夜明け前朝日
2001年05月01日初版発行 本体価格1800円+税
鹿砦社
|
まえがき
腐敗の極致に至った日本政治と平成幕末
二十一世紀の始まりと共に新世紀の黎明を迎えた日本は、政治や経済が救い難い混迷に支配されており、重苦しい閉塞感の中で平成幕末を迎えている。戦後五十年以上にわたって続いた自民党による支配が、全権政治による腐敗と派閥人事での人材枯渇で、組織腐蝕と制度疲労のために亡国状態に陥り、中南米やアフリカの独裁国も顔負けするほどなのに、日本人はこの悲惨さを克服できないでいる。
英語圏の高校生なら誰でも暗記している格言に、「権力は腐敗し、強権政治は絶対に腐敗する」というものがあり、この英国の歴史家アクトン卿の言葉は、自民党支配が続く日本の現状をズバリ言い当てている。
それでも、敗戦の瓦礫の中から祖国を復興するために、経済再建の意気に燃えていた頃の自民党には、理想と教養を持つ政治家もいて保守合同に参集したが、経済力がついた七○年代に政界が利権の漁場になるに従い、愚民政治による社会の退廃が急速に進み、経済の拡大に反比例して社会倫理が衰退し、政権担当は既得権擁護のためになり果てた。田中内閣による全権政治の横行に続いて、中曽根内閣で表と裏の社会が逮転した後は、竹下内閣で暴力団の影響が政策を動かしたので、政治の場は利権取引の舞台にと変貌した。その結果、国会の議席は二世と官僚出身がほぼ占有し、隙間を人気稼業のタレント候補が埋める形で、議会の多数派を利権屋が支配したために、日本の政治から理想や教養が雲散霧消して、国政の関心は数合わせと利権配分になった。
議会で多数を占めて政権を維持するためには、政策に関係なくどんな相手とも野合を試み、既得権を守るために欲望をむき出すだけで、日本全体の利益についての配慮などはしない。しかも、世論が求める政治改草は選挙制度にすり替え、参議院の改革では有無を言わせず強行したとおりで、党利党略に基づいて政権を維持するために、民主主義の手続きを平然と踏みにじるやり方を使い、自民党は数の暴力で君臨し続けている
J・Sミルの『自由論』を読んだこともなく、欲望が勝手気ままにおもむく行為を自由だと考え、自自民主というカンバンにつられて党員になり、多数の暴政に荷担する仲間になった利権屋たちは、日本という国を食い荒らして汚辱してきた。そして、たどり着いた所が平成幕末という政治破綻であり、近代の日本の歴史で最低の人物を首相にして、バカ殿を守るのにうつつを抜かしていたために、全世界から嘲笑されても気づかないでいる。
売春防止法違反で検挙された経歴を待つ素行不良が、文部大臣に就任したこと自体が国辱ものであり、教育の荒廃を見事に象徴しているというのに、そんな破廉恥男が密室の闇取引で自民党の総裁になって、自動的に首相の椅子に座ってしまった。最初は風貌で「キャバレーの用心棒」と噂していたのに、その後の無能ぶりに唖然とした米国政府の幹部は、日本の首相を「シット・ヘッド」と蔑んでいるし、香港の経済誌に「MORIbund(くたばり損ない)」と書かれる始末なのに、知らぬは日本人ばかりだがら実に情けない。
首相としての無能ぶりが誰の目にも明自だが、不信任案を二度も葬ってこんな人物を支え、世界に向かって恥をさらし続けたのだから、森内閣を信任した自民党とその第五列の議員は、政治感覚で無能首相以下に甘んじてしまった。これが歴史に記録として残る日本の政治状況であり、精神の疲憊一による閉塞感を伴う亡国現象は、平成暮未として悲惨な現実を招き寄せているが、それを痛感する人がどれだけいるだろうか。
