大地とともに賢く生きる知恵
1 名前: 根本敦史 投稿日: 2005/10/14(金) 00:53:31
珪水さんの大地(アナログ)に関するご助言に触発され、知っているようで良く分からない「国土大神」に触れたところ、西條謙太郎さんより、貴重なご投稿を頂きました。散文的に何でもコーナーで書き綴るのは楽ですが、珪水さんが大事だとおっしゃる大地(アナログの世界)について、ここで焦点を絞って皆様からご指導いただけると幸いです。意見、気付いたこと等、何でも結構です。大地とともに賢く生きる知恵、これを学びましょう。珪水さんも是非ご指導下さい。

2 名前: 根本敦史 投稿日: 2005/10/14(金) 01:32:44
大嘗祭、新嘗祭についてです。少し前に読んだ本ですが、三橋一夫氏が「コトタマ萬華鏡」という本で神道家の相曾誠治氏の説を紹介していました。大嘗祭、これをダイジョウサイと読まず、オホニアヘマツリと呼ばれたと言うのです。アヘルは和えるです。また、「東大寺縁起」にこんな一節があるそうです。「先帝、建立のみ袖に土を包んで嘗め給ふ」これは、仏殿を建て替えるときに、古い敷地の土を少し袖に包んで新しい敷地まで運び、新しい敷地の土をあえる(混ぜる)行事のことを読んだそうです。この行為の目的を相曾氏はこう説きます。地球の公転自転によるマグマの回転、それによる大陸の移動、大陸とマグマとの摩擦熱、マグマの熱源。これらの安定化を目的に、上層部のシアル層(比重の軽い花崗岩質)と下層部のシマ層(比重の重い玄武岩質)とが安定するように祈る祭り、これが大嘗祭の本義であると。兎も角、地球規模の祭りであったことと、それほど大地を大切に扱ったということです。

3 名前: 根本敦史 投稿日: 2005/10/14(金) 01:42:02
西條さんご指摘の「天下大将軍・地下女将軍」ですが、土地も陰陽ですね。どうも感覚的なものですが、体を緩める土地と体を締める土地があるように思います。昨日・今日と仕事でITの町(?)、秋葉原に行きましたが、どうも体が緩むのです。笑ってください、それを肛門のあたりに感じました。危うく漏れるかと思うほどに。。。冗談はさておき、白い大地もあれば黒い台地もあります。土地の男、女ですか?流行の秋葉系といわれるITの亡者が秋葉原を徘徊する所以が知れた気がします。

4 名前: 根本敦史 投稿日: 2005/10/14(金) 09:28:03
これも聞いた話しで恐縮ですが、広島に原爆が落とされ、その大地が放射能に汚染され絶望しされた時、その大地にどこからともなくドクダミ草が生えてきたそうです。その大地の放射能値を下げたと思われます。大地と植物の関係、そこに生きる植物は生きるべくして生きている。大地、地球と共にある植物、有難いものです。またそれを知ってか、植物の名前となって残っているということ。生きる知恵です。地球にあって、今日の人間だけが大地、地球の声を聞けなくなったのかも知れません。

5 名前: 根本敦史 投稿日: 2005/10/14(金) 09:40:54
以前も書いた記憶がありますが、松竹梅、なぜ松・竹・梅なのかです。松はどのような土地に生きますか?全て体に良さそうですね。松を食す、後天の気を養う、大切なことだそうです。大地・アナログ・時を味方に付けるという意味で、「松」の「マツ」は「待つ」に繋がります。脳の松果体は何故に「松」を用いたでしょうか。

