カジノ経済とヤクザ政治のタブーにメスを入れ、現在の幕末現象の実態と原因をズバリ診断。徹底的に日本の病理を掘り下げ、本書の一読で日本が抱えた問題点が明白になったと絶賛を集めた本。
まえがき われわれの祖先が血と涙をもって体験した日本の歴史を思い起こせば、「濁りの時代」と呼ばれてワイロ政治を蔓延させ、徳川の幕藩体制を内部から腐蝕した田沼意次の金権政治は、徳川社会の基本を生理から病理に転換するだけの強いモメンタムを秘めていた。 同じように、田中内閣時代に顕在化した自民党の金権政治は、病理としての幕末現象の昂進をまねいたが、これは漢方でいう実証と熱証の組合せであったために、ストレス学説でいう「抵抗期」の発熱興奮を、日本人の多くはダイナミズムと読み誤ってしまった。また、中曽根内閣時代に内臓から脳に転移して、竹下政権時代になって「ヤマトニズメーション」の一種である、「免疫不全症候群」状態を露呈したリクルート事件以来、日本の政財界を触んだ腐敗と荒廃現象は、ユーフォレアを伴う「疲憊期」特有の症状を次つぎと現わした。ところが、日本人の多くはこれを経済大国が示す有史以来の大躍進と錯覚して、バブルの膨張の中で狂騒の限りを尽くし、エネルギーを放蕩してしまったのである。そのために組織体としての社会の生命力と倫理感は激しく低下し、臨終への秒読みの段階が始まっていることに、日本人はやっと自覚して茫然としているかのようである。 社会システムとしての国家という共同体においては、まともな政治を行なうことが社会の生命活動の基本であることを思えば、混迷を通り越して支離滅裂な反応をするだけの自民党体制の現状は、脳死直前の痙撃の波状継続に似たものがあり、「幕末」はすでに始まっていると言うべきかもしれない。しかも、現在の日本で声高かに論じられている政治改革や政界浄化の叫びは、めまぐるしい幕末の激変の渦の中で、果たしてどれほど有効性を持ちうると言えるだろうか。手術による腐敗部分の摘出であるとか、レーザーメスや放射線の照射を使った対症療法に取りかかる前に、何が幕末症候群を日本列島の上にもたらしたのかという、メタレベルでの診断がまず必要だと思 う。正しい診断としてのダイアグノシス抜きにして、むやみやたらに治療に奔走するのは、医療の世界ではヤブ医者や床屋医者の常套であったことを、医学の歴史は教えているのである。 小手先の「政治改革」や「平成維新」といったことを叫んで、それにうつつを抜かしている日本の現状は、政治学者である小室直樹博士の用語法に従えば「セルローズ・ファシズム」であり、これは情念の業火に煽られた「一億総オマジナイ狂の時代」の到来と形容できるかも知れない。 「平成幕末」についての病跡学的な考察と診断を抜きにして、「平成維新」を論じるのは軽率であるだけでなく、至って幼稚でナンセンスな行為に属している。そして、これは日本のメディアを特徴づける一種の脳軟化症の顕在化に他ならないし、政治が商売上の売名行為に落ちぶれている傍証である。しかも、「明治維新」から「昭和維新」にかけて、維新という言葉がたどった意味論(セマンテックス)の軌跡からすると、「平成維新」という概念はファシズムヘの回帰願望が、メタレベルで時代精神を触んでいることを示している。いずれにしても「平成維新」を口にする人びとが馬脚を露呈しているのは、時系列面での歴史感覚のお粗末さ加減であり、明治維新は明治になってから成立した概念に他ならず、幕末期に活躍した志士たちにとっての選択は、「開国」か「攘夷」あるいは「勤王」か「佐幕」に過きず、誰一人として明治維新などを口にしなかったのである。 現在の日本人が思い致たさなければならないのは、「平成維新」や「国家改造法案」などの粗雑な思いっきりではなくて、「平成幕末」の現状についてのより正確なダイアグノシスの試みである。そして、次に必要なる概念としては、幕末期に心ある人びとが口にした「回天」があり、天命によって社会体制が根本から改まる時に、レボリユートする要めになる回転軸を見つけることではないだろうか。体制を変える「革命」の思想を慌てて騒ぎたてることが、いかに社会を混乱に陥れるかという歴史の教訓に学べば、まず取りかかるべきことは「平成幕末」の病理についてのダイアグノシスを試みることであり、それが本書の題名の由来になっているのである。 現在は天動地変を思わせる大激動の時代であり、世界的な規模であらゆる領域が揺れ動」うとしている。