教科書では学べない 超経済学
1997年03月10日初版発行 本体価格1700円+税
太陽企画出版
絶版
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まえがき
日本の経済社会は今や大変な事態を迎えたのに、世間はもちろん、官僚や政治家は誰もこれを深刻に受け止めていない。眼前の現象に気を取られているばかりで、本質を分かっていないからである。なぜそんなことになったのか。
われわれ両人は別々に、以前から祖国の行く未を懸念していたが、平成改元が幕末状況の到来と重なるという認識に到達してから、はや五年以上の歳月が経った。もしわれわれが正しいならば、日本社全では従来の政治的、社会的、経済的均衡の破掟が、陸続として生ずるはずであり、周辺の国際社会でも外交的軍事的な均衝を破る何事かが起こらずにはすまないのである。
果たしてそのことが起こった。転変の激しさ、対応の愚劣さ、結果の悲惨さなどは枚挙に暇なく筆舌に尽くし難いが、世間で騒動が兆さないのは国民が気づかないからで、個別バラバラに生しる事象は見えても、そこに沈潜している本質を悟れないからである。
この対談で両人はさまざまな個別事象の間の内的関連を説き明かし、歴史的必然を検証し、事態を解決する方途を模索した。とくに今日の苦境は経済官僚による誤った政策がもたらしたもので、その背後には官僚型発想の欠陥と現代経済学の迷妄があったことを明らかにした。
それは経済現象の一面に過ぎない“実物経済”しか見ていない、単純な直線型思考の産物だといっても過言でない。逆に言えば、経済現象のいま一つの側面である“信用経済”を統合した、“全体経済”の観点から経済を考究すれば、問題解決と苦境からの脱出の道は自ずから開けるのである。それは問題が行き詰まったとき一つ上の次元で考えるという、「ホロニズム」の原理からも証明される
藤原博士は青年時代に日本を離れ、フランスを経由してアメリカに渡り、活動の本拠を海外に置いてこられた。その種の経歴の人に共通するのは、祖国に対する見方が辛辣で、ことに非西欧的な体質を暴露し、厳しく論難する傾向を否めない。
片や小生は日本を難れたことがなく、大方の読者と同様に、祖国の伝統を保ちながら先進国に伍して、文化、経済などあらゆる面で地球文明に寄与したいと望んでいるのである。
そんな経歴や立場、思想の隔たる両人の論戦でも、相手の論旨により持論の盲点に気づくことも多く、小異を残しつつ随所で調和に達したが、それは日本風の「和」でもシナ風の「大司」でもない、弁証法的な「合」だと信じる。ただし場合によっては大異も残ったが、ディベートはここに一定の結論に達した。
対談後の両人の所感は、安易に妥協せず論旨を貫いた満足と待論の盲点が修正され、思考がより一層深化したことの手応えであった。それは一方的な論述の持つ危うさについて、自ら悟るところがあったと言い換えてもいいが、現状の認識と各人のアプローチの違いについては、読者の判定に仰ぐのが最良だと思う。
落合莞爾
目次
まえがき
第一部 日本経済混迷の元凶は何か
第一章 統計に頼る経済政策の破綻
サイエンス不在の行政
実情を反映しない行政の経済統計
住宅・都市政策の致合的な誤り
経済官僚の認識のお粗末さ
日経ダウは株式市場の指標たり得ない
株式市場で犯した大蔵省の大罪
第二章 カジノ経済を生んだ大蔵省の先物バブル
株式先物導入が呼び込んだ妖怪
デリバティブ商品の横綱オプションの登場
三段階で進行した株のバブル化
オプションを理解できなかった日本人
情報の結晶としてのコモディティ
バブルを煽った中曽根民活路線
時代遅れに気づかない日本の経済官僚
第三章 歪み切った日本の株式会社制度
実体が伴わなかった和魂洋才
付け焼き刃の列強からの制度導入
株式会社の成り立ちとその本質
無限責任のパートナーシップ商法
株式会社の本質は「貸借対照表」にあり
真の経営公開を遅らせる者は誰か
米相場の伝統を生かせなかった日本
本質的に異なる株式取引と商品先物
第二部 経済学の陥穽と理念なき官僚統制
第一章 現代経済学の虚妄を撃つ
数学的な抽象発想に欠ける日本人
経済現象は秩序形成の過程
農業経済と循環思想の重要性
アルキメデスの段階にとどまる経済学
資本主義が抹殺した波動理論
時間の重要性を忘れた計量経済学
貨幣数量説のまやかし
貨幣をどう定義するか
間違った座標軸で描く経済指標
第二章 信用崩壊はなぜ起きたか
経済破綻を招いた大蔵権力の構造
悪いのは官僚か政治家か
その場しのぎに終始する日銀、大蔵
信用経済を軽視する日本の悲劇
日米同盟という虚像の中の円高
規制を肥大させる“荘園経済”
第三章 国家経営における歳出権と統師権
大蔵主計官僚の権力の源泉