日本を包み込んだ前代未聞の閉塞状況
特高警察による思想続制や拷問などの弾圧がないのに、今の日本は東条内閣の頃よりも酷い閉塞感が支配し、ほとんどの日本人が窒息に似た状態に陥っている。これは新聞がビジネス優先の路線を選択したために、監視機能を縮小してマスメディアになり、営業本位の影響で記者がサラリーマン化を強め、ジャーナリズム精神が影を潜めた結果である。
ジャーナリズムが果たすべき最優先の職務は、ニュースを正確に報道して問題点を掘り下げることだが、権力が秘めた危検性に批判の目を注ぎ、逸脱した権力行使の監視がその基盤にある。だが、ジャーナリズム精神の衰退を背景にして、マスコミ界は金儲け主義を通じて堕落したので、批判精神と権力監視の力はドン底状態にある。
だから、マンモス化した巨大メディアの解体を通じて、ジャーナリズム精神の復活を提言した、拙著『朝日と読売の火ダルマ時代』(国際評論社)の論調は、至ってスムーズに受け入れられたのに、大新新聞からは危険書として嫌悪された。だが、症状の観察から正しいダイアグノシス(診断)を下して、どのような処置や治療行為を行うかは、臨床医学(Clinic)における基本手続きであり、健康を回復して社会復帰を実現するために、正確な観察と判断に基づくカルテが不可欠になる。
裏幕から政界を操ったフィクサー児玉誉士夫と共に、戦後政治を昇んだ「一干万人の独裁者」の渡辺恒雄は、憲法改正試案など政治プロパガンダに熱を上げ、読売を自民党のタカ派の機関紙にと変質させた。そして、大阪読売の元社会部長だった黒田清に、「今の読売は権力に擦り寄っているなんてもんじやない。権力が権力を作っているんだ。そんなのジャーナリズムじゃないよ」と新聞失格を宣言されている。
しかも、かつて共同通信の社会部記者だった魚住昭は、最近出した『渡辺恒雄・メディアと権力』(講談社)の中に、「渡辺が論説委員長に就任して以来、社説で前面に打ち出してきた反共国家主義路線は、すでに社会面も覆い尽くしている」と書いている。これは『朝日と読売の火ダルマ時代』の「まえがき」で、読売と「フェルキッシャー・ペオバハター」を二重写しにして、日本の運命を危慎した私の観点と共通である。
ナチス党の政治宣伝専門の機関紙に似た読売は、御用新聞である限りいくら発行部数を誇っても、日本の代表新聞と呼ぶに値しない存在だ。共産政府の機関紙だった『人民日報』や『プラウダ』が、政治宣伝の紙爆弾にすぎなかった事実は、過去の歴史が明自に証明している事実だし、政府の機関紙が権力の暴走をチェックして、自由や権利を守るためにペンを奮った例は歴史に記録がない。
同しことは財界御用達の産経新聞にも言え、一般に市販される日刊紙の形態をとってはいても、これも読売に似て政治宣伝の役割が濃厚であり、世界の常識では一般紙として抜われなくて、統一教会の『ワシントン・タイムス』や創価学会の『聖教新聞』の仲間に属す。だが、日本ではジャーナリズムの概念が曖味であり、日刊紙ならすぐ一般紙として扱ってしまうが、一般紙は外に開いたメディアとして自主独立を尊ぴ、権力と癒着していないことが墓本だから、機関紙や業界紙は特殊新聞とすべきだろう。
民主社会を築く上で味方になる新聞
ジャーナリズム精神の原点と実践の姿を求めて、アメリカの新聞業界を歴訪した立花隆は、『アメリカ・ジャーナリズム報告』(文春文庫)で良質の記者を論じ、「職業的懐疑精神と職業的批判精神をいつも強く待ち、それを明晰な洞察力と推理力、何ものにもたじろがない勇気と正義感で裏打ちした、記者の分厚い取材ノートからのみ良質な記事は生まれてくる」と書いたが、それを生かすのは新聞の編集姿勢である。