経済的な基盤が崩れてパニック現象を起こすことに対して、一般的には「恐慌」と呼び慣わしているが、「スーパー恐慌」を伴い政治体制が崩壊する現象を指すには、「幕末」とか「凶慌」と形容せざるを得ない。そして、文明の次元での大変革が産業社会の体質を転換する大事件を指して、「大革命」や「メガ凶慌」と名付けることが出来るが、技術集約型から知識集約型の産業社会に移行する時期の、非常に巨大で歴史的な革命現象に、われわれが生きる時代は遭遇しかけているのである。 厳密な検討を抜きにした気分的な用語としては、「世紀末」や「末法」という言葉も使われているが・政治体制や経済共同体などが大きく変わる状況を指して、私は「幕末」や「メタ凶慌」という用語を使いながら、過去十数年間にわたり一貫した姿勢で、「野ごころ」に支えられた脱藩精神を強調した著書を世に送り出してきた。そして、ここに幕末現象の診断に徹した内容を持つ、本書の上梓が実現したことを嬉しく思う。 最後になってしまったが、既に発表した記事を一書にまとめるに当たり、転載を快諾して下さった「ニューリーダー」、「財界ニッポン」、「週刊ダイヤモンド」、「加州毎日新聞」、「タケヤマ・レポート」の各編集責任者に対して、その厚情をここで心から感謝したいと思う。また、取材に当たって協力を惜しまなかった多くのジャーナリストや、現代史のテーマを共に議論し合った友人たちに、その友情と正義感に基づく連帯を再確認しながら、心をこめてお礼の言葉を述べることにしたい。 藤原肇
目次 まえがき 第1章 日本列島を制覇したヤクザ政治とカジノ経済の病理
第2章 死に体の日本経済と再生への布陣
第3章 蜃気楼の情報大国・日本の行方
第4章 対談バブル崩壊はこれから始まる 藤原肇VS関岡正弘
第5章 暗愚の経済大国からの脱却への試練
第6章 アメリカから読んだリクルート事件の深層
第7章 カジノ経済と亡国現象を生んだ日本のサンクチュアリー
第8章 亡国の淵に立つ日本と世界平和研究所の陰謀
初出一覧
あとがき 詳しいことは他の拙著に当たって貰うことにして、メタサイエンスとしての哲理の用語法に従うなら、人知を越えた大きな次元を自然や宇宙と表現するのが、古今東西いつの時代にも行なわれるやり方である。また、自然や宇宙は多層構造から成り立っており、それを動態的に表現した概念図に対して、私はホロコスミックスと名前を付けて愛用している。しかも、その図にはミクロの次元として宇宙素子やサブアトムがあり、より上位には生物の臓器や器官が位置しているし、更に、個体としての個人や集団が作る社会などが続き、その上に自然が構成する世界や宇宙系が広がっている。 医療の分野がダイアグノシスをするのは器官や個体のレベルであり、企業や社会を診断するのが社会科学だし、世界や宇宙を対象にするのが自然科学の部門である。そして、それぞれの領域に「メタ凶慌」、「幕末」、「カタストロフィー(破局)」、「カタクリズム(地殻変動)」などの現象があり、死に臨むカタストロフィー現象の始まりとして、生命体が示す病理現象に属すものが、精神病理学で言うカタレプシー(強硬症)である。 ギリシア語のカタはDOWNとかMISを意味する接頭語だから、生命力の低下や異常性の度合いを示しているので、このカタレプシーを「硬劣腐死」と漢字で書いてみた。 カタレプシーは組織や個体の情報システムの機能が衰えて、神経系統やホルモン分泌が衰退するために、第一段階では全体的な硬直化として現われる。次に生命活動の劣化が顕在化するようになり、腐敗現象が蔓延することで機能低下が目立ち、最後に死に至るというのが私流の意味論である。この当て字のイメージから受けるものは、自民党政治がたどった過去半世紀の軌跡であり、しかも、現在の亡国現象をシンボライズして、全てを言い尽くしているように見える。 これが英文の題名にカタレプシーという言葉を使った理由であり、ここに時代精神が見事に表現されているだけでなく、現象を的確に現した言葉に遭遇できた僥倖に恵まれ、「平成幕末」が内包するカタレプシーのメタファーに対して、天の采配の妙を讃えていいのではないかと思う。 最後になったが、日本における漢方書肆の横綱として、数多くの東洋医学の名著を刊行し続け、日本の生命医学に貢献して来た東明社の吉田社長が、私の診断書の価値を評価して下さり、一書として世に送り出して下さった眼力と決断力に対し、ここで感謝の気持を記してペンを置くことにしたい。 著者
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