社会への恩返しのすすめ
1 名前: 亀山信夫 投稿日: 2003/03/24(月) 10:53
「マチュアライフ」2002年創刊3号の巻頭言に掲載された藤原肇博士の「社会への恩返しのすすめ」をアップしましたのでお知らせ致します。
http://www2.tba.t-com.ne.jp/dappan/fujiwara/article/maturelife0203.html


ホームページ【宇宙巡礼】管理人・亀山信夫

2 名前: 野口良輔 投稿日: 2003/03/25(火) 10:48
古本屋街などをぶらついていると、余生はご奉仕と頑張って働き、調査、
研究記録を重ね自費出版している方の本にぶつかることがよくあります。
でたらめもありますが、正統のいいものもあります。
一昔前ですが、そうした方々の本が何冊か集まり、又多少ご交際も叶ったころ、
当時、80歳代でしたか、坂口三郎さんの本がどっと4冊出たので、併せて出版社
から送ってもらったら著者から葉書をいただきました。
その時ふと、この猛烈独創老人研究者たちが一同に会したら面白いだろうと思い、
出版社に提案しましたが、ご返事はもらえませんでした。
今思うと、惜しかったなと。日本国土を10倍に出来ると提言した
マトリックス簿記創案者の越村信三郎さん、バブルの頃の財政余剰金を活用して、
国家債務完済、貯蓄も出来て無税国家が出来ると数理数表を発表した本田さん、
世界中、日本中を廻って警世の国土改造論を91歳まで発表し続けた林学者の
岩田さん、それに坂口三郎さんの豪華メンバー、さぞかし面白かったろうと、
今でも時折思います。

3 名前: 藤原肇 投稿日: 2003/03/29(土) 19:06
坂口さんは思想的には皇室崇拝の国家主義社ですが、思想の一部に素晴らしい考え方が読み取れるだけでなく、彼の体験は実に貴重なので私は歴史の証言を集め、時には長時間にわたって議論したものです。25年くらい昔の私は留学している若い学生達に、拙著だけ出なく興味深いと思った本を送ったりしましたが、それは私が留学生だった時に本を送って下さった人がいて、その好意を実にありがたいと感じていたからです。良書をより若い世代に贈ることは人材を育てることになり、これは欧米では実に自然な形で行われていて、公立図書館にはXXXの遺族とかZZZの思い出と共に、あるいは、YYYの子供たちよりと書いたシールのある本を良く見かけました。
私も出来るなら真似事でもできたらと思っていたら、母親が亡くなった時にムチ打たれる形で,全国の高等学校と各地の県立図書館に、「山岳誌」の特装版を東名社の社長の努力で作っていただき、遺族の子供達の名前で寄贈することを体験できました。日本人は礼儀正しくよく贈り物をする民族ですが、してもらった人にお礼を返すと言う閉ざされたものが主体で、キャッチボールばかりしている為に、未知の人や知らないがより恵まれていない人にではないので、外に向かって発展しなくて残念です。亀山さんに手伝ってもらって本の頒布をしているのも、別に本を買って欲しいのではなくて、本を贈る楽しみを味わって欲しいと思うからであり、自分が2冊持っているときには近くの図書館に寄贈したり、母校に送るくらいの気持ちを育てて貰えたらと、密かに思っているのに余りそうならないのは、日本人が賎民資本主義にどっぷり浸っているせいでしょう。
自分の価値観が日常の営みの中で行き方にならない限り、人格とかキャラクターとかは本物にならず、個性が普遍性に売らず消されなければ、幾ら脱藩しても世界では相手にされないし、品性において尊敬されない限りは虚名は空しさの同義語です。
25年くらい前に間だの古本屋の特価本として、坂口さんが健友館かどこかで出した本を見つけて読み、素晴らしい内容だったのでまとめて買い、留学生達に送ってあげた記憶があります。その中の一人にハーバードに留学していた藤井昇君がいて、彼が日本に帰った時のアドバイスとして行ったのは、2年以内に坂口先生の過去の体験を全部吸い取り、若者の知識と老人の体験を総合して独自のものを作り、それを武器にしたらどうかと言ったように記憶します。凄い人は良いものと同時に悪い毒を持っており、その毒にやられないことが師を乗り越えるノウハウで、それを中国の古人は「出藍の誉れ」と名づけたと思います。また、藤井尚治先生と対話して『間脳幻想』の土台を作ったときに、彼がニイチェの言葉を引用して「竜が蛇にかまれて死んだことはない」と言ったのを思い、まさか藤井君が坂口先生の極端な民族主義にいかれてしまい、単細胞の慎太郎を総理大臣になどというような本を書いたり、行動するようになるとは夢にも思わなかったので、彼を狂わせた責任を感じて胸が痛くなるばかりです。
もし、私が坂口さんの本を彼に贈ることが無かったら、藤井君は世界的な視野を持つ国際政治学者として、亡国日本を救う上でより大きな貢献をしただろうにと思うと、人生は己の判断で道を切り開くものだとは言え、現在の私が感じるような後悔をしなくて済んだかも知れません。しかし、それもまた人生です。坂口さんは実に興味深い老人であり、同時にふぐチリにも似た味わいと人をしびらせる、マムシ酒と同じ不思議な味覚の持ち主でした。高校生の頃の私は「新古今和歌集」の濃艶な世界が好きで、一次期はロマン派にも感銘したものでしたが、麻疹による発熱は若い生命の漲る時に体験すべきで、いい年をして麻疹に罹るのは脳の為に良くなく、吉田松陰は20代の半ばで麻疹を患ったために、三十になる前に命を落としたのかもしれないが、それを脱藩道場のゼミで誰かが論じるかも知れないと思い、多いに楽しみにしていますというのがゼミイブのメッセージです。藤原

4 名前: 藤原肇 投稿日: 2003/03/29(土) 19:15
訪問している知人のコンピュータで書いたために、上記の文にだいぶ誤植がありますが、別に謎解きではなく不手際の生で、読み難くて申し訳ありません。藤原

5 名前: 野田隼人 投稿日: 2003/03/30(日) 05:40
 藤原博士の「良書をより若い世代に贈ることは人材を育てることになる」というご発言を目にし、我が意を得た思いがしました。私も、藤原博士ほどではないにせよ、己れよりも若い世代の人たちに本を贈ることを時折行っております。中でも最も深い思い出は、高校時代の恩師に依頼され、埼玉県立川越工業高等学校が毎年開催している講演会でスピーチを行った時でした。その時、私は『脱藩型ニッポン人の時代』(藤原肇著 TBSブリタニカ)を同校の図書館に寄贈しています。『脱藩型ニッポン人の時代』を寄贈したのは、同書の「あとがき」に読者の一人として私の名前が載っていたことと、講演会で私がスピーチを行ったテーマが「国際社会へのチャレンジ」というものだったからです。この講演会は、確か平成3年度(1991年)に行われたものですが、以下のような形で私の経歴を紹介していただいております。


紹介
高校卒業と同時に海外事情に目を向けて機会を見つけ海外各地を遍歴しアルバイトをしながら生活をしてきた。その間に多くの友人をつくり帰国後も友好を結び交流を続けている。その経歴の中で「日本人から見た海外」と、「海外の人々から見た日本」を社会・文化・生活習慣等の壁をどの様に取り払い、相互理解を図るべきかを常に実践している。
 


 さて、本日はいよいよ脱藩道場総会が開催される日ですね。私も〆切ギリギリでしたが、藤原博士の宿題を期限内に提出することが出来てホッとしております。藤原博士、ホームページ管理人の亀山さん、その他本日ご参加の皆様、本日は宜しくお願い申し上げます。


野田隼人拝

6 名前: 藤原肇 投稿日: 2004/03/27(土) 16:11
坂口さんの「戦争廃絶の理論」は非常な名著であり、「アメリカから日本の本を読む」〔文芸春秋・絶版〕という書評集の中に、「ご破算の時代」について書いたときに紹介してあり、今こそ日本がご破算を迎えている状況下で、「戦争廃絶の理論」を読み直す時だ思いました。
そこて木村さんが「真相の深層」を創刊する覚悟を決め、3000円の前払いで年間購読者を募るというので、それなら申し込んだ人に贈呈してくださいと、木村さんにカンパのつもりで提供しました。
もう十数年以上も昔の話になるが、田原総一郎が電通と組んで青の会とかいうものを作り、それに参加すれば講演のチャンスを与えられ、こうやって金の欲しい若い言論人を引き込み、体制の御用評論家にするという話を藤井昇がして、それをどの本だったかに書いた記憶があります。
それからだいぶして藤井君は貧すればドンするとでもいうか、結局は権力の走狗の仲間に入ってしまい、慎太郎を首相にしようとかいう本を出したり、テロリストを賛美する演説をして失笑されたりで、彼のもとに集まっていた弟子たちにも見放されたと噂に聞いて、「竜になれなかった蛇」という藤井先生の言葉の含蓄を思い出した次第です。