この点で昨今のジャーナリズムは脆弱であり、情報源を閉鎖的な記者クラプに頼っているし、記事を自己検閲で消毒する習性を持つので、記者は知っていても書けないことが多く、読者の「知る権利」は損なわれがちである。
知る権利とフリー・プレスを確立することは、民主社会におけるジャーナリズムの役目だと考えて、「フリー・プレスの存立条件は、プレスが情報へのアクセス(接近)を持ち、かつニュースソースの秘匿を常に守ることによって、情報へのアクセスを失わないようにすることにある。それなしのプレスは、単に演説、談話や官僚が用意した報道陣への発表文、発表資料を印刷する自由しかないプレスだ」と立花隆が論じたように、御用新聞はフリー・プレスに敵対する存在だから、ジャーナリズムの枠組みの中には入らない。
読売や産経のような編集姿勢を保持して、ジャーナリズム精神から逸脱する新聞の存在は、民主的な市民社会の発展にとって有害だが、それでは新聞社として何処に期待を託せるのか。この疑問を世界の常識に従って考えれば、答えは地域社会と結ぶブロック紙と地方紙になるが、マンモス化した全国紙の解体と改革が進み、ジャーナリズム精神の復活が期待できるなら、朝日と毎日も日本の未来と結ぶ希望の星になる。
毎日新間の経営破掟と醜悪な派閥争いについては、『朝日と読売の火ダルマ時代』で既に論じたので、本書ではジャーナリズムの復活を考えるに当たり、最も大きな影響力を持つポテンシャルを秘めた、朝日についてフォーカスを当てる。なぜなら、新聞の価値の大半は記者の質の良さに関わり、良質の人材に恵まれる点でダントツだし、問題意識を持つ人材が勇気を持って結束すれば、大胆な組織改革の実現が難しくない以上は、朝日を抜きに日本のジャーナリズムは語れないからだ。
本書で展開していくのは病跡学的なカルテであり、そこには悪感を催す病巣や疾患があって、腐乱状態に対して目を覆いたくなるにしても、苦悩の原因が器官障害のせいだと分かる。ジャーナリズムの真価は批判精神と良心であり、形のないソフトな機能に核心がある以上は、器質疾患が朝日を痛めたと理解することで、腫瘍摘出手術と臓器移植をして回復を待てば、後は自然治癒力とリハビリの問題になる。
何が朝日を蝕む疾患であるかを明らかにして、症状と病巣の病理学的な観察をすれば、何をどう処置して病因を解消するかを明自にすることで、健全な組織体への展望が開くのである。朝日を混迷に導いた責任は上層幹部にあり、腐りきった患部を徹底的に切り取った上で、そこに健康で高い能力を持つ人材を送り込み、道切な機構改革と経営戦略を実行すれば、記者に優れた資質の人材を誇る朝日なら、クオリティ紙として再生するのは難しくない。
朝日の病気は付山事件以降の人事ミスにあり、トップ層の人材が多くの問題を抱えていて、組織を指導する能力に限界があった点で、過去四半世紀の政界と同じタイプの疾患だった。また、経営難と紙面の質の向上が朝日の課題だから、勇気ある変革の実現で立ち直りを見込めるが、日本政府の場合は財政破綻と信用崩壊のために、国家的体面の失墜と亡国現象の深化を伴うので、レボリューションしか救済は見込めない。
その点で朝日のほうが政界よりも展望が明るいし、これから続く政治的混迷をチェックする機能によって、歴史的な役割を果たす上での期待が託せる。平成幕末がどんな時代であったかを観察し、新時代の夜明けに至る激動のドラマを記録して、次の世代に歴史の証言を正確に伝えるために、健全なジャーナリズムをこの国は必要とするし、蘇る朝日がその名を正せば、きっと照り輝くことだろう。