6 名前: 根本敦史 投稿日: 2005/10/14(金) 21:16:40
今日は仕事で本当に疲れました。夜、こうして家に帰ってホッとしています。資本家になれというお言葉が身に沁みます。仕事で疲れるのは、どうしてもデジタルな仕事をするからだと思うようになりました。間に合うか否か、繋がるか否か、理解されるか否か、通るか否か、優先するか否か等々。こんな二者選択の連続で、心身ともに疲弊します。家に帰りホッとできるのは、こうした選択から開放でき、大地・アナログの世界に戻れるからです。では、仕事をする上で、こうしたデジタルな世界を如何に脱却できるのでしょうか。デジタルな仕事、ただ忙しいだけで、ちっとも進んでおらず、全力疾走で足踏みしているようなものです。大地・アナログの世界を切り取り、それを仕事にする、そうした知恵を身につけ、まさに資本家として独立せねば、改めて、そう思う次第です。ドロップアウトし、大地に回帰する、そんな気持ちも良くわかります。

7 名前: 根本敦史 投稿日: 2005/10/15(土) 00:13:55
「玄関脇等に小さな祠を設けて『土地財神』を祭ってお灯明を絶やさないようにしてある」祠は玄関脇の下の方に在るのでしょうか。そしてお灯明ですね。忘れがちな大地への感謝、明かりがあることで意識が向きますね。イヤシロチ、ケガレチ、穢れをはらいましたでしょうか。石(金)が土地(土)の穢れの気の上昇(木)を防ぐ、金剋木ですか?土生金ですね。

8 名前: 根本敦史 投稿日: 2005/10/15(土) 00:29:46
水生木、木生火、火生土、土生金。春、夏、秋、冬ですね。四季のめぐり、秋の収穫です。

9 名前: 西條謙太郎 投稿日: 2005/10/15(土) 12:35:16
道教の『土地財神』の祠は玄関脇の下の方に置かれ、別名『門口土地財神』
とも呼ばれています。正確には、お供えはお線香が一般的で、お線香+お灯明
の両方をお供えしているところもあるという感じです。

別の話ですが、シンガポールの知人の家の前の広場で、華人の法事かなにかで、近
所の人を呼んだ会食が行われたあとで、人気のなくなった片隅で、係りの者
2人1組で変わったことをしているの目にしたことがあります。
彼らは、焚き火をおこし、その煙がたなびく中で、一人は、大極図(陰陽)を
大書した唐傘を取り出し、それを空に向けてぐるぐると手で廻し、もう一人
は鞭で大地を何度も音をたてて打ち続けたのです。
ちょうどそのとき、『宇宙巡礼』を読み返していたので、その模様はP19
2に絵入りで記録し、その啓示に目を見張りました。

様々な宗教の顕教・密教および秘密結社などのコアに込められた、メタサイ
エンスの叡智に触れ、それらを正しく活用していきたいものですね。

10 名前: 根本敦史 投稿日: 2005/10/19(水) 12:11:55
我が国、日本が四方を海に囲まれた岩山の隆起物と捉えると、この恵まれた国土に感謝せずにはいられません。この国土を、海水を真水に変える自然の装置と捉え、発信されている方がいらっしゃいますが、そのとおりですね。この国がこの国足りえたのも、ひとえにこの大地のご加護があってのことと思います。磐座への信仰がありました。また、勾玉の霊力を信仰したものもいます。石ですね。土と石の関係、石は天の気を宿すと言います。所謂、土の気とは違う見方をしますね。五行でいうところの、土生金ですね。地球という一生命体による錬金術ともいえましょう。また、君が代も石について歌っております。さざれ石〜コケの生す岩とは何を指しますか。また、この石、玉は天の気の受信機になりますでしょうか。あらゆる宗教のメッカに、石ありです。石と意志、無関係のように思えません。人の意志など、情報の受信状況により、如何様にもコントロールされるものです。意志とは、この石の精錬作業と異ならないかもしれません。
今、自分を人生の岐路に追い込みました。一身独立の気概、ここが今の我が国に欠けているものでしょう。国民の気概は、そのまま政治にも反映しますし、それが相似象というものでしょう。大地のご加護の元、一身独立、ただ為すのみです。地球の連金作業との相似象化、一人間の大いなる作業とでも言えましょうか。天地人の意味が少し分かった気がします。

