朝日と読売の火ダルマ時代
1997年11月15日初版発行 本体価格1810円+税
国際評論社
絶版
|
まえがき
危機的な日本の現況
21世紀の始まりを眼前に控えた日本の現状は、政治や経済が深い混迷の中で亡国の色を強め、一種の幕末化の度合を濃厚にしているが、その原因の大きな割合を占めているものに、ジャーナリズムの頽廃と活力の衰退がある。
この認識に至ったのは1980年代半ばであり、強い危機感に支配されて落ち着けなくなった私は、日本のジャーナリズムについての本を読み、新聞社史を真剣になって繙くと同時に、多くの老ジャーナリストたちを訪問して、活字にない領域について探査を続けた。
最初の頃は歴史的なエピソードが主体で、知られていない歴史の影の発掘に興奮して、せっせと太平洋を往復して聞き書きを作り、そのうち『新聞外史』を纏めようと考えていた。
だが、中曽根内閣による演技政治が本格化して、カジノ政策の進展と共に新聞が異常を呈し、バブル現象に巻き込まれ始めたので、歴史よりも現状分析に重心が移って行き、経営形態に注目せざるを得なくなった。そんな状況の中でリクルート疑惑が発覚した。
リクルート事件の病理学的な解析も済み、既に内部調査がかなり進んでいたので、犯罪の輪郭が浮かび上がっていたこともあり、ロスの邦宇新聞『加州毎目』新聞の紙面に、1989年5月の段階で記事の連載を開始した。歴史の証言を記録する必要性を痛感したが、タブーに開わる難しい問題を含むので、日本国内では活字化が困難な内容でも、国外のメディアを使えば表現が可能だと考え、日本語新聞という手段を使ったのである。この戦術はある意味で極めて効果的であり、問題意識の高い国内のジャーナリストに、強いレスポンスを伴った関心を集めたし、国際電話による意見の交換を含めて、インテリジェンス指数の高まりを通じ、私の訪日の日程の忙しさは猛烈なものになった。
リクルート事件は興味深い性格を持ち、病理学の対象としては絶妙なものであり、昔とった杵柄がとても役立ったという意味で、私は非常に幸運な経験をしたことになる。というのは、フランスに留学した時の道楽の一つとして、ファシズムとナチズムの講義に出席し、異常心理と病理学のアプローチを使った、歴史分析を学ぶ機会を持っていたからだ。
リクルート事件に関しての私の新聞記事は、その後に『平成幕末のダイアグノシス』(東明社)に取録され、日本人が誰でも参照できるようになったが、当時20冊近く刊行されてリクルート物の中で、匹敵する本は無かったと自負している。
決め手になるのはその分析手法にあった。1980年代は境界の壁が破れた時代でありドイツでは冷戦構造の東西の境界の壁が崩れたが、日本では中曽根内閣が誕生したことによって、表と裏を区切る上下の境界が崩れたために、カジノ経済の果ての大変動で幕末化が進んだ。
それを私は仮に東京プッチと名づけたのであり、ロッキード事件で手負いになった田中角栄が、ミュンヘンのルーデンドルフの役目を演じて、一種のソフトな革命の初期振動(P波)の記録になった。ショックは政治の分野だけでなくメディアにも及び、ひいては日本の社会全体が影響を豪った点で、世紀末に先立つ一連の痙攣の開始だった。
それがどんな歴史的意味を持つかについては、『平成幕末のダイアグノシス』と本書の記事が、ジグゾウパズル組み立ての手助けをして、全体像を描く上で貢献すると思われるキイワードは『フェルキッシャー・ベオバハター』で、それを私は読売と二重写しにして見るが、これが誤解による大いなる幻影なら、日本の運命にとって喜ぶべきことだと思う。
監視役から第五列へ変身したメディア