夜明け前の暗黒から黎明にむけての試練
朝日新聞の現状は本書が腑分けしているように、多くの難題を抱えて悪戦苦闘の状態だが、昔から「夜明け前が最も暗い」と言うとおりで、漆黒に支配されたドン底を抜け出せば、光明に連なる黎明の時刻が待ち構えている。夜から朝への転換はローテーション(自転)の成果に見えるが、より高い次元でこの動きを支配するのは、自然の大法則に支えられたレボリューション(公転)であり、人界のレベルでは自己変革に挑む動きになる。
これまでの日本の新聞はあまりにも自己完結指向で、特殊な販売制度や記者クラプに支えられて、温室に似た特異な環境の中で育ったために、数百万部という異常で奇形な体質になり、外部に適応しない閉鎖性が強く支配した。しかも、マンモスのように定向進化した巨大新聞は、新聞社と通信社の分業体制を無視して、ニュースに密着することが報道の仕事だと誤解し、出来事の背後にある全体像の把握より、表面的な現象を追い求める傾向が強く、時代遅れの瓦版体質がら脱却できないでいる。
世界で高い評価を受けているクオリティ紙は、そんな段階をはるか昔に卒業してしまい、時の流れの中でニュースの背景を掘り下げたり、事件を批判的な姿勢で論評する記事を売り物にしている。また、そうしたコラムの執筆は広く開放され、多くのコメンテーターが洞察力を競い合うことで、読者が紙面作りに主体的に参加している。
しかも、コメントは依頼ではなく寄稿が中心であり、肩書きにこだわらずに内容が決め手になるから、コメントに対する選択肢の良さが評価され、優れた編集者の存在が一流紙の案件になる。だから、独立した人格として洞察力を高めることが、記者や編集者の最優先の課題になるので、サラリーマン化の弊害は自ずと克服される。
記事の内容に基づく競争原埋が機能するために、取材力と理論武装が勝負の鍵になるから、結果としてジャーナリスト能力が高まり、自ずと百家争鳴になり活力が漲っていく。そして、個人として卓越したジャーナリストが集まり、独立した人格として新聞作りに参加するので、新聞紙面は見違えるようにならざるを得ない。
このような紙面作りからほど遠いという点では、日本の新聞はいまだ夜明け前の状況にあり、世界で本当に評価される一流紙になるためには、古い穀を破って機構と精神の開国が必要だ。世界全域に読者と寄稿者のネットワークを広げ、質の高い記事とコラムを提供する場になることが、新聞にとって国際化への王道であるし、そのような新聞が日本の各地で鼓い合う時に、日本は健全なジャーナリズムを誇ることになる。
ザ・トリップの愛称で知られる『インターナショナル・ヘラルド・トリビューン』は、『ニューョーク・タイムス』と『ワシントン・ポスト』の記事を下散きに使い、独自の特派員をアシテナの形で全世界に張り巡らして、パリで編集しているクオリティ紙の帝王だ。世界のトップクラスの人間にとって欠かせないのが、この新聞が活字にしている情報であり、選び抜かれたデータとコメントに精通することは、国際人にとってパスポート代わりになる。
そのような国際化への挑戦という意味において、朝日が新世紀を期してザ・トリップと提携し、紙面の刷新に乗り出す決断をしたのは、日本の読者にとって喜ぶべき朗報である。これを契機に朝日の自己変草が始まるならば、夜明け宙の暗黒の中に希望が懷胎して、行く手に明るい朝の訪れを期待できそうだ。