7 名前: 野田隼人 投稿日: 2004/03/27(土) 17:22
「日本がご破算を迎えている」という藤原博士の発言を目にし、近い将来に大激動期を迎えるであろう日本に思いを馳せました。実は3日前の3月24日、ベンジャミン・フルフォード氏の新著『泥棒国家の完成』が発売されています。早速入手して同著に目を通したところ、相変わらずユニークかつ鋭いフルフォード氏の発言が目に飛び込んで来ました。曰く、

・「年金問題ですが、これは国家によるネズミ講です。」

・「エコノミストというのは、いくら不況だろうと、経済があるかぎりリストラされません(笑い)」

極めつけは、フルフォード氏が同著の最後の方で述べている以下のくだりです。

★日本の破産がいつ来るか、アルゼンチンの二の舞になる日はいつか、それはもう目前です…

フルフォード氏の言うことは完全に正しいと思います。尤も、本掲示板を訪問する人たちにとっては、上記のフルフォード氏の発言は常識の部類に属すと思いますが、その一方で将来に一抹の不安を感じているものの、将来も日本は大丈夫だと思っている多数派の人たちも周囲に大勢いることは確かです。

8 名前: 加納一郎 投稿日: 2004/03/30(火) 18:16
坂口さんの戦争廃絶の理論では、地球政府を創立してエクセルギー通貨なるものを
発行すると税金もいらない、戦争もなくなるというものです。
今度取り上げられましたので、ネット上でエクセルギーを検索すると、
環境問題用語としてなんとなくつつましく定着しているように見受けられました。
気宇壮大な坂口提言はどこにも伝わらなかったのでしょうか。
しかしながら今回、藤原さんの義侠心により、絶版書が心ある人々に手渡される
こととなりました。新しい読者たちに坂口提言の大成を期待したいと思います。

9 名前: UFO 投稿日: 2004/06/05(土) 22:25
蛇が竜になれなっかったのは、「虎も野に降りれば犬に殺される」という意味で、この文脈から察するに藤井さんという方が竜のとしてのポテンシャルは十分有ったのに自分の居場所を間違えてしまったということだけで、藤原博士には責任は無いでしょう。「書」の毒と薬を見分けるのは読者の責任。ただし、「書」と「意」の間を察すには相当の修行が必要なのだけは確か。

10 名前: 岩崎孝治 投稿日: 2004/06/06(日) 00:31
藤井厳喜(著) 「新円切替」 (光文社)
この本やベンジャミン・フルフォード氏の三部作(日本がアルゼンチン
タンゴを踊る日)にあるように日本はあと少しで大増税と信用システム
の破綻で完全に麻痺し崩壊していくでしょう。ただ一点、これらの著者
が知らない事があります。日本人には真実を見抜く目を持つ普通の能力
を持つ人と、それを長い時間(17年)かけて準備し組織を作ってきた
人もいるということです。ステルスを見抜ければこの国はだめですが、
日本人の一部にとってはこれからは今までよりは良い国になりますよ。

11 名前: 岩崎孝治 投稿日: 2004/06/06(日) 00:33
類は友を呼ぶ。結局、現在も歴史の一部でしかないということを知りました。

12 名前: ナニワのダルマ 投稿日: 2004/06/07(月) 15:28
藤井厳喜氏の新著「新円切り替え」は私も既に読みました。一読した限りご指摘のように藤井氏はすでに日本の政治経済に関しては諦念の域に達せられたご様子ですがこのまま自身がくたばるのはシャクだから自分が知りうる限りのこの国の問題を洗いざらいにし無責任な政治家・官僚に一矢報いるせめてもの抵抗だとも述べられていましたね。

また最近氏は自前のメーリングリストを作り有志達に無料配信されたり大学でも教授になって学生達に国際政治の授業を教え結構評判らしいですよ。氏の授業は生きた国際政治経済を取り扱うのをモットーにし新聞の記事をよく多用されるとか。ただベースになるのが産経新聞というのがちょっと・・・・

http://backno.mag2.com/reader/Back?id=0000123740

13 名前: ナニワのダルマ 投稿日: 2004/06/07(月) 15:39
ひとつ書き忘れましたが藤井氏は現在地元に「士道塾」を設立し若手を育てていくことにも尽力
なされているらしく自身の講演の時に弟子達が駆けつけてくれてすごく感動したとか。結構情動の人なんですね。また上記の大学での生徒の評判は4月9日付けのメーリングリストでご覧になれます。

14 名前: 厳ちゃん 投稿日: 2004/06/08(火) 15:35
私はしばらく藤井先生のもとで修行し先生がおそらくハーバード大で修得された
情報分析の方法を直接体験、親しく交流させてもらったが、藤井先生は関羽同様『義の人』
であり、『情の人』でもある。すぐれて人間的、男臭い方でもある。だから、上記ナニワのダルマ
さんの情報にあるように、若手が慕って集まったとしても、不思議はないと思う。
本に書く内容も重要だが、人間として慕い、敬われることも大切だ。危機意識を持つのは結構。
要は、どうしたら日本人に向けて、日本人が耳を傾けるように、説くか、ではない
だろうか。日本人は馬鹿だ、人間以下だ、そのほか、会う人間を手当り次第に攻撃しても、
誰もついてこない。

15 名前: 谷口源太郎 投稿日: 2004/06/08(火) 23:53
ナニワのダルマさんと厳ちゃんは書き込むスレッドを間違っていませんか。ここは<社会への恩返しのすすめ>のスレッドでして、あなたたちの発言はスレッドと無関係です。一番最初にあるスレッドに書き込めばいいというものではなく、そんなことをされたらスレッドのテーマに関心を惹かれて読むものにとって迷惑です。ここは社会への恩返しに関係していない自分の論じたい話題をやる、雑談所ではないのです。

16 名前: 村山貴子 投稿日: 2004/06/09(水) 00:08
私も谷口さんに賛成ですが、このスレッドの「全部を読む」を読み直すと途中まではまともだったのに、岩崎さんの発言から狂い始めたのに、その前までのまともな発言を管理人が勝手に削ったことによって、完全に奇妙な発言ばかりが残ったのです。岩崎さんより後を削りその前を復活させることで、表題道理のまともな討論を行うスレッドに戻ると思います。10-16までを削ればいいだけです。

17 名前: 厳ちゃん 投稿日: 2004/06/09(水) 03:49
厳ちゃんです。お騒がせしました。確かに、谷口さんと、村山さんのおっしゃるとおり、ここは藤井先生の
ことを書き込むスレッドではなかったのですね!うかつにも、表題をきちんと見なかった
ので、藤井先生のことを書き込んでしまいました。10−16を削り、9までを
復活させることに賛成します。あと管理人さん、今後、あきらかにスレッドの表題や、積み重ねて
こられた内容と直接関係のないと思われる書き込みは、即削除いただけませんか。

18 名前: ヒロイエ 投稿日: 2004/06/09(水) 08:33
削除されてません。
一番上のALLをクリックすれば
出てきます。
藤井さんの本については前著についての
コメントが過去のスレの中にあったと思います。

ご参考までに。

19 名前: 村山貴子 投稿日: 2004/06/09(水) 23:30
全体のスレッドを見て感じるのは、それまで積み重ねた議論の中身を吟味しないで、管理人の人が投稿1 以下をばっさりスレッドから削り、倉庫に移してしまうやり方に欠陥があると思われます。普通の人はスレッドが店の中の商品だと考えて、自分もその商品に関心を払うかどうかを決めるのであり、店の一番奥まで行ってそこにある<全部読む>という小さな張り紙を見て、倉庫まで行って在庫品を全部見ようとはしないもので、代表的なものや重要なものは店内見るものです。ざっと店内を見渡して関心を引くものがなければ、その店を出て次の店に行くのが昔からの市場の原理です。スレッドがそこを訪れる人のために店を張らずに、管理人の都合が優先されれば共産主義時代の国営百貨店に似て、配給所になってしまいアゴラではなくなります。管理人の人には大変でしょうが、何を並べ何を倉庫にしまうかには編集と吟味の能力を磨いて、アゴラを訪れる人により多くの満足を与えることであり、それも大きな社会や公共への恩返しになると思います。

