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如是我聞 藤原博士語録
1 名前: 海原波彦 投稿日: 2003/11/21(金) 20:28
昨日の脱藩会で印象に残った藤原博士の言葉です。
録音テープではなく、メモを元に書いたものですので、誤記などがありましたならば、ご指摘のほどをお願い申し上げます。

如是我聞 藤原博士語録(2003.11.20 脱藩会)

(アメリカのイラク攻撃について、いろいろな憶測が飛び出し、話が散漫になってきた時)
「一つの事象でも、天のレベル、地のレベル、人のレベル、どれにフォーカスをするかによって、議論は全然違ってくる。
 フォーカスする点は石油なのですか? それとも宗教ですか?
 僕自身は、宇宙の天体が岩となり、岩が土となり、土から生命が生まれ、人間の文明が発生し、地球という天体にとっては膿にあたるような石油が利用され……という生命のレベルで考えているんだが」



「よく僕のことを、『オカルトだ』と言う人がいる。
 宇宙の中は、分からないことだらけ。そして分からないことがあっても別に構わない。
 分からないことを説明しようとするのがサイエンスです。そして現在のサイエンスの領域を越えて解明しようと、僕が取り組んでいるのがメタサイエンスであり、ハイポロジクスです。
 よく宗教の世界には、「このことは私は分かった」と言い切っている人がいるが、これは思いこみの世界でサイエンスではない。
 サイエンスは思いこみの世界に入ってはいけない」

2 名前: 伊藤正彦 投稿日: 2003/11/21(金) 21:03
海原波彦さん 昨日の脱藩会での着眼をアップとは早業ですね。

臨場感のあるうちに、掲示板に記録することは賢明と思います。
さきの脱藩道場の記録も、コラム単位での投稿を歓迎します。

貴兄の取り上げた藤原肇さんの語録ですが、ちと私の記憶と違いますので、念のために確認願います。

海原波彦さんの記録:
「.....宇宙の天体が岩となり、岩が土となり、土から生命が生まれ、人間の文明が発生し、地球という天体にとっては膿にあたるような石油が利用され……」

私の記憶:
「.....宇宙の天体が《石》となり、《硬い石》が土となり、《水が生じ、》土から生命が生まれ、人間の文明が発生し、地球という天体にとっては膿にあたるような石油が利用され……」

藤原肇さんは、鉱物質を「石」と呼称し、岩盤など構造地質を「岩(山のよう石)」との使い分けをしていると受け止めています。

また、生命誕生の重要な要素が「水」と強調され、中国の陰陽五行説を背景にして、生命誕生の仮説をコメントされていると理解しました。

また、生体内の抗原抗体反応で敗北した白血球である「膿」を、地殻構造の変化、特にユーラシア脊梁山脈の形成の如く、プレートテクトニクス仮説の「地殻のせめぎ合い」を巧妙に喩えたことも記憶に残りますね。

3 名前: 伊藤正彦 投稿日: 2003/11/25(火) 18:33
先の日曜日11.16に、はじめて藤原肇さんにお会いして1週間。短いようで、とてつもなく長い時間帯とも受け止めています。本日、成田より米国に帰られたとのこと。不可思議なご縁として、私の記憶に残ることと思われます。

さて、尾崎さんよりのお便りに、先般の藤原肇さんとの道場総会でのやり取りについて、私が尾崎さんに述べた感想《皆さんもそれなりに生きていて自信もある方ですが、藤原肇さんに痛烈に皮肉を言われても耐えるのはどうしてでしょうか?私は我慢しません。》への迅速な応答があり、なるほどと思い始めています。ご参考までに投稿します。
--------------------------------
【引用開始】
藤原さんの「日本脱藩のすすめ」の中に、次の一節がございます。