朝日がザ・トリップと記事の提携をすることで、クオリティ紙の編集姿勢の実態に触れて、国際社会のコミュニティ新聞の影響を受け、日本の新聞界に文明開化が始まれば、それはレボリューション(公転)の始まる原点になる。この原点を見据えて朝目がその臨死体験を生かして、新生ジャーナリズムの使命に目覚めれば、国際社会のローカル紙としての朝日は、全世界に光を届ける新聞として再生する。
毎日やブロック紙にも同じ路線が開かれており、日本の新聞が世界の文化財になり得る以上は、新世紀の始まりを新聞の文明開化と受け止めて、大いなる自己改革のきっかけにして欲しい。
過去三十年にわたる特殊な読者として、世界の中で日本を位置づける道具に新聞を使い、二週間ほど溜めた朝日を必ず時の流れの逆に読み、国際社会でフリーランス・ジャーナリストとして生きた私は、日本の活力がジャーナリズム精神だと信じるので、太平洋の彼方から本書のカルテに託して、「朝日ガンバレ!!」というエ−ルを送ることにしよう。
新世紀元年春のパームースプリングスにで
藤原肇
目次
第一章 マスコミの塑落と朝日が暮れをずむ風景
日本列鳥が上海化する時代の到来予測
カジノ経清とバブル破掟を許したジャーナリズム
追及が甘かったリクルート事件
肥大しただけで世界の三流に甘んじる日本の大新聞
下落する首相の資質と恥を知らない貧相な政治
リクルート汚染の過去をマスコミがすすぐチャンス
渦巻く朝日潰しの陰謀と経営ミスが招いた朝日の苦境
パクリの手口に乗った朝日と株主代表訴訟の行方
[歴史の証言](その1)マスコミの堕落とジヤーナリズムの将来を考える
新聞の官報化と記者クラブの弊害
記者魂と新聞記者の育成
日本の新聞の恥部である押し紙のムダ
価値ある情報は高いに決まっている
[歴史の証言](その2)朝日新聞の持つ時限爆弾と時間切れのシナリオ
火を吹く相続問題
第二章 迷走「朝日」とジャーナリズム精神の堕落
幕末現象とジャーナリズムの使命の低下
取材と検証の厳行と火ダルマ化する日本の悲劇
沈黙の新聞界と雑誌による最初の反応
朝日の謝罪要求の驕慢さと読者の信頼を取り戻す責任
偏屈で驕慢な論説委員の群像とタコ壺思想
決別の辞
夕刊紙と週刊誌によるフォローアップ
新聞社の背信行為
[歴史の証言](その1)『タ刊フジ』と『週刊現代』
『朝日と読売の火ダルマ時代』ってホント?
『週刊現代』が爆弾証言として注目した記事の飛び火
爆弾証言!
料金はすべてつけ回しだった
[歴史の証言](その2)日本の政財界を支配した奇妙な集団
管理社会と異常人間の激増
沖縄サンゴ事件の一柳前社長の責任の取り方
永川御殿と瀬島龍三
長嶋の辞任事件の秘密
第三章 朝日・講談社巻き込む「太激論」の欠落した部分
堕落し腐敗した日本のジャーナリズム批判
偏屈で驕慢な老記者たちのタコ壺思考
読解能力と常識の低さの指摘
安比の接待に矮小化された激論
「大激論」に乗った当事者たちへの批判
朝日新聞と講談社の対決では幼椎に過ぎる
[歴史の証言](その1)何が本多勝一を駆り立て誰が操ったか
消えないリクルート疑惑
リクルート株を断わった朝日役員
安比問題盛り上げは本丸隠し
新橋「パッシーナ」での黒いつながり
朝日のリクルート株
本多は本丸を守る槍と楯
[歴史の証言](その2)歴史の秘密と隠れた情報の点を線に結ぶ
老人の知恵の活用と老害の回避
編集者の識眼力の低下と自己顕示癖
横暴で礼儀知らずになった編集長たち
竹下登を巡る幾多の疑惑
情報の真偽を見破る眼識
秘められた歴史のジグソーパズル
松本清張に見る幅広い取材ネットワーク