20 名前: ヒロイエ 投稿日: 2004/06/14(月) 12:36
再度申し上げますが、スレッドが消えるのは
この掲示板のシステム上のためです。
実際、「真相の深層」「日本の危機」も同様です。
書き込みが増加すれば、自動的に折りたたみが行われます。
確かにこのスレッドで、藤井厳喜氏の著作から
話がずれていることは事実ですが

表題に
社会への恩返しのすすめ (Res:19) All First100 Last100 INDEX SubjectList ReLoad ▲2▼

とあることを確認ください。
そこのALL をクリックすればすべてが掲示されます。

21 名前: 藤原肇 投稿日: 2004/06/16(水) 13:08
炎の行者」として知られた池口恵観和尚と対談を行い、第三回目の〔下〕では喜捨とお布施の意味について教わりましたし、「賢者のネジ」が出版になる機会を活用して、皆さんと一緒に身近にある図書館などに本を寄贈し、身をもって喜捨を実践したいと考えました。
このスレッドの#2に既に書き込んだことを繰り返すと、「25年くらい昔の私は留学している若い学生達に、拙著だけ出なく興味深いと思った本を送ったりしましたが、それは私が留学生だった時に本を送って下さった人がいて、その好意を実にありがたいと感じていたからです。良書をより若い世代に贈ることは人材を育てることになり、これは欧米では実に自然な形で行われていて、公立図書館にはXXXの遺族とかZZZの思い出と共に、あるいは、YYYの子供たちよりと書いたシールのある本を良く見かけました。
私も出来るなら真似事でもできたらと思っていたら、母親が亡くなった時にムチ打たれる形で,全国の高等学校と各地の県立図書館に、「山岳誌」の特装版を東名社の社長の努力で作っていただき、遺族の子供達の名前で寄贈することを体験しました。日本人は礼儀正しくよく贈り物をする民族ですが、してもらった人にお礼を返すという閉ざされた形が主体で、キャッチボールばかりしているために、未知の人や知らないがより恵まれていない人にではないので、外に向かって発展しなくて残念だと思っています。」〔引用終わり〕
池口和尚と空海や密教について議論して痛感したのは、「自ら生きることは楽しいが、他の人に喜んでもらうのはもっと楽しい喜悦だ」ということでした。そこで提案ですが、「図書のコーナーで本の頒布をしているのも、別に本を買って欲しいのではなくて、本を贈る楽しみを味わって欲しいと思うからです。自分が2冊持っているときには近くの図書館に寄贈したり、母校に贈ったりして貰えませんか」という呼びかけに、もし応えて頂けたらとても嬉しいと思う次第です。

22 名前: 藤原肇 投稿日: 2004/07/30(金) 12:28
1980年代後半のカジノ経済のバブルに毒された日本人は、自分の利害のことだけしか考えなくなってしまい、次の世代や共同体を構成する人々に対しての思いやりを喪失して、すっかり利己主義的になってしまったようです。この連帯感の喪失が現代の危機の本質だという批判と反省を込めて、その打開のための回天によるアプローチの意味で、「ジャパン・レボリューション」と題した本を正慶さんと出したし、その後は「社会への恩返し」ということを訴えてきたつもりです。
しかし、このスレッドには過去一ヵ月半にわたり誰一人として発言せず、皆の関心が全くないと知って寂しい限りですが、このテーマはそんなに皆さんの興味の対象外だとしたら、私としては対話をしようと待ち構えていても無駄なので、暫くは異郷にでも遊んで気分を紛らわせることにします。誰かが道連れになって語り合えるだろうと思っても、それが虚しい期待に過ぎないとしたら諦めるしかなく、芭蕉の「この道や行く人なしに秋の暮れ」の気分を真夏に味わった次第です。

24 名前: 藤原肇 投稿日: 2004/09/22(水) 13:47
六月十六日に私がこのスレッドに書き込んで以来、既に三ヶ月が経過したにもかかわらず、だれもこの「社会への恩返しの勧め」に関心がないらしく、書き込みが全く途絶えているのは淋しい限りです。「社会への恩返し」と言うテーマはそんなに魅力が無く、誰も見向きもしないというのは悲しいことであり、日本人が連帯感を失い自分のことしか考えないで、亡国の淵を転落している象徴ではないでしょうか。

27 名前: , 投稿日: 2004/09/22(水) 23:17
藤原先生の言う民主主義に異議を唱える若手の物理学者で
長沼伸一郎氏がいます。
この方が、書いた本を読みますと民主主義は欠陥がある
一旦、社会が信頼や希望が壊れると歯止めなく
中国社会が落ち込んだ縮小、ブラックホール化は避けられないと主張しています。
社会がマイナスのスパイラルに巻き込まれるのを阻止しようと
したのがイスラム教ではなかったか?と。
私はこの説に反論できるほどの学力は全くないので心に留めてるだけですが
どうでしょう?
藤原先生、長沼氏と対談なさってはどうでしょうか?
パスファインダー物理学チームと言うホームページを開いて
色々興味深い研究をしています。

30 名前: 藤原肇 投稿日: 2004/10/11(月) 12:43
余り同じことを書き込むとくどいと感じるかも知れないが、このスレッドに図書館や心ある友人に本を贈ることを提案し、その具体的な形としてカンパ形式を使うことで、社会への恩返しの実践にしたら如何と書きました。しかし、この提案に対して誰も意見を述べてくれずに、既に三ヶ月以上も経過してしまったので、私は反応のなさに対して全く落胆してしまいました。別に本を買って欲しいということではなく、より恵まれない人や若い人のために何かを贈ることで、布施や喜捨をするのは崇高な行為であるし、思いやりの心を育て人格の形成と洗練の上で大切であることは、池口和尚との対談でも痛感させられました。日本人は飲み会や旅行での散財は惜しまないが、自らのイニシアチブで社会に恩返しすることや、コミュニティに奉仕するという点では、普段から生活の中にそれを生かす習慣がないので、その辺が実に下手だしぎこちないと思います。その反省と新しいチャンスを生かしたいと考えて、カンパのアイディアを持ち出したのですが、誰も議論に参加してくれなかっただけでなく、二万円のものに関しては反応がゼロだと知り、非常に淋しい思いに包まれて情けなかったけれど、提案がまずかったのかなと反省しています。
これはモロッコ旅行中に体験記したことでもあり、五行力学の色の問題で触れたことですが、大雪山さんが黄色不足を補うために5を使い、色直しに50(5x2x5)冊ほど「賢者のネジ」を買うから、それで風水的な縁直しにすると教えてくれました。そこで12冊を改めて10(5x2)冊に改めることにして、二万円のカンパに関してはフォーマットを改め、それを別のもので補い縁起直しにしようと考えました。「学問は光なり」というロゴのついたTシャツを着た日に、ディアナサンの社長である首藤さんからメールがあり、株主に贈るので「賢者のネジ」を100(5x2x5x2)買いたいと言われ、感激したことは掲示板に書いた通りです。
首藤さんについては別の機会に述べることにして、彼は「間脳幻想」の読者である建築家ですが、彼自身が「ダヴィンチの黄金のピラミッド」(本の森)と「政宗の黄金の城」(ジー・アイ・ピー)の著者で、フィボナッチ数列にとても強い才能を誇る人です。彼はダヴィンチの研究では凄い能力を持っていて、モナリザの胸元の刺繍の持つ謎の解読により、五億円の「モナリザの金と金剛石のネックレス」を仕上げ、大きな反響を呼んだことで知られています。過去三回もエジプト行きを誘われましたが、帰りの飛行機の便の都合で参加できずにいて、今年は10月の20日から30日までのために、秋の訪日との兼ね合いで見送ったという次第であり、非常に残念なことだと天を仰いでいます。
首藤さんは「モナリザの黄金のダイヤモンド」を執筆中で、今度のエジプト旅行の成果を加えて出版になりますが、これは「間脳幻想」に似て一種の秘伝書になり、市販はしないで限定予約出版の形を採用するのだそうです。だから、手に入れるのは非常に困難になると思われますが、首藤さんに「賢者のネジ」を百冊買って貰ったお礼に、私もこの本をある程度でも買わせて欲しいと頼んだら、20冊ほど特別に考慮しますとの返事でした。そこで12冊を10冊にして2冊少なくなった穴埋めに、20人に限って「モナリザの黄金のピラミッド」を付けますが、他のブッククラスターは宅急便で送るとして、この限定本だけは後ほど出版になった段階で、改めて郵送するという形にする点を了承ください。