オランダ生まれのヴァン・ウォルフレン記者は、『日本の知識人へ』(窓社)と題した興味深い本の中で、「日本の新聞は日本の社会政治制度を監視するかわりに、読者から必要不可欠な情報を体系的に奪うことによって、現在進行中の出来事を不明瞭にする役割を演じている」と書いている。そして、この指摘こそ日本のジャーナリストが肝に命じて読み、かみ締めて味わう必要があるものだろう。これは日本のメディアが知的誠実さを放棄し、権力に対峙して監視する役割をせず、その第五列になったことへの告発である。
彼は論文の中では鋭い論調を展開して、知識人の1人として自立的な発言を行い、批判精神に富む誠実な指摘をしている点で、ジャーナリストの本分を発揮している。
だが、『サンデー毎日』で試みた政治家との一連の対談では、批判精神の片鱗もない追従的な発言と、権力者の面前において監視能力を放棄して、手玉に取られ宣伝役に終始していた点で、日本の新聞社の堕落幹部と大差がなかった。
これは権力の毒における病疫学の問題に属し、ジャーナリストや学者の公正な判断と洞察は、常に権力から難れた場所で価値を持つので、知識人でも調子に乗ってタレント仲間に連なれば、必ず堕落することの病理学的な証明でもあった。
権力を待つ側からの誘惑と切り崩しには、学生運動や組合活動のリーダーの堕落や、転向共産主義者を使った労務管理など、応用例は数えきれないほど沢山あり、社会のあらゆる領域に及んでいる。その巧妙なものが政府委員への任用だし、メディアに登場する機会の提供であり、慣れ親しめば懐疑と批判の精神が衰退して、権力の甘美な花園に迷い込むはめになる。
『諸君』、『正論』、『ジスイズ読売』、『潮』、『ボイス』などは、紙を使った街宣車役を果たす月刊誌であり、小遣い提供を通じた懐柔に目の無い、売文評論家や御用学著たちで賑わう、赤電球に照らされた言論版の俗悪サロンである。
拙著のどこかに書いておいたことだが、[女がするのが売春で男がするのが売文]だから日本の書店の店頭は赤電球の放列であり扇情的な色彩の騒音で股賑をきわめている。
若い頃の内藤湖南は大阪朝日の記者だったが、赤いガス灯のサロンに通わず良書に親しみ、山片蟋桃の『夢の代』や三浦梅園の『三語』を読破して、京大を日本一の学問の場に育て上げる上で貢献した。
その意味で、権力から数歩離れて言論は初めて迫力を持ち、三浦梅園の曾孫弟子だった福沢諭吉は、明治前半の啓豪活動の先駆者として野にあり、『学問のすすめ』や時事新報などを通じて、青年たちに独立自尊の価値を普及したのである。
だから、明治の前半に生きた日本人たちにとって、自由は希望と結びついた言葉だったのに、百年後には手垢だらけで胡散臭くなり、そんな題字の新聞は誰も見向きしないから今では政府与党の機関紙だけになっている。だが、自由のない所に正義がないという意味で、言論の自由の追求は貴重なものであり、それが本書の誕生の機運を招いたのである。
タブーの壁と新しい挑戦の津波
『ルモンド』や『トリッブ(インタナショナル・ヘラルドトリビューン』の味わい深い記事に比べて、内容が希薄な日本の大新聞の持つ落差は、記者や論説委員の資質の問題であるより、むしろ経営形態に由来するのではと考え、新聞史を調べたのは10年も昔のことだった。また、春と秋の墓参の訪日の機会を利用して、ジャーナリズムについての問題を中心に、日本の各地で余生を送るOBを訪ねて教えを乞い、5年余りもインタビューを続けたお陰で、3年前に本書は一応の完成の状態に至った。
それから出版の段取りに移ることになったが、日本の2大新聞の問題点を扱っただけでなく、メディアを支配する広告会社や司法当局を含み、多くのタブーにも抵触していたために、日本で活字にすることは至って困難だった。しかし、提起した問題は極めて重要であり、歴史の証言として残す必要があったから、シカゴの邦字新聞を使って活字化したが、その反響は予想をはるかに上回るものだった。