******************** 引用開始 ********************
昔から「弟子とは師を乗り越える者を弟子と称す」と言って、いつまでも下に安住していてはいけないのですし、「子とは親より優れる者をもって子とす」というように、親から生まれたから子であるという関係ではないのですね。一生懸命努力することによって、親を凌ぐようになった時、初めて自分は本当の子になったという関係が成立するということらしいです。
***** 中略 *****
自分は常に高祖になるつもりで生きていくし、その点では、すべての人間が子であり弟子になれるという意味で人間は平等な存在としての出発点を与えられていると思います。
******************** 引用終了 ********************
私は未だ弟子どころか孫弟子にも値していない身ではございますが、このような素晴らしい師に出会えたことを感謝すると共に、自らを高めるため、より深い洞察力を身に付けるために、様々な方々と切磋琢磨しつつ、一歩ずつ階段を上っていくプロセスを楽しめるような、そんな人生を歩んでいきたいと思っております。
【引用終わり】

【伊藤】これまた迅速なご返答というか、適切な引用紹介に感謝します。
藤原さんの「日本脱藩のすすめ」は、昔の記憶の中にあり、儒教道徳が身にしみた
世代の理想像と受け止めています。

でも、私は幼い時より、このように「出藍の誉れ」とか「栴檀は双葉より芳し」
とする「世代後継者が先代を抜くこと以外に世の進歩無し」と自覚したのか、
小学校から先生イジメをしていましたね。特定の情報を子供なりに掘り下げ、
当該箇所で先生に質問すると、その場逃れを言うことがあり、得たりと追究し
逃げるように引き下がる教師に喜ぶ、悪ガキだったという。記憶にはありません。

藤原肇さんが「親を超えた子」なのか、定かではありませんが、次世代は
自分を超えて欲しいのが、親や師匠のまともな願望。近頃はそうでないことも
あるようで、親の子離れもできないようです。

貴兄が暗喩しているのは、伊藤が藤原肇さんに対して「出藍」の姿で対応し、
博士の満足度が向上したとのことでしょうか? そうであれば嬉しい限りです。

4 名前: 海原波彦 投稿日: 2003/11/25(火) 18:48
藤原博士は「石」という言葉をよく使われますね。
この語録、まだ博士の承諾を得ているのではありませんが、(如是我聞ということで許していただけるのではないかと思っています。もし不適な点がございましたなら、管理者の方、削除下さいませ)、伊藤正彦さんのご指摘を含め、藤原博士の校訂を経て決定版といたしましょう。

また、脱藩道場総会の内容は、まず、参加者個々人が自分の発言について取りまとめ、検証することが肝要と考えます。
伊藤正彦さん、では我々から発言録を交換し、掲示板にアップしませんか?

5 名前: 海原波彦 投稿日: 2003/11/25(火) 19:01
如是我聞 藤原博士語録2(2003.11.17 脱藩道場総会)

○私「博士の絶版本・私家本は国会図書館で呼んでいます」
 藤原博士「切り取られているページがあることに気がつかなかったかい?」
 私「いいえ、そこまでは……」
 藤原博士「誰が、何の意図でそのページを切り取ったかを考えるところから、インテリジェンスは始まる。読み方が浅いな」


○「ヨーロッパ旅行で体調を崩し、しばらく臥せていたが、いつもは好きなモーツァルトを聴くのが苦痛に感じた。その代わり波の音、風の音を聴くことで安らいだ。宇宙の音楽を聴いていたのだ」

6 名前: 伊藤正彦 投稿日: 2003/11/25(火) 19:22
海原さん

議事録や発言録にこだわりすぎではないですか?
私は、道場総会や脱藩会での藤原肇さんとの、各位の面前での情報交換をしていおり、その場での発言の詳細を、掲示板に上げることは肝心ではないと思います。海原さんは、道場総会の司会でしたから、その立場での感想や議事録にちかいものは、ご自分の判断で投稿すべきかと思います。

もうすでにして、私も投稿を繰り返し、限られた応答のみで止めています。このそれぞれの投稿に、藤原肇さんとの接触からの影響もあり、私の着眼もあり、間接的には十分に
、私の発言録を掲示しました。

また、「石」の件は、構造地質学者が言うことと、門外漢の受け止めとは違っていてしぜんです。すべては、各自の受け止め次第、独習こそ重要であり、他に規範を求めるのは、藤原肇さんも求めていないはずです。これこそ「答えのない問題」の重要さであり、「塾頭が毎度交替する《適塾》システム」ではないのでしょうか?