11 名前: 珪水 投稿日: 2005/10/24(月) 18:16:58
根本さん 少し私と歴史の復習をしませんか?1860年から1910年頃までの日本、世界史の出来事、暇を見つけてゆっくり復習しましょう。

12 名前: 根本敦史 投稿日: 2005/10/25(火) 21:05:56
珪水様、ありがとうございます。是非、勉強させてください。凡そ150年前から100年前までの50年ですね。

13 名前: 根本敦史 投稿日: 2005/11/13(日) 14:39:20
地母神、元素、星辰、周期等々、知らないことが多いのでよく整理ができないのですが、原子は、陽子核の周りに電子が特定の周期で回っているものと理解していましたが、違いますでしょうか。鍛冶師や錬金術師は特定の原子と星辰との関係を言います。例えば水銀と月、鉄と火星、銅と金星、鉛と土星、金と太陽など。その根拠は今はどのように説明されていますか。陽子核の周りを回る電子の周期と例えば公転周期は関係ありますか。そして、こうした様々な原子を宿す地球、大地とは、この宇宙におけるどのような舞台なのでしょうか。大地を知らぬことは宇宙を知らぬことであり、また、自分を知らぬことなのだと、痛感します。

14 名前: 根本敦史 投稿日: 2005/11/17(木) 15:54:52
西條様ご指摘の「門口土地財神」。仕事が終わり、夜、帰宅して床に就くのは、陰陽でいうところの「陰」の世界。毎夜、地母神、大地への回帰をしているわけで、次の日の鋭気(陽)を養うわけですね。家に居ても落ち着かぬ、大地のような母性を感じぬ、それでは駄目なわけで、その入り口に「門口土地財神」があったわけですね。また、「9」でご紹介いただいた大地を鞭でたたく、これは地母神を象徴する「蛇」を連想させられます。すると、三輪山の大神神社、そして、ご神体の蛇のことが気になります。大物主、大国主、国土大神。。。

15 名前: 根本敦史 投稿日: 2005/12/01(木) 12:46:33
少し日本の神様の勉強をしてましたが、とても良くできたものだと関心させられます。色々な見解があると思いますが、少し勉強させてください。(連想ゲームになった感もありますが) 国土大神とは、そもそも何か。これ、大物主大神、大国主大神とも同一神とされます。同一神、よく聞きますが、もとは一つ、働きを行う次元が違うとでも理解しましょうか。そして、多くの神様を見ていくと、正に藤原先生が言う「宇宙システムを構成する多次元構造(ホロコスミックス)」、「自由制型の情報のネットワークモデル」などが垣間見れ、興味深いです。簡単にですが、下記、如何でしょうか。