31 名前: ナニワのダルマ 投稿日: 2004/10/19(火) 15:44
「賢者のネジ」のまえがきで清水博氏の「生命知としての場の理論」が紹介されていたのでインターネットで入手し大まかな全体把握読みをし、潜在意識に入る印象深い一冊になると思いました。そこで氏が提唱する「場」について賛同者が設立したNPOのイベントが今月末に東京で主宰される予定だそうです。東京在住の方は一度参加されてみて彼らの「場」を通じての実践的発想から何かを学んでみるのは脱藩道場が目指す理を軸にした暗黙知を共有とするネットワーク作りのヒントになるのでは。
http://www.ba-academy.org/news/index.html

32 名前: 亀山信夫 投稿日: 2004/10/19(火) 19:59
ナニワのだるまさん、清水博先生の講演の情報ありがとうございました。先ほどメールで参加を申し込んでおきました。10月30日は土曜日であり、午後からなので何とか参加できるかもしれません。未だ、先方からの回答はありませんが、参加OKとなりましたら後に皆様にご報告するつもりでいます。取り敢えず当日までに『場と共創』と『生命知としての場の論理』に再度目を通しておこうと思います。他にも参加される方、お知らせください。当日のシンポジウムの後、情報交換を兼ねて語り合いましょう。


ホームページ【宇宙巡礼】管理人・亀山信夫

33 名前: 尾崎清之輔 投稿日: 2004/10/20(水) 00:07
ナニワのだるまさん。貴重な情報のご紹介につきまして有難うございます。
清水博士は予てより「実践の論理」を提唱しており、それは「自分の内部の
世界を深めて自分が出会っている純粋生命との出会いの感動を場に自己表現を
する」ことを基にして、群れ合いの場ではない、より豊かな出会いの場である
真剣勝負の場を作り上げることに人生の残りの時間を費やしております。
このあたりにつきましては、亀山さんが上記でご紹介下さいました書籍の他に、
近著「場の思想」も出しており、その「あとがき」には次の文を見つけることが
出来ます。

■このように社会の現実に学び、現実を哲学し、現実に応用すること(私は本当の
 学問であると思っている)に興味をおもちの方は、ぜひ場のアカデミーに会員と
 して入会され、共に智恵を磨きあいながら、同時に日本の社会の次世代のため
 にもこのアカデミーの活動を支えていただきたい。

そこに示された連絡先はナニワのだるまさんが正しくリンクを貼られた所であり、
ここの掲示板を尋ねられる方々にとっても、何かしらのスパークを感じることの
出来る場になる可能性が大きいのではと期待しているところです。

34 名前: 尾崎清之輔 投稿日: 2004/10/20(水) 01:07
社会への恩返しという意味では少々憚るような話ではございますが、
藤原さんの書籍を始めとして、これまで数冊程これはと思った書籍の
贈呈を行っていた知人から、最近まで勤めていた会社を辞められて、
独立独歩の生き方を歩み始めた旨のご連絡を頂きました。
以前1度だけ脱藩総会にも参加されたことのある方ですので、その際に
参加された方々は、ひょっとしたら覚えていらっしゃるかもしれませんが、
50を過ぎてから自らの枠組みを一つ乗り越えたその知人は、独立して
会社を起し、有能で意気に燃える台湾の方々と予てより公私に渡って
交流を深め、更なる信頼を築きあげる日々に邁進しております。

もしこの書き込みをご覧になられて「私のこと?」と思われましたら、
このたびの脱藩に向けた気概などこの場でお伝え頂けますと幸いです。

35 名前: 野田隼人 投稿日: 2004/10/20(水) 06:04
阿修羅に『賢者のネジ』を宣伝しましたので御報告致します。
http://www.asyura2.com/0406/bd37/msg/540.html

36 名前: 藤原肇 投稿日: 2004/10/29(金) 14:43
スレッドを間違えて「賢者のネジ」の#26に書きましたが、カンパ二万円の協賛者で先着五名に限って、以下の通りロゴつきのシャツをプレゼントすることにしました。
<引用開始>
アメリカに戻ってから日本の玉井さんに電話をして、モロッコで体験した数々の出来事を伝え、ロゴの持つ威力が凄かったと話をしたら、「あのロゴの持つ力は実に不思議なだが、あれはアラビア文字の書道で世界の第一人者である、本田孝一先生に頼んで書いて貰ったものだから、眼の利くアラブ人には何か響くのでしょう」という返事だった。
そこで「玉井さんの所にあのTシャツは未だありますか。私の読者で[賢者のネジ]のカンパのキャンペーンに協力した人に、お礼としてプレゼントしたいのです」と言ったら、五枚か六枚くらいなら残っているとの返事。それを買い取りたいが幾らかと聞いたら、一着3000円だという返事なので驚いてしまった。アメリカならTシャツは一枚数百円だし、ヨーロッパでも千円もしないと思っていたので、思わず「そんなに高いのですか」と喋ったら、「藤原さん、世界一の書道の先生に特別にお願いして、仏典の素晴らしい言葉を印刷するためのシャツ用に、最高の木綿の生地を選んだのですよ」と言われてしまった。そこで五枚ほど譲り受けることに決めて、亀山さんに渡して貰って二万円のカンパに参加した人に、先着五名に限ってプレゼントしたいと思う。既に五名に達しているかどうかは知らないが、亀山さんのリストの申し込み日付の順位で、最初の五人だけに発送の手配をして貰うことにして、首藤さんが出す限定出版の本に追加したい。
<引用修了>
また、シャツを手に入れられなかった人には残念賞として、何人かの人に江口さんがまとめた「志に生きる」(清流出版)を代わりに贈呈します。更にそれにも漏れた人には別の良書を見つけて贈呈することを計画中です。

37 名前: 亀山信夫 投稿日: 2004/10/31(日) 05:24
Tシャツですが、既に2名の方から申込があり、さらに昨夜続けて2名の方から申込がありましたので、残り1枚のみとなりました。よって、Tシャツを希望される方は早めにお申し込みください。なお、受付は電子メールに限らせていただきます。メールの受信時間が一番早かった方に最後の一枚をプレゼントします。

なお、Tシャツは他用で小生がたまいらぼ出版を訪問した折りに受け取る予定ですので、後日首藤さんの限定本と一緒に送付する形になりますので予めご承知おき願います。

ホームページ【宇宙巡礼】管理人・亀山信夫

38 名前: 亀山信夫 投稿日: 2004/10/31(日) 10:03
お陰様で、最後のTシャツを運良くゲットした読者が出ました。これでTシャツのプレゼントは終了し、今後は『志に生きる!』が藤原博士からのプレゼントに切り替わります。


ホームページ【宇宙巡礼】管理人・亀山信夫

39 名前: 藤原肇 投稿日: 2004/11/08(月) 14:56
私の血圧が高いままいつ「昨日今日とはおもわざりけり」になるかも知れないので、手持ちの本などの整理に取りかかったら、幻の存在だった「石油と金の魔術」が出てきたので、それをカンパ計画のプレゼント本に加えることにしました。
この本は全部で三百部ほど印刷しましたが、その八割は図書館などに寄贈したので、古本屋に出回る可能性はほどんどありませんから、先着順と言う厳しい条件とはいえ、入手できた人は幸運を天に感謝されたらと思います。

40 名前: 藤原肇 投稿日: 2004/11/21(日) 17:43
「社会への恩返しのすすめ」のキャンペーンが少しずつ動き出し、ようやく勢いがつき始めたので嬉しい限りです。
私の著書だけでなく良書だと思った本を相応しい人や図書館に、心をこめてプレゼントすることで次の世代を育てることになれば、日本の未来も捨てたものでないと確信する次第です。

41 名前: 鶴の恩返し 投稿日: 2004/11/23(火) 23:22
昨日、藤原さんの書籍(ジャパンレボリューションとオリンピアン幻想)を
含めまして、場の研究所へ10冊ほど寄贈させて頂きました。
先日のシンポジウムで「賢者のネジ」を寄贈した際に、清水博士より場の
研究所ライブラリとして会員の方々が回読できるよう取り計らって頂いた
ことから、このたび良書と思った書籍群の寄贈をさせて頂くに至りました。
これを切っ掛けに脱藩道場と場の研究所との共創へ結び付くことができたら
幸いです。

42 名前: しゅがーれい 投稿日: 2004/12/01(水) 17:37
日本の大衆が如何に無知かをおのおのが熱心に議論はするが、社会への恩返しという取りたてて専門的な知識が必要ない事柄に対しては物凄く反応が遅いと言うのは興味深い。藤原博士はそれを自分の周りに集まってくる人間だけの質の悪さと捉えずに日本人全体に拡大解釈されているのは余程自尊心を傷付けられたのでしょう。先の新潟の震災においても2億円の宝くじの当選券を寄付された方がおられるし、ある地方都市では、女性が亡くなってから入ってくる保険金(金額は数千万円で1年間の至近に匹敵すると育成機関の方がかたっておられたそうです。)を地元の盲導犬の育成機関に全額寄付するようにと遺言されていたそうです。(生前にそのような話を一切されたこともなければ盲導犬に関心を示されてもいなかったそうです。)この人達がこの掲示板と関係のある方達かどうかはわかりませんが。自分が恩返しをするという事に照れを感じて積極的に公表しない人が多かっただけと信じたい。