本スレッドの名称「如是我聞 藤原博士語録」は、投稿者の聞いた語録の意味で十分かと思います。これも上記の論理で説明済みかと心得ております。

7 名前: 海原波彦 投稿日: 2003/11/25(火) 19:25
如是我聞 藤原博士語録3(2003.11.17 脱藩道場総会)
○「第2次世界大戦当時、アインシュタインレベルの学者が集まっても原爆が作れたとは思えない。
 原爆製造のコアな科学、テクノロジーはシュメール文明が連なる文明にソースを持つのではないか。ヒトラーが中東に進出したのは実は石油が本当の狙いではなく、秘められたテクノロジーを求めていた可能性がある」

○「商品市場でも、石油や金は人為的な要素が絡みすぎ面白くない。太陽の(宇宙的な)影響を受ける穀物相場やヒーティングオイルが面白い」

○「人類が知る法則ではフィボナッチ数列が至高。相対性理論の比ではない」

○(占星術に関して、内臓・チャクラと天体の関係について話したところ)藤原博士より「場の論理について勉強するとよい」との示唆あり。

8 名前: 野田隼人 投稿日: 2003/11/26(水) 17:49
海野さんの「如是我聞」、楽しく拝読しています。そこで、海野さんと重複する項目を除き、他に印象に残った藤原博士の発言を1点以下に掲載させていただきます。(レコーダーを持参していませんでしたので、多少表現のズレがあるかと思いますが、ご容赦願います)

★「著作権は自然に属すのであり、人間が著作権を主張するのは滑稽」
藤原博士の記事あるいは著書からの盗用が多いことが話題になったときに飛び出した博士の発言です。それと関連して、「オリジナル・アイデアというものは、それを生み出した者だけが正しく表現できるのであり、他人がいくら自分のオリジナル・アイデアのように見せかけても必ずボロが出る」、「僕の記事や著書からのパクリが多いと言っても、僕自身の記事・著作も、ここはライプニッツからのパクリだ、これは管子からのパクリだなどと指摘されかねない(笑)」といった発言の後、自然との対話・自然の観察を重んじられる藤原博士からの上記の言葉になったわけですが、博士の一連のメタサイエンス系の著書を思い出しつつ、実に味わいある発言だなと思ったことでした。


その他にも取り上げたかった項目がありますが、内容からして誤解を受けかねないために掲示板に公開するわけにはいかず、割愛させていただきます。

9 名前: ナニワのだるま 投稿日: 2003/11/27(木) 16:31
一年前の総会のあとの二次会で食事中に藤原博士が「間脳幻想」の対談者、藤井尚治先生のことについて触れられた時、藤井先生は確か薬品か何かで特許を申請すれば大きなビジネスに繋がる事をあえてせずに後進のために残しているといった話を聞かせて頂いた記憶があります。これは野田さんが投稿された藤原博士の発言に結びつくと思います。確か台湾の霊芝とATPサイクルの話題になった時ではないでしょうか。耳からの記憶が少し飛んでおり、情景描写による視覚情報や料理(さつま揚げの天ぷらなど)味覚情報に意識を働きかけて記憶を再現したので定かではありませんが、テープ聞き直す時間が今ないので直接投稿しました。また藤原博士や藤井博士の考えを歪曲しないためにも知的所有権の問題は別次元で誠実に議論し、一定の合意にいたるプロセスを共有するのは大事だとも思います。

