておられた「複式簿記の黙示録」に江戸期の帳簿が写真で
でていました。伊雑の富山家の帳簿ですが、表紙の左右に神仏の名が書かれ
ています。アレだってただの意匠でなく、陰陽のバランスを失すればひっくり
返すの意味ではと思われました。公教育では宗教教育もできないことに
なっていますが、易ー簿記学習なら宗教も教えることができましょう。
世の中が損得勘定で出来ていることを学校では教えず、世間に出て初めて
知って右往左往したのはお互い様、覚えのあることです。現在の簿記教育は
欲と色気のつく高校生以上で、遅すぎます。小さい時から宇宙のバランス、世界のバランス
シートを通じて、各人の一生の生活設計等、その基本原理を体得すべきです。
ひとつ、専門家の方のご意見をお伺いしたいものです。

2 名前: 亀山信夫 投稿日: 2003/04/22(火) 16:44
常陸太田人 様


先月、常陸太田人さんが言及されていた「複式簿記」の下りを藤原博士が目にしたようで、先月下旬に日本に里帰りされた折、以下の記事をホームページ【宇宙巡礼】にアップするようにと私宛てにコピーを郵送して頂きました。貴重な図表などの慣れないスキャン作業に手間取りましたが、漸くの全てを終え、ここにアップロード致しましたので、常陸太田人さんはじめ、皆様にお知らせ致します。

[会計工学]を軽視した日本経済の蹉跌とその再構築 寺川正雄(会計士)vs. 藤原肇(国際コメンテーター)
http://jbbs.shitaraba.com/bbs/link.cgi?url=http://www2.tba.t-com.ne.jp/dappan/fujiwara/article/account.html

今後も藤原博士の最新記事を積極的にアップロードしていく予定です。ご参考までに、今後アップロードしていく予定の記事は、以下の[記事]のページで未リンクになっている記事です。
http://jbbs.shitaraba.com/bbs/link.cgi?url=http://www2.tba.t-com.ne.jp/dappan/fujiwara/article.html

なを、来月に入りましたら、「広島市立美術館に贈られたサン・ミゲルの娘たち」をアップロードする予定です。お楽しみに。


ホームページ【宇宙巡礼】管理人・亀山信夫

3 名前: 水戸学ー常陸太田人 投稿日: 2003/04/23(水) 10:24
藤原様、亀山様、誠にありがとうございます。
大日本史の周辺を探ってわが故郷に出雲式ー複式の伝統が生きている
ことを見つけ、記紀その他検証して先ず実在する確証を得ました。
明治に作った天壌無窮ー国体観は支那中華思想の易姓革命論に対抗して
非常時的に作られたもの、一過性のもので、伝統を代表しないと思われ
ました。
それにこの無窮、無謬の国家ー国体観は自然に反し、道理を無視し、
なげやりの国民性を涵養して、往々無責任体制の根源となります。
こんなものにいつまでも縛られているのでは、中国、英米にはめられて
世界の孤児に成り果てて彷徨った愚をまたぞろ繰り返すと痛感されました。
しかしながら、こうした複式の伝統は公的には明治憲法下では否定、
追放されて現在に及んでいます。明治6年の改暦、天壌無窮の国体の
憲法成文化、敗戦後の国字国語改革等、伝統を伝える媒体ーメディアを
抹消、迷信とする、単式の激流に翻弄されっぱなしでどうにもならない
ものがあります。
司馬遼太郎が、島根県の地方紙の正月号に県知事に先んじて出雲国造が現存
して祝辞を述べるのを戯画的に紹介していますが、これが限界で司馬さんも
単式伝統に身を潜めてしまっております。出雲の国造は現存しますが、その
公的な道は閉ざされてしまっていますし、その出雲国造神賀詞も本居宣長以下
単式ー無窮的解釈攻勢で埋没しております。
そこでせめて、これを伝えるメディアをと探究しているうちに
複式簿記が現れた次第です。
複式簿記は西洋産は勿論ながら、パチョリのもの、富山家の帳簿を見るとき、
いわば天人地の三才思想、陰陽原理で成り立っているのではないか。
借方、貸方で陰陽を表し、その上に神、神の子(イエス)、又神仏の名を記して
天地を現す。天地間にあって陰陽、バランス良く運動すれば利益が出る(天国へ)、
破綻すれば(地獄、煉獄へ)。時を限って運動し(させ)、決算を迎え、
蓄えが出来たら次年度の活動の担保となる。パチョリ、富山家の帳簿様式を
見てると、何だ、これは易だし、聖書でもあるなと思われました。
聖書は天地創生から新天新地の時までを記していますが、これも易ー複式簿記的な
記述編集法と思われます。従って聖書ー西洋中東と東洋世界を結ぶ媒体にも
なれましょう。
そうした意味で、タブーづくめで身動き取れない世界と日本(艮状態)に
いささかの刺激を与えられるかもしれません。
複式簿記会計学習教育はまだまだ大きな可能性を持っていると存じます。
何れ近いうちにまとめて皆様のご批判をいただく心算をしています。