元無極体主大神・・・・・大宇宙
天御中主大神・・・・・太陽系
国常立大神・・・・・地球
国祖・・・・・日本
産土・・・・・郷里
御親大神(祖先)・・・・・家

しかも、これらが皆本来は同一神という。量子物理学、フラクタル、相似象の世界ですね。では、神というものに見出したこの働きは、一体どのようなものか。「結び」ですね。しかもそこに陰陽二つの働きがある。さて、そこで国土大神こと、国常立大神ですが、上記で言うところの正に地球、大地そのものですね。国常立大神というと、同じく出雲を中心とする大国主大神ですが、大黒様ですね。結びの神です。そして面白いのが、幽冥主宰大神(かくりごとしろしめすおおかみ)と、幽世・現世でいうところの幽世をおさめるとされています。タンジブル・インタンジブルでいうところのインタンジブル、縁(えにし)です。国土大神への感謝が、同様に私たちにインタンジブルなかたちで帰ってくる。それが個人の生き様を決め得る縁(えにし)の世界ですね。しかも恐ろしいのが、そこにも陰陽ふたつの働きがある。世界を味方につけるとは、そういうことですね。また、大本、天理教などでは、鬼門・丑寅の金神を国常立大神と見ます。大和朝廷なども丑寅の方角を忌み嫌いました。東北、ここに何があったのでしょうか。連想するに、アラハバキ神。父なる天空・獅子神の「アラ」に、地母新・蛇神の「ハバキ」でしょうか。陰陽ですね。であれば、安部、安藤一族なんかも連想されます。ついでに、陰陽師、安倍晴明とは。。。地球の摂理、理をおさめる神ですね。国常立大神も日月の神とも言われます。どうも、天照大神だけではないようですね。陰陽この二つを兼ね備えた神を知る、つまり、理を知り、バランスを知ることです。さらに陰陽五行の「土」の働きです。そこで、「土用」という期間、土公神(どくじん)といわれる土を司る神の支配する時期とされますね。

               「火」(南/夏/紅雀)
                   |
(東/春/青龍)「木」 −  「土」(黄)  − 「金」(白虎/秋/西)
                   |
               「水」(北/冬/玄武)

そして、黄色人種の日本人というもの、また上記5色の仮面を祀った弊立神宮等々。。。できれば、国土大神、日月大神、国常立大神、地球神から、地底世界、シャンバラに繋げていくと面白いですね。

16 名前: 根本敦史 投稿日: 2005/12/11(日) 23:06:59
サムライさんが以前ブログでご紹介下さった「陰陽道」(長原芳郎著)という本、だいぶ前にざっと読み終え、今、改めてゆっくりと読み返していますが、大変勉強になります。少しだけ引用します。
(引用開始)
盆踊りで太鼓をたたくというのは、陰陽道でいうと、音は三碧で雷である。雷神が太鼓をもっているのはその意で、地気上昇をうながすためである。
(引用終わり)
西條様ご指摘の「門口土地財神」についてですが、「9」の「大地を鞭でたたく」は、正にこのことで、地気の上昇をうながすことが狙いかもしれません。珪水様が「皆さん夜よく寝ていますか」と問いかけられましたが、陰陽、人間やはり夜はしっかり寝る、地の気を吸収しないと、昼間にしっかりと活動できないのでしょう。

17 名前: 根本敦史 投稿日: 2005/12/14(水) 14:07:46
五行における土の働きが大変おもしろいです。先に挙げた「陰陽道」を参考に書きます。先の投稿との矛盾もあるかもしれません。日々発見です。お気づきの点があればご指摘下さい。まず勉強させられるは、五行説における土の変化を表す2つの働きです。つまり、創造と破壊と言いましょうか、腐敗させる働き(穢れ)とそこから新たに生み出す働きです。メビウスの輪でいう表裏の転換点とでも言いましょうか。
さて、西條さんご紹介の門口土地財神ですが、五行で言うところの石ですね。この石ですが、火や山とともに、天の気を表しますね。天からの下降の気、太陽とも言えましょうか。これは、土の気の特に穢れの気の上昇を抑える働きをしたのかもしれません。中に蝋燭の火もあったわけも分かります。また、次はどうでしょう。

(引用開始)
別の話ですが、シンガポールの知人の家の前の広場で、華人の法事かなにかで、近
所の人を呼んだ会食が行われたあとで、人気のなくなった片隅で、係りの者
2人1組で変わったことをしているの目にしたことがあります。
彼らは、焚き火をおこし、その煙がたなびく中で、一人は、大極図(陰陽)を
大書した唐傘を取り出し、それを空に向けてぐるぐると手で廻し、もう一人
は鞭で大地を何度も音をたてて打ち続けたのです。
(引用終わり)