10 名前: 藤原肇 投稿日: 2003/12/11(木) 03:34
藤井先生が持っていたアメリカのパテントは、Method of Treating Gastric, Mammary, Lung,and Uterus Tumors と題したもので、パテント番号は#4,393,071で、アブストラクトはこの番号を引けば読めます。

11 名前: 相良武身 投稿日: 2003/12/11(木) 21:55
相良です。先日、ものすごく恥ずかしい書き込みをしてしまいました。
今、自分が浴びている悪意の影響でしょうかと
反省しております。
本日、パテントのアブストラクトを入手し、ざっと、眺めている
ところですが、自分の語学力のなさを痛感しています。
とにかく読んで、書き込みます、

12 名前: ナニワのだるま 投稿日: 2003/12/15(月) 23:54
藤原博士、藤井先生のパテントの紹介有難う御座いました。インターネットの検索で無事発見しました。もし、少しでも理解できたら投稿することにします(笑)。

13 名前: 藤原肇 投稿日: 2004/01/01(木) 17:38
藤井先生の米国でのパテントに強い関心を抱き、自力で記事を引き出した努力に敬意を表します。このパテントの独創的な着眼点として素晴らしいは、葉緑素の前躯体のプロトポーフィリンの機能と、血液(赤血球と白血球)の働きの相似性に着眼し、それがガン細胞の増殖抑制をすると考えて、その免疫効能に対して評価をした点です。血液が細胞でプロトポーフィリンが粒子体だと考えれば、細胞レベルの酸素呼吸を司るパラサイトとして、進化において太古の時期に細胞内に棲みつき、遺伝子より生命現象に貢献するミトコンドリアと、プロとポーフィリンの類似性に気づいて当然です。そこで思い出すのは山田さんとの対談の(上)で、西成克成博士について行った発言があり、私は西成さんこそノーベル医学賞の候補者に、最もふさわしい画期的な仕事をしたと断言しました。
それは西成博士の「内臓が生みだす心」(NHK出版)を読み、ノーベル医学賞の審査員推薦人の藤井先生の弟子で、科学者としての訓練を受けた私の閃きとして、これは本物だと読み取ったことに基づいています。確か脱藩道場か脱藩会での雑談をした時に、ミトコンドリアか寄生体のことが話題になり、西成さんの仕事について話したように思います。その場面のことを記憶している人もいて、私よりも正確に状況を覚えているかも知れません。その時に会話に参加していた読者の人が、「財界にっぽん」の記事のコピーと「間脳幻想」を小包で送り、西成博士に手紙を書いて贈呈したようです。それに対して西成先生が丁寧な礼状と共に、最近著の「免疫・生命の渦」を二冊署名して、その人の所に送って下さったことの余禄に預かり、私も「免疫・生命の渦」を読む機会に恵まれました。
本を適当な人に贈ることの意義は素晴らしく、こうやって心と精神がリンクして人間が知り合い、敬愛のネットワークが出来ていきますが、実際に行動に移した読者の実践力に感銘しました。私が西成先生に直接コピーを送らなかった理由は、発言の当事者がでしゃばったことをしなくても、良い情報は必ず取り次ぐ人が現れるものだし、そういった行動力を身をもって示すことで、世の中は良くなっていくと期待できるからです。
さて、そこで新年のお年玉になるものをと考え、新しい読者に西成先生の「内臓が生みだす心」を贈りたいと考え、NHK出版に30冊ほど注文の手配をするので、一月の半ばには亀山さんの所に届くと思います。それをブッククラスターを注文した人に、「神話伝説・医学用語」や「911時件の真相と背景」と同じ扱いで、私からのプレゼントとして差し上げたいと思います。また、この本は書店で簡単に手に入りますから、心とは何かについてじっくりと考察しながら、ミトコンドリアの働きについて再評価すれば、DNAとかゲノムに熱中している流行現象が、いかに系統発生や進化のプロセスの本質から、逸脱しているかが納得できると思います。
それにしても藤井先生の特許の発想の延長上に、西成博士の画期的な仕事と免疫学説が位置し、それがフラクタル関係だと気がつけたのは、実に嬉しいことであると思った次第です。良い元旦になりました。