自民党一党支配の本質と破綻の構図
経清改革は外科的処置か漢方療法か
日本経済を消耗戦に巻き込んだブラザ合意
カネ余り現象と硬直化した金融制度の蹉鉄
熱狂的バブルはなぜ生したか
バブルの背後で進行した財政破掟と政治腐敗
ドルと土地本位制に引き裂かれる日本経済
第三部 真の経済科学の確立に向けて
第一章 経済現象を時間の関数で捉える
自然の営みと時間の関係
エネルギーを墓本にしたMTKダイアグラム
ネット価値哲学に基づく経済学とは
石燃料は時間のエネルギー利用
自然の律動と波勤現象
太陽黒点と景気循環
経済活動を高次元で考察する
第二章 理と調和するインテリジェンスの力
経済における「信用」と「分業」の重要性
秩序を体系づける座標発想の寓意
インテリジェンス指数が指導原理となる
主体的な国際情勢把握ができない日本
官僚発想の根源にある武士道精神
理が情を制した時に理念が生まれた
第四部 二十一世紀の普遍原理を求めて
第一章 宇宙の生成発展を支配する数列
変化するすべてを支配するフィボナッチ数列
古代からの秘伝としての黄金比
インタンジブル世界の表象と対数螺旋
生命現象を示すファイ座標に秘められた意味
ガウス平面で読む経済の動き
経済的破局点から再生ヘ
第二章 二十一世紀の経済理論を構築する
信用経済と実物経済を統合する「全体経済」
非平衡状態の中で自己組織化する秩序
波動理論のルネッサンス
見えない秩序に追るホログラフィー理論
硬直化した偏差値型思考の克服
日本型資本主義の歪みをどう正すか
荘園的エセ資本主義からの脱却
弾力性に乏しい暗記教育と直線思考を超える
あとがき
あとがき
落合さんが社主の東興書院から上梓した『間脳幻悪』は、精神科医の藤井尚治博士との対談であり、この本は十年間の議論のエッセンスだけあって、著者のくせに読み返すたぴに新しい何かを発見する。おそらくその理由は議論のテーマにあり、見えないものを扱ってブレーンストーミングしたので、成リ行きを背後から見守っていた暗黙知が、言葉の奥行きに陰影を付ける働きを通して、行間を照らす光が言葉に精気を与え、そこに蘊蓄に似た味わいを添えてくれるのだろう。
藤井先生が無言で語ったことの一つに、見えないものを診るのが内科医の仕事であり、ダイアグノシス(診断)の価値は何にも増して重要で、診断に墓づき治療や処置が行われ、医療でも政治でも熟練した正鵠な観察抜きに、何事もなし得ないという教訓があった。
だから、内科医は正しい診断を最も重要だと考え、具体的な施療は外科医をはじめ専門医が担当して、苦痛を軽減させ患者の治癒力を高めるが、この心身共に健康を取り戻すプロセスの中に、医療行為の中心的な役割が存在している
だが、多くの行為がビジネス化した二十世紀においては、医学もビジネスの中に組み込まれてしまい、診断よりも治療が主体になっているが、その背景には科学より技術が優位に立つ、近代という文明レベルでの特殊な発展段階と、物量崇拝の時代精神の支配が関係している。
こんなことに思いを馳せて試みたこの対話は、落合さんの実務経験と該博な知識のおかげで、予想もしなかった方向に話題が飛翔して、多くの事柄の相互連関が見えるようになり、目の前に新しい地平が開けた感じがした。あまでもブレーンストーミングの功罪で、対象についての毀誉褒貶は果てしないが、何物にもとらわれない自由な立場で、批判精神の飛翔を楽しむことができたのは、お互いが在野の一匹狼であるおかげでもあった。
現在の日本は不況に加えて閉鎖感が支配し、売れるものしか興味を示さない出版社や、編集者が理解できる内容のものだけが時代の脚光を浴びる風潮が蔓延するとはいえ、出会い自体が意味形成の場になるような、そんな対話が残ってもいいのではないか。
知識よりも直感やイマジネーションと直結し、対話を通じ動態的に意味の場が形成されて、ホログラフィーのように暗黙知が像を結べば、痛快な生命発生のプロセスの目撃となる。
この対談を含め興味深い組み合わせで新しい対話が続々と生まれ、二十一世紀に向けて突破口を開くことによって、閉塞した時代を揺がす渦を巻き起こし、若い世代に何等かの刺激になれば、平成幕末も面白い時代性を持つことだろう。
なぜならば、新しい時代精神は地平の彼方の領域から、周縁を経由して内部化されるものだが、プラトンの対話を通じてアリストテレスが育ち、古典時代が花開いたのと同じように、対話で始まる相似現象は文明のダイナミズムの源泉である。
二十一世紀がエキサイティングなものであり、フィボナッチ数列が示す宇宙法則に導かれて、黄金の輝きを持つ時代であるように期待したい。
藤原肇
著書
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