『吾輩は猫である』の文明論と日本人の歴史感覚
第四章 日本のジャーナリズムの堕落と醜悪行為の蔓延
日本の新聞界を蝕む危機的な病理
ペンの威力を示したフリーの記者のスクープ
自己批判がなく自堕落に埋没するメディア
老害記者たちのタコ壺発想と横車
救い難い迷蒙の蔓延とジャーナリズム再生への教訓
[歴史の証言](その1)朝日の派閥抗争と本多記者の奇妙な行動
朝日を蝕んだサンゴ事件の後遺症
イジメの心理の蔓延と自開症の病理
本多記者にかかった重役からの執筆牽制の圧力
貧困なる精神の蔓延
規律の弛緩を放置した朝日と経営力の弱体化
朝日が日没の悲哀を味わうことの悲劇
[歴史の証言](その2)日本のメディアが抱えた問題点
朝日を支配した奇妙な派閥争い
真相を追及できない朝日の記者のジレンマ
検察は果たして正義の味方か
情報を会開しない権力者としての意識
情報の隠蔽と嘘が蔓廷する日本の現状
日本人は八歳以下でもなぜ瞳が揮かないのか
第五章 サンゴ事件の社長辞任劇の虚偽と朝日新聞社の危機
リクルート事件の大スクープと朝日の奇妙なその後
隠蔽されたリクルート株の配分先
朝日のサンゴ事件の始末における奇妙な社長人事
ジャーナリズムの堕落と日本の亡国現象
朝日の良き時代と伝統への追想
文化を喪失してサブカルチャー化した日本のメディア
陰湿な派閥抗争と低下する新聞の目線
リクルート株疑惑のサンゴ事件へのスリ替え
サンゴ事件の欺瞞とリクルート事件の
社会部の警察担当のプロ記者が残したトマホーク爆弾
日本のタブーが日本の外から崩れる時代性
株主代表訴訟で始まった内部告発と自己改革への道
第六章 野村秋介と新井将敬の自殺を結ぶ朝日新聞の苦渋
渡辺ミッチーの秘書人脈とその破綻の余燼
朝日の社長応接室を使った野付の挙銃自殺の謎
高級官僚の不正行為を暴くジャーナリズム精神の意義
アングラ人脈と結ぶ大蔵省の腐敗構造
迷宮中の「イトマン住銀事件」
京都を舞台にした一連のスキャンダルとS資全の謎
新非将散議員の自殺の背後に見え隠れする影
メディア活用のノウハウと、利用された朝日
[歴史の証言]新非将敬と野村秋介の自殺事件の背景
蒲田という土地柄の持つ特異な性質
野村秋介の新右翼という仮面の下の実像
石原慎太郎陣営による単劣な選挙妨害工作
野付の自殺と新井へのバトンタッチ
タガの緩んだ朝日新聞の経営と不透明な経理
あとがき
初出一覧
著作目録
あとがき
私が取材した多くのジャーナリストや知識人が、日本のメディアの現状を深刻に危惧して、朝日の立ち直りと活躍を大いに期待しながら、ゲーテの臨終の言葉ではないが「もっと光を」と言い、朝日が揮くようにと心から声援していた。生まれ変わった朝日が燦然と輝くことによって、ジャーナリズム精神が日本の社会に蘇り、新しい国造りの行く手を照らし出して欲しいと、日本人の多くが期待を託している以上は、それに応えて組織改革に全力で取り組むことが、“夜明け前の朝日”が果たすべき責務である。
そのためには正確な報道とは何かを反省し、人類の運命を正しい方向に導いていく上で、どんな公転軌道をたどるべきかを確認して、自らの自転をそれに従って大調整する必要がある。現在の朝日が夜明け前の暗黒の中で身をすくめ、日本人に国造りの大道を照らし出せない理由は、国難の根源にあるモダニズムの崩壊や、情報の質を問われる時代性に眼を閉じたまま、目先の利益に振り回されてきたせいである。