14 名前: 亀山信夫 投稿日: 2004/01/05(月) 07:10
コンテンツ[図書購入のご案内]に、新たなプレゼント本『内臓が生みだす心』(西原克成著 NHKブックス)を追加しましたのでお知らせ致します。
http://www2.tba.t-com.ne.jp/dappan/fujiwara/sales.html

その後、早速図書購入の申込がありましたが、1月1日以降に図書購入の申込をしてきた読者に対しては、『内臓が生みだす心』が拙宅に届くまで書籍の発送を待ってもらっています。


ホームページ【宇宙巡礼】管理人・亀山信夫


★追伸:絶版本について
昨秋の脱藩道場総会の時に『朝日と読売の火ダルマ時代』をはじめ、『アメリカから日本の本を読む』・『理は利よりも強し』・『教科書では学べない超経済学』をアメリカから藤原博士に持参していただき、早急にコンテンツ[図書購入のご案内]にて頒布をご案内したところ、早々と『アメリカから日本の本を読む』および『教科書では学べない超経済学』が完売、『理は利よりも強し』も一冊を残すのみとなりました。

その後も『アメリカから日本の本を読む』や『教科書では学べない超経済学』の在庫が無いかという問い合わせが続いており、絶版本を入手したいという読者が多いことを知りました。そこでお知らせですが、絶版本を入手したい読者は以下のURLを訪問し、“藤原肇”をキーワードにして検索すれば絶版本の入手が可能です。オンライン書店の大手であるアマゾンでも現在流通している本と一緒に絶版本も取り扱っているので、利用すると良いでしょう。貴重な『教科書では学べない超経済学』や『インテリジェンス戦争の時代』もアマゾンの出品者から入手できます。

http://www.amazon.co.jp/
http://www.easyseek.net/
http://www.kosho.or.jp/
http://www.murasakishikibu.co.jp/

15 名前: シナジー 投稿日: 2004/01/09(金) 14:56
西成克成博士は、たしか故・三木成夫氏の弟子筋にあたる方でしたね。
三木氏の名著『胎児の世界』(中公新書)を読んだあと、『ドグラ・マグラ』を
読むのも良いかもしれませんね(笑

16 名前: 黒岩英樹 投稿日: 2004/01/27(火) 15:16
西成先生の「内臓が生みだす心」を二回繰り返して読んだことで、細胞の呼吸がとても重要であることを学び、ミトコンドリアという不思議な存在が担当する、細胞における酸素呼吸について知ることが出来て、本当に目からウロコが落ちた感じがします。そのうえ、口呼吸が免疫システムを害し万病の元だと教えられて、口呼吸をして鼾をかく自分の悪い習慣の恐ろしさを思い、これは大変だと痛感させられました。口や歯がこんなに健康に取って重要だとは予想もしませんし、学校の授業でも習った記憶がありませんが、大事なことは自分で学ぶしかないと痛感して、この本を教えてくださった藤原さんと著者の西原先生に、深く感謝したいと厚くお礼申し上げます。

17 名前: ナニワのだるま 投稿日: 2004/01/29(木) 00:41
今から約2年程前(テーマはロスの日米文化会館騒動に見る日系コミュニティの混
迷)の総会後の居酒屋で参加者のひとりが藤原博士にあなたの
言う
ソフトウェアとは具体的にどういう事かと質問したら、側にいた私が先に自らの認識
を述べた事があります。・・・「ソフトウェアとは読書に例えて言えば行間を読むと
いう
センスがそのひとつだと思う。英語に(read between the lin
es)という表現があるがこれは元々日本人が行間を読むと翻訳して日本語化したの
か元々両方の言葉にそういった発想が言語化されていたのかどうかは知らないが。」
・・
・ 