4 名前: 藤原肇 投稿日: 2003/04/24(木) 04:02
このスレッドに三回ほど書き込みを試みましたが、そのたびにproxy規制中のサインが現われて、書いた記事が登録できず無駄に消えてしまいました。そのために落胆しているうちに寺川さんとの対談が載り、目的の一部が達成できて何よりと思います。寺川さんとの記事の図版を見て分かることは、複式簿記の本質が差動循環のメカニズムにあり、これは「ジャパン レボリューション」の「生活環」や「ATPサイクル」の注が示すごとく、円環のリズムによる易の思想と結びついています。
聖書はシュメール神話と天文観測の一部を剽窃したものだし、易の思想も天文地文の観測のエッセンスですから、差動変換の思想を根底に持つのは当然であり、そのことを考察したのが「間脳幻想」の対話でした。また、今の次元では宗教問題の本質に触れるのを避け、バイブルの欺瞞を「死海文書」との関連において論じて、宗教論争の渦に巻き込まれない用心のために、「ジャパン レボリューション」のレオナルド・ダ・ヴィンチの注では、イエスが双子だったというヒントを書くに留めました。
日本に公式に易の思想が伝わったのは飛鳥時代前後でしょうが、ことによると卑弥呼の時代に伝わっていたかも知れず、天文観測に基づいて縄文人も一部知っていて当然です。書かれた歴史ほど信用できない物はなくて、出雲では歴史は総て口伝で伝えられているのであり、文字で記録することの始まりが官僚制や支配と結びつくと、文化人類学や考古学の成果が教えています。だから、歴史における記録漁りは余り信用できませんが、それでも謎解きとしての興味の対象ではあります。
複式簿記が日本に伝播したのが室町時代であり、パッチョーリの思想を経由したものだったことは、埼玉大学の岩辺教授の「天海・光秀の謎」(税務経理協会)にあり、徳間から出た「複式簿記の黙示録」はその概要です。また、かって岩辺さんと会って複式簿記の歴史を論じたときに、徳間の本が一種の出版妨害にあったときいて、さもありなんと感じた経験があります。どなたかが『天海・光秀の謎』を読んで、それについてのコメントが出揃ってから、更に詳しい議論を進めたいと考える次第です。

6 名前: 野田隼人 投稿日: 2003/04/24(木) 08:51
過日の脱藩道場総会に出席した野田です。遅くなりましたが、藤原博士、皆様、当日は貴重なお話の数々有り難うございました。さて、岩辺晃三著「天海・光秀の謎―会計と文化」のご紹介、有り難うございます。アマゾンなどを調べたところ、未だ入手可能のようですので先ほど発注をかけました。入手次第目を通したいと思いますが、それまでに岩辺教授の以下の論文に目を通しておく所存です。

http://jbbs.shitaraba.com/bbs/link.cgi?url=http://www3.bus.osaka-cu.ac.jp/jcsara/journal/09/rcsar-09-01.pdf
実虚ピラミッド企業モデルの提唱
− 環境会計の確立と付加価値会計の深化に関連して −

http://jbbs.shitaraba.com/bbs/link.cgi?url=http://www3.bus.osaka-cu.ac.jp/jcsara/journal/12/rcsar-12-02.pdf
実虚ピラミッド企業モデルと簿記・会計

上記の2論文は、岩辺教授が「天海・光秀の謎―会計と文化」を発行した後に執筆された論文ですので、一読の価値があると思います。そして、岩辺教授の論文の中で印象に残る箇所の一つが、数学について言及した箇所でした。「簿記システムすなわち数学である。したがって、数学は尤も基本的なエネルギー科学である」