差別による閉鎖的な人事の弊害のために、実力主義と適財適所が機能マヒした隙を突かれ、文春に叩かれ産経や読売にイジメられて、朝日は萎縮して被害妄想に支配されてしまい、落日に続く没落の軌跡を描いてしまった。また、差別されていた者が権力を握って差別をすれば、阿鼻叫喚で悲惨な状況を出現させる見本は、イスラエルに障取るシオニストの図式に見る通りだし、裏と表の世界が逆転していることにより、社会の主人公は政治家ではなく万民なのに、今の日本では召し使いが主人を支配している。
倒錯の矯正には的確な現状認識が必要であり、本書は疾患に関したカルテの形で書かれたので、検診鏡に映った鏡像に多くのヒントがある。だから、行間や紙背から意味を読み取るタイプの読者には、より重態な政治分析におけるメッセージが、診断結果を理解する上での手引き書として役立つし、アルキメデスの挺子を見つける近道になる。
闇が支配する裏の世界と結託した自民党政治は、野中式の卑賤な密室政治の行き詰まりで、人間革命の掛け声に酔うカルト集団と野合して、ただ生き長らえるだけの寄生体質を強めている。そして、前代未聞の破廉恥男を首相にして、全世界からの嘲りで日本の体面を撤底的に損なった以上は、誰が後継首相になっても二香煎しであり、愚民政治の醜悪ぶりが露呈してしまったので、荒廃日本の立ち直りは簡単ではない。
貪欲に社会を食い漁ったゾンビ政治の横行が「悪事万里」で世界中に知れ渡ってしまったし、餌食として悲惨な境涯に墜ちた日本の産業社会は、ドイツの社会学者マックス・ウェーバーの定義に従えば、賤民資本主義(Pariah-Capitalism)になり果てているから、シュンペーターがいう創造的破壊だけが日本を救う決め手になる。
その意味で起死回生のレボリューションが不可欠であるが、今の日本はファシスト革命の危険性も高く、うっかり革命を言えば人間革命の落とし穴があるので、意味論に習熟して言葉を慎重に選ぴ出し、論語の「必ずや名を正しくせん」を吟味して、“湯武放伐論”を学ぴ直すことが必要である。
本書の記述の背景が分からず当惑した場合は、『朝日と読売の火ダルマ時代』が本書に先行し、歴史的な状況と背景の説明があるので、それを参照すれば相乗効果が期待できるし、理解の程度が三倍も五倍も高まるはずだ。また、藤原プック・クラスターの一覧が巻末にあるので、インテリジェンスの王道である全域展望による、全体把握に挑戦することをアドバイスしたいと思う。
最後になったが記事の転載を認めていただいた、『財界にっぼん』『創』『タ刊フジ』『週刊現代』『LA INTERNATloNAL』の担当各位を始め、取材面で協力を受けた多くの記者仲間に謝意を表して、日本のジャーナリストの奮起を期待する。また、松岡利康社長の快諾のお陰で本書は誕生したが、黒田郁さんの熱心な編集作業によって、タイムリーに読者の手元に届くことになり、鹿砦社の全面的な支援を大いに感謝したい。
平成幕未をアメリカから観察して
藤原肇
初出一覧
第一章 マスコミの整落と朝日が暮れなずむ風景
(『財界にっぼん』一九九八年二月号/原題“日本沈没”の背景に日本の堕落」)
第二章 迷走「朝日」とジャーナリズム精神の堕落(『財界につぼん』一九九八年十月号)
第三章 朝日・講談社巻き込む「大激論」の欠落した部分(『創』一九九八年十月号)
第四章 日本のジャーナリズムの堕落と酸悪行為の蔓廷(LA INTERNATI0NAL』二○○一年一月号)
第五章 サンゴ事件の社長辞任劇の虚偽と朝日新聞社の危機(『LA INTERNATlONAL』一九丸丸年月八号)
第六章 野村秋介と新井将敬の自殺を結ぶ朝日新聞の苦渋(『LA INTERNATIONAL』二○○○年五月号)
著書
|