藤原博士・・・「それはステップとして捉えたらいい。本は行間を読むのみに終始す
るのではなく、次に行間には何が書かれていないのかを掴まないといけないよ。」・
・・

 これは情報問題を扱う上でのノウハウであれば他にどのような応用ができるであろ
うか。情報次元の場を考えていくヒントになるであろうから、いろいろ日常的に試し
てみ
たらいいと思います。

そこで、過去の藤原博士の発言から、いくつかを引用して見ると

「マクロメガ経済学の構造」P184

松崎「それでも、ソ連に較べたら米国の方がはるかにミニチュア指向だ。自由主義経
済で競争の原理が生きているので、経済的合理主義が機能するのです。下士官以下の
人間による職人的な叩き上げ技術はソ連で巨大ロケットを作り、教育程度の高い士官
以上の技術者はアメリカに渡り、原理を追求しながら省エネルギー、省予算型の小さ
なロケットを作った。この二つの例などは、ハードウェア指向とソフトウェア指向の
対比になる。

藤原「それはハードのハードとハードのソフトの対比であって、私がやっている石油
開発のような、ソフトのソフトやソフトのハードの領域とは大分違う。

藤原博士はP
36においてハードとソフトの概念を三次元的枠組のなかでは並列的だけれど、四次
元以上になると、時間軸における不可的なダイナミズムが関係してくるので、並列的
ではありえなくなる、と理解したらいいと述べられています。

それでは私なりに上の事を実践していく訓練として再び読書にその概念を当ててみる
と大まかに次のようになります。

その前に言葉を整理しておくとハードウェア(タンジブル、ビジブルな枠組みや物質
的な要素)、ソフトウェア(インタンジブル、インビジブルな領域における考え方や
その背景にある質的要素)

本に相似させると、まず文章そのものを意味する行をハードそのものとしハードの
ハードとは行の意味の直接的な解釈の理解を表す。次に行間をソフトとしハードのソ
フトとすればこ
の関係は先の松崎先生の概念になるものと仮定します。

それで次にソフトのハードだがこれは行間というインタンジブルやインビジブルな領
域を主体にして仮説(ハード)を組み立てる知的作業とすれば最後に来るソフ
トのソフトとは行間を主体にして仮説を立てれないのが何かを明らかにさせ、それが
存在するかのように仮説の仮説を作ったりするのを試みる。つまるところ以上の事柄
を総体把握として
動態的にシミレートする作業を可能にする考えとみては如
何か。

18 名前: 野田隼人 投稿日: 2004/02/03(火) 16:48
現在、某国際ビジネス・コンサルティング会社に依頼されている「〜のすすめ」シリーズの原稿を執筆中ですが、今月のテーマとして「ミトコンドリアのすすめ」を予定し、その叩き台として(参考文献)以下の本を当初考えていました。

・『ミトコンドリアと生きる』(瀬名秀明・太田成男共著 角川書店)
・『ミトコンドリア・ミステリー』(林純一著 講談社ブルーバックス)

しかし、その後藤原博士がプレゼント本に西原克成博士の『内臓が生みだす心』を追加されたことを掲示板で知り、早速目を通しましたが、まさに天地がひっくり返るような思いを味わいました。少なくともここ5年間、西原先生の『内臓が生みだす心』ほど衝撃を受けた本は他に記憶にありません。

手許に立花隆と利根川進とによる『精神と物質』という本がありますが、その本の中で以下のようなくだりがあります。

***************************************
立花隆 人間の精神現象なんかも含めて、生命現象はすべて物質レベルで説明がつけられるということになりますか。
利根川進 そうだと思いますね。もちろんいまはできないけど、いずれできるようになると思いますよ。脳の中でどういう物質とどういう物質がインタラクト(相互作用)して、どういう現象が起きるのかということが微細にわかるようになり、DNAレベル、細胞レベル、細胞の小集団レベルというふうに展開していく現象のヒエラルキーの総体がわかってきたら、たとえば、人間が考えるということとか、エモーションなんかにしても、物質的に説明できるようになると思いますね。
『精神と物質』(立花隆・利根川進共著 文春文庫)p.322
***************************************