そう言えば、脱藩道場総会で藤原博士が、「数学、すなわち数理は大切だ。理が分かれば、全てが分かる。」と語っておられたのを思い出します。

7 名前: 水戸学ー常陸太田人 投稿日: 2003/04/25(金) 10:13
岩辺さんのご本を再読してみました。
安土時代にユダヤ系商人ーロルテスを通じて諸大名、大商人に複式簿記が
伝えられたというお説です。純国粋派と目されるような本居宣長すら
キリシタン文献を下敷きにして彼の「国学」を作ったなどという研究もある
ことですから、国産とされている帳合法も岩辺説が成り立ちそうですが、
何分証拠がないので、奮闘したというか、迷路に入ったというべきか。
易ー会計的に考えると。日光東照宮は伊勢の内宮ー天照宮に対して命名されたと
されていますから、これで東西(陰陽)を表わし、習合したことになります。
つまり。家康公は伊勢の大神とともに働いて(陰陽運動)、利益(子供ー命ー)を
生みますという対の表示ー陰陽の道になっているのです。そして生み出されるべき
理ー利益が何かといえば久能山の祖山であるところの富士山なんです。
自分の生涯の活動(陰陽バランス)が、富士山の理(それは伊勢の理でもある)に
捧げられたという証しをこの命名と地勢と社寺造顕で表わしていると思われます。
どなたか研究家が江戸の都市計画は富士山を指標にしたとしていましたが、
それも一つあるでしょう。
富士山は一名浅間山とも言われてますが、あさま、あるいはあさくまともいわれ
ます。伊勢の内宮の奥の院が朝熊山でここには今は金剛証寺がありますが、
本来はあさくまーくまじー八十隈路(やそくまじー出雲の国譲りの際のことば)
であり、内宮はこの道に立っているわけです。
家康、天海はこの日本の本来の道(複式)を知っていたわけです。いかにも
仰々しい日光東照宮ではありますが、あれは自分というより、この道への
オマージュだと思われます。
岩辺さんのお説では、日光も百観音寺もみな天海ー光秀の証しにしていますが、
近代以前は自己主張は美徳とされませんでしたし、陰陽の道は至る所に張巡らせ
られていますので、ユダヤの神紋にムリに結ばなくてもいいのではと考えます。

8 名前: 水戸学ー常陸太田人 投稿日: 2003/04/26(土) 10:54
岩辺晃三著「天海・光秀の謎」、「複式簿記の黙示録」は簿記外来説ですが、
固有説として代表的なものを未読の方のご参考に挙げておきます。
先駆的著書とされるのが、「江州中井家の帖合の法」、最近復刻版が出ました。
(洋学堂書店刊ー佐賀の古書店)、論文としてまとまっているのが、同じ著者ー
小倉栄一郎さんの「わが国固有帳合法の史的展開」(企業会計ー80年1月〜
10月号まで連載)、他に「江戸時代の帳合法」(河原一男、昭和52年)など。
私の前記のものは日本の陰陽の道からの推測で、簿記の歴史とは関係ありません。
家康がそんなことをやったのかと訝られる方も多いと思いますが、明治以来、
徳川がいわば朝敵ということになって天照宮ー内宮に対して東照宮を対立的に見る
見方になってますが、ここは習合的融合的に見ないと、せっかくの天海の真意を
逸するように思われます。岩辺さんの地図上に描かれたカゴメ紋は、もともとある
陰陽の道に定規を当てたという感がします。簿記を持ってきた人がユダヤ人で、
ユダヤのカゴメ紋を地上に描いて、光秀ー天海がその身の証しに作ったというのは、
いかがなものでしょうか。
陰陽は対立もするけど、融合して生むことがあり、こうした点で東照宮創建と
家康の公武法度と考え合わせてみると、大衆小説的相貌とは隔絶した顔が見えて
きます。歴史にはこういう流れがどうもあるようです。表向きは、陰陽の道を
迷信視していた明治政府も、明治神宮創建には鹿島神宮と富士山を結ぶ線上に
置いております。

9 名前: 水戸学ー常陸太田人 投稿日: 2003/04/29(火) 17:08
前記、7、8で陰陽の道などという表現を使っていますが、この種の事に
余りご存知ない方は、何を言っているのかと不思議がられるかもと思いまして、
簡単ですが、言わずもがなの注釈を入れますと、
易経ー易学はおおよその所、陰陽五行、八卦(自然界の動向性質を8分類する)、
天人地三才の理(気は体を生ずる、人は天の気、地の体を食(は)んで形をなす)
で構成されています。これは調べてみると、名前こそ違うものの世界中に同様の
システムがあることは、藤原肇さんのご本に詳説されてある所です。
複式簿記も福沢諭吉がアメリカの商売学校のテキストを訳した時は、西洋文明社会
の便利なもの、技術と考えられていましたが、陰陽、易の原理に則って作られて
いると思われる所が多く、その点で陰陽五行思想としての複式簿記という考え方も
成り立つわけです。
それがどうしたと言われれば、東西共通語となりますし、お互いのルーツが同じ
事を確認でき、三浦梅園ではないけど、「春夏秋冬一時にこれ有り」で同じ
バランスシートに乗っかった地球人だということがわかります。
また歴史の初発から今日に至る道筋を辿るのにも威力を発揮できます。何も自虐
だ何だと争わなくとも、天数、地数、人数の合局を知っておけば明治維新の
1868年や、第二次世界大戦終了の歳が1945年という、それだけで
はじまり方、終わり方が予測できるようになっています。
易を学校教育、児童公会計教育に取り入れる利点は、こんなところからも
来ています。
又、家康や内宮の陰陽の道の意味ですが、凡そ、乾徳の玉座、王座を占める
ような天皇、将軍等々なら日本に伝えられた天地の道(陰陽の道)をわきまえて
おかねばならず、家康がどうして知りえたか、これも謎ですが、歴史の原初から
伝わってきていることを次代に継承するのは義務であるし、現代人だけがこれを
無視してよいという理はなかろうとも思われます。
くどいようで恐縮ですが、以上の理由で提言した次第です。

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