これは、「焚き火」の火が天の気を表し、「大極図を大書した唐傘を空に向けて廻し」は地の気(穢れ)の上昇を促すことと解せます。そして、「鞭で大地を音をたてて打ち続けた」は、たたく「音」が三碧木星・五行の「木」を表し、正に地の気の上昇を促すと解せます。これを、天の気の下降の時、昼間のうちに行っておくことに意味があるのだと分かります。穢れの祓いであり、禊であり、掃除ですね。仏事でいうところの初七日と近い考えですね。地からの魄の上昇です。改めて、掃除や洗濯をすることの意味、仕方を考えさせられます。

18 名前: 根本敦史 投稿日: 2005/12/14(水) 14:57:17
改めて、掃除や洗濯をすることの意味、仕方を考えさせられます。思うところを書きます。これは日中、特に午前中に行うことに意味があったであろうし、地の気(穢れ)の上昇を促す意味で、水や音も上手く使う必要がありそうです。ただ、物理的な汚れを落とすだけではなく、穢れを祓う、一種の禊ですね。まず掃除ですが、やはり午前中に済ませたい。また、水を上手く使うことで、夜間、空間に蓄積された地の気(穢れ)を祓うことが効率的にできます。珪水さんが以前書き込まれたように、大地を打つ水は地熱で気化し、熱を奪いながら上昇し、低気圧を生み、大気(天の気)を呼び込みます。また、便所掃除が基本であり大切だと言われますが、便所は大地に直結しているところであるばかりか、排泄する場、正に穢れの蓄積の場と言えましょう。便所を東司(とうす)と言ったそうですが、東は三碧木星、五行で言うところの「木」を表し、地の気の上昇の場であり、正に発展を司るところですね。寝室の掃除も大切ですね。布団を叩く光景を昔良く見ましたが、叩いて埃を払うだけでなく、その叩く音にも意味があったのかもしれません。日中の内に穢れを飛ばしてします。そう考えてみると、昔は各家から色々な音が聞こえたような気がします。日本の母親が家を守ってきた、正に日中、夫の留守中に穢れを祓っていた文化です。各家族ならまだしも、東京での一人暮らしでは、日中、誰も家の掃除をしないわけです。そしてその部屋には夜しかいない。朝のうちに、簡単な掃除(穢れ払い)をしてから出るのが得策かもしれません。なお、門口土地財神は、空間の穢れ、滞りを防ぐ知恵ですね。神社では結界をはりますし、蹴鞠などでも四方に木を立てました。ある先生は、部屋の四方に高温で焼いた竹炭でもおいておけ、と言います。四方の隅(すみ)においた炭(すみ)が穢れの済みか(すみか)になると。穢れとの共存、滅するのでなく封じるのだそうです。そんな風にして日中に綺麗に掃除(禊)をすませた後の夜の静かな時間、これが明日の鋭気を養うわけですね。

19 名前: 根本敦史 投稿日: 2005/12/14(水) 15:54:26
我々人間は自分で思考しているようで、空間、場により思考させられています。昨年末の珪水さんの投稿で「そうじ」を大切に扱っていただき、空間の整理整頓、そうじ、禊をします。よって、その整った空間により、落ち着いた思考が生まれます。政府のインフラ整備の話しが以前ありましたが、政府として(人間として)できるのも、結局、空間の整理整頓であり、そうじであり、禊であります。これができないでいると、国土の気、穢れの気が蔓延するに到るのでしょう。正に国土大神、大物主大神、国常立大神の荒ぶる魄と言えましょう。これが大地の「あらたま」「にぎたま」の陰陽二つの働きですね。では、如何にそうじをするか、それは陰陽、宇宙の理に則ってそうじをするしかない。正に相似ですね。先の「陰陽道」の本では、「十干」は天の気、「十二支」は地の気、「九星」は人間の気を扱ったとありましたが、「五行」を含め、こうした陰陽道が生活の各所に散りばめられており、つまり、天地自然と相似させた生きる知恵が太古にあったということです。この理を知るには、やはり整理整頓であり、その上で自然からのその変化の仕方を学ぶくことですね。色々と寄り道をしますが、やはり、ここに行き着きます。