上記の文章から、人間のエモーションや考えは脳から生じると利根川博士が考えていることは明白です。利根川博士同様、私も心・精神は脳から生じるものとばかり思っていました。だから、『内臓が生みだす心』に目を通して天地がひっくり返ったような気分を味わうのも、今から思うに無理のない話でした。

19 名前: 藤原肇 投稿日: 2004/02/13(金) 17:09
野田さんの記事の中に「精神と物質」という対談の引用があったので、だいぶ前に読んだような気がして本棚を探したら、文庫本ではなくハードカバーのものが出てきました。最後のページを開てみたいたら、次のような読後感に似たものが書いてあり、果たして参考になるかどうかは分かりませんが、短い言いっぱなしの言葉のようですが引用してみます。
[喝]!!、(にんべんの漢字がないので代用します)「自然を知らず、宝蔵開かず」、[利根川はphyllogenesis の本質が分かっておらず、DNA帝国主義毒された実験屋だから、生命の実体も分かっていない。せいぜいノーベル賞れべるだから大学教授が最適。立花は知識の固り、智慧なし。]
もう十数年以上も前に書いたものと思うのですが、当時の私の生意気な直感は、西原さんの本を読んだことによって、どうやら正しかったという印象を強めています。立花君も私も共に都立上野高校で米山先生から地学を学び、フランス文学気違いだった私が地質学をやり、哲学かぶれの立花君がフランス文学をやって、半世紀ちかく後にこんな見解の差が出ました。
果たしてこんな愚にもつかないことを披瀝して、何になるかという感じもしますが、DNA至上主義にたいしての批判のひとつとして、高血圧で頭に血が上った勢いで書いた次第です。

20 名前: 野田隼人 投稿日: 2004/02/14(土) 06:51
『精神と物質』のハードカバーを藤原博士が所有しておられることを知り、『精神と物質』のハードカバーが発行された当時の思い出が蘇えりました。確かに最初の『精神と物質』は1988年にハードカバーで発行されており、私が目にしたのも同著のハードカバーが最初でした。1988年と言えば、当時の私は大手の某電子部品メーカーに勤めていましたが、仕事の一環として本社にあった図書室の管理を担当していた関係から、同社の誰よりも早く『精神と物質』に目を通すことが出来た次第です。『日本脱藩のすすめ』に「(大学の)図書館に入学した」といった旨の記述がありましたが、私も仕事の一部とは言え、図書館の管理を仕事の一部として担当したのは良い体験をしたと思います。
さて、藤原博士の「(利根川は)せいぜいノーベル賞レベルだから大学教授が最適。立花は知識の固まり、智慧なし」という発言について以下に附言しておきたいと思います。
最初に、長年の藤原ブッククラスターならいざ知らず、一般の人たちが上記の発言を目にすれば違和感を持つことでしょう。なにしろ、ノーベル賞と言えば日本では超一流の科学者が受賞するものであり、それだけ価値のあるノーベル賞を受賞した日本人は物凄い人であるというのが日本の“一般常識”になっているからです。しかし、ノーベル賞選考委員を選考する立場にあった故藤井尚治博士と長年の親交がある藤原博士や、直接藤井博士を保存する会(脱藩会の前身)に参加したことがある人や、『間脳幻想』(藤井尚治・藤原肇著)に目を通した人であれば、「せいぜいノーベル賞レベル」という藤原博士の発言の意味を知り尽くしていると思います。ともあれ、三週間ほど前に手にした西原克成博士の『内蔵が生みだす心』を手にした時の衝撃が今でも昨日のように思い出します。その西原博士の生命観について一筆したためた拙稿が近く某国際ビジネス・コンサルティング会社のウェブにアップされると思いますので、アップされましたらスレッド「空海の夢」でお知らせします。
次に立花隆ですが、私は一時立花隆の本をかなり揃えていた時期がありました。しかし、その後臨死体験などのオカルト本が出るようになってから、立花隆の本から次第に遠ざかっています。その後入手した立花隆関係の本と言えば、『立花隆の無知蒙昧を衝く―遺伝子問題から宇宙論まで』(佐藤進著 社会評論社)、『立花隆先生、かなりヘンですよ―「教養のない東大生」からの挑戦状 』(谷田和一郎著 洋泉社)など、立花隆本人以外の人たちが書いた本などに限られます。