43 名前: 根本敦史 投稿日: 2005/01/19(水) 22:42
このスレッドはとても好きです。私にはまだまだ喜捨などは恐れ多い気もしますが、実際、生きている喜びを体現する一つの大きな要素だと思います。だから、この喜びを知っている者が他など省みずにどんどん実行し、もって、益々喜びに満ちてゆき、そして、輝いていけば良いものと思います。そして、その輝きはきっと多く人を照らすことでしょう。素敵なスレッドです。

44 名前: 藤原肇 投稿日: 2005/01/21(金) 03:57
「社会への恩返し」のスレッドがあまり賑わしくないことは、日本人のみならず「宇宙巡礼」の参加者にも余りアッピールせず、話題を喚起し得なかった理由について思うと、問題提起をした者として残念至極と思うだけでなく、テーマの取り上げ方に問題があったのではないかと反省しています。ことの始めは近所の図書館や学校に本をプレゼントすることから、折りしも、空海に関して池口和尚との対談が活字になって、喜捨や布施の問題に移ったことで議論に枠が出来てしまい、日本人が苦手な領分である喜捨ということに結びつき、問題が扱いずらくなったことが関係したようです。
日本語では仏教用語の喜捨しか見当たらなかったので、とりあえず喜捨や布施と言う言葉を使いましたが、本当は「喜供」や「寄進」という用語で議論すべきだったか、ボロンタリー活動として考えるべきだったのでしょう。
なに分にしても、近代化により地域コミュニティが崩壊して以来の日本では、社会主義への反発が社会への無関心につながってしまい、ボロンタリー活動や隣近所への目配りの習慣が衰え、利己的なミーイズムの風潮が支配的になっただけでなく、国や組織を食い物にする政治が蔓延してしまいました。そのために、自発的に社会との連帯を意識しようとしても、恩返しが喜捨や布施という限られたものとして捉えられ、連帯感に基づくボロンタリーな行為と考えにくくなったようです。「社会への恩返し」と言う言葉を「自発的な営み」とか「ボロンタリー活動」と読み替えれば、若い世代も積極的に議論に参加できるのではないでしょうか。

45 名前: 藤原肇 投稿日: 2005/01/24(月) 11:34
ボロンタリー活動と言う分り易い言葉にしましたが、本当は「社会への恩返し」をフィラントロピーに結び付けて、日本に普及したいと考えていたというのが、私が初期に抱いていた素朴な期待感です。Philanthropyという言葉は日本語に定着しておらず、フィランソロピーとかフィランスロピーとか発音されているので、私はあえて「ジャパン・レボリューション」の中にフィラントロピーと書き、誰かが発音の問題を指摘するかと網を張りましたが、誰の関心も引かないでこの本の内容については、大した議論もなくスレッドは倉庫入りしてしまいました。だから、フィラントロピーについては未来のテーマにすることにして、ボロンタリー活動と言うレベルに問題を降ろして、それがどう社会への恩返しと結び付けうるかに関し、若い世代の活発な議論の展開を待つことにしましょう。

46 名前: 景山信重 投稿日: 2005/01/24(月) 16:43
社会への恩返しと言うのは社会から愛されたり大切にされた経験を持つ、あるていど歳を取った人たちに当てはまることで、学校を終えて社会に出ても就職もできずにほったらかしにされ、フリーターとかニート族と呼ばれている若い者にとっては、自分に関係ない事柄のような感じがするのではないですか。人間らしく生活したり新しく家族を作る夢もなく、社会から取り残されることを押し付けられる者にとって、どうしてボロンタリーとか連帯とかの気持が生まれるか、より歳を取った人たちに理解できるのでしょうか。
バブル経済を起し金融破綻の後始末もしなかったくせに、七十代や六十代の人は退職金や年金をもらったり、汚職をしても罪にとわれないでやらずぶったくりだのに、その後始末を若い世代に押し付けている無責任さは、同じ日本人としてとても恥ずべきことではありませんか。少なくとも四十代以上の人は責任を痛感すべきであり、公的な仕事から引き下がるに値すると言ってもよろしい。韓国では四十歳定年が当たり前になっているそうです。その点で日本人は韓国人に笑われても当然でして、このままでは社会破綻は避けられないでしょう。

47 名前: 根本敦史 投稿日: 2005/01/24(月) 19:14
議論というには程遠いですが、思うところを書きます。
個人的には、「社会への恩返し」について、若いから関係のないことだとは思いません。今、ここにあることに感謝の念で一杯ですし、より良き社会を構築すべく、できることはどんどんやって行きたいと思うのです。
ボランタリー活動というところまで議論の枠を下げていただきましたが、そのボランタリー活動は、割と盛んに行われており、実際、こうした活動に参加したいと思っている人は多いと思います。しかし、それが大規模な自然災害時やスポーツ大会開催時など、各種メディアで取り上げられることの多い分野に限られていることは指摘できます。それらが必ずしも日々の生活の中に溶け込んでいない、もっと言うと、それをもって社会を構築していけるということを知らないのでしょう。
一方、フリーターやニートをはじめ、彼らはむしろ繋がりたい人々だと思います。所謂、今の会社や学校にいても繋がることができず、よって、自宅に引き篭ったり、ネット上での特殊なグループにのみに共鳴するのです。今日の不細工な個々が断絶した汚い社会からの脱藩です。彼らは、きっと人間愛、更にはこの地球に対する愛に気付き、それに飢えている人達です。そして彼らは、徐々に彼ら同士でネットワークを築きつつあり、また、そのネットワークは未だ幼稚ながらも美しい社会を築こうと取り組み始めたように思います。しかも、それは、決して排他的な集団性によるものでもなく、心地よい連帯感を基盤としたもののようにも思えます。片やスーパーパワーはいつまでもその利権を保とうと躍起ですが・・・。
後は「気付き」の問題でしょう。その「気付き」を誘発すべき、やはり、気付いた人が実行し、もって益々輝くことです。現状に対する悲観や批判では、きっと「気付き」は与えません。新しい社会を築く力になるという楽しい行為ですから。だから、「喜捨」なんですよね。私達はどうも喜びの表現力に欠けるようです。しかし、喜びの輝きは、きっとこの宇宙を貫きます。
蛇足ですが、教育については、量子物理学と道教的な思想を展開したいものだと思います。

48 名前: 根本敦史 投稿日: 2005/01/24(月) 23:09
Philanthropyという言葉をご紹介いただき、少し思ったことです。
漠然と、我が国ではPhil-の対象が、「人」よりも「自然」というか「場」というか、そういったものに重心があったように思います。
いや、Philanthropyという言葉を生まれる必然性がないくらいに、そうした「場」が自ずとこの国には備わっていたのかもしれません。
だから、その「場」、例えば地域社会や美しき自然などが崩壊し、居心地が悪いのかと。
こうした我が国に、Philanthropyやボランタリー活動という考え方が近年輸入され、きっと手探り状態にあるのかもしれません。

併せて、Noblis Obigeについて。
これをPhilanthropyやボランタリー活動とともに考えるが適当か判りませんが、我が国における高貴なる者とは誰のことだったのでしょうか。
また、彼らは今、どのような状況にあるのでしょうか。
近年の新興成金が造り出した多くの生活空間に関し、そのセンスの悪さに驚かされます。
我が国がずっと大切にしてきた美しきものを再確認したいものです。少し話が脱線したかもしれません。

49 名前: ナニワのダルマ 投稿日: 2005/01/24(月) 23:56
「社会恩返しのすすめ」においてフィラントロピーやボランタリーという言葉とどう結びつけるかですが私はそれを考え実践するに内在するキーワードとして「誕生」(ネサンス)と「尊厳」を置きたい、そうすればあらゆるこの世の生命現象と繋がり包摂的な博愛に開かれていくイメージが持ちえます。フランス語にはフィラントロピーとしてのはく博愛、
友愛としてのフラテルニテという言葉がありますが皆様はこの違いをどう解釈されますか。前者がより普遍的な意味に使われ後者はローカルな兄弟愛的なものだとするとボランタリーは後者の方ですかね。マザーテレサや国境なき医師団はどの部類に属す行為なのか。