連載記事を読んだ多くの読者たちによって、日本で単行本化するための努力が続いたし、拙稿に誘発されて国内で幾つかの記事が書かれ、堅固だったタブーの壁に亀裂が入った。紙面の提供で勇気を持って突破口を開けた、『ミッドアメリカガイド(後の日米ジャーナル)紙』の故・上原将編集長の見識に、ここで改めてお礼を述べて冥福を祈りたい。
バブル崩壊後の不況と金融界における不祥事は、大蔵省の当事者能力の不在を露呈したが、日本の政治的混迷の救い難さを明らかにし、遂に前代末聞の批判の出風を巻き起こした。その中で特筆すべぎ革命的なタブー破りは、鹿鳥昇の『裏切られた三人の天皇』(新国民社)であり、これだけ強烈な内容の本に私が接したのは、遇去10年において記憶がないほどである。
これだけ強いインパクトを持つ本が登場し、虚妄に満ちた過去のタブーが崩解して、歴史の真実が白日に曝される時代が始まれば、メディアにおける偽れる盛奘に対して、過去と同じ黙殺と拒絶の横行を放置するのは、歴史に対して大きな犯罪行為になる。
過去3年の空白を補正して仕上げる意味では、三浦梅園の『玄語』の23回の換稿に較ベて、それに及びもつかない僅かな補強だが、サンカにまつわる最近の対談を加え、本書は日本の読者一般の審判を仰ぐことになった。ジャーナリストとしての強い責任感に基づき、長年にわたる言論活動を続けてきた立場で、内容を評価して刊行するのを快諾して頂いた、国際評論社の寺川雄一社長の決断を讃えたい。
1997年初夏 パームスプリングスにて、藤原肇
目次
まえがき
危機的な日本の現況/監視役から第五列へ変身したメディア/タブーの壁と新しい挑戦の津波
第一章 朝日と読売の運命的な競合と一体化の軌跡
----社史で読むメディアの半生と暗黙知の教訓----
販売戦で新聞戦争の雌雄を決める虚像/世界における一流紙の条件/官報が死語化した日本のジャーナリズム/大阪の朝日と東京の読売/東京に乗りこんで制圧した朝日の路線/政府と新聞の対立と大正リベラリズム/朝日を痛打した白虹事件/朝日と読売の捩れ関係/言論扼殺と御用新聞時代への門出/歴史の本質と行間に書かれた新聞社史
[歴史の検証]歴史の書き換えと社史の信憑性
都合の悪い遇去は隠蔽したがる歴史の傷痕/社史が事実さえ記録しない罪/世代の変化で断絶する意識
第二章 読売工国を築いた巨魁の奇怪な足跡
----正力が確立した鉛筆ヤクザ路線の原体験----
読売の中興の祖・正力松太郎社長の登場/大正デモクラシーの扼殺と昭和ファシズムへの道/正力の読売支配の背後にいた権力人脈/関頭大震災と朝鮮人大虐殺事件の点と線/正力による宿敵の読売制圧/柴田編集局長の時代/インテリが書いてヤクザが売る制度/戦争責任の追及と読売争議の乱闘/番町会に連なるフィクサー人脈の暗躍史
[歴史の証言]読売の正力と特高警察の系譜
特高警察人脈と新聞支配の現実/錯綜する複雑な政商人脈/京大の滝川事件と鳩山一郎の狙い/鳩山一郎と党人人脈が残した負の遣産
[歴史の証言]番町会の流れと戦後の財界人脈
香町会の生き残りと集まった政商たち/財界四天王と財界総理/経団連会長を支配し続ける三井人脈/財界と政界を結んだフィクサー/コバチューを軸にした石油利権と田中政権/帝人事件と番町会人脈の流れ
[歴史の証言]番町グループとサンカ人脈の秘図
文化人類学の盲点サンカ/山岳民としてのサンカの再定義/民間中心の明治の日本の産業化/社会の変化とタブーの変質/株の利鞘稼ぎと帝人事件の黒い影
第三卓 朝日新聞と村山社主事件の傷痕
----日本の良識を代表していた新聞の病跡学的な考察----
お家騒動の源流を代表していた近代以前のメンタリティ/村山家と朝日新聞の間の問題点/前近代的な経営発想と責任の取り方/新聞社は証のための存在かという疑問/大株主による会社の私物化/朝日を歪めた(獅子身中の虫)の策動/歴史の隠れた部分の発掘調査の意義