21 名前: 藤原肇 投稿日: 2004/02/20(金) 18:03
「精神と物質」に関しての読後感を掲示板に披露して、利根川博士と立花君について書いた件につき、野田さんが付言を書いてくださり感謝します。私は説明するのが嫌いという悪癖を持つので、結論をズバリ書いてしまい意思の疎通が悪く、多くの日本人に大いに迷惑をかけてしまうようであり、野田さんの付言を読みまたやったかと思った次第です。弁解はせずに補足するに留めることにしますが、皆が良く知っている例で藤井博士と小室博士は、共に対談相手として共著の相手の人ですが、私に言わせれば二人とも身近な天才の例であり、共に鋭い洞察力と閃きの持ち主の人と言えます。
それだけに二人は教育者として教授になどならず、野にある天才として鋭い閃きを誇ると共に、奇言や妙言を発しては特殊な人気を誇っていました。それだけに気軽に近づいて教えを乞おうとすれば、とんでもない事態に巻き込まれて困惑することは、「間脳幻想」の「まえがき」が見事に実証しており、天才を先生として教育者にするならば、その弟子はショックで再起不能に似た精神に陥ります。天才は余りに独創的なために教育者として不適任であり、とても大学教授の仕事など勤まらないことは、藤井さんや小室さんの例が生きた証人だと、私が自信を持って証言していいことなのです。
それに対して利根川博士や立花君の場合においては、共に実験屋とか知識の編集屋に属しており、一見すると用語が分かり辛くて難解な感じだが、要するにデーターがぎっしり詰まっているだけだから、時間をかけさえすれば理解できる程度の内容であり、それほど卓絶した発想や寓意などの操作は無いので、大学教授の授業と同じで最後には分かるのです。要するに、インフォメーションとインテリジェンスの違いで、余り相移転がないリニアー的な講義内容が、大学教授の授業を支配している傾向であり、それに対してマスターが発する言葉の中身と真意は、一子相伝的なものだと考えたら良いでしょう。
その点で藤井先生が残した「生命と経験」「医者とコンピューター」「脱魂」などの名著は、インテリジェンスの指南書として有効であり、私はこれらの本を読んで頭のゴミを掃除しています。小室博士の著書の場合にはばらつきが目立ち、一冊に数行の閃きある発想が読み取れるものから、時には何ページもの冴えた発想を含む本もあるが、最近はどうも粗製濫造という印象がして残念です。

23 名前: 佐藤春彦 投稿日: 2004/06/06(日) 21:25
何年か前の脱藩会で、藤原さんが"人間は国籍や皮膚の色で区別されるのはおかしく、自由人と奴隷の違いがあるだけで、時間を支配する者が自由人だが、時間に支配される者が奴隷た"と言ったのを聞いて凄いと思いました。
最近ですがアレクサンドロス大王の伝記を読んでいたら、大王が"人間は民族として差別されるべきではなく、もし区別があるとしたら、それは善人か悪人の違いがあるだけだ"と言ったと言う記事に出会い、良く似た発想だなあと思いました。

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