50 名前: ナニワのダルマ 投稿日: 2005/01/25(火) 00:10
「社会恩返しのすすめ」の理念の地平を博愛へと開かれた文明次元に置く場合それに内在するキーワードとして私は「誕生」(ネサンス)、「尊厳」を出しましたがもう一つ大事な事を忘れていました。それは「喜悦」です。
健やかな生命力を備えた「誕生」「喜悦」「尊厳」の脱藩三色旗を漠然とイメージして見ました。

51 名前: 根本敦史 投稿日: 2005/01/25(火) 00:38
ナニワのダルマ様、大変、興味深いです。少し勉強させてください。「喜悦」という概念はどこからの発想でしょうか。
ご紹介いただき、改めてフランスの国旗について確認してみました。自由(青)・平等(白)・博愛(赤)の順が、当初、1789年の国民軍が使用した左から右に赤(博愛)・白(平等)・青(自由)だったのが、1794年に改定され今の青(自由)・赤(平等)・白(博愛)になっているのですね。これは、何を意味するのでしょうか。先に右遷左遷の話しがありましたが、併せて考えてみると面白いのかも知れません。

52 名前: 藤原肇 投稿日: 2005/01/26(水) 12:59:24
留学時代に参加したあるサロンでの議論で扱ったものに、フランス革命の「自由、平等、博愛」というモットーにおいて、自由と平等は共立し得ない概念だと言うテーマがあり、フランス人はこんなことまで議論するのかと思ったことがあります。その時は話題が何からの自由化と何のための自由化に移り、自由と平等についての掘り下げはなかったが、私の心の隅に自由と平等は対立するのかという疑問が残り、長い間それが気になっていたわけです。
そして、ある時ルドルフ・シュタイナーの本を読んでいたら、彼が「精神生活における自由の実現、政治生活における平等の実現、経済生活における友愛の実現」と訴えているのを読みました。そして、こういう限定的な自由や平等の活用形式が、この重要な概念の共存の基盤なるのかと思うとともに、経済生活なら博愛とすべきだと思った次第です。
ただ、シュタイナーは人智学という集団を組織していたので、党派性の枠組みで考えたから友愛になったのであり、それはメーソンが友愛を口にするのと同じでしょう。
そういう意味で考えるならば、あらゆる既成の枠組みを乗り越える脱藩人には、博愛が指向する路線にふさわしいという気がしたので、フィラントロピーを下敷きに「社会への恩返し」を考えましたが、その目論見をなにわのダルマさんが見抜いたようですね。

53 名前: 根本敦史 投稿日: 2005/01/26(水) 15:28:01
藤原様、ナニワのダルマ様、ありがとうございます。
自由・平等・博愛については、桜沢氏が「自由」についてよく書いていたこともあり、私もよく考えたものです。藤原様にご紹介いただいたシュタイナーのお言葉が大変わかりやすいですが、私も自由・平等・博愛につていはそれぞれ次元が違うところにあるものだとは思っていました。また、これらが3つ共に語れることに意味があり、「自由」の認識があってはじめて「平等」があり、「平等」の認識があってはじめて「博愛」にいたるのだろうと思ったのです。
更に言うと、きっとこの順番についても何らかの意味があるのだと思うのです。決して、「博愛」から「平等」、「平等」から「自由」には結びつかないような気がしてならないのです。「自由」の青(陰)から「平等」の白を経て「博愛」の赤(陽)に至る螺旋構造。陰が陽を生む、「陽は陰の特殊な在り方」なのでしょうか。するとやはりフランス国旗の色の逆転が気になりますが。そしてまた、ナニワのダルマ様が言う「誕生」「喜悦」「尊厳」も少し分かってきました。
こうして考えると、「社会への恩返し」は確かにPhilanthropyなのですが、誰かがご指摘されていたとおり、その基盤となる「精神生活における自由」、「政治生活における平等」があって、はじめて「経済生活における博愛」、つまり、Philanthropyに至るのかな、とも思ったりします。「社会への恩返し」促進という課題に対する「アプローチ」の問題です。これは個人的な経験によるところも大きいです。「精神生活における自由」と言うと大袈裟ですが、やはり、そのあたりの模索を始めたことにより、きっと、今の自分があるのかと思います。(ここにお集まりの皆様は、藤原様の「ホロコスミックス(宇宙システムを構成する多次元構造)」をよくよくご理解なので、この「アプローチ」を略せるのですが・・・)

54 名前: 尾崎清之輔 投稿日: 2005/01/27(木) 00:41:05
「自分が住む地域に対しての恩返しがフィラントロピィ精神の基本」と
藤原博士が「ジャパン・レボリューション」で述べられておりましたが、
これは自分が住んでいる「場」という存在を真剣に考えることで、すぐに
地球次元にまで思いを至らせることが出来ます。
更に自らの時間を使って様々なコミュニティへの繋がりを行い、自立と
自助の精神に基づいた貢献を行っていくことで、混迷極まる現代社会から
希望への未来社会に向けた道に一筋の光明が差してくると考えます。

そのためには日常の狭い範囲に囚われずに、様々な「場」への単独行を
通じて、素敵な出会いを多く持つよう実践していくことが肝要であり、
そのような出会いは時として世代間や民族間といったものを超えた喜びを
お互いに与え合えることに繋がっていくのではないでしょうか。

日本という狭い枠組みから見て、世界の裏側と平気で呼んでしまうような
(もしくは無関心や意識に全く存在しない)タコ壺化した連中が殆どの中、
アフリカ、中南米、中東そして東南アジアにおける紛争地域近辺や難民
キャンプ、または少数民族が住む場所にバックパッカーとして出向いて、
「人間の尊厳を脅かすような出来事や、無視できない社会構造の歪み」の
存在を視座に置きつつ、一般のニュースなどでは決して知りえない底辺の
人々の『声』を届けていくことを、自らの足を使って感銘を覚える写真と
ペンによって取材する使命感に燃える若者たちの存在も出てきております。

また、若者たちが自ら立ち上げたその紙面作りでは、英文と日本文を並立
して展開していることによって、世界に向けた発信がいつでも可能な状況に
あることを意味しております。
そして、そこには嘗てのような強力で特殊な個性や思想的背景などは無く、
ごく自然体に活動している姿のみがあり、取材しながら時には現地の学校
にて奉仕で教育を施すその姿勢には、通念としてのボランタリー以上の
何かを感じざるを得ません。

そのような若手ジャーナリストたちによるWEBサイト(U-Press)を、
ご参考までに以下にお知らせ致します。
http://www.u-press.org/

それらは未だセルのような形で少しずつ芽生え始めている段階であり、
彼らのフットワークの軽さにも敬服しつつ、彼らより倍近くの年代に
属する者としてはこのような出会いを望外の喜びと感じておりますが、
セルの連帯がいずれ新たな機能を持つ臓器や生物体に至ることが出来る
よう、何らかの応援をしていくことが個人としてやるべきことの第一歩と
今は考えております。
若者たちが作ったそれらの雑誌を別の様々な「場」に寄贈して、そこに
集まる人達との意見交換も大事でしょうし、時には若者たちに良書を
贈ったり、更には彼らの写真展に出向くことで、先述の地域などにおいて、
希望を失うこと無く生命感に溢れる子供たちを被写体に収めた写真集に
接してみることなど、良いと思ったことを継続して実践していくことが、
拘束条件の自己生成による創出という、本来の意味での「創造的破壊」や
「脱構築」の必要条件の一つに成り得ると考えても良いのではないでしょうか。

尚、余談ですが、別の「場」で寄贈したその雑誌の内容に感銘を受けた知人の
ある若者が、昨年暮れ頃よりこれまでは全く無関心であった世界にも足を
向けつつありますが、このように仮に小さな一歩ではあってもその歩みを
大切にしていきたいと思います。

55 名前: 野田隼人 投稿日: 2005/01/27(木) 05:49:05
以下は「みんなの日記」という、息子のクラスの父兄間で回覧しているリレー日記です。私の拙文を読み、子供が世界を舞台に活躍するように育てたいと思ってくれた父兄が一人でも出てきてくれたら、言うことはありません。

2005年1月24日(月)
今日、学校から戻った息子(H)に「みんなの日記」を渡された時は、街角で旧友と久しぶりに出会ったような、なんとも言えぬ懐かしい気持ちになりました。金八先生、5年2組の父兄の皆様、昨年の7月1日以来ですね、大変ご無沙汰しております。

ところで、私が十代の頃に3年間世界放浪の旅を体験したことは前回書きましたが、実は息子のHにも当時の想い出話を時々話して聞かせることがあります。そのせいでしょうか、数ヶ月前に「中学を卒業したら“サッカー先進国”のブラジルの高校に進学したい」とHが言ってきたときは驚くと同時に、嬉しく思ったものです。ただ、私はポルトガル語が殆ど出来ませんし、昔は兎も角ブラジルには今や文通を続けている友人・知人もいません。そこで、「アルゼンチンもサッカーに強いぞ。それに日本みたいに四季がはっきりしている自然豊かな国だし、食べ物は美味しいし、みんな親切だぞ。お父さんはスペイン語に不自由しないから通訳・翻訳もOKだ」と持ちかけたら、すっかりその気になったようです。実は、私はアルゼンチンの親友の娘さんのゴッドファーザー(教父)になっていて、その友人家族とは親戚同様のお付き合いです。だから、仮に将来Hをアルゼンチンにサッカー留学に行かせるとしても、そこの家にお世話になってアルゼンチンの高校なり大学に通わせれば安心というものです。ここで念のため、ゴッドファーザーと言っても映画の「ゴッドファーザー」に登場してくるような怖い世界の話ではなく、国民の大半がカトリック教徒のアルゼンチンでは、自分の息子・娘にゴッドファーザーをつけるのが普通で、ゴッドファーザーになったら、その子に対して時には経済的に援助したり、時には精神的な支えとなってやったり、時には人生の先輩としてアドバイスもしたりするといった、文字通り父親の代役をするのがゴッドファーザーなのです。私は、十代の時に二ヶ月近くかけてアルゼンチンを北から南へと3000キロほどヒッチハイクで縦断しましたが、アルゼンチンの人びとは非常に友好的で、特に日本人に対しては好意を持っていました。それは、南米に移民として渡った日本人が同国で懸命に働き、同国の発展に尽くしたからだといって過言ではないでしょう。その娘さんの母親はオードリー・ヘプバーンと言い、昔ロンドンで私と同じイタリアン・レストランでアルバイトをしていました。その関係で彼女の生まれ故郷のアルゼンチンを是非訪問したいと思い、ロンドンから南米へアフリカ経由で飛んだのでした。その後オードリーは日本にも来たことがあり、拙宅に半年滞在したこともあります。私も彼女の実家に2週間ほどお世話になりました。そして、時は移り変わり、お互いの娘・息子たちをそれぞれの家でお世話する時が来たような気がします。また、ホルヘ・ボルソンという、やはり同じロンドンのイタリアン・レストランで共にアルバイトをしていたアルゼンチンの友人も拙宅に半年ほど居候していた事があります。彼も底抜けに明るいラテン気質のアルゼンチン人でして、イケメン(ハンサム)今で言えばアルゼンチン版ヨン様といったところでしょうか。一時は雑誌にも登場したほどでした。

 ともあれ、Hが将来アルゼンチンにサッカー留学が実現するかどうかは、国家破産したアルゼンチンの国情というものがあって実現出来るかどうかは何とも言えませんが、少なくとも海外で武者修行をしたいというHの心意気を父として応援したいと思います。何故なら、今の日本は社会的に大きく変革しようとしているため、そのしわ寄せが若者に行き、若者の失業者の増加、フリーターの増加、学力の低下という形で現れています。従来でしたら、一流中学・一流高校・一流大学、さらには一流企業を目指すというのが理想的なパターンと考えられていましたが、今日では潰れることなど到底あり得ないと思われていた大手企業がバタバタと倒産し、大手金融機関が次々に破綻している有様です。よって、大学の卒業証書さえ手にすれば一生安泰という時代は過ぎ去り、今後は日本さらには世界に通用する“モノ”を身につけなければ、生き抜いていけないという時代に突入したのではないでしょうか。そうした時代にあって、ではどのように生きていくべきかについて考察した小論を一年半ほど前にIBDという国際ビジネスコンサルティング会社の機関誌『世界の海援隊』に「日本脱藩のすすめ」と題して投稿したことがあります。ご参考までに当時の原稿を貼り付けておきますので、関心のある方に目を通して頂ければ幸いです。

 最後に、5年生として残り少ない数ヶ月も金八先生、皆様、宜しくお願い申し上げます。

56 名前: 野田隼人 投稿日: 2005/01/27(木) 05:52:31
以下は、息子の暮らすの「みんなの日記」に貼り付けた拙稿です。2年ほど前のものなので今から読むに拙い原稿でした。

第一回 日本脱藩のすすめ(地理編)

 バブル崩壊後、10年以上の長期にわたる大型不況が続き、重苦しい閉塞感に日本は覆われている。そうした状況下で、「日本脱藩のすすめ」などと書こうものなら、「日本を捨て、海外に脱出しよう」という意味かと受け止められかねない。否、筆者の言う「日本脱藩のすすめ」は決してそのような後ろ向きの意味ではない。ここで言う「日本脱藩のすすめ」とは、経営思想家であるピーター・F・ドラッカー風に言うならば、「来る知識社会への準備のすすめ」ということに他ならない。すなわち、旧秩序がガラガラと音を立てて崩壊している今日、これから到来するであろう知識社会を生き抜くためには、国家も会社も個人も今までの古い殻を脱ぎ捨て、新しい時代に向かって脱皮していく準備が肝心だと言いたいのである。

無論、日本脱藩とは単に物理的に日本を飛び出すことだけを意味しているのではないが、若者であればそれも許されると思う。つまり、若いときの海外体験はなにものにも代え難いということだ。もし読者がまだ学生あるいは二十代の社会人であるなら、ここは思い切り武者修行に海外に出ることにより、後々の人生に大きなプラスになると思う。筆者自身、高校を卒業した後に一年間働いて資金を貯め、日本を飛び出して3年間にわたって世界を放浪してきた人間である。当初はイギリスで3ヶ月ほど英会話学校に通い、その後2〜3ヶ月かけてヨーロッパを一周して帰国するつもりでいた。しかし、ロンドンでアルバイトをしていたイタリア料理店でアルゼンチンの女の子と友達になったことがきっかけで、彼女の故郷であるアルゼンチンを訪問したくなり、ヨーロッパ旅行を取り止めて南米大陸へ発ったのである。中南米を半年ほど放浪した頃、旅行資金も底をつきはじめたので、メキシコシティから一路ニューヨークへ飛んだ。ちょうどクリスマス前だったため、寒空の下でマンハッタンに点在する日本料理店を一軒一軒回って仕事を探したことになる。当時、一週間が過ぎてもなかなか仕事が見つからず大変焦ったものだが、今では懐かしい想い出だ。そして、確か8日目だっただろうか、その日も1日歩き回ったのに成果がなく、がっかりしてホテルに戻ろうとした帰り道、たまたま「江戸」という看板の日本レストランが目に入ったので寄ってみた。すると、メガネをかけたインテリ風の支配人が「あっ、ちょうどいい。在ニューヨークの日本人向けにおせち料理を作っているんだが、人手が足りない。早速頼むよ!」と言うではないか。その支配人の言葉を耳にした時は咄嗟に言葉が出ず、頷くのがやっとだった。結局、その日本レストランでは8ヶ月ほど働き、かなりの旅行資金を貯めた。その後、2ヶ月弱アメリカとカナダを長距離バスで一周し、続いてサンフランシスコで1年半ほど大学生活を送り、日本に帰国している。

57 名前: 野田隼人 投稿日: 2005/01/27(木) 05:55:17
筆者の場合は単なる放浪生活を送ってきたに過ぎず、人前で誇れるような体験ではない。しかし、筆者と異なり、海外に活躍の場を求めて成功した日本人も確実に存在する。そうした日本人の1人として、1987年にノーベル賞を受賞した利根川進博士を挙げたい。そして、利根川博士と言えば、立花隆との共著『精神と物質』(文春文庫)を思い出す人も多いのではなかろうか。同著の中で利根川博士は以下のように述べている。

「日本の大学院というのは、ちゃんとした教育機関になってないんですよ。工学系とか文学系とか、他の系統の大学院はしりませんよ。しかし理系の大学院はそうなんです。学生を教育しない。だいたい講義というものがないんです。はじめから、みんな自分はもう大学を出たんだからと、一人前の研究者のような顔をしているし、表面上は先生からもそう扱ってもらえる。だけど実際には、科学者として本格的に研究していくための基礎的訓練をきちんと系統的に受けていないわけです。一種の師弟制度で、教授、助教授の研究を手伝いながら、見よう見まねで覚えていく。この研究はどう大切なのかをじっくり自分で考えるとか、実験結果について徹底的にディスカスするとか、そういう訓練がない。だから科学研究の本当の基礎が欠けた研究者ができてしまう。日本の基礎科学が弱い原因はこのあたりにある」(『精神と物質』利根川進・立花隆共著 文春文庫 53ページ)