[歴史の証言]村山社主と朝日新聞を巡る竹中工務店の関係(そのl)
竹中工務店が創ったビルの芸術作品性/朝日と竹中の特別な関係/ビル建築にまつわるリベートの行方
[歴史の証言]村山社主と朝日新聞を巡る竹中王務店の関係(その2)
村山家と竹中の緊密な関係/特命企業の誇りに輝く竹中工務店の路線/肥大化を自制する美学/作品志向か商品志向かの選択
[歴史の証言]朝日の「獅子身中の虫」に開しての証言(l)
不明朗な過去を背負った謎の多い人間/組合の書記長と委員長の開係/朝日新聞に寄生したサナダ虫/村山社主事件を背後で動かした黒い手
[歴史の証言]朝日の「獅子身中の虫に関しての証言」(2)
組合潰しと乗っ取りに特技を発揮した三浦/インチキ策士の末路
第四章 亡国の淵の日本とリクルート事件の負債
----朝日の上層部を巻き込んだ疑惑の爪跡----
低迷と萎縮のステージに陥った日本/沈黙と黙殺に徹した日本のメディア/タブーを抱え込んだ日本の社会学の立ち遅れ/閉鎖社会を抑え込むタブーのお化け/過去の遺産としての読売人脈/尾を曳いているリクルート事件の誤魔化し/メディアに浸透していたリクルートの網/ジャーナリズムの自浄化能力への徴かな期待/朝日はなぜブラック・ジャーナリズムの誹謗を放置するのか
[歴史の証言]『朝日が包み込まれた不透明な霧』
朝日の幹部を蝕むリクルート事件の影/検察当局がマスコミに貸しを作った状況証拠/恥辱を意識しない天下り人生の蔓延
[歴史の証言]『検察という組織が秘めた権力の実相』
----検察の及び腰の前で高鼾の巨悪----
司法の独立機構の解体/予想外に低い地検の権限/検察を支配する派閥抗争 [歴史の証言]『疑心暗鬼の朝日の内情』
新聞社の最後の正義の砦としての社会部/批判精神の欠如となれ合い/リクルート事件が残した異例の人事/スキーの接待とペンを析った記者の良心
[歴史の一証言]『朝日新聞を狙った拳銃自殺事件の背景』
欺瞞に満ちたメディアの報道/純粋性の維持が困難な戦後の日本の右翼/朝日の奇妙な対応
第五章 読売新聞が推進した膨脹路線と東京の壁の亀裂
----読売の日本制覇が残した幾多の債務----
シェアー争いとダンピング作戦/読売の社会部帝国主義を乗っ取ったナベツネ路線/読売の新社屋建設と国有地入手事件の謎/正力と中曽根を繋ぐ原子力とClAの糸/日本の系列分断と分割支配の確立/読売とTBSの訴訟合戦/実名報道を強調する読売の報道される立場/「東京の壁」の崩壊と後片付けの準備
[歴史の証言]
新聞界の腐食因子と山県有朋の遺伝子フィクサー記者の指南役をした2人の政治家/参謀本部の給仕から始まった大野伴睦/60アンポと自民党が動員した暴力団/河野一郎のフィクサー修行道場
第六章 大衆紙の愚民化工作とダンピング作戦
外国に住む日本人の情報の源泉/アメリカを舞台にした3大紙の勢力分布図/全米を舞台にした販売競争/日本でテスト済みのダンピング作戦/「読売」梁山泊の伝統とナベツネ体制の確立/地球儀の上で読売路線の役割を読む
[歴史の証言]『肥大化したジャーナリズムの背後にいる電通の威力』
販売力で突進した読売とグレーシャムの法則/広告による言論支配の実情/秘密のカギはニューヨークにある
第七章 日本のジャーナリズムの問題点と未来の姿
価値を秘めた鉱石とその発掘の意義/日本における情報の流れの停滞/日本を支配している領民思想の時代性/記事に籠もる気迫の魅力は何処に/自信喪失からの脱却/紙面から奇妙なコンプレックスの追放
[歴史の証言]『日本のジャーナリズムの再生課題』
恐竜化した日本の巨大新聞の悩み/新聞のステレオタイプ化/記者クラブで骨抜きになる日本の記者/懐疑と批判精神がマヒする懐柔策/21世紀に向けた新聞の体質改善への提言
著書
|