20 名前: 根本敦史 投稿日: 2005/12/14(水) 18:16:35
先の「十干」は天の気、「十二支」は地の気、「九星」は人間の気(機?)を扱ったとありました。この本では、関連して、煩悩の数の108を地の十二支と人間の九星の12×9と解説しており、興味深いです。これが除夜の鐘の数であり、原子の数に関係するのでしょうか。人間は、自らルールを決めて、場を作っていくことができる生き物です。茶道、弓道、柔道、剣道、神道など、あらゆる道で作法(ルール)を決めて、それを為す決まった場を作ってきた。面白いですね、量子物理学の世界とでも言いましょうか。ある法則(宇宙の法則)のもと、自分で作法のルールを決め、それを為す。一種の自己暗示で、そういう「気がする」文化です。大地に生きるも死ぬも、そうじの仕方次第、おのれ次第であるということですね。しかし、煩悩は死ぬまでなくならないわけですね。それを超克する、つまり、大地(穢れ)の超克であり、そうじによる大地の穢れの封印、超克です。昼間、きれいに掃除(禊)を済ませ、夜、静かに空を見上げたとき、そこに大空に広がる星々を見た。その時、きっと天の法則(十干)が身に宿るのでしょう。そんなバランス感覚が、きっと天地人の三才なのかもしれません。しかし、東京の夜は如何にも騒々しいものです。。。

21 名前: 根本敦史 投稿日: 2006/01/30(月) 05:56:16
私たち人間の体そのものが大地そのものであると共に、その心や思想も、実は大地からの情報をキャッチして考えさせられているものであるという世界観、正に人間が心身ともに大地の化身であるとも言えます。だからこそ私たち人間は、その大地を美しく保っていかなくてはならないし、それが私たちを生み出した大地と共により良く活きる為の最大の知恵とも言えるし、そのための工夫がフィボナッチ数列や黄金率だったりするのかもしれません。また、私たち人間を人間たらしめているのは、動物とは違い、生みの親である大地の美しさを保つ為に、理性と文明をもって大地に働きかけることができるということで、それが一種の錬金術のような気がします。動物には決してこれができない故に絶滅してします種がでてきます。だから私たち人間が絶滅してしまわないように、常に大地と共に活きる知恵が必要で、それが正に珪水様がおっしゃる空間の整理整頓なのかもしれません。

22 名前: 藤原肇 投稿日: 2006/06/01(木) 08:51:55
小泉のペテン政治を誰も総括しようとしなかったので。コンピュータを相手に仕方なく一年近く格闘し、本は出たが失明同然に目を悪くしてしまい、皆さんに心配をおかけしてしまいました。
目の手術から二ヶ月が経過しましたが、年齢のせいで回復が遅れており、遠くと中距離は不自由しないとはいえ、未だ本は天眼鏡を使わないと読めない状態です。コンピュータも天眼鏡を使わないとダメで、スクリーンやキイボードが良く見えませんが、あせらずに回復するのを待っています。それでも、優先度が高いと思う仕事に関しては、苦労しながらも着実に片付けて来たおかげで、新しい対談集がこのスレッドと似た題を持って、『賢く生きる』という本として間もなく生まれます。
愚劣な小泉の如きインチキ男を相手にして、視力を損なった情けない体験をした癖に、『賢く生きる』もないものだと思う人がいても、これは正慶さんとの対談の主題だったのだから、その辺の矛盾については目を瞑ってください。
正慶さんとの対談はまだアップしてないので、数日以内に『著書』にアップを依頼してあるから、それをこのスレッドを議論で賑わせてください。なを、議論の資料として活用してもらうように、正慶さんと首藤さんの対談に関しては、配本の一週間前まではopenにするよう頼んであるので、対談内容を種に議論を盛り上げてください。

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