ここに、利根川博士が日本の大学院に進まずにカリフォルニア大学サンディエゴ校(UCSD)に留学し、海外での修行を始めた理由が明確に述べられている。利根川博士の述べている欠陥は、何も日本の理系の大学院に限ることではなく、日本という国家から企業・地域社会に至るまで、来る知識社会では時代遅れとなる制度・組織を未だに抱えてところが多いのである。
日本を飛び出していったのは何も科学者だけではない。野球を例に挙げれば、1995年に海を渡った野茂英雄を皮切りに、続々と日本人メジャーリーガーが誕生している。そして、現在最も注目を浴びているのがヤンキースの松井秀喜選手だろう。昨秋、巨人軍の主砲の松井秀喜選手がメジャー入りの決断を発表した時、日本のプロ野球界に大きな衝撃が走ったことは記憶に新しい。そして、その後の松井はヤンキースに入団し、今や日本でも連日のように松井の活躍が報道されている。それにしても、松井と言えば名実ともに巨人の、そして日本の四番バッターだったが、その松井が巨人を去り、ヤンキースに入団したのも、メジャーという一流の仕事場で己れを試したいという気持ちが強かったからに違いない。

一流の仕事、一流の人物を求め、海外武者修業を体験した日本人が他にも大勢いる。そうした海外武者修行を実践した日本人の中で第一級の人物と言えば、やはり真言宗の開祖空海をおいて他はあるまい。空海は最澄と共に804年に遣唐使として唐に渡っており、来年は空海の入唐千二百周年にあたる。空海の唐における修業の様子については、陳舜臣が著した『曼陀羅の人』という小説から、唐における空海の修業の一端を垣間見ることができると思う。日本に戻ってからの空海は八面六臂の活躍であり、後の日本の宗教界・思想界に大きな影響をもたらしたのは改めて述べるまでもない。

ここで日本の現状を振り返るに、このままでは日本は二流・三流の仕事場に成り下がり、二流・三流の日本人や外国人の吹き溜まりになってしまうのではと筆者は危惧している。そうならないようにするためにも、多くの海外の優れた企業・人材を積極的に受け入れ、国を挙げて精神的な開国を行うべきではないだろうか。海外から新しい血を入れることにより、国際競争力のない既存の企業は次々と潰れることになると思うが、それが世界の常識であり、経済の本来の姿のはずだ。そうした競争の中から、世界に通用し、真のマネージメントを身につけた雑草のように逞しい優良企業が誕生してくるのである。そのためには、多くの優秀な企業・人材を海の彼方から引きつけるだけの魅力ある国に日本を変えていかなければならない。明治維新当時の原動力となった先達に倣い、第2の「明治維新」に向け、現代の日本人も今こそ英知を結集すべき時期に来たのではないだろうか。

2003年7月吉日  野田隼人

58 名前: 根本敦史 投稿日: 2005/02/14(月) 21:51:30
以前の皆様のご投稿のとおり、社会への恩返しは、やはり、心から社会への感謝の念が込み上げてこない限り、難しいのかもしれません。しかしながら、社会への感謝の念をはじめ、この世に今こうしてあることに対する感謝の念を心から感じることができた暁には、それはとても素晴らしい人生の転換期になることと思えてならないのです。ですから、社会への恩返しの進めへのアプローチとして、まずは社会への感謝の念を如何に抱かせるかを考えてみたいと、そう思っていました。
そんな中、ここ数日で大変面白い話しを聞きました。京都のあるお方ですが、幸せを感じるためのセンスの磨き方です。といっても、聞いた話しを自分なりに自動的に意訳しているところもありますが、概ね、こんな感じです。

人は今この瞬間に幸せを感じるのである。であれば、今この瞬間に集中しなさい。過去の失敗や将来の心配に今を囚われ、如何ようにして幸せを感じようか。また、今から幸せを感じるのは、ほぼ、それを五感により感じ取るものである。だから、その五感を鍛えなさい。ボケボケと何も感じずに過ごす時間が如何に多いことか。昨晩の夜風の風の感触を鮮明に思い出せるか。これは誰もが簡単に鍛えられる。それを通じて、所謂、第六感というものを育ち、いずれそれは、予知能力や想念の現象化の力を与えよう。

ダメです、纏まりませんね。取りあえずこのあたりで。ともかく、今に集中し、それに「ありがとうございました」と言うことです。言霊ですね。そして、今を感じるセンスの問題です。このセンスが如何に鈍っているかということです。簡単に鍛えられます。

59 名前: 藤原肇 投稿日: 2005/04/19(火) 17:17:02
非常に悲しい情報で残念ですが、「ジャパン・レボリューション」の初版の残部のうちの1000部が、出版社の都合で断裁されたということを耳にしました。残りは数百部程度だろうと思いますが、あの本はこれから次の世代に読まれることで、いいメッセージを伝える内容だと確信しますし、社会への恩返しの一環として役立つはずですから、何とかしたいという思いに駆られています。絶版や品切れになる前に確保したいと希望するものの、外国に住んでいるために保管するのが困難であり、誰か置き場所を提供してくれるならば私が買い取って、確保するなりしたいと考えます。あるいは誰かが50部とか100部を確保しておいてくれるならば、将来のある時点で私が買い取るということでもいいと思います。何かいいアイディアがあったら提案してください。

60 名前: 根本敦史 投稿日: 2005/05/04(水) 14:38:01
ジャパン・レボリューションですが、50部ほどであれば、購入し、確保しておいてもいいです。いつか、何らかの形でどこかに寄付でもできるといいです。出版社に直接連絡すればよろしいでしょうか?
さて、社会への恩返しのすすめですが、こんな言葉を思い出します。「衣食足りて礼節を知る」 少し使い方が違いますが、要は、衣食に精一杯であって、恩返しなどできないのかなということです。先の不安でいっぱいです。不安を取り除く必要があるかもしれません。本当は因果応報、与えて初めて得るものがある気もしますが。タンジブルなものが、アンタンジブルですか・・・。また、税制の問題もあるかもしれません。累進課税や相続税です。もっともっと小金持ちが多くて駄目なのかもしれません。大金持ちがいないと。よきパトロンとなるような人物がいません。文化も生まれません。

61 名前: 根本敦史 投稿日: 2005/05/04(水) 14:55:24
税制の問題でもう少しだけ。今日に至るまでの経済復興、これは中央集権型の税制システム、これが機能していたんだとうと思います。只、これからは個人による社会への投資を促す税制が必要なのではないでしょうか。新興成金が多く、だめでしょうか。しかし、やってみる価値はあるのかもしれません。もちろん、教育は必要ですが、腐った国、官僚に任せるよりましなのかも知れません。疲弊した組織にまともな意志が働かない、そんな状況だと思います。そもそも、本当に必要なことに税金が使われていません。社会保険、医療費等々、どうする気でしょう。なんとも無駄な使い方をいつまでやるのでしょう。変えたいですね。もったいないです。お金だけでなく、この命が。もっと楽しいことに使うべきです。

62 名前: 海原並彦 投稿日: 2005/05/04(水) 18:38:00
根本様、『ジャパンレボリューション』購入という有意義なお金の使い方、敬服いたします。

藤原博士の著作についていつも残念に思うのは、絶版が多く入手が非常に困難なことです。ネット古書店などで検索しても、入手できるものは限られており、また一般の図書館には所蔵がなく、国会図書館あたりでないと閲覧ができなかったりします。
そこで提案ですが、『ジャパンレボリューション』については、希望者が数冊から数十冊づつ購入し、適宜、人に進呈したり、図書館に寄贈したり、あるいはネットオークションに出品するといった形で常時世の中に流通させ、希望者が入手できるようにしてみてはどうかと思うのですが、いかがでしょうか。
ある程度の人数で保有し、それぞれ各自の方法で流通させることにより、配布できる範囲も時間もより広がりが出るように思います。

63 名前: 海原並悲子 投稿日: 2005/05/12(木) 23:47:52
(62より続きます)ということで、30冊ほど購入させて頂きたいのですが、出版社から直接購入ということで、定価の8掛けの価格での購入は可能なものでしょうか(取次ぎや書店が介在しないので、出版社さんも特に損になることはないと思います)。

64 名前: 藤原肇 投稿日: 2005/05/14(土) 08:03:14
海原さんのご好意を感謝します。ご質問に関しては根本さんの書き込みがあった時点において、清流出版の社長ならびに編集長宛にメールを送り、そのような注文があった場合には著者と同じ扱いにして、特別な配慮をお願いしたいと頼んであります。
ですから心配ないと思いますが、一応は臼井編集長に連絡して取り扱いに関して、どうするかについて照会していただけますか。将来のある時点で絶版になった時には、引き取らせていただきますのでよろしくお